ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • ったくしょうがねぇなあ、といいつつ、寄り添って
     小諸に「おむすび長屋」という福祉施設?があります。おむすび長屋は、もう30年ほど前になりますが、山間の廃屋を借りて、障がいのある人たちといっしょに味噌を造りながら暮らしを立てていこうというところから出発しました。その志に共感し、おむすび長屋を訪ねました。茅葺きの傾いた昔ながらの家で、なんだかホッとする雰囲気でした。コーイチローさんというおじさんが「ボーナスでたら、スナック行って、ジュース飲むんだよ」とうれしそうに語ってくれたことが未だに印象に残っています。あたたかな「暮らし」がそこにはありました。年に一度「スナック行って、ジュース飲むんだよ」うきうきしながら語るような、ささやかな楽しみもありました。  今のように福祉の制度も十分に整っていない時代でしたから、障がいのある人たちといっしょに暮らしを立てていくことは、よほどの「志」がないとできないことでした。強い「志」がないとできない事業であれば、次の若い世代に引き継げないと、15年ほど前、社会福祉法人になり、作業所とグループホームになりました。  建物は建て替えられましたが、「暮らし」のあたたかさがグループホームにはありました。そのグループホームにも「個別支援計画」なる指導体制の確立が求められ、  《地域で働き、地域で暮らす「場」が、次第に「トレーニング施設」へと様変わりしてゆくように思われます。》  と、今日届いた「おむすび通信」におむすび長屋の主・田中さんが嘆いていました。  《人のにおいのぷんぷんする連中に、しょうがねぇなあ、といいつつ、寄り添う》田中さんたちの姿勢が好きでした。そういう姿勢だったからこそ、そこでの「暮らし」「仕事」には「あたたかさ」がありました。  そんなところへ「個別支援計画」が入り込んだのです。事業をやっていく上で福祉サービスの報酬をもらう以上、やむを得ないこととはいえ、「個別支援計画」で描かれる彼らとの関係は、彼らに寄り添う、という人間くさい姿勢からはほど遠い関係になっています。  彼らに寄り添いながら、丁寧に暮らしと仕事を作ってきた田中さんたちにとっては、全く理解しがたい制度だろうと思います。福祉の世界がどういう方向を向いているかがよくわかります。    そんな中にあって尚、彼らとのあたたかなおつきあいこそ大事にしたいと私は思うのです。いっしょに生きていく、というのは、「ったくしょうがねぇなあ」といいつつ、今日もまた寄り添ってしまうような、そんなおつきあいであり、生き方ですから。    
  • 表情豊かなお地蔵さん
     かわいいお地蔵さんを紹介します。  シンプルな造形で、こんなにも豊かな表情をしたお地蔵さん。見る人に深い安らぎを与えてくれます。  いろいろ計算の上に作ったのではなく、ほんの2,3分で、チャッチャッと作ってしまいました。にもかかわらず、この微妙なバランス。体の傾け方、手の添え方、偶然にできたとは思えないのです。   手の添え方と口の表情が絶妙です。   何をおしゃべりしているのでしょうか、ちょっと角度を変えてみると、また表情の違ったお地蔵さんになります。   すくめた首がお地蔵さんの表情を作っています。      この口と大きな鼻は何を語っているのでしょう。それと目。     なんだか貫禄のあるお地蔵さん     三人して何をおしゃべりしているのでしょうね。    こんなすてきなお地蔵さんを作る人は、ほんとうに地域の「宝」だと思います。「宝」は埋もれたままにしていると、全く意味がありません。洞窟に眠ったままです。掘り起こして、みんなが大事にして初めて「宝」になります。「宝」を見つけ出す「目」が大事ですね。
  • 人間に、社会に「希望」を抱くということ
