ぷかぷか日記

街角のパフォーマンス

  • 大事なことは彼らを「理解」するのではなく、人として「出会う」こと
    2月11日の「ともに生きるってなんだろう」セミナーの事前質問第二弾です。   《障がい者に対して偏見などを持っている人が未だ多いと感じます。組織の中で1人でも多くの人に、障がい理解を促進していきたいと考えます。  教員時代、法人での活動の中で、高崎さんが今まで行われた事項でこれは理解が  深まった等の出来事があれば教えて下さい。》    そうですね、要はお互いが楽しく出会える場、機会を作れるかどうかだと思います。養護学校の教員をやっている頃、こんな素敵な子どもたちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、日曜日になると外に連れ出していました。  こんな感じの広〜い原っぱによく連れていって、そこの子どもたちと遊びました。  そこで遊んでいた子どもたちに、障がいのある子どもたちの説明とか、こんな風につきあって下さいとか、こんな配慮をお願いします、といったことは一切いいませんでした。連れて行った重度障がいの子どもの一人が野球をやっていた子どもたちの中にふらふらと入っていきました。どうなったと思いますか?ちょっと想像して下さい。  ①大混乱になった。  ②けんかになった いずれも×です。ではどうなったか。6年生のみさえの報告を見て下さい。  私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつ来たのかわかんないけど、けんいち君が入っていて、バットを持ってかまえているので、お兄さんのあきら君や大久保君にゆっくり軽い球を投げてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。  けんいち君は、最初のうちは球が来ると、じーっと球を見て、打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。  でもだんだんタイミングが合うようになり、ピッチャーゴロや、しまいにはホームランまで打つのでびっくりしちゃった。  それから、打ってもホームから動かないで、バットをもったまま、まだ打とうとかまえている。走らないの。  お兄さんのあきら君や大久保君や私たちで手を引いていっしょに一塁に走っても、三塁に行ってしまったりして、なかなか一塁に行かないんだもん。どうも一塁には行きたくないらしいんです。  でも、誰かと何回もいっしょに走るうちに、一塁まではなんとか行くようにはなったんだけど、それ以上は2,3塁打を打っても、一塁から先は走らないで、ホームに帰ってしまって、バットをかまえるのです。  「かして」っていってバットを返してもらおうとしたけど、返してくれないの。誰かがとろうとしてもかしてくれないんです。でも、どういうわけか不思議なことに、私が「かして」というと、かしてくれるのでうれしかったです。   だから、けんいち君が打ったら、バット持って行っちゃうから、私がけんいち君を追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。終わったらまたけんいち君という風に繰り返しました。  けんいち君はすごく楽しそうに見えたよ。最初はうれしいのか楽しいのかわからない顔だったけど、ホームランを打ち始めてから、いつもニコニコしていた。  一緒に野球をしたのは7人。敵、味方なし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバット振れる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、敵味方なし、チームなしになったの。一年生のちびっ子たちには都合がよかったみたい。負けてたからね。  泥臭い小さな「ともに生きる社会」がここにあります。  今、あちこちで「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのと言われていますが、一向にその具体的なものが見えません。30年前に子どもたちがいとも簡単に作ってしまった小さな「ともに生きる社会」が、どうして今ないんだろうと思います。  この話は『街角のパフォーマンス』にありますので興味のある方はぜひ読んでみて下さい。 shop.pukapuka.or.jp  障がいのある人たちは社会にあわせることを求められます。そうしないと社会の中で生きていけない、みたいなこと言われて…。  