ぷかぷか日記

彼らがいる。ただそれだけで幸せ。

『支援』という本に原稿を頼まれました。

www.arsvi.com

 原稿のタイトルは「ほっこり、まったり、にっこり」。これって、ぷかぷかの毎日じゃん、て思いました。

 ぷかぷかはどこを見ても「ほっこり、まったり、にっこり」がいっぱい。

 

 テラちゃんがいると自然にこんな雰囲気に。

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   リエさんにも近所の子どもたちがよってきます。

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 彼らはどうしてこんなに心地よい雰囲気を作っちゃうんだろう。子どもたちは敏感。だからこうやって彼らのそばにいてくつろぐ。

 

 こんな笑顔で接客されたら、素直にうれしい。

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ご飯といっしょに、ひとときの幸せを味わいます。

 

職場では、ほら、みんな笑顔。いい時間過ごしてる。

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だからおいしいものが生まれる。おいしい笑顔が、おいしいものを生み出し、おいしいものがお客さんの笑顔を生む。笑顔の好循環。

 

お店の前でもこんな笑顔。何か楽しいことがあったんだね。

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 毎日楽しいことがあって、素直に笑える。声を出して笑ってもいい。その笑い声に癒やされたっていうお客さんがいました。ぷかぷかにはそんな雰囲気があります。

 

 ぷかぷかでは寝る人が時々います。寝る人がいても、ま、いいかって、特に起こしたりしません。生産性に差し障る、というよりも、こういう人がいることで生まれる「まったり」した雰囲気こそ大事だと思っています。ぷかぷかの居心地の良さは、こういうところから生まれます。

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寝顔をFacebookにアップすると、今日も癒やされました、とたくさんのアクセスがあります。彼らは寝たまま、ぷかぷかのファンを増やし、収益を上げています。ファンになる、というのは、障がいのある人たちと出会うこと。障がいのある人たちのイメージがマイナスからプラスに変わります。彼らは寝たまま、社会を耕しているのです。すごく大事な仕事です。彼らのこういう働きは、もっともっと評価していいように思います。

 

 

 この文字、言葉たちが、なんとも愛おしい。

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 なんだろう、この愛おしさは。この文字や言葉は窒息しそうな社会を柔らかくしてくれます。あーだこーだ小難しいこといわずに、この社会を救ってくれます。

 

 

ぷかぷかのアートは、街を元気に、豊かにします。

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 こんなアートを前にすると、彼らを「支援」するだなんて、恥ずかしい。そのことに気づくこと。そこから新しい物語が始まります。

 

 

彼らがいる。ただそれだけで幸せ。

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幸せすぎて、ついこんな顔になってしまう。

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 どうしてぷかぷかのあちこちに「ほっこり、まったり、にっこり」があるのか、うまく説明できません。彼らのこと好きで、いっしょにぷかぷかをやってきたら、自然にこんな雰囲気になっていました。
 一つだけ言えることは、彼らといっしょに生きている、という関係であること。間違っても彼らを管理したり、支援したりしていないことです。ですから、彼らはありのままの自分でいられます。仕事をしながら、自分の人生を生きています。だから仕事場にあんなにも笑顔があるのだと思います。

 「ほっこり、まったり、にっこり」は、そのままの彼らの姿なんだと思います。

彼らの生み出す価値をどう見せるか、という演出

 先日第一期演劇ワークショップの記録映画を作った宮沢あけみさんがぷかぷかに来ました。久しぶりだったのでいろんな話をしたのですが、NHKのドラマのカメラマンをしていた旦那さんが早期退職した際、退職金を巡って

「タカサキみたいに家をほったらかしにして全部ぷかぷかにつぎ込むようなことは絶対やめて」

と頼んだそうで、笑っちゃいました。私にしてみれば、家をほったらかしにしたのではなく、家のことを忘れてただけというか、ぷかぷかのことで頭がいっぱいで、家のことまで頭が回らなかったということですが、ま、かみさんから見れば同じことですね。

 それでも、あのお金をつぎ込んだおかげで、今のぷかぷかができたことは確かなわけで、あのお金を銀行に預けていれば、何も生まれませんでした。ですから、お金を銀行に預けるというのは、何もそこからは生まれないので、社会の損失なのかも、と思ったりします。

