ぷかぷか日記

『道草』

  • 自分の人生の物語を自分で作っていく
    昨日ぷかぷかに遊びに来た尾野一矢さんが自立生活を始めるまでの記録映像です。 www.youtube.com  昨日その一矢さんがぷかぷかに遊びに来ました。 www.pukapuka.or.jp  その時に注文した似顔絵が1枚だけですができていました。  似顔絵を描く画伯が5,6人いるので、みんなが描き終わった頃、一矢さんに来てもらって、どの似顔絵がいいか選んでもらいます。似顔絵を描いてもらうなんて多分初めてだと思いますので、一矢さん、どんな表情をするのか楽しみです。  一矢さんの選んだ似顔絵を使って名刺を作ります。Tシャツも作ります。似顔絵の入った「かんちゃんTシャツ」です。  できあがった頃、一矢さんに来てもらって、「かんちゃんTシャツ」を着て、片手にはできたての名刺を持って写真を撮ります。名刺の肩書きは「神奈川自立生活実践者第1号」。  ひょっとしたら、ここから一矢さんの人生の新しい物語が始まるかも、と思ったりしています。自立生活、というのは、いろんな人たちの介護の手を借りながらも、自分の人生の物語を自分で作っていく、ということだと思います。今まで誰かに任せっきりだった人生を、自分の手に取り戻すことだと思います。  昨日ぷかぷかに見えた時、介護の方から、テレビのリモコンを自分で操作する、といった当たり前のことが施設での生活ではなかった、という話を聞きました。大きな部屋にテレビはあるのですが、自分でリモコンを操作し、好きな番組を見る、といったことはありません。ただぼんやりテレビの方を見てる、という感じ。  でも、今、自立生活が始まり、自分でリモコンを操作し、大好きな「笑点」を見て笑っているそうです。好きな番組を自分で選び、それを見てけらけら笑う。たったそれだけのことですが、一矢さんにとっては人生が変わるほどの大きな大きな出来事です。  これからは自分の人生の物語を自分で作っていきます。一矢さんはどんな物語を作っていくのだろう。ぷかぷかもそのお手伝いができれば、と思っています。
  • 尾野一矢さんが遊びに来ました。
     やまゆり園事件で重傷を負った小野一矢さん、8月から自立生活を始め、今日ぷかぷかに遊びに来ました。初めての場所で、かなり緊張している様子でした。  アート屋わんどで紙と色鉛筆を用意し、 「よかったらどうぞ絵を描いて下さい」 と誘ったのですが、全く乗ってきません。困ったなと思っていたのですが、ぷかぷかの雰囲気の中で少しずつ気持ちがほぐれてきたのか、自分からまわりの人たちと「一本橋こちょこちょ」をやり出しました。これをやる時は機嫌のいい時だそうです。介護の人やぷかぷかさんだけでなく、取材に来ていたNHKのカメラマンともやっていました。  お昼、ぷかぷかさんのお昼ご飯で、突然大きな声を上げ始めました。「せりがやなんとか」って言ってて、芹が谷帰りたくない、そこの仕事したくない、と言ってるのだと思います、と介護の人。よほど悪い思い出があるのだろうと思いました。それが何かの拍子でわ〜っと吹き出してくる感じでした。顔もかきむしっていました。  お昼ご飯はなぜか全く食べず、パン屋でカレーパン、コロッケパンを買って食べました。  暖かな日差しの中、ぷかぷかのまったりした時間を過ごしました。普段なかなか経験できないいい時間だったと思います。日中活動をする場所を決めていないので、毎日どこに行くか決めるのが大変だそうです。  ぷかぷかで毎日働くことは難しいですが、このまったりした雰囲気に浸りに週一回でも遊びに来てくれればと思います。管理されないぷかぷかの心地よい世界に浸ることで、大声を出すほどに傷ついている心が少しずつ回復するといいなと思います。「楽しかった人?」って聞くと「は〜い」と手を上げていたので、多分また来るのではないかと思います。  帰りがけ、わんどで写真を撮り、似顔絵名刺を注文しました。一矢さんはやまゆり園での生活のあと、自立生活を始めたというので、いろいろ取材が入ります。そんなときに渡す名刺です。肩書きは「神奈川自立生活実践者第1号」。なんだかカッコいい!  似顔絵の入るTシャツも注文しました。取材に来た記者に名刺を渡し、似顔絵の入ったTシャツを着て対応します。
  • 本気で寄り添ってくれる人を見抜いているのだと思います。
