ぷかぷか日記

かわいい孫のようです、というフラットな視線がいい

 今日からお店再開。久しぶりにみんなと会って、ただそれだけでうれしい。

  久しぶりに会ったリエさんはいつもとおんなじ話題でしたが、おんなじ話をしていても今日は格別にうれしい。心も体もゆるゆるになります。

 リエさん「また今日、テレビで漫画ばっかり見るから」

 タカサキ「漫画ばっかり見てると頭がパーになるよ」

 リエさん「パーになるの?」

 タカサキ「そう、タカサキみたいにパーになるよ、いいの?」

 リエさん「それはいや」

 タカサキ「だからニュースも見た方がいいよ」

 リエさん「報道ステーションとか?」

 タカサキ「そう、今日はそれを見た方がいいよ」

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 他愛ないこんなやりとりがすごく楽しい。話をしているだけでぐんぐん元気になります。彼らに支えられていることがよくわかります。

 

 先週まだ休み中にNHKがやってきて、ぷかぷかさんがいないことでぷかぷかさんが街にいることの意味がよりわかったんじゃないでしょうか、と取材に来ました。たまたま通りかかった80歳のおばあさんは、

 「やっぱり、いないと、すごく寂しいですよ。みんなかわいい孫みたいな存在ですから」

 かわいい孫みたいな感じで受け止めてくれていることがうれしかったですね。上から目線で何かやってあげる、とかではなくて、ただただかわいい孫のようです、というフラットな視線がいいですね。

 「道で会っても必ず挨拶してくれて、うれしいです。道路を隔てても、私を見つけると大きな声で挨拶してくれます」

 おばあさんは一人暮らしだそうで、だから街で会って声をかけられることが余計にうれしいようでした。

 ぷかぷかさんたちはそうやって地域のお年寄りを支えているんだと思いました。偉いなぁ、お年寄りに声もかけない私なんかより、ずっと偉いです。

 彼らは《街の宝》です。

 

 ★NHKは明日も取材に来るようなので、多分どこかで放送されるのではないかと思います。日にち、時間などがわかりましたらまたお知らせします。

でんぱた 1ヶ月がすぎました。

でんぱたがスタートして1ヶ月ですね。

メンバーさんもスタッフも、これまで違う場所で生活や活動をしてきたわけですから、もちろん、お互いに相手のことをよくわからない。そんななか、一緒に毎日を過ごすこととなり、ようやく相手のことをなんとなくわかってきたのかな。そんな1ヶ月だったのではないでしょうか。

5/7仕事初日。メンバーの皆さん農作業ビギナーということで、何をどこまでやってもらうのかは、畑に出て皆さんの働きぶりを見て考えようと思っていました。

ですが、なんと初日から耕運機を操作してもらうことができたのです。そして、耕運機のリコイルスターター(プーリーに巻かれたローブを引っ張りエンジンを始動する)を、何回も何回も引っ張ってもエンジンがかからず、それでも諦めないメンバーさんの姿がありました。

 初日、帽子を被りたくない、軍手を着けたくないメンバーさんがいました。でも、帽子と軍手は安全健康を守るためのものですから、スタッフも粘り強く伝えました。

そしてメンバーさん。次の日からは、自分でしっかり帽子を被っていました。そして数日後には、何も言わなくても軍手を着けて仕事をする姿がありました。

軍手を着ける。シャベルで穴を掘る。手で草を引っ張って抜く。手のひらや指で苗に土を被せる。簡単なことのように思いがちですが、すべてはそこに気持ちが働くことで、はじめてできることなのだと思います。

 当たり前のことですが、メンバーさん一人ひとりの気持ちや想いを大切にしていきたいと思っています。

野良しごとや他の仕事やでんぱたでの過ごしのなかで、メンバーさんが気持ちや想いの表し方を見つけたり、自分だけではなく相手の気持ちや想いを大切にすることを経験したり。でんぱたを、そんな経験をたくさんしていけるような場所としていきたいです。