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 ぷかぷかは今までにないたくさんの「新しい価値」を生み出してきました。

 「障害者が作ったものだから買ってあげる」というところに寄りかかるのではなく、「おいしいから買う」商品を作ろうと現場が頑張ってきました。結果、ほかのお店に負けないような商品ができ、パンにしてもお弁当にしても焼き菓子にしても、地域でも評判のお店になっています。

 商品がよく売れるから現場で働くぷかぷかさんたちのモチベーションも上がります。笑顔が増えます。その笑顔を見て、またお客さんが増えるという好循環を生んでいます。

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 ぷかぷかさんたちがデザインした帯をお弁当に巻き付けると、一気に楽しいお弁当になって、お弁当の価値がぐんと上がります。お弁当の価値が上がるだけでなく、障がいのある人たちがいることの意味が、理屈抜きにストレートに伝わります。これは彼らの生み出す価値をどう見せるか、という演出が効いています。

 障がいのある人たちは「あれができないこれができない」「社会の重荷」といったマイナスのイメージが多いのですが、演出の仕方ひとつで、そんなマイナスのイメージを一気に超えるものを創り出すことができるのです。

 ぷかぷかのお弁当を食べた人は、多分障がいのある人たちのイメージが変わります。ぷかぷかさんのファンになった方もたくさんいます。ぷかぷかはお弁当で、障がいのある人たちにとって居心地のいい社会を、少しずつ作っているのです。

 ぷかぷかは設立の時、法人の設立目的として

「障がいのある人たちの社会的生きにくさを少しでも解消する」

ことをあげています。お弁当は、その目的を達成する具体的な方法の一つです。

 

 ぷかぷかは創設以来

「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトク!」

と言い続けています。お店の活動は、そのことの意味を具体的に伝えてきました。お弁当もその一つです。

 彼らといっしょに生きると、私たちの暮らしが豊かになります。お昼に楽しいお弁当、おいしいお弁当に出会えるなんて、暮らしの豊かさそのものです。

 ぷかぷかのお弁当は、障がいのある人たちにとっても、私たちにとっても、とても意味のあることをやっているのです。今までにない新しい価値を作り出すお弁当なのです。

 

 障がいのある人たちは社会にあわせないとダメだなんていわれていますが、ぷかぷかでは社会にあわせるのではなく、そのままのあなたが一番魅力的、といっています。ぷかぷかの心地よさ、魅力は、社会にあわせないそのままのぷかぷかさんたちが自然に作り出したものです。これもまた今までにない新しい価値といっていいと思います。

 日常的にあるこんな一コマがお客さんの心を癒やします。

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 家をほったらかしにして作ったぷかぷかです。でも、そのおかげで今までにない新しい価値を生み出したのですから、ま、よしとしましょうよ、ねぇ、宮沢さん。

「かずやしんぶん読んでぷかぷかまで行ってきましたよ」って、歯医者さん

 かずやさん、歯医者に行ったら「かずやしんぶん読んでぷかぷかまで行ってきましたよ」って、歯医者さんがおっしゃったそうです。ただ夏休みでぷかぷかさんたちには会えなかったけど、場所はわかったので、機会見つけてまた行きます、みたいな話をしたようです。

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 うれしいですね。小さな「かずやしんぶん」が、相模原から横浜まで人を動かしたのですから、もうびっくりです。小さなしんぶんとはいえ、侮れないチカラを持っているのだと思います。

 ぷかぷかまできた、というのは多分かずやしんぶんの最後のページに書いたかずやさんとぷかぷかのつながりを読んだからだろうと思います。

 

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 これはもうコーヒーカップ、プレゼントせねば、と思いました。「よっしゃ、わかった」と、かずやさん作ってくれるといいのですが、そこがむつかしいところ。でも、なんとか作ってもらいます。

