ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • 『梅切らぬバカ』を上映しますー相模原障害者殺傷事件から6年目に思うこと(その1)
     やまゆり園事件(相模原障害者殺傷事件)から6年がたちます。今年もまた映画を手がかりに事件のことを語り合う集まりをします。私たちにとってあの事件はなんだったのか、あの事件を超える社会を作るにはどうしたらいいのか、等々、ぷかぷかさん達も含め、みんなで話し合いたいと思います。  今年の映画は『梅切らぬバカ』です。 www.pukapuka.or.jp  忠さんという障がいのあるおじさんが、障害者は嫌だな、つきあいたくないな、と思っていた隣に住むおじさんを、日々のおつきあいの中で少しずつ変えていきます。  障害者のグループホームの建設に反対をしている人の耳元で 「あんた、まちがってるよ」 と、ぼそんとつぶやくほどに変わります。忠さんがいることで地域社会が変わっていく、そのことが鮮やかに見えてきます。  障害者のグループホームの建設に反対をしている人に 「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」 と、いっているのです。忠さんとのおつきあいが、隣のおじさんをこんな風に変えたのです。  やまゆり園事件の犯人は 「障害者はいない方がいい」 といい、19名もの尊い命を奪いました。  忠さんの隣に住むおじさんは、事件の犯人とは正反対の位置にいます。おじさんを正反対の位置に連れて行ったのは忠さんです。  事件の犯人も障がいのある人達とおつきあいしていたのですが、正反対の結果を生みました。同じように障がいのある人とおつきあいしながら、どうしてこんな風に違う結果を生み出すのでしょうか。  そんなことを上映会では話し合ってみたいと思います。  参加希望の方はこちら、下記サイトの「チケット情報」をクリックして下さい。 www.facebook.com ★「相模原障害者殺傷事件から6年目に思うこと」と題してときどき事件のこと書いていきます。事件を超えるために何をすればいいのか、といったことをぷかぷかがやってきたことを通して書いていきたいと思います。ご意見、いただけるとうれしいです。
  • 県の管理する障害者施設での虐待事件について、神奈川県から回答
     県の管理する障害者施設での虐待事件について ①これは明らかに犯罪。どうして犯罪として告発しないのか。 ②「ともに生きるかながわ憲章」を率先して実践すべく神奈川県立の施設で、どうしてこのような虐待が起こるのか。 の2点について神奈川県のホームページ、「私の提案」を通して質問し、その回答が来ました。 ①については以下のような回答 日頃から県政に御理解と御協力をいただき、厚くお礼申し上げます。 このたびは、「わたしの提案」に御意見をお寄せいただき、ありがとうござい ました。中井やまゆり園の利用者への虐待が疑われる事案に関する報道では、利 用者やその御家族はもとより、県民の皆さまに御心配をおかけし申し訳ありま せん。 県は、県立中井やまゆり園における利用者支援外部調査委員会の調査結果(第 一次)で、虐待通報すべきと判断された事案について、速やかに関係市町村への 虐待通報を行うとともに、警察に相談しており、厳正に対応していきたいと考え ていますので、御理解いただきますようお願いします。 あの虐待はもう犯罪ではないか、という指摘に対し、この回答。質問をちゃんと読んだのかと思います。言葉がまともに通じてない気がします。救いがない気がします。  ②については以下の回答 日頃から県の福祉行政に御理解と御協力いただき、厚く御礼申し上げます。 このたびは、「わたしの提案」に御意見をお寄せいただき、ありがとうございました。憲 章の理念を率先して実践するはずの県立障害者支援施設において、虐待通報に至る不適切 な対応が起きていたことについては、御心配おかけして申し訳ありません。 いただきましたご質問につきまして、回答いたします。 中井やまゆり園において不適切な対応が起きた背景として、これまで民間施設では対応 が困難という理由で、重度の障がいをお持ちの利用者を県立直営の同園で受け入れてきま したが、園の利用者支援について「人権意識の大きな欠如が生じている。」