     地域の方からうれしいメールが来ました。   「来年は、アートのお店も完成されるようですし、更にワークショップ第二弾などなど、どんどんぷかぷかの活動が広がっていきますね。 ぷかぷかのような存在は、これからの社会の希望ですね。 ぷかぷかのお店があるような地域は、必ず豊かな地域になっていくと確信しています。」    ぷかぷかは「今日よりもいい明日」を作っていこう、という「希望」を抱いていろんなことをやってきました。ぷかぷかをはじめたのも、街の中に障がいのある人たちの働くお店を作り、街の人たちとのいい出会いを作れば、彼らが社会の中でもう少し生きやすくなるだろうと考えたからです。彼らが生きやすくなるだけではなく、彼らが生きやすい社会は、誰もが生きやすくなる社会です。  社会の中に彼らの働く場所ができ、そのことで社会が少しでもいい方向へ変わっていくなら、これほどいいことはありません。  今年、地域の方たちといっしょにワークショップをやったのも、障がいのある人たちとふだんよりももっと楽しい出会いをしたかったからであり、「あなたがいないと困る」「あなたにいて欲しい」と心底思えるような関係を作りたかったからです。そこから今までにない新しいもの(具体的には芝居)を創りだし、それを大きなホールで上演することで、それをたくさんの人たちと共有したかったからです。  みどりアートパークでやった「表現の市場」はすごいエネルギーを爆発させた気がしました。あのエネルギーこそが街を、社会を変えていくのだと思います。「街が豊かになっていく」ってこういうことなんだと、彼らの強烈なエネルギーを全身に浴びながら思いました。もう、ほんとうに、感動して、涙がこぼれました。  「表現の市場」はあらかじめ綿密に計画されてできたものではありません。あったのは、こんなことやりたい、こんなことが実現できたらいいなという「希望」に支えられた漠然としたプランだけでした。それがあんなにもすさまじい舞台を生み出したのですから、言い出しっぺの私自身が驚いています。  「希望」の持てる物語を創り続けること、そのことがすごく大事だとあらためて思います。    未来に「希望」を感じることのできる絵があります。 こんなふうに鶏たちがにこにこしながら歩いていたら楽しいだろうなと思います。つくづく「平和」だな、と思うのです。「平和」な世界は、私たちの「希望」そのものです。ですから、この絵は私たちの「希望」を先取りしている気がするのです。    以前にも紹介した絵ですが、にこにこ笑っているおひさま、雲、Tシャツは、こんな笑顔で毎日すごそうよ、っていうケンさんのメッセージだと思うのです。この絵を見ると、心がじんわりあたたかくなります。そして、ああ、今日も元気に生きていこうって思うのです。どんなに辛いことがあっても、また生きていこうって思わせる「力」がこの絵にはあります。それを明日への「希望」と呼んでいいと思うのです。  ケンさんは毎日この絵を描きます。毎日同じパターンの絵ですが、それでもおひさま、雲、Tシャツの笑顔には励まされるのです。そこに「希望」を感じるからだと思います。そんな「希望」を毎日描き続けるケンさんて、ほんとうにすごい人だと思うのです。毎日「希望」を語り続けること、それが明日への希望に向かって社会を変えていくんだと思います。  そのケンさんに、昨日の帰りがけ、突然 「来年もよろしくお願いします」 なんていわれ、いや〜、うれしかったですね。今年いただいた、いちばんうれしい言葉でした。    来年2月には「おひさまの台所」の隣にアートのお店「アート屋わんど」が開店するのですが、アートを通して、メンバーさんたちのあたたかなメッセージをお届けしたいと思っています。  人と人との関係がどんどん薄らいでいく世の中にあって、人間ていいな、って思えるようなあたたかなメッセージ、人間に「希望」を抱けるような、そんなメッセージをお届けできたら、と思っています。    
  • ささやかな打ち上げをやりました
     今年最後の日。大掃除のあと、みんなでささやかな打ち上げをしました。ささやかとはいえ、メンバーさん、スタッフを合わせると50人以上もいて、なかなか大変でした。
  • 雑誌『コトノネ』の取材がありました。
