ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • 社会は死刑の執行に際し、死刑囚は「生きるに値しない」と宣告しているのではないか、という問題
     やまゆり園事件の裁判で、死刑が求刑されていますが、死刑になると、事件で問われたものが、全てそこで終わってしまいます。それはまずいんじゃないか、と思っていましたが、それだけではすまない問題に気づかされました。 3月13日(金)の神奈川新聞は 《 相模原殺傷 死刑判決回避を市民団体要請 》 と「リメンバー7.26神戸アクション」の「私たちは事件の被告人を死刑にすることに対して、一同強く反対しています。」というメッセージを紹介していました。 ①われわれ障害当事者と関係者らが求めることは、あくまでも被告人の反省と真摯な謝罪である。しかし、死刑はそのための時間と機会を永久に奪ってしまう。 ②社会の秩序を乱す邪悪な存在として被告人のいのちを抹殺することは、障害者を「不幸しか作らない」存在とみなし殺害した彼の優生思想的考えにそのまま重なる。殺して良いいのちというものを認めることは、被告人の思想を肯定してしまうことである。死刑判決は、社会を覆う優生思想をさらに強化するものである。 ③この事件がすべての人に問いかけている課題の大きさ重さは計り知れない。私たちはこのような事件が再び起きないよう、またこの事件が引き起こされた背景の社会を造り変えるよう、一丸となって努力を重ねていかなければならない。しかし、被告人の死刑は、人びとから事件の幕引きと受け止められ、風化と忘却が急速に進む結果をもたらしてしまう。 www.kanaloco.jp  3月14日(土)の神奈川新聞はこの問題をさらに深掘りしていました。  トップページの「やまゆり園事件考 死刑と命①」には遺族の方の割り切れない思いを載せていました。  死刑を望みながら、「若者に死刑を求めた。その十字架は一生背負わなくてはならない」  その苦難を引き受ける覚悟も同時にあった、と。  何というすさまじい覚悟か、と思いました。お姉さんの命を奪われ、その辛い思いの中で、「十字架」という苦難を引き受ける覚悟をされたのではないかと思いました。  これはずんと響きました。私の中で全く抜け落ちていた問題だったからです。あまりに安易に被告の死刑を語ってきたと思います。  論説のページには、障害者差別の批判の延長に「死刑制度の廃止があるべき」と語る社会学者のインタビュー記事があって、この問題をわかりやすく語っていました。  《被告は重度障害者は「生きるに値しない」と決めつけ、19人を殺害した。では、死刑はどうか。社会は執行に際し、死刑囚に対して「生きるに値しない」と宣告しているのではないでしょうか。》  《被告を死刑にすることは、彼の考えを部分的ではあれ、認めてしまうことになるのではないか。パラドックスをはらんでいます。》  《やまゆり園事件では、障害者差別は明確に批判されているけれども、世論は死刑ありき。そこで思考を停止させている。「生きるに値しない生命」はあるのか、それがこの事件が突きつけた核心で、それに私たちが「ない」と言い切らない限り、被告を裁いたことにならないし、「ない」と言うなら、死刑制度そのものについても考え直すべきでしょう》  全くその通りだと思いました。事件の障害者差別を批判しながら、死刑制度の廃止にまで思考が至らなかったことを恥ずかしく思いました。   そこまで視野に入れながらの批判でないと、底の浅いものになってしまいます。今回の事件は、図らずもそのことが露呈したしたのではないかとインタビュー記事を見ながら思いました。  「リメンバー7.26神戸アクション」のメッセージは、この問題にきちんと向き合おうとしたものでした。神奈川の障害者団体も、このようなメッセージを出しているのでしょうか?  明日判決が出ます。おそらく死刑の判決です。それはだめだと、今まで以上に言っていかなければいけないと思います。 www.kanaloco.jp
  • どんな判決が出ようと、私たちはひよりちゃんたちと一緒に生きていきます。
