ぷかぷか日記

NHKラジオ深夜便 ぷかぷかテキスト版

2016年12月16日NHKラジオ深夜便「明日へのことば」で「障害者の力 ビジネスに」と題してぷかぷかでやっていることが取り上げられました。ディレクターのナリタさんがうまく話を引き出し、まとめてくれました。

 

★40分の放送のテキスト版です。テキストに起こしながら少し省いたところと、足りない部分を加筆したところがあります。ですから「ぷかぷかテキスト版」です。

 おしゃべりしたことをテキストに起こすと全くちがうものになります。録音したものをお聞きになりたい方はお店まで来て下さい。お問い合わせは045−453−8511高崎まで

 

成田:パン屋とカフェ、先日うかがいましたら、みなさん実にのびのびとしてらっしゃいましたね。

高崎:はい、とても明るく、ほんとうに楽しそうに働いています。

成田:40人くらい働いていらっしゃるということなんですが、みなさんどういう障がいがあるのですか?

高崎:いちばん多いのは知的障がいです。それから精神の方もいらっしゃいます。

成田:その40人の方がそれぞれ手分けしてパン屋とかカフェ、お惣菜で働いていらっしゃるんですね。高崎さんご自身のことをお伺いしたいのですが、大学は理工系だったんですね。

高崎:昔ラジオの工作が好きで、電子工学を勉強しました。今はもう全部忘れましたね。

成田:その電子工学を生かして就職の方は大手電機メーカーだったんですね。

高崎:衛星の追跡装置とかレーダーの仕事をやっていました。

成田:その一方で山男でもいらした。

高崎:ほとんど中毒で、毎週のように山に行ってました。北アルプスとか南アルプスとか、遠いところではアラスカのマッキンリーまで行きました。

成田:マッキンリーですか。標高6,000メートルを超えますよね。

高崎:8月上旬に登ったのですが、マイナス30度くらいで、まぁ大変でしたけど、おもしろかったですね。

成田:電機メーカーに勤めながら山に行ったんですか?

高崎:いや、もうマッキンリーに行くときは辞めて行きました。

成田:そこはもう割り切って

高崎:ここであきらめたらもうマッキンリーに行けないと思ったので、まぁ、若気の至りですね。

成田:で、マッキンリーから帰ってこられた。どういう状態だったんですか。

高崎:いや、お金もないので、ほんとうに大変でした。今日何を食べるかじゃなくて、今日どうやって食べるかというレベルでした。大変でしたが、自分を探すというか、目をぎらぎらさせながら、これから先を探っていたという感じでした。

成田:具体的にはどんな道を目指そうとそのとき考えましたか。

高崎;いやそのときはまだまだ模索していたというか、山小屋で居候したり、造園の設計事務所でアルバイトしたり、いろんなことやりましたね。その時にたまたま宮城養育大学の学長をやっていた林竹二さんの授業の記録を読んだのがきっかけで、教育っておもしろいなと思い始めました。それは被差別部落の子どもとか、在日朝鮮人の子どもが通う定時制の高校だったのですが、そこで教育から疎外され続けてきた子ども達が、人間が人間になるってどういうことかを林先生の授業の中で学んでいくんです。授業の中での彼らの変わりように、ほんとうに感動しました。教育ってこんなおもしろい世界だったのか、ということに目覚めましたね。私は教員免許を持ってなかったので、通信教育を受け、神奈川県の採用試験を受けました。

成田:採用試験受けてみてどうだったんですか。

高崎:一応通ったんですよ。でも通ったその年の冬に富士山に登っていて頂上付近で滑落事故を起こし、かちんかちんに凍った急斜面を600メートルほど落っこちて大けがをしました。死ななかったのが不思議なくらいです。教員をするどころではなく、9ヶ月も入院しました。それでも懲りずに次の年、まだ入院中でしたが外出許可を取って、松葉杖ついて、また試験を受けに行きました。それがまた奇跡的に通ったんですね。

