ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • あなたが生きていること、そのこと自体がすばらしい。
    NPO法人抱僕の発行する「ほうぼくサポーターかわら版NO.20に載っていた「THE FUTURE TIME 対談 後藤政文×奥田智志」はすばらしい対談でした。 http://www.thefuturetimes.jp/archive/houboku/index.html  中でもやまゆり園事件に関する奥田さんの見解は、あらためて頷けるものがたくさんありました。  社会の何があの事件を引き起こしたのか。  役に立つ人間なのか、という判断基準が頑としてこの社会にはあります。抱僕はホームレスの人達との関わりに中で、 「あなたが生きていること、そのこと自体がすばらしい」 といいます。役に立つとか立たないではなく、生きてることそのものがすばらしい、と。 「あの相模原事件の植松君にも会いに行きましたけども、あの植松君と会ってしゃべった時も、彼を全然擁護する、やったことを擁護する気はないけども、ひどいことをしてるわけですから、駄目なことは駄目だけども、やっぱりね、あの人の発想の中に時代の中で生きてきた人の感覚を見るんですね。彼だけが特異な異質なものじゃなくて、やっぱり時代の子だなと思うんですね、『意味がない命』とか言っちゃうのは」  私たちは、あの事件のあと、そういった問題を自分の問題としてどれだけ掘り下げたのだろうと思うのです。『意味がない命』と、ふと思ってしまったことはないのか? 「彼自身がたぶん言われてきたことであろうし言ってきたことなんだろうと。こっちの自分とあっちの自分は、どこか重なってるように、拘置所で会った時にすごく感じましたね。面会の最後に、『君は役に立たない人間は死ねというのか』といったら、そうだと言うから、『じゃあ君に聞くけども、君はあの事件の前、役に立つ人間だったのか』と聞いたらね、彼、ぐっと考えてね、『僕はあまり役に立ちませんでした』って答えたんです。その答えを聞いて、ああ、この人も、あの自分が発した『意味のない命』という言葉の中に生きてきて、その意味のない命なのかという問いの中におびえてきた1人なんだろうなって。だからといって、あんなことをするかといったら、してはいけないんだけど」  生産性という評価に私たちはどれだけ振り回されているのだろうと思います。そういう社会があの事件を生み出した、ということ。そのことの痛みをどれだけ私たちは自分事として感じたのか。 「ああいう犯罪が起きた時に、少なからず本人の資質もあるでしょうけれども、社会がある種、育ててしまったというか、育んでしまった思想や思考でもある。だから自分は無関係だとはいつも思えないんです」  どこかで植松を突き放していた自分。そうではないと、あらためて思う。  「たとえヒットラーであろうと、やっぱり時代が生み出していった面というのは、あると思うんです。彼だけが特異な存在。まあ特異ですよ。非常に特異だけど。でも、じゃあ全く同じ時代じゃない全然違う土地、時代、違う歴史の中に彼が生まれて、あの結果になるかというと、ならないんじゃないかなという。まあ何か、そのあたりでいうと、本当に社会のあり方をもっと考えないと非常にまずいところにきていると」  非常にまずいところにきている。この言葉の重さをしっかり受け止めていかないと、またあのような事件は起きる。実際、施設での信じがたいほどの虐待が事件後もずっと続いている。  「あの相模原の事件も、そもそも論として、命そのものには価値を見いだしてないんですよね。そこに生産性が伴うかとか、それが何を生み出したかというところに価値を見いだそうとしてる。だから、あの植松君も裁判の中で、ぺろっと、こんなこと言うんですね。『もし自分が歌手か野球選手だったら、こんなことしてない』って。要するに、今の自分には価値がないって彼は自分自身、思い込んでるわけで。生きてるだけじゃ駄目なんだと。だから、やっぱりみんなからちゃんと評価されるような、大谷さんみたいにならないと駄目だし。もしなっていたら、こんな事件してないと言うんですよ。そうなると本当に、あれヘイトクライムでも何でもない。彼のゆがんだ自己実現の中から起こっている事件なんですよ」  ゆがんだ自己実現が起こした事件。どうしてそこまでゆがんでしまったのか。そのゆがみに、私は関与していないのか。