この子と一緒にいれば迷わないのかなって

 重度障害障害者に税金を使うのはもったいない、とやまゆり園事件の植松死刑囚はいい、それに同感する社会があります。

 重度障害者にお金を使うのはほんとうにもったいないことなのか。そこを考えていくことは、これからの社会のありようを考えることです。

 もったいないかどうかを生産性という視点だけで考えると辛くなります。でも、生産性を離れ、違う視点でこの問題を見直していくと、新しい別の価値が見えてきます。

 

 2月のクローズアップ現代で重度障害の子どもと一緒にやまゆり園裁判を傍聴した土屋さんが紹介されていましたが、その番組の短縮版にちょっと感動的な場面がありました。

 重度障害のそうま君の誕生日。バースディケーキを前に「そうま、自分でふーしてみて ふー」とお父さんが言います。そうま君は自発呼吸は今後も無理だと医者からいわれています。でも、そうま君はお父さんの声を聞いて舌をそっと突き出し、ふーしようとします。兄弟たちの笑い声が重なって感動的な場面でした。

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  そうま君がいることで生まれた素敵なひとときです。それを幼い兄弟たちも含めて家族みんなで楽しんでいます。子どもたちの笑い声がすごくいいです。

 そうま君がいることで生まれるこういう時間こそ大事にしたいと思うのです。こういう時間は家族を、そして社会を豊かにします。生産性では計れない価値です。

 それがそうま君がいることの価値です。そうま君が何かを生み出すかどうかではなく、そうま君がいること、そのこと自体に価値がある、ということです。こういう価値を社会のなかでもっともっと共有できれば、重度障害の人に限らず、すべての人にとって生きることが楽になります。 

 重度障害の人たちにお金を使う、というのは、そうすることで生まれる豊かな時間を大事にするためです。生産性では計れない価値を大事にするためです。その価値は私たち自身の生きることを楽にし、社会を豊かにします。

 生産性では計れない人間の価値を最初に教えてくれたのは、養護学校で出会った重度障害の子どもたちでした。あれができないこれができない子どもたちが、何かができるとかできないとかの価値観では計れない人間の価値を身をもって教えてくれたのです。そんな価値を知ったことが、今のぷかぷか設立につながっています。そしてぷかぷかが今、社会のなかで果たしている役割を考えると、彼らが教えてくれた価値の素晴らしさをあらためて思うのです。

www.facebook.com

 

 下に添付したのは、重度障害のそうま君と一緒に裁判を傍聴した土屋さんを通して、事件の意味を探った素晴らしい記事です。

 話を大きく広げることなく、そうま君とお父さんの関係を通して事件を見ていくところがいいなと思いました。事件がとても身近な問題として見えてきます。

 何よりもお父さんが裁判の傍聴を通して気持ちが楽になった、というところがいいですね。 

 記事の最後に土屋さんの言葉がありました。「この子と一緒にいれば迷わないのかなって」。そういう思いに至ったところが裁判を傍聴していちばんの収穫だったように思いました。

「植松被告と日本社会と向き合いたいと思っていたんだけど、結果的にはずっと自分と向き合っていた裁判でした。人の役に立つとか、人に迷惑をかけないとか、社会に求められるような生き方に窮屈さと息苦しさを感じてきたんだけど、荘真は本当にあるがままに生きているので何だか子どもに頼っちゃって少し情けないけど、この子と一緒にいれば迷わないのかなって」

www3.nhk.or.jp

「悪くない」どころか、そのはるか先を行ってる気がしました。

 海君は重度の脳性麻痺の青年です。自分ではほとんど何もできない方ですが、お母さんは

 「不自由な体でも、どうせ出来ない、どうせやらせてもらえない、と諦めることなく、いつも期待いっぱいワクワクして目を輝かせる海くん。楽しませてあげたいです」

という思いで海君といっしょにいろんなことに挑戦しています。

 1週間に1,2回アップされるFacebookには、いつも海君の動画が入っています。いっしょにケーキのトッピングをしたり、イチゴのスムージー作りでイチゴをコップに入れたり、ナイフでケーキを切ったり、今日は自作の自助具を使う動画でした。

 そのたびに海君、素敵な笑顔になって、いつも癒やされています。幸せな気持ちになります。

 

