ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • 猫の目
    アマノッチの描いた猫  何を思っているんだろう。  いくつもの哀しみと、  怒りと、  悔しさを、  数え切れないくらい経験し、  それをもう通り越してしまったような目  諦めてはいるわけではない。  ただそこにうずくまって  こうやって 深い目で  世界を、じっと見つめている。  押し殺した思いが、静かに渦巻いている。  アマノッチの思いに、初めて出会えた気がする。  こんな目で見つめられたら、ちょっとたじろいでしまう。  でも、本当はいつもこんな目で彼らは私たちを見つめているに違いない。  それに私たちが気がつかないだけ。  だから、上から目線で彼らを見る。  彼らを見下す。  でも、この目に気がつくと、私たちの振る舞いは、とても恥ずかしい。 mainichi.jp  虐待が何度指摘されても、延々と見苦しい言い訳をするやまゆり園。  あなたたちを見つめているたくさんの、この深い目に気がつかないのか。  恥ずかしくないのか。  謙虚にこの目と向き合いたいと思う。  この目を見つめていると、  自分の生き方を問われている気がする。  この目の語る物語に、静かに耳を傾けたい。
  • いかに一緒にくつろぐか
    やまゆり園事件で重傷を負った尾野一矢さんがやまゆり園を出て地域で暮らし始めました。 mainichi.jp その取材をしている毎日新聞の上東さんのFacebookにいい言葉がありました。 重度訪問介護ヘルパーの極意は「いかに一緒にくつろぐか」だそうです。 長い時間一緒に過ごす介助者の仕事。 「仕事というよりただ、いっしょに生きること」〔大坪さん) 素敵な関係だなぁ。  「いかに一緒にくつろぐか」いい言葉だなと思いました。多分そういう感覚でいかないと、長い時間一緒に過ごす介護の仕事は辛くなると思います。というか、長い時間一緒に過ごす中で、大坪さんが見つけたんだと思います。ただ仕事だからでは、相手といい関係はできません。くつろぐ感覚があるから、この人といっしょにいよう、と思えます。そこから人としてのおつきあいが始まります。その気持ちは相手にも伝わります。だから、一矢さんも「かずやんち」の暮らしを楽しめるのだと思います。  自分の写真で恥ずかしいのですが、『support』という知的障害福祉研究の本の表紙を飾ったことがあります。          まさにお互いがくつろいでいる写真です。「至福の時」です。こういう時が、彼らと過ごしているといっぱいあります。それを大事にするかどうかで、彼らとの関係が変わってくるのだと思います。(養護学校の教員をやっている時、障がいのある子どもたちと出会い、彼らといっしょにいると心安らぐ時間、くつろぐ時間がたくさんあって、こりゃぁもう彼らとはいっしょに生きなきゃソン!だと思いました。その時の思いがぷかぷか設立の思いにつながっています)      福祉の現場の人たちが、みんなこんな感覚で仕事やりだしたら、この業界は介護する側もされる側もお互いがもっと居心地のいいものになるだろうな、という気がします。    尾野一矢さんがいたやまゆり園の人たちが、こういう感覚で働いていたら、やまゆり園はお互いにとって居心地のいいところになっていたと思います。そんなふうになっていれば、事件は起きませんでした。こういう感覚を排除してしまうものがやまゆり園にはあったのだろうと思います。それは何なのだろうと思います。 
  • そんな社会に、今どんな言葉を届ければいいのか
    毎日新聞の素晴らしい取り組み。 mainichi.jp 素晴らしい取り組みなのですが、最後に書かれていたテーマを見ると、ここからこぼれ落ちるものがたくさんある気がしました。 (1)判決で犯行動機は「勤務経験を基礎として」 (2)支援の実態、そして虐待の疑いが浮上/職員の思いと報告書 (3)やまゆり園の設置者の責任は/黒岩祐治神奈川県知事インタビュー (4)やむを得ない拘束だったのか?/居室施錠の実態 (5)身体拘束をしない支援はできるのか/居室施錠の実態 (6)各地で頓挫する県立コロニーの解体/地域移行の課題 (7)施設を出て、地域で暮らす/地域移行の課題 (8)真相は闇の中/認定難しい施設内虐待 (9)問われぬ支援の質/障害がある人の施設での暮らし  ひとつひとつ大事なテーマだと思いますが、障がいのある人との関わりもなく、事件にそれほど関心のないふつうの人にとってはどうなんだろう、という感じがします。隣に住んでいるおばあさんとか、仕事に追われているおじさんとか、子育てにいそがしいお母さんとかにとって、ここであげられているテーマは、自分との関係性がなかなか見いだせない感じがします。  といってそういう人たちが事件と全く関係ないのかといえば、そうではない気がします。  