     『道草』上映会、無事終わりました。お客さん、ずいぶん入っていました。200人くらいはいたでしょうか。とてもうれしかったです。  ツジさんが映画の宣伝映像で、映画の何がいいですか?と聞くと、「たぁー!」がいい、と言ってましたが、上映中、映画の中でヒロムさんが「たぁー!」と叫ぶと、ツジさんも合いの手を入れるように「たぁー!」と叫んでいました。こういう反応は私たちにはできませんね。ツジさんのおかげで、上映会のとてもいい雰囲気ができたと思っています。ツジさんに感謝!です。  お母さんはこんな書き込みをしていました。 《 カツヒロは本当にこの上映会を楽しみにしていました。ターッ‼️と合いの手を入れたのは彼の心に響くものがあったからなんでしょうね。作り物っぽかったり、偽善が透けて見えていたら、あんな反応はなかったと思います。いい1日でした。》  彼の心に響くものがあった、というのがいいですね。映画の素晴らしい評価です。  久しぶりの『道草』、4回目でしたが、あらためて新鮮な気持ちで見ました。こういう人たちが街の中で暮らしているということが、何を差し置いてもいいですね。「共に生きる社会を作ろう」だの「共生社会を作ろう」だの、キャッチコピーのような言葉を言うだけでは社会は何も変わりません。『道草』に見える、こういう風景こそ具体的に作り出すべきだと思います。  自立生活センターグッドライフの人たちが、重度障害の人たちの自立生活を支えているのですが、支え方がすごくいいですね。  映画に登場するリョースケさんのお父さん岡部耕典さんは、介護者は当事者が選んでいるんですよ、とおっしゃっていました。介護者と相性が合う、あわないは、当事者の側が決めているそうです。リョウースケさんの介護者はリョースケさんが決めているのです。  ここでの介護は、人と人とのおつきあいなんだと、岡部さんの言葉を聞きながら思いました。相性が合う、あわないを大事にする、というのは、そこに人と人とのおつきあいがあるからです。だから映画があたたかいのだと思います。  映画に登場するユウイチローさんは行動障害があって、ものを投げたり、壊したりでなかなか大変な人。津久井やまゆり園なら多分拘束されています。2年前の7月の放送されたNHKスペシャルでは徘徊するという理由で1日13時間もバンドで拘束された女性が紹介されていましたが、多分ああいう感じになると思います。  ところが「自立生活センターグッドライフ」の人たちは、対応のすさまじく困難なユウイチロウさんに果敢に素手で向かっていきます。どこまでも相手に寄り添う、向き合っていくのです。  一緒に電車に乗って出かけます。 《 何かあったらどうするんだっていった時には、責任は裕一朗くんにもあるし私たちにもある。私たちは出来るだけそうしないように、悪い言い方で言えば監視役でもあり、ガードマンなのかもしれない。けどそれはあくまでも、彼の自由を担保するために居るっていうことなんですね 》  「彼の自由を担保するために居る」とか言っても、ユウイチローさんのような人だと、本気で相手に寄り添うには、それなりの度胸がないとなかなか難しいと思いました。  そのユウイチローさん、外出の途中で調子が悪くなり、コンビニのガラスを割ってしまいます。コンビニのガラスは相当分厚いです。それを割るくらいなので、ものすごいエネルギーです。パトカーが出動したそうですから、多分大騒ぎになったのでしょう。  やってきた警官が心配して 「パトカーで送っていきましょうか?」 と聞くのですが、ユウイチローさん、 「いや、大丈夫です」 と、断ってしまいます。こういうところ、ユウイチローさんは覚めていますね。わかっていながら、ついやってしまうところにユウイチローさんの悩み、苦しみがあります。  そばにいた監督は、心配で、パトカー乗ればいいのに、と思ったそうですが、ユウイチローさんと介護者は何事もなかったかのように歩いて帰ったといいます。ふつうなら、もう怖くて、今日の外出はここで終わり!と多分なります。  うちへついてから介護の人がこういったそうです。 「今日は外へ行けてよかったね。」  監督は、パトカーに乗ればいいのに、と思った自分と比べ、なんて肝が据わった人なんだ、と感心したそうです。  肝が据わる、というのは、仕事ではなく、その人の生き方です。映画見ながら、介護に入っている人たちの「生き方」をすごく感じました。  そういうものがあるから、ユウイチローさんのこの笑顔が生まれるのだと思います。本気で寄り添ってくれる人を見抜いているのだと思います。  やまゆり園は本気で寄り添っていたのか、と思います。  
  • 「重度障害者ですが、なにか?」