 下の写真は散歩に出かけたときの笑顔。

 日向ぼっこではつまらなさそうだったので「お散歩する?」に、この笑顔でした、とお母さん。

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二十歳の誕生日にはこの笑顔

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つい先日は入院騒ぎがありました。

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海くん、入院12日目、退院できました(^-^)㊗️

5/8 通所先から発熱や発作と酸素が必要な状況の連絡。手厚く見てくださり感謝です(^-^)

帰宅すると、在宅酸素を流し、サチュレーションモニターをつけ、熱を測ってる間には予め連絡していた訪問介護さんが到着してくださり、呼吸数など全身状態の観察をして、すぐ救急搬送が良いとの判断を仰いでくださりました(^-^)

救急車がつく頃に帰宅した中2三男に
「今から入院するね」
程度しか話せず、高3次男には会えず、救急車へ()

その日、夜勤だった主人。
主人の実家へ入院の旨を伝えると、次男と三男の夕飯のおかずと翌日の学校の弁当のおかずを用意してくれ、入院中、何度もたくさんの手作りおかずを運んでくれました(^-^)

実家の母は、子供達が学校に行っている間に、掃除、洗濯、ゴミ捨てと、自宅のフォローをしてくれ、病院にも面会に来てくれました(^-^)
両親は結婚50年の金婚式の旅行を計画しており、入院中に母の日のお祝いも満足にできず、心配させたまま旅行へ行かせてしまいました(๑˃̵ᴗ˂̵)💦

主人は仕事が日勤夜勤のある三交代の上、新幹線通勤。不規則な生活の中、家事に仕事に、帰りに病院へ寄ってくれたり感謝ばかり
おかげで、海くんのそばを離れず12日間の付き添い入院できました(^-^)

子供達も、お弁当のおかずを詰めたり、お手伝いに自己管理、元気に待っていてくれ、海くんが自宅に着くと大量の荷物を運び、車椅子から抱き抱え降ろし頭を撫でてくれました

みんなのおかげで今の小さくても暖かく、幸せが感じられ、障害のある海くんの子育てが苦もなく楽しいばかりです(^-^)

これからも海くんの笑顔が真ん中にありますように(^-^)

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 すごい大変だったと思うのですが、そういう大変さを超える素晴らしい家族ですね。こういう幸せな家族の中心に海君がいる、というのが素晴らしいと思います。やっぱり海君のおかげでこういう優しさに溢れる幸せな家族ができたのだと思います。。
 重い障がいのある人が家族にいることの意味をあらためて思いました。
 「障害者は不幸しか生まない」のではなく、こんな幸せを生む存在なんだということをたくさんの人と共有したいと思うのです。
 
 出生前診断で陽性反応が出て、障害児が生まれたら家族が困ると思っている人たちにはぜひ見て欲しいです。
 先日 「#障がいのある人のいる暮らしも悪くないよ」をつける提案をしましたが、海君の一家は「悪くない」どころか、そのはるか先を行っていて、「#障がいのある人のいる暮らしは幸せだよ」ってつけた方がいい気がしました。

 

 海君のお母さんのFacebookです。

https://www.facebook.com/profile.php?id=100033629318732&__tn__=%2CdCH-R-R&eid=ARBx8gtm6IvUQ3Gfx2qGZW0N7d_oMCyS5oiYviLs7x6vj7Vi0zVWrmYqnejxboX2yMuD1mIDPofiqZFx&hc_ref=ARTDeG1vWiaV4bGegbl3NZRkWYe6q1oRSGE3FBSLaO-arm73aBJX0bg9afjmJQJmsqo&fref=nf

人としての情

 在宅の重度障害者が窮地に、という記事を読んでも、外出を手伝いに行くわけにもいかず、コロナというのはなんともやっかいです。

mainichi.jp

記事の最後にこんな言葉がありました。

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「植松聖死刑囚は、重度障害の人は生きる価値がないと否定しているでしょう。その中で、親がこんなに大変だ、大変だというと、『ほらやっぱり』と思うような人がいるかもしれない」と洋子さん。

