ぷかぷか日記

社会の障害者排除への怒りを、私たちはもっともっと表現してもいいのではないか

9月3日のブログ

www.pukapuka.or.jp

 

でふれた「モナ・リザ」スプレー事件を起こした当事者を取材した記事はとても興味深いものでした。

digital.asahi.com

 

 スプレーを噴射したのは

「障害者だけでなく子連れの母親なども排除した。いくらなんでもひどすぎないかと怒りを感じたから」

「モナ・リザ展での私を突き動かしていたのは、障害者である自分になりたいという強い思いでした」

 

今思うこと

「気がかりなのは、出生前診断の広がりです。障害者である自分は『なぜ生まれる前に障害の有無を調べて選別しようとするのだ』と怒っています。でも女性である自分は『それでも産むか産まないかは女性にしか決められないのだ』と思います。この二つのことを、統合した一つの言葉で言おうとしても、現状ではできません。障害者である自分と女である自分が引っ張り合って、ちぎれそうです」

「障害は不幸だという価値観と、健康な子を産めという女性への圧力。」

「自分は親にとって負担な子なのだと思ってしまう瞬間は今でもあります。でもそんなときは、この苦しみは私個人の問題ではないはずだと再び考えを進めます。障害は思われているほど不幸ではないし、生まれてこない方がいい障害なんてない」

 「女であることや障害者であることは、私にとって色々なことを考えられるチャンスでもあった。そう伝えたいのです」

 

 米津さんの話を読んで、社会の障害者排除への怒りを、私たちはもっともっと表現してもいいのではないかと思いました。「それはまちがっている」「それはおかしい」と、スプレーを噴射するくらいの怒りを持ちたい。

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