ぷかぷかはお店を始めるにあたって接客の講習会をやった時、接客マニュアルに合わせるぷかぷかさんの姿が気色悪かったので、マニュアルに合わせる、言い換えれば社会にあわせることをやめました。そうすると「ぷかぷかさんが好き!」というファンができました。彼らのこと「理解」したわけではありません。「理解する」ことと「ファンになる」ことは全く別です。彼らのことを「理解」しても。「ともに生きる社会」ができるわけではありません。でも「ファンになる」と、そこには「ともに生きる社会」が自然にできてきます。どうしてだと思いますか?  ここにぷかぷかのヒミツがあります。そのヒミツを知りたい方はぜひぷかぷかにいらして下さい。遠くの方は『ぷかぷかな物語』を読んでみて下さい。映画『Secret of Pukapuka』の上映会を開いてもらってもいいですね。映画を見ると、心ぷかぷかになってぷかぷかのヒミツがわかります。 shop.pukapuka.or.jp  大事なことは彼らを「理解」するのではなく、人として「出会う」ことです。彼らと「出会う」機会、場所を作ること。それが大事だと思います。
  • やはり彼らとどういう関係を作っているかがそのまま現れる
    『街角のパフォーマンス』(オンデマンド版)と『ぷかぷかな物語』が新たに入荷。アート屋わんどにて販売中です。  養護学校教員時代に素敵な子どもたちに出会い、「こんな素敵な子どもたちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいない」といっしょに地域に出て、いろんなおもしろいことやりました。予想を遙かに超えたたくさんの元気な物語が生まれ、それをまとめたのが『街角のパフォーマンス』です。  障がいのある人たちがいると、みんなどうしてこんなに元気になれるんだろうと思います。  世の中に障がいのある人たちはたくさんいるのですが、その人たちのまわりにいつもこんなに元気な場が出現しているかというと、決してそうではありません。最近よくある「ふれあいフェスティバル」などといったものの何倍ものエネルギーがここには充満しています。どうしてなんだろうと思います。  やはり彼らとどういう関係を作っているかがそのまま現れるのだと思います。「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのと言った言葉がまだなかった時代でしたが、小さな、それでいて熱い共生社会が『街角のパフォーマンス』にはあります。  どうしてこんなに元気な場が生まれたのか、そこにはどんな関係があったのか、そのヒミツがこの本にはあります。  ヒミツは「彼らといっしょに生きると楽しい」という思いです。それをみんなと共有できたから、こんなに楽しい元気な場ができたのだと思います。今、「ぷかぷか」が元気なのも、そういった思いがベースにあるからです。  ヒミツを握るタカサキも当時こんな感じでした。彼らと出会って、なんだかものすごく自由になりました。それがこの姿。  障がいのある人たちに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思って始めた「ぷかぷか」は、この10年でたくさんの素敵な物語を生み出しました。それをまとめたのが『ぷかぷかな物語』。                                 『ぷかぷかの物語』ではなく、『ぷかぷかな物語』です。どうして「の」ではなく、「な」なのか。それはぷかぷかさんたちといっしょに生きていこうって思えば、どこでも、誰でも作り出せる物語だからです。みんなが自分らしく、自由に、のびのびと生きられるそんな世界を、自分の手で作り出せるのです。  ぷかぷかさんたちといっしょに生きていく中でいちばんの気づきは、無理して社会にあわせなくても、 「そのままのあなたがいちばん魅力的!」 ということです。この気づきのおかげでぷかぷかさんたちは生きることがものすごく楽になったと思います。私たち自身も、彼らは社会にあわせなきゃいけない、という思い込みから自由になり、あらためて彼らと出会い直した気がします。  社会に無理にあわせなくていいのですから。自分の思うように生きて、お互い、毎日が楽しくなりました。いい一日を一緒に作っていこう!というみんなの目標もそこから生まれました。  ぷかぷかさんたちといっしょに、ぜひあなたのあなたらしい『ぷかぷかな物語』を作り出してみて下さい。みんなで自由に、私らしく生きて生きていくのがいちばん!  本はお店でもホームページからでも購入できます。 shop.pukapuka.or.jp  『街角のパフォーマンス』はタイトルを『とがった心が丸くなる』に変えて、アマゾンで電子本も販売しています。900円で安いです。Kindle会員だとただで読めます。                           