 続けて「でもね、こんなに大変でも私たちが頑張っているのは、この子の命が何より大切だからなんです。信太郎の大切な命をなんとしても守りたいから、頑張れる。だから大変なのは事実ですけど、生きる価値がないなんて、そんなことは絶対にないということを言いたい。それだけは、伝えたいんです」。冷たい言葉があふれるコロナの時代に、この言葉を書き留めておきたい。

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 記者の思いが溢れた言葉でした。

 あらためて植松死刑囚はやまゆり園で重度障害の人たちとどういうつきあいをしていたのかと思いました。普通は毎日つきあっていれば、相手がどんなに重度障害を持っていようと人としての情が湧くものです。相手が笑えば、こちらもうれしくなったり、悲しい顔をしていれば、どうしたんだろうって心配になったりするものです。

 それを

 「生きる価値がない」

などと思ったのですから、やまゆり園の現場では「人としての情」を持っていなかったのだと思います。「人としての情」を持てないような雰囲気の現場だったのだと思います。

 先日、神奈川新聞に「津久井やまゆり園」の支援実態を検証する第三者委員会の報告が載っていました。

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利用者の見守りが困難なことを理由に身体拘束をしていた事例もあった。身体拘束が漫然と行われていたと考えられるとし、「正当な理由なく身体拘束することは身体的虐待に該当し、重大な人権侵害であることを肝に銘じることが重要」と指摘した。

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 重大な人権侵害である、と指摘されながら、かながわ共同会は

「必ずしもすべてが事実ではない。」

等と反論したようですが、事件との関連で行われたことの自覚が全くないですね。すべてが事実ではない、などといってる場合か、と思いました。事件を起こした現場の責任者としての自覚が全くないですね。

 結局は法人のそういう体質のなかで事件は起こったのだとあらためて思います。

 等と書いても、法人には届かないし、法人には自浄作用が全くないので、結局事件の温床は残されたままになるのだと思います。

 

神奈川新聞の記事

https://www.kanaloco.jp/article/entry-357593.html

 

 

#障がいのある人がいる暮らしも悪くないよ

 相模原障害者殺傷事件で犠牲になった方の中に美帆ちゃんというかわいい女性がいました。名前と写真が公表された方です。

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  19歳でした。美帆ちゃんの名前と写真が公表されたことで、事件の重みをリアルに感じることができるようになり、事件が一層辛くなりました。公判中、朝日新聞横浜版に、犯行当時の様子が詳しく載ったことがありました。その中に美帆ちゃんの名前も載っていて、美帆ちゃんが殺される様子がリアルにわかり、私は読むに耐えませんでした。お母さんのことを思い、朝日新聞に抗議しました。読む人がどんな風に受け止めるか考えなかったのか、と。後日横浜支局の編集責任者から「名前を載せるかどうかは難しい判断でした」というメールが来ましたが、お母さんが名前を公表したのは、あんな風に記事に使われるためではなかったのに、と思いました。

 

 裁判が終わってあらためて思うのは、なんの罪もない美帆さんが、どうして殺されなければならなかったのか、ということです。裁判ではそのことについて何も明らかにならないまま、被告に死刑の判決が出て終わりました。今、マスコミもほとんど話題にしません。事件はどんどん忘れられていきます。

 「美帆さんは殺された」「美帆さんは、今、いない」という重い事実だけが残りました。家族だけがそのやりきれない事実を背負い込んでいます。そのことが私は辛いです。せめて

「美帆ちゃんは、どうして殺されなければならなかったのか」

の問いを、ずっと考え続けようと思っています。それは社会のあり方を問うことであり、社会のなかの自分の生き方を問うことです。お母さんの辛さを自分の辛さとして少しでも感じたいからです。

 

 その延長に、出生前診断の問題があります。

 

 出生前診断で陽生が出た人の9割以上が産まない選択をするそうですが、障がいのある人たちに対する社会の思いがそのまま現れていると思います。9割の人が障がいのある人たちの存在を否定する、という現実です。

 言い方がちょっとストレートですが、生まない選択は、家族に「障害者はいない方がいい」ということだと思います。そんなふうに障害者を否定する社会の雰囲気が、相模原障害者殺傷事件を生んだと私は考えています。決して植松被告の特異性だけが生んだのではありません。だから彼を死刑にしても、障害者を否定する社会の雰囲気は何も変わりません。社会が抱えた問題は、何も解決しないのです。