成田:それで教員の道が開かれてきた。具体的にはどんな先生になろうということで…

高崎:そのときは小学校の先生になるつもりだったのですが、たまたま2次試験の面接で、三つ選択肢がありました。養護学校の教員になりたい、なりたくない、どっちでもいい、の三つです。私はどうしても養護学校の教員になりたかったわけではなく、かといってなりたくないわけでもなかったので、どっちでもいい、の中間にしました。そしたら養護学校の校長から、ちょっときませんか、という電話がありました。それがこの世界に入るきっかけでした。

成田:それで実際に養護学校へ入られてどうでしたでしょう。

高崎:養護学校は興味はあったのですが、いわゆる障害児教育といったものは全く勉強してなかったので、いろんなことをやらかす子どもを相手に、ほんとうにどう対応していいかわからなくて、毎日、ひゃ〜、どうしよう、どうしよう、とおろおろしてました。

 障害児教育の知識があると、ダウン症はこうすればいいとか、自閉症はこうすればいいとか、全部それにしたがって対応できたのですが、私にはそれがなかったので、ただただ手探りで目の前のその子とどうつき合えばいいかを必死になって探しましたね。でも、そのおかげというか、子どもの前でおろおろしたおかげで、ほんとうに人として出会えた気がします。おろおろというのはきわめて人間的な反応であって、向こうもだから私に対して自分を開いたというか…子どもは相手をよく見てますから。

成田:何もない状態から始まった。むしろそれがプラスにでた、ということですね。

高崎:あれができない、これができない、といろんな問題があったのですが、何かそういったものを超える、人としてほんとうにきらっと光るものがあった、そのことを子ども達と素手で向きあうなかで見つけられた、ということはあります。

成田:たとえば専門的知識があったりするとむしろ見えなかったのかも知れませんね。

高崎:知識の方が先行してしまって、その子と直に向き合う、人として向き合うということができなかったと思います。教師としてよりも、人としておつきあいする部分が大きかったので、毎日すっごく楽しかったですね。私は人間てこんなにいいものだったのか、気持ちが温かくなって、ほんとうに楽しくて、人間というものを見直しましたね。人の存在のあたたかさというか、人間ていいなって彼らとのおつきあいの中でしみじみ思いました。

 たまたまそういう人と出会ってなかったということではあるのですが、障がいのある子どもと出会う中で、人間のおもしろさ、あったかさがわかったっていうことの意味は大きいと思いますね。人として生きる上でものすごく大事なことを、何か偉い人から教わったのではなく、社会から蔑まれている障がいのある子ども達から教わったということは、社会の大きな概念をひっくり返すほどの意味があったと思います。

 その人のそばにずっといたいっていう気持ちに初めてなりました。そばにいるだけで気持ちが温かくなる、気持ちが安らぐ、そんなふうに思える人ってなかなかいませんよね。

成田:じゃ、ずっと定年退職されるまで、養護学校でお仕事されたということですね。今その道を振り返ってどんなふうに思われますか?

高崎:楽しいことがたくさんあったことと、人間についてほんとうに教えられた。いちばんよかったのは私自身が自由になれたことです。人間はこういうときはこうしなきゃいかんとか、こういうときはこんなことしちゃいけないとか、いろんな規範があって、それに縛られています。でも、彼らとおつきあいしているうちに、そういった規範が少しずつ取れてきたんです。

 お漏らしをしょっちゅうする子がいまして、10分おきくらいにパンツをぱぁっと脱ぐんです。私はみっともないからパンツはけってパンツをはかすんですが、また10分ほどしたらぱぁっと脱ぐんです。パンツをはかす、彼は脱ぐ、またはかす、彼は脱ぐ、といったことを一日何回も繰り返すわけです。で、天気のいい日は中庭に出てパンツ脱いだまま大の字になって気持ちよさそうにおひさまを仰いでいるんです。そのそばで私は陰気な顔してパンツはきなさい、と言い続けている。おひさまのさんさんと照る中、彼は気持ちよさそうにいい顔をしている、そのそばで私は陰気な顔してぶつぶつ文句ばかり言っている。

