ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • ひろ兄ちゃんはダウン症
    5年ほど前に書いたブログですが、やまゆり園事件を超える社会をどうやって作っていくのかに関して中学3年生がすばらしい提案をしているので、再度アップします。 www.pukapuka.or.jp  「ひろ兄ちゃん」と呼べる関係があったことが、やまゆり園事件を深く考えるきっかけになったのだと思います。ひろ兄ちゃんの優しい人柄が目に浮かびます。ひろ兄ちゃんはアーダコーダ小難しいこと言わずに、事件を超える社会を作るにはどうしたらいいかを姪っ子に伝えていたのだと思います。ひろ兄ちゃんのような人こそ、社会のみんなで大事にしたいですね。「支援」といった上から目線の関係ではなく、どこまでもフラットな関係で大事にする、いっしょに生きる。  その関係の中で、こうやって若い人達が思いを語ってくれるといいなと思います。それが新しい社会を作ってくれます。
  • バスの中で楽しそうに独り言いってるそらくんに「うるせー」「おりろ」と怒鳴りつけたおじさんがいた
    ぷかぷかに時々遊びに来るそらくんがバスの中で怒鳴りつけられた話を先日お母さんがブログに書いていました。そらくんはバスが大好きで、乗っていると嬉しくて嬉しくてつい声が出てしまいます。そのそらくんに向かって 「うるせー」「おりろ」と怒鳴りつけたおじさんがいました。  お母さんは「すみません」と謝って「静かにしようね」とそらに声をかけているのに「うるせーからおりろ」とさらにまくし立てられました。  その時ヒーローが現れます。 「バスはいろんな人がいるのが当たり前で、そんなにいやなら自分がタクシーに乗ればいいんじゃないですか」  そらくんと同じくらいの年だったというので高校生くらいでしょうか。すばらしい青年です。  おじさんは「おお、そうか。」とそれからは黙ってくれたそうですが、ずっとお母さんをにらんでいたそうです。  そらくんは電車やバスの中で静かにする、といったことができません。そんなそらくんといっしょに生きて行くにはどうしたらいいんだろう、という問題が私たちに問いかけられていると思います。  そらくんの声を気にしない人もいれば、迷惑だと感じる人もいます。そらくんのような人を社会から排除すれば、社会はすっきり気持ちよくなるのかどうか、むしろ、社会が許容できる幅が狭まり、お互いが息苦しくなるのではないか、といった問題がここから見えてきます。  お母さんがブログに書いています。  あなたは知らない その言葉に私がどれほど傷ついたのかを  あなたは知らない 「うるせー」「おりろ」という以外に解決方法はいくらでもあることを  あなたは知らない 「降りろ」と怒鳴りつけている自分がどれほど恐ろしい顔をしているのかを  あなたは知らない 障害を持つ人を排除すれば自分がどれほど生きづらくなるのかを  あなたは知らない そらがあなたに気を使ってそらなりに声を抑えようと頑張っていたことを  あなたは知らない ずっとあなたを気にかけて優しく見つめていたそらを  あなたは知らない あなたのその言動の先に「やまゆり園の事件」があることを  あなたは知らない そう、あなたがあの事件に加担していた一人だということを  あなたは知らない 私も息子たちもあなたに排除されていい人間ではないということを  あなたは知らない 優しさを知らないあなたを私はとても不憫に感じていたことを  お母さんがブログで提起した問題を知らんぷりすると、また同じような問題が起き、辛い思いをする人が出てきます。社会の許容範囲が狭まり、私たち自身が生きづらくなります。なによりもこのおじさんの言動の先に『やまゆり園事件』があります。なのでみんなでこの問題について話し合う機会を作ります。話し合ったからって、すぐに解決策が見つかるわけではありません。でも、話し合うことで、少なくとも一歩前に進めます。何事もまず一歩からです。  9月24日(日)9時30分から〜12時 みどりアートパークリハーサル室にて、今回の問題についてどうしたらいいんだろうってみんなで話し合います。『そらくんとたからくん』の映画を見て、お母さん、そらくん、たからくんに来てもらい、わいわい楽しく話をする予定です。お問い合わせ、参加希望者は高崎まで(takasaki@pukapuka.or.jp) 写真はにじメディア作品「そらくんとたからくん」オンライン無料配信のページより。左がそらくん。
