ぷかぷか日記

未来は今よりもっと素敵に

 長野の上映会で昔書いた『街角のパフォーマンス』を売る予定です。本は30年くらい前に書いたものですが、内容的には全く古くなくて、これは残念なことに時代がほとんど前に進んでいないことを意味します。

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 上の目次の真ん中あたり、「いろんな人と出会える《場》があれば」という項目があります。これは電車の中で「障がいのある子どもが赤ん坊の髪の毛をわしづかみにし、引きずり下ろそうとしました。そういう子どもは一人で電車に乗せないで欲しい」という投書が朝日新聞に載った事件を書いたものです。

 投書にとても辛い思いをし、当時、「みんなでいっしょに遊ぼうよ」と、障がいのある子ども達を街の中に連れ出していた「あそぼう会」のお母さんたちに投書についていろいろ意見を聞いたことをまとめたものです。

 どんなに嫌なことを言われても、《 「静かにするのよ」と毎日いって通学するより仕方がないのです。》と、養護学校に通う子どものお母さんがおっしゃっていました。

《この投書の赤ん坊を引きずり降ろそうとした子どももきっとお母さんの毎日の努力で電車通勤ができるようになり、一大決心のもとに自立の一歩を踏み出したのだと思います。もう一人で電車に乗っても大丈夫と見極め、決心してやったのだと思います。何をするか、何が起こるかわからないからと、いつまでもいっしょの行動をするわけにはいかないのです。ある時期が来たら、その時期が来たら、決心して離さなければならないのだと思います。そのときはまわりの人が、その子どもを一人の人間として恐れることなく関わってくれることを願うよりほかないと思います。》

 そんなお母さんの思いを聞いてから30年たちました。このお母さんが願ったように、まわりの人が障がいのある子どもを一人の人間としてあたりまえのように関わってくれるようになったのでしょうか?時代は成長したのでしょうか?

 ?、?、ですね。障がいのある子どもを取り巻く社会的な環境は、30年前とほとんど変わっていない気がします。制度的には進んだ部分もあると思いますが、電車の中の状況といったものは、多分ほとんど変わりません。

 30年前、社会はもっともっとおおらかでした。私はクラスの子ども達といっしょに鶏を飼っていました。その鶏が時々逃げ出し、廊下を「コケッコー」とかいいながら走り回ったりしていましたが、誰かに文句をいわれた記憶はありません。給食室を工事したときは給食が1週間ほどなかったので、子ども達と教室で自炊をし、毎日のように魚を焼いて、煙が廊下に充満していたのですが、こんな時でも文句ひとつ出ませんでした。

 今の学校にはそんなことは許される雰囲気は全くありません。管理体制ばかりが進んで、かつてあった「おおらかさ」が信じがたいくらいなくなっています。自由きわまりない障がいのある子ども達のいる学校ですらこんな状態ですから、社会に至っては「おおらかさ」の欠如は目を覆うばかりです。

 地域社会における人のつながりは希薄になる一方です。

 ですからこの本を書いた頃より、時代は進むどころか、むしろ後退しているのではないかと思います。障がいのある人たちだけでなく、社会の息苦しさが増し、みんながお互い生きにくくなっているのではないかと思うのです。

 

 そんな中にあって、ぷかぷかは6年かけて地域社会の中に、ホッと一息できる場、心安らぐお店を街の中に作りました。「ぷかぷかに来ると心が癒やされます」「ぷかぷかが好き!」というお客さんがどんどん増えています。その中心にいるのは障がいのある人たちです。彼らが地域社会をそんなふうに変えてくれたのです。このままいくと30年後、どんな社会になっているのだろう、とちょっと楽しみになります。( 私がその頃まで生きていられるかが心配ですが…)

 未来は自分の手でもっともっと素敵にできると思っています。

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