ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 反対運動をする人たちの心を開くのはなんなんだろう
    津久井やまゆり園の事件について考える集まりに行ってきました。 主催者二ツ橋大学の杉浦さん報告です。   40人を超える多士済々の方にご参加いただきました。予定を大幅に超える濃密な時間と成りました。皆さんの熱い思い、込み上げてくる気持ち、絞り出すような声を聞き、この場を開いて良かったなと思いました。一緒に考え、耳傾ける場は貴重な時間でした。報告して下さった佐藤記者、厳しい質問にも真摯に答えて下さり感謝です。涙ながらに堪えてきた思いを切々と話してくれたお母さん。逃げる事なく踏み込んだ発言をして下さった方、皆さんの思いを希望に変えた行く一歩にしたいと思います。津久井やまゆり園の事をお話する時間が少なくなってしまった事、お詫びします。共に生きていく事の喜びを映像で伝えてくれたぷかぷかの高崎さんにも感謝。夜、津久井の地域住民の方達の「考える会」の取材をされていた福祉新聞の福田さん、神奈川新聞の草山さんと合流し、お互いに今日の様子を話しました。まだ、まとまりませんが、次回は津久井の方たちと一緒に場を作れればと思います。先ずは簡単なご報告まで。    グループホームの問題についての神奈川新聞の記事は素晴らしい内容だっただけに、もっと早い時期に出ていれば、ひょっとしたら結果が変わっていたかもしれないと思いました。  あの記事は本当に嬉しかった、と涙を流しながら発言した障がいのある子どもを抱えたお母さんがいました。そういう思いをずっと抱えてきた人たちはたくさんいたんだろうと思います。グループホーム建設反対の看板を見てつらい思いをしてきた人もたくさんいたと思います。あるいはあの看板はおかしいと思っていた人もたくさんいたと思います。  あの記事がもっと早くに出ていれば、そんな人たちの背中を押したんだろうと思います。そんな人たちの横のつながりができ、それが少しずつ力になり、事態が変わるようなことになっていたかもしれません。  いろいろ配慮しなければならないことがあったとはいえ、取材をして事態を把握していながら情報を流さなかったのは、報道機関としては、やはりまずかったのではないかと思います。    神奈川新聞の素晴らしい記事はこちら www.kanaloco.jp www.kanaloco.jp   www.kanaloco.jp     反対運動をする人たちの心を開くのはなんなんだろうと思いました。9月にあった集まりで知人の発言を聞いてこんなことを日記に書いています。     30年ほど前、瀬谷にある生活クラブのお店の駐車所で「あおぞら市」というのがあり、そこに養護学校の生徒たちと地域の人たちで一緒に手打ちうどんのお店を出しました。そのときに手伝いに来ていた人が容疑者の闇の部分が私にもあります、と発言していました。 《 高崎さんに声をかけられて手伝いに行ったものの、障害のある人たちにどう接していいかわからずほんとうに困りました。「ああ、うう」とかしかいえなくて、よだれを垂らしながら歩き回っている人がいて、正直気持ち悪くて、私の方へ来なければいいなと思っていました。ところがお昼になってご飯を食べるとき、たまたまテーブルがその子とお母さんが座っているテーブルしかあいてなくて、ここでやめるのも失礼かと思い、勇気をふるってそこへ座りました。そのとき、そのよだれを垂らしている子どもが私に向かって手を伸ばしてきました。ああ、困った、と思いながらも拒否するわけにもいかず、思い切って、本当に思いきってその子の手を握りました。  すると、その子の手が柔らかくて、あたたかいんですね。もう、びっくりしました。なんだ、私と同じじゃないかと思いました。この発見は私の中にあった大きなものをひっくり返した気がしました。  その子のやわらかくて、あたたかい手にふれるまで、その子をモノとしか見てなかったのです。容疑者とおんなじだと思いました。でもその子の手が、その闇から私を救い出してくれた気がしています。》  いいお話しだと思いました。こうやって人と人が出会い、そこから新しい世界が始まっていくように思いました。  結局のところ、こうやって障がいのある人たちと出会う機会がないことが、相模原障害者殺傷事件を生むような社会を作っているように思います。    グループホームに反対した人たちも、結局のところ障がいのある人たちと出会う機会がなかったのだろうと思います。偶然でもいい、瀬谷区役所に用があってきた時に、たまたまぷかぷかのパンの外販があって、パンを買うついでに二言三言ぷかぷかさんと話をして、なんだかちょっと楽しい気持ちになったり、あたたかい気持ちになるような体験をすれば、頑固に反対していた気持ちが、ちょっと緩むかもしれません。  瀬谷区役所では毎週木曜日パンの販売をしています。どなたか美味しいパン買いに行きませんかって誘ってみてください。  