   小さな「かずやしんぶん」がこうやってかずやさんを軸に新しい出会いを作り、関係を広げていきます。これからが楽しみです。地域社会が少しずつ変わって変わっていきます。

戸惑ったり、オロオロしたり、ドキドキしたり、困ってしまったり、つい笑ってしまったり、という予期しない瞬間にこそ

 障害のある人たちと地域の人たちとの演劇ワークショップはもう30年ほど前からやっているのですが、その頃の話です。

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 「お、おんな、い、いますか?」

いきなりカタヒラ君は店員さんに聞きました。

 「え?おんな?はぁ、おんなは、あの、今日はいませんが、いつもは三人ほどいますけど…」

と、店員さんはもうドギマギしながらやっとの思いで答えました。

 演劇ワークショップで取材劇をやろうということになり、養護学校の生徒たちと街に取材に行った時の話です。彼らはいろんなお店がごちゃごちゃ入っている賑やかな駅ビルを選び、10人ばかり連れだって出かけていきました。

 インタビューできるような関係も、その駅ビルのお店とはできていなかったので、いささか不安ではあったのですが、いきなりそんなドキッとするような質問が飛びだし、向こうもこっちも

「え?」

という感じ。それでもその一瞬のパンチ力あるひと言が、ドギマギしながらも、お互いの閉じた関係をパァッと取っ払ってしまいました。とりあえず事情を話せば相手の方もすぐに笑顔になり、ふつうに話のできる関係に。

 

「3月4日、あいてますか?」

といきなり切符売り場の駅員さんに聞いた人もいました。3月4日は芝居の発表会の日です。

「3月4日?3月4日は…あの…え?あなたが芝居をやる?芝居ねぇ…」

とかいいながらも、それでも律儀にその駅員さんは3月4日とメモしていました。

 

 もちろんちゃんと答えてくれる人ばかりではなく、誰もお客さんがいないのに、彼らが質問したとたん

「あ、今、いそがしいですから」

と逃げる人もいました。

 それほど露骨でないにしても、

「ああ、困ったなぁ、なんとかして下さいよ」

という目を、彼らに付き添っている私たちに向ける人もいました。

 

 いずれにしても、思いもよらない言葉で突然生まれた、ちょっとオロオロしてしまうような瞬間をお互いが生き、それ故に思いもよらない新鮮な「出会い」があったことも確かでした。

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 ぷかぷかでも同じようなことが日々起こっています。

 パン厨房から飛び出し、やってきたお客さんにいきなり

 「お父さんの名前はなんですか?」

と、聞く人がいて、

 「え?お父さんの名前?」

と、一瞬時間が止まります。パンを買いに来たのに、どうしてお父さんの名前?と、大抵ドギマギします。

 「お父さんのネクタイは何色ですか?」

と、次々に繰り出される質問に、

「そうか、ここはぷかぷかのお店だもんね」

とたいていの人はにんまりとするのですが、よくわからないままの人もいます。

 

 パン教室で色々質問攻めにあう人もいます。

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 彼らとの「出会い」は、こういうところにこそあると思っています。この人たちとはこういうところに配慮しながら接して下さい、なんていう場で、「出会い」なんてありません。

 お互いが裸で向き合い、戸惑ったり、オロオロしたり、ドキドキしたり、困ってしまったり、つい笑ってしまったり、という予期しない瞬間にこそ、本物の、思いもよらない素敵な「出会い」があるのだと思っています。

 

 ちなみに冒頭で紹介した

「おんないますか?」

の取材で作った芝居は、電子本『とがった心が丸くなる』に載っています。アマゾンで販売中

www.amazon.co.jp

 

 

 昔「グループ現代」が作った記録映画『みんなでワークショップ』の22分30秒あたりから取材を元にした芝居が記録されています。

www.youtube.com

パラリンピックの選手の言葉

 パラリンピックの選手が

「私は自分を障害者と思っていない」

と言っていたそうですね。ま、どう思うかは人それぞれで、こちらがとやかく言う話ではないのですが、共生社会とか多様性を掲げるパラリンピックで、障害者を否定するような言葉が出てくるのは、なんとも残念です。

 これは選手の感覚と言うよりは、障害者をマイナスとしか見ない社会の反映なのだと思います。「あれができない、これができない、社会の重荷」といった感じのマイナスのイメージ。

 「そういう障害者と自分は違う」

と、そんなことを言いたかったのだろうと思います。パラリンピックに出るくらいの、ずば抜けた身体能力のある人にとってみれば、全くその通りだと思います。

 それでも尚、この言葉には違和感があるのです。

「私は自分を障害者と思っていない」

なら、健常者なのかと言えば、やっぱり目が不自由であったり、足が不自由であれば、やはり日常的には色々大変なところはあると思います。ならば素直に

「競技の時はともかく、ふだんは障害者だよ」

っていえばいいのに、そう思っていない、と言い張る。まさに「言い張ってる」感じがするのです。どこまでも障害者を否定してしまう。

 もし障害者という言葉がマイナスではなく、プラスのイメージを持っていたらどうでしょう。

 