    「重度障害者」というと、知らない人にとっては、何もできない人たちで、その生活もすごく大変だろう、と思ってしまいます。  でも、そこにはあたたかな人の暮らしがあります。 yomidr.yomiuri.co.jp   ブログに  《 初公判前に、犠牲になった娘の実名を公表した遺族の手記を読むと、障害のある子を家族が支えてきたというのは、ただの一面でしかなく、その子の存在によって家族の人生が支えられてもいたのだと改めて思う。人間の価値を、何か単純な指標で輪切りにすることはナンセンスなのだ。》  と、ありますが、ほんとうにその通りだと思います。重度障害者だから何もできない、ではなく、家族の人たちも、まわりの人たちも、その人に支えられています。  何よりも、その人のいるまわりがあたたかい。上記のブログもなんともあたたかい家庭が見えてきます。もちろんいろいろ大変なことはあります。それでも尚、そういったことを超えるあたたかさがあります。  映画『道草』を見て感じるのは、この「あたたかさ」です。重度障害者といわれる人たちが作り出すなんともいえない「あたたかさ」がこの映画にはあります。この「あたたかさ」こそが、彼らが社会に必要な理由だと思います。  黙々と自分たちの生き方を貫き、それを受け入れる人たちがいます。そこにはホッとするような「あたたかさ」が生まれます。息苦しさが増すばかりの社会にあって、ここには希望を感じるのです。  「重度障害者ですが、なにか?」  それを背中に貼り付け、彼らと一緒に黙々と歩いて行こう。パンツの絆でつながる父と子のように。  これが私の生き方。なんて書くとかっこいいですが、何のことはない、こっちの方が「トク!」って思うだけ。昔、殴られても蹴られてもしのちゃんが大好きだったように。しのちゃんは強度行動障害でしたね。「でも、それが何か?」って感じ。好きなものは好きなんだから。「だって、しょうがないじゃない」  2月22日(土)午後1時から青葉公会堂で『道草』上映します。  チケットはこちらから peatix.com 道草ホームページ https://michikusa-movie.com
  • 映画を見て、彼らとちょっと道草食いませんか?
    2月22日(土)青葉公会堂で『道草』の上映会をやります。   彼らと一緒にちょっと道草食う日々は、自分の人生をちょっと楽しくします。  以前にも書きましたが、昔養護学校の教員になって最初に担任した子ども達は重度障害の子ども達でした。映画に出てくる青年達よりも、もっと障がいの重い人たちでした。でも彼らと出会ったおかげで、世界が何倍も広がり、何よりも毎日がすっごく楽しくなりました。毎日心が癒やされ、この人たちのそばにずっといたい、と思うようになりました。その時の思いが、今のぷかぷか設立につながっています。  彼らは私の人生を、ほんとうに豊かなものにしてくれたと思っています。それはぷかぷかが作り出してきたものを見ればわかります。  映画を見て、彼らとちょっと道草食いませんか?  チケットはこちらから peatix.com 道草ホームページ https://michikusa-movie.com
  • 子どもたちは将来、リョースケさんとどんなおつきあいをするんだろう
    『道草』に出てくるリョースケさんの介護をやっている方は、もう18年のおつきあい、と映画のテロップにありました。  お父さんの岡部さん(早稲田大学で「障害学」の講義をやっている先生)の話によれば、リョースケさんが11歳の時からヘルパーをやっているそうで、自分の当番の時は自分の家に連れて行って遊んでたそうです。  介護する方にとって、リョースケさんは家に連れて行きたいくらい魅力ある人なんだと思います。  その後結婚し、子どもができてからも、時々家に連れて行っていたのだと思います。家族ぐるみのおつきあいですね。そういったことが映画の中の誕生会のアットホームな雰囲気を生み出したのだと思います。子どもたちがリョースケさんによく慣れている理由がわかりました。  重度障害のある人との特別な関係ではなく、暮らしの中でのふつうのおつきあい、という感じがすごくよかったと思います。地域の人(介護の方も地域の人です)のふだんの暮らしの中に、当たり前のようにリョースケさんがいる、というのが、すばらしくいいですね。  子どもたちにとって、リョースケさんは重度障害のある人ではなく、どこまでもリョースケさんというちょっとおもしろい、魅力あるお兄さんなんだと思います。 「リョースケさん、誕生日おめでとう!」 っていう子どもたちのはずんだ声からは、そんな関係が見えました。  子どもたちは将来、リョースケさんとどんなおつきあいをするんだろうって思います。ここにこそ希望があるような気がします。新しい歴史が、こういうところから始まります。
  • 彼らとおつきあいする楽しさを、地域の人たちにも分けてあげる