    ひよりちゃんがご飯を食べに来ました。そばにいるだけで幸せな気持ちになります。   人を幸せな気持ちにさせる、というのは、すごいチカラだと思います。生産性の価値基準では語れないチカラであり、その人がいることの意味であり、価値です。  そういうチカラを持った人があちこちにいることが、街の豊かさではないかと思います。  いつだったかぷかぷかの上映会の感想に、  「ぷかぷかがあることが街の価値を高めている」 と感想を書いてくれた方がいましたが、ぷかぷかさんたちのチカラをちゃんと見ている方なんだと思いました。  「街の価値」という言葉が素晴らしいと思います。そういうものをぷかぷかが作りだしている、ということ。  都筑区のグループホーム反対運動では、反対理由の中に 「障害者のグループホームができると土地の価値が下がる」 というのがありましたが、正反対の評価です。  この差はなんなのか。  結局のところ、当事者の人たちといい出会いをしているかどうかだと思います。  私は街の人たちに障がいのある人たちに出会ってほしいと思ってぷかぷかを街の中に作りました。たくさんの人が彼らと出会い、たくさんのファンができました。 「ぷかぷかがあることが街の価値を高めている」 という言葉も、その出会いの中から生まれてきたのだと思います。  人を幸せな気持ちにさせるような人は、街の宝だと思います。宝は大事にしたいです。 「障害者に税金を使う意味があるのか」 という意見もありますが、それに対しては 「意味があります」 と自信を持って言いましょう。  そのためには、彼らと一緒に生きる事で私たち自身が豊かになったことを実感することがまず第一です。そのことを外に向かって発信しましょう。街が豊かになったことも。  さらに、彼らと一緒に生きることで社会を豊かにするものをいっぱい作りましょう。  ひよりちゃん、真ん中で頑張っています。  「障害者はいないほうがいい」ではなく、こういう人とはやっぱり一緒に生きていったほうがトク!なのです。  やまゆり園事件の判決がもうすぐ出ます。  どんな判決が出ようと、私たちはひよりちゃんたちと一緒に生きていきます。
  • 相手を否定するようなことを言ったりしない
     3月4日、朝日新聞朝刊横浜版、津久井やまゆり園事件の被告の裁判での証言が載っていました。  「口調が命令的。人に接するときの口調じゃなかった。」  「人として扱っていないと思った」  「食事は流動食で、職員は流し込むというような状況。人の食事というよりは流し込むだけの作業に見えた」  被告の証言通りであれば、福祉施設としてはひどい現場だったと思います。  障がいのある人たちをほんとうに馬鹿にしています。相手を人として見ていません。こういうことが「支援」の名の下におこなわれているのだと思うと、なんだかぞっとします。  こんなやり方で接すれば、相手はひどく傷つきます。そういうことがどうしてわからないのでしょうか?やまゆり園の人権研修はどうなっているのでしょうか?  いや、人権研修なんかやらなくても、こういうことは普通はしません。普通はしないことを、福祉の現場の人間がどうしてやってしまうのか。支えるべき障がいのある人に対して、どうしてこんな対応をしてしまうのか。    この問題こそ、やまゆり園事件の裁判を機に、もう少し議論されるのかと思っていましたが、全くそういう機会もなく、裁判は終わってしまいそうです。   たまたま昨日の神奈川新聞に、個別支援級の子ども同士のとてもいいおつきあいが紹介されていました。「共生の学び舎(上)笑顔で元気に学校へ」という記事です。 ●●●  みさき君は自閉症で、学習障害があり、授業になかなかついていけず、2年生から不登校気味になったそうです。ストレスがたまり、頭を手でたたくなど自傷行為もあり、集団授業が苦痛になって、4年生から支援級に移ります。  そこで出会ったのが、たから君。自分に自信が持てずに自己肯定感が低いみさき君は、いつも楽しそうで笑顔を絶やさないたから君がクラスにいることで学校に通うのが楽しくなったといいます。元々、年齢が下の子が大好きで世話焼きだが、同級生は大の苦手。同級生とけんかしてイライラしたとき、1学年上のたから君が何も言わずにそばにいただけで気持ちが和らいだといいます。  みさき君のお母さんはこんな風に言います。 「たから君は、みさきに安心感を与えてくれる存在なのだと思う。相手を否定するようなことを言ったりしないので」  ●●●  「相手を否定するようなことを言ったりしない」  人とおつきあいする上で、とても大事なことです。それを重度障害のたから君が、ごく自然にやっていて、それにみさき君が救われているのです。  「支援」の現場の大人が、どうして子どもにもできることができないのでしょう。  9月5日(土)にこの問題を考える集まりをやります。 www.pukapuka.or.jp