  • いつも健常者が上に立って、指導したりサポートしているという言い方が違うなと思っていました。
    『ぷかぷかな物語』の素敵な感想が届きました。 ●●● 様々、障害者雇用や福祉に関する本を読みましたが、 1番共感した本でした。   私は障害者雇用に携わりたく、ある会社に入社いたしましたが、 色々考えているうちに、障害者雇用、障がい者支援、どれも何だかしっくりこなくて、結局いつも健常者が上に立って、指導したりサポートしているという言い方が違うなと思っていました。   自分はどのようにして障がいを持つ方たちと携わりたいのか、何をしたいのか、言語化するのが難しいなと思っていましたが、本ではなるほど!そういうことか!と納得する表現がたくさんあり、本当に共感しました。   ぷかぷかさんとは、一緒に生きていく方が豊かで、街を耕してくれる存在。 素敵すぎます。 私もぷかぷかさんのようにどんな人の魅力も引き出せるようなことができたらなあ、そして、知ろうとしてくれる人が増えたらなあ、そう思っています。   まだまだ自分の中での周りに対する偏見や、知らないことが多く、未熟だなあと感じる事ばかりですが、ぷかぷかさんに伺うことで一歩前に踏み出せたら良いなと思っています。   ●●●    「いつも健常者が上に立って、指導したりサポートしているという言い方が違うなと思っていました。」という感覚が素晴らしいですね。こういう人こそが、障がいのある人たちと一緒に新しい未来を作っていくのだと思います。理屈ではなく、感覚的に「それはおかしい」と思うことが大切です。その感覚は障がいのある人たちとのフラットなおつきあいから生まれます。  いろいろできないことがあっても、おつきあいしていると、なんかすごく楽しかったり、ほっこりあたたかい気持ちになったりしたのだと思います。だから「いつも彼らの上に立って指導したりサポートしたり」といったことに疑問を感じたのだと思います。すごく大事な気づきですね。    昔養護学校の教員をやっていた頃、「指導」という言葉がどうもしっくりきませんでした。子どもたちは、いろんなことができなくても、そういったことを突き抜けてしまうような魅力を持っていました。そんな人たちにえらそうに「指導」するなんてことは恥ずかしくてできない気がしていました。彼らからは人間が生きる上で大切なことをたくさん教わりました。彼らと出会うことで、私は人生が変わったと思っています。人生がとても豊かになったと思っています。ですから、彼らより自分がえらいとはどうしても思えなかったのです。    彼らのおかげで『街角のパフォーマンス』という本まで書くことができました。             彼らと出会い、こんな素敵な人たちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、学校の外に連れ出しました。たくさんの人に出会い、たくさんの素敵な物語が生まれました。社会を、お互いがもっと生きやすくなるように変えていくような物語です。それをまとめたのがこの本です。  「ともに生きる」だの「共生社会」だのの言葉もまだなかった時代です。それでも養護学校の子どもたち、生徒たち、それに地域の人たちで小さな共生社会を実現させていたのです。    たとえばこの写真。養護学校の生徒たちと地域の子ども、大人たちが一緒になって即興で人形劇を作った時のものです。  こんなことを街角でやっていたのです。小さな共生社会がここにはありました。  この写真は35年ほど前に撮ったものです。「共に生きる社会」だの「共生社会」だの言われる今、この社会の中で、こんな場面がいったいどれくらいあるでしょうか。社会はどれくらい進化したのでしょうか?「ふれあいフェスティバル」だなんて、ちゃんと関係ができないことのごまかしだと思います。ふれあってるような関係からは、豊かなものは何も生まれません。上の、いっしょに人形劇を作っている写真、ふれあってるとはいいません。ふれあったくらいで、いっしょに人形劇なんか作れないのです。  ここに集まっている人たちは演劇ワークショップを3年ほど一緒にやっていた仲間です。月一回集まり、みんなで芝居作りをやっていました。そういうクリエイティブな関係があって、街角の人形劇作りが成立しています。彼らといっしょに生きるということと、ふれあう、というのは全く違うのです。そういう関係をどこまで丁寧に作ってきたか、ということです。『街角のパフォーマンス』は、そんな関係をどんな風にして作ってきたかの記録です。   『ぷかぷかな物語』はぷかぷかサイトで販売中。著者サイン入りです。 