     『 コトノネ』という雑誌の取材がありました。     福祉の業界にあってはすばらしくセンスのいい雑誌です。表紙を開くとこんな言葉がありました。  新しい福祉の世界を切り開いていこう、という熱い志が伝わってくる雑誌です。会社の名前が「はたらくよろこびデザイン室」となっていて、思いがストレートに出ています。  ぷかぷかのホームページを見て、先日取材にきてくれました。私の話だけでなく、瀬谷区役所の外販の様子を取材したあと、障害支援課の係長の話も、外から見たぷかぷかの評価として取材していました。  昨日はカメラマン、アートディレクター、編集者の3名が見え、写真をバチバチ撮っていました。   ちょっと緊張しています。   ようやく気持ちがほぐれました。   二人とも違う方向を向いて、なかなかカメラの方を向いてくれません。   肝心なときに大あくび   自分たちの作ったクッキーを食べながら   2月号に載ります。4ページの取材記事とグラビアに写真が載るそうです。どんなふうに紹介されるのか、楽しみです。    
  • 今日の仕事人 12月26日
     給食の数をチェックするももこさん   この真剣な目が「おひさまの台所」の厨房を支えています。   しょうへいさんは今日もこんないい顔して働いていました。   メランジェにクープを入れるまーさん   緊張感みなぎるこの手元
  • 世の中、希望が持てる、って子どもたちが教えてくれた。
      昨日、養護学校のとびきり楽しい子どもたちを養護学校の中に閉じ込めておくのはもったいないと、武蔵野の原っぱまで連れて行った話を書きました。  原っぱはこんな感じです。7万平方メートル。とにかく何にもない、本当に開放感に満ちあふれた原っぱでした。  そこで遊んでいた子どもたちといきなり野球をやりました。4年生のみさえの記録によると、(昔私の書いた『街角のパフォーマンス』より引用)    気がついたら、けんいち君がバットを持って構えているので、ゆるい球を投げていっしょに野球をやることにしました。でも、けんいち君は球をじぃっと見ていて、キャッチャーが球を捕ってからバットを振っていました。だんだんタイミングが合うようになりました。でも、打っても走らないので、お兄さんが手を引いて1塁まで走りました。バットを離さないのでおにいさんたちが「かして」と言ったのですが、離しませんでした。でも私が言うと、かしてくれました。だからけんいち君が打ったら、バットを持って行っちゃうので、私が追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。  てき、みかたなし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバットふれる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、てきみかたなし、チームなしになったの。    子どもたちで一生懸命工夫しながらけんいち君といっしょに野球をやったことがとてもよくわかります。ルールをすっかり変えて、とにかくみんなが楽しめるようにしたことが、すごいなぁと思います。  数日後、1年生のクンクンから手紙が来ました。     うれしくてうれしくて、ちょっと涙が出ました。養護学校の子どもたちと恐らく初めて出会った街の子どもたちが、ここまでやってくれたことに、なんか感動してしまったのです。  世の中、希望が持てる、って子どもたちが教えてくれたのでした。             
  • 人生が何倍も楽しくなった気がして
     歯を磨きながら「アルゴリズム体操」を歌うツジさんのことを昨日書きましたが、こういう人がいるから世の中楽しいんだと思います。世の中には絶対に必要な人たちだと思います。  昔、養護学校に勤務し、彼らと初めてであった頃、なんて楽しい人たちなんだ、とつくづく思ったことがあります。こちらの言うことを全く聞いてくれなかったり、めちゃくちゃなことをやってくれたり、大変なことはいっぱいありましたが、そんなことをはるかに超える楽しさを彼らは持っていました。  彼らとおつきあいする毎日が楽しくて楽しくて、人生がそれまでの何倍も楽しくなった気がしました。こんな楽しい人たちを養護学校の中に閉じ込めておくのはもったいないと、せっせと外へ連れ出しました。学校の外の人に彼らと出会って欲しいと思ったのです。  知り合いが武蔵野の原っぱで子どもたちといっしょに「あそぼう会」というのをやっていて、日曜日に電車に乗って出かけたりしました。