ぷかぷか日記

そうすれば社会はもっともっと元気になる気がします。

土曜日にボランティアに来られた方の感想です。

fuku0509.hateblo.jp

  すごく緊張して見えたようですが、そんな心をぷかぷかさんたちはすぐにほぐしてくれたようです。このあたりがぷかぷかさんのすごいところです。

 

 以前やまゆり園事件の遺族の方が見えたことがあったのですが、そのときも、私はどんな言葉をかけたらいいのかわからなくて、「こんにちは」の後に続く言葉が出てこなくて本当に困りました。そのときも近くにいたぷかぷかさんたちが

「どこから来たの?」「お名前は?」

と矢継ぎ早に聞き、遺族の方の顔がみるみるほぐれました。

 ひとことで、深く傷ついた人の心を癒やしてしまったのです。

 こういうことは私たちには絶対にできないことです。そういうチカラをぷかぷかさんたちは持っているって、なんかすごいじゃん!て思うのです。

 彼らのそういうチカラをいろんなところでもっと生かした方がいい、そうすれば社会はもっともっと元気になる気がします。

人を殺した人間も教育によって、あるいは出会いによって立ち直れると信じられるかどうか

 やまゆり園事件の被告に対する死刑について書いたブログに知り合いの弁護士がコメントをくれました。

 

《 人を殺してはいけないと言いながら、死刑制度を認めるのは、論理矛盾です。ただ、今の刑法や世論は理屈ではなく「応報(目には目を)」という原始的な感情論に基づいています。 》

 

 原始的な感情論を超えるにはどうしたらいいでしょう。

 

《 応報の反対観念が「教育」で、その前提には「性善説」があります。人を殺した人間も教育によって立ち直れると信じられるかどうかです。 》

 

 映画『プリズンサークル』のホームページには「処罰から回復へ 今、日本の刑務所が変わろうとしているー」とあります。

prison-circle.com

 

 やまゆり園事件の被告にこそ、こういう形で、自分が起こした罪としっかり向き合う時間が必要ではないかと思います。

 『プリズンサークル』で紹介されている刑務所では

《 ここの真の新しさは受刑者同士の対話をベースに犯罪の原因を探り、更生を促す「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」というプログラムを日本で唯一導入している点にある。なぜ自分は今ここにいるのか、いかにして償うのか? 彼らが向き合うのは、犯した罪だけではない。幼い頃に経験した貧困、いじめ、虐待、差別などの記憶。痛み、悲しみ、恥辱や怒りといった感情。そして、それらを表現する言葉を獲得していく…。》

とあります。これが「処罰から回復へ」です。

 

 極端な話ですが、被告がぷかぷかへ来て、ぷかぷかさんたちと出会うことができたら、「回復する」ということが十分あり得ると思ったりするのです。

 ぷかぷかさんとの出会いの中で、「障害者はいない方がいい」のかどうか、「障害者は不幸しか生まない」のかどうか、きっちりと考えてもらうのです。

 ぷかぷかさんとの出会いは人を変え、社会を変えて来ました。被告がぷかぷかさんと出会うことができたら、彼は間違いなく変わります。

 

 こんな風に人はぷかぷかさんと出会います。

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  裁判での被告の言葉を聞いて、事件を起こした当初と考え方が全く変わっていない。更生の見込みが全くない。だから死刑にするしかない、と社会の多くの人は考えています。被告の考えが変わる環境にいなかったことが全く考慮されていません。

 このまま彼が死刑になるなら、社会は自らの回復の機会をまた一つ失うことになります。 

 

「人を殺した人間も教育によって立ち直れると信じられるかどうか」ということです。そこを信じられるとき、社会は前に向かうのだと思います。

 

社会は死刑の執行に際し、死刑囚は「生きるに値しない」と宣告しているのではないか、という問題

 やまゆり園事件の裁判で、死刑が求刑されていますが、死刑になると、事件で問われたものが、全てそこで終わってしまいます。それはまずいんじゃないか、と思っていましたが、それだけではすまない問題に気づかされました。

 