  • 『Pukapukaな時間』Vol.3ができました。
    『Pukapukaな時間』Vol.3ができました。全体的にアートのセンスが格段にアップしました。アートだけでなく、ぷかぷか全体がいろんな意味でバージョンアップ,進化したのだと思います。  アートディレクターにアーダコーダいわれながら悪戦苦闘し,仕上げた若い編集者に拍手!です。  障がいのある人たちと一緒に生きていく中で生まれたアートです。ぷかぷかさん達と一緒に生きていくことで生まれる豊かな時間をビジュアルに表現したものです。まさに『Pukapukaな時間』。  一緒に生きていくと何が生まれるのかがよく見えます。こういったものは社会を豊かにします。そのことが見ただけでわかります。  一緒に生きていった方がいい理由が、ストレートに見えるのです。  これは「障害者はいない方がいい」の言葉に象徴される「津久井やまゆり園事件」に対するぷかぷかのメッセージでもあります。優生思想云々の抽象的な話ではなく、日々の営みが生み出す手ざわり感のあるあたたかなメッセージです。   こんな感じです。  きゅっと抱きしめたくなります。こんな人たちとは一緒に生きていった方が絶対トク!  こんなメッセージが広がっていけば、体がゆるっとゆるみます。社会は、お互いがもっと生きやすくなります。窮屈なものが取れて,息がしやすくなります。  さぁ、この愛おしいアート達を見ながら、思いっきり深呼吸しましょう。  お求めはアート屋わんど、もしくはこのサイトから shop.pukapuka.or.jp
  • やまゆり園の支援の実態を今あらためて調べることはとても大事なことだと思います。
    神奈川県が津久井やまゆり園の支援について情報提供を受け付ける窓口を設置したようです。 www.pref.kanagawa.jp  これ自体はいいことだと思うのですが、こういったことをどうして事件直後にやらなかったのかと思います。  事件の検証委員会が出した報告書では、防犯上の問題だけが書かれ、やまゆり園における支援の実態には全くふれていません。  全く調べなかったのか、調べたのだが、横やりが入って削除させられたのか、よくわかりません。いずれにしても支援の現場で起こった事件の報告書としては、不自然極まりないものだったと思います。  津久井やまゆり園は社会福祉法人が運営しています。社会福祉法人はNPO法人よりも社会的な責任がはるかに大きいはずです。ところが法人のホームページは事件について一切語ることなく閉鎖されたままでした。一年後に再開されたホームページに書かれていたのは 《 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。》  という他人事のような言葉だけでした。  事件の説明も、元従業員が起こした事件に対する謝罪も一切ありませんでした。  ところが神奈川県は、この無責任極まる法人にその後の運営を任せました。県職員の天下り先として有名な共同会を庇っているのではないかと思いました。  今回、検証委員会のメンバーが替わったと聞きますので、その部分の問い直しこそ、ぜひやっていただきたいと思います。事件当時の支援の実態、それへの県の管理責任、事件後の検証報告書、事件後も運営を任せた理由等の検証を期待したいと思います。  事件の裁判は現場の実態が明らかにならないまま、被告を死刑にすることで終わってしまいそうです。事件の温床はそのまま残ることになります。そういうことを考えるならば、やまゆり園の支援の実態を今あらためて調べることはとても大事なことだと思います。
  • 支援の現場にとって、社会にとってあの事件は何だったのか、この先どうすればいいのかを考えたい