事件の際、犯人の語った「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいる、とぷかぷかを訪ねてきた人がいました。  事件のあった年の11月、NHKラジオ深夜便で「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」といった話をしたところ、そんなことをいう人がいるんだ、と信じがたいような思いで私に会いに来た人がいました。その人は犯人のいった言葉を否定しきれない自分がいて、悶々としていたところへ「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」などという言葉がラジオから流れてきて、びっくりしたといいます。  でもぷかぷかに来たことがきっかけで、パン屋で一日実習し、それに続いて演劇ワークショップにも参加。舞台にもぷかぷかさんたちと一緒に立ちました。  そんな経験の中でいろいろ思うことがあったのか、そのあと、彼は放課後ディサービスで仕事を始め、重度障害の子どもたちとの日々が楽しくてしょうがない、といってきました。「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいると悶々としていた人が、今、「重度障害の子どもたちとの日々が楽しくてしょうがない」というのです。彼をそこまで変えたのはぷかぷかさんたちとのおつきあいです。ぷかぷかさんたちのチカラをあらためて思うのです。(彼のことはその後NHKスペシャルで事件を取り上げた時に紹介してくれました)  いずれにしても、「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を否定しきれない自分がいる、と感じた人は多かったのではないかと思います。   事件に関する取材でぷかぷかに来た記者で、やっぱり自分の中にも事件の犯人的な発想があって、そこからなかなか抜け出せない、と正直に語った方もいました。  普段障がいのある人たちに関わりのない人たちのふつうの感覚だろうと思います。上に上げたテーマをいくらきっちり書いても、犯人的な発想からなかなか抜け出せないと悩んでいる人にとっては、ほとんど意味がありません。  そういう人に届く言葉こそ、丁寧に書いて欲しいと思うのです。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった言葉から抜け出すにはどうしたらいいのか。力強い言葉ではなく、「あ、そうか」っていう気づきにつながるような言葉です。  事件直後、ネット上には「よくやった」などという言葉が飛び交いました。あの悲惨極まる事件に対し、「よくやった」などという社会は怖いです。事件後、街に出るのが怖くなったという障がいのある人たちはたくさんいました。  その社会は、事件から4年たった今も全く変わっていません。  そんな社会に、今どんな言葉を届ければいいのか、この社会の中で何をすればいいのか、といったことこそ今求められている気がします。  11月14日(土) ぷかぷかは、そんなことをみんなで語りたくて上映会をやります。 www.pukapuka.or.jp
  • これは「詩」ですね。
     実習生の、この感想、「きりんのえをかきました」「かにのえもかきました」…って書いただけなのに、なぜか人の心をあたたかいもので満たしてくれます。  簡単な言葉なのに、どうしてこんなにキュンと幸せな気持ちになるのでしょう。  人の心を揺り動かす、これは「詩」ですね。  こういう言葉にふれることで、私たちは人間を取り戻すことができます。人間のあたたかさを思い出すことができます。とがった心がまるくなります。  ともすれば人間であることを忘れてしまうような日々の中で、彼らは私たちを人間に引き戻してくれているのだと思います。  かながわ共同会が運営する施設で、また虐待があったといいます。彼らが人間を取り戻すのは、いったいいつなんだろうと思います。目の前にいる人たちの書く「詩」に気がついて欲しいと思うのです。 mainichi.jp
  • 上映会やります。
