ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • アハーン
     ムンバイを舞台にしたインドの映画『アハーン』を見てきました。ダウン症の青年『アハーン』が主人公の、あたたかくで、なんとも楽しい映画です。  アハーンは25歳。仕事がしたい、家がほしい、家庭を持って、子どもは男の子と女の子の二人…と誰もが持っているいろんな思い、夢が心の中を渦巻いています。でも、親御さんも含め、誰も本気でいっしょに考えてくれません。障がいのある人の置かれている状況は日本もインドもそれほど変わらないんだなと思いました。  それでもアハーンのまわりには、ホッとするようなあたたかい雰囲気があって、人が自然に集まってきます。彼はあるがままの自分を生きています。彼には悪意がありません。やっぱりこういう人は街にいた方がいい、とあらためて思いました。    アハーンのような人がいると、街が明るくなります。楽しくなります。なんだかホッとできます。こういう人は街の宝です。  お母さんの作ってくれたお菓子を配達に行ったことがきっかけで、オジーという極端な潔癖症(強迫神経症)のおっさんと知り合いになります。下の写真のような顔をしていて、なんともとっつきにくい感じなのですが、このオジーがアハーンと知り合うことで、少しずつ変わっていきます。ここがこの映画の見所になっています。  アハーンがオジーの家に配達に行った際、奥さんの作ってくれたビリアーニ(南アジアの炊き込みごはん)をごちそうになり、その時うっかりソファの上にこぼします。オジーは猛烈に怒り、掃除機で掃除し、もう絶対に家に入れるなと怒鳴ります。あらゆる場面でオジーはうるさく小言を言い、うんざりした奥さんはついに家を出て実家に帰ってしまいます。  オジーは潔癖症故に、ほとんど家から出なかったのですが、家から出て行った奥さんに会いたくて、アハーンを車に乗せて会いに行きます。まわりの人を思いやる、ということがないのか、車に乗ってもやたらクラクションを鳴らします。大きな荷車が車の前を塞ぎます。クラクションを鳴らしても一向に動きません。その時アハーンが車から降りて荷車を押します。荷車はゆっくり動いていきます。車に戻ったアハーンが「問題解決」とぼそんと言います。オジーは返す言葉もありません。  オジーは自分の潔癖症を改善しようと精神科を受診し、医者と一緒に街に出かけ、様々な実践をします。下剤を飲まされ、今まで絶対に行かなかった公衆トイレに入ったりするのですが、その時のオジーの演技、表情がなんともおかしい。ゴミだらけの海岸を裸足で歩いたりもします。でも、そんなことで潔癖性は改善しません。  オジーが変わったのは、やはりアハーンと知り合ったことです。オジーの様々なこだわりが、アハーンとのおつきあいの中で、少しずつゆるんでいったのだと思います。人間が変わること、それは社会が変わること。アハーンと出会って、オジーが変わったということは、彼らのまわりの社会が、少しだけですが変わったということだと思います。  アハーンは何も言いません。でも、彼のまわりの社会は、彼がいることで少しずつですが、お互いが生きやすい方向へ変わっていきます。オジーも、生きることが少し楽になったのではないかと思います。奥さんとの仲も元に戻ったようでした。  アハーンが言います。  「自分の人生を生きたい」   ふだん、黙っていても、そんな思いは誰にでもあります。そんな思いを丁寧に聞いていきたいと思うのです。 ★新宿シネマカリテで上映中
  • あなたがいないと困る
    9月16日のブログの最後に 『障がいのある人達に向かって「あなたがいないと困る」って言える関係』 がワークショップの中でできたことを書きました。 www.pukapuka.or.jp  「あなたがいないと困る」と言えるくらい濃厚な人間関係、一緒に新しいものを創り出すようなクリエイティブな関係がそこにはあったということです。  一緒にワークショップをやることで、とんでもなく面白いものが生まれました。私たちだけでは絶対にできないものが、生まれました。彼らがいてこそ生まれたもの、それは新しい「文化」といっていいと思います。私たちの社会を豊かにする文化です。だからこそ、彼らとはいっしょに生きていった方がいいと私は思うのです。  第8期演劇ワークショップではレオ・レオニー作『フレデリック』を手がかりに芝居を作りました。  このときの記録映画が、ヨーロッパ映画祭の最終選考に残ったという連絡が入りました。これも、いっしょに生きることで生まれたものが評価されたからだと思います。12月4日にオーストリアのグラーツで授賞式があります。どうなるか、すごく楽しみです。  福祉の業界でいわれる「支援」という関係では、障がいのある人に向かって「あなたがいないと困る」なんて、多分言いません。なぜか。相手とそういう濃厚なおつきあいをしていないからです。淋しいというか、もったいないですね。一緒に生きると、こんなに素敵なものが生まれるのに…