 ぷかぷかは障害のある人たちに惚れ込んで始めた事業所なので、マイナスどころか、プラスもプラス、いっしょに生きていかなきゃソン!だと思っています。障害を克服しよう、なんて全く考えてなくて、そのままのあなたが一番魅力的、と言い続けています。

 そんな彼らといっしょにぷかぷかを作ってきました。ぷかぷかの魅力は彼らの魅力です。障害のあるぷかぷかさんたちのおかげで、こんな素敵な場所ができたのです。ぷかぷかにとって、彼らは

「なくてはならない存在」

なのです。

   毎月、パン屋の大きな窓に、こんな素敵な絵を描いてくれます。 

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  お弁当を彼らの絵で包むと、お弁当の価値がグ〜ンと上がります。

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 彼らがいてこその素晴らしい舞台。

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 ぷかぷかさんたちは知的障害ですが、身体障害の人たちも、彼らがいることで社会が豊かになっています。歩くことが不自由な方がいるから、ほとんどの駅にエレベーターができたり、いろんなところで段差がなくなったりして、みんなが暮らしやすくなりました。目の不自由な方のために駅のプラットホームに柵ができ、誰にとっても安全なプラットホームになりました。障害のある人たちの暮らしやすい街は、誰にとっても暮らしやすい街です。ですから社会にそういう人たちがいることで、社会全体が豊かになります。

 社会全体が障害のある人たちのことを、こんな風にプラスのイメージ、「なくてはならない存在」と考えていれば

「私は自分を障害者と思っていない」

などという言葉は、多分出てこなかったのではないかと思うのです。

 

あなたはどう思いますか?

障害克服に頑張らない人たちこそが、 ゆるい、居心地のいい社会を作っていく

先日渡辺一史さんがパラリンピックに関して朝日新聞に寄稿していました。

digital.asahi.com

 その中に、18年、東京都がJR東京駅構内に掲示したパラスポーツの応援ポスターに、パラスポーツの女性アスリートの言葉として、次のフレーズが大きく刷り込まれていたことが紹介されていました。

 

 《障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ》

 

 どういうつもりで東京都がこんなポスターを貼りだしたのかわかりませんが、 アスリートにしか通用しないきつい言葉です。アスリートが考える「障がい」であり、アスリートが考える「勝ち負け」に過ぎません。

 うちのぷかぷかさんたちにとっては

「え?何、これ」「どういう意味?」

って、感じです。でも、社会全体が障害のある人に対してこんな風に考え出したら、当事者にとっては、とても辛いなと思います。

 渡辺さんは《「障害を克服し、頑張る人たちを応援すべきという押しつけがましさ」は、裏を返せば、「頑張らない人は応援しない」となる。》と書いていましたが、私の周りにいる人たちは「障害を克服しよう」とか「それにむけて頑張ろう」なんて気持ちがほとんどありません。

 障害克服に向けて頑張らないから、彼らはありのままの自分を生きています。その人たちの周りはいつも自分らしく生きる、マイペースののんびりした時間が流れます。誰が来てもホッとした気持ちになれます。ぷかぷかのゆるっとした雰囲気、ホッとできる雰囲気は、彼らのそういう頑張らないところから来ています。

 別に応援して欲しいなんて思いませんが、障害を克服しようと頑張らない人はダメだ、みたいな見方をしていると、障害はいつまでたっても克服すべくマイナスのイメージにとどまってしまいます。障害克服に頑張らない人たちが生み出す大事なものを見落としてしまいます。ぷかぷかは、障害を克服するのではなく、そのままのあなたが一番魅力的、といい続けています。ぷかぷかの魅力は、障害克服に頑張らない人たちの魅力です。

 

 以前ぷかぷかのお店で大根を販売した時、大根に貼り付けた紙に《たいこん》と書いてあって、なんだか笑っちゃいました。障害克服に頑張らない人がサラッと書いた言葉です。この言葉が生み出した小さな物語です。