 

 陽性反応が出て、産まない選択をするのは、多分、障がいのある人たちのこと、よく知らないのだと思います。知らないまま、社会のなかの障がいのある人たちのネガティブなイメージに負けてしまったのだと思います。

 だったら障がいのある人たちのポジティブなイメージを私たちで届けようじゃないかと思うのです。

 「#障がいのある人がいる暮らしも悪くないよ」

 「#障がいのある人がいる暮らしは、楽しいこともいっぱいあるよ」

といった感じの明るいメッセージです。 

 出生前診断で反応が出て、辛い思いをしたり、悩んでいる人が、「あっ、そうなんだ」「そういうこともあるんだ」って、ちょっと気持ちが楽になるといいなと思うのです。

 例えばこんな話です。

ameblo.jp

 関係者がこんな楽しい話を「#障がいのある人がいる暮らしも悪くないよ」「#障がいのある人がいる暮らしは、楽しいこともいっぱいあるよ」をつけて発信すれば、きっと楽になる人がいると思うのです。そしてそういう人が少しずつでも増えていけば、障がいのある人をなかなか受け入れない社会はきっと変わります。

    

 ★下記サイトに美帆さんのお母さんの話が載っています。ぜひ見て下さい。

www.nhk.or.jp

「あなたがいて幸せ」というメッセ−ジ

 ダウン症のある人を知るイベント開催をきっかけに発足した「多様性」をコンセプトに活動するヨコハマプロジェクトという団体があります。そこが『ダウン症のあるヨコハマのくらし』という冊子の製作資金調達のためにクラウドファンディングをやっていたので協力したところ、先日、その本が送ってきました。

 

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 写真が素晴らしい冊子です。写真見ているだけで心がキュンとなります。こんな人たちは街の宝だと私は思っています。そんな風に思う人が増えてくれたら、社会は障がいのある人にとってもない人にとっても、もっと居心地のいいものになると思います。

 そんな風にするにはどうしたらいいのでしょう。やはり彼らの周りにいる人たちが、彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ、というメッセージを発信し続けることと、彼らとの出会いの場、彼らとの関係が持続する仕組みを作ることだと思います。

 

 『ダウン症のあるヨコハマのくらし』は、 ダウン症の赤ちゃんが生まれ、子どものこれから先の生活に不安を覚えている人にとっては、子どもの先々が具体例を通してイメージでき、ある程度は役に立つ本だとは思います。

 ある程度、とあえて書いたのは、子どもたちと親御さんが、いずれどこかで向き合うことになる「社会的な生きにくさ」の問題や、社会が持っている「ネガティブな障害者観」の問題に全く触れていないからです。そしてここの問題こそ、ひとりで解決するにはとても困難な問題だからです。(ま、そういうことを目的とした本でないことはわかりますが…。でも、ヨコハマプロジェクトのホームページには「私たちは、障がいのある人もない人も、互いを認め合い、ともに力を発揮できる社会づくりをめざし」なんて書いているわけですから、なんか物足りないのです。)

 障害者は社会に合わせなければ生きていけない、といわれ、社会に合わせる訓練を強いられます。おしゃべりをやめさせなさい、うろうろするのをやめさせなさい、等々。これらは間違ってはいないのですが、障害特性から、それをやめさせることは本人にとってものすごく負担になることも多いです。これが社会的生きにくさの一つです。

 

 すでに何度も書いていますが、ぷかぷかで働いているツジさんはおしゃべりが止まりません。養護学校でも、卒業後働いていた福祉事業所でもおしゃべりをやめさせることを求められ、親子でものすごく苦労してきました。でも、いくら訓練してもツジさんのおしゃべりは止まりませんでした。おしゃべりはツジさんの障害特性であり、ツジさんという人間の表現そのものです。それをやめさせることは、ツジさんという人間を否定することです。

 ぷかぷかのパン屋の店頭でツジさんは毎日しゃべりまくっています。初めてお店に来た人は大抵びっくりします。でも、おしゃべりしながらも、ツジさんはしっかりお客さんを見ていて、トレーに載せたパンをレジに持っていくと、レジよりも速く計算し