  • 何ですかね、この「屈しない」というのは
    「津久井やまゆり園」建て替えで住民説明会があったそうです。 www.kanaloco.jp  県の福祉部長が「建て替えは、屈しないという強いメッセージになる」といったそうですが、何ですかね、この「屈しない」というのは。何に対して「屈しない」のでしょう?何か勘違いしていませんか?あの事件は、何かに「屈する」ような事件だったのでしょうか?  「テロに屈しない」と、ブッシュ元大統領とか安倍首相とか、威勢のいい人たちが言ってますが、テロが減りましたか?争いがますます拡大しただけじゃないですか。テロがなぜ起こるのか、その根本的な原因の解消を目指すことなく、より大きな暴力で押さえ込もうという発想は、テロをさらに拡大させるだけです。   この言葉と同じような感覚で「屈しない」などといったのであれば、事件に対して何の解決にもならない気がします。「力」で押し返すような、そんな問題ではないはずです。      今朝の朝日新聞にはこんな記事。 www.asahi.com  問題の矮小化だと思います。あの事件は防犯上の問題で起きたのでしょうか?こんなことでまとめてしまっていいのでしょうか?  社会全体を見渡す視線が恐ろしいほど欠落しているように思います。    神奈川県に対し、元々期待なんかしていませんでしたが、今日の二つの記事は、あらためて、事件を本気で解決する気がないことがよくわかりました。  事件後に掲げられた「共に生きる社会かながわ憲章」が白々しいです。2番目に、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します、3番目には、いかなる偏見や差別も排除します、とあるので、瀬谷のグループホームの事件についてどう考えるのか聞いたところ(県のホームページで市民の意見を言うところがあります)、あれは市の管轄なので県は関与しない、という回答がきました。ま、この程度です。 一 私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします 一 私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します 一 私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します 一 私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます    神奈川県のホームページのトップに掲げてあるのですが、こんなのがあっても社会はちっともよくならないし、作った人たちも本気でそれをやろうとしていないことがよくわかりました。とりあえず掲げました、って感じでしょうか。  それよりも今日、「ぷかぷかさん」たちと、いい1日を作ること、そしてそれに共感する人を作ること、それこそが社会を少しずつよくしていくように思います。      
  • 排除される側への想像力の欠如
     グループホームの建設反対運動はこんな風にして始まるんだと思いました。   bylines.news.yahoo.co.jp    排除される側への想像力の欠如は信じがたいほどです。それは自分自身を貧しくします。排除の論理は、排除する側から人間性をも排除します。だから一線を超える可能性をいつでもはらんでいることを私たちは忘れてはならないと思います。  そしてこの投稿を読んで見えてくる、病む側、排除される側の、豊かさ。悲しい状況にあっても、ここには希望があります。  相模原障害者殺傷事件の背景は、どこにでもあることを、あらためて思いました。これを私たちはどうやって乗り越えていけばいいのでしょう。簡単な答えはありません。愚直に考えて考えて考え抜くしかないのだと思います。  そして何よりも、お互い知り合う機会を作ることだと思います。相手を知ること。そのことに尽きます。  ぷかぷかは障がいのある人と街の人の出会いの場所としてスタートしました。そのことの大切さを事件以降一層感じています。  仮に全国の福祉事業所が、そこで働く障がいのある人たちと街の人たちとの出会いの場として機能するなら、社会はそこから変わっていきます。今ある事業に、そういう機能をちょっと付け加えるのです。風通しを良くするのです。これはその気になればすぐにでもできることです。         