「利用者を人とし て支援することに欠如し、行動特性を適切に把握できずに、放置に近い対応をしていた。利 用者本人が望む生活を組み立てていくという点が欠如している。」と外部調査委員会から指 摘をされました。また、園のマネジメントについては、「支援や対応が難しい利用者が入所 する寮では、利用者支援について、職員同士で話し合う環境になく、職員間での対立や風通 しの悪さなど、人間関係の問題があった。また、こうした実態を把握していた幹部職員は、 適切に対応ができておらず、現場の把握をせずにマネジメント機能が失われていた」と指摘 されました。 県としては、こうした指摘を重く受け止め、令和4年3月から本庁職員が園に常駐し、指 導を行うとともに、4月からは民間のスペシャリストを雇用し、外部アドバイザーとして直 接、支援について指導を行っていただくなど、園の支援及びマネジメントについて改善の取 組を進めているところです。 また、今後も、県が把握している、事実であれば不適切な支援と思われる情報を外部調査 委員会で徹底的に調査し、課題を洗い出すとともに、支援の改善に取り組んでまいります。  人が人でなくなっている現場が、こんな対応で変わるとは思えません。予想された回答とは言え、なんとも気が重いです。  東京では虐待を受けた利用者さんが亡くなる事件が発生しています。 www.asahi.com 神奈川県でもこういうことになる可能性は十分にあったと思います。これを防ぐにはどうしたらいいのか、みんなが真剣に考えていかないとほんとうにまずいです。
  • 神奈川県に質問状
    中井やまゆり園の虐待事件について、神奈川県の「私の提案」を使って質問状を出しました。 ●●●  先日新聞報道で、中井やまゆり園の虐待事件で「虐待通報すべし」とした5事案として次のようなものが揚げられていました。  ・服薬用の水などに塩や砂糖が入れられた(身体的虐待)  ・利用者の肛門(こうもん)にナットが入っていた(身体的虐待)  ・利用者に数百回のスクワットをさせた(身体的・心理的虐待)  ・職員の粗暴行為で、利用者が頭を打ち失神した(身体的虐待)  ・利用者の食事に多量のシロップをかけて食べさせた(身体的・経済的虐待) 神奈川県は「ともに生きる社会かながわ憲章」を掲げています。 その中に「私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします」とあります。 この憲章を率先して実践するはずの神奈川県立の施設でどうしてこのような非常識極まる虐待が起こるのですか?説明して下さい。 ●●●  2,3週間後くらいに回答が来ると思いますが、ま、役人の考える回答なので、問題を解決することには、多分何の役にも立たないと思います。だからとてもむなしい気がするのですが、それでも、神奈川県に対し、こういった質問を出し続けることは大事だと思っています。  回答を書く人は、いろいろ悩みます。かながわ憲章でうたっていることの真逆のことを県立の施設がやってるのですから。本来なら説明のしようのない出来事です。それでも「私の提案」で上がってきた質問なので、こたえないわけにはいきません。だから悩みます。  その悩みの中で、神奈川県がやってることの問題に少しでも気づけばいいと思っています。少しの気づきが積み重なれば、何かが変わっていきます。  ま、勝手な期待かも知れませんが、やらなければ何も変わりません。 利用者の肛門(こうもん)に入っていたナット(共同通信の47ニュース)。手術で取り出した。これはもう犯罪じゃないか、と神奈川県に質問状を出しています。
  • 「あ、今日もいい笑顔だね。」