  • 私たちの手で事件を超える社会を作る
     津久井やまゆり園事件から7年目、事件に関する話が飛び交っていますが、大きな話を語っても、社会はなかなか変わりません。それよりも身近にいる障がいのある人達と日々楽しい物語を作り、それをまわりに人に伝えること。それによって 「彼らとはいっしょに生きていった方がいいね」 って思う人を少しずつ増やすこと。それが事件を超える社会を作ることにつながっていくと思うのです。 ●日々の暮らしの中でクスッと笑える小さな物語を作り続ける  「やる気スイッチ」のシャツを着た人がいました。スイッチをピッと押すと、こんな顔になりました。私もやる気がない時、このシャツを着て、誰かにスイッチをピッと押してもらおうと思いました。         こんな風に堂々と寝てる人がいました。私はこんな風には寝られないので、こんな生き方をうらやましいと思いました。彼らを支援するとかじゃなくて、彼らの生き方を素直にうらやましいと思うこの感覚こそ大事な気がします。 なんで写真撮るんだよ、という人がいたので、 「美男、美女がそろっているのでつい写真撮っちゃいました」 っていうと、女性たち 「美女って、私たちのことだよね」 なんて話していて、なんて素直なんだ、としみじみ思いましたね。愛おしき人達です。 ●ぷかぷかの映画見て、わいわい、がやがや、すったもんだ    映画見たあと、映画を見ての気づきを元に「障がいのある人たちといっしょに生きるって、ほんまにトク?」をテーマに、みんなでわいわい、がやがや、すったもんだ議論しましょう。こういう議論はとても大事。こういうことが社会を前に進めます。         vimeo.com ●ぷかぷかが作ってきた物語を集めた『ぷかぷかな物語』はおすすめ  事件で排除された障がいのある人たちといっしょに生きることで生まれた物語。彼らは不幸しか生まない、と事件の犯人は言いましたが、彼らとの日々は私たちの心をほっこりあたためてくれます。事件を超える社会を作るヒントがいっぱいです。                                                                       この本を読んだ人の感想 ●「障がい児」の親たちだけでなく、今、子育て真っ最中だったり、思春期と格闘したり、介護に悩む人たちにも、この本を薦めたい。  面倒くさくて、ムカムカ腹がたって、厄介な相手にカッカッとしながらも、ふと気づく「可笑しさ」。そんな気づきから、「へぇ~、オモロイ奴やなぁ」って思えるようになるのかも?  この本の魅力は、何よりも「肩に力が入っていない」ところ。 いやもちろん、著者が「カフェベーカリーぷかぷか」を立ち上げるまでの並々ならぬ奮闘ぶりには圧倒されるばかり。簡単に起ち上げたわけではない。  それでも、著者の筆致は軽やかでユーモアがあり、私は一緒にハラハラしたり、ホッとしたり、ニマッと笑ったり・・・。どんどん、肩の力が抜けていくのを実感する。  それにしても、巷でよく見聞きする「障害者支援」・・・そんな「上から目線の」お堅い言葉を蹴散らしていく著者のフットワークの軽さ、いつのまにか周囲の人を巻き込んでしまうエネルギーの源は何なのだろう?   一般には「大変だ」とか「厄介な」「可哀想な」などと形容されてばかりの障がいを持つ人たち。そんな彼らに「ひとりの“人”として」体当たりで向き合う、その中で、彼らの「可笑しさ」「おもしろさ」に気づく著者の温かな視線。「凄い」と目を丸くする柔らかな心。・・・これこそが、著者のエネルギーの源だと思う。  