shop.pukapuka.or.jp  本を読んで、ああおもしろかったって思われた方は、ぜひアマゾンの販売サイトでカスタマーレビューを書いてください。よろしくお願いします。 『街角のパフォーマンス』はオンデマンド版をぷかぷかのサイトで販売中。オンデマンド版なので少し高いですが、読む価値はあると思います。著者サイン入りです。 shop.pukapuka.or.jp     『街角のパフォーマンス』はタイトルを『とがった心が丸くなる』に変えて電子本がアマゾンで販売中。アマゾンのKindle会員であれば、なんと無料で読めます。ふつうに買っても900円で安いです。  アマゾンのサイトで『とがった心が丸くなる』で検索してください。    本を読まれて、ああおもしろかったって思われた方はぜひ『とがった心が丸くなる』のカスタマーレビューを書いてください。
  • 30年前よりも時代は前へ進んだのだろうか
    『街角のパフォーマンス』の電子本が近々アマゾン、その他電子本サイトにアップされます。 www.pukapuka.or.jp  で、その校正原稿が上がってきました。ほとんど原本のままなのですが、修正、加筆OKとのことなので、何を書こうかと考えています。  基本はあの時代(30年前)よりも時代は前へ進んだのか、ということになります。目次の第5章に「いろんな人と出会える場があれば」と題して、新聞投稿「身体障害児の乱暴」の波紋を書いています。                                 電車の中で障がいのある生徒に赤ん坊の髪の毛を引っ張られ、そういう人をひとりで電車に乗せないで欲しいという投書が朝日新聞に載りました。私が勤務していた養護学校の生徒達も電車で通学している人がたくさんいましたので、学校として何らかのメッセージを出す必要があるのではないか、と職員会議で提案したのですが、反応はさっぱりでした。学校らしく指導を強化しようという声がかなりありましたが、そういう問題ではないだろうと思いました。  こういう社会的な問題に対してきちんと向き合おうとしない、というか、学校というところは、そういうものがわからない人がほとんどでした。そんな中で、とにかく関心を持つ地域の人たちを集め、何度も話し合いをやった結果をこの本には載せているのですが、その時に問題になった社会的な問題、つまりは障がいのある人たちの社会からの排除という問題は、30年後の今、ほとんど解決できていません。  やまゆり園事件がありました。「障害者はいない方がいい」と19名もの人が殺されました。障がいのある人たちのためのグループホームを建てようとすると、多くの場所で建設反対運動が起こります。「自分の住む場所には、障害者はいない方がいい」とやまゆり園事件の犯人と同じことを主張しています。出生前診断などを取り上げた『ルポ「命の選別」』では優生社会がどんどん広がっている現状をリアルに伝えています。          こういったことを考えると、30年たって、時代は前に進むどころか、更に悪くなっているのではないかと思います。  そんな中で私たちはどうしたらいいのか。問題が大きすぎて頭がクラクラしそうですが、優生思想云々の大きな話ではなく、自分の手の届く範囲で、できることをコツコツやっていくことは、その気になれば誰にでもできることです。  ぷかぷかの周りには「ぷかぷかさんが好き!」というファンがたくさんできました。ぷかぷかさん、つまりは障がいのある人たちが好き!なんていう人たちが増えるなんて画期的なことです。  ぷかぷかが何かすごいことやったわけではありません。「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトク!」としつこく言い続けてきただけです。言い続けただけでなく、そう思える中身を作ってきました。  障がいのある人たちを社会に合わせるのではなく、「そのままでいいじゃん」と、彼らのそのままを差し出してきました。そのままの彼らが一番魅力的、ということをたくさんの人たちと共有できました。  映画『Secret of Pukapuka』を見ると、「ぷかぷかさんが好き!」というファンが増えたヒミツが見えてきます。そのヒミツをあちこちで実践すれば、社会は変わっていきます。 www.youtube.com  このプロモーションビデオを見て、おもしろそうって思った方はぜひ仲間と上映会やってみて下さい。上映会をやり、みんなで話し合う場を持つこと、それが障がいのある人もない人もお互い暮らしやすい社会を作っていくことにつながります。上映についての問い合わせはぷかぷかのホームページからどうぞ。 www.pukapuka.or.jp  ぷかぷかが作ってきた物語をまとめた『ぷかぷかな物語』には、「ぷかぷかさんが好き!」というファンを増やすコツがいっぱい書いてあります。ファンが増えると、周りの社会が変わります。 www.pukapuka.or.jp  30年前よりも時代は前へ進んだのか。『街角のパフォーマンス』を読むと、あらためて考え込んでしまいます。  あーだこーだ言っても社会は変わりません。とにかくやれることをやっていきましょう。  今、私たちが動かないと、社会はもっとひどいことになります。子どもたちに私たちはどんな社会を残せるのだろう、と思うのです。