  • ヨーロッパの映画祭からファイナリストとしてノミネート
     第8期演劇ワークショップの記録映画『そういうわけで』が、ヨーロッパの映画祭からファイナリストとしてノミネートされた、というお知らせが映画監督の内田さんのところに届いたそうです。国際インディー映画&脚本祭です。  受賞結果は12月4日にオーストリアのグラーツで開催される授賞式で発表されるそうです。  『そういうわけで』予告編 www.youtube.com  映画祭ですから、映像としての評価ですが、映画からは障がいのある人たちのクリエイティブな活動が見えるわけで、いっしょに生きるとこんなにすばらしいものができあがる、というメッセージが伝わるといいなと思っています。  ヨーロッパで障がいのある人達がどのように見られているのか、ネットで見てもよくわかりません。ぷかぷかのように、彼らとはいっしょに生きていった方がいい、というメッセージは見たことがありません。  なので、この機会にオーストリアまで出かけ、そういうお話をしてこようかなと考えています。どういう反応があるか楽しみです。     
  • 上映会、演劇ワークショップ
    横浜市都筑区民センターで上映会、演劇ワークショップをやります。  映画は『Secret of Pukapuka』です。https://www.pukapuka.or.jp/2022/06/06/7224/  演劇ワークショップはこんな感じです。 https://www.pukapuka.or.jp/2019/12/13/4278/  ぜひお越し下さい。
  • とがった心がまるくなる
     私たちのまわりにはいろんな人がいます。いっしょに生きている以上、そこではいろんな意見が飛び交い、時にうんざりするような争いになることもあります。原因は色々ですが、やはり私たちの心がとがっていることが大きい気がします。   そのとがった心をまるくすれば、世の中の争いはもう少し収まるのではないかと思います。どうすればいいか。  座禅を組んで心を落ち着かせたりすることも一つの方法です。もう一つ、障がいのある人と一緒に生きる、ということがあります。  彼らといっしょに生きていると、なんだか毎日が楽しくて、なによりも心がゆるっとゆるみます。それは彼らの持っている一つのチカラだと思います。  「ぷかぷか」のお店のまわりに「ぷかぷかさんが好き!」というファンが多いのは、お店で彼らと出会い、心がゆるっとゆるんだのだと思います。  障がいのある人はなんとなくいや、という思いが、障がいのある人達を社会から排除していますが、あんな素敵な人達を排除するなんてもったいないと私は思います。  毎日おつきあいしていると、色々大変なこともあります。面倒なことも次々に起こります。それでもそういったことを超える魅力、チカラを彼らは持っています。  人の心をゆるっとゆるめるチカラは、社会をゆるく変えていきます。みんなのとがった心をまるくしてくれます。そうやって彼らは社会を耕しています。みんなが生きやすい社会に。  彼らは社会にいた方がいいし、彼らとはいっしょに生きていった方がトク!です。彼らは両手で熱く包み込みたいような社会の「宝」だと思います。その話を色々書いていきたいと思います。(今まで書いたブログをまとめる、という感じですが…)  本のタイトルは『とがった心がまるくなる』(ぷかぷかな物語-その②)
  • すばらしい連鎖。これから何が生まれるのか、すごく楽しみ