「こうした方がいい」「こうすべきだ」といった議論や説教ではなく、「へぇ~、おもしろい」「スゴイじゃん」・・・こんな言葉が、人を励まし、勇気づけ、背中を押す。  そんな魔法が「ぷかぷか」にあるから、「ぷかぷかさん」たちは、あんなに元気で、生き生きしていて、うるさくて、面倒で、・・・でも、愛おしい。 ●ぷかぷかを知った時、私は息子たちの為にぷかぷかの秘密を知りたいと思いました。でも、ぷかぷかを知るほどに私自身の生き方を考えるようになってきました。 ●私も障害のある子どもを育てていますが、家族になってよかった。家族があたたかくなりました。ぷかぷかさんは社会をあたたかくします。耕します。 ●この本はある障害者就労継続支援事業所B型のお話ですが、同じくB型で働いている私としては全く違った視点で事業展開されていることに大きく関心をもちました。  まず感じたことは障がいをもつ人たちを支援する対象とした見方でなく、「共にはたらく・生きる」同志として地域を巻き込み(耕す)ながら一緒に活動し、そのほうが絶対楽しいということ。そして持続性があること。「多様性を認め合うインクルーシブ社会の実現を」とどこでも耳にしますが、今の社会の在り方は、教育、就労が障がいをもつ人たちとそうでない人たちとを分けた制度の上で成り立っています。  分離が進むほどその社会の規範に縛られて、障がいをもつ人たちがその多様性を認めてもらうどころか社会に合わせるために押し殺さなければならない、ますます支援、配慮の対象にされてしまう。  ぷかぷかさんのように障がいをありのまま楽しむ方法を作り上げれば、そこに生産性も生まれ、制度も使い倒し、地域も社会も豊かにしていくことを実現していけるのだなととても参考になりました。  何より、ぷかぷかさんたちがとても魅力的です。 ●我が家にもぷかぷかな息子たちがいます。彼らといっしょに生きていると、私自身も、みんなもいっしょに幸せになれるんだと気づかせてくれます。 ●障がいのある子ども達に惚れ込んで、一緒にいたくて作ったのが「ぷかぷか」。 だから、内容もおもしろくてあったかくてやさしい。  「好き」という思いで、まわりを巻き込んで、心を耕してやわらかくする。その場も街も、ふかふかにしていく。「あなたが好き」から出発した世界に人間の上下はない。  人を矯正していく支援はやはり無意識に「上下」があるのだと思う。相手だけでなく、修正する側も自分自身が縛られていく。自分を修正し、社会も修正しようとする。 それが今の息苦しさにつながっているのではないだろうか。 ●本の表紙に引寄せられました。綺麗な色使いにちょっと不思議な動物達。  すらすらと短い時間で読めて分かりやすく、読み終えると不思議に何だか心の角がとれて、軽くなる誰かに話したくなる一冊。  様々な場面で登場するぷかぷかさん達にパワーを充電して貰えました。高崎さんの思いつきはやはりただ者ではなさそうですね。 ●よくある「福祉事業所」とは程遠い世界の成り立ちや世界観に引き込まれてしまいます。「障がいがあっても、社会に合わせるのではなく、ありのままの自分で働く」「障がいの無い人も、障がいのある人と一緒に生きていったほうが幸せ」  この本に出逢い、いてもたっても居られなくなり、実際に「ぷかぷかさんのお店」にも行ってきました。本の通りの明るく楽しく元気なお店で、とても幸せな時間を過ごせました。 ●障がいのある子ども達に惚れ込んで、一緒にいたくて作ったのが「ぷかぷか」。 だから、内容もおもしろくてあったかくてやさしい。 「好き」という思いで、まわりを巻き込んで、心を耕してやわらかくする。その場も街も、ふかふかにしていく。「あなたが好き」から出発した世界に人間の上下はない。  人を矯正していく支援はやはり無意識に「上下」があるのだと思う。相手だけでなく、修正する側も自分自身が縛られていく。自分を修正し、社会も修正しようとする。 それが今の息苦しさにつながっているのではないだろうか。 ●今日は1日あたたかかったけど、本を読んで最高にあたたかい気持ちになりました。ぷかぷかさんは、存在そのものが、やさしい。この本を持って、みんなにサインしてもらいに行かなきゃ。