「虐待」と正反対の一日の作り方
施設での職員による利用者さんへの虐待ニュースがFacebookで流れてきました。見るに耐えない、ひどい映像です。どうしてこんなことができるのか、信じがたい思いです。 www.youtube.com 相手をとことん馬鹿にしています。人間扱いしていません。どうしてこんなひどい暴力が振るえるのかと思います。 障がいのある人たちへの「支援」というのは、どこか「上から目線」を感じます。相手を見下ろしている目線です。見下ろす目線は、多くの場合、相手を馬鹿にします。その極端な例がこの映像だと思います。 人は誰でも困っている人を見ると助けたくなります。障がいのある人が困っていれば助けてあげる。それは人として当然のことだと思います。その「人として当然のこと」と「支援」は、意味が違います。 「人として当然のこと」をすると、そこには人と人とのあたたかな「関係」が生まれます。「助けてあげる側」は助けているうちに、いつの間にか相手から「助けられていること」「学んでいること」がたくさん見えてきます。「支援」には、そういったことがありません。上から見下ろしているからです。「支援」が、「する側」「される側」のあたたかな関係を生み出していれば、こんなひどい暴力は振るえないだろうと思います。 こういった虐待が、この施設だけでなく、全国の施設でおこなわれているというのですから、開いた口がふさがりません。千葉県の社会福祉法人の施設では立ち入り調査が3回もおこなわれているのに、死者まで出しているといいます。あきれてものが言えません。社会福祉法人というのは立派なことをするところかと思っていましたが、全く違っていましたね。毎年行政の監査が入っているはずなのに、何を見ていたのでしょう。 障がいのある人たちへの虐待は、こういった暴力だけでなく、もっとほかの場面でもあるように思います。 社会に適応できるように「支援する」と言う方がいました。社会にうまく適応できない人たちにとって、無理矢理適応させられるのは大変な苦痛だと思います。それを「支援」の名の下にやることは、何か違うんじゃないかと思います。 好き嫌いの激しい方に、「訓練」と称して、口をこじ開けて無理矢理食べさせたりする方もいます。好き嫌いをなくすのだそうですが、人間、食べるという喜びの時間が苦痛になるなら、とても不幸なことだと思います。 福祉事業所をたくさん見学されている方が「多くの事業所が、いつ行っても同じ仕事、暗い雰囲気で、うつむいて仕事をやっています」とおっしゃっていました。毎日毎日、先の見えない、おもしろくもない、同じ仕事をさせられることは辛いものです。かけがえのない貴重な一日をすり減らしている感じがします。 自分の手で、自分の一日をつかむ。 新鮮な一日をつかむんだ。 スが入っていない一日だ。 手に持ってゆったりと重い いい大根のような一日がいい。 (長田弘) ぷかぷかはそんな一日を、みんなで作り出したいと思っています。 「虐待」と正反対の一日は、そうやってつくりだせるのだと思います。