  • 『街角のパフォーマンス』が電子本に
     30年前に書いた『街角のパフォーマンス』が電子本になります。電子本を作っている「22世紀アート」という会社から声がかかりました。 www.22art.net   はじめは『ぷかぷかな物語』を国会図書館で見つけ、おもしろいので電子本にしませんか?というお誘いでした。でも、これは出版元の現代書館が電子本にする予定になっていたので(12月18日からアマゾンほか、紀伊国屋や楽天など、主要電子書籍店で購入できます)、『街角のパフォーマンス』を電子本にすることになりました。  制作の経費はこちら持ちです。20万円近い見積書が来ました。①本書籍の制作分析 ②テキスト化/PDF化 ③DTP制作など、これが妥当なものなのかどうかよくわからないので、『街角のパフォーマンス』の出版元太郎次郎エディタス社に聞きました。見積もりの内容、金額とも妥当なものだと言われ、あとはその金額が回収できるかどうかです。  で、22世紀アートに、経費が回収できるかどうかストレートに聞きました。100%保証はできませんが、今までの経験から十分回収できる本だと思います、の回答。その道のプロが本を読んで、そう言うのであれば、とGOをかけることにしました。  どうして30年前に書いた本を今、あらためて電子本の形で出すのかを考えてみたいと思います。  30年前に書いたとは言え、内容的に古いものではありません。30年前でありながら、そこで作り出したものは、時代のはるか先を行っていたような気がします。  「共生社会を作ろう」とか「ともに生きる社会を作ろう」といった言葉も、今ほど社会に広がっていない時代でした。障がいのある人たちに惚れ込み、一緒におもしろいことやろう!と、ただそれだけの思いでいろいろやっていたのですが、気がつくと、いっしょに生きる社会が小さいけれど自分のまわりにできていました。  支援とか指導ではなく、ただ一緒におもしろいことをやる。そんなフラットな関係で障がいのある人たちとつきあってきました。それが一緒に新しいものを創り出す元になったと思います。  演劇ワークショップも最初は「障がいのある人たちのために」みたいなところがありました。ところが始めてみると、演劇ワークショップの場の面白さを作り出しているのは彼らであり、彼らがいるからみんなが集まって来ることに気づきました。3回目くらいの反省会の時「支えられているのは私たちの方だね」と地域の人たちがいいました。何かやってあげる、という彼らとの関係が逆転したのはこの頃からです。彼らとの新しい関係がこうして始まったのです。  彼らに対して「あなたが必要」「あなたにいて欲しい」と素直に思えました。「共生社会を作ろう」とか「ともに生きる社会を作ろう」なんて言わなくても、そういった関係が自然にできたのです。それを考えると、『街角のパフォーマンス』で作った関係は、今のこの時代よりも先へ行っていた気がするのです。  社会の多くの人が、特に福祉施設の人たちが、障がいのある人に対して「あなたが必要」「あなたにいて欲しい」と思っていたら、あちこちで起きている虐待事件も、やまゆり園事件も起きなかったのではないかと思うのです。障害のある人たちに、日々接している福祉施設で、私たちが30年も前に作ったこんな関係が、どうしてできないのかと思います。支援はそういった関係なんか関係ないのでしょうか?社会から排除される彼らだからこそ、そういった関係が必要だと思うのですが… 目次見ただけでわくわくするような本です。  『街角のパフォーマンス』電子本は4月頃、電子本になります。発売日が決まりましたらお知らせします。
  • 関係を作り出すのは言葉ではないのです