おいしいぷかぷかのパンが売り切れちゃう前に。ほんとにみんな、大好きだよー   アマゾンで販売中 www.amazon.co.jp ぷかぷかのサイトで購入すればサイン本 shop.pukapuka.or.jp   ●『とがった心が丸くなる』もおすすめ 養護学校の教員をやっていた頃書いた本。障がいのある子どもたちと一緒に過ごすと、こんな楽しい物語が生まれます。事件の犯人は、障がいのある人達とこんな楽しい時間を過ごしたことがなかったのではないかと思います。          養護学校のプレイルームに突如出現した『芝居小屋』。役者もお客もくったくたになって一緒に芝居を作る。障がいのある子どもたちがいてこそできた、みんなが自由になれる空間。『海賊ジェイク』がゴンゴン進む。                          アマゾンで販売中 www.amazon.co.jp  アマゾンKindle会員であればただで読めます。  この本を読んだ人の感想 障がいのある子どもたちとの出会いが、こんなに元気な物語を生み出すことにびっくり。社会を元気にする物語ですね。やっぱり彼らは社会に必要なんだと思います。タイトルどおり、とがった心が丸くなります。そのことが素直に伝わってきます。 ぷかぷかのお店に来ていただければ、元の本『街角のパフォーマンス』(オンデマンド版)もあります。         
  • とがった心が丸くなる
     障害のある人達とおつきあいすると、とがった心が丸くなります。そういうタイトルの本があります。私が養護学校の教員をやっていた時に書いた『街角のパフォーマンス』をタイトルを変えて、電子本にしたものです。 こんな中身です。目次を見ただけでわくわくするような本です。 その本を読んだ人がこんな感想を書いていました。 《 障がいのある子どもたちとの出会いが、こんなに元気な物語を生み出すことにびっくり。社会を元気にする物語ですね。やっぱり彼らは社会に必要なんだと思います。タイトルどおり、とがった心が丸くなります。そのことが素直に伝わってきます。》    やまゆり園事件を起こした犯人は、やっぱり相手とちゃんとつきあってなかったんだと思います。人としてちゃんとつきあっていれば、あんな事件は起こらなかったと思います。心がとがってたんだと思います。  障がいのある人達と日々接する場で、どうして心がとがったままだったんだろうかと思います。そのことの検証はほとんど行われませんでした。  本を読んでの感想がもうひとつ 《 とてもあたたかい、きもちになりました。 言葉もむずかしくなく、たくさんの方に手に取って頂きたいと思います。》    ぜひ手に取って読んでみて下さい。あ、おもしろそうって思ったら、ぜひ障がいのある人達とおつきあいしてみて下さい。毎日が本当に楽しくなります。何よりもとがった心が丸くなります。  本の注文は下記サイトで www.amazon.co.jp
  • 『Secret of Pukapuka』の上映会があります。
     8月5日(土)上白根地域ケアプラザで『The Secret of Pukapuka』の上映会をやります。地域ケアプラザは太っ腹で、なんとぷかぷかの焼き菓子とコーヒーがついて映画の代金は無料!だそうです。これは絶対に来なきゃソン!  で、この一週間前には段ボールを使って怪獣を作るイベントもやります。作った怪獣に名前をつけ、どんな声で叫ぶか考え、その叫ぶ声を上げながら作った怪獣を担いで街を練り歩きます。みんなの叫び声に「うるさい!」って苦情が出たら大成功。あ、もちろん担当者が謝りに行きますから、安心して叫んで下さい。
  • 尾野一矢さんのホームページ「よってけ かずやんち」ができるまでの物語