     先日北九州の方と連絡取り合っていて、今度障がいのある娘さんと一緒にぷかぷかを訪ねてくるという話になりました。その時思い出したのがやっぱり北九州からぷかぷかを訪ねてきた家族。障がいのある息子さんとの生活がうまくいかなくて、色々悩んでいるときに、「ぷかぷか」を立ち上げ、ぷかぷかさんたちとの生活を楽しそうに語る私のブログに出会い、これは行って直接話を聞いてくるしかないと車椅子の息子さん含めて一家でやってきたニシヤマさんの話。 www.pukapuka.or.jp    ニシヤマさんの紹介で昨年北九州のココクルで演劇ワークショップをやりました。その時に参加した方がぷかぷかの理念に共感し、また今年娘さんと一緒にぷかぷかを訪ねてくるそうです。なんかうれしいですね。そうやってぷかぷかで新しい気づきを得て、その気づきが北九州でまた新しい何かを生み出す。すばらしい連鎖ですね。これから何が生まれるのか、すごく楽しみです。
  • やまゆり園事件から9年
     あの忌まわしいやまゆり園事件から9年です。  「どうしてあのような事件が起こってしまったのか」 犯人の植松だけのせいにせず、この社会を形成する私たち自身の問題として、それを考え続けることが大事だと思います。  事件以来「共に生きる社会を作ろう」という言葉が広がってきましたが、私自身は養護学校の教員をやっていた頃、障がいのある子どもたちに惚れ込み、彼らとずっといっしょに生きていきたいと思い、定年退職を機に彼らといっしょに生きる場として「ぷかぷか」を立ち上げました。  障がいのある人達とはいっしょに生きていった方がトク!と言い続けてきました。  トク? え?どうして? と、障がいのある人達のことをあまり知らない多くの人は思います。  彼らと過ごす日々は楽しいです。色々困ることは多いですが、それでも尚、いっしょに生きる日々は楽しいと私は思います。                                       彼らといっしょに生きる日々は楽しい、と言い続けて15年。「ぷかぷかさんが好き!」というファンが地域社会の中でずいぶん増えました。障がいのある人達はなんとなくいや、という人達が多い中で、彼らのことが好き!という人が現れたことは画期的だと思います。ぷかぷかがやってきたことへの社会の反応といっていいと思います。共に生きる社会は、こんな風にしてできていくのだと思います。  9年続けてきた演劇ワークショップは、いっしょに生きると社会が豊かになるということを目に見える形で舞台で表現してきました。                 やまゆり園事件について、あーだこーだ小難しいことを言うのではなく、彼らと過ごす楽しい日々を具体的に作り出すこと、それを社会に開かれた場で実践すること、いい一日だったねってみんなで言い合えること、そんなことが大事だと思っています。
  • 美帆ちゃんのこと忘れないよ
     先日ある新聞社の記者から、その後やまゆり園事件について何かやってますか?という質問が来ました。特にやっていません、と回答しました。以前は事件を考えるためのイベントを色々やっていましたが、イベントをやっても社会が変わるわけでもなく、最近は何もやっていません。  イベントはやっていませんが、「障がいのある人たちといっしょに生きていく」ということを、就労支援事業所、生活介護事業所を運営するという形でやっています。  「障害者はいない方がいい」という事件のメッセージに対する私たちの応えです。 www.pukapuka.or.jp  障がいのある人達と日々一緒に過ごすことを楽しい、と思えること。そう思う人が増えること、それが日々の暮らしの中で自然にできること、それが事件を超えることだと思います。  ぷかぷかのメンバーさんの中に、事件で犠牲になった美帆ちゃんの誕生日に、毎年のように誕生日カードを描く人がいます。丁寧に丁寧にカードを描きます。できあがったカードは私の方で美帆ちゃんのお母さんに送るようにしています。 美帆ちゃんは唐揚げが好きでした。なので、美帆ちゃんの誕生日には給食が唐揚げになったりします。  こういうことが事件を忘れない、ということだと思います。コムツカシイ話をするイベントではなく、給食の唐揚げ食べながら、「そういえば美帆ちゃん、唐揚げが好きだったんだよね」って思い出したりする方が、長く続けられる気がします。    障がいのある人達と楽しい毎日を過ごすこと、それがあの忌まわしい事件を超えることです。「支援」という上から目線ではなく、どこまでもフラットな関係でおつきあいすること。そこがすごく大事だと思います。        
  • おつきあいしないとソン!