  • 彼らがいることでみんなが生きやすい社会になります。それって、豊かで素敵なこと。
    パン屋に古い新聞の切り抜きがはってあります。やまゆり園事件から1年目にぷかぷかを取材し、書かれたものです。とてもいい記事なので紹介します。  一線は越えないにせよ、事件前から社会の中に「障害者は負担だ、お荷物だ」という考え方や「なんとなく嫌」という風潮はあったと思います。たとえばバスの中で障害者と乗り合わせた時「こっちに来ないで欲しい」と感じてしまったことはありませんか。  小学校の時から、障害の有無でわけられることが当たり前になっています。何かの機会がなければ、障がいがある人とおつきあいすることはなく、彼らのことはわかりません。ただ「なんとなく嫌だな」というイメージだけが一人歩きします。  措置入院や優生思想に関する議論ももちろん大事です。でも、それらが私たちの普段の暮らしとどれだけ接点がある問題かというと、とたんにボヤッとして「私には関係ない話」で終わってしまいます。大切なのは、日々の生活の中で関係性を作っていくことだと思うのです。  2010年、横浜市緑区の団地の商店街にオープンした「ぷかぷか」では知的障がいの人たちが40人ほど働いています。お店の運営以外に地域の人とぷかぷかさんが一緒に楽しめるパン教室を開いたり、地域の人とぷかぷかさんが一緒になって芝居作りをする演劇ワークショップをやったりしています。  そこでは、支援する側・される側という立場の違いはありません。「障害者への理解を」といった目的もありません。純粋に人間同士、ただ一緒に何かをする中で関係性が育っていきます。  事件の被告はどうだったのでしょう。障がいのある人ときちんと「人として」おつきあいしていたのでしょうか。障がいのある人達のことをよく知らないまま、ふくらんだマイナスのイメージが爆発して事件に至ったのではないでしょうか。  「ぷかぷか」のブログには、事件について考える投稿がたくさんあります。事件には憤りを感じます。批判したいこともたくさんあります。でも、批判しているだけでは新しい一歩を踏み出せません。前に進む。それが生きているということだと思います。  いつも発信しているのは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージです。「共生すべき」「差別はいかん」みたいな堅苦しいものではなく、「いっしょに生きていく方が人生お得だよ、楽しいよ」という感じです。  うらやましいほど自由だったり、あっという間に人の気持ちをほぐしたり。彼らはそうやって街を耕しています。彼らがいることでみんなが生きやすい社会になります。それって、豊かで素敵なことだと思うのです。
  • 画期的な条例ができるようですが…
    差別をなくし、共生社会を実現させるための画期的な条例が相模原市でできます。やまゆり園事件の起こった地元だけに、条例実現の思いは強いようです。 www.kanaloco.jp www.kanaloco.jp  「津久井やまゆり園事件を経験した市として、誰一人取り残さない、障害の有無などで差別されることがない、みんなが自分らしく地域でいきていける、多様性のある社会をつくっていきたい。」と相模原市長。 「事件を起こした施設の元職員は意思疎通のできない人間は社会に役に立たず、負担になるので殺害したと語った。元職員一人の問題ではなく、賛同する書き込みは交流サイト(SNS)で数多く流された。社会全体を覆っている優生思想は根深い。」と相模原市人権施策審議会会長。  「社会全体を覆っている優生思想は根深い。」と云われている中で、私たちに何ができるのだろう。 「人権侵害全般に対応するに当たって、勧告を行ってもやめない悪質なヘイトスピーチに対してはやはり罰則が必要」だとは思います。でも、罰則があれば人権侵害が起きないのかと云えば、決してそうではありません。  では、どうすればいいのか。やはり人権を侵害されがちな社会的に弱い立場の人達と人としての関係を丁寧に作っていくことだと思います。  ぷかぷかは街の人たちに障がいのある人達と出会って欲しいと思い、街の中に彼らの働くお店を作りました。たくさんの人達が彼らと出会い、「ぷかぷかさんが好き!」というファンまで現れました。  こういうおつきあいを丁寧に作っていくこと、それが人権を尊重する社会、差別のない社会を作っていくことにつながるのだと思います。  ぷかぷかは、障がいのある人たちといっしょにいい一日を作ることを日々の目標にしています。お互い「いい一日だったね」って言える日々をコツコツ積み上げていくこと。それは決してむつかしいことではないし、その気になれば誰にでもできることです。