     毎年7月末にやまゆり園事件をテーマに上映会をやっていたのですが、コロナ禍で今年は中止にしました。でも裁判が終わり、事件が話題になることはほとんどありません。裁判もやまゆり園の支援のあり方を問うこともなく終わってしまい、何が問題だったのかはほとんど明らかになりませんでした。  結局そこのところは私たち自身が問い続けるしかないのだと思います。そのための上映会を、やっぱりやることにしました。コロナ禍であっても、いろいろ工夫してやり続けないと、本当に事件は忘れられてしまうと思うからです。  上映会は、11月14日(土)午後1時〜5時、横浜ラポールのホールです。 www.yokohama-rf.jp  上映するのは第6期演劇ワークショップ記録映画、NHK、テレビ神奈川、Eテレの映像(それぞれ5,6分)。まだ確定ではないのですが、NHK、Eテレ、朝日新聞の記者さんに登場していただいて、ぷかぷかで事件を超えるものとして何を見つけたのか、をそれぞれ語っていただき、それを元に事件を超えるには何をしていったらいいのかをみんなで話し合えたら、と思っています。あーだこーだと抽象的な話ではなく、どこまでも日々の暮らしの中で何ができるのか、何をしていけばいいのか、を話し合います。  やまゆり園事件についての話し合いは、大概どこでやっても重い、しんどい話になりがちですが、ぷかぷかがやる時はぷかぷかさんたちも参加しますので、いつも明るくて楽しいです。  これは去年の上映会の様子を現代書館の若い編集者が書いたものですが、「とがった心がまるくなる」ような上映会でした。 www.pukapuka.or.jp  朝日新聞は「いい一日だったねってお互い言えるような日々の積み重ねが事件を超える社会を作る」という素晴らしい記事を書いてくれました。優生思想を超えるとか、あまり大きな話ではなく、もっと身近で、手の届く範囲のことを日々やっていこう、という提案をぷかぷかはやっています。 www.pukapuka.or.jp  Eテレはぷかぷかを取材して高校生向けの共生社会を考える番組を作ってくれました。たまたま取材の最中にフタミンが割り込んできて、「明日からキャンプに行きます」などと言いだし、その時のタカサキとのやりとりがなんとものどかでおかしいです。共生社会って、字で書くとなんだか難しそうな感じがしますが、こうやってぷかぷかさんたちと楽しい話をする日々のことなんだと思います。 www.pukapuka.or.jp  だから「事件を超える社会をつくる」なんていうと、なんだかすごく大変そうですが、彼らと一緒に笑い合える日々を作るだけのことなのです。あーだこーだ小難しい話をしても、社会は変わりません。それよりも、あなたの周りにいる障がいのある人たちと、キャハハって一緒に笑い合える日々をつくること、一緒に笑える仲間を増やすこと、そうすれば社会は少しずつ、でも確実に変わっていきます。  こうやってね、ご飯食べながら一緒に笑う日々を作るのです。こういう日々の中で「ぷかぷかさんて障害者だったのね、ずっと忘れてたわ」という名言が生まれたのです。「事件を超える社会」「共生社会」「ともに生きる社会」がここにあります。        上映会のチケット代とか申し込み方法など詳細につきましては、また後日発表します。
  • すごく悲しいけど、僕は泣かないよ!
     ぷかぷかのスタッフの一人が近々やめることになった。2年足らずのおつきあいだったが、そこから広がった豊かな世界は、障がいのある人たちといっしょに生きることで生まれる豊かさをそのまま物語っている。添付した感想を読んで欲しい。  別れはいつでも辛いもの。それでもここには幸せがある。ぷかぷかは、そんな幸せを作り出しているのかも知れない、と感想を読みながら思った。  ぷかぷかは就労支援の福祉事業所。でも、そんな枠組みを大きくはみ出すものをぷかぷかは作り出しているとあらためて思う。私たちの想定を遙かに超えたぷかぷかさんたちの働きだ。それが涙が出るくらい辛い別れを幸せなものにしている。これこそが彼らのチカラだと思う。そういうものを私たちは彼らからもっともっと謙虚に学ばねば、と思う。人生をもっと豊かなものにするために。  「障害者は不幸しか生まない」などといったやまゆり園事件、そしてそれを生み出した福祉施設。それとは正反対の世界がここにはある。何が違うのか、そこを考えることが私たちに求められている。  彼らを「支援」の対象としか見ないでいると、こんな豊かなものは生まれようがない。本当にもったいないと思う。 ●●●  「ぷかぷかとの出会いとお別れまで」  2年半ほど前、ダウン症の女の子と出会った。彼女と顔を合わせると、手を繋いでくれたり、たくさん話し掛けてくれて、すごく癒されたのを覚えている。 何を言っているかわからないこともあったけれど、話の内容云々ではなく、その自然なスキンシップと、あの笑顔がたまらなかった。  当時4年生だった次男と、その女の子が初めて会ったとき、女の子はいつも私にしてくれるように次男にも手を繋ごうとしてくれた。だけど、初めて会った人からそんなことをされたことない次男は凍りついた。女の子がダウン症だったからではなくて、元々かなりの人見知りということもある。でも、次男は今まで障がいのある人たちと会ったことはなく、見掛けたことはあったとしても、関わってきたことのない。つまり、母親である自分が関わらせてあげていなかったということに気付いた。