    尾野一矢さんのホームページができました。 www.ono-kazuya.com そのホームページができるまでの小さな物語を書きます。       1)「うるさい!」という苦情にどう対応すればいいんだろう  一矢さんの地域での自立生活の始まった頃、神奈川新聞の成田記者の紹介で介護者の方と一緒にぷかぷかに遊びに来たことがありました。アパートで一矢さんが大声を出し、その苦情が来ていて困っているという話をその時聞きました。ではどうしたらいいのか、「自立生活って、ただアパートで暮らすだけでなく、こうやって街に出て知り合いを増やしていくこと」ではないか、そのためには何をすればいいのか、を考えました。 www.pukapuka.or.jp 2)友達大作戦  「友達大作戦」が始まります。 www.pukapuka.or.jp 3) 友達大作戦で使う植木鉢を作ります。  作戦が具体的に動き始めます。 www.pukapuka.or.jp 4)「かずやさんの大声に対する苦情にどう向き合っていくのか」を考えることは、「重度障がいの人が地域で暮らすことの意味を深く問い直すこと」 www.pukapuka.or.jp 5)「かずやしんぶん」第1号ができました。 www.pukapuka.or.jp 6)ホームページ「よってけ かずやんち」の提案 www.pukapuka.or.jp 7)固くドアを閉じてしまった人の心を想像する www.pukapuka.or.jp 8)「かずやしんぶん」には地域社会を変えるチカラがある www.pukapuka.or.jp 9)かずやさんの自立生活を、福祉とは違う視点で語ること。それは今までにない新しい豊かさを生みます。 www.pukapuka.or.jp  これが地域での暮らしを始めたかずやさんの大声に対する苦情が出たことからホームページ開設に至るまでの物語です。苦情に対し、どうしたらいいんだろう、と色々悩み、具体的な作戦を展開していったことが、こんな物語を生みました。それがホームページ開設につながったのです。  友達大作戦は以下のように展開していきました。ページ2から始まります。下から日付の順で読んでいって下さい。 www.pukapuka.or.jp 上のページからの続き。 www.pukapuka.or.jp  ここから先は、現場を担う人達がこの物語をどんどんふくらませていって欲しいなと思います。
  • 『友達やめた』上映会
     2016年のやまゆり園事件から7年目の夏がやってきました。ぷかぷかでは毎年映画を手がかりに事件を考える集まりをやってきました。今年は映画『友達やめた』をやります。  障がいのある人達とおつきあいすることは、面倒くさいことや、よくわからないことが多いです。でも、その面倒くさいことや、よくわからないことこそ、相手との素敵な出会いを生み出します。その出会いがあったからこそ、この映画が生まれました。  やまゆり園では、この面倒くさいことや、よくわからないことと、どこまで丁寧に向き合い、おつきあいしてきたのだろう、と思うのです。そういったことをやっていたら事件は起きなかったのではないでしょうか。  「支援」という関係は、相手とフラットにおつきあいするするのではなく、あくまで上から目線で、相手に何かやってあげる関係。おつきあいがないから、相手と人として出会うこともありません。だから相手を殺すことに何の抵抗もない。そういうところで事件は起こったのではなかったか。  7月15日(土)の上映会では、ゲストに映画『かぐやびより』の監督津村和比古さんをお迎えし、あらためてそのあたりのことをみんなで考えたいと思うのです。  申し込みはこちらから
  • 犯人がもしぷかぷかにいたら、あんな事件は起こらなかったよね
    毎日新聞の上東さんとやまゆり園事件の話をしていて、 「犯人がもしぷかぷかにいたら、あんな事件は起こらなかったよね」 という話になりました。全く同感で、以前そういったことをブログにも書いています。 www.pukapuka.or.jp  やまゆり園の利用者さんたちがスタッフと下の写真のような関係だったら事件は起きませんでした。 スタッフがやめる時は、抱き合って泣くぷかぷかさんもいました。  これが「いっしょに生きていく」ということです。  要するに相手と人として対等につきあっているからこそ、こういうことが日常的に起こります。