  • 津久井やまゆり園で起きた事件を超えていくために
    11月27日(日)午後1時半より瀬谷区の二ツ橋大学(せやまるふれあい館)で「津久井やまゆり園で起きた事件を超えていくために〜グループホーム建設反対運動を通して考えること」と題して話し合いがあります。以下のようなメッセージが発信されています。    事件が起きて2か月目の9月に「津久井やまゆり園で犠牲になられた方々への追悼の集い」を開き ました。様々な立場からのご意見、思いのひとつひとつが胸に響きました。と同時に、まだまだ語ら れていない声があるとも思いました。敢えて宣言文や声明を出しませんでした。異なる意見や声があ るとすれば、その回路を開けておきたいと思ったのです。 そのためには、この“場所“を続けて行こうと思いました。 そこで、11月にもう一度、この事件を乗り越えていくために一緒に何ができるのか?を考える場を 開きたいと思います。 但し、瀬谷で津久井やまゆり園の事件が内在する問題と向き合っていくためには、この地域で起き た“グループホーム建設反対運動”という出来事を素通りしていくわけにはいかないと思います。 この問題について、神奈川新聞に特報記事を書かれた佐藤さんからの報告を通して、実際に何が 起きていたのか?を知り、共に“私たちの未来”を思考したいと思います。 あらゆるバリアーとボーダーを越えていくために・・・。 (どなたでも参加できます。先ずは知ることから始めませんか?) 主催:二ツ橋大学(横浜市瀬谷区の障がい当事者、支援者有志による学びの場を不定期にひらい てきた小さな集まりです)会場:せやまるふれあい館 横浜市瀬谷区二ツ橋町469参加費:無料 開場13:00~お問合せ:二ツ橋大学事務局・杉浦 080-5494-3439 sugi808@infoseek.jp     グループホームの建設が住民の反対運動で断念せざるを得なかった「事件」はこちら www.kanaloco.jp www.kanaloco.jp   www.kanaloco.jp    一方で、津久井やまゆり園の献花台も年内で撤去されるようです。 www.kanaloco.jp   建替えもどんどん進みます。 headlines.yahoo.co.jp      社会のこういった動きを見ていると、やはり誰かがあの事件を語り続けないと、本当になかったことになってしまうだけでなく、また起こる可能性すらあります。  あの事件は私たち一人一人にとって何だったのか、どうすればあの事件を超えていけるのか、そのためには何をしたらいいのか、「障害者はいない方がいい」などと考える社会は、本当にみんなが生きやすい社会なのかどうか、考えなければならないことはいっぱいあります。  「障害者はいない方がいい」と言った事件の容疑者と「障害者はここに来るな」と言い続けたグループホーム反対運動は、事件の形は違っても、障がいのある人たちを見る目は一緒です。  グループホームの事件はどこにでも起こりうる事件です。障がいのある人はなんとなく嫌だな、と思う普通の人の感覚の延長にあるからです。  だから怖いのです。いつかそういったことが一線を越えるんじゃないか、と。    「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」と言い続けているぷかぷかにとって、相模原の事件も、グループホームの事件も、ぷかぷかの目指しているものとは正反対のものでした。ぷかぷかさんたちを抱きしめて泣きたいくらいの事件でした。  正反対だからこそ、今まで以上にぷかぷかさんたちと楽しい日々を作り続けたいと思うのです。  かつてぷかぷかのファンだった人たちが、今スタッフとしてぷかぷかを盛り上げてくれています。そのことが私はすごく嬉しいです。  今日はパン屋でびっくりするほどのリニューアルがありました。新しいパンを焼いてくれました。 pukapuka-pan.hatenablog.com  それは今の社会情勢にあって、大きな「希望」と言えるほどのものでした。この「希望」があるから、前を向いて進んでいけます。「明日はもっと楽しい1日をぷかぷかさんたちと作ろう」って。          
  • 「ぷかぷかさん」が生み出した、なんともあたたかみのあるおかしさ