だからと言って、私自身もほとんど関わったことはないし、どのように関わったらよいのかもわからない。正直、知り合いにいなければずっと関わることもなく、知ろうともしなかったかもしれない。恐らく、小学生のほとんどが、次男と同じ状態なのではないかと思った。私は小学生のPTA会長をしている。そんなこともあり自分の子どもだけでなく、地域の子どもたちのことを考えることが多くあり、子どもたちが障がいがあるとか、ないに関わらず、あれこれ考えずに付き合えるような、そんな世の中だったらいいのにな、と思った。 「それにはまず、私が知らなければ!」そう思った。そう思ったとき、たまたま自分が知り合いのお店で開いたイベントに来てくれた人がぷかぷかのスタッフさんだった。もう1人はぷかぷかの大ファンの方で、ぷかぷかで働いてみたいことをそのお二人にお話した。そしてその時、そのお店にふらっとやってきたのが、最近ぷかぷかで働き始めたという方だった。偶然にも程があるだろ?と言いたくなるほどのぷかぷか要素が高い空気の中で、ぷかぷかのスタッフさんから高崎さんを紹介してもらった。  高崎さんにメールを送り、責任者の方と会うことになった。見学をし、実習を3日間体験させてもらうことになった。  初日の朝、緊張してぷかぷかに向かうと、コウキさんが最高の笑顔で手を降って出迎えてくれた。初対面なのに「おはよう」と、こんなに気持ちのよい挨拶をされたのは、生まれてはじめてだったかもしれない。コウキさんのお陰で緊張も解れ、面接のときに会ったテラちゃんに力強く手を握られ、タカノブさんに靴下の色を聞かれ、あっという間にぷかぷかさんのペースに巻き込まれて行った。3日間、工房での実習。最初はみんなも緊張していたけれど、「嵐で誰が好き?」とか、雑談をしながら段々と仲良くなっていった。毎朝タカノブさんに靴下の色を聞かれ、みんなに色々教えてもらいながら、お昼は毎日ボルトさんとナマケモノに給食を食べに行った。3日間はあっという間に過ぎ、実習最後の日にボルトさんが私の目の前でダンスをしてくれた。 「こんなことは初めてですよ。」スタッフさんが言ってくれた。 実習を終え、しばらくして2次面接があった。そして、正式にスタッフとして働かせてもらうことになる。2018年10月のこと。  ほどなくして、次男と夫とパン教室に参加させてもらった。先生のお二人が漫才コンビのようにテンポよく進めて行ってくれて、ぷかぷかさんが踊ったり歌ったり、そんな中でパンを交代で捏ねたり、おしゃべりしたり。あれよあれよと言う間にパンができあがる。夫はたくさんのぷかぷかさんに囲まれて、ハヤチャンに人生相談をして励まされていた。次男もそんな空間が心地よかったよう。みんなでパンをいただいて、洗い物して、さようなら。それがうちの家族とぷかぷかさんの出会い。  それからも土曜日のワークショップに参加したり、あっという間にぷかぷかのファンになっていった。パン教室直後に次男がこう言った。 「え?あの人たちは障がいがあるの?」  次男にとってぷかぷかさんは、障がいがある人ではなく、個性的な面白いお兄さんお姉さんでしかなかったようだ。これだよ!これ!こんなかんじでいいんだ!私はそう思った。子どもたちが障がいがあるとか、ないとか関係なく付き合えるようになったらいいのに...の第一関門を突破したような、そんな気持ちになった。  パン教室で一度会ったら、もうお友達。パン屋さんに買い物に行っても必ず覚えていてくれて子どもに声を掛けてくれるユミさん。まだ会ったのは2回目なのに「大きくなったね~」と。そんな雰囲気が面白くてたまらない。働いていても、ぷかぷかさんとの時間はなんとも心地がよかった。もちろん注意をしなくてはいけない場面もあったり、落ち込んでいるところを励ましたり、やる気がなくなったところをやる気になるようにお話したり、なかなか難しいところもあるのだけど、いい一日を過ごそうという高崎さんの言葉を思い出すと、楽しく終われるように、言い方を変えてみたり、色々工夫することができた。  お菓子工房で13ヶ月お世話になり、そしてパン屋に異動した。  パン屋からスタートしたというぷかぷか。私にパンの経験はなかったけれど、とても温かく楽しいスタッフさんばかりで、楽しく働くことができた。  工房とはまた違うぷかぷかさんがパン屋では働いている。ぷかぷかさんたちは、一週間ずっと同じ部署の人もいるし、週3はパン屋で週2は畑だったり、シフトは個人に合わせて異なる。テレビなどでもお馴染みのツジさんは毎日パン屋さんにいる。朝、店頭の準備をツジさんと行う。外販の準備のためパンに貼るラベルを出すのがツジさんのお仕事のひとつ。1番の食パンから、500番台まであるラベルの番号を全て暗記している。ツジさんとのやりとりはとても楽しい。ツジさんは何度か同じことを言って、4回目くらいにその言葉を途中で止める。そしてその先を相手に言ってもらうのが楽しいようで2020年お正月休み明けの一発目はこれだった。