支援という上から目線の関係では、こういったことは多分起こりません。  やめていくスタッフがぼそっとこんなことを言ったことがあります。  「ぷかぷかさんて障害者だったのね。ずっと忘れてたわ」  ちょっと笑ってしまいましたが、けだし名言です。  こういう言葉がぽろっと出てくるのも、人として対等につきあっているからです。だから一緒に楽しいことがたくさんできた。下の写真はみんなでケヤキの木になるワークショップ。  犯人がこんな環境にいれば、あのような事件は起こりませんでした。ふつうに考えればすぐにわかることです。にもかかわらず、やまゆり園の環境はほとんど問われないまま、犯人に死刑を宣告することで事件は終わったように受け止められています。  でも、冒頭で書いた 「犯人がぷかぷかにいたら、あんな事件は起こらなかったよね」 の問いは、この事件の本質を突いているように思うのです。支援という関係性と事件について、もっともっと検証せねばと思うのです。  毎日新聞上東さんの記事 mainichi.jp
  • あなたが生きていること、そのこと自体がすばらしい。
    NPO法人抱僕の発行する「ほうぼくサポーターかわら版NO.20に載っていた「THE FUTURE TIME 対談 後藤政文×奥田智志」はすばらしい対談でした。 http://www.thefuturetimes.jp/archive/houboku/index.html  中でもやまゆり園事件に関する奥田さんの見解は、あらためて頷けるものがたくさんありました。  社会の何があの事件を引き起こしたのか。  役に立つ人間なのか、という判断基準が頑としてこの社会にはあります。抱僕はホームレスの人達との関わりに中で、 「あなたが生きていること、そのこと自体がすばらしい」 といいます。役に立つとか立たないではなく、生きてることそのものがすばらしい、と。 「あの相模原事件の植松君にも会いに行きましたけども、あの植松君と会ってしゃべった時も、彼を全然擁護する、やったことを擁護する気はないけども、ひどいことをしてるわけですから、駄目なことは駄目だけども、やっぱりね、あの人の発想の中に時代の中で生きてきた人の感覚を見るんですね。彼だけが特異な異質なものじゃなくて、やっぱり時代の子だなと思うんですね、『意味がない命』とか言っちゃうのは」  私たちは、あの事件のあと、そういった問題を自分の問題としてどれだけ掘り下げたのだろうと思うのです。『意味がない命』と、ふと思ってしまったことはないのか? 「彼自身がたぶん言われてきたことであろうし言ってきたことなんだろうと。こっちの自分とあっちの自分は、どこか重なってるように、拘置所で会った時にすごく感じましたね。面会の最後に、『君は役に立たない人間は死ねというのか』といったら、そうだと言うから、『じゃあ君に聞くけども、君はあの事件の前、役に立つ人間だったのか』と聞いたらね、彼、ぐっと考えてね、『僕はあまり役に立ちませんでした』って答えたんです。その答えを聞いて、ああ、この人も、あの自分が発した『意味のない命』という言葉の中に生きてきて、その意味のない命なのかという問いの中におびえてきた1人なんだろうなって。だからといって、あんなことをするかといったら、してはいけないんだけど」  生産性という評価に私たちはどれだけ振り回されているのだろうと思います。そういう社会があの事件を生み出した、ということ。そのことの痛みをどれだけ私たちは自分事として感じたのか。 「ああいう犯罪が起きた時に、少なからず本人の資質もあるでしょうけれども、社会がある種、育ててしまったというか、育んでしまった思想や思考でもある。だから自分は無関係だとはいつも思えないんです」  どこかで植松を突き放していた自分。そうではないと、あらためて思う。  「たとえヒットラーであろうと、やっぱり時代が生み出していった面というのは、あると思うんです。彼だけが特異な存在。まあ特異ですよ。非常に特異だけど。でも、じゃあ全く同じ時代じゃない全然違う土地、時代、違う歴史の中に彼が生まれて、あの結果になるかというと、ならないんじゃないかなという。