      第3期4回目のワークショプがありました。今年は『セロ弾きのゴーシュ』に取り組んでいますが、最初の練習の場面、ネコ、カッコウ、タヌキ、ネズミの場面が大体出来上がりました。  今回の一番の収穫は、ぷかぷかでつくった「秋コレ・ぷかぷかファッションショー」のために作ったモデルのお姉さんたちとの共演でした。あの素敵なお姉さんたちと一緒にワークショップの発表会の舞台に立てないかとずっと考えていました。  ネズミの場面に「夜風とどろき」という素晴らしい歌が登場します。宮澤賢治が剣舞の素晴らしさに感動して作った詩に林光さんが曲をつけたもので、オペラシアターこんにゃく座の『セロ弾きのゴーシュ』のネズミの登場するシーンでゴーシュが歌います。その朗々とした歌いっぷりに私は惚れ込んでしまいました。あの歌をバックに、ファッションショーのモデルさんと一緒に踊れないかと思ったのです。  この提案が思いの外うまくいった気がします。  出番を待つお姉さんたち。  「夜風とどろき」の歌詞はとても難しいのですが、メロディは病気になったネズミの子どもを元気にするにふさわしいものです。  こんな歌です。日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんが入るという、実に贅沢な歌の練習でした。 www.youtube.com お姉さんたちと一緒に踊りました。 www.youtube.com  振り付けはもう少し整理したいと思いますが、とりあえずは面白い雰囲気が出ていたと思います。  『セロ弾きのゴーシュ』の舞台にこんなお姉さんたちが登場するなんて前代未聞ですが、ま、これがぷかぷかの舞台です。来年1月29日の発表会、楽しみにしていてください。  面白かったのはこのあとのグループで字を読むのがあまり得意でない「ぷかぷかさん」がネズミのお母さんをやりました。病気になった子どもたちをぞろぞろ連れてゴーシュのところへやってきて、病気の子どもたちのためにセロを弾いてくれるように頼みます。 「どうして俺がセロを弾くと病気が治るんだ」 と聞くゴーシュに「ぷかぷかさん」は一生懸命説明するのですが、たどたどしい説明でなかなか前に進みません。具合の悪い子どもたちは、お腹が痛いの、吐き気がするの、熱があるの、と次々に訴えるのですが、お母さんの説明はどこまでもたどたどしく、なかなか前に進みません。子どもたちはのたうちまわっています。  このシーン、なんともおかしくて、みんな笑ってしまいました。このおかしさは演出で生み出したものではありません。「ぷかぷかさん」がネズミのお母さん役をやることで生まれた、なんともあたたかみのあるおかしさでした。  社会の中ではダメとされる、たどたどしい読み方が、演出で生み出すのは多分難しい「おかしみ」を、ごく自然に生み出し、今日のワークショップの中では特筆すべきほどの価値あるシーンを創り出したのです。 www.youtube.com  病気の子ども役をやった地域のお父さんは最後の反省会で 「今日は久しぶりに必死になって芝居をやりました」 とおしゃっていましたが、デフパペットシアターひとみのプロの役者さんたちもいつになく楽しそうに、そして必死に演技していました。ヨコハマアートサイトから来たセミプロ級の役者さんもお父さんネズミ役を、涙ぐましいほど一生懸命やっていましたね。そういう風にみんなが必死になるような時間を作り出した「ぷかぷかさん」の活躍ぶりにあらためて拍手を送りたい気持ちです。   ネズミのお母さんの役を普通の人がやって、演出家の指示に従ってたどたどしく読んでも、こんなシーンは絶対に生まれません。「ぷかぷかさん」がいてこそ生まれたシーンなのです。そのことを意味をしっかり考えたいと思うのです。  「ぷかぷかさん」は社会に必要なのです。彼らがいてこそ、こんなにも豊かな時間が生まれるのです。  相模原障害者殺傷事件の容疑者は「障害者はいない方がいい」などと言いましたが、とんでもない話です。障がいのある人たちを社会から排除すれば、社会はどんどん痩せこけていきます。  ワークショップは「ぷかぷかさん」たちとただ一緒にいればいい、というのではなく、そこから一歩も二歩も先へ行って、新しい価値を一緒に作り出しているのです。新しいものを一緒に生み出す関係を「ぷかぷかさん」たちと作っているのです。  タヌキのシーンでは原作にある「愉快な馬車屋」(江原さん作曲)を江原さんと大ちゃんのコラボでやります。 www.youtube.com タヌキのシーンではもう一曲「てぃーちでぃーる」を歌います。太鼓のリズムが難しく、デフパペットシアターひとみの音楽担当やなせさんと、ピアニストのあみちゃんの特訓を受けました。 デフパペのプロの役者が「ぷかぷかさん」相手になんだか困っていました。  ワークショップをやっているリハーサル室の片隅ではアートパーク館長と舞台監督が発表会の舞台設計をやっていました。