「キングヌー...キングヌー...キングヌー...キング??」こんな調子。2人で一緒に「ヌー!!」と言った。なんだか通じ合えたような気がした瞬間だった。ツジさんは何とも思ってないかもしれないだろうけれど。  次男の1年生のときの担任の先生がぷかぷかの近くに住んでいるそうで、よく学校の帰りに寄ってくれた。パン屋のレジに居ると、知り合いではなくても常連さんとは顔見知りになってくる。お客様との雑談もとても楽しくて、食パンの耳はどんな風に食べているか紹介しあったり、娘さんがぷかぷかのパンの耳で作ったピザトーストがないと機嫌が悪いというお母さんや、たくさんの人とお話をした。昔の知り合いにばったり出会ったり、パン屋のレジにいて本当によかったと感じる。  あるとき、担任の先生が来た。1年生のときの担任の先生と一緒に。ふたりは学校の人権担当だという。パン屋の私がいる目の前の椅子に先生ふたりと高崎さんが座り、打ち合わせをしていた。なんとも不思議な光景だった。小学校の人権研修をやりたいと高崎さんには前々から言われていて、校長先生にも一度お話はしたことがあったが、ぷかぷかのスタッフでありPTA会長である立場上、あまり強く推すことができずにいた。そんな中、近所に住んでいる1年生のときの担任の先生が、人権研修をぷかぷかにお願いしようと決めてくれたそうだ。やっとたくさんの子どもたちにぷかぷかさんたちを知ってもらえる機会を持てた。高崎さんからもどんな風な人権研修にしたらよいだろうか?と聞かれ、難しい話ではなく、歌ったり踊ったり楽しいのがいいのではないか?とお話した。  低学年と高学年に分かれ、2回講演する。低学年用にはまずボルトさんと大ちゃんの忍者ダンスから始まり、ツジさんの暗記しているふきのとうの朗読、大ちゃんの太鼓、ショウヘイさんのポケモンのお話。急に知らないぷかぷかさんが躍り出し、こどもたちが「ポカーン...」だったところに、先生たちが衣装を着て一緒に踊ってくれた。先生のそんな姿を見たことのない子どもたちは喜び、それはそれは盛り上がった。子どもたちは、一緒に踊りたい人いる?との声にどんどん前に出てきて踊った。  高学年はツジさんのふきのとうから始まり、忍者ダンス。一緒に踊りたいなんて言うかな?と心配していたけれど、たくさんの子どもたちが前に出ていった。ちょうどニンニンジャーの世代だったようでみんな楽しく踊っていた。PTA会長としては、学校の子どもたちの反応も気になるところ。また、子どもの発表会を見るような目でボルトさんと大ちゃんのダンスを見ていた記憶がある。2回の講演も大盛況に終わった。  その後、ぷかぷかさんの人権研修の感想というものが学校の廊下に貼り出されていた。  「障がいがある人は1人では何も出来ない人だと思っていたけれど、全然違った!」とか  「ふきのとうを暗記しているなんて、すごいと思った。」など、たくさんの子どもたちの感想が貼り出されていた。とてもポジティブなものばかりだった。そんな中、我が子の感想が面白かったと、担任の先生から聞いた。  「ママが働いているから何回か会ってるけど、障がいがあるとかないとか特になんとも思わない。俺にとっては普通のこと。」こんなような感想だったよう。「一歩先を行ってますね!」と先生は言ってくれた。とにかく、全校の児童に短い時間だったけれど、ぷかぷかさんを感じてもらうことが出来てうれしかった。  コロナウィルスの影響で、営業が自粛となり、ぷかぷかさんたちは自宅でお仕事をしていた期間、私も自粛となった。しばらくみんなに会えなくて、とても寂しかった。みんなのことが気になった。パン屋で働いているものの、パンは焼かない私。自粛期間にパンを焼けるようにして、パン屋でも力になれるようになりたい!と毎日パンを焼いた。オーブンも新しくし、シンプルなパンは焼けるようになった。お店で出してほしいパンを焼いて持っていき、みんなにOKをもらってお店に出してもらったりもした。ちなみにコロナ自粛中にパンのせいで増えた体重2キロは、まだ落ちていない。  営業が再開した。いつも通りとはいかず、毎朝行っていた朝の会はなくなり、各部門に出勤することになった。それでもぷかぷかさんたちはいつもとなにも変わらない。ツジさんのおしゃべりが始まると、いつもの光景が返ってきた!と嬉しくなる。コンちゃんのコキンちゃんがさつまいもを食べておならをして泣いちゃう話、アマノさんの猫舌だから味噌汁はフーフーしないと飲めない話、いつも当たり前だったこと一つ一つが、楽しくて仕方ない。  パン屋に異動してから、仕事終わりにボルトさんが訪ねてくるようになった。「文章、瞳さん専用」と書かれたA4のコピー用紙を半分に折って、ホチキスで留めたものに、文章を書いてくる。私はその文章を、ナレーターのように読む。その文章は、ボルトさんらしくて面白い。  「俺は◯◯だ!」