ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 「みんなで引き受けるよ」「だから大丈夫!」という社会があれば
     誰かが困っていれば、助けてあげるのが人間の社会です。そこが人間の社会のいいところだと思います。困っている人がいても助けないのは、人間の社会としてはまだ未熟、と言っていいと思います。  障がいのある人が子どもを持てば、いろいろ困りごとが出てきます。でも、そんなの「みんなで支えるよ」「みんなで引き受けるよ」「だから大丈夫!」という社会があれば、なんの問題も起こりません。  そもそも、子どもは社会の財産です。みんなで支える存在だろうと思います。  ニュージーランドの国会では赤ちゃんをつれて登院した議員がいたそうです。議会の審議中に、議長が議長席でベビーシッターを買って出たそうで、それがこの写真  国民みんなが赤ちゃんを支えているから、こういったことができるのだと思います。  日本の国会では、残念ながらあり得ない光景です。社会の成熟度が見える気がします。  「障害者は子どもを産むべきではない」という言葉は、社会の悲しい現実を表しています。社会に問題があるのに、障害者に問題があるように語られるこの言葉は、社会の現状を如実に物語っています。ニュージーランドに比べると、本当に寂しい社会だと思います。  養護学校の卒業生で、結婚して子どもを持った人がいました。ぷかぷかを始める前、生徒たちと陶芸教室をやり、作品を商店街のお祭りで販売していました。毎年のようにその卒業生が挨拶に来ました。「先生、私、結婚しました!」「先生、私、子どもができました!」「先生、私、40歳になりました!」と、毎年、大きな声でいろいろ報告しに来ました。旦那さんも連れてきました。ちょっと頼りない感じもしましたが、それでもめいっぱい幸せそうな夫婦でした。子どもができました、って報告があったときは、支えてくれる人がたくさん見つかったんだろうと思いました。卒業生のお母さんもがんばっていたようですが、やはりお母さん一人では支えきれないものがあります。そういう支えが見つかったから、お母さんは子どもの結婚を気持ちよく祝福できたのだと思います。  そういう社会が少しずつ広がっていくといいなと思います。子どもを支えられる社会こそが、豊かな社会だと思います。  いつの日にか、国会の議長席でベビーシッターをするような議長が現れたら、日本は本当にすばらしい国になれると思います。その時はもう「障害者は子どもを産むべきではない」なんて言葉もなくなっていると思います。 abematimes.com
  • 社会が気づいていない価値を見つけ出し、誰にも見える形に編集し直した。
    土曜日の朝日新聞「be」に建物、町、人を再生する建築家の話が載っていて、とても興味深く読みました。こんなことが書かれていました。 「僕らの役割は、埋もれている地域の日常の中から、その地域の人々が気づいていない価値を見つけ出し、見える形に編集し直すことです」 「たばこ屋のおばあちゃんが街の宝かもしれないのです。  宝物のない街などありません。どの地域も問題はそれらの宝が関係性を失っているということだけなんです。僕らはこうして発見した宝の一つ一つを「物語」として紡ぎ直します。人々がそれを自分ごととして咀嚼(そしゃく)できるように。」  8月3日(土)の上映会の感想に 「この町にぷかぷかのパン屋があることが、この町の価値を何倍にも上げています。」 というのがあって、そのことと、新聞の記事が妙に重なって見えたのです。  いつも書いていることですが、障がいのある人たちは、あれができないこれができない、社会の重荷、生産性がない、というふうに、マイナス評価が圧倒的に多いです。ぷかぷかは、そうじゃない、彼らは街を耕し、町を豊かにする「価値ある存在」なんだと、様々な実践をし、彼らの価値を目に見える形で発信してきました。  言い換えれば、社会が気づいていない価値を見つけ出し、誰にも見える形に編集し直した、ということなのだと思います。  結果、たくさんのファンができました。また 「この町にぷかぷかのパン屋があることが、この町の価値を何倍にも上げています。」 という感想が出てきたのも、その結果だろうと思います。  ぷかぷかさんのそばにいると心が和みます。それを私は、彼らのそばにいると「人として立つことができる」と表現します。「人になれる」といってもいいと思います。だから彼らは「街の宝」なんだと思います。  「どの地域も問題はそれらの宝が関係性を失っている」 と記事にありましたが、ぷかぷかは地域でたくさんの関係を作ってきました。その関係の中でたくさんの人たちがぷかぷかさんに出会いました。発見した宝を物語として紡ぎ直してきました。