     支援の現場の人間がどうしてあのような悲惨極まる事件を起こしたのか、結局わからないままやまゆり園事件の裁判は終わってしまいそうです。このままでは事件の温床は、何も問われないまま残ることになります。  せめて我々で支援の現場にとって、社会にとってあの事件は何だったのか、この先どうすればいいのかを考えたいと思うのです。 ★コロナウィルスの問題で9月5日(土)に変更されました。  この集まりの中心になっている方は昨年10月に県に対してやまゆり園事件のことで質問状を出したとき、 www.pukapuka.or.jp 「高崎さんの問いは、根源的で、共同会に留まらず、今の入所はもちろんボクたち通所の施設にとっても、答えに窮するものだと思います でも、そこから逃げていては、改善はないので、この問いは重要ですし、これは全ての事業所に向けられたものだと思います」  という感想が来ました。それに対し、 「神奈川県への質問を、多くの福祉事業所でも、自分の問題として考えてほしいと思っています。どこが重要なのか、どこがすべての事業所に向けられたものなのか、簡単で結構ですので書いてください。そういうものがあれば、より多くの事業所で「問い」を共有できると思います。」 と書き送りました。それに対し 「現在の障害者施設は、基本できない人たちの面倒をみるところだと考えられていると思います 。共に生きる、共に支えあう人たちとは考えられていないのだと思います 。そして、以前高崎さんが書かれていたように、今の障害者施設では、仕事として障害のある人たちと出会っているけれど、人としては出会っていないのではないかと思います。 そして、それはやまゆり園に限らず、障害者施設全般に言えることではないかと思います。 もちろん、仕事として向き合うことが悪いわけではありません 問題はその仕事の中身です。 障害のある人たちをどう認識し、どういう施設やどういう社会を目指すか、その具体化として日々障害のある人たちとどう向き合っていくのかということが重要であり、そういう意味で、高崎さんの問いは、すべての障害者施設にとって、根本的な問いだと思います。」  というやりとりがあって、じゃあ、こういったことをテーマに集まりをやろうということで今回の企画が決まりました。  支援の現場にとって、社会にとってあの事件は何だったのかを考えたいと思うのです。ただ考えるだけでなく、具体的に何をすればいいのか、といったところまで話し込めれば、と思っています。 ★コロナウィルスの関係で、延期になる可能性もありますが、その時はまたお知らせします。
  • 一番のキモは、障がいのある人たちと一緒に生きていく、という関係
     3月12日(木)に北海道の岩見沢で、簡単なワークショップ、上映会、トークセッションを予定していましたが、コロナウィルスの関係で延期になりました。  半月ほど前、岩見沢にある「こくわの里」という施設から電話があり、『ぷかぷかな物語』読んで、すごくおもしろかったので、ぜひこちらへ来てお話ししてもらえないか、という依頼があり、今回の企画が立ち上がりました。電話してきたのは80才になるという施設長さんでしたが、シャキシャキして、ものすごい実行力、行動力のある人のようでした。  「こくわの里」は自立支援法成立以前の地域にできた小さな作業所ですが、自立支援法ができてから、それまで思っていたのと違う福祉の方向となり大いに戸惑ったといいます。  どう違っていたのか聞いてみると、 「自立支援法になって一番問題は福祉をサービスにしてしまったこと。利用しているなかまはお客様ではないと思いました。」  それまでやってきた人と人とのおつきあいが、サービスという関係になってしまい、なかなか自分の思いが実現できなくなったのではないかと思います。そういう中で『ぷかぷかな物語」を読み 「ぷかぷかさんの実践読んで自立支援法の下でもこんな実践が可能なんだと嬉しくなりました。」 とメールにありました。  ぷかぷかを立ち上げたときはすでに自立支援法があり、その制度の中でやってきましたが、特に不自由さを感じることもなく、やりたいことをやってきました。  一番のキモは、障がいのある人たちと一緒に生きていく、という関係でやってきたことだと思います。サービスを提供するという関係ではなく、どこまでも人としておつきあいし、そこから新しいものを創り出す。あえて創造の「創」の字を使いましたが、障がいのある人たちと一緒に新しい歴史を創り出す、ということです。  『ぷかぷかな物語』はそういう関係が何を創り出してきたのかがよくわかる本です。         以前、福祉の関係者の集まりでお話ししたとき、質疑応答の中で、ふたこと目には「支援」「支援」という言葉が出てきて、この業界の人たちは、支援という言葉、関係から自由になれないんだと思ったことがあります。