から始まる文章は、プリキュアだったり、仮面ライダーだったり、そのページによって違う。仮面ライダーが堀北真希主演のヒガンバナというドラマに出てくる捜査七課に所属していて、地球を守るために修行をしていたり、時にはスーパーサイヤ人になっていたり、毎回ワクワクする文章を、週に3回持ってくる。ボルトさんは、仕事が終わってたくさんのぷかぷかさんがパン屋でお買い物をしている中、ずっと私の手が空くまで、パン屋で待っている。そして、完全にお客さんが引くと「文章、瞳さん専用」を持って近くにやってくる。誰にも迷惑をかけないように、ずっと待っている。そして私がナレーターのように文章を読み終えると、満足そうに帰っていく。  「続きはまた水曜日ね!」こんなやりとりをして見送る。他のぷかぷかさんも、仕事が終わってから他の部門で働いていた仲の良い人を待って、一緒に帰ったり、まるで学校の放課後のような時間を過ごしてから帰っているようだ。  ぷかぷかで働いている間に、私には色々なことが起きた。交通事故を起こし、みんなと日帰り旅行に行けなかったこと、瞼の手術をしたこと、ぷかぷかの目の前で雨の中転んで、ぷかぷかの隣の整骨院に通ったこと。交通事故のことを誰かに話すと、あっという間にみんなが知っている。会う人会う人「中村さん大丈夫なの?」と心配してくれる。何ヵ月も経った後に「もう目は良くなったの?」「もう転んだのは治ったの?」私がすっかり忘れていても、ぷかぷかさんは覚えていて心配してくれる。特にコウくんが、いつも優しく声を掛けてくれ、私を癒してくれる。  週に3日の月水金。楽しいぷかぷかさんと、温かいスタッフさん達がいるパン屋でのお仕事は、本当に楽しくて、このままずっとこうしてぷかぷかのスタッフとしてお仕事をしていくものだと思っていた。そんな中、別のところで社員として働くことが急遽決まった。自分の将来的なことを考えてのことなのだが、あまりに急な展開でなかなか踏ん切りが付かなかった。  一緒に働く大好きなパン屋の責任者に伝える日、心が痛くてたまらなかった。しかも、数日後にコンちゃんが辞めるというのが決まっていて、そのコンちゃんへの色紙を作る係りをさせてもらって、人が辞めると言うことがこんなにも切ないのに、自分が辞めるなんて言い出すことが本当に申し訳なく思った。7月31日、8月末で退職するために、この日に言うしかなく、大好きなパン屋の責任者のMさんに、重い口を開いた。Mさんはすごく困って、すごく嫌がってくれた。そこに隣の部門の責任者Iさんが現れ、一緒にお話をすると、Iさんもダメだと言ってくれた。考え直せないのか?と何度も言ってくれた。楽しくお仕事をさせてもらってるだけで、大した手助けも出来ていない私に、そういうことを言ってくれる人がいることがとてもありがたかった。明るくて面白くて、このお二人には人と付き合っていく上で、どうやったら相手が嫌な気持ちにならずに済むか、言いづらいことを言うときの言い方などを学ばせてもらった。ぷかぷかでは、楽しいぷかぷかさんとの出会いだけではなく、こうして素敵な方々との出会いがたくさんあった。プライスレスな22ヶ月だった。スタッフさんたちとは、連絡したら外で会うこともできるけど、ぷかぷかさんたちとはそうもいかない。たったの22ヶ月だったけれど、一緒に過ごしたことの思い出がありすぎて、なかなか心の準備ができない。ぷかぷかを辞めるということは、本当に身を切る思いである。  いくつもの会社を退社してきた。いままでのその経験の中で、こんな気持ちになったことはない。また会えばいいし、辞めてもSNSで連絡を取るのは簡単なこと。こんな風に悲しくて泣けてくる別れを経験するなんて、思ってもみなかった。  8/21、8月末で退社するスタッフの発表があった。ぷかぷかさんは仕事が終わると次々にパン屋にやってきて、声を掛けてくれた。「なんで辞めるの?」「辞めないで!」「中村が居なくなると嫌だよ」「今度はなんの仕事なの?」こんなにも声を掛けにきてくれる。私が辞めることを惜しんでくれる。本当にうれしかった。  いつもならもう来ているはずのボルトさんがなかなか来ない。やっぱり辞めると聞いて、落ち込んじゃったのかな?悲しんでいるかな?心配していると、少し肩を落としながらも微笑みながらやってきた。そして、お手紙とプレゼントをくれた。手紙を書いていたから遅くなってしまったらしい。手紙にはこんなことが書いてあった。  「いつもいつもいつもいつも僕のわがままを聞いてくれてありがとう。」と。他にも色々書いてあったけれど、それは私とボルトさんだけの秘密にしておく。読んだら涙が溢れてきた。ボルトさんの肩を借りて泣いた。ボルトさんとは、最初からたくさんの時間を過ごしてきたから、一番気がかりな人だった。この先「文章」を読んでくれる人は見つかるのだろうか?と思っていた。今まで何度も泣いているボルトさんを励ましてきた。泣くとすぐに鼻水が出てしまうボルトさんにティッシュを渡して鼻をかむように言ってきた。だけど私が彼の肩を借りてないて、顔を上げたそのとき、ボルトさんは泣いてなかった。  「すごく悲しいけど、僕は泣かないよ!」と微笑んでいた。  ぷかぷかで働けるのはあと4日。その4日間を大切に過ごしていきたい。