  • しんごっちのメッセージ
     原鉄道博物館に行った際、電車が大好きだったしんごっちのことを思い出し、そのことを日記に書いたら、お母さんが読んでくれていて、こんなコメントが寄せられました。   「今日行くでしょ?」と40度の腫瘍熱で意識が朦朧とする中、原鉄道博物館へ行く約束を忘れずにいた あの日を思い出しながらブログを読ませていただきました。余命一週間…奇跡の復活。寄り添ってくださった皆様の想いが届きました♡忘れずにいてくださること、とても嬉しいです。    40度も熱があって、意識ももうろうとする中で原鉄道博物館に行ったんですね。あらためてしんごっちの前向きに生きるエネルギーを思いました。  ぷかぷかでは毎日帰りの会で 「今日は、いい一日でしたか?」 という質問をします。いい一日を過ごすこと、いい一日を創り出すことが、いい人生の出発点だと考えるからです。   しんごっちはその「いい一日を過ごすこと」と「いい一日を創り出すこと」の名人でした。  給料が出たら、横浜ー川崎間の一区間だけのグリーン車の切符を買って、8分間の豪華な旅をするなんて、そういうことを思いつくこと自体が、本当にすばらしいと思います。まさに「いい一日を創り出すこと」の名人だったのです。 pukapuka-pan.hatenablog.com    街の模型を思いをこめて作り、更にそれを思いをこめて写真に撮っていました。しんごっちのわくわくしている様子が手に取るようにわかる写真です。「いい一日、いい瞬間を創り出すこと」の名人だったのです。 pukapuka-pan.hatenablog.com   入院中、自分のベッドで動画も撮っていました。どんなときでも前向きの気持ちで生きたしんごっちの生きる姿勢が鮮明に見える出来事でした。 pukapuka-pan.hatenablog.com    しんごっちは、いつも前向きの人生を生きていました。銀河鉄道の絵は遙か遠くを見据えて生きようとする思いがあふれていたように思います。しんごっちの人生の壮大さ、スケールの大きさを思います。  下から見上げた銀河鉄道の絵を描いた時のしんごっちは、なんかもう私たちの手の届かないところにいたように思います。あの銀河鉄道ははどこへ向かっていたのでしょう。 pukapuka-pan.hatenablog.com   しんごっちは日々楽しいことを見つけていたので、子どもたちにもその楽しさをプレゼントしたかったようです。 pukapuka-pan.hatenablog.com pukapuka-pan.hatenablog.com   ぷかぷかはしんごっちをしっかり支えていました。 pukapuka-pan.hatenablog.com  しんごっち展をやりました。 pukapuka-pan.hatenablog.com    相模原障害者殺傷事件の容疑者は「障害者は不幸しか生まない」といっていました。かつてのナチスはそのために何万人という障がいのある人たちを殺してしまいました。その優生思想から私たちはまだまだ抜け出せていません。  今の社会でも「障がいのある人たちは不幸だ」と多くの人たちが思っています。「障がいのある人たちはかわいそうな人たちだ」と。そんな社会の中で、しんごっちはすばらしく豊かな人生を築きあげ、その中を生ききったように思うのです。  そんな彼の生き様から私たちは何を学ぶのか、ということです。しんごっちが残したものを、今こそ私たちは掘り起こさなければ、また第二、第三の相模原障害者殺傷事件が起こるような気がしてならないのです。  原鉄道博物館でしんごっちのことをふと思い出させてくれ、それにお母さんがコメントを寄せ、あらためてしんごっちのことをいろいろ思い出したのも、今の時代の中でくれたしんごっちのメッセ−ジなのかも知れないな、と思うのです。  
  • 今朝、テレビの画面の中で彼らは堂々と歩いていました。