  • 私なら全力で応援しますね。
    共同通信47ニュースにひどい話が載っていました。 www.47news.jp  「支援」という関係がどういうものであるか、その本質を如実に表しています。  相手に障がいがなければ、パイプカットしろだの、避妊リングしろだのと、普通はいいません。相手に障がいがあると、どうしてこんなことを平気で言うのでしょうか?  相手を人として見下す時、見下す側は人間としての荒廃が進みます。人間としての全うな感覚を失います。未だになくならない大規模施設での虐待も職員の人間としての荒廃が生み出していると思います。やまゆり園事件はその典型的なものです。  人間としての荒廃をどうやって食い止めるか。それは相手にしている障がいのある人達と人として対等につきあうことです。そうすることで、人間の回復を図ることができます。  先日近くの大学でぷかぷかさんと対等につきあう授業(すごろくワークショップ、演劇ワークショップ、一緒に絵を描くワークショップ、アート作品を鑑賞するワークショップなど)を4回ほどやりました。その時に学生さんの書いた感想文です。  彼らと人として出会うと、こんな言葉が出てくるのです。  「一緒にいるとあったかい 一緒ににいると笑顔になる」虐待をする福祉事業所の職員は、彼らといて、こんな風に思う時はないのでしょうか。 ぷかぷかさんと一緒に演劇ワークショップ  ぷかぷかさん達が結婚したいとか言い出したら、私は全力で応援しますね。子どもができたら、いろんな福祉と連携もして、みんなで育てていきたいですね。多分苦労が絶えないと思います。でもその苦労はみんなを磨きます。  子どもを軸に、みんなが幸せを感じられるような新しい関係がここから広がります。
  • 美帆ちゃんのこと忘れないよ
     今日のぷかぷかランチは美帆ちゃんの誕生日メニューでした。  やまゆり園事件で犠牲になった美帆ちゃんのことを忘れないためです。  「NHK19のいのち」には今年7月に更新した美帆ちゃんのお母さんの話が載っています。 www.nhk.or.jp  文中に「障害があってもなくても、誰もが生きやすい社会にすることが、亡くなった人たちが一番喜んでくれることなのかなと思います。」とありますが、ぷかぷかが目指しているのは、まさにそういう社会。誰もが生きやすい社会です。  ぷかぷかさん達と一緒に街の中で楽しいお店をやっていることも、区役所などで毎日のようにぷかぷかさん達と一緒に外販をやっていることも(先日瀬谷区役所で人権研修会をやった時は、外販に来るぷかぷかさん達の声を聞くと元気になる、という方が何人もいました)、近くの大学でぷかぷかさん達と一緒に授業をやっていることも、アートのワークショップや演劇ワークショップ、表現の市場をやっていることもすべて《誰もが生きやすい社会》を作っていきたいという思いからです。  先日の《表現の市場》を見に来た方が 「幸せな時間を一緒に楽しめて、ほんとうに心があたたかくなりました。」 と感想を書いていました。幸せな時間を一緒に楽しむこと、心があたたかくなること、そういったことが《誰もが生きやすい社会》を少しずつ作っていくのだと思います。そしてなによりも《美帆ちゃんのこと忘れない》。
  • 「表現の市場」は希望の表現
    先日の朝日新聞『折々のことば』 みんなが生きていてよかったと思える世の中に変えていきたい。簡単には実現しないでしょう。でも、希望を持たないのは怠惰です。     (澤地久枝)  11月27日(日)、7回目の『表現の市場』をやります。障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ、という思いを込めた舞台です。  いっしょに生きるとこんなに面白いものが生まれる、というメッセージ。ともに生きる社会を作ろう、と言葉だけで終わるのではなく、ともに生きる関係で作り出した作品をそのまま舞台に上げます。舞台はともに生きる社会そのものです。  