  • 事件に対し、どうして本気で怒らないのか。
    やまゆり園事件について考える講演会&シンポジウムの講師をされた方が、 「やまゆり園事件を受けて支援の現場が問われていることについて、支援職の当事者意識がやはり低い気がした」 とFacebookに書いていて、ちょっとがっかりしました。  「どうしてなんでしょう」という私の問いに 「「支援する、される」という一方的な関係が固定化することの危うさについて、あまり考えていないのかもしれません。「自分たちは、良いことをやっている」。自らを疑う機会が少ないのかもしれません。」 と書いていました。ま、それもあるかも知れませんが、そういう理屈っぽい話の前に、もっと単純に、事件に対して本気で怒ってないんじゃないか、と私は思います。  事件に対して本気で怒っていない。  それがあるから自分にとってあの事件はなんだったのかを本気で考えられないのではないか。どうして本気で怒らないのか。  私自身は  「障害者はいない方がいい」 と自分勝手なこといって19名もの人を殺してしまった事件は、もう信じがたいというか、黙ってられない気がしました。  それは私自身が日々障がいのある人たちに関わり、彼らといっしょにこの時代を、この社会を生きているからです。日々、一緒に笑い、いっしょにいい一日を作る仲間です。彼らは社会を耕し、社会を豊かにする人たちです。それは彼らとのフラットなおつきあいの中で見えてきたことです。  だから「障害者はいない方がいい」という言葉に猛烈に腹が立ったし、それを理由に障がいのある人たちを殺してしまうなんて本当に許せないと思いました。  悲しくて、悔しくて、腹が立って、事件について、もう書いて書いて書きまくりました。書いても書いても怒りが収まらない感じでした。怒りはエネルギーを生みます。そのエネルギーが事件に関して156本ものブログを書かせたと思っています。156本も書くなんて、やっぱり怒りが半端じゃなかったと思います。   支援の現場の人間が、自分にストレートにつながる事件だったにもかかわらず、どうして本気で怒らないのか。  多分、日々関わっている障がいのある人たちとの関係が薄いのではないか思います。支援する、という関係はあっても、相手と人として出会い、人としておつきあいする、という関係がないのではないか。だから怒りも湧いてこないし、事件を自分事としても考えられない。  障がいのある人と人としてつきあっていたら、事件は辛くて辛くて、他人事にはなりません。相手と人として出会う、というのはそういうことです。彼らと出会うと事件が辛くなるのです。  2016年10月の秋のマルシェで事件のことにふれながら辛くて辛くて私はみんなの前で泣いてしまいました。  障がいのある人たちと人として出会うことで、私たちもまた人になれます。だから事件が辛くなるのです。  息苦しい現代社会の中で失っていた人を取り戻すのです。ぷかぷかに来るとほっとする、という人が多いのは、そのせいです。  事件は、やまゆり園の現場の、障がいのある人たちとの関係の薄さの中で起こったのではないかと私は思っています。相手ときちんと人間的な関係が結ばれていれば、人として出会っていれば、相手を殺す、などといったことはあり得ないからです。  植松は、あの時、自分の中に人を見失っていた。人を見失うような環境だった。だから相手を殺すところまでいってしまった。いろんな思いがあっても、人である感覚は、一線を越えさせません。  支援の現場で必要なのは、この人としての感覚を取り戻すことだと思います。そのためには相手と人として出会うこと。そこからもういっぺん事件を見直してみる。あの事件は私たちにとってなんだったのか。  「障害者は不幸しか生まない」という言葉は、やまゆり園での障がいのある人たちとの関係の貧しさを語っています。不幸しか生まないのは、障がいのある人自身の問題ではなく、そこでの関係性の問題であることにどこまで私たちが気づいているのか、ということ。そこが今問われていると思います。  こんな舞台を見て、「障害者は不幸しか生まない」とは誰も思いません。彼らとどういう関係を築くのか、そこで何を作り出すのか、ということこそ大事な気がします。
  • 「共に生きる」って、彼らの生きる世界をいっしょに生き、いっしょに楽しむこと