     10年ほど前だったか、東北は花巻にお住まいの方が、スーパーの駐車場でうろうろしていた息子が不審者として通報され、警察に保護されました。何もしゃべらないので、警察も困ってしまい、本人の持ち物から家の方に連絡が入り、先ほど迎えに行ってきました。本人は何もしていないのに不審者扱いされ、警察に通報されたりしたことがとても悲しいです、と本人の写真入りでFacebookに投稿がありました。  私はその写真を見て、「いやぁ、いい男だなぁ」と「一目惚れ」。すぐにお母さんに連絡を取りました。「お母さん、大丈夫ですよ、私は一目で息子さんに惚れ込みましたよ。息子さん、すごく魅力的です。自信を持って生きていきましょう」と伝えました。息子さんはアンジェルマン症候群で私が養護学校の教員になって最初に出会った子どもがサト君というアンジェルマン症候群の子どもでした。  障がいのある子どものことを何も知らずにいきなり現場に飛び込み、毎日どう対応していいかわからずオロオロしていた私にサト君は 「いや〜、おもしれえ、おもしれえ、がはは、がはは」 と何やっても手を叩きながらゲラゲラ大笑い。こういう反応があると、やっぱりうれしいもので、毎日がとても楽しくなり、障がいのある子どもたちにすっかり惚れ込んでしまいました。そこから予想もしない新しい人生がはじまり、今日に至ります。  そんなこともあって、花巻の不審者に間違えられた青年の写真見て、こんな魅力あふれる青年を警察に通報してしまう社会が悲しくなりました。駐車場でどうしていいかわからず、うろうろしている青年に「どうしたの?」と一声かけてあげればすんだ話です。おつきあいがない、ということは、こういう悲しい現実を生み出してしまいます。  どんな形でもいい、彼らとおつきあいすること、それがお互い気持ちよく暮らせる社会を作っていく出発点だと思います。  この魅力あふれる青年、見て下さい!私はこういう青年、大好きです。おつきあいしないとソン!こういう青年がいてこそ、社会は豊かになります。
  • 持続可能な社会
     「SDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けて何ができるか」 がテーマで先日岩佐教育文化財団というところからアイデアの募集がありました。  sdgs-iwasazaidan.com  そりゃやっぱり、障がいのある人たちといっしょに生きることだと思います。毎日楽しいし、何よりもどこかゆるっとします。あっちもこっちもがっちり決められた社会は窮屈。息苦しい。こんな社会はみんな疲れてしまって長続きしません。  写真の、こういう人たちこそが社会をゆるっとしたものにして、持続可能な社会にしてくれるのだと思います。あーだこーだややこしいこといわなくても、一緒に楽しい毎日を過ごすだけ。  そりゃもちろん、面倒なことや、大変なこともたくさんあります。言うことがうまく通じないとか、思うように動いてくれないとか、どこかへ行ってしまうとか、大声を出すとか……。でも、それが彼らといっしょに生きるということです。だからおもしろい!と私は思うのです。ま、好みっていえばそれまでですが、それで済ませてしまうのはもったいない。  いろんな規範に縛られた社会は長続きしません。ゆるっとゆるんだ社会こそが長続きするように思うのです。
  • 最近の日記
    カテゴリ
    タグ
    月別アーカイブ