ともに生きる社会はこんなにも豊かなものを生み出すのです。  6年前のやまゆり園事件の犯人は「障害者はいない方がいい」などといい、それに共感する人がたくさんいました。全国各地で発生している障害のある人達のグループホームに対する反対運動は、「自分の住む地域に障害者はいない方がいい」といってるわけで、やまゆり園事件と地続きにあります。精神障害の人達のグループホームの近くにある幼稚園では、警備員を雇い、常時警戒しているという話も聞きました。「精神障害の人は怖い」というイメージが、小さな子どもたちの中に入り込んでいきます。その子どもたちは、将来どんな社会を作っていくのだろう、と心が冷え冷えとしてきます。  障がいのある人達を排除した社会は、排除した分だけ社会が許容する人の幅が狭くなり、お互いが息苦しくなります。  障がいのある人達も含め、みんなが生きていてよかったと思える世の中に変えていきたい。6年前のあの悲惨極まる事件を二度と起こさないような社会を作りたい。そのために私は彼らと一緒に舞台に立ち続けようと思っています。  舞台と同じような世界を社会の中で広げていくのは簡単ではありません。  それでも希望を持っています。舞台でこれだけのことができるのだから。「表現の市場」は希望の表現でもあるのです。 www.pukapuka.or.jp
  • 第7回表現の市場をやります。
     11月27日(日)横浜線長津田駅前のみどりアートパークホールで第7回表現の市場をやります。  みんなの表現が舞台で爆発します。「私たちはここにいるぞ!」「ここでこうやって生きているぞ!」という力強いメッセ−ジ。そのエネルギーは社会を変えるチカラを持っています。  彼らのエネルギーはもっともっと社会に生かした方がいい。生かさないともったいない。生かすことで、社会は変わっていく。障がいのある人もない人もみんながもっと生きやすい社会に。  あの忌まわしいやまゆり園事件から2年目。表現の市場を見に来た人がこんなことをおっしゃってました。  《 事件のあと、みんな障害者を「守る 」と言っているけど、結局は「囲い込む」わけで、彼らを「生かす」なんてことは全く考えていない。それを考えると、表現の市場でやっていることは彼らを全面的に生かすというか、積極的な「攻め」ですよね。それがいいと思っています 》  攻め、というか、彼らと一緒に新しい物語を作ること、一緒に舞台に立つこと。そして、何よりもこういったことを続けること。  そのことが、あのような忌まわしい事件が二度と起こらない社会を作ることにつながると思っています。  ああだこうだ批判するだけでなく、彼らと一緒に本気で新しい社会を作っていく。そのことが大事だと思っています。  今回参加するのは「あらじん」「はっぱオールスターズ」「シーホース工房」「みんなでワークショップ」です。 あらじん 和太鼓あらじんは横浜市鶴見区知的障害児者親の会「ひよこ会」の余暇グループとして2003年に活動を開始しました。まもなく20年目を迎えます。メンバーは大好きな太鼓を大好きな仲間と演奏するのが大好きです。 www.youtube.com   はっぱオールスターズ  第1回より参加させていただいております。グループのモットー、「なんでもOK!」 の通り、様々なジャンルのパフォーマンスにチャレンジしています。今回は、この世 の全てのものに感謝の気持ちを捧げるあの南国のダンスを披露いたします。衣装にも ご注目を! www.youtube.com シーホース工房 シーホース工房はSeahorse Covoとも表記します。Covoとはイタリア語で「隠れ家」意味します。竹林を整備し、間伐した竹で楽器や道具を作り、それを使って紙芝居ミュージカルという独自の表現活動を展開する。障がいのある人もない人も共に集うみんなの隠れ家であり、居場所なのです。自然再生、ものづくり、表現活動を三本柱に活動しています。NPO法人2年生のフレッシュな団体です。 www.youtube.com  みんなでワークショップ  NPO法人ぷかぷかが毎年企画し、ぷかぷかで働くぷかぷかさんと地域の人達が一緒に芝居作りをしています。月一回集まり、6ヶ月かけて作った芝居を舞台で発表します。今年は『銀河鉄道の夜ーぷかぷか版』です。 www.youtube.com
  • たまこ焼ぎ