 そういうことを毎日繰り返していると、私は一体何をやってるんだ、ひょっとして彼の方がいい人生を送っているんじゃないかって思い始めたんです。彼の方が明らかにいい時間を過ごしているわけですから。私はなんてつまらない時間を過ごしてんだと。そして結果的には、パンツをはかない子がいてもいいかって気持ちになってきた。

 そうすると彼との関係が楽になってきたんです。彼が大の字になって寝てる、それをおだやかな目で見られる、ま、いいかって。この時間、彼のいい時間だし、大事にしよう、オレも横になるからね、っていえるようになった。そんなふうに規範が少しずつ取れていった。そうすると私自身生きることがすごく楽になってきた。

成田:そういう30年だったと。

高崎:そうです。

成田:それで60歳の定年を迎えた。その後の展開として、どういう道を選ぼうとお考えになったんですか。

高崎:定年退職したら彼らと別れちゃうので淋しい気がして、彼らとはずっと一緒に生きていきたいと思って、そのためには彼らと一緒に働く場を作ろうと。たまたま趣味でパンを作っていたので、パン屋をやろうって単純に考えたんです。でも実際は趣味でやるパンと商売でやるパンは全くちがうのですが、そんなことは全く考えずにはじめたんです。ですから、大変でした。

成田:教え子のみなさんも入っているわけですね。

高崎:はい、何人か。

成田:さて商店街の一角にお店を開かれました。最初は障がいのあるみなさんをどれくらい入れたのですか。

高崎:最初は10人ですね。

成田:店をオープンしました。反応はどうでしたか。

高崎:元気のいい、声のよく通る方が店先で「おいしいパンはいかがですか」ってめいっぱい大きな声で叫んでいたんです。すぐに苦情の電話が入りました。うるさい!って。自閉の方で同じところを行ったり来たりする人がいて、目障りでご飯がまずくなるのでここを通らないでくれって言われたこともあります。

 最初の頃、仕事のリズムに慣れない人が、パニックになって大声で叫びながら飛び出したことが何度かありました。うるさい!って思いっきり怒鳴られましたね。ま、いろいろありました、ほんとに。心が折れそうでしたね、あの頃は。

成田:最初はやはり地域社会に入って行くのはなかなか大変だったということですね。

高崎:まぁ、でも、その中で彼らの持つ雰囲気がちょっとずつ地域を変えてきた。私が地域を説得したとかではなく、彼らの存在がちょっとずつ地域を変えてきた、と思うんです。

成田:少しずつ知られるようになって、地域の人たちも少しずつ変わりはじめたということなんでしょうね。

高崎:やはりちゃんと見てくれてるんですね。ぷかぷかしんぶんを毎月配りに行くんですが、大きな団地なので、どこの角を曲がってもおんなじ風景なので、時々迷子になる方がいました。そうすると地域の方から電話がかかってくるんですよ、ぷかぷかさんが迷子になっていますよ、って。ぷかぷかさんていうやさしい言い方がすごくいいなって思うのですが、そうやってちゃんと心配してくれている、迎えに行くまでちゃんと見てくれている。

成田:しんぶんも非常に内容を工夫されているんですね。

高崎:基本的にパン屋、あるいはカフェ、お惣菜屋の宣伝ではあるのですが、彼らのいろんなエピソードも入れて、障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ、というメッセージにしています。ですから結構しんぶんのファンがいまして、お店には行かないけど、しんぶんは楽しみにしています、っていう方もいます。八百屋に買い物に行く途中で手に持った5,000円札を風に飛ばされてしまって、その子が半泣きで探していたら近所の方が一緒に探してくれました、というお話を書いたときは、しんぶんを読んだ人から感動しましたっていう電話が入りました。

成田:これはやはり一人ひとりに対する理解が深まっていくんですね、地域社会の中で。

高崎:障がいのある人への目線が明らかに変わってきましたね。

成田:それを毎月出されているんですか。

高崎: A5の大きさで6ページですが、結構大変です。でも楽しいです。

成田:パン屋さんの方ですが、基本的なコンセプトはどんなものだったんですか。

高崎:天然酵母、国産小麦ということで始めたのですが、始める前は絶対売れると思ってましたが、これがなかなか売れないんです。要するにそれを望んでいる人の数が圧倒的に少ない。うちはいま食パン一斤340円、近くのスーパーに行くと120円くらいで売っているので、価格的には勝負にならない。