「1,230円です」

とか言ったりするので、びっくりします。だんだん慣れてくると、おしゃべりの内容も、すごく魅力あることに気がつき、ツジさんにはたくさんのファンができました。ツジさんのおしゃべりはぷかぷかの売り上げにものすごく貢献しているのです。

 パン屋でツジさんのおしゃべりが聞こえないと、なんだか火が消えたようです。おしゃべりは、ツジさんという人がいることの表現であり、ツジさんの「私はここにいる」という大切なメッセージなのです。

 お母さんはそんな働きぶりを見て、今までやってきたのは「見当違いの努力」だった、といってました。見学に来たダウン症の子どもたちの親の会の人たち10人くらいにその話をしたところ、何人かのお母さんが泣き出してしまいました。多分毎日「見当違いの努力」をしていて、疲れ切っていたのだろうと思います。

 いくら努力しても、変わらないものは変わりません。それよりもちょっと発想を変えれば、親子共々生きることが楽になるのです。ツジさんのお母さんは「見当違いの努力」に気がついたときの「開放感」は未だに忘れられないといいます。

 社会が障がいのある人たちに求めていることが、ほんとうにその人にとっていいことなのかどうか、やっぱり当事者目線でちゃんと検証していかないとだめだと思います。

  子どもたちも親御さんも、どこかでこういった問題に必ず突き当たります。そのとき、どうすればいい、というアドバイスはとても大事です。

 

 もう一つ。親御さんによっては、子どもの障害をなかなか受け入れられない人もいます。出生前診断で陽性になった人の90%以上の方が産まない選択をしています。それくらい障がいのある人たちのネガティブなイメージが社会を覆い尽くしているのだと思います。そんな社会にどんなメッセージを送り届けていけばいいのか。関係者はこの問題にきちんと向き合わないとだめな気がします。

 昨年3月にあったTBSラジオの報道ドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』は相模原障害者殺傷事件を軸に据えたすごく聞き応えのある番組だったのですが、一点、ものすごく違和感を覚えたところがありました。

  最後の方で番組を作った神戸金史さんの書かれた詩が紹介されたのですが、その中にこんなことばがあります。

 「誰もが健常で生きることはできない。誰かが、障害を持って生きていかなければならない。……今、自分が障害を背負っていないのは、誰かがそれを背負ってくれたからだ」という「物語」。

 

   息子よ。
   君は、弟の代わりに、
   同級生の代わりに、
   私の代わりに、
   障害を持って生まれてきた。

 

 現実にこんなことはあり得ないのですが、でも、その「物語」にすがりつかないと子どもの障害を受け入れられなかったのだと思います。

 

 5月の連休に無料でオープンになった『ぼくは海が見たくなりました』という映画にも、似たような『物語』を語る場面がありました。

「障がいのある人たちの生まれてくる確率を仮に1%とした場合、その1%の人たちが障害を引き受けてくれたおかげで99%の人は普通に生きていくことができる。だから99%の人は障害を引き受けてくれた1%の人を邪魔者扱いしないで、感謝して欲しいんだよなぁ」という台詞。

 子どもの障害を受け入れられなくて苦しんでいる親御さんにはちょっと気持ちが楽になるような『物語』だと思います。あの台詞に号泣しました、という親御さんがいました。

 

 この身代わりになってくれたという物語は、結構世の中に浸透しています。何が問題なのかを考えます。

 『物語』は、身代わりになってくれたことへの感謝です。障害を受け入れられない、言い換えれば障害を否定しながら(これは障がいのある相手の否定です)、身代わりになってくれたことに感謝、というのは、なんかやっぱり変だと思うのです。目の前の相手はどうなるんだ、という話です。目の前の相手を見ないで、物語の方を見ているというか…。

 そうじゃなくてやっぱり「生まれてきてくれてありがとう」と相手に向かってちゃんといえる関係を作りたいと思っています。あなたという存在に感謝したい、そんな関係です。そんな関係を作るにはどうしたらいいか、ということ。