    先日の虐待の記事が気になって、また書きます。 digital.asahi.com 「虐待通報すべし」とした5事案として次のようなものが揚げられていました。  ・服薬用の水などに塩や砂糖が入れられた(身体的虐待)  ・利用者の肛門(こうもん)にナットが入っていた(身体的虐待)  ・利用者に数百回のスクワットをさせた(身体的・心理的虐待)  ・職員の粗暴行為で、利用者が頭を打ち失神した(身体的虐待)  ・利用者の食事に多量のシロップをかけて食べさせた(身体的・経済的虐待)  いずれも気分が悪くなるような事案で、ふつう人間はこんなことはしません。こういうことはしないのが人間です。  介護の現場にいるのは人間のはずですが、虐待の実態を見る限り、そこには、もう人間を感じることができません。  厚生労働省が「障害者福祉施設等における障害者虐待の防止と対応の手引き(施設・事業所従事者向けマニュアル)」というのを出しています。人間が人間でなくなっている現場で、こんなマニュアルがどれだけ役に立つのだろうかと思います。現場の荒廃のレベルの認識が甘いのではないかと思います。虐待の現場になっている神奈川県でさえ、このマニュアルを県のホームページに揚げています。こんなことやって虐待がなくなると本気で思っているのでしょうか? https://www.pref.kanagawa.jp/documents/22574/saishin.pdf  重度障がいの人たちを相手にする現場がどうしてこんなにもすさんでしまったのか。そのことにきちんと向き合っていかない限り、虐待はいつまでたってもなくなりません。向き合ってないからこそ、あのやまゆり園事件以降も、一向に虐待がなくならないのだろうと思います。  事件の直後から「支援」という上から目線こそが事件を引き起こしたのではないかと私は言い続けています。虐待の事件を受けて、あらためて、相手を蔑むところから出発している「支援」という関係の問題性を思います。  相手を蔑むことは、蔑む側の人間の荒廃を産みます。こいつらには何やっても許される、みたいな… 「利用者の肛門(こうもん)にナットが入っていた」などという事例は、その際たるものです。人間のすることではありません。これはもう「虐待」といったレベルではなく「犯罪」です。どうして「犯罪」として追求しないのでしょうか?ここにも社会の大きな問題があるように思います。  福祉の現場で「人間を回復する」「人の心を取り戻す」、そのためにはどうすればいいのか。  いつも書いていることですが、障がいのある人達と「フラットにつきあう」「ふつうにつきあう」ことです。  東北の花巻に住んでいる大好きな青年達です。昨日お母さんのFacebookにこんな素敵な写真がアップされていました。見ただけでキュンと幸せな気持ちになってしまいます。  二人ともアンジェルマン症候群といって、重度障がいの青年達です。重度障がいなので、何もできないのかというと、そんなことはなくて、こんな素敵な顔をして、まわりの人たちを幸せな気持ちにさせてくれます。私には絶対にできないことです。彼らにしかできないことなのです。そのことを謙虚に認めることから、彼らとの新しい関係が生まれます。  こんな笑顔をする人は街の宝だと思います。社会の中で一番大切にしたい人たちです。  施設にはこんな笑顔をする人はたくさんいるはずです。そんな笑顔を見つけた時、 「あ、今日もいい笑顔だね。」 って笑顔で言える関係を作ること。それが虐待をなくす、一番大事なことだと思います。そして楽しいことがあった時は、一緒にこんな笑顔になる。楽しいことを彼らと共有するのです。  彼らと一緒に本心で笑えるようになった時、失った「人の心」が戻ってきます。重度障がいの人たちが、失った「人の心」を取り戻してくれるのです。
  • 虐待は、虐待をする人間をダメにします。そのことに障害者施設はどこまで気づいているのでしょう。
    今朝の朝日新聞朝刊、また県立の障害者施設で虐待。 digital.asahi.com 「服薬用の水などに塩や砂糖が入れられた」「利用者の肛門にナットが入っていた」「利用者に数百回のスクワットをさせた」等々、気分が悪くなるような内容。  こんなことは人がすることではないです。障がいのある人達を「支援」する障害者施設でどうしてこんなことが起きてしまうのか。  ふつう、人とおつきあいすれば、その人のいろんなことがわかります。やまゆり園事件で重傷を負った尾野一矢さんを介護している大坪さんは、一矢さんのそばにいると気持ちがくつろぐそうです。気持ちがくつろぐような関係って、素直にいいなぁ、と思うのです。     障害者施設では、どうしてこういうおつきあいが生まれないのでしょう。結局、「支援」という上から目線の関係が、相手とふつうにおつきあいすることを阻んでいるのではないかと思います。   