『ぷかぷかな物語』は、そういう作業の中で生まれました。  それを自分ごととして咀嚼し始めたのが、「ぷかぷかをつるみに」という動きになったのだろうと思います。  先日大阪大学の建築科で都市デザインをやっている先生が見学に来ました。都市をデザインするとき、福祉施設をその中に入れるべきだと考えている先生のようでした。  都市のデザインの段階で、宝を組み込み、今までにない物語を作っていこうとしているのだと思いました。  いずれにしても、町の再生、社会の再生、という視点で、ぷかぷかの活動を見ていくと、またいろんな新しいものが見つかるような気がして、記事を見ながらちょっとわくわくしました。  digital.asahi.com digital.asahi.com
  • 「社会に合わせなくても、やっていけるよ」をテーマにセミナー
     「社会に合わせなくても、やっていけるよ」をテーマにセミナーをやろうかなと思っています。  ぷかぷかは開店当初、接客の講習会をやったとき、接客マニュアル通りにやるぷかぷかさんが気色悪くて、接客マニュアルはやめました。接客マニュアルに合わせる、というのは社会のルールに合わせることです。ですから、接客マニュアルをやめたというのは、社会に合わせることをやめた、ということです。  「なんだ、このお店は接客の仕方も知らんのか」 というクレームが来るリスク99%を背負い込む中でのスタートでしたが、ふたを開けてみれば、クレームどころか、 「ぷかぷかさんが好きになりました!」 というファンが次々に現れるという想定外の展開。  要するに、社会に合わせない、そのままのぷかぷかさんの魅力に、みんなが気がついたのだと思います。   「なんだ、そのままでいいじゃん!」 という気づき。 (くわしくは『ぷかぷかな物語』をご覧下さい。ぷかぷかのホームページで販売中)  この気づきは、ぷかぷかの生み出した大事な価値観だったと思います。  障がいのある人たちは社会に合わせなければならない、そうしないと社会の中で生きていけない、と一般的には思われています。そして多くの方が社会に合わせようと大変な努力をしています。  ぷかぷかにいるツジさんのお母さんもそうでした。養護学校にいるときも、卒業して勤めた福祉事業所でも、おしゃべりはだめです、といわれ、おしゃべりをやめさせようと大変な努力をしてきました。  でも、ぷかぷかに来てから、 「別に気にしませんから、おしゃべりしてもいいですよ」 といわれ、しかも、そのおしゃべりが売り上げを生み出してる、と聞き、 「今までやってきたのはなんだったんだ。見当違いの努力だったんじゃないか」 ということに気づきます。 「なんだ、そのままでいいじゃん!」 というわけです。  しかも、そのままで、ちゃんと商売が成り立っている、ということ。  「障害者は社会に合わせなければいけない」 のではなく、  「社会に合わせなくても、やっていけるよ」  ということです。  「無理して社会に合わせなくても、ありのままのあなたでいいんだよ」  「ありのままのあなたこそ、一番魅力的」 は、ぷかぷかが作り出した大事な価値観だと思っています。  そういったことをテーマにしたセミナーをやろう、と思うのです。日時、場所など決まりましたらお知らせします。  生きることがふっと楽になるようなセミナーです。ぜひ来て下さい。
  • ぷかぷかいい男、いい女写真展
     「ぷかぷかいい男、いい女写真展をやりま〜す。自分でいい男、いい女だと思う人は写真撮りますから来て下さ〜い」と呼びかけたら、ばらばらっと何人かの方が出てきて、写真撮りました。 で、撮れた写真がこれ  チャッチャッと撮った割には、なかなかいい写真です。  初対面で、しかも、これだけ短時間で撮ったのですから、腕もいいのですが、なによりも一瞬を切り取るセンスがいいですね。  写真はこの一瞬が勝負です。一瞬を見極める集中力とセンス。これがすばらしい写真を生み出します。  カメラマンは休日フォトグラファー、偏向素人劇作家 濱隆之介さん。  十日市場でSherpaというマンツーマンの美容室をやっているそうです。スタッフのナガセさんの髪をいつも切ってるそうで、その関係で、今日写真を撮りに来ました。 sherpa-hair.net  「みどりアートパーク委託カメラマン」という札を首に提げていました。  10月12日(土)にみどりアートパークで、緑区の若者写真展をやるそうです。今日撮った写真の何枚かをモノクロにして飾るそうです。また近くなったらお知らせします。  に、してもいい青年たちですね。みんなそれなりに様になっていて、まさに輝く「いい男、いい女」です。また撮ろうかなと思いました。
  • ワークショップ一回目からこんなに楽しくて、これからどーなっちゃうんでしょうか!