成田:かなり割高ですね。正直申し上げて。

高崎:そうです。で、毎日パンが大量に余り、余ったパンを次の日に半額で売るのですが、そうすると半額のパンがまず売れ、その日に焼いたパンがまた大量に残る、という悪循環の繰り返しでした。それをどう解決していいのか全くわからないという状態でした。

 たまたま障がいのある息子さんがいて、将来その息子さんが働く場を開きたいと見学に来た方がいました。その方は一部上場会社の役員をやっていた方で、経営のプロです。いろいろ私の話を聞いて、志はすばらしいけれど、経営は全く下手くそで、もう見てられないと、毎週のように経営のアドバイスにきてくれました。私の家族に障がいのある子どもがいるわけでもないのに退職金をはたいてまでして障がいのある人たちの働くお店を作ったことに心を動かされたのだと思います。

成田:非常にありがたい方が現れたんですね。

高崎:最初に資金繰り表を作りなさい、といわれました。お店を始めてから気がついたのですが、毎月出ていくお金が膨大にある。家賃、電気代、水道代とお金が出ていく。その割に稼ぎが少なくて、赤字がどんどん増えていくんです。ほんとうに怖いくらいでした。それを資金繰り表を作ることでお金の出入りが見えてくる、そうするとだいたいこの日に、この位のお金が出ていく、ということが見えてきたので、前みたいな不安はだんだんなくなってきました。それとどのパンをどれくらい作り、どれくらい売れたかのデータを取りなさい、といわれました。天候のデータ、外販先のデータも取りました。それによって生産量を調整していったんです。そうすると、売れ残る量がだんだん減っていって、3年目ですか、会計事務所から、黒字になりました!って電話が入りました。

成田:しかし、その方に指導を受けて、大きかったですね。

高崎:そう、その方のアドバイスがなければつぶれてましたね。

成田:もうお店がないと。

高崎:そうです。経営アドバイザーの話だと、元々こういう商売で儲かるわけがないので、自分だったら絶対に始めないとおっしゃってました。私はそういう商売の知識がなかったので、怖さがなかったんです。だから始められた。

成田:ある意味怖いもの知らず、といいますか、そんなところで始めたんですね。

高崎:それが大きいです。

成田:店を回転させていくというか、志とビジネスをどのように両立させていくか

高崎:この業界で多いのは、障がいのある人たちが作ったものだから買ってあげる、あるいは障がいのある人たちが作ったものだから買ってもらって当然、という、お互いのもたれ合いがあって、いいものができない。私はそういう関係はいやなので、おいしいから買う、というストレートなところで勝負しようと思いました。だからこそ国産小麦、天然酵母というところにこだわりました。いいものを作ると、パンが売れてくる。ちょっとずつですがお客さんも増えます。パンが売れるとメンバーさんがみんな喜びます。笑顔になる、その笑顔を見てまたお客さんが来る、そういった好循環が生まれました。

 それと今の仕事がうまくいったのは彼らの魅力をうまく生かした、っていうことがあります。これも変なきっかけだったのですが、カフェを始めるとき、私は教員しか経験がなかったので、接客をどうしていいのかわからない。それで接客の講師を呼んで、講習会を開きました。ところが聞いていると接客マニュアルというのがあって、その通りにやりなさいと。言葉もみんな決まっていて、いらっしゃいませとか、お待たせしました、といった決まり文句があって、それ以外のことはしゃべるなというわけです。で、その通りにやると、確かにもっともらしく見えるというか、いかにも社会人になったような雰囲気にはなるのですが、