     おひさまの台所のショーウインドウでこんなラベルを見つけました。  なんだか楽しくなるようなラベルです。ぷかぷかでは、こういうの見つけると 「あっ、おもしろい!」「いいねぇ、すごくいい」 と、そのまま店頭に並べます。ラベルを見た時の楽しさをお客さんと共有したいからです。そういうことが、彼らといっしょに生きていく社会を作っていくことにつながります。 このラベル見て、  「それまちがってるじゃん」 と指摘するのは正しいことではあるのですが、その正しさを押しつけるよりも、このラベルをみた時の、なんかこう心がゆるっとするような楽しさを大事にした方が、お互い生きることが楽になるように思うのです。  このラベルは私たちのガチガチになった心をほぐしてくれます。彼らは私たちの社会に必要な人達なんだと、このラベルを見ながらしみじみ思うのです。    買い物に来て、こんな楽しいラベルに出会い、なんかホッとした気持ちになって、こういうことって大事だよね、って思う人が少しずつ増えていってくれるといいなと思っています。
  • 演劇ワークショップを続ける理由
     いつも元気で楽しい舞台を作り続けている演劇ワークショップですが、経済的には運営がかなり厳しいところに立たされています。  演劇ワークショップをやるには、講師料とか、会場費とか、大道具や小道具を作ったり、いろいろお金がかかります。お金はかかるのに、収益は生まないので、どこかでお金を調達する必要があります。それで助成金を申請しているのですが、すべての経費をまかなえるわけではありません。なので、赤字が出ます。今まではぷかぷかにその穴埋めをしていただいていましたが、ぷかぷかも資金が潤沢にあるわけではないので、今年はもう自分でその赤字分を穴埋めするしかないなと思っています。  赤字分を自分で穴埋めしてでも演劇ワークショップをやるのはどうしてなのか。  いちばんの理由は、ぷかぷかさん達と一緒にやる演劇ワークショップは、とにかく半端なく楽しいからです。演劇ワークショップの場は、日常生活の場より、もう少しお互いが自由になれます。この、みんなが自由になれる、というのが演劇ワークショップの場のいいところです。  みんなが自由になれるので、私たちとは少し違う、彼らのものの考え方、ひらめき、想像力などが、ふだんの暮らし以上に楽しめます。違いをそのまま作品に生かすことができます。だから今までにないおもしろいものが生まれます。  下の写真、この場面はお祓い棒を掲げているぷかぷかさんが場の雰囲気を一人で作っています。「お許しを!」を謝っているのは地域の人。こんな場面が自然にできてしまうのが演劇ワークショップのおもしろいところ。こんな場面に出くわしてしまうと、もうやみつきになってしまうのです。   こんな楽しさの中で、彼らに対し  「あなたがこの場に必要」「あなたにここにいて欲しい」 と、素直に思えるようになります。そう思える関係が自然にできます。障がいのある人達を排除することの多いこの社会にあって、そんな風に思える場があることはとても大事です。ここから彼らを排除しない社会が始まります。  「あなたにいて欲しい」と思える関係の中で作り上げた芝居には、彼らと一緒に過ごすことで生まれる楽しさ、面白さがてんこ盛りです。なので、その芝居を見ると  「彼らとはいっしょに生きていった方がいいね」 と、理屈抜きに思えます。  何よりも彼らといっしょに生きると何が生まれるかを、目に見える形で表現します。「ともに生きる社会」を作ろう、というかけ声だけはたくさんありますが、ともに生きると何が生まれるのかまで示しているところはなかなかありません。ともに生きる場、ともに生きる関係を作り切れていないからだと思います。  演劇ワークショップは舞台の上で、彼らといっしょに生きると何が生まれるのか、その豊かな世界を目に見える形で示します。小さな「ともに生きる社会」が舞台の上で実現しているのです。いや、舞台の上だけではなく、演劇ワークショップの場そのものが「ともに生きる社会」をすでに実現しています。  演劇ワークショップに参加するために毎回栃木から新幹線に乗ってやってきた方がいました。その方の感想 「みんなすごく素直で、思ったことをストレートに表現するから、リアルで人間味があってとても魅力的に思えて、私はぷかぷかさんの大ファンになっていました。私にとってそこは自然と笑顔になれる場所で、優しい空間でした。そんな彼女、彼たちと一緒に立った舞台。