3月8日(火)オンラインセミナーでぷかぷかの話をしますー第2弾
セミナー事前質問ーその2
●やまゆり園事件について、どう思いますか?
(世間は犯人の異常性や施設の防犯の不備などを理由にしていますが。)
ひとことで言うと、日々相手をしている障がいのある人たちと「人として出会ってなかった」ということだと思います。人として出会っていたら、あのような残虐なことはできません。
障がいのある人たちは「支援」するという関係が一般的ですが、その関係は相手と人として出会うことを阻害するのではないかと思っています。「支援」は相手に何かやってあげる、という上から目線の関係であり、フラットな関係ではありません。相手を自分よりも下に見るので、相手と人として出会い、たくさんのことを相手から学ぶ、ということができません。
私は養護学校の教員になった時、日々想定外のことをやってくれる障がいのある子どもたちに、どう対応していいのかわからず、もうほんとうにオロオロする日々でした。弱さむき出しで、裸で向き合った感じでした。でも、それ故に、相手と人として出会えた気がしています。オロオロしながらも、彼らのそばにいると、妙に心が和み、あたたかな気持ちになることに気がついたのです。
いろいろ大変だけど、なんだかいい人たちだなぁ、この人たちのそばにずっといたいな、としみじみ思うようになりました。月並みですが、彼らとおつきあいする日々の中で、「人間ていいな」ってしみじみ思えるようになったのです。そういう、人が生きていく上でとても大事なことを、彼らは教えてくれたのです。あれができないこれができないと馬鹿にされている彼らに教わった、というところが大事です。ここにこそ、彼らといっしょに生きる理由があります。
宮崎からやってきたこうちゃんは、そばにいるだけで気持ちが和みました。
これが、彼らと人として出会う、ということです。「支援」という関係が、そういう出会いをも生むのであれば、事件は起こらなかったと思います。
事件についてのブログで、「支援」という関係について何度も書きました。書いたブログは、ぷかぷかのサイトだけではなく、障害者支援団体のネットワークサイトにも投稿しました。ところが何度も投稿しているうちに、二つのサイトから閉め出されました。「支援」という関係について批判的に書いていたので、多分胸にチクチク刺さったのだと思います。その痛みをしっかり受け止めるのではなく、排除してしまったのです。
そういう意味で、事件はやまゆり園の問題にとどまらず、「支援」という関係に寄りかかっている福祉事業所全体の問題でもあると思っています。
彼らと人として出会うと、私たち自身が人として豊かになります。彼らと出会う人が増えると、社会全体が豊かになります。