    8月17日(土)第六期演劇ワークショップが始まりました。今回は地域の人たちの参加が多く、ぷかぷかさんを入れて全部で40人ほど。リハーサル室がいっぱいの感じでした。  参加希望者が多いのは、ワークショップの魅力が伝わっていることで、とてもうれしいのですが、それでも会場のキャパシティがあるので、芝居を作っていく上では、なかなか厳しいところがあります。特に本番の舞台を考えると、相当工夫しないと、みんなで舞台に立てない感じがあります。  こんなに人が…  まずはギブミーシェイプで心と体をほぐしながら、お互いの関係を作ります。体を使っていろんなものを表現します。撮影用のカメラが目に入り、そのカメラを支える「三脚」を作ることにしました。7,8人のグループの中で、どうやったら三脚が表現できるか話し合います。話がまとまったら、すぐに体で表現してみます。  なんとなくそれっぽいものができればいいのです。大事なことは、これを作っていく過程で、仲間と話し合いをすること、表現することを通して、心と体を自由にすること、お互い親しくなることです。  朝、通りかかった公園で見た「ベンチ」が2番目の問題。ベンチを作るだけではつまらないので、「朝のベンチ」「昼のベンチ」「夜のベンチ」の短いお話を作ります。形を作るだけでなく、そこから物語を起こしていく作業はとても楽しいです。  午後、「ドングリと山猫」のお話を朗読しました。絵本を見せながら朗読すると、子どもたちも集中して聞いていました。  朗読を聞いたあと、山猫の待つ草原に行くまでの森の風景をシェイプで表現しました。  初めての人が多いのに、みんなどんどん表現していきます。ふだんこういうことはあまりやらないから、心も体も、みるみる自由になります。ここがワークショップのすばらしいところです、  初めて参加のひよりちゃん アイドルのボルトさん かわいくてかわいくて…押しつぶさないかとハラハラ かわいいナナちゃんと 地域の人とこんな笑顔で 《 先日はステキな一日をありがとうございました。親子三人(四人?)で参加させていただき、とっても自由な時間を体験しました。   てらちゃんが、「ひっつきむし~」って言ってくっついて歓迎してくれたおかげで、遅れての参加だったにも関わらず、親子共々、リラックスして楽しむことができました。ホント、てらちゃんには、かないません!どっぷり、宮沢賢治ワールドのこのお話を、ぷかぷかさんたちがどのように導いてくれるのか。。!それを、こんなに近くで見ることができるとは!ワークショップ一回目からこんなに楽しくて、これからどーなっちゃうんでしょうか!楽しみでしかありません 》  (みか)   朗読を聞く親子三人、いい時間を過ごしていました。      次回はドングリの帽子をみんなで作り、その帽子をかぶってドングリになってみようと思っています。そうして誰が一番えらいかの言い合いをします。 「なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。」 「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。」 「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。」 といった具合に。ただ言葉で言ったのではおもしろくないので、これをダンスで表現するとか、おもしろい形でできたら、と思っています。  どんな風に芝居ができあがっていくのか、楽しみにしていてください。  お金の話をします。演劇ワークショップを6ヶ月続け、最後にホールの舞台で発表すると進行役、ピアニスト、舞台監督などの人件費、リハーサル室、ホールなどの会場費、音響設備、照明設備など付帯設備使用料、舞台制作のための材料費など、全部で200万円を超えるお金が必要です。横浜アートサイトの審査を受け、100万円はもらえることになりましたが、あと130万円ほど足りません。  演劇ワークショップは、収益を生まない事業ですが、社会的にとても大事な事業なので、収益を生まなくても続けていかなければならないと思っています。  ぷかぷかがいっぱい儲かっていれば、そのもうけからお金が出せるのですが、残念ながら、かつかつの経営で、はっきり言ってとても貧乏です。いい仕事をしようと、国の基準の5倍もスタッフがいるので、運営がすごく大変なのです。それでもオペラをやったり、上映会をやったり、演劇ワークショップをやったりで、社会を豊かにするための活動は、腹を減らしてでも、しっかり続けていこうと思っています。   