 

www.pukapuka.or.jp

 障害克服に頑張らない人たちこそが、こんな風にして、 ゆるい、居心地のいい社会を作っていくのだと思います。私たちにはなかなかできないことです。そこをどこまで謙虚に見ていけるかだと思います。

みっちゃんの絵のチカラ

結婚式のプチギフトの注文がありました。

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 花婿さん、花嫁さんの絵を描いたのはみっちゃん。もらった人みんなが幸せな気持ちになるような絵です。

 結婚式でこんな絵に出会い

 「あら、素敵じゃない!」

ってたくさんの人が思ってくれたらいいなと思っています。

 「ともに生きる社会」とか「共生社会」の啓蒙活動ではなく、そんなことに一切関係のない結婚式でこんな絵に出会うこと。それがいいなと思うのです。

 この絵は、なんの前置きも、説明もなく、ぱっと見ただけで

「え?これいいじゃん!」「素敵!」

ってたくさんの人が思ってくれます。

 これが、みっちゃんの絵のチカラです。私たちがあーだこーだと「ともに生きる社会」や「共生社会」を説明するよりも、はるかにその社会に向けての説得力があります。そこがすごいなと思うのです。彼らのチカラ、侮れないのです。

 

「今度、私の結婚式でも使おうかな」

とか、

「こんな絵を描いた人に会いたいね」

とか言ってくれる人が少しずつ増えていくといいなと思っています。社会って、こういうところから変わっていくのだと思います。

 ともに生きる社会を作ろうとか、共生社会を目指そうとかいくら言っても、社会はなかなか変わりません。そういう大きな話ではなく、

 「あら、素敵じゃない!」

って、素直に思えるような関係を身近なところで作っていくこと、その地道な活動こそが、社会を静かに変えていくように思うのです。

 

 

 機会があれば、みっちゃんに会いに来て下さい。大歓迎ですよ。ひょっとしたら幸せな気持ちになれるような似顔絵描いてもらえるかも。

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こっちゃんがパラリンピックの開会式にキャストとして参加

 以前演劇ワークショップに参加し、抜群の存在感を示したこっちゃんがパラリンピックの開会式にキャストとして参加しました。
以下お母さんのFacebook
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こっちゃん、パラリンピックのキャストとして開会式に参加させていただきました。
生まれつきの障害特性もあり結構衝動的な行動をしてしまう彼女には、セレモニーキャストとしての役割を果たすことは山の様に高いハードルに見えました。やっぱり無理か、と本人も私も途中で逃げ出したい衝動に駆られたときも、、、(←親子で衝動的か、、)
ディレクター始め、スタッフやアカンパニストや仲間たちや、沢山の人に支えられ、辿り着くことができた昨日。頑張った♬
楽々と越えられる事なんてひとつもない。
でもやっぱり楽しむ心がないと超えたとしてもつまんない。そこは譲れません。
ホントそうだよね、私も教えられています。
今までに無く様々な意見が絡まり合う東京2020大会ですが、この開会式が今回のパラリンピックの意義を多くの人に知ってもらう最初の機会になったらと願います✨✨✨
Tidbits:オリンピックはギリシャで採火されますが、パラリンピックは発祥の地あるストーク・マンデビルで採火された火と、全都道府県で採火された火を集火してパラリンピックの聖火が生み出されます。
たくさんの小さな灯火が集まって大きな希望の聖火へ。
 

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ラーメンを6杯も食ったイエス(養護学校キンコンカンー④)

 養護学校で教員をやっていた頃の話です。

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 私の勤務していた養護学校には寄宿舎があり、一時そこの舎監もやっていました。寄宿舎は高等部の生徒たちが寝泊まりしていて、昼間、小学部で小さな子どもたちを相手にしている私にとっては、とても新鮮な職場でした。月3回ほど泊まりの勤務がありました。

 ご飯食べる時間以外は割と自由に何でもできました。年末、クリスマス会に向けて生徒たちといっしょに『青年イエス旅に出る』という芝居を作りました。二十歳になった青年イエスが、未知なる世界に向けて旅に出ます。どんなところを旅し、どんなことに出会ったのか、何をしたのか、それを生徒たちといっしょに考えたのです。