成田:体裁が整う

高崎:そうです。でも私は彼らに惚れ込んで始めたので、無理に接客マニュアル通りに彼らがやると、なんか気色悪かった、というのが正直なところです。その人じゃないって感じです。もう直感的にやめようと思いましたね。で、講師の方はお断りして、じゃあ、どうするか。最低限お客さんが不愉快な思いさえしなければいい、あとは自分で考えてやりましょう、というふうにしました。それがうまくいくかどうかは全くわかりませんでした。でも、結果的にはそれがお客さんに受けました。決してうまくはないんですが、一生懸命接客しようという、その一生懸命さがストレートに伝わったようでした。それでぷかぷかが好きになりました、ぷかぷかのファンになりましたっていう人が増えてきたんです。つまり、彼らのありのままの姿が人の心を癒やし、お客さんが少しずつ増え、ビジネスとして成り立っていく。

 ぷかぷかのファンが増えるということは、彼らと出会って人間の幅が広がった人が増えたわけで、それは地域全体が豊かになっていくことを意味します。ですから彼らの魅力は、社会を変えるチカラがある、そんな気がしています。

成田:私もうかがったとき、お昼時だったのでカフェで食事させていただいたのですが、従業員の方が注文を取りに来て、注文を伝えるのですが、その注文が通るまでおなじことを三回くらい言ってようやく伝わるという経験をしました。その経験を通して、その従業員の方と心が通じ合える、という体験をしました。これはちょっと得がたい経験でした。みなさんが大なり小なり、そういう経験をされているんでしょうね。

高崎:そういう経験をされた方がぷかぷかのファンになっていると思います。そういう人たちに店が支えられている。ソーシャルビジネスで成功する秘訣とか、いろいろむつかしいこと言われていますが、ぷかぷかは彼らをすなおに出すだけなんです。彼らのそのままを出すことで、お客さんが少しずつ増え、結果としてお金が入ってくる。ビジネスとして回っている。

成田:おそらくは開店当初、ここまで彼らが戦力になると想像していらっしゃらなかったのではないでしょうか。

高崎:当初は、彼らの社会的生きにくさを解消しよう、なんていう上から目線の思いがあったのですが、でも始めてみたら、実際お客さんを集めているのは、彼ら自身であって、社会的生きにくさといった問題も、彼ら自身がお客さんを集めることで少しずつ解消していることに気がつきました。今、ぷかぷかは彼らに支えられていますね。彼らがいなければどこにでもある普通のパン屋、おもしろくもなんともないですよ。でも彼らがいることで、いろんなおもしろい物語が生まれていて、そこで働いている彼らもお客さんも笑顔が絶えない。

成田:高崎さん自身、彼らに支えられてきた、という思いがおありのようですね。

高崎:ほんとうに毎日楽しい、60才過ぎてこんなに楽しい人生が来るとは思ってなかったですね。彼らのおかげです。

成田:同じ神奈川県で障がいのある人たちが殺されるという事件がありました。高崎さん自身はどのような思いですか。

高崎:容疑者は、障害者なんていない方がいい、みたいなことを言っていましたが、ぷかぷかは、障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ、一緒に生きていった方が得だよ、って毎日言い続けています。容疑者の言葉を、それは間違っている、と言葉で批判するのは簡単です。でもそれを言ったところで社会は変わりません。大事なことは容疑者を生み出した社会を変えていくことです。障害者はなんとなくいや、怖い、効率が悪い、社会のお荷物、と考えている人は多いと思います。障がいのある人たちのグループホームの建設計画が住民の反対運動でつぶされた事件がつい最近ありました。反対運動の障害者はここに来るな、という主張は容疑者の言う、障害者なんていない方がいい、という主張とかなさります。そんな中で私たちは何をすればいいのか、ということです。たくさんの人が、障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいねって共感できる事実を日々作り出し、共感の輪をひろげていくことが大事だと思います。ぷかぷかは毎日そういう事実を作り続け、発信しています。フェイスブックに多い日は一日に10本くらい記事をアップしています。これは他愛ない日々の出来事、誰々君がこんなことしました、あんなことしました、こんな出会いがありました、といったいろんな物語を伝えています。全体的には、こんな人たちとは一緒に生きていった方がいいよ、得だよ、というメッセージになっています。お店で彼らと出会った人たち、フェイスブックで出会った人たちが、ぷかぷかのファンになってくれています。