自立支援法の中の関係から自由になれない、ということ。そこから自由になれないと、こんな物語は生まれません。1+1が、どこまで行っても1のままです。うまくやれば1+1が5くらいの価値を生み出すのにもったいないです。  そこから自由になるためにはどうしたらいいのか、そんな話を施設長さんとするつもりでしたが、残念ながら延期。  施設長さんはこんなこともメールに書いていました。 「一番心を打たれたことは相模原事件です。職員会議で3回全員で学びました。毎日が歴史を創ります。権利のことでいろいろ書かれたものはありましたが、施設の職員が起こした事件ということがどういう意味を持つのかがぷかぷかな物語でぴったり来ました。」  施設関係者から、こんな反応があったのは初めてです。施設の職員が起こした事件にもかかわらず、施設からの反応は、事件直後はともかく、最近はさっぱりな感じです。裁判に注目が集まりましたが、施設自体が持つ問題は明らかにされないまま終わってしまいそうです。  そういった中で、相模原事件に関する章に心を打たれた、という施設長さんとのトークセッションはすごく楽しみにしていたのですが、残念ながら延期。 「世情が落ち着いたらいち早く再開しましょう」 とメールにありましたので、再開が決まりましたらまたお知らせします。   www.kokuwanosato.jp 『ぷかぷかな物語』はこちらから shop.pukapuka.or.jp アマゾンでも手に入ります。Amazonのレビュー www.amazon.co.jp
  • ハッピーになる関係を日々の暮らしの中で作り続ける
     2月29日(土)福岡・大名クロスガーデンで簡単なワークショップ、『Secret of Pukapuka』の上映会、トークセッションをやる予定でしたが、コロナウィルスが広がっているため延期になりました。ちょっと残念ですが、ま、しょうがないですね。  津久井やまゆり園事件の裁判もあり、事件に絡めてぷかぷかがやっていることの意味を話そうかなと思っていたのですが、次の機会ですね。  被告は控訴しないようなので、多分死刑の判決が下り、裁判は終わってしまいます。どうして障害者支援の現場でこんな事件が起こってしまったのかは明らかにならないまま裁判が終わることになります。  私は事件が起こって以来、悲しくて、悔しくて、事件についてのブログを書いて書いて書きまくりました。100本を超えています。抽象的な事件批判ではなく、どこまでもぷかぷかの現場から見た事件についての思いです。そうやってある日気づいたことは  「障害者は不幸しか生まない」 という言葉は、被告自身が障がいのある人とそういう関係しか築いてなかったのではないか、ということです。不幸としか思えないような関係です。  ぷかぷかは障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ、と言い続けています。それは彼らとのおつきあいがとてもハッピーだからです。ハッピーと思えるような関係を作っているからです。  下の写真はぷかぷかさん、地域の人たち、スタッフが一緒になってケヤキの木を相手にワークショップをやったときの写真です。こんな風にみんなが楽しくなるような関係を被告が経験していれば、あんな事件は起こりませんでした。事件の現場がこういう関係を作っていなかったのではないか、ということです。  いや、こんな関係は支援ではない、という反論が来るかも知れません。では支援という関係が、どれだけ豊かなものを作り出したのでしょう。たとえばぷかぷかが創り出した『表現の市場』を超えるものを支援の現場は作り出していますか?  そこを問い直さない限り、事件を生み出した温床は温存されたままで、またどこかで同じような事件が起きます。事件後も虐待が起こっていることは何を物語るのでしょう。  上の写真のような関係を日々の暮らしの中で作り続けること、それがすごく大事な気がします。そういった関係を作るコツが『Secret of Pukapuka』という映画には描かれています。  興味のある方は連絡下さい、  www.pukapuka.or.jp
  • 『道草』上映のあと、シンポジウムをやります。