3月13日(金)の神奈川新聞は

《 相模原殺傷 死刑判決回避を市民団体要請 》

と「リメンバー7.26神戸アクション」の「私たちは事件の被告人を死刑にすることに対して、一同強く反対しています。」というメッセージを紹介していました。

 

①われわれ障害当事者と関係者らが求めることは、あくまでも被告人の反省と真摯な謝罪である。しかし、死刑はそのための時間と機会を永久に奪ってしまう。

②社会の秩序を乱す邪悪な存在として被告人のいのちを抹殺することは、障害者を「不幸しか作らない」存在とみなし殺害した彼の優生思想的考えにそのまま重なる。殺して良いいのちというものを認めることは、被告人の思想を肯定してしまうことである。死刑判決は、社会を覆う優生思想をさらに強化するものである。

③この事件がすべての人に問いかけている課題の大きさ重さは計り知れない。私たちはこのような事件が再び起きないよう、またこの事件が引き起こされた背景の社会を造り変えるよう、一丸となって努力を重ねていかなければならない。しかし、被告人の死刑は、人びとから事件の幕引きと受け止められ、風化と忘却が急速に進む結果をもたらしてしまう。

 

www.kanaloco.jp

 

 3月14日(土)の神奈川新聞はこの問題をさらに深掘りしていました。

 トップページの「やまゆり園事件考 死刑と命①」には遺族の方の割り切れない思いを載せていました。

 死刑を望みながら、「若者に死刑を求めた。その十字架は一生背負わなくてはならない」  その苦難を引き受ける覚悟も同時にあった、と。

 何というすさまじい覚悟か、と思いました。お姉さんの命を奪われ、その辛い思いの中で、「十字架」という苦難を引き受ける覚悟をされたのではないかと思いました。

 これはずんと響きました。私の中で全く抜け落ちていた問題だったからです。あまりに安易に被告の死刑を語ってきたと思います。

 

 論説のページには、障害者差別の批判の延長に「死刑制度の廃止があるべき」と語る社会学者のインタビュー記事があって、この問題をわかりやすく語っていました。

 《被告は重度障害者は「生きるに値しない」と決めつけ、19人を殺害した。では、死刑はどうか。社会は執行に際し、死刑囚に対して「生きるに値しない」と宣告しているのではないでしょうか。》

 《被告を死刑にすることは、彼の考えを部分的ではあれ、認めてしまうことになるのではないか。パラドックスをはらんでいます。》

 《やまゆり園事件では、障害者差別は明確に批判されているけれども、世論は死刑ありき。そこで思考を停止させている。「生きるに値しない生命」はあるのか、それがこの事件が突きつけた核心で、それに私たちが「ない」と言い切らない限り、被告を裁いたことにならないし、「ない」と言うなら、死刑制度そのものについても考え直すべきでしょう》

 

 全くその通りだと思いました。事件の障害者差別を批判しながら、死刑制度の廃止にまで思考が至らなかったことを恥ずかしく思いました。

  そこまで視野に入れながらの批判でないと、底の浅いものになってしまいます。今回の事件は、図らずもそのことが露呈したしたのではないかとインタビュー記事を見ながら思いました。

 

 「リメンバー7.26神戸アクション」のメッセージは、この問題にきちんと向き合おうとしたものでした。神奈川の障害者団体も、このようなメッセージを出しているのでしょうか?

 

 明日判決が出ます。おそらく死刑の判決です。それはだめだと、今まで以上に言っていかなければいけないと思います。

 

www.kanaloco.jp

 

どんな判決が出ようと、私たちはひよりちゃんたちと一緒に生きていきます。

ひよりちゃんがご飯を食べに来ました。そばにいるだけで幸せな気持ちになります。

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  人を幸せな気持ちにさせる、というのは、すごいチカラだと思います。生産性の価値基準では語れないチカラであり、その人がいることの意味であり、価値です。