    NHKおはよう日本で「ぷかぷか」が紹介されました。笑顔で登場する「ぷかぷかさん」たち、あらためて街の「宝」だと思いました。  この人たち、街の「宝」として、本当に大事にしたいと思うのです。  昔、私がまだ学生の頃、胎児性水俣病の子どもを抱きながら、『この子は宝子ばい』と言っていたお母さんがいました(下の写真)。でも、その『宝子』の意味がどうしてもわかりませんでした。重い障がいをもった子が、どうして『宝子』なのか、よくわからなかったのです。 (慈しむように子どもを見つめるお母さんの顔が素敵です)  でも、障がいのある人たちと付き合ってきた今、『宝子』という言葉に込めたお母さんの思いが痛いほどわかります。ぎすぎすした息苦しい今の世の中にあって、ただそこにいるだけで心安らぐような雰囲気を作ってくれる彼らの存在は、やはり『宝』といっていい存在だと思うのです。彼らがそばにいるおかげで、私たちは人としてそこに立つことができるのだと思います。  かつてあったおおらかさがなくなり、どんどん息苦しくなっていく今の社会には、そういう『宝』こそが必要なんじゃないか、私はそんな風に思います。   街の人たちに、そんな『宝』のような存在に出会ってほしい。そう思って「ぷかぷか」を立ち上げました。  そして今日、テレビの画面の中で彼らは堂々と歩いていました。本当に堂々と。なんかね、ちょっとうるっとしました。  相模原障害者殺傷事件で犠牲になった人たちが私に朝日新聞の投書を書かせました。それを読んだNHKの方が連絡を取ってきました。そんなつながりが今日の映像になりました。そしてたくさんの人たちが街の「宝」に気がついたことと思います。無念の思いで死んでいった人たちの思いが今日のテレビの画面にはあったと思います。それをしっかりと受け止めたいと思うのです。
  • 具体的な事業を提案し、それが相模原障害者殺傷事件を超える社会を作ることにつながる
     日本財団の助成金申請が先ほど終わり、ホッとしたところです。今日の23時59分が申請締め切りでしたが(ネット上で申請します)、少しゆとりを持って申請を終えることができました。  助成金申請書作りは、本当に自分が鍛えられる感じがします。事業の目的、目標、内容を限られた文字数で表現します。それを書いていく中で、自分がやろうとしていることがくっきりと見えてきます。  今回は相模原障害者殺傷事件があり、それを超える社会はどうやったらできるのか、が大きなテーマでした。抽象的な言葉ではなく、具体的な事業の提案です。目指す社会を実現していく事業です。  映画と芝居作り(演劇ワークショップ)を提案しました。  映画については先日日記に書きました。 pukapuka-pan.hatenablog.com    芝居作りについては以下のように書きました。 《目的》 相模原障害者殺傷事件の容疑者は「障害者はいない方がいい」と言い、それを支える社会全体の意思があります。効率一辺倒の社会にあって、生産性の低い障害者は社会の負担になっている、と多くの人が思っています。出生前診断で陽性の出た人の94%の人が中絶を選んでいます。障害者を排除する社会はお互い窮屈になり、貧しくなります。  そういった社会の中で「障害者はいた方がいい」というメッセージを明確に出します。言葉ではなく、そのメッセージを実感できる芝居を作ります。障がいのある人たちがいた方が豊かなものができる、と実感できる芝居です。その実感は、いろんな人がいることで豊かになる社会を作っていく出発点になります。   《目標》 ぷかぷかで働いている障がいのある人たちと、地域の人たちで一緒に演劇ワークショップ(芝居作り)をおこないます。障がいのある人たちと一緒に芝居作りをすると、ふつうの人たちだけでも芝居を作るよりも、ワークショップの場が何倍も楽しくなります。私たちとちがう感じ方、考え方から発せられる言葉、しぐさ、動きが、ワークショップを豊かなものにします。そしてそういったものを全身で感じる中、障がいのある人たちに向かって「あなたにいっしょにいて欲しい」「あなたが必要」とごく自然に思えるようになります。ワークショップで創り上げる芝居には、そういったものがすべて反映されます。  その芝居を舞台にあげます。芝居には「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」「その方が豊かなものが生み出せる」というメッセージが様々な形でこめられることになります。そのメッセージを舞台を見に来た人たちと共有します。ネット上にもアップしますので、数え切れないくらいたくさんの人たちとメッセージを共有することになります。  「障害者はいた方がいい」とたくさんの人が思えるようになると、社会はみんなが生きやすい豊かな社会へ少しずつ変わっていきます。   