     早稲田大学であった『道草』の上映会に行ってきました。映画を見るのは2回目でしたが、何度見ても、ほっこりあたたかな気持ちになるいい映画ですね。  重度の知的障害のある人たちの地域での一人暮らしを支えるのは、それなりに大変だと思います。でも、この映画は彼らの暮らしぶりを追いかけながら、どこかユーモラスで、見ていると心があたたまります。  そんな気持ちになれるのは、やっぱり映画に出てくる重い障害を持った人たちが自然に醸し出すあたたかで、楽しい空気感のせいだろうと思います。その空気感を映画はうまく伝えてくれます。  その空気感は、この社会の中で、彼らと一緒に生きていった方がいい理由を、リアルに伝えてくれます。  介護者の家でリョースケさんの誕生会をやるシーンがありました。とてもアットホームな雰囲気の中での誕生会。介護者の子どもたちが 「リョースケさん、誕生日おめでとう!」 っていうところが、すごくいいですね。  ああ、こういう関係ができてるんだ、って思いました。地域の子どもが、重い知的障害のリョースケさんに「誕生日おめでとう!」って言える関係があるって、なんかいいなと思います。  ひょっとしたら時々介護者の家にごはんを食べに行ったり、一緒に公園に遊びに行ったり、どこかへ一緒にお出かけしたりしてるのかなって思いました。そういうおつきあいの積み重ねがあって、子どもたちの弾んだ声が出てきたんだろうと思います。  子どもたちはリョースケさんとのおつきあいを楽しんでいましたね。子どもたちの弾んだ声に、それを感じました。  次回誕生会やるときはぜひ子どもたちの友達も呼んでほしいと思いました。公園で遊ぶときも。もちろん知り合いの大人たちにも声かけるといいですよね。  地域の人たちが集まる楽しい企画の中に、当たり前のようにリョースケさんがいる。集まったみんなが「リョースケさん、こんにちは!」「リョースケさん、元気?」って声をかけるような関係がそこに生まれます。そういった関係が少しずつ広がっていくこと、それが、重度障害の彼らが地域で暮らすことだと思います。  彼らとおつきあいする楽しさを、地域の人たちにも分けてあげる、ということです。そうやって地域は豊かになっていくんだと思います。介護する人たちだけで味わうのはもったいないです。 映画『道草』公式サイト https://michikusa-movie.com
  • 彼らといっしょに、その「道草」を食う時間が、「ああ、いい時間だったなぁ」 って、しみじみ思えるのです。
     映画『道草』を見に行きました。途中何度も笑ってしまう、楽しい映画でした。見終わってから「道草」の意味がようやくわかりました。   重い障害を持った人たちといっしょに生きていく生活は、なかなかまっすぐに進みません。ほとんど「道草」を食いながら、ゆっくりゆっくり進んでいきます。  彼らといっしょに、その「道草」を食う時間が、映画を見終わって何時間もたった今、  「ああ、いい時間だったなぁ」 って、しみじみ思えるのです。なんなんでしょうね、この心地よさは。  重い障害を持った人たちといっしょに生きる理由が、少し見えた気がしました。介護者という立場の人も、「道草」の時間を楽しんでいます。十数年おつきあいしているという介護者が何人も登場します。いい時間を一緒に過ごしてきたんだろうな、と思いました。「支援」ではなく、「おつきあい」です。道草を食いながらの「おつきあい」。だからそこには、いい時間がある。お互いが豊かになる時間がある。  そんな時間があるから、彼らとのおつきあいの中で、人はまた、人になれる。人になれるから、また彼らのそばに行く。  彼らとの十数年ものおつきあいは、そうやって生まれたのだと思いました。  散歩の途中  「たぁー!」  って、叫ぶ人がいます。まわりの人がびっくりするからやめよう、って介護の人が言います。  「うん、わかった」 って、いいながら、また  「たぁー!」 って、叫びます。もう散歩やめるよ。いやです。たぁっていうのやめるって約束できる?  「うん、できる、指切りげんまん」 と二人で、指切りげんまんをするのですが、すぐにまた 「たぁー!」 とやります。やりながら、にたにた笑っています。  ああ、この人、介護の人をあそんでるんだ、と思いました。  ぷかぷかのファンの人が 「僕はぷかぷかさんたちにあそばれてるんですよ」 っていってましたが、まさにそれでした。  あそぶ方もあそばれる方も、お互いがその時間を楽しんでいる。だから見ている方も楽しい。  調子が悪くて家で暴れたり、お店の窓を割ったり、いろいろ大変なこともあります。それでもなお、彼らと生きる時間の豊かさをこの映画は「道草」を食いながら伝えてくれます。  なんかね、見終わってからじわ〜っとそれが伝わってくる映画ですね。  映画館の上映が終わると自主上映が始まります。ぷかぷかもやろうかなと思っています。  重い障がいのある人たちとどんな風につきあっていくのか。そのつきあい方ひとつで、こんなにも豊かな時間がうまれたり、あのおぞましい相模原障害者殺傷事件が起きたりします。この落差はなんなのでしょう。 michikusa-movie.com
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