    「7日間ブックカバーチャレンジ」で『街角のパフォーマンス』のこと書いたのですが、なんか書き足りない感じがしたので、もう少し書きます。  目次を見て欲しい。  養護学校の生徒、子どもたちといっしょに何かやることが楽しくてしょうがない、という感じが目次を見ただけでビリビリ伝わってきます。そういう気持ちでやっていたから、小難しい話抜きに、彼らといっしょに楽しいことをやる地域の仲間がいっぱいでき、今もって超えられないほどの素敵な関係がたくさんできました。   「あおぞら市」は生活クラブのお店の駐車場で、月一回開かれていた市。そこに養護学校の生徒、子どもたちと一緒に手打ちうどんのお店を出しました。手打ちうどんがおいしいことはもちろんあったのですが、養護学校の生徒、子どもたちがいることで、その場がとにかく楽しくなりました。何よりもみんながいつもより自由になれました。彼らがいると、どうしてそうなるんだろうね、という話をよくしたことを覚えています。  「彼らといっしょにやると楽しいね」「彼らは社会にいた方がいいね」「いっしょに生きていった方がいいね」ということがたくさんの人たちと自然に共有できた「あおぞら市」でした。  あおぞら市で養護学校の生徒、地域の子ども、大人たちが一緒になって即興で人形劇をやったことがあります。人形作りからお話作り、そして発表まで、その場でやってしまいました。こんなことができる関係が、今、地域にあるでしょうか?  演劇ワークショップのなかで養護学校の生徒が「森は生きている」を歌ったことがありました。歌がしんしんとしみて、地域の人たちもワークショップの進行役で来ていた黒テントのメンバーたちも、涙を流していました。  演劇ワークショップではこういった思いも寄らない素敵な出会いがたくさんあって、いつの間にか、養護学校の生徒、子どもたちに向かって  「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」 と自然に思える関係ができていました。「共に生きる社会」だの「共生社会」だのといった言葉すらなかった時代です。   そんな風に思える関係が、30年後の今、まわりにあるのかどうか考えてみて欲しい。  「共に生きる社会」だの「共生社会」だのといった言葉は溢れていますが、「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」と自然に思える関係がいったいどれだけあるでしょうか?  それを思えば、30年前の演劇ワークショップやあおぞら市がいかにすごい関係を生み出す試みであったかがわかります。  関係を作り出すのは言葉ではないのです。  ★『街角のパフォーマンス』は絶版ですが、オンデマンドで製作し、現在ぷかぷかのオンラインショップで販売中です。オンデマンドで作ったので、若干高めですが、値段の価値はあります。 shop.pukapuka.or.jp
  • 頚のコリがとれた!
    教員をやっている方が『街角のパフォーマンス』を読んで、「頚のコリがとれた」と感想送ってくれました。 《 実は、、、ここのところずーっと体調が良くなくて、、、身体が年々固くなってきてて、腰やら背中やら痛かったのが、最近は頚から後頭部に来て、頭がズーーん、グワングワン、となり、自宅に戻って最小限の家事をしたらもう何の気力もなくなる、みたいな日々が続いてました 実は今日、ちょこちょこ拾い読みしかできてなかった『街角のパフォーマンス』を始めから初めて読み通しました 読み終わった今、朝から今日もずっと痛かった頚のコリが、すっかり柔らかくなっているではないですか 薄々わかってはいたのですが、今、自分自身に不本意な事実が、どんどん身体を不自由にしていっているということを、確信するに至りました この本を読んで、私の身体は嬉しかったんでしょう こんな素晴らしい実践を積み重ねてきている高崎さんと、その仲間の方々は凄いと思うし、そんな高崎さんは幸せだろうな、と思いました。 そしてこの凄い、が、あたりまえになっていけるように、今の自分に具体的に何ができるか、と、模索中ではあったのですが、とりあえず、毎日をもっとゆったり、目の前のことひとつひとつを大切にやっていく、そんなぷかぷかさんたちみたいな生きる姿勢が大事かな、と思いました 》 どんなところがおもしろかったですか? 《 1つひとつのエピソード、登場する皆さんの奇想天外な、深くて温かい表現に、身体が弛んでいったのでしょうか 枠やら型やらを外した世界で生き生きとする皆さんの様子を思い描きながら、私自身が居心地のよさを感じたのでしょうか 読んでて、読み終わって、まず、私自身がもっと自由になりたい正直になりたいもう一回、何をやっても多少無理しても毎日楽しくてたまらなかった、昔(ん~、30年近く前になるけど)の自分を取り戻したいと思いました 》 楽しくてたまらなかった30年前というのは? 《 自分で自宅を解放して子どもたちと、又その家族の方々とも一緒に、一切を子どもたちに任せて過ごして、ハチャメチャな日々を送っていた頃の事です。》  すばらしい日々を作り出していた方なんですね。その後いろいろあって、今は教員をやっているのですが、いろいろ不自由なところがあって、体調がだんだん悪くなっていたようです。それが『街角のパフォーマンス』読んで、ずっと痛かった頚のコリがぽろっととれた、というところがおもしろいですね。  学校の教員やっていて、あちこちコリがたまっている方、ぜひ『街角のパフォーマンス』読んでみてください。  『街角のパフォーマンス』についてはこちら www.pukapuka.or.jp
