ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 時間を共有することで、ワークショップという場にぷかぷかさんがいることの豊かさが、リアルにわかる
     8月4日(土)ぷかぷか上映会で、午前中に上映する第一期演劇ワークショップの記録映画を作った宮沢あけみさんからメッセージが届きました。  演劇ワークショップは月一回ぷかぷかさんと地域の人たちが集まって、6ヶ月かけて芝居を作ります。最後にできあがった芝居を舞台で発表するのですが、その全部をカメラを片手に記録。膨大な時間の記録を2時間11分にまとめてくれました。みんなで見るにはちょっと長いので、少し短くしてくれるようにお願いし、宮沢さんと二人で削れるところはないか、映像を全部チェックしました。  結果的に削れるところはなかったのですが、全部見終わって思ったのは、宮沢さんの映画は、何をやったかを解説するものではなく、その時間をリアルに一緒に生きる映像なんだということです。だから削ってしまったのでは、その時間の共有というものができなくなってしまうのです。  時間を共有することで、ワークショップという場にぷかぷかさんがいることの豊かさが、リアルにわかるのです。そういうことの大切さを宮沢さんの映像から教えてもらいました。         あ! トモ子ちゃんだ! 宮沢あけみ    映画『ぷかぷか~第1期みんなでワークショップ』を作ってから、もう3年がたつ。  2015年5月、みどりアートパークで最初の上映会をした後、横浜市内や出身の信州キャラバン(長野・松本・佐久)を経て、今回が10回目の上映会。記念すべき上映会に所用で参加できず、すみません!    「映画監督になる!」と上京したのは20年以上前。現場に入ってカチンコを叩き、シナリオコンクールでは最終に残るも一等はとれず、撮ったドキュメンタリーは放送に至らず、出版してもイマイチ売れず……。  そんな中、高崎さんと出会った。「何をやっている人?」と聞かれ、「映像」と答えると、ワークショップやるけれど、撮らない?と誘われた。即答でOKした。なぜなら…その直前、ある障がいのある子の通うフリースクールに2年ボランティアで足を運び、ドキュメンタリーを撮らせてもらうことを、学校側に承諾してもらい、カメラテストも行なった。けれども、保護者の猛反対であえなくボツになったばかりだった。  その前にも、原作の主人公を障がいのある男の子に書き換えたシナリオは、出版社の意向でボツになった。  障がいがある人が映像に出てくれる、ということは、それだけで貴重なのだと身に染みていた。高崎さんは、ワークショップメンバーの募集に、「映像を撮ります」とあらかじめ書いてくれて、これで、直前になってボツという心配もなくなった。  撮影は、私ひとり。カメラに高性能のマイクをつけて撮る。普通なら、撮影、ディレクター、音声…何人かがゾロリといるところを、なるべくフレームものぞかず、相手にカメラを意識させないようにして撮る。だからこそ撮れるものがある、と信じていた。けれども、突発的な彼らの行動に、カメラ一台ではついていけず、ずっとしゃべり