演劇ワークショップが生み出す文化は   「障がいのある人たちを排除しない文化」   「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい、という文化」   「〈生産性〉とはちがう評価軸を持った文化」 今、社会にとって、とても大事な文化だと思います。だからこそ、続ける必要があります。  ぜひ応援してください。具体的には事業を行うための寄付をお願いします。   寄付は、お互いが気持ちよく暮らせる社会への〈投資〉です。自分が目指す社会を実現するために汗を流す一つの方法です。  ぷかぷかは「横浜夢ファンド」(市民活動推進基金)の登録団体になっています。夢ファンドに寄付をしていただくとぷかぷかにお金が入ります(寄付の申込書の希望する団体の欄に「NPO法人ぷかぷか」とお書きください)。税制上の優遇措置があります。詳しくは下記サイトをご覧下さい。 横浜夢ファンド http://archive.city.yokohama.lg.jp/shimin/tishin/shiminkatsudou/fund/gaiyou.html 寄付をお考えの方へ http://archive.city.yokohama.lg.jp/shimin/tishin/shiminkatsudou/fund/kifu.html ★寄付の申込書の希望する団体の欄に「NPO法人ぷかぷか」とお書きください。 横浜市 基金の活用 http://archive.city.yokohama.lg.jp/shimin/tishin/shiminkatsudou/fund/katuyou.html 横浜市 税制上の優遇措置 http://archive.city.yokohama.lg.jp/shimin/tishin/shiminkatsudou/fund/tax.html 障がいのある人もない人もお互いが気持ちよく暮らせる社会を、一緒に作っていきましょう。
  • 「理解する」ことと、「差別や偏見が解消される」こととは、あまり結びついていない気がします。
    「共同通信が全国の障害者を対象にアンケートを実施したところ、「大会が障害の理解につながる」との回答が62%に上った。選手の活躍や大会の盛り上がりによって障害への関心が高まり、差別や偏見が解消されるとの期待が大きい。」 と神奈川新聞にありましたが、なんか違うんじゃないかと思いました。 www.kanaloco.jp  すごくわかりやすい例があったので紹介します。  大和市で「車いすバスケット体験講座」というのがあったそうです。 「車いすバスケットボールの体験や選手の体験談を通じて、社会福祉への理解を深めるとともに関心を高めてもらおうと、毎年市内の公立小学校・中学校で実施しています。」と体験講座のサイトにあります。   大和市福祉推進委員会の委員である校長は「子どもたちの目がキラキラしているので意味がある」とコメントしたそうですが、  「娘が在学中も通学する学校でも実施されました。目の前にいる車いすの子どもには目を向けず、です。娘の車いすを押してくれる級友は増えたりすることはありませんでした。」とお父さんの平岡さんは書いています。  つまり、車いすバスケットを、目をキラキラさせながら体験しても、その体験が、車いすの当事者と関係を作ることにつながっていないのです。たくさんの人がパラリンピックのテレビを目をキラキラさせながら見ても、多分車いすを押す人が増えたりはしません。当事者との関係を作るということにならないのであれば、「差別と偏見」の解消にはなりません。  車いすバスケットは、体験すると、それ自体がおもしろいのだと思います。だから目をキラキラさせた。ただそれだけのことです。それを「社会福祉への理解を深める」ことと安易に結びつけたりするから、話が薄っぺらになるのだと思います。  「娘の車いすを押してくれる級友は増えたりすることはありませんでした。」の言葉は、この手のイベントの本質を鋭く指摘していると思います。イベントの企画者、担当者は、どうしてこういう結果になるのか、謙虚に考えるべきだと思います。  この手のイベントと、当事者と関係を持つことがなぜ結びつかないのか、結びつけるにはどういう仕掛けが必要なのかを、当事者、あるいは関係者の側からの提案も必要なのだと思います。批判するだけでなく、新しい仕掛けの提案こそ必要な気がします。  そもそも「理解する」ことと、「差別や偏見が解消される」こととは、あまり結びついていない気がします。  ぷかぷかにはたくさんのファンがいます。ファンの人たちにはこの「差別も偏見」もありません。ファンの人たちはぷかぷかさんのことを理解して「差別や偏見」をなくしたわけではありません。