 ぷかぷかについていえば、ぷかぷかさんたちのおかげで、ほっこりあたたかな、楽しいお店が運営できています。「ぷかぷかしんぶん」を見れば、彼らがしんぶんの楽しさを作り出していることはすぐにわかります。彼らには感謝しかないです。「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」「生まれてきてくれてありがとう」といえる関係がここにあります。

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 身代わりになってくれたことに感謝ではなくて、やっぱり障がいのある人に向かって「生まれてきてくれてありがとう」と、あなたという存在に感謝するような関係こそ大事だと思うのです。そういう関係が構築できるかどうかが私たちに問われていると思います。

 

 

 やまゆり園事件の公判の時、障害者は不幸しか生まないと主張する被告に対し、犠牲になった娘さんのお母さんが

「私は娘がいて幸せでした」

と証言しました。気の重い裁判でしたが、この言葉には救われました。事件で暗くなった社会のなかで、希望の光をともした気がしました。

 重度障害の娘さんに

「あなたがいて幸せでした」

っていえるお母さん、素敵だと思いました。

 

 『ダウン症のあるヨコハマのくらし』の表紙の写真が素晴らしいと思います。

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 彼らにそそぐ家族の優しいまなざしを感じます。冊子のなかの写真もみんなそうです。「ダウン症の子どもがいて幸せ」という思いを感じます。こういう思いこそ、メッセージとして発信して欲しかったと思います。

コロナが過ぎたら、またこの輝きを取り戻したい

『PukaPukaな時間Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』を見ていると、こんな何気ない日常が、今、とても愛おしい。

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笑顔の価値が何倍にもなる。

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 その価値を見落としていた気がする。

 

  こんな文字の一つ一つが愛おしい。

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この寝顔も

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 ぷかぷかさんがいること、彼らが笑顔でいること、字を書いていること、寝ていること、その一つ一つに素晴らしい価値があったことに、今、あらためて気がつく。

 

 こんな舞台もいっしょに作った。『あなたが必要』『あなたにいて欲しい』と素直に思える舞台。

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 大学生とワークショップ

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地域の人たちとワークショップ

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演奏会

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ぷかぷかさんといるとこんな楽しいものが毎日のように生まれます。

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ぷかぷか ドキドキ そわそわ わくわく 

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 彼らと過ごす日々が、こんなにも輝いていたこと。そのことをコロナは教えてくれました。

 コロナが過ぎたら、またこの輝きを取り戻したい。そう思うこの頃です。

 

★『PukaPukaな時間』はぷかぷかオンラインショップで。元気が出ますよ。

shop.pukapuka.or.jp

 

けんいち君が入ってからは三振なし、敵味方なし、チームなしになったの

『街角のパフォーマンス』の続き。30年前、養護学校の素敵な子どもたちに出会い、こんな人たちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいない、と学校の外へ連れ出しました。一番おもしろかったのは、武蔵野にある広大な「原っぱ」に出かけたとき。子どもたちが野球をやっていて、知らないうちにけんいち君がその仲間に入っていました。けんいち君は私が担任していた重度障害といわれている子どもです。いっしょに遊んだみさえの報告。あんまり素晴らしいので、全文記載します。

 

 「私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつ来たのかわかんないけど、けんいち君が入っていて、バットを持ってかまえているので、お兄さんのあきら君や大久保君にゆっくり軽い球を投げてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。

 けんいち君は、最初のうちは球が来ると、じーっと球を見て、打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。

 でもだんだんタイミングが合うようになり、ピッチャーゴロや、しまいにはホームランまで打つのでびっくりしちゃった。

 それから、打ってもホームから動かないで、バットをもったまま、まだ打とうとかまえている。走らないの。

 お兄さんのあきら君や大久保君や私たちで手を引いていっしょに一塁に走っても、三塁に行ってしまったりして、なかなか一塁に行かないんだもん。どうも一塁には行きたくないらしいんです。

 でも、誰かと何回もいっしょに走るうちに、一塁まではなんとか行くようにはなったんだけど、それ以上は2,3塁打を打っても、一塁から先は走らないで、ホームに帰ってしまって、バットをかまえるのです。