  • 『街角のパフォーマンス』オンデマンドで100部限定印刷
      養護学校の教員をやっていた頃書いた『街角のパフォーマンス』をオンデマンドで100部限定で印刷しました。1988年に発行したものですが、中身は全く古くありません。というか、障がいのある子どもたちとこんなにおもしろい場をいろいろつくってきたことは、時代のはるか先を行っていたような気がします。いや、今の時代だって、こんな場はつくり切れていない気がします。  副題の《「障害」のある子たちからのやさしい反撃》は、彼らといっしょに作り出した柔らかなやさしい文化による、彼らを排除する文化への反撃、といった意味です。当時、私が彼らといっしょに作り出しているのは新しい「文化」だ、と主張していたのですが、振り向く人はゼロでした。何を寝ぼけたこといってんだ、という雰囲気。演劇ワークショップが読売福祉文化賞を受賞したのは、それから30年もたってからです。時代は何を見ていたのか、と思います。  ですから、今読んでも、新しいものがたくさん見つかります。ぜひ読んでみて下さい。 どんな内容なのか。目次を見ただけでわくわくします。  よく晴れた日曜日の昼下がり、街角の小さな駐車場に「カントト、チントト、カンカン、ジャーン」と鍋のふたやら空き缶やらのにぎやかな音が響き渡ると、プラスチックの野菜ケースを積み上げた舞台で人形劇が始まります。 「やあやあ、おまえはだれだ」 「おれか、おれはバナナから生まれたバナナ太郎だ。さあ、かかってこい」 と台所のスポンジでつくった小さな人形が右に左に舞台を動き回ります。街角にとつぜん出現した、なんとも楽しい雰囲気に、通りがかりの人たちも「お、なんだなんだ」と、つい足を止め、見入っていきます。  養護学校の子どもたち、生徒たちが地域に出て行く手がかりをつかもうと、月一回、街角の小さな駐車場で開かれている「あおぞら市」に手打ちうどんのお店を出していました。たまには何かおもしろいことやろうよ、って「うどんや」の終わったあと、そこにあつまった近所の子どもたち、大人たち、養護学校の生徒たち、子どもたちで即興の人形劇をやったことがありました。  地域の子どもたちと大人たち、養護学校の生徒たち、子どもたちで、街角の駐車場で即興の人形劇をやるなんて、今、この時代でもなかなかないと思います。即興で芝居をつくってしまうようなことができたのは、いっしょに演劇ワークショップをやり始めて2年目くらいで、みんな芝居つくりにかなり慣れていたからです。  即興で芝居をつくってしまうこともすごいのですが、その前にこういうことができてしまう関係があったことがすごい重要です。今のぷかぷかでも、地域の子どもたち、あるいは大人たちと、ここまでの関係はつくり切れていません。それを30年以上も前にやっていたのです。「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのの言葉すらなかった頃の話です。  どうしてこんなことができたのか、ぜひ『街角のパフォーマンス』読んでみて下さい。抽象的な話ではなく、具体的な手がかりがいっぱい見つかるはずです。  学校の中ではプレイルームを占拠し、役者もお客さんもクッタクタになるほどの熱気あふれる場「芝居小屋」をつくったりしていました。役者だけでなく、お客さんも一緒になって芝居をつくり、一緒になって楽しめるような場をつくりたいと、「海賊ジェイク」という芝居をまさに「芝居小屋」という雰囲気の中で、役者もお客さんも汗だくになってつくりました。     ビューン ビューン     ザザザザ ザッブーン     ピカピカッ ドッカーン    風をやる人、波をやる人、雷をやる人、全部やる人、なんだかわからないけど    めちゃくちゃにコーフンしてる人、「芝居小屋」はもう熱気むんむんの大嵐。  こういうことは事前に説明できません。その場で即興で進行していきます。説明するとつまらなくなります。何が始まるんだろう、どうなっちゃうんだろう、というわくわく感が、なくなってしまいます。予定通り進める、という予定調和は、場と向き合う、という緊張感をそいでしまいます。 《 当時はほんとに必死だった。