 そういうチカラを持った人があちこちにいることが、街の豊かさではないかと思います。

 いつだったかぷかぷかの上映会の感想に、

 「ぷかぷかがあることが街の価値を高めている」

と感想を書いてくれた方がいましたが、ぷかぷかさんたちのチカラをちゃんと見ている方なんだと思いました。

 「街の価値」という言葉が素晴らしいと思います。そういうものをぷかぷかが作りだしている、ということ。

 

 都筑区のグループホーム反対運動では、反対理由の中に

「障害者のグループホームができると土地の価値が下がる」

というのがありましたが、正反対の評価です。

 この差はなんなのか。

 結局のところ、当事者の人たちといい出会いをしているかどうかだと思います。

 私は街の人たちに障がいのある人たちに出会ってほしいと思ってぷかぷかを街の中に作りました。たくさんの人が彼らと出会い、たくさんのファンができました。

「ぷかぷかがあることが街の価値を高めている」

という言葉も、その出会いの中から生まれてきたのだと思います。

 

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 人を幸せな気持ちにさせるような人は、街の宝だと思います。宝は大事にしたいです。

「障害者に税金を使う意味があるのか」

という意見もありますが、それに対しては

「意味があります」

と自信を持って言いましょう。

 そのためには、彼らと一緒に生きる事で私たち自身が豊かになったことを実感することがまず第一です。そのことを外に向かって発信しましょう。街が豊かになったことも。

 さらに、彼らと一緒に生きることで社会を豊かにするものをいっぱい作りましょう。

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 ひよりちゃん、真ん中で頑張っています。

 

 「障害者はいないほうがいい」ではなく、こういう人とはやっぱり一緒に生きていったほうがトク!なのです。

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 やまゆり園事件の判決がもうすぐ出ます。

 どんな判決が出ようと、私たちはひよりちゃんたちと一緒に生きていきます。

「相手からも学ぶ」という双方向の関係を取り戻す

こんな投書がありました。

 

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 数日前、やまゆり園事件の裁判の記事では被告の証言としてやまゆり園での対応が載っていました。

 

 「口調が命令的。人に接するときの口調じゃなかった。」

 「人として扱っていないと思った」

 「食事は流動食で、職員は流し込むというような状況。人の食事というよりは流し込むだけの作業に見えた」

 

 

 相手をしている障がいのある人たちを「見下している」のは、どこの福祉事業所でも同じなんだと思いました。どうしてこういうことになるのか。

 二つに共通しているのは「支援」という上から目線の関係です。相手がいろいろできないからやってあげる、という一方的な関係。

 上から目線の関係は、時には相手から何かを学ぶ、という謙虚さがなく、お互い学び合う、といった双方向の関係にはなりません。いつも一方的。私=「できる人」「やってあげる人」、相手(障がいのある人)=「できない人」「やってもらう人」という関係が固定されています。

 「できない人」といわれている人たちも、よぉくつきあってみると、できることがいっぱいあります。私たちにできないことが、ものすごくできたり、といったこともあります。そういうことを見つけ、お互い成長していくのが、双方向の関係です。

 

f:id:pukapuka-pan:20200218053305j:plainこんな絵は私たちに描けません。

 

 障がいのある人たちは、確かに、できないことが多いです。でも、一方で、私たち以上にできることも多いのです。だから一緒に生きていると楽しいし、そこから新しいものが次々に生まれるのです。

 要は、そういうものを相手の中に見つける目を持っているかどうかです。

 自分たちの方ができる、という思い込みは、謙虚に相手を見る目を奪います。できないことばかりが目に入って、こいつらどうしようもない、と更に見下していきます。

 

 風通しの悪い、閉鎖空間で相手を見下すことが日常になると、相手を人として見ることができなくなります。

 「殴っていい」

 「人に接するときの口調じゃなかった。」

 「人として扱っていないと思った」

 「人の食事というよりは流し込むだけの作業に見えた」

というのは、まさに相手を人として見ることができなくなっているからだと思います。現場がどんどん荒廃していきます。投書に出てきた福祉事業所も、やまゆり園も、そういった現場なんだと思います。

 

