ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 串間での上映会、主催者の思い
    先日の宮崎県串間での上映会、ワークショップを企画した石山さんの思い。 ぷかぷか上映会 ありがとうございました。 たくさんの方に見ていただくことができました。 そしてハートフルセンターの広いホールで たくさんの車椅子ユーザーが前半分のフリースペースで、後ろ半分のシアター状の座席には歩ける方たちに座っていただき。 こんな景色を見たことがない。と、 前に立って挨拶する時に、感動の塊がぶあっと込み上げてきました。 同じ空間で同じ映画を見ることができる。 あたりまえのようで実は難しい、そんな景色が見られたことが、きっと未来へと繋がっている。そんな確かな想いになりました。 そして衝撃だったワークショップ。 同じ目的を持って同じものを作る。 その説得力が圧巻でした。 知的障がいのある彼らのユニークさ、自由さ魅力が、発言や行動から溢れ出ていて、それを魅入る瞬間がたくさんありました。 それらが渦巻きのように渦巻いてやがてみんなを一つにするエネルギーに変えていきました。 それぞれ違う人たちがつながる瞬間をこの目で見た。その破壊力に、これが同じことをするということを高崎さんが大切にしていた理由なんだと理解しました。 そしてお話会。 寝ずに考えた私の思いを、なかなか上手に言い 高崎さんと藤崎さんが歩んでこられた40年という軌跡。40年も彼らと一緒にいてくれたその秘密を。 心温まるお話をたくさん聞けました。 そしてグループに分かれて、それぞれの秘めた想いを話し合いました。 私のテーブルには高崎さん。 隣のテーブルには藤崎さん そのまた隣のテーブルには藤崎さんの奥様。 がついてくださりました。 障がい者の親として、時々ものすごく孤独を感じてきたけど、仲間がここにいる。そう感じた時間でした。    最後に脳性麻痺で体はとても不自由だけど聡明な20代の女性が「今回のぷかぷかに参加できて本当に良かったです。 この企画を開催していただきありがとうございました。」と言っていて、 私はこの言葉を聞くために3ヶ月動いてきたのかもしれない。そう思いました。     こうちゃんとお母さん(石山さん)   石山さんは初めてこんな企画をやりました。Facebookも初めてで、どうやって始めるかをメールで伝えるのが大変でした。それでも150人も人を集め、上映会ができてしまったのは、やはり日々の人付き合いの幅の広さ、濃さだったのではないかと思います。この経験がこれからどんな風に生かされるのか、楽しみです。  
  • やまゆり園事件から10年
     やまゆり園事件から10年になります。あれだけ衝撃的な事件があったにもかかわらず、障がいのある人たちを取り巻く状況はそれほど変わったとは思えません。  神奈川県では「共に生きるかながわ憲章」を定めていますが、当たり前のことが書いてあるだけで(優等生の作文のよう)、これで社会が変わるとはとても思えません。  https://www.pen-kanagawa.ed.jp/kanazawa-sh/documents/message3.pdf  「障がいのある人とは一緒に生きていった方がトク!」 といった感じの、泥臭いおつきあいこそが、今必要なんじゃないかと思います。いっしょに笑うとか、いっしょに怒るとか、腹を立てるとか、いっしょに寝っ転がるとか、そういったふだんの暮らしの中でのふつうのおつきあいをコツコツ作っていく。  そのおつきあいをちょっとずつ広げていく。広げていくことで社会は少しずつ変わっていく。    「共に生きる社会を作ろう」といった大きな話ではなく、身近にいる障がいのある人達と小さな物語を日々作っていく。「今日いっしょに笑ったよ」とか、「けんかしちゃった」とか、「一緒にお出かけして楽しかったよ」といった日々の小さな物語こそが大事。  「支援」という上から目線ではなく、どこまでもフラットな関係で彼等とつきあっていく。それがいっしょに生きるということ、共に生きるということ。  事件があったからって、社会はすぐに変わるわけではありません。何よりも多くの人は、私には関係のないこと、と思っています。それが社会です。そんな社会をどうやって変えていくのか、なんて大それたことは考えず、とにかく彼等と過ごす日々を丁寧に作っていく。そして 「いい一日だったね」 って、お互いが笑顔で話せるような、そんな関係を大事にしたい。
  • 重度障害者は逸失利益ゼロなのか?
