ぷかぷか日記

精神障害

  • 看護学校で授業
     看護学校の精神科看護で授業をすることになりました。中身はお任せということだったので、『不安の正体』という、精神障害者のグループホームの建設反対運動を取り扱った映画を上映し、自分の関わっている精神障害の人がそういった問題に直面した時、どういった言葉をかければいいのかを考える授業をやろうと思っています。こういった社会的な問題は教科書に載っていないし、看護学校では多分取り扱わないので、貴重な授業になると思います。          映画の中に反対住民の怒号が入っていますが、精神障害の人達に対する偏見が満ち満ちています。その偏見にどう向き合うのか、というのが授業のテーマです。  精神障害はそれ自体、幻聴、幻覚をはじめ、体が動かなくなるなど、生きることに私たちが想像できないほどの困難さ(=生きにくさ)をもたらします。精神障害者への地域の人達の偏見は、社会的生きにくさを生みます。ですから彼らは二重に生きにくさを背負い込むことになります。  障害そのものが生み出す幻聴、幻覚などの生きにくさは私たちには手に負えません。でも偏見から生じる社会的生きにくさについては、社会を構成する私たちの問題であり、何か私たちにもできることがあるはずです。そこでは何が問題であり、どうすればいいのかを授業の中で考えてもらおうと思っています。  精神障害者への偏見はどうして生まれるのか、どうすれば偏見は解消できるのか。反対住民の怒号を聞いていると、心がとがっていることを感じ、本当に悲しくなります。そのとがった心を丸くするにはどうしたらいいのか。そういったことを考える授業です。  私たちの生き方そのものが問われるような授業になると思います。
  • 人は人との出会いによって回復するチカラがあるということ
     久しぶりにいい本読みました。『人は、人を浴びて 人になる』という本です。昨日、朝、図書館で借りて、ちょっと読みはじめたらやめられなくなって、1日で読んでしまいました。  精神を病んだ精神科医の話です。お母さんが統合失調症で、子どもの時から大変な苦労をしています。著者自身精神を病み、リストカット、摂食障害、アルコール依存、自殺未遂…と大変な人生。精神科にかかり、主治医の出した向精神薬を浴びるほど飲んでも、私の精神は安定しなかった、といいます。  そんな著者を救ったのは医者や薬ではなく、「ふつうの人々」だったといいます。「ふつうの人たち」との素敵な出会いが精神をボロボロに病んだ著者を救ったというお話です。  「お母さんを親に持って、幸せです」と語る終章「母への手紙」は涙が止まりませんでした。       精神科で出される薬を飲んでいれば、娘は少しずつ回復すると思っていたのですが、それを根底からひっくり返された思いです。「人との出会い」というのは医者や薬よりもはるかに大きなチカラがあるんだとあらためて思いました。   人は人との出会いによって回復するチカラがあるということ。大きな希望を見た気がしました。精神障がいで苦しんでいる娘に、ぜひ読ませたいと思いました。  「ぷかぷか」も考えてみれば、この人と人との出会いが作り上げたようなものです。ぷかぷかさんと街の人たちとの出会い。それがたくさんの物語を生み、ぷかぷかを作ってきました。ぷかぷかさんやスタッフががんばった部分はもちろんありますが、新しい「価値」を生み出し、ぷかぷかの意味を広げてきたのは、やはりぷかぷかさんと街の人との出会いです。  ぷかぷかさんと出会うことで、新しい世界が広がったり、自分を取り戻したり、元気になったり、たくさんの人たちが、今までとちがう人生を歩み始めています。  人と人との出会いは、人を変え、社会を変えていくのだと思います。  『人は、人を浴びて 人になる』、医療関係者の人たちが読めば、精神科医療の世界が変わる気がします。同じようにぷかぷかさんと街の人たちとの出会いが作った『ぷかぷかな物語』を福祉関係者の人たちがもっともっと読んでくれれば、福祉の世界が、そして社会そのものが変わる気がしています。
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