  どうすればいいのか。

 それは一方的にやってあげるのでなく、「相手からも学ぶ」といった双方向の関係を取り戻すことです。謙虚な気持ちで相手を見るのです。そうすれば、障がいのある人たちは、私たちにはない、いいものをいっぱい持っていることがわかります。そんな彼らとおつきあいすると、私たち自身が豊かになります。一緒に生きていったほうがトク!と思えるようになります。

 まさに、障がいのある人たちと一緒に生きていくのです。お互いが学び、豊かになっていく双方向の関係が生まれます。そうすれば、福祉事業所は全く違うものになります。社会を豊かにする価値あるものを創り出すことができます。

 それがやまゆり園事件を超えることだと思います。

 

 

9月5日(土)にこの問題を考える集まりをやります。

www.pukapuka.or.jp

ぷかぷか10周年アニバーサリー映画『ひろばのうた』(仮)

2030年4月1日

 一人の青年が広場に立っている。ベンチには気持ちよさそうに眠るセノーさん。

「あの広場のうた」を鼻歌で歌う青年の脳裏に、この20年の思い出が走馬灯のようによみがえる…

 

 こんな風に始まるぷかぷか10周年アニバーサリー映画『ひろばのうた』(仮)の製作がいよいよ始まります。

 ぷかぷか10周年。ぷかぷかは何をしてきて、これから何をしていくのか、どういう社会を作ろうとしているのか。

 それを映像で表現したい。未来に向けてのメッセージ。

 

 

 始まりは、10年先からこの10年を振り返ってみよう、というもの。ひょっとしたら10年先の社会は

「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ。その方がトク!」

なんてメッセージは、もう色あせています。

「そんなの当たり前じゃん!」

ていう雰囲気。

 障がいのある人もない人も、みんながもっともっと生きやすくなっています。

 そんな社会を作っていく中心になっているのが、ぷかぷかさん達。

 「ぷかぷかさん達は社会を耕し、豊かにしている」

という気づきが、たくさんの人たちに共有され、社会が変わっていきます。

 難しいことではありません。

「彼らと一緒に生きていく」

 ただそれだけです。

 何かやってあげようとか、「支援」ではなく、ただ一緒に生きていく。

 ただそれだけで社会が変わることを、ぷかぷかの10年は、具体的に示してきました。

 『ぷかぷかな物語』『Pukapukaな時間』、ぷかぷかのホームページ、Facebookを見てください。ぷかぷかのまわりで社会が少しずつ変わってきたことがよくわかります。

 「共に生きる社会を作ろう」「共生社会を作ろう」なんてキャッチコピーのような言葉ではなく

 「いい一日だったね」

って、お互いいえるような関係を作るだけ。そういう一日をいっしょに作るだけで、まわりが変わってくるのです。

 難しいことではありません。その気になるかどうかだけです。

 

 ぷかぷか10周年アニバーサリー映画『ひろばのうた』を見た人みんなが、その気になってくれるような、そんな映画を作りたいと思っています。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 企画・ディレクション:宮原契子(脳腫瘍で亡くなったしんごっちのお母さんたちがやっている「子どもホスピス」のプロモーションビデオを作りました。ホームページの右側に映像がはめ込まれています。

childrenshospice.yokohama

 

「親が精神障害、子どもはどうしてんの?」というぷるすあるはの映像も作りました。

pulusualuha.or.jp

いずれの映像も宮原契子さん、内田英恵さんのコンビで作っています。

 

 撮影、編集:内田英恵(ぷかぷかの最初のプロモーションビデオを世界自閉症フェスティバルの主催者に紹介してくれました。それがきっかけで、カナダの旅が実現しました)

 内田さんとテラちゃん。テラちゃんはカナダで大活躍。

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 音楽・音響:藤木直人(映画『ぷかぷかさんカナダをゆく』エンディングの盛り上がりは藤木さんの音楽のおかげです。第5期演劇ワークショップの音楽もすべて藤木さんです。)