やり切った感、ハンパなかった。ぷかぷかさんたち一人ひとりとふれあった思い出が頭の中で駆け巡り、みんなで頑張った喜びと終わってしまった寂しさとが複雑にからみあって、舞台が終わってからの反省会、涙がこぼれ落ちてしまいました。」  涙がこぼれ落ちたどころか、号泣でした。ぷかぷかさんとおつきあいしたことが、号泣するほどの気持ちを生んだのです。そんな関係ができてしまうのが演劇ワークショップという場のすごいところです。  栃木から新幹線に乗ってやってきて、舞台に立つ。  「障害者はいない方がいい」と暴力的に障害者を排除したやまゆり園事件から6年。障害者のグループホームを建てようとすると反対運動が起こったり、施設での虐待が止まらない社会は、事件と地続きにあります。  障がいのある人達を排除する社会は、社会の幅が狭くなり、お互いが息苦しくなります。彼らがいることの豊かさが失われ、社会は痩せこけていきます。  そんな社会にあって、私たちに何ができるのか。  やっぱり、 「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」 と言い続け、彼らと一緒に生きる豊かさを様々な形で作り続けようと思うのです。  やまゆり園事件というとんでもないものを生み出してしまった社会。そんな社会を作ってしまった責任を、やはり感じるのです。こんなことが起こるまで社会に対して何もしてこなかった責任です。  だからこそ、赤字分を自分で穴埋めしてでも、演劇ワークショップは続けていこうと思うのです。私なりの責任の取り方、というか…
  • 『梅切らぬバカ』上映会とトークイベントの報告ー相模原障害者殺傷事件から6年目(その8)
    『梅切らぬバカ』を上映し、映画を手がかりにやまゆり園事件のような悲惨極まりない事件を起こさないためにはどうしたらいいのか、私たちに何ができるのか、といった話し合いをしました。 まずは監督の話 www.youtube.com 続いてみんなで話し合い(舞台を向いたカメラと客席を向いたカメラの映像約4時間分を40分くらいにまとめました) www.youtube.com  話し合いの中で紹介しましたが、『梅切らぬバカ』上映のために、ぷかぷかさん達が描いてくれた絵。  映画のチラシにあった写真をモデルに描いたものですが、なんともいえない味があります。見る人の心を暖かいもので満たしてくれます。これが彼らのチカラです。こういったものを見つけ出し、いい形で発信すること。それはこんな絵を描く人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ、というメッセージです。それがやまゆり園事件のような悲惨な事件を二度と起こさないために、私たちにできることの一つだろうと思います。 ●参加した人達の感想。 ・今まで障害者を扱った映画たくさんありましたが、この作品はとても現実に近い、障がいのある子どもを持つ私たちが直面したり、これからするであろうことを表現されており、とても感銘を受けました。今までの中で一番よかったと感じました。子どもの父親は子どもから逃げてしまいましたので、私の将来もこんな感じかなと考えさせられました。 ・監督の思いを生でうかがえてよかったです。会場のみなさんのコメントも聞くことができてよかった。自宅で映画を配信で見るのではなく、会場でみなさんと一緒に共有できたこの時間が持てたことに感謝です。 ・日本中、どこでもあるあるの物語。希望を予感できるエンディングにホッとしました。突破口は、正直に生きることでしたね。障害者、子ども、女、男…、相変わらず伸びている梅の木の下をみんなで同じ格好で通るシーンが印象的でした。 ・こういう事件は、きっとどこでも起こっていることだと思います。「安全で、静かに暮らしたい」地域の人。加害者とされる障害者の家族も同じ思いで生きている。障害者の言動の意味を知らないことから起こる誤解。知ることから始まるのだと思います。ハッピーエンドで終わらなくて、かえってよかったと思う。日常は続いていくもの。 ・アメリカ映画のように、善と悪を巡ってどんどん破壊し、最後は勝ち取るという映画とは別で、絵画のように思いを巡らす映画でした。余計なセリフがないのもよかった。 ・『梅切らぬバカ』の映画の生まれた背景を知ることができてうれしかったです。