《内容》 1)(計画)  2017年8月から2018年1月まで、毎月一回演劇ワークショップをおこなう。発表会前日、当日のリハーサルも入れて計8回。参加者はぷかぷかで働く障がいのある人たちと地域の人たち(大人、子ども)。場所はみどりアートパークリハーサルルーム。1月末の「表現の市場」で創り上げた芝居を発表。みどりアートパークホール。「表現の市場」は障がいのある人たちの表現活動の発表の場。ぷかぷかも含め5団体参加予定。 2)(成果測定)  ワークショップでやったことは参加した人たちの気づきも含め、毎回ぷかぷかホームページ上に発表。みんなで創り上げた芝居を舞台で発表し、たくさんの人たちに見てもらう。ネット上にも発表。たくさんの人たちと成果を共有する。 3)(継続・発展性)  参加者を入れ替え、ワークショップを体験する人を増やしていく。ワークショップのテーマを発展的に変える(一期目は『森は生きている』、二期目は『みんなの《生きる》』、三期目は『セロ弾きのゴーシュ』)。 4)(連携とその効果) みどりアートパークと共催することで、公的施設に障がいのある人がいて当たり前という雰囲気になってきている。緑区役所保健福祉局と連携し、演劇ワークショップで作り出したものを横浜市内の区役所をはじめ、福祉関係者、たくさんの地域の人たちと共有する機会を作り出す。 5)(戦略的な広報)  ぷかぷかのホームページ、Facebookページを中心に、地域の様々なネットワーク、福祉関係、行政関係、障がいのある人たちの親のネットワークなどを使って、情報を流していく。      抽象的な話ではなく、あくまで具体的な事業を提案し、それが相模原障害者殺傷事件を超える社会を作ることにつながる、という思いをこめて書きました。    ちなみに今やっているワークショップの発表会は来年1月29日(日)みどりアートパークホールでおこなわれる「表現の市場」の中でおこないます。先日ぷかぷかマルシェで演奏した江原さんの「レクイエム」の演奏もおこないます。いろんな機会にみんなで相模原障害者殺傷事件を思い出し、あの事件はなんだったのか、あの事件を超える社会はどうやったら作り出せるのかを考えていきたいと思うのです。      
  • 相模原障害者殺傷事件を超える豊かな社会を実現したい
     日本財団の助成金で映画を作ろうと思っています。プロモーションビデオよりももう少しメッセージ性のある映画です。20分くらいの映画で、上映会のあといろいろ議論をしようと思っています。ぷかぷかが地域で創り出してきたもの、障がいのある人たちへの思い,相模原障害者殺傷事件等々、よりよい社会に向けての議論です。そのたたき台になるような映画を作りたいという趣旨で申請書を書きました。  今回私がたたき台を書き、pvプロボノの方にアドバイスをいただきながら、何度も何度も手直しし、ようやく今日、いちばんキモになる部分が完成しました。pvプロボノの方は、昨年プロモーションビデオを作ることがきっかけで、ぷかぷかとかかわるようになり、撮影している間に「ぷかぷかウィルス」に感染したようです。かなり重症で、そのおかげで今回、ぷかぷかの活動に対する熱い思いのこもったアドバイスをいただきました。   日本財団 映画製作のための助成金申請   (1)事業目的   「障害者はいない方がいい」と相模原障害者殺傷事件の容疑者は言いましたが、それを支える社会の雰囲気があります。効率一辺倒の社会にあって、生産性の低い障害者は社会の負担になっている、と多くの人たちが思っています。障害者の存在を否定的に見る社会は、どんどんやせ細っていきます。  いろんな人がいること、それが社会の豊かさです。障がいのある人も一緒に生きていくことで社会は豊かになっていきます。そういう社会をもっともっと広げ、相模原障害者殺傷事件を超える豊かな社会を実現したいと思っています。「障害者はいた方がいい」とみんながやさしく思えるような豊かな社会を福祉事業所を起点に作っていきたいと考えています。   (2)事業目標   「ぷかぷか」は「障がいのある人たちの魅力=チカラで社会を豊かにする」という今までにない新しい発想、カタチでの福祉事業をやり、地域社会を変えてきました。お店(パン屋、カフェ、お惣菜屋)では接客マニュアルを使わず、障がいのある人たちの魅力をそのまま差し出すことで、「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」というお客さんをたくさん作り出しました。