 「こんな歌聴いたことない感」にあふれた歌を世界に向けて発信しようともくろんでいる藤木さん

 どんな映画に仕上がるのか、楽しみにしていてください。

 未来へのメッセージです。みんなで作っていきたいと思っています。こんな風にしたらいい、こんなことも入れた方がいい、といった意見、どんどんお寄せください。みんなでステキな未来を作っていきましょう。ご意見は下記サイトへ

www.pukapuka.or.jp

たから君の存在が、学校を居心地のいい場所に

先日神奈川新聞に「共生の学び舎」というタイトルで紹介されたたから君のお母さんのブログです。

ameblo.jp

 たから君がいることで、学校が少しずつ変わってきたようです。その変わり様は、まず子ども達だった、というところがキモですね。子ども達はほっとけば、どんどんいい関係を作ります。たから君と会うのが楽しみで、それまであまり学校に行かなかった子どもが喜んで行くようになった話もありました。

 たから君の存在が、学校を居心地のいい場所にしているのだと思います。

 これって、学校にとってとても大事なことですよね。それをたから君が、黙々とやっている。大人達がやれなかったことを、重度障害のたから君がやっている。

 そのことにまわりの大人達に気がついて欲しいですね。

 たから君のまわりから、学校が変わっていけば、社会全体がもう少し居心地がよくなります。

 

 たから君、ぷかぷかのワークショップに参加したのですが、全くのマイペース。楽しんでいるのかどうか、よく見えなかったのですが、きのこの帽子をかぶったあたりから、俄然楽しくなったみたいですね。本番は親子三人で舞台にしっかり立ちました。

 たから君、真ん中で馬車の白い布をしっかり持っています。その右がお母さん、その隣がお兄さんのそら君

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相手を否定するようなことを言ったりしない

 3月4日、朝日新聞朝刊横浜版、津久井やまゆり園事件の被告の裁判での証言が載っていました。

 

 「口調が命令的。人に接するときの口調じゃなかった。」

 「人として扱っていないと思った」

 「食事は流動食で、職員は流し込むというような状況。人の食事というよりは流し込むだけの作業に見えた」

 

 被告の証言通りであれば、福祉施設としてはひどい現場だったと思います。

 障がいのある人たちをほんとうに馬鹿にしています。相手を人として見ていません。こういうことが「支援」の名の下におこなわれているのだと思うと、なんだかぞっとします。

 こんなやり方で接すれば、相手はひどく傷つきます。そういうことがどうしてわからないのでしょうか?やまゆり園の人権研修はどうなっているのでしょうか?

 いや、人権研修なんかやらなくても、こういうことは普通はしません。普通はしないことを、福祉の現場の人間がどうしてやってしまうのか。支えるべき障がいのある人に対して、どうしてこんな対応をしてしまうのか。 

  この問題こそ、やまゆり園事件の裁判を機に、もう少し議論されるのかと思っていましたが、全くそういう機会もなく、裁判は終わってしまいそうです。

 

  たまたま昨日の神奈川新聞に、個別支援級の子ども同士のとてもいいおつきあいが紹介されていました。「共生の学び舎(上)笑顔で元気に学校へ」という記事です。

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 みさき君は自閉症で、学習障害があり、授業になかなかついていけず、2年生から不登校気味になったそうです。ストレスがたまり、頭を手でたたくなど自傷行為もあり、集団授業が苦痛になって、4年生から支援級に移ります。
 そこで出会ったのが、たから君。自分に自信が持てずに自己肯定感が低いみさき君は、いつも楽しそうで笑顔を絶やさないたから君がクラスにいることで学校に通うのが楽しくなったといいます。元々、年齢が下の子が大好きで世話焼きだが、同級生は大の苦手。同級生とけんかしてイライラしたとき、1学年上のたから君が何も言わずにそばにいただけで気持ちが和らいだといいます。

 みさき君のお母さんはこんな風に言います。

「たから君は、みさきに安心感を与えてくれる存在なのだと思う。相手を否定するようなことを言ったりしないので」

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 「相手を否定するようなことを言ったりしない」

 人とおつきあいする上で、とても大事なことです。それを重度障害のたから君が、ごく自然にやっていて、それにみさき君が救われているのです。

 