重度障がいといわれる人たちも、よぉくつきあえば、いいものをたくさん持っています。  私自身は養護学校の教員になった時、最初に担任したのは重度障がいの子どもたちでした。彼らはしゃべれないとか着替えができないとかうんこの始末ができないとか、できないことがいっぱいありました。それでも彼らのそばにいると妙に心がくつろぐというか、あたたかい気持ちになって、なんだか惚れ込んでしまったのです。  月並みな言葉ですが「人間ていいな」って、彼らのそばにいて素直に思えました。そういう大切なものを彼らから教わりました。人間のよさというものを重度障がいの子どもたちに教えてもらったのです。  障害者施設は、そういったものを感じられる環境にないのだと思います。すごくもったいないというか、彼らと接する人達にとっては不幸なことです。相手と出会えないまま、ひどい虐待して平気な人間になってしまう。  虐待は、虐待をする人間をダメにします。そのことに障害者施設はどこまで気づいているのでしょう。   どうしたらいいのか。  「支援」という関係ではないところで彼らとおつきあいする機会を作ってはどうでしょうか。ぷかぷかでは「演劇ワークショップ」や「歌のワークショップ」をやっていますが、こういうところでは「支援」などという上から目線の関係はなんの役にも立ちません。何かを「表現する」ということにおいては、彼らにはかなわないからです。「素手」で彼らと向き合うと、自分はたいしたことないんだ、ということがよくわかります。そうやって私たちは人になることができます。 「人は人を浴びて人になる」 そう思える関係を障害者施設が本気で作るかどうか、そこのところが問われていると思います。
  • 違う人生があったのかな…
    相模原事件ブログを読んだ方から感想が寄せられました。その中にいい言葉があったので紹介します。 ぷかぷかに来ていたら植松死刑囚も、違う人生があったのかな...と思いました  素晴らしい気づきですね。  違う人生。その通りだと思います。  津久井やまゆり園とぷかぷかはそこまで違うのだとあらためて思います。毎日相手にしている障がいのある人たちと、人として出会い、人としてつきあっているのかどうか。それが、彼らと日々向き合っている人の人生にも影響するのだと思います。  あれができないこれができない人、支援の必要な人、というところだけでおつきあいするのはもったいないくらいのものを彼らは持っています。  毎日渋滞情報を聞きながら、それを絵に描く人がいます。  手の中にいろんなものを見つける人がいます。  こういう人と出会うと、世界がグンと広がります。人生が楽しくなります。  ぷかぷかに来ていたら植松死刑囚も、違う人生があったのかな...  ものすごく大事な気づきですね。
  • 彼らと出会う人が増えると、社会全体が豊かに
    3月8日(火)オンラインセミナーでぷかぷかの話をしますー第2弾        www.city.kawasaki.jp セミナー事前質問ーその2 ●やまゆり園事件について、どう思いますか? (世間は犯人の異常性や施設の防犯の不備などを理由にしていますが。)  ひとことで言うと、日々相手をしている障がいのある人たちと「人として出会ってなかった」ということだと思います。人として出会っていたら、あのような残虐なことはできません。  障がいのある人たちは「支援」するという関係が一般的ですが、その関係は相手と人として出会うことを阻害するのではないかと思っています。「支援」は相手に何かやってあげる、という上から目線の関係であり、フラットな関係ではありません。相手を自分よりも下に見るので、相手と人として出会い、たくさんのことを相手から学ぶ、ということができません。  私は養護学校の教員になった時、日々想定外のことをやってくれる障がいのある子どもたちに、どう対応していいのかわからず、もうほんとうにオロオロする日々でした。弱さむき出しで、裸で向き合った感じでした。でも、それ故に、相手と人として出会えた気がしています。オロオロしながらも、彼らのそばにいると、妙に心が和み、あたたかな気持ちになることに気がついたのです。  いろいろ大変だけど、なんだかいい人たちだなぁ、この人たちのそばにずっといたいな、としみじみ思うようになりました。