お客さんはもちろん、いっしょにやる教員も「ほんまこいつ何やるんだろう」って感じだったから、もうとにかくここで勝負するしかないと思ったね。たった一人であの場と向き合ったときの緊張感は、今思い出してもたまらない感じ 》  いろんなことができるようになったのは、このときの経験が大きかったと思います。表現することの自由をこのとき手にしたように思います。その後転勤した養護学校では全校生を相手に体育館でこの「芝居小屋」をやりました。  今の学校に、これだけ熱気、エネルギーの渦巻く場があるでしょうか?管理ばかりやたらうるさくなって、みんなが生き生きする場がほとんどありません。これは管理する側の問題だけでなく、管理を超えるくらいのすばらしいものを作り出そう、という熱い思いのない教員の側の問題が多いと思います。  それを取り戻すにはどうしたらいいのか。この本には多分ヒントがいっぱいあります。  ベテランの教師と組んで「ちびくろサンボ」の芝居をやったことがあります。その教師が芝居の終わったあとの感想に「自分のために何かするなんて、はじめて」と書いていて、その言葉が妙に気になって、後日二人で話をしました。その時の記録が第3章(3)の二人でトーク「子どもと出会い、自分と出会う」です。ベテランですから、いつも子どものために授業をやってきました。レールを敷き、その上を授業案通りに走らせるような授業。そんなガチガチだった教師が、私と組んで「ちびくろサンボ」の芝居をやる中で、はじめて子どもと出会い、自分に出会います。そして「自分のために何かするなんて、はじめて」と感想に書きます。私も含め、自由になるってどういうことかについて深く語り合った貴重な記録です。ぜひ読んでみて下さい。  養護学校でステキな子どもたちに出会い、こんな子どもたちを学校に閉じ込めておくのはもったいない、と街へ連れ出しました。  原っぱで野球をやっていた子どもたちの中へ、重度障害の子どもが知らない間に入っていて、子どもたちはその子のためにルールを変えたりして楽しく遊んでいました。大人がお膳立てしたりする必要は全くありませんでした。  6年生のみーちゃんはこんなふうに書いていました。 《 私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつきたのかわかんないけど、けんいち君がはいっていて、バットを持ってかまえているので、おにいさんのあきら君にゆっくりかるい球をなげてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。  けんいち君は、最初のうちは球がくると、じーっと球を見ていて打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、後ろをふりかえって、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。 》  いっしょに遊んだ1年生のくんくんはけんいち君にお手紙を書きました。 障がいのある子を一人で電車に乗せないでください、という新聞投書がありました。     この投書をテーマにした集まりを地域の中でやりました。養護学校へ子どもをやっているお母さんたち、地域のいろんな人たちが集まりました。その中でこんなすてきな意見が出ました。 《今は人とつきあうおもしろさが実感としてなくなってきたんじゃないのかな。僕はお母さんたちの話を聞くのははじめてで、すごくいいなぁって思って、心が耕されているみたいです。そういうおもしろさみたいなのをうまい手段で伝え、みんなと結びつきができるようになれば、100年後には、もうちょっといい世界ができるんじゃないかな》  30年前はみんなそんな風に世界は少しずつよくなるものと考えていました。そんな思いでたくさんの方が投書を巡っていろんな意見を出してくれました。みんな、世界を少しでもよくしたい、と思ってのことです。こんなふうにすれば世界は少しずつよくなると思っていたからです。  でも、30年後、相模原障害者殺傷事件が起き、「障害者はいない方がいい」という犯人の言葉に賛同する人たちまで現れています。社会の分断は30年前よりも更に進んでいます。  結局、この30年、私たちは何をやっていたのか、ということです。  そんな中で、私たちはどう生きていくのかが問われていると思います。  『街角のパフォーマンス』ぷかぷかで販売しています。info@pukapuka.or.jp 魚住までお問い合わせ下さい。電話は045−923−0282 アート屋わんど
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