    重度障害者は逸失利益ゼロなのか?と問う記事がありました。  www.tokyo-np.co.jp  私が養護学校の教員をやっている頃、別の養護学校でプール指導の際、重度障害の子どもが亡くなるという事故がありました。その時問題になったのが、この重度障害者の逸失利益をどのように算定するかということでした(逸失利益とは事故がなければ得られたはずの将来の利益のこと)。  社会に出て働けないのだから逸失利益はゼロ、という意見と、働けなくてもまわりの人を様々な形で癒やしているのだからゼロはおかしい、という意見とがぶつかっていました。  結論がどうなったのかは忘れましたが、私自身は重度障がいの方と様々な形でおつきあいすることで、私自身が人としての幅が広がり、人生が豊かになった感じがありました。教員になる前は普通の会社で働いていましたから、養護学校で障害のある子ども達と初めて出会い、「こんなステキな人達がいたんだ」という気づきは、ほんとうに大きなもので、人生の幅がグンと広がった気がしました。生きることの意味をむつかしい言葉を一切使わずに彼等は教えてくれました。彼等には感謝しかありません。確かに彼等は生産性という観点で見ると、なかなか厳しい面はあります。でもその点だけで評価すると人として大事なものを見落とす気がします。  たとえ重い障がいがあったとしても、その人とおつきあいがあれば、逸失利益はゼロという風には普通考えません。それが人と人とのおつきあいというものが生み出す素晴らしさだと思います。  ぷかぷかにいつも買い物に来てくれるお客さん達にこの「重度障害者の逸失利益はゼロだと思いますか?」と聞いてみるといいと思います。おそらく多くのお客さんは  「それはおかしい」 というと思います。ぷかぷかに買い物にくることで、ぷかぷかさん達と出会い、 「ぷかぷかさんが好き!」 とファンになった方がたくさんいます。そんな人達にとって 「重度障害者の逸失利益はゼロだと思いますか?」 の問いは、悪い冗談のように聞こえるのではないでしょうか。これが人と人とのおつきあいが生み出すものです。 「重度障害者の逸失利益はゼロ」という発想は、社会を貧しくします。
  • いっしょにいると心ぷかぷか
     ぷかぷかの映像『Secret of Pukapuka』はやまゆり園事件の犯人が「障害者はいない方がいい」などと言っているのを聞いて、「それはちがう」という思いを込めて作った映画です。 www.youtube.com その映画の最後に出てくるのが 「いっしょにいると心ぷかぷか」 という言葉です。障がいのある人たちといっしょに過ごしていると、心ぷかぷかになるよ、だからいっしょに生きていこうよ、というメッセージです。  心ぷかぷか、というのは、たとえばこんな絵を見た時の私たちの心です。                           こんな絵は私たちには描けません。彼等にしか描けないのです。だからいっしょに生きていった方がいい、そうすることで社会が豊かになる、映画にはそんな思いを込めています。  やまゆり園事件からそろそろ10年がたちます。社会は変わったのでしょうか? 障がいのある人たちの生きやすい社会になったのでしょうか?学校では相変わらず障がいのある子どもとそうでない子どもは分けられていて、お互い知り合う機会もないまま大人になります。  そんな大人達の集まる大学で、ぷかぷかさん達といろんな形でおつきあいする授業を何回かやりました。その時の学生さん達の感想を少し紹介します。 ・正直、障害者という人達に、悪い印象しか持っておらず、怖いな、不安だなと思っていました。でも関わってみると、当たり前ですが相手は人間で真っ直ぐ言葉を投げれば受け取ってくれる。人と違うから障害ではなく、人と違うのも個性なんだな、と実感できました。 ・最初は障がいのある方は苦手だったから関わらないようにしていたけど、関わり方がわかれば怖くもないし、襲いかかってくることもないから、差別とかしないで、平等に関わっていくことが大事だなと思った。 ・最初は障害者はなにもできない人間で、何に対しても援助が必要で全て私たちがしてあげるという立場だという偏見を持っていた。しかし、ぷかぷかさんとの交流をしていく中で一人一人の個性が見えてきて、なにを得意にしているのか、なにを苦手にしているのかが理解出来るようになった ・この交流を通して障害の方だからこうしてあげよう、特別扱いしようという〇〇してあげる考え方を見直すことができた。 ・最初はやっぱり、何か違う人という認識でどう接したら良いか分からなかったけど、普通に会話をし、笑いあってすごく楽しかった思い出ばかりだった。 ・障害を持ってる人は怖いという印象しかなかったけど、関わりを通して「怖くないんだ」「優しいんだ」などのプラスの印象になりました。  障がいのある人達とおつきあいした感想をとても正直に書いています。子どもの時からおつきあいしていれば、もっと早くからこういったことに気づき、違う人生を歩んだかもしれないと思いました。  障がいのある人達との出会いは人生の幅を広げてくれます。人生が豊かになります。だからいっしょに生きていった方がトクだと思うのです。  5月30日(土)、宮崎県の串間で『Secret of Pukapuka』の上映会をやります。簡単な演劇ワークショップと、なのはな村の藤崎さんとの対談もあります。お近くの方はどうぞ。
  • いっしょに道草
    以前「道草」という映画を見て、色々思うことがあってブログ書きました。 www.pukapuka.or.jp  ブログの最後にこんなことを書いています。 「重い障がいのある人たちとどんな風につきあっていくのか。そのつきあい方ひとつで、こんなにも豊かな時間がうまれたり、あのおぞましい相模原障害者殺傷事件が起きたりします。この落差はなんなのでしょう。」  重い障がいのある人達と道草を食い、その時間をいっしょに楽しめるかどうかだと思います。相模原殺傷事件の植松は、そういう時間をいっしょに楽しめなかったのではないか。支援という関係は、結局のところ、相手といっしょに過ごす時間を楽しむ、なんてことは全く考えていないのだろうと思います。考えてみれば、淋しい関係ですね。よ〜くおつきあいすればステキなものいっぱい持ってる人達なのに、もったいない話です。  昔養護学校の教員をやっている頃、相手をする子どもたちは「指導」する対象でした。できないことをできるようにする、みたいな関係です。一応「指導計画」なんて立てたりするのですが、書きながら、こんなの空想だよなってずっと思っていました。実際の子どもたちは、そんな指導計画で語られる空疎な言葉を遙かに超えて日々自分の人生を生き生きと生きていました。  そんな彼らに私は惚れ込んでしまいました。こんな人達とずっといっしょに生きていきたい、って。その結果が定年退職後に作った「ぷかぷか」です  彼等とおつきあいすることで、人生が本当に楽しくなった気がします。生きる楽しさって、こういうことなんだって、彼等に教わった気がします。彼等はそうやって自分のまわりの社会を耕し豊かにしているのだと思います。
  • なのはな村
     5月30日に宮崎県の串間でぷかぷかの映画の上映会とワークショップをやるのですが、 そのあと宮崎のレジェンドとも言われているなのはな村の藤崎さんご夫妻と対談をします。なのはな村のウェブサイトはこちら www.nanohanamura.com  1980年代だったと思いますが、宮崎で開かれた社協主催の全国ボランティア研究集会の基調講演でなのはな村の藤崎さんが「障がいのある人たちといっしょに農業をやっている」というお話をされ、すごく興味を持ち、夏休みに見学に行きました。畑と養鶏場があり、鶏たちがやたら元気でした。それ以来毎年のように子連れで遊びに行き、楽しい思い出がたくさんできました。 鶏小屋 冬休みに行くと餅つきをしました。子どもたちは大喜びでした。 朝、産みたてのたまごの卵かけご飯がとてもおいしかったです。 都城の中心街にあるお店  藤崎さんご夫妻とどんな話ができるのか、楽しみにしています。
  • オロオロしたからこそ、人として出会えた。
    3月21日は「世界ダウン症の日」なんだそうで、この日を中心に、全国各地でダウン症への理解を深めるためのイベントや行事が行われるようです。 jdss.or.jp       ダウン症の子どもって大好きです。理解するとか、そんなことは必要ありません。ただそばにいるだけで心がほんわかあたたかくなり、大好きになります。    それを「ダウン症への理解を深めるためのイベント」なんていうから、「なんだかなぁ」という感じになります。人とおつきあいするのに「理解を深める」必要があるのだろうか、と思うのです。ダウン症ってどういう障害なのかよくわからないから、まずは理解を深めてから、ということなのでしょうが、そんなこといっているから彼等とのおつきあいがなかなか進まないというか、よけいに社会から排除している気がします。  相手の障害のことをよく知らなければ、どうつきあっていいかよくわからなくて、色々ギクシャクすることもあります。