あくまで忠さんの視点や日常を大切にされているとのことで、とってもその意味を感じることができました。また、身近に障がいをお持ちの方がいらっしゃる方やご家族のお話を聞くことができ、価値ある時間を過ごさせていただきました。視野が広くなったように感じました。 ・どうしてかわからないのですが、終わったあと涙がたくさん出てきます。 ・違いを面白がる世界になっていくことを願っています。会場にリアルに障害者さん、家族の方がいらして、こういう上映会がいいと思いました。 ・自分たちと重なる部分がたくさんありました。娘と一緒に見たかったです。あんな母親に少しでも近づけたら、とちょっと反省しました。 ・物腰の柔らかい監督の映画に対する思いの話に引き込まれました。また、学生さん、先生、事業所の方々の感想を伺い、今の私に何ができるのか、問う時間となりました。何ができるのか、今はわかりませんが、日々生活していく中で、心の目を開き、ともに生きていきたいと思いました。 ・知らないと近寄りたくない、関わりたくない、排除したい。知ると、関わると、一気に気持ちが近くなる、つきあいたくなる。シンプルで、とても簡単なことなのに、難しいのはなんでだろう。 ・これからどうなるのかと余韻を残して考えさせられます。 ・このあとどうやってまわりや近所への理解をしてもらうのかを見てみたい。きっときっと理解は難しいですが、グループホームを作ることさえむつかしいという部分をもっと表現してもらいたい。 ・地域の理解も、人それぞれの考え方があるので、批判する人もいるのも当たり前だと思う。身近に障がいのある人がいる人は抵抗ないと思いますが、現実的にはなかなかむつかしいと思います。 ・若い人の意見、頼もしい。エピソードがいろいろ聞けて、映画だけでなく、トークイベントも聞けてとてもよかった。 ・忠さんみたいな人は近くに来たら、そりゃ、よけます。それは知らないから。 (これはタカサキが「忠さんみたいな人が隣に住むことになったらどうしますか」と質問し、それに対する正直な答えです。だからこそ、お互い知る機会を作ることが大切だと思います。お互いのことを知ることで、人生の幅がグンと広がります。だから、いっしょに生きていった方がトク!) ・もしお隣に…、同じ状況に…と、考えました。自分を、世の中を振り返るきっかけになりました。 ・障がいがあってもなくても、人と関わろうと思ったら、その人のことを知らないといけないと思った。隣人の家族が変わっていくきっかけが多くあったと思うが、その時の家族の心情がわかってよかった。 ・自分の経験と重ね合わせて映画を見た方々の感想はとても貴重で、聞けてよかった。同時に、自分は知らないことがたくさんあると感じた。参加できてよかったです。 ・ご近所同士、最初はうまくいかなかったが、忠さんのおかげで仲良くできた。障害者を通してつながりができたことがすばらしかった。 ・地域の理解がとても大切だと思った。考えさせられました。 ・引き込まれて、楽しく拝見しました。忠さんがグループホームに入って戻ってくる短い間に、それぞれの登場人物が、ある人は大きく、ある人はほんのちょっぴり変化していった様子がよく描かれていて、とてもよかったです。 ・自閉症の特徴がよく表現されていて、それぞれの理由があって行動してしまったことがわかり、とてもよかったです。ちょっと笑えるところも、おもしろかったです。 ・孤独と物欲の狭間。境界線を引かず、折り合って生きることの意味に胸打たれました。 ・悪い意味ではなく、グループホーム桜の家の解決があるかな?と期待したけど、現実は中々厳しいから、、ストーリーとしてこれが一つの答えかも知れないと思いました。 ・我が家にもグループホームに暮らす子どもがいるので、他人事と思えず、身につまされました。希望の光が見える。でも、無駄に明るくない終わり方で、ホッとしました。 ・トークイベントはとても勉強になりました。特に父親の関わりについての質問が鋭くてよかったです。 ・忠さんと向き合った隣人は少しずつ変化があったところがゆったり描かれていて、そこがよかったです。GHの反対運動になってしまう人びとと、お隣さんの違いってなんだろう、と考えさせられました。 ・「人は知らないものに対して恐怖を感じる」ということが、よく表れていると思った。障がいについて理解が深まる場がもっと増えて欲しい。また、グループホームに対して「迷惑だ」といっている人がいた。