ぷかぷかのお店に来たり、ぷかぷかのFacebookや、ホームページを見て「ぷかぷかさんが好き!」とファンになっただけです。  お店にもFacebookにもホームページにも、理解を求めるような言葉は一つもありません。あるのは「障がいのある人たちとはおつきあいした方がいいよ」「その方がトク!」という言葉と、なんとなく「そうだよね」って納得してしまうような「雰囲気」「空気感」です。  区役所でぷかぷかのパンやお弁当の販売をするとき、こんな行列ができます。パンがおいしいことはもちろんあるのですが、スタッフだけで販売に行ったのでは、こんな行列はできません。やはりぷかぷかさんたちが販売しているから、こんなにお客さんが集まるのです。  ここには「差別も偏見」もありません。あるのは「おいしいパンがほしい」「ぷかぷかさんに会いたい」の二つです。  行列ができるような仕掛けをしたわけではありません。ぷかぷかさんたちにお店を任せていたら自然にこうなっただけです。ぷかぷかさんたちが区役所を耕した結果なのです。(詳しくは『ぷかぷかな物語』(現代書館)に書いていますので、ぜひ読んでみてください。)  ぷかぷかさん自身が、彼らの魅力で「差別、偏見」をなくしているのです。それが上の写真です。  これは何を物語っているのか、ということです。写真が問いかけているもの、それは社会が持っている「福祉」というものへの根源的な問いではないかと思います。「福祉」は「障害者を理解する」ことでよくなるのか、という問いです。
  • 第6期演劇ワークショップが始まります。
     8月17日(土)から第6期演劇ワークショップが始まります。取り扱う題材は宮澤賢治の『ドングリと山猫』です。  山猫からこんなはがきが来るところから物語は始まります。  もう字を見ただけで楽しくなるようなこんなはがき、どんな物語を引き起こすのでしょう。それはオペラと同じ、ひとときの夢の世界です。  わくわくするようなひとときの夢の世界をぷかぷかさんたちと6ヶ月かけて作ります。来年1月26日(日)『表現の市場』の舞台で発表します。楽しみにしていてください。  ぷかぷかは「ともに生きる社会を作ろう」も「共生社会を作ろう」もいいません。社会を作ろう、などと漠然とした話では、世の中、何も変わらないと思っているからです。  それよりも目の前の障がいのある人(ぷかぷかさん)といっしょに何をするのか、何を作り出すのか、というところで実際に何かをやった方が、社会が確実に変わっていきます。何よりも楽しい!です。  この「楽しい」というところが大事だと思います。演劇ワークショップが続けられるのは、この「楽しい」があるからです。ぷかぷかさんたちといっしょに芝居を作るのが楽しいのです。彼らに何かやってあげるとか、支援する、といった関係では、「楽しい」は出てきません。  この「楽しい!」こそが、彼らといっしょに生きる一番の理由です。これがあるから、彼らとの関係が楽しいものを次々に作り出し、社会を豊かにします。  彼らといっしょに作る芝居は、彼らとはいっしょに生きていった方がいい、彼らは社会にいた方がいい、彼らがいることで社会が豊かになる、ということを明確に伝えます。「ともに生きる社会」「共生社会」が何を創り出すのかも。  相模原障害者殺傷事件の犯人が言った「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった言葉も、「それはちがう!」と彼らといっしょに作った芝居は明確に否定します。「障がいのある人たちはいた方がいい」「障がいのある人たちはまわりの人たちをほっこり幸せな気持ちにする」「社会を豊かにする」ということが、芝居を見るとすぐにわかります。  何よりも事件を超える社会がどういうものであるか、芝居を見ると少しずつ見えてきます。  ま、そんなこんなの思いを込めて第6期演劇ワークショップが始まります。何が生まれるか、楽しみにしていてください。来年1月26日(日)『表現の市場』で発表します。今から予定あけておいてください。見なきゃソン!ですよ。
  • 悲しめる方が、人生トクしたと思うから