でも、ギクシャクすることで、相手のことが少しずつわかってきます。ギクシャクすることはだからとても大事なことなのだと思います。ギクシャクというのは、自分の感覚で相手を知ることです。頭で理解することとは意味合いが違います。  私は昔養護学校(特別支援学校)で働いたとき、いわゆる「障害児教育」というものを全く勉強していませんでした。小学校の教員になるつもりだったのでその勉強しかしていませんでした。ところが採用の面接の時、小学校と養護学校とどちらがいいか聞かれ、よくわからないので「ま、どっちでもいいです」と答えたら、すぐに養護学校の校長から電話が入り、そこで働くことになったという実にいい加減な理由で彼等の前に立つことになったのです。  障害のある子どものこと何も知らずに入ったので、すごく大変な日々がいきなり怒濤のようにやってきました。もう一日中想定外のことばかりやってくれて、「ヒャ〜、どうしよう、どうしよう」とオロオロするばかりでした。おしゃべりできないし、着替えもできない。トイレの後始末もできない子どもたちでした。おまけに外に飛び出すは、大暴れするは、ものを壊すは、うんこは投げるは、で何がどうなってしまったのか、しばらくは思考が追いつきませんでした。  それでもいっしょに過ごしていると、そうかこういうやつだったんだ、ってだんだん彼等のことがわかってきて、彼等と過ごす毎日が楽しくなりました。楽しいだけでなく、体も心もゆるっとゆるんで、心地よかったのです。「あっ、なんだ、なんだ、これは」って思いましたね。世の中には 「こんなにステキな人達がいたんだ!」 としみじみ思いました。私にとって、その後の人生を決める大きな大きな出会いでした。  知識も経験もなく、ただただ彼等の前でオロオロしたからこそ、人して出会えたのだと思います。
  • 区役所で人権研修会
    近くの区役所で人権研修会をやりました。   人権について抽象的な話をするのではなく、人権が侵されがちな障がいのある人達といっしょに短時間ながらもクリエイティブな活動を行い、彼等がどういう人なのかを知る研修にしました。具体的にはぷかぷかさん達と一緒に簡単な演劇ワークショップです。  午年なので、最初に体で馬を作るところから始めました。ぷかぷかさんと一緒に作ります。いっしょに作る中で、ぷかぷかさんについて、いろんな気づきが生まれます。「障害者」という思い込みでぷかぷかさんを見るのではなく、フラットにおつきあいしての気づきです。  演劇ワークショップでいいのは、この「フラットにおつきあいできる」ということです。障がいのある人とのおつきあいは、「何かやってあげる」という上から目線の関係が多いのですが、ここではどこまでもいっしょに作るというフラットな関係です。フラットな関係での気づきこそが、彼らといっしょに生きていく社会のはじまりです。  障がいのある人達といっしょに何かやるといってもい、なかなか思うように話が進みません。思うように話が進まないからおもしろいし、そこでこそ新しい気づきが生まれます。  馬の鼻?   宮澤賢治の「風の又三郎」の冒頭にこんな言葉が出てきます。      どっどど どどうど どどうど どどう   青いくるみも吹きとばせ   すっぱいかりんも吹きとばせ   どっどど どどうど どどうど どどう 冒頭の「どっどど どどうど どどうど どどう」といいながら歩いてみます。  「どっどど どどうど どどうど どどう」だけで、これだけの歩き方が出てきました。言葉はひとつでも、その受け止め方は、みんなそれぞれ違います。だからおもしろい。  動くことであらためての「どっどど どどうど どどうど どどう」がどういうことを表現しているか気づきがあったのではないかと思います。  街の中で「どっどど どどうど どどうど どどう」といいながら歩いている人達がいました。何をやっているのでしょう、という問題を出しました。それぞれのグループで、何をやっているのか、イメージしながら動いてみました。 ●参加した人達の感想の一部を紹介します。 ・障がいのある方たちの感性が豊かで素敵でした。 ・周囲の環境や状況に捉われず、自身を表現されている様子をみて、自分のあり方を振り返りました。 ・障害をお持ちの方には、枠にとらわれない大胆な発想力や行動力をお持ちの方がいて、自分も今後見習っていきたいと考えた。 ・接することで学びがある方々だということをあらためて感じました。 ・普段言葉によるコミュニケーションに頼り、動いて考えることをしていないことを思い知らされました。 ・障害のある方との接し方を学んだ。 ・一緒にグループワークすることで障害を持つ方とも一体感を持つこともでき勉強になりました。 ・同じ目的を持って取り組んでみるとそんなに障害のあるなしは関係ないということを学びました。 ・できることやできないことは、自分とあまり変わらないし、偏見によって決めつけている部分があると感じました。 ・日々の積み重ねでもっと関係が築くことができたのではないかなと。ぷかぷかさんはその日々の積み重ねで地域に根付いたのだなと思いました。 ・声を出したり体を動かすことで自由度が増し、距離感が縮まった。 ・障害の有無にかかわらず、相手の得意不得意やキャラクターを知って付き合っていくことが大切だと感じました。 ・初対面の人々が集ってごく自然に共同で作業ができて良い時間でした。 ・同じテーマでもグループによって表現方法が異なり、多様性を尊重する視点を学んだ。 ・フラットに障害のある方と同じ目的を持って取り組む機会が普段はないため、良い経験になりました。 ・障害を持つからこそ周囲に与えるプラスの影響が沢山あるのだと知ることができました。 ・障害のある方であっても一緒に動きのあるワークショップを行うことで、段々と壁が取り除かれるような感覚を味わいました。初めから壁を作らず、関わってみることの大切さを学びました。 ・体を使ってコミュニケーションを取ると、言葉のみの時に比べて打ち解けやすいことに気付きました。 ・グループワークを通じて心を通わすことができた。 ・枠組みに囚われ、他人の目を気にしがちな自分がいることを改めて感じました。 ・仕事上、自由に自分を表現する機会もありますが、それも枠の中だったなと。 ・どうしても、言葉でコミュニケーションを取ろうと考えてしまうが、体を使ったり、一緒に声を出したりと様々なコミュニケーション方法があると気付くことができた。 ・固定概念にとらわれずもっと自由な発想をしても良いこと。みんなと同じじゃないことは恥ずかしいことではなく立派な個性であること。 ・課題を言われた時にパッとすぐに行動ができるって凄いな、羨ましいなって思いました ・障害のある方ともっとフラットに接することが距離を縮める近道なのだと学びました。 ・言葉はなくても空間を共にすることで生まれることがたくさんあることを実感できました! ・障害の有無に関わらず、みんなで一緒に何かを作り上げると一体感が生まれていいなと感じました。 ・一緒に体を動かしながら声を出すという体験は思った以上に気持ちが明るくなりました。 ・障害の有無に関係なく、一つのものを作り上げるのは大変だと思いました。 ・障害のある方とフラットに意見を出しあう関係性で関わることは初めてでした。とても楽しかったです! ・言葉がなくても考えていることはあること、行動や表情で伝えることができることを学びました。 ・一緒に身体を動かしたり声を出して場を共有することで、言語とは異なるコミュニケーションを取ることができることがわかりました。 ・障がいのある人たちの発想の自由さを前に、自分の思考や体が凝り固まっていることに気づきました。 ・高崎さんのお話(なぜこういった仕事をしているのか、など)を講演会スタイルでお聞きしてみたいです。  私は養護学校(特別支援学校)で教員をやっていたとき、障がいのある人達に惚れ込んでしまいました。言葉をしゃべることができないとか、着替えができないとか、ごはんがひとりで食べられないとか、トイレの始末ができないとか、できないことはたくさんありましたが。でも、いっしょにいると毎日がとても楽しくて、何よりも心がぽっとあたたかくなりました。心と体がゆるむというか、こんな心地よさは初めてでした。「ずっとそばにいたいな」と思いました。  養護学校の教員を30年やりましたが、本当に楽しい日々でした。一番よかったことは、自由極まりない彼等と日々過ごすことで、私自身がすごく自由になったことです。生きることが楽になりました。  で、定年退職の時に、ここで彼らとお別れするのはもったいないと思い、彼らといっしょに日々過ごすことのできる福祉事業所を立ち上げました。どこからもお金が出なかったので、退職金を全部注ぎ込み、かみさんは唖然としていました。なので超貧乏な暮らしですが、彼等と過ごす日々は本当に楽しいです。何が幸せか、ということですね。《詳しくは『ぷかぷかな物語』をご覧下さい。(ぷかぷかのサイト shop.pukapuka.or.jp もしくはアマゾンで手に入ります)》  ぷかぷかさんと一緒にワークショップやると、なんだか楽しい。そんなことを思っていただけたのではないでしょうか。それが彼らといっしょに生きること。  今日の気づきを、ぜひどこかで生かして下さい。そうすれば、社会はお互いもっともっと生きやすくなります。