お店で彼らの魅力に出会い、障がいのある人たちや、彼らが作り出すお店の雰囲気が好きになった人たちです。そういった人たちを増やすことで、地域社会を少しずつ豊かにしてきました。  社会から疎外され、社会のお荷物とされてきた障がいのある人たちが、彼ら自身の魅力=チカラで地域社会を豊かにしたことは、社会をよりよい方向へ変えていく上で、大きな希望であり、大きな可能性を秘めていると思います。  この新しい発想、カタチを映像化し、あちこちで上映し、これをたたき台にみんなで議論をしていけば、この希望と可能性が大きく広がっていきます。障がいのある人たちは、何かをやってあげる「支援の対象」から、社会を変える主体になります。社会の彼らを見る目線が変わります。「障がいのある人たちは社会に必要」という風に。社会が,そんな風にして豊かになっていきます。   (3)事業内容  1)計画:11月~2月 企画作業・絵コンテ制作,検討 2月〜3月 ぷかぷかのファンの方たちのインタビュー映像。パン販売に行列を作って買う人たちのインタビュー、障がいのある人たちの働く姿、日々の活動、地域の人たちとのおつきあいなどの映像を撮ります。 4月 映像の編集  20分程度の映画に仕上げます。 5月以降、あちこちで「上映会+講演会」をやり、議論の輪を広げます。 2)成果測定: ●編集のほぼ終わった段階で関係者(製作関係者、ぷかぷかスタッフ、地域の人たち,行政、福祉関係者など)の試写会をやって、映画の内容、今後の展開について意見を集めます。集まった意見は製作サイドにフィードバックし、編集、今後の展開に生かします。 ●「上映会+講演会」の議論の記録は映画のサイトにアップし、たくさんの人たちと共有し,意見も求めます。 3)継続・発展性: ●「上映会+講演会」をあちこちでおこない、議論の輪が広がるように,議論のまとめと広げていく宣伝を同時進行でおこないます。 ●今回のこの映画を使い、クラウドファンディグで次回の映画製作費の捻出を考えています。全国から映画制作の寄付をつのることで、映画をとおして新たなネットワークを作ります。これは上映のネットワークになり、議論を広げていくネットワークになります。障がいのある人たちを取り巻く様々な社会的問題を取り上げる映画を更に作り、このネットワークで上映、議論の輪を広げていきます。新しい映画を作り続けることは、議論を継続させ、社会を変えていく力になります。 4)連携とその効果: ●企画制作過程においては、PVプロボノ、サービスグラントといったプロボノ主体のNPOとコラボレーションを考えています。それは今まで障がいのある人と関わりのなかった様々な人たちを巻き込むことになります。彼ら自身の障がいのある人への意識の変容、及び、感じたことの発信をおこなってもらいます。彼らの言葉は障がいのある人の関係者以外の方々へ届きやすい言葉であり、共感の輪を更に広げていけると思います。 ●障がいのある子どもを育てている親たちと連携し、子ども達がありのままの姿で生きられる社会を作っていくための議論を広げていきます。 5)戦略的な広報:ぷかぷかのホームページ、Facebookページを皮切りに、福祉関係、行政、映像クリエイター、障がいのある人たちの親のネットワークなどを使って「上映会+講演会」の情報を広げていきます。 
  • 「レクイエム」聞いてください。
     10月22日(土)のぷかぷか秋のマルシェで、日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんによる「レクイエム」の演奏がありました。相模原障害者殺傷事件で犠牲になった方たちに捧げる曲として弾いてもらいました。これを聞きながら亡くなった方たちに思いを寄せたいと思うのです。「あなたたちのこと、ずっと忘れないよ」って。 www.youtube.com  ちょっとだけ考えてみてください。なんの罪もない彼らが、どうして殺されなければならなかったのか、どうしてこんな事件が起こってしまったのか、容疑者の特異性だけの問題なのか、それともこんな事件が起こるほどに社会は病んでしまったのか、 だとすれば社会の何が問題なのか、この社会はどこへ向かっているのか、私たちは何をすればいいのか、何ができるのか、等々。  とても重い問題です。でも、殺された彼らのことを思うとき、この重さに向き合っていくことが、この社会を作ってきた私たちの、せめてもの償いであり、責任だろうと思うのです。
  • 最近の日記
    カテゴリ
    タグ
    月別アーカイブ