    NHK Eテレ 先ほどの放送が、もうアップされていました。「映像」「文字と画像」が見られます。 www.nhk.or.jp  取材でインタビューを受けている時、突然フタミンがやってきました。 「明日からキャンプに行きます」 「え?いつ決まったの?」 「え〜と、さっき」 「誰と行くの?」 「みんなで」 「みんなでいったらお店はどうするの?」 「お店は、ふわふわって消えちゃうの。」 「え?消える?…そうか、このお店は魔法なのね」 「そう、だから消えちゃうの」 …と、突然始まるこういう話につきあうのが、すごく楽しいです。 「なにバカなこと言ってんの。さ、仕事仕事」 といってしまうのは、なんだか寂しいです。せっかくの話がもったいないです。ぷかぷかのお店が魔法のように消えちゃう話につきあう方が、人生、ずっと楽しくなる気がします。  「共に生きる」って、彼らの生きる世界を「リアルに」いっしょに生き、いっしょに楽しむことだと思います。  彼らの生きる世界を一緒に楽しめる感覚を持っているかどうか、ですね。その感覚は、私たちを自由にし、生きる世界を広げてくれます。何よりも人生が楽しくなります。「そうか、お店は魔法で、ふわふわって消えちゃうんだ」って、フタミンの世界に入り込んだ方が、絶対に楽しいです。  次の日になって、フタミン捕まえて 「あれ、お店消えてないじゃん」 「魔法使いがどっかに行っちゃったのかも」 という話が延々続きます。  フタミン。彼の生きている世界は、こんなに色鮮やか。         フタミンに描いてもらった絵を大事にしているスタッフもいます。         Eテレの記者の取材を受けるフタミン。絵の説明を受けるが、多分半分くらいはわからない。わからないまま、そのわからなさを楽しむのがコツ。   
  • みんなで日々笑い合っているうちに、事件を超える社会が
     相模原障害者殺傷事件4年目ということもあってか、今年はマスコミの取材がたくさん来ました。NHK、朝日新聞、共同通信、Eテレ、神奈川テレビ、赤旗などです。うれしいですね。障がいのある人たちといっしょに生きていく日々を積み重ねることで、地域社会を変えてきたことが評価されたのかなと思ったり。  いっしょに生きていく日々が地域社会を変えるなんて、全く考えていませんでした。考えていたのは、私の惚れ込んだ素敵な人たちにお店で出会って欲しい、ということだけ。  でも、出会う人が思いのほか多くて、知らないうちに地域社会が少しずつ変わっていました。それを教えてくれたのはNHKでした。  ぷかぷかさんがいないことで、街に彼らがいることの意味がかえってわかるんじゃないか、とコロナ禍で休み中のぷかぷかに取材に来ました。たまたま通りかかった近所のお年寄りの方に話を聞いたところ、ぷかぷかの大ファンで、ぷかぷかさんに会えないと寂しくて寂しくてしかたがない、ぷかぷかに来ることは自分の生活の一部です、とおっしゃっていました。  ぷかぷかに来る、言い換えればぷかぷかさんとおつきあいすることが生活の一部になっている、という話はすごくうれしかったですね。ぷかぷかさんとのおつきあいが、特別なことではなく、日々の生活の一部になっている、というのです。おまけに彼らは孫みたいにかわいい。道で会うと「こんにちは!」って大きな声で挨拶してくれて、すごくうれしい。一人暮らしのお年寄りの方の生活をぷかぷかさんは支えていたのですね。  相模原障害者殺傷事件を超える社会ができるのは遠い未来、と考えている人がほとんどです。でもぷかぷかのまわりには、事件を超える社会が、小さいながらも実現しているのです。  あーだこーだの難しい話なしに、みんなで日々笑い合っているうちに、事件を超える社会がぷかぷかのまわりにはできていたのです。  いつかそういう社会を実現させよう、とかじゃなくて、今日、彼らといっしょにいい一日を過ごす。地域の人たちも一緒に笑えるような一日を作る。そのことが大事じゃないかと思うのです。 いい一日を地域の人も共有 テレビ神奈川は「ぷかぷかさんと事件を超える」なんてタイトルでした。  そうそう、教育番組を作るために取材に来ていたディレクターの方が三日ほど来ていたのですが、ぷかぷかというのはどうもこの枠には収まりきらないですね。そんな枠をはみ出してしまう、もっと普遍的な価値を生み出してる気がします。機会があれば、そんなことをうまく表現できる番組を作りたいです、とおっしゃっていました。
  • テレビ神奈川とNHKの映像
     テレビ神奈川とNHKの映像、テレビ見ながらiPhoneで撮ったものです。よろしければここからダウンロードして見て下さい。相模原障害者殺傷事件という重い事件をどうやって乗り越えていくのか、ぷかぷかの提案です。 4.gigafile.nu ぷかぷかさんたちと「いい一日だったね」ってお互い思える日々を積み重ねることが地域社会を豊かにします。  二つの映像はそのことを語っています。
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