ここには養護学校の子どもたちをそのまま受け止めてくれる人たち、彼らとおつきあいする楽しさを共有できる人たちがたくさんいました。そういう人たちと出会えたことが、私にはとても大きな出来事でした。彼らといっしょに街へ出ることの意味を最初に教えてくれたのが武蔵野の原っぱの人たちだったように思います。  養護学校の子どもたちとただあそぶだけでは物足りなくなって、この楽しい関係をもっとクリエイティブなものに生かそうと、その2年後に彼らと地域の人たちで演劇ワークショップを始めました。プロの役者たちがたじたじになるほどの彼らの楽しい存在感は、ワークショップの場で、あるいは舞台の上で、本当に光っていました。  生活クラブのお店の前の駐車場で開かれていた「あおぞら市」には、彼らといっしょに手打ちうどんのお店を出したりしました。うどんもおいしかったのですが、やはり彼らがそこにいることで、うどん屋の周りが、なぜかホッと一息つける空間になったことが大きかったと思います。彼らがいると、そこがなんだか楽しくなる、ということです。宮澤賢治の「ポラーノの広場」のような雰囲気。  これは今のぷかぷかのお店と同じですね。  三ツ境養護学校で、全校生を巻き込んだ芝居作りを10年も続けられたのも、彼らが創り出すなんともいえない楽しさのおかげだったと思います。そこでやった芝居作りは、私がシナリオを書いて、その通りにみんなが動く、といったものではなく、みんなとの楽しいやりとりの中で、みんなで物語を少しずつ創っていく、というまさにワークショップのやり方でした。  三ツ境養護学校の30周年を任されたときのことです。養護学校の子どもたちが素直にお祝いできる30周年てなんだろうって、結構必死に考えました。そのとき思いついたのが、30周年というのは要するに学校の30歳の誕生日ではないのか、ならば「みつきょうようこ」さんの30歳の誕生会をやろう、ということになって、さっそく子どもたちに「みつきょうようこ」さんの絵を描いてもらいました。  楽しい絵がいっぱい出てきて、廊下に張り出したら、廊下を歩くのが本当に楽しくなりました。下はその当時書いていた「子どもとゆく」という雑誌のコピーですが、左下のような絵が廊下いっぱいにワンワンと張り出されたのでした。  こんな楽しい絵を元にお話を創っていくのですから、本当に楽しい1年でした。記念式典(?)に参加した地域の長老がのけぞるほどの楽しい30周年ができたのは、楽しさの塊のような子どもたちのおかげでした。    彼らの醸し出す楽しさはみんなの「宝」だと思います。    
  • 歯を磨きながらアルゴリズム体操
     ツジさんは歯を磨きながらなぜか「アルゴリズム体操」を歌います。歯ブラシでがしがし磨きながら歌いますから、すごく大変です。誰かに言われてやっているのでもなく、自分ではじめたわけですから、なんとも不思議な人です。しかも家でもこれをやっているそうで、もう、尊敬してしまいます。  何がきっかけでこんなことをはじめたのかよくわかりません。気がつくと、食事のあと、いつも洗面所から歌が聞こえ、のぞいてみるとツジさんが歯を磨きながら歌っていた、というわけです。   こんなオリジナリティあふれるパフォーマンスをやる人は、そういません。多分世界中に一人しかいないと思います。本当に貴重な方だと思います。こういう人がいるから、世界が豊かになっていくんだと思います。  今日、たまたま歯を磨いているところをビデオに撮りました。何遍見てもかわいくて、笑ってしまいます。 [http://]    
  • いいこと言うなぁ、と人ごとのように思って