 ぷかぷかで働いている障がいのある人たちと地域の人たちでいっしょに芝居作りをやっています。演劇ワークショップです。彼らと一緒に作る芝居は彼らがいてこそできる芝居であって、普通の人たちだけでももちろん芝居はできるのですが、彼らがいることでものすごくおもしろいものができてくる。それは、私たちのそばには彼らがいた方がいい、彼らは社会に必要っていうメッセージです。そういうものを作り続けていくことが相模原事件を超える社会を作っていくことになると思います。

成田:お客さんの反応はどうでしたか。

高崎:もうびっくりというか感動しましたっていうか、やっぱり彼らがいてこそこういう芝居ができるんですねっていう反応が多いですね。あんなに楽しそうに笑う笑顔を初めて見ました、という感想もありましたね。

成田:高崎さんが伝えようとしたメッセージは演劇を通しても十分伝わったということですね。

高崎:おそらく障がいのある人たちに対して持っていたイメージを大きくひっくり返したと思います。彼らがいてこそできるお芝居は、彼らを蔑むような文化に対するもう一つの新しい文化だろうと思うんです。ぷかぷかでやってること自体も一つの新しい文化だと思います。たとえば仕事中ずっとおしゃべりする人がいて、世界中の都市の名前とかクラシックの作曲家の名前とかがずらっと出てくるんですね、彼にとっては呼吸みたいなものです。お店でいちばん目立つパン屋のレジのところに彼は立っているのですが、お客さんが入ってくると彼の声がすぐ聞こえるわけです。ふつう仕事中おしゃべりはだめって言われているのですが、彼のおしゃべりは止められないので、もうそのままでいいというふうにしてるんです。そうすると彼のおしゃべりは結構魅力があるので、彼のファンができるんです。外販先でも彼のファンが多いです。外販先では行列ができるほどです。もちろん基本的にパンがおいしいことはあるのですが、彼らの魅力で人が集まってきます。社会の中で疎外されている彼らの魅力が収益を生んでいるのです。これは何を意味するのかということです。ぷかぷかが創り出しているのは、彼らを疎外する文化に対するもう一つの新しい文化じゃないかって思うんです。

成田:しかもそれで採算ベースに乗っているというのはすばらしいことですね。

高崎:ま、かつかつですけどね。

成田:この先この40人のみなさんと一緒に取り組んでいきたいこと、どんなことがありますか。

高崎:日々笑顔で過ごせる職場をずっと続けていくことですね。彼らを社会に合わせるとか、できないことをできるようにということでみんな一生懸命やっているのですが、そうじゃなくてぷかぷかは彼らに社会を合わせていった方がお互い楽になるというふうに考えています。彼らがありのままの彼らでそこで働ける、これはとても大事なことだと思うのです。

 私は彼らと楽しい日々を過ごしているのですが、先日もみんなで商店街をパレードして楽しいファッションショーをやりました。きまじめに仕事を続けるだけではなくて、楽しいことを彼らとやり続けることが大事だと思います。私たちだけでは絶対にできない楽しいことが、彼らがいることでいっぱいできます。そういうことが地域でも認められてきて、ますますファンが増えています。

 彼らと楽しいことをやりながら、しっかりお金も儲ける。ソーシャルビジネスですよ。ファッションショーをやった日は今までで最高の売り上げでした。

成田:これが広がっていくがどうか、まさにそこだと思います。

高崎:いいものを作るということと、彼らの魅力を生かす、この二つです。無理に彼らをルールに合わせるのではなく、彼らの魅力がそのまま出せるような環境を作ることが大事だと思います。元々私は管理することが好きじゃないし、性格的にいい加減なので、何事も、ま、いいじゃん、てなるのですが、そういうゆるいところがすごく大事かなという気がします。

成田:その一方で作るものについては妥協しない、質は。

高崎:材料にこだわるので、材料費がすごく高いです。だからもうけがすごく薄いんですが、そこはやっぱり外さない。パンフレットにもあるのですが、健康な命を未来に引き継いでいく、ここは絶対に外さない。だからお客さんが安心して食べられる、食べた人の命を傷つけない、ここはお金がかかっても外せない、お金の問題じゃないですからね。

成田:今日はどもありがとうございました。

高崎:ありがとうございました。

 

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