     障がいのある人たちとおつきあいし、その人たちと出会う、という経験がなければ、障がいのある子どもを持つことは、ただただ大変なことにしか見えません。  だから 「事件があったことは悲しいけど、でもよかったんじゃない?」(NHK「19のいのち」のサイトにある、事件で犠牲になった方のお母さんが寄せた手記) などと、ついいってしまったのだと思います。障がいのある人たちとおつきあいのない多くの人は同じようなことを思ったのではないかと思います。  そういういい方はおかしい、というより、そんな風に思ってしまうのは、人生のとても大事なものを見落としていて、もったいないなぁと思います。ソンしてる、というか…  養護学校の教員になる前は、障がいのある人たちと全くおつきあいしたことがなかったので、多分同じように「でも、よかったんじゃない」って思ったと思います。  でも初めて担任した子どもたちが、みんな手のかかる重度障害のある子どもたちで、毎日が本当に大変だったのですが、それでもいっしょに何かを作りながら、いっしょに笑ったり、完成したときは「やったね!」って手を合わせたり、一緒に水遊びをして大はしゃぎをしたり、そんな楽しい日々を過ごしているうちに、彼らのそばにいるとただそれだけで、妙にほっこりあたたかな気持ちになり、月並みですが、「人間ていいなぁ」って、彼らの横顔見ながらしみじみ思うようになりました。  毎日毎日想定外のいろんなことやってくれて、すべてが初体験の私にとっては、本当に嵐のような日々だったのですが、仕事の合間にふっと感じる安らぎのようなものは、それまで生きてきた人生にはないものでした。  何かができるできない、といった目で見たら、彼らは何もできない子どもたちでした。でも、人が生きていく上で何が大事か、ということを彼らは身をもって教えてくれたように思うのです。  どんなに手のかかる子どもでも、その子がそこにいること、そのことに価値がある、ということを、彼らはてんやわんやの毎日の中で教えてくれたのです。教え方はちょっと乱暴でしたが、それ故に体にしみました。  「どんなに手のかかる子どもでも、その子がそこにいること、そのことに価値がある」なんて、大学の哲学の講義に出てきそうですが、講義で聞くような話はすぐに忘れてしまいます。  体にしみこんだものは、自分の生き方になります。「19のいのち」のサイトに投稿されたお母さんの手記を読んだとき、お母さんの悲しみが突き刺さるようにわかりました。子どもがいること、そのことにかけがえにない価値があったのですから。 www.nhk.or.jp  お母さんの悲しみを自分の悲しみとして悲しむことができる、というのは、自分の人生の幅が広がったということであり、豊かになった、ということだと思います。  「でも、よかったんじゃない」って思うより、私はいっしょに悲しむ方を選びます。悲しめる方が、人生トクしてると思うからです。  「そうだ!」って、この人もご飯食べながらいってますよ、きっと。
  • いろんな人と出会える場があれば
      養護学校の教員になって3年目頃(今から40年ほど前です)、「電車の中で障がいのある生徒が赤ちゃんの髪の毛を引っ張り、とても怖い思いをした」という投書が新聞に載り、それを巡っていろんな話をしました。  「静かにするのよ、と毎日いって通学するより仕方がないのです」  「私一人で買い物に行ったとき、友裕君は?って聞いてくれる関係に」  「どうして電車の中でみんな黙っているんだい?」  「だめよ、そんなことしたら、赤ちゃんいたいでしょ」  「教師たちの反応はさっぱり」  「お母さんたちの話を聞いて、心が耕されるみたいだった」  昔書いた『街角のパフォーマンス』という本にそのときの記録を書いていますので(下の方にコピーを貼り付けました)、興味をある方はぜひ読んでみて下さい。ここに出てくる「遊ぼう会」の仲間が、生活クラブのお店の駐車場で開かれていた「青空市」に養護学校の生徒たちと手打ちうどんのお店を出したり、そのつながりで演劇ワークショップを始めたりしました。『街角のパフォーマンス』は絶版になっていますが、内容的には今の社会に十分通用する話、というか、未だにあそこに書いたことを社会は超えていないんじゃないかと思います。ですので、少部数プリントオンデマンドを注文してみようかと思っています。  40年前の話なのに、その40年で社会はよくなったのか、というと、あの頃よりも社会はもっとばらばらになっているように思います。  福祉の制度は充実してきたと思いますが、福祉事業所の職員が「障害者はいない方がいい」などといって19名もの重度障害のある人たちを殺す、という信じがたい事件が起き、それを様々な形で支える社会があります。  NHK「19のいのち」のサイトにあった、犠牲になった方のお母さんが寄せた手記に 《 事件後、長年つきあいがあり兄のことも知っている近所の人に「事件があったことは悲しいけど、でもよかったんじゃない?」と言われたことが悔しくて…》 というのがありましたが、このなかにある 「でもよかったんじゃない?」 