まあ何か、そのあたりでいうと、本当に社会のあり方をもっと考えないと非常にまずいところにきていると」  非常にまずいところにきている。この言葉の重さをしっかり受け止めていかないと、またあのような事件は起きる。実際、施設での信じがたいほどの虐待が事件後もずっと続いている。  「あの相模原の事件も、そもそも論として、命そのものには価値を見いだしてないんですよね。そこに生産性が伴うかとか、それが何を生み出したかというところに価値を見いだそうとしてる。だから、あの植松君も裁判の中で、ぺろっと、こんなこと言うんですね。『もし自分が歌手か野球選手だったら、こんなことしてない』って。要するに、今の自分には価値がないって彼は自分自身、思い込んでるわけで。生きてるだけじゃ駄目なんだと。だから、やっぱりみんなからちゃんと評価されるような、大谷さんみたいにならないと駄目だし。もしなっていたら、こんな事件してないと言うんですよ。そうなると本当に、あれヘイトクライムでも何でもない。彼のゆがんだ自己実現の中から起こっている事件なんですよ」  ゆがんだ自己実現が起こした事件。どうしてそこまでゆがんでしまったのか。そのゆがみに、私は関与していないのか。
  • 彼らがいることでみんなが生きやすい社会になります。それって、豊かで素敵なこと。
    パン屋に古い新聞の切り抜きがはってあります。やまゆり園事件から1年目にぷかぷかを取材し、書かれたものです。とてもいい記事なので紹介します。  一線は越えないにせよ、事件前から社会の中に「障害者は負担だ、お荷物だ」という考え方や「なんとなく嫌」という風潮はあったと思います。たとえばバスの中で障害者と乗り合わせた時「こっちに来ないで欲しい」と感じてしまったことはありませんか。  小学校の時から、障害の有無でわけられることが当たり前になっています。何かの機会がなければ、障がいがある人とおつきあいすることはなく、彼らのことはわかりません。ただ「なんとなく嫌だな」というイメージだけが一人歩きします。  措置入院や優生思想に関する議論ももちろん大事です。でも、それらが私たちの普段の暮らしとどれだけ接点がある問題かというと、とたんにボヤッとして「私には関係ない話」で終わってしまいます。大切なのは、日々の生活の中で関係性を作っていくことだと思うのです。  2010年、横浜市緑区の団地の商店街にオープンした「ぷかぷか」では知的障がいの人たちが40人ほど働いています。お店の運営以外に地域の人とぷかぷかさんが一緒に楽しめるパン教室を開いたり、地域の人とぷかぷかさんが一緒になって芝居作りをする演劇ワークショップをやったりしています。  そこでは、支援する側・される側という立場の違いはありません。「障害者への理解を」といった目的もありません。純粋に人間同士、ただ一緒に何かをする中で関係性が育っていきます。  事件の被告はどうだったのでしょう。障がいのある人ときちんと「人として」おつきあいしていたのでしょうか。障がいのある人達のことをよく知らないまま、ふくらんだマイナスのイメージが爆発して事件に至ったのではないでしょうか。  「ぷかぷか」のブログには、事件について考える投稿がたくさんあります。事件には憤りを感じます。批判したいこともたくさんあります。でも、批判しているだけでは新しい一歩を踏み出せません。前に進む。それが生きているということだと思います。  いつも発信しているのは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージです。「共生すべき」「差別はいかん」みたいな堅苦しいものではなく、「いっしょに生きていく方が人生お得だよ、楽しいよ」という感じです。  うらやましいほど自由だったり、あっという間に人の気持ちをほぐしたり。彼らはそうやって街を耕しています。彼らがいることでみんなが生きやすい社会になります。それって、豊かで素敵なことだと思うのです。
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