仙台にある福祉事業所で「詩のワークショップ」をやります。前回は利用者さんを中心に簡単な演劇ワークショップをやったので、今回は利用者さんが帰った後、夕方からスタッフと保護者だけでやります。
利用者さんがいないことで、スタッフは「私」を取り戻すことができます。保護者の方も親ではなく、「私」として参加できます。
そういった環境の中で
「自分にとっていい一日とは何か」
をテーマにそれぞれ5,6行の短い詩を書きます。「私」はどう生きたいのか、それを短い言葉で表現するのです。だらだら長く書くのではなく、短い言葉に気持ちを集中させます。
私たちはこういう問いをふだんあまり考えません。でも、人が生きる上で、ほんとうはいちばん大切なことだと私は思っています。「スタッフ」とか「保護者」ではなく、一人の「私」として「自分にとっていい一日とは何か」という言葉に向き合うのです。
それは、いい一日を生きる、いい人生を生きる出発点になると思います。
それぞれの詩をグループの中で発表したあと、詩の言葉を一行ずつ切り離し、それを今度はグループの集団詩としてまとめていきます。集団としての意思にまとめるのです。
この作業がものすごく大変です。どの言葉が最初に来るのか、どの言葉が最後に来るのか、真ん中にはどの言葉がふさわしいのか等々、喧々がくがくの議論が始まります。みんなで「ああだこうだ」言い合いながら、言葉の意味が深まります。お互いの思いが共有できます。
そうやってでき上がった詩を、今度はみんなの前で発表します。声に出して、思いを相手に届けるのです。声に出すと、詩が生き物のようにムクムクと立ち上がります。
私たちはふだんからいろんな言葉を交わしています。でも、詩のワークショップという集中した場でできあがった詩の言葉にはみんなの思いが詰まっています。ですからそこで生まれた言葉にはチカラがあります。人の心を揺り動かすチカラです。
そのチカラは私たちをいろんな束縛から解放してくれます。自由にしてくれます。それは実際にやってみるとわかります。ものごとを頭だけで考えるのではなく、体全体で受け止め、考えるのです。
たかが言葉です。でもここで生まれた言葉は侮れません。言葉がチカラを持つこと。それはひとつの希望でもあると思います。
「手に持ってゆったりと重い いい大根のような一日がいい」
長田弘さんの「ふろふきの食べ方」という詩を最後にみんなで朗読しようかなと思っています。
あなたのところでもこんな詩のワークショップ、やってみませんか?いろんな新しい気づきがあります。新しい出会いがあります。「あ、おもしろそう」って思われた方はぜひ連絡ください。takasaki@pukapuka.or.jp高崎まで。