 ヒマラヤの山中に現れ、雪男と決闘したとか、ニューヨークでいい男はいないかと狂ったように探し求める女イエスとか(そうか、イエスって女だったかも知れないんだ、って生徒たちと話しながら思いました)、色々楽しいお話ができ上がったのですが、一番の傑作は、雪の降る札幌の街に現れたイエスがラーメンを6杯も食べるというお話。

 なんと泥臭いイエスなんだろうって、ちょっと感動してしまいました。いい男を捜し求める女イエスのお話もなかなかでしたが、ラーメンをずるずる音を立ててすするイエスというのは、私の中にあった清く正しいイエスのイメージを完璧に壊してくれました。

 「そうか、イエスがラーメンをすすったか」

って、なんだかうれしくてしょうがなかったですね。

 そしてラーメンを1杯でも3杯でもなく、6杯も食ったというあたり、彼らの中にイエスの確固たるイメージがあったのだと思います。6杯目を食い終わったイエスは、長いひげについたラーメンの汁を、おもむろにあの白い服の袖で拭い、またふらりとどこかへ消えたに違いありません。あたたかいねぐらにその夜もたどり着けたんだろうか…とそんな思いまでさせるイエスでした。

 新年あけて寄宿舎の生徒たちのやった書き初めの中に「はつひもち」というのがありました。この方が書きました。

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 そしてこの方がラーメン6杯も食べた青年イエスをやったのでした。
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 彼らといっしょに作る芝居は、昔も今も変わらず、とんでもなく楽しいです。それは多分彼らの発想の自由さ、豊かさにあると思います。だからいっしょに生きていった方がトク!なのです。 

この街に住むあなたと私、という関係で〔養護学校キンコンカンー③)

 養護学校の教員をやっていた頃の話です。

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 養護学校に通うキィちゃんが近所の小さな子どもの首を絞めてしまうという事件があり(本当に首を絞めたのか、かわいいと思って抱きしめようとしたのかはっきりしないのですが、結果として、こういう子どもを一人で外に出すな、という雰囲気になりました)、お母さんはえらく落ち込んでしまいました。たまたま実習に来ていた学生さんは大学院で特別支援教育を勉強していたので、こういう場合はどうしたらいいか、聞いてみました。

 ところがこういった問題については勉強したことがないというのです。教授も学生もそういった問題(自分自身のありようも問われるような社会性を帯びた問題)については考えたこともないと。子どもたちの「障害」についてはよく勉強するし、とても研究熱心。でも、それはあくまで「障害」を軽くし、「発達」を促すという方向。子どもはだから「研究」もしくは「指導」の対象であって、この時代をいっしょに生きていく相手ではありません。

 今回のキィちゃんのような事件の場合、キィちゃんが情緒不安定にならないためにはどうしたらいいか、といったことは考えるかも知れないけれど、今一番苦しい思いをしているお母さんをどうやって支えればいいか、あるいは社会の何が問題なのか、どうすればいいのか、といったことは考えない。そんなことは自分たちに関係ないとみんな思っている……と、そんな話でした。ま、正直な方でした。

 養護学校の教員とおんなじだと思いました。そういったところを卒業した人が多いので、同じような感じではあるのですが、学校の現場ではキィちゃんのような事件はいっぱいあって、だから子どもの「発達」を促していればいい、というわけにはいきません。苦しい思いをしているお母さんがいれば、やっぱり知らんぷりはできないし、いろいろ話をしていると、自分とは関係ないとは言い切れない問題がいっぱい出てきます。

 じゃあどうするのか、ということです。「子どもの親と担任」といった関係ではなく、この街に住むあなたと私、という関係で考えていかないと、辛い思いをしているお母さんを支えきれないように思いました。

 社会の問題がむき出しになるような現場で、自分はどのように立つのか。「先生」という肩書きの影に隠れるのではなく、この社会を形作っている「あなた」はどうなんですか?という問いにまっすぐに向き合う。そこからしかこの問題は解決しないように思うのです。

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  社会的な問題と自分とのつながりが見いだせない人が多いのは、昔も今も変わりません。福祉のネットワークサイトにやまゆり園事件に関するブログを投稿していたら、二つのサイトから排除されました。社会の問題を自分事としてきちんと受け止めようとしない。だからそういうことを口うるさく言う人間は目障りなんだと思います。

 

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