     宮沢あけみさんの編集した「表現の市場」の映像を見ました。生の体験とは違う形で、あのときの熱い時間が伝わってきました。  冒頭、「表現の市場」の前座としてtuji-kunの歌があるのですが、それに「立ってるだけで様になるのはプロの役者を超えていますよ」という私のインタビューが重なり、彼の存在感、「味」がよく伝わってきます。  それにしてもtuji-kunはいい味出してますね。この味はもっともっと生かさないと、彼と同時代を生きるものとして、ものすごく「損」だと思いました。私は彼らといっしょに生きていった方が絶対「得!」と思っているのですが、その「お得感」が彼のパフォ−マンスを見ているとよくわかります。  パンの外販先で彼のファンが多いのは、この「お得感」を感じている人が多いからだと思います。その「お得感」こそが、外販の売り上げを底上げしている、というのがおもしろいと思います。  売り上げの伸びはですから、「いっしょに生きていった方が得!」となんとなく思い始めた人たちが増えてきた、ということだと思います。商売がうまくいき、おまけにそう思う人たちが増えるということは、まさに一石二鳥。  養護学校の教員やっている頃は、彼らを社会に合わせていかないと、彼らは社会の中で生きていけない、なんて思っていて、社会のルールみたいなことを一生懸命教えていましたが、tuji-kunと売り上げの推移を見ていると、そのまんまでいいじゃん、なんて思うのです。  ワークショップとか表現の市場は、まさに「そのまんま」で勝負した「場」でした。社会のルールにあわせなければ、お互いが「楽」であり、お互いが「自由」になれます。そして「そのまんま」の彼らといっしょにワークショップやると、こんなにおもしろいものができあがる、ということを具体的に差し出せたと思います。  そのことが素直に伝わってくる映像だったと思います。37分間の舞台の時間を彼らはいっしょに生きて、いっしょに生きることで、すばらしい作品を作り上げていました。日経新聞の「ソーシャルイニシアティブ大賞」のいちばんの課題でもある「新しい価値の創造」そのものだと思いました。  いっしょに生きていった方がいいよ、というのは、「いっしょに生きていくことの価値」の提案でもある、と思います。どちらかと言えば、彼らとは別々の方がいいと思っている人が圧倒的多数の中にあって、これは今までにない「新しい価値」といっていいと思います。  30年ほど前、ワークショップで創り出したものは新しい文化だと言っていたのですが、何言ってんだ、という雰囲気で、誰も認めてくれませんでした。それがここへ来て「エイブルアート」などが新しい価値として話題を呼ぶ時代になり、時代がようやく追いついてきた、という感じです。  映像を見て発見したのは(というのも変ですが、感覚的にはそうとしか言いようがないのです)、表現の市場の終了後、宮沢さんのインタビューを受け、それがうまく映像の中に組み込まれていて、いいこと言うなぁ、と人ごとのように思ったことです。元々しゃべることは苦手で、ましてカメラの前でしゃべるとなると、しどろもどろになり、今回も、もう少しうまく言えなかったのかと、反省することしきりでした。ところが映像の中に組み込まれると、私のおしゃべりがしっかり生きていて、自分の言葉なのに、そうだよなぁ、と頷いたりしていました。  もう一つ。はっぱ隊の舞台の映像に、私がぷかぷか日記に書いた言葉が重ねられていて、これも自分で書いた言葉とは思えないくらい光っていました。やっぱり時々他人のフィルターを通して、自分の言葉を客観的に見る機会があった方がいいなと思いました。(ブログやFacebookでうれしい評価はいただいているのですが、映画になると全く違う感じでした)    今回宮沢さんからお預かりしたのは「表現の市場」で発表した舞台だけの映像でしたが、そこに至るまでのワークショップの映像がまとまれば、「いっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージが、もっともっと具体的に伝わる気がしています。  この映像をどんなふうに広げていけばいいのか、今、宮沢さんと思案中です。一人で見るのもいいのですが、できれば何人かで見ていただいて、いっしょに生きていくことについていろいろな感想が出てきたり、話し合いができたりする方がいいなと思っています。できれば私なり、宮沢さんをその場に呼んでいただければ、映像では語りきれなかった部分についてもお話しできるかと思います。  こんなやり方がいいよ、っていう提案がありましたら、ぜひお知らせください。      
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