の言葉、いった本人は悪気はなかったと思うのですが、いわれた側はひどく傷つき、自覚のないまま、事件を支える側、障がいのある人たちを社会から排除する側に立ってしまっているのです。  それを間違っている、と言葉で指摘しても、多分なかなか伝わりません。やはりどこかで障がいのある人たちといい出会いをすることだろうと思います。  ぷかぷかは、まさにそういう場として始まり、たくさんの出会いを作ってきました。新聞に投書が載った頃を思えば、はるかに確かな形でまわりが変わりつつあります。  ぷかぷかで働く障がいのある人たちが好き!というファンがたくさんできたり、自分の地域にもぷかぷかみたいな場所を作りたいという人が何人も現れたり、これは相模原障害者殺傷事件がおきるような社会にあって、大きな希望だろうと思います。 コピーした文字が小さくて読みにくいのですが…
  • 全然、不幸なんかじゃなかったのです。娘が私のもとにうまれてくれて本当に幸せでした。
      人には番号ではなく、名前があります。名前があるから、その人を思い浮かべることができます。逆に、名前がなければ、その人を思い浮かべることができません。  津久井やまゆり園障害者殺傷事件では、殺された19名の方の名前が匿名で報道され、誰が亡くなったのか一切わかりません。  誰かの死を悲しむ、というのは、その人の人生を思い浮かべることだと思います。人生を思い浮かべることができなければ、その人の死を悲しむこともできません。  社会が、死に及んでなおも名前さえ言えないところまで障がいのある人たちを追い込んでいること、死を悲しむことも許さないこと、その残酷さに社会の側がどの程度気がついているのでしょう。  NHKの「19のいのち」というサイトは、その問題に応えるサイトだったと思います。19人、一人一人のエピソードを匿名のままですが載せています。  「19歳の女性」のエピソードにはサイトを開いた当初、こんなことが書いてありました。  《 短期で施設を利用していたころから、かわいらしい笑顔で人気者でした。》  施設関係者から寄せられた情報だったようですが、一人の人間が、わずか一行で語られていることがどうしようもなく悲しくなったことを覚えています。  ほかの方も多少言葉は増えても、似たり寄ったりで、読むのが辛いほどでした。  それは当時の取材状況をそのまま語っていたのだと思います。その後サイトは少しずつ充実し(最前線の記者ががんばったのだと思います)、何人かの家族の方が手記を寄せ、一名ですが、写真を載せている方もいます。施設の職員の方が寄せるエピソードもずいぶん充実してきました。  最近は19歳の女性の母親が手記を寄せています。辛い思いで書いたのだと思います。読みながら涙がこぼれてしまいました。  www.nhk.or.jp  サイトにはこんな投稿もありました。    名前が出せない中で、娘さんの姿を一生懸命描いたのだと思います。「娘は一生懸命生きていました」と。    寄せられた家族の方の手記の中にこんな言葉があります。 《それでも一日も早く裁判が始まってほしいと願うのは、犯人がどうしてこういう事件を起こしたのか、なぜ息子が死ななければならなかったのかを知りたいからです。》 「なぜ息子が死ななければならなかったのか」。この問いは、犯人だけでなく、私たち自身が受け止めなければならない重い問いだと思います。  家族の方に対し、近所の方がいわれたという言葉、 《事件後、長年つきあいがあり兄のことも知っている近所の人に「事件があったことは悲しいけど、でもよかったんじゃない?」と言われた》 「でもよかったんじゃない」は、とても残酷な言葉です。でも、多くの方がふっと思ってしまう言葉だと思います。どうしてこんな言葉が出てしまうのか、私たち自身が考えなくてはならない問題だろうと思います。  家族の言葉は、障がいのある人たちはどんな風に社会の中で受け止められているのか、を鋭く突いています。その問いに私たちはどのように応えていくのか、「19のいのち」のサイト見ながら思いました。その問いを考えつづけることが、事件を超える社会を作っていくことにつながるのだと思います。  こういった作業は、本来なら事件を起こした津久井やまゆり園がやるべきことだと思います。なぜ福祉の現場の職員がこのような事件を起こしたのか、という検証も含めて。  津久井やまゆり園は、相変わらず事件については一切語りません。どうして語らないのか、ここにこそ事件の核心があるように思います。  マスコミはここにこそ切り込んでいってほしいと思います。
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