トイレでうんちしたら、お赤飯でお祝い
3月26日(土)陶芸教室をやりました。いろんなイベントと重なって、参加者は少なかったのですが、楽しい陶芸教室でした。いつものようにお地蔵さんとマイカップを作りました。いずれも手慣れた感じで作っていました。 カネマルさんは手びねりでマイカップをささっと作りました。 お地蔵さんも作りました。 粘土のたたら板を作ります。すごく力がいります。 薄くのばしたたたら板でマイカップを作ります。 とても味のあるお地蔵さんです。向こうを向いた右側のお地蔵さん、後ろ姿がいいですね。 こりに凝ったマイカップ。なんだか飲みにくそうですが、ま、そんなことはどうでもいいのです。まずは楽しく作ることが大事です。 かずま君は、なんだかおもしろいものを作っていたのですが、気に入らなくて、床に投げつけて壊してしまいました。 そのあとろくろを回して遊んでいましたが、 それも飽きてしまって、四つん這いになって、「う〜ん」て力みはじめました。「いつもこの格好でうんちするんですよ」とお母さん。昔養護学校で働いてた頃、同じような格好でうんちしていた子どもを思い出しました。山から落っこちて両足を骨折して入院していた頃、歩けないので私自身がこんな格好でベッドでうんちしていました(私は仰向けでしたが)。寝ながらのうんちは慣れればそれなりに楽で快適なものでした。ま、後始末をする看護婦さんは大変だったと思いますが…。 かずま君もひょっとしたら、この姿勢が快適なのかも知れません。でも、これから社会生活していく上で、やっぱりうんちはトイレでやった方がいいなと思います。でもそういうことがなかなか伝わらないところに、障がいのある子どもを育てる苦労があります。 でも、その「苦労」は人を鍛え、豊かにします。 先日セノーさんのお母さんと面談したとき、セノーさんと毎日おつきあいすることは自分を鍛えているんだと思います、とおっしゃっていましたが、すばらしいお母さんだと思いました。セノーさんはとても楽しい人ですが、それでも毎日の暮らしの中でおつきあいするのは、ものすごく疲れると思います。普通の感覚でつきあっていれば、やっぱりいらいらしてしまうし、もうおしまい!って怒鳴りたくもなります。パニックになってテレビを7台もぶっ壊したそうですが、家での様子が目に浮かびます。それでも毎日毎日セノーさんとうまくおつきあいし、おつきあいの大変さを一言も口にせず、むしろ楽しんでるように語り、それは「自分を鍛えているんだと思います」とさらりと語るお母さん。本当にもう拍手したいくらいでした。 かずま君のお母さんは「いつかね、トイレでやってくれたら、お赤飯炊いてお祝いしようかと思ってます」っていってました。いつでも炊けるよう小豆もモチ米も買ってあるそうです。 日々背負い込んでいる「苦労」をそんなふうに語れるってすごいなと思いました。その「苦労」を少しでもいい、いっしょに背負っていきたいと思いました。そう思う人が増えることは、社会全体が豊かになることにつながります。 かずま君がトイレでうんちしたら、お母さんはすぐに連絡をくれるそうなので、私はすぐにFacebookにアップします。それを見たたくさんの人が「いいね」を押してくれて、そんなふうにかずま君のことを受け止めてくれるようになったら、社会はお互いがもっともっと暮らしやすくなると思うのです。 かずま君とお母さん