     明日の『道草』上映のあと、シンポジウムをやります。  出演は『道草』の監督・宍戸大裕さん、映画に出てくる岡部亮佑さんのお父さんであり、早稲田大学教授の岡部耕典さん、Cafeゆうじ屋オーナー、ラブ・エロ・ピース ボーカリストの実方祐二さん、NPO法人ぷかぷか理事長の高崎明です。  どんな話になるか、その場になってみないとわからないのですが、つい先日津久井やまゆり園事件の被告に死刑が求刑されたこともあり、やはりどこかで事件にはふれたいと思っています。  裁判では、どうしてこんな事件が起こってしまったのか、という一番大事なところが全く解明されませんでした。社会全体の問題と、支援の現場が抱える問題の二つがあると思います。  そのことを私たちは考え続け、どうしたらいいのかを語り続ける、表現し続ける、新しい事実を作り続けることが大事な気がしています。アーダコーダの話で終わるのではなく、具体的なものを作ることです。  ラブ・エロ・ピースの映像です。祐二さんの絶唱がカッコイイ! https://www.youtube.com/watch?v=yM2cVWa5gbg  これに負けないものをみんなで創り出せたら、と思っています。 チケットはこちらから peatix.com
  • 「ほんまかいな」と思うひとはぜひ『道草』を見て
     最近、共生社会ということがよく言われますが、なんとなくそういう社会を強制されている感じがして、いまいち馴染めません。昔、障害者とは共に生きねばならない、なんてこともいわれていましたが、なんかそれに重なるようなものを感じます。  障がいのある人たちと共に生きなくても、ふつうは特に困りません。だったら別に共に生きなくてもいいじゃん、となります。確かにそうです。でもね、彼らとちょっとつきあってみるとすぐわかるのですが、彼らとはおつきあいした方が楽しいし、いろんな意味でトクです。  「共生社会を作ろう」とかよりも、「おつきあいした方がトク」くらいの方が気持ちが楽で、長続きするような気がします。  映画『道草』の中で、介護する人が重度障害の人をうちに呼んで、一家で誕生日をお祝いするところがあります。子ども達も入って、とても楽しい雰囲気です。何度もその家に行ってるのか、家族に中にごく自然に入っています。そこにあるのは介護する人、される人、という関係ではなく、フラットなごくふつうの関係です。彼がいると楽しいよね、っていう関係。   リョースケさんのアパートでは一応、介護する、されるの関係ですが、たとえば、卵をもう一個入れる、入れない、の会話は、とても人間的なものを感じます。人と人とのおつきあいです。そういったおつきあいの延長上に、家での誕生会があったのだと思います。リョースケさんがいると、いつもとちょっとちがう楽しさが生まれます。この家族はリョースケさんがいることで、すごく「トク」してるなと思うのです。  福祉から始まった関係が、人と人との関係になっているところが、すごくいいなと思うのです。人と人との関係になることで、障がいのある人たちは、おつきあいする人たちの心を耕します。  津久井やまゆり園事件の被告は、障がいのある人たちを相手にしながら、心を耕されることがなかったのだと思います。多分彼がいた現場では、人と人との関係がなかったから、あのような悲惨な事件が起きてしまったのだと思います。  2年ほど前、緑区で障がいのある人たちのグループホーム建設反対運動が起こり、その説明会に出たことがあります。  「障害者は犯罪を犯す。」  「彼らがこの街に来れば、街の治安が悪くなる。」  そんな言葉をたくさん聞きました。単なる思い込みに過ぎないのですが、思い込みはでも、建設計画を潰すほどの力を持ちます。思い込みは、人の心をガチガチにします。  そんな人にこそ、この『道草』を見て欲しいと思っています。ガチガチの心が耕され、きっとやさしい気持ちで世界を見ることができるようになります。  思い込みで自分を縛るよりも、これはすごく「トク」なことだと思います。  今の社会、ガチガチな心がいっぱいです。それを考えると、『道草』に登場する障がいのある人たちは、そんな社会を、ほんの少し楽にしてくれます。だから彼らとおつきあいすると「トク」なことがいっぱいあるのです。  「ほんまかいな」と思うひとはぜひ『道草』を見てください。 映画『道草』のチケットはこちらから peatix.com 道草ホームページ https://michikusa-movie.com
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