月並みですが、彼らとおつきあいする日々の中で、「人間ていいな」ってしみじみ思えるようになったのです。そういう、人が生きていく上でとても大事なことを、彼らは教えてくれたのです。あれができないこれができないと馬鹿にされている彼らに教わった、というところが大事です。ここにこそ、彼らといっしょに生きる理由があります。    宮崎からやってきたこうちゃんは、そばにいるだけで気持ちが和みました。      これが、彼らと人として出会う、ということです。「支援」という関係が、そういう出会いをも生むのであれば、事件は起こらなかったと思います。  事件についてのブログで、「支援」という関係について何度も書きました。書いたブログは、ぷかぷかのサイトだけではなく、障害者支援団体のネットワークサイトにも投稿しました。ところが何度も投稿しているうちに、二つのサイトから閉め出されました。「支援」という関係について批判的に書いていたので、多分胸にチクチク刺さったのだと思います。その痛みをしっかり受け止めるのではなく、排除してしまったのです。  そういう意味で、事件はやまゆり園の問題にとどまらず、「支援」という関係に寄りかかっている福祉事業所全体の問題でもあると思っています。  彼らと人として出会うと、私たち自身が人として豊かになります。彼らと出会う人が増えると、社会全体が豊かになります。
  • 彼らといっしょに生きることが生み出す「希望」
    2月11日(金)に「ともに生きる」ってなんだろう、というテーマでセミナーをするのですが、参加予定の方から事前に質問がいくつか上がってきました。 その中の一つにこんな質問がありました。 《相模原事件後、障がいのある方、職員や関わる方々、社会はどのような変化がありましたか?これからどのような希望をお持ちですか。》    事件後、私自身は何かにつけ事件のことを話題にしますが、社会全体を見渡せば、事件直後はともかく、5年たった今、それほど変化があったとは思えません。結局はどんなに大事件であっても、やっぱりみんな忘れてしまうのだと思います。それが日々を生きる、ということだと思います。ですから社会に変化がないことを色々言っても、そこからは何も生まれない気がします。  事件の犠牲者は全員名前が伏せられていました。このことが余計に事件を忘れさせる原因でもあったように思います。でも、事件の裁判が始まり、犠牲になった美帆ちゃんの名前が明らかになりました。美帆ちゃんという名前の一人の女性の人生がそこにはあったということです。そのかけがえのない人生がそこで断たれたということです。そのことを忘れないようにしたいと思うのです。  名前は、その人の人生を語るいちばんの手がかりです。名前があることで、私たちは「ああ、あの人ね」と思い出すことができます。その名前がわからなければ、その人の人生を思い浮かべることはできません。その人の人生がなかったと同じになります。重い障がいのある人たちが、そのように扱われたこと、そのことを忘れないようにしたいと思うのです。  殺された19人にはそれぞれの名前から思い起こす人生があったはずです。そのことを美帆ちゃんの名前の公表は教えてくれました。 「美帆ちゃんのこと、忘れないよ」それは、事件を抽象的に語るのではなく、美帆ちゃんという一人の大切な命が奪われた事件として記憶し、語っていくということです。そこから何をすればいいのかを考えていく、ということです。www.nhk.or.jp  質問に「これからどのような希望をお持ちですか」という言葉があります。事件の犯人は「障害者はいない方がいい」といい、「よくやった」などと共感する人がたくさんいました。ぷかぷかは「それはまちがっている」と言葉で批判するするだけでなく、障がいのある人たちと「いい一日だったね」ってお互い言える日々を黙々と作り続けてきました。ぷかぷかの日々の活動そのものです。日々の活動そのものが事件への批判であり、異議申し立てでした。たくさんの人が共感してくれました。そのことが大きな希望だと思っています。  彼らといっしょに生きる日々は、ほんとうに楽しいです。楽しさは未来への希望を生み出します。  どんなに悲惨な事件であっても、彼らといっしょなら、それを乗り越えていけます。それが彼らといっしょに生きることが生み出す「希望」です。