 「かして」っていってバットを返してもらおうとしたけど、返してくれないの。誰かがとろうとしてもかしてくれないんです。でも、どういうわけか不思議なことに、私が「かして」というと、かしてくれるのでうれしかったです。

  だから、けんいち君が打ったら、バット持って行っちゃうから、私がけんいち君を追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。終わったらまたけんいち君という風に繰り返しました。

 けんいち君はすごく楽しそうに見えたよ。最初はうれしいのか楽しいのかわからない顔だったけど、ホームランを打ち始めてから、いつもニコニコしていた。

 一緒に野球をしたのは7人。敵、味方なし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバット振れる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、敵味方なし、チームなしになったの。一年生のちびっ子たちには都合がよかったみたい。負けてたからね。」

 

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 初めてけんいち君と出会いながら、いっしょに野球やろうと、子どもたちがいろいろ工夫したところがいいなぁ、と思います。こうやって工夫することで、子どもたちは成長します。

 

 2020年3月18日重度障害児の地元小学校の就学希望を認めないという判決が出ました。

重度障害児の地元小通学認めず 地裁判決「裁量権の範囲」 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞

 受け入れる側の子どもたちの成長の機会が大人の都合で奪われました。素晴らしい機会だったのに、もったいないです。大人たちの想像力のなさを思います。

 

 原っぱで養護学校の子どもたちとのおつきあいが楽しくなり、子どもたちの一人はその後支援学校の教員になったという話を聞きました。すごくいい体験だったんだなと思います。 

関係を作り出すのは言葉ではないのです

「7日間ブックカバーチャレンジ」で『街角のパフォーマンス』のこと書いたのですが、なんか書き足りない感じがしたので、もう少し書きます。

 目次を見て欲しい。

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 養護学校の生徒、子どもたちといっしょに何かやることが楽しくてしょうがない、という感じが目次を見ただけでビリビリ伝わってきます。そういう気持ちでやっていたから、小難しい話抜きに、彼らといっしょに楽しいことをやる地域の仲間がいっぱいでき、今もって超えられないほどの素敵な関係がたくさんできました。

 

  「あおぞら市」は生活クラブのお店の駐車場で、月一回開かれていた市。そこに養護学校の生徒、子どもたちと一緒に手打ちうどんのお店を出しました。手打ちうどんがおいしいことはもちろんあったのですが、養護学校の生徒、子どもたちがいることで、その場がとにかく楽しくなりました。何よりもみんながいつもより自由になれました。彼らがいると、どうしてそうなるんだろうね、という話をよくしたことを覚えています。

 「彼らといっしょにやると楽しいね」「彼らは社会にいた方がいいね」「いっしょに生きていった方がいいね」ということがたくさんの人たちと自然に共有できた「あおぞら市」でした。

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 あおぞら市で養護学校の生徒、地域の子ども、大人たちが一緒になって即興で人形劇をやったことがあります。人形作りからお話作り、そして発表まで、その場でやってしまいました。こんなことができる関係が、今、地域にあるでしょうか?

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 演劇ワークショップのなかで養護学校の生徒が「森は生きている」を歌ったことがありました。歌がしんしんとしみて、地域の人たちもワークショップの進行役で来ていた黒テントのメンバーたちも、涙を流していました。

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 演劇ワークショップではこういった思いも寄らない素敵な出会いがたくさんあって、いつの間にか、養護学校の生徒、子どもたちに向かって

 「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」

と自然に思える関係ができていました。「共に生きる社会」だの「共生社会」だのといった言葉すらなかった時代です。 

 そんな風に思える関係が、30年後の今、まわりにあるのかどうか考えてみて欲しい。

 「共に生きる社会」だの「共生社会」だのといった言葉は溢れていますが、「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」と自然に思える関係がいったいどれだけあるでしょうか?

 それを思えば、30年前の演劇ワークショップやあおぞら市がいかにすごい関係を生み出す試みであったかがわかります。

 関係を作り出すのは言葉ではないのです。

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 ★『街角のパフォーマンス』は絶版ですが、オンデマンドで製作し、現在ぷかぷかのオンラインショップで販売中です。オンデマンドで作ったので、若干高めですが、値段の価値はあります。

shop.pukapuka.or.jp

 

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