 「支援」の現場の大人が、どうして子どもにもできることができないのでしょう。

 

 9月5日(土)にこの問題を考える集まりをやります。

www.pukapuka.or.jp

 

人としてのつながりは、大きなチカラ

「いやぁ〜大変だろうな」って思ってしまうような日々の中で、尚も子ども達と楽しい日々を作り出しているお母さん。

ameblo.jp

 「重度障害者は不幸しか生まない」といったやまゆり園事件の被告と、同じく重度障害と言われる子ども達と、こんなにも日々を楽しむお母さんは、一体どこがちがうんだろうと思います。

 やっぱりどこかで人として出会っているのだろうと思います。それがあるから、どんなに大変な日々も楽しめたりするのだと思います。

 うちの娘は精神障害があって、調子が悪いときはほんとうに「助けて!」って叫びたいくらい大変です。それでもなんとかやっていけるのは、おだやかになったときの人としてのつながりがあるからだと思っています。その一点で、すべて許してしまうというか…。

 人としてのつながりは、大きなチカラですね。これはもう理屈じゃないです。共に生きる、なんて屁みたいな言葉は、もうやめた方がいい。甘っちょろい幻想を抱かせるだけです。

甘夏パン!

天草から届いた甘夏を使った甘夏パンができました。フランスパンの生地で作っています。

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 甘夏を作っているのは、もう30年近いおつきあいのある川野美和さん。少し前ですが「あめつうしん」に載っていた「耕す日々」と題した日記にステキな話があったので紹介します。

 

 円(まどか 小2)が夏休みで悲しかったことは子牛が死んだことだよ、という。そうだった。8月20日の夜、私たちがバンビと呼んでいる母牛が予定より二日早く産気づいた(川野さんは牛を育てています)。彼女は今まで二度とも安産だったが、様子がおかしいので見ると、子牛の尻尾が出かかっている。逆子だ。これは大変とすぐTさんを呼ぶ。Tさんは以前にも、逆子を難なく胎内でひっくり返し、無事産ませてくれた受精師、博労、30才。90キロのTさん。大きな手をすぐに胎内に入れて

「う〜ん、これは難しい。破水して水がなくなっとる。ひっくり返らんぞ。もう少しだ、しんぼうしろよ」

とバンビに声をかける間も、水や血が吹き出てくる。バンビもTさんも必死の形相であった。彼の体力と技がなければできないことであった。ようやくのことで引っ張り出す。ぐったりしている。Tさんがすぐに逆さづりにする。息をしているように見える。藁の上に横にして、

「藁で全身をこすれ!」

とTさんが言う。子どもら全員、藁をつかみ、たわしにして頭からお腹、背中、手足、全身をこする。やわらかく、ほかほかと暖かく、つい今まで胎内で動いていた命のぬくもりが切ない。目や口が鼻が足が、今にもピクリと動きそうな気がして、みんな一心にこする。

 しかし、ついに動かなかった。その時母牛についていたTさんが、疲れた声を振り絞って

「もう一頭、はいっとる」

という。えっ、双子。悲しみと光がぶつかり合う。今度は引っ張り出して元気だ。逆子の子は小屋の外に出す。子らはこすり続ける。バンビは元気な子をなめ始めている。Tさんが逆子の舌を引っぱる。だらんと伸びて口の中に返らない。

「だめ、親に見せんようにして。資料袋に入れて」

と、厳しい声のTさん。子どもらはバンビに見えないように背で垣を作る。円もそうっと頭を入れる手伝いをする。

 黒く大きく立派で目にはまだ光が残っているいのちを袋に入れる。やわらかな黒い毛のあたたかさが手のひらに残る。翌日、元(げん)と畑の隅のもちの木の下に穴を掘り埋葬した。

 

 むき出しのいのちが、ここにはあります。子ども達(三人います)は、ものすごくいい経験したなと思います。

 

 川野さんの作った甘夏がたっぷり入った甘夏パンです。ぜひお試し下さい。川野さんの優しい日々が伝わってきます。

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