  • 虐待を起こさないような関係を日々作っていく
    県立障害者施設で虐待事件があり、あまりにひどいので県に対し質問状を出しました。 www.pukapuka.or.jp   で、その返事。  どこまで本気でやるのか、といった感じです。いろいろ研修はやったようですが、こんなありきたりの研修で人は変わりません。研修に本気度が感じられないのです。  ぷかぷかがやった人権研修会はこんな感じです。 www.pukapuka.or.jp  月刊『創』に渡辺一史さんが事件について原稿を書いています。 www.tsukuru.co.jp binb.bricks.pub  いずれにしても県には期待できないので、自分で虐待を起こさないような関係を日々作っていくしかないのだと思います。  コロナでこの2年、休んでいた演劇ワークショップを来年は感染対策をしながら再開しようと思っています。障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいことが素直に伝わるような舞台を作ります。虐待を起こすような関係とは正反対の関係です。
  • 腹が立ってしょうがないので、神奈川県に質問状
     先日、虐待のあった「中井やまゆり園」の運営はかながわ共同会ではなく、神奈川県だそうです。「津久井やまゆり園」と「愛名やまゆり園」はかながわ共同会が運営しているそうです。ただ虐待の実態を見ると、かながわ共同会も神奈川県も体質的には同じだと思いました。  社会的な責任が大きい社会福祉法人が、事件について一切説明しない、犯人が元従業員だったにもかかわらず謝罪もしない、そういったことについて監督庁として指導すべきではないのかと指摘しましたが、すべて法人に任せている、となんの指導もしませんでした。  そんな無責任な神奈川県が運営している施設で虐待事件が発覚したのです。 nordot.app  記事には職員の暴力で入所者が骨折したにもかかわらず、それを管理職が隠蔽した疑いがあるそうで、これが「ともに生きる社会」を掲げる神奈川県がやることかと驚きました。「ともに生きる社会かながわ憲章」なんて、嘘っぱちじゃないかと思いました。  腹が立ってしょうがないので、神奈川県のホームページの「私の提案」を使って質問状を出しました。  神奈川県では津久井やまゆり園事件をきっかけに「ともに生きる社会かながわ憲章」を定め、ともに生きる社会を目指したはずです。にもかかわらず、県立の障害者施設でどうしてこのような虐待が起こったのでしょうか? ①職員が骨折するほどの暴力を入所者に振るうという信じがたい事件が、「友に生きる社会」を目指す神奈川県の施設でなぜ起こったのでしょうか?何が問題だと考えますか? ②それを隠蔽しようとしたのはなぜですか? ③職員にどのような人権研修をおこなっていますか。人権研修をやったにもかかわらず、どうしてこのような暴力事件が起こったのですか。研修の内容、研修のあり方に問題があったのではないですか。 ④管理職にどのような研修をおこなっていますか。事件を隠蔽するのはモラルの問題だと思いますが、管理職のモラルについてどのように考えていますか? ⑤暴力事件を起こした職員、隠蔽しようとした管理職は「ともに生きる社会かながわ憲章」を知っていたのですか。憲章についてどのような研修をおこないましたか? ⑥県としては今回の事件に対しどのような調査、検証をおこないましたか。その結果、どうだったのですか。 ⑦被害者および県民に対してどのような説明、謝罪をするのですか。 ⑧今後このような事件を起こさないために、県として、どのような防止策を考えていますか。 ⑨暴力事件を起こした職員、隠蔽しようとした管理職に対し、どのような研修をおこないますか、どのような処分を考えていますか。 ⑩暴力事件を起こしたり、それを隠蔽したりするのは、運営組織としてもう腐っているのではありませんか。今後どうしますか。  どういう回答が来るのかわかりませんが、回答が来次第お知らせします。  まともな回答が来るとは思えませんが、それでもおかしいと思うことはどんどん言っていかないと何も変わりません。
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