  • サムシング・エクストラ
    映画「サムシング・エクストラ」見てきました。  ひたすらおかしい、楽しい、そして何よりも障害のある人たちといっしょに生きる幸せを感じる映画でした。  やっぱり彼らはこの社会にいた方がいい、この社会に必要なんだと思いました。生きることがこんなに楽しいって思えるのは、やっぱり彼らのおかげ。いつもそばにいてほしい。  フランスの映画です。フランスの福祉がどんなものか全く知りませんが、少なくともこれは福祉の映画ではないですね。タイトルの「サムシング・エクストラ」は「特別な人」という意味だそうです。「障害者」ではありません。  その「特別な人」たちが社会を変えるのではないか、という希望が見えます。  間抜けな宝石泥棒の親子がひょんなことから、その「特別な人」たちの夏のバケーションに乱入します。慣れない人達を相手に、色々苦労します。朝、まだ寝ている顔にサッカーボールを投げつけられたり、狭いシャワー室に押しかけられたり、さんざんな目に遭います。でも、その苦労のおかげで、彼らは変わっていきます。彼らの中にいて、最初は慣れないこともあって苦虫を噛み潰したようだった顔が、おつきあいを重ねるごとに少しずつ笑顔になります。  最後、父親は警察に捕まりながらも、彼らのもとを訪ね、夏のバケーションに使ったロッジを彼らにプレゼントします。警察に捕まり、窓の向こうにいる父親の顔が素敵でした。宝石泥棒が「特別な人」に出会うことで、こんな風に変わる。そんなことをこの映画は言いたかったのかなと思いました。  いつも言ってることですが、何かやってあげるとか、支援する関係では何も変わりません。泥棒親子のように、彼らを前に、戸惑ったり、困ってしまったり、腹を立てたり、といったふつうのおつきあいがあったからこそ、人は変わったのだと思います。 この愛おしい面々 somethingextra-movie.jp
  • 人権研修会
     近くの区役所で人権研修会をやります。人権について、あーだこーだコムツカシイ話をしてもおもしろくないので、人権侵害されやすい(差別の対象になりやすい)障がいのある人達と一緒にクリエイティブな活動をやることで、彼らといっしょに生きることの意味を考えたいと思います。  ぷかぷかの近くにある大学でぷかぷかさんと学生さんで一緒に演劇ワークショップをやったときは、ぷかぷかさんの発想の奇抜さ、おもしろさにびっくりした、という感想がいくつかありました。今回も参加した職員の人達の中で、そういった気づきが生まれるといいなと思っています。それが人権研修会です。  一緒に何かやると言っても、障がいのある人が相手だと、彼らに対して何かやってあげる、という上から目線の関係になりやすいので、どこまでもフラットな関係の中で一緒に何が作り出せるかをみんなで探ります。具体的には簡単な演劇ワークショップをやります。演劇ワークショップはフラットな関係でお芝居作りができます。  まずは7〜8名(障がいのある人達も入ります)のグループに分かれ、みんなで一つの形を作ります。午年なので、馬を作ります。形を作るだけでなく、その馬の形のまま走ります。できれば「パカッパカッ」と蹄の音を立てながら走ってみましょう。  体があたたかくなったところで、問題です。  宮澤賢治「風の又三郎」の冒頭にある言葉 「どっどど どどうど どどうど どどう  青いくるみも吹きとばせ  すっぱいかりんも吹きとばせ  どっどど どどうど どどうど どどう」 この勢いのある言葉を声に出して読んでみます。まずはひとり一行ずつ読みます。 「どっどど どどうど どどうど どどう」 と声を出しながらグループで歩いてみる。風になった気持ちで歩いてみる。どんな歩き方になるのだろう。グループごとに歩き方の発表。 「どっどど どどうど どどうど どどう」 の言葉に 「青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」 を加えるとどんな動きになるでしょう。実際にやってみます。  どんなお話がそこでは展開しているのでしょう。それを体を使って表現してください。  グループごとに発表します。
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