その人は誰にも迷惑をかけていないのだろうか。人が人と生きていくためには、それを自覚することが大切だと思う。 ・当事者の方のお話を聞かせていただいて、より、障害者と生きていくことについて考えさせられた。 ・ほんとうのこと、考えなければいけないことがたくさん描かれていて、障がいに対して興味のない人、知らない人にも見てもらいたいと強く思った作品でした。TVでも繰り返しやって欲しいですね、トークも含めて。 ・よい意味で日常の身近なストーリーでした。もっとドラマチックな展開、美化されたものがありがちですが、そうではなかったのでおもしろく、想像もしやすく、身近に感じられ、思うところがたくさんありました。忠さんのよさをいちばん知っているお母さんの地域の人達との接し方、忠さんのことの伝え方がとてもいいと思いました。 ・母が最後は見るというラストに、お母さん役の加賀さんが母としての振るまいをアレンジされ、ぐっと身近な場面になったのですね。映画というものは監督のメイキングエピソードを聞くと内容がもっと深まるというご意見、本当にそうですね。 ・障害を持っている方の生きづらさを感じ、胸が苦しくなりました。 ・映画作成の背景を知ることができ、おもしろかったです。いろんな感情があった映画だと思いました。 ・障害者を演じる方はすごいと思いました。 ・主人公の忠さん、隣人の男の子とお父さん、お母さんの仲がだんだん深まっていく描写がとても印象に残りました。しかし、ポニーを飼育する人、自治会長さん達が最後まで忠さんと分かち合えなかったところがリアルで、隣人家族と対比しているなと感じました。 ・映画に込められた思いや実際の障害者を見る目がどのくらいなのかと、障害者の方達との関わり方や障害者の子を持つ親の世間に対する思い。現実に目を向けるよいきっかけでした。また、障害者の方々のチカラや本来持っているよさを感じられるトークイベントでした。 ・ぷかぷか上映会に参加できてとてもよかったです。また、映画の感想など、いろんな方々の意見を聞けてとても有意義な時間でした。 ・でんぱたと乗馬クラブの関わり、エピソードを聞くことができ、よかったです。 ・障がいのある人達と、よい一日を淡々と積み重ねる営みが、相模原事件を繰り返さないことにつながるのだということをたくさんの人と共有したいです。 ・監督がこの作品を作る過程や思いがわかって、よかったです。いろいろな考えや思いがあって、とても考えて作られた作品なのだと思いました。いろいろな方の思いや考えが聞けて、とてもよかったです。 ・簡単に地域との関係が改善されぬこと、訴えかけるもの、リアリズムを感じました。地域との共生はむつかしいですね。でも優しい社会になって欲しい。そんな気持ちがしました。 ・5080問題や地域との関係がリアルでした。あのあとどうなっていくのか、続きを見たいという余韻がありました。お母様の切ない気持ちを考えながら見ていました。 ・学生さん、保護者、施設の支援者など、様々の方の話が聞けて、考えさせられました。障がいのある人達への理解が広まることで、みんなが幸せに生きていけるようになるとよいと願っています。 ・グループホームや地域住民との関わりについて、考えさせられました。子どもと見に来ましたが、どう思ったのかを少しずつ聞いてみようと思います。 ・現実的にあることで、ほんとうに感動しました。我が家でもあることなので、泣いてしまいました。 ・他者との共存は己を知ることにつながると思います。知ることは尊重することになり、自分も大切にすることかなぁ、と考えています。方向性の違いを思いやる想像力で補いたいです。 ・「人間」をとらえ、描いている映画と思いますが、深み、突っ込みが方が浅く感じました。グループホーム反対ののぼり旗が立つ、その背景にある「差別」や様々な感情が、人間の奥深い中に誰でもが持っているものを表現できたらよかった。 ・お母さんのような存在の人がたくさんいるといいなぁ。 ・ドキュメンタリーとドラマが混合されたような感じでした。 ・加賀まりこさんと塚地武雄さんの出演で鑑賞となりまして、『梅切らぬバカ』という上映していましたので、髪と爪を切らせている加賀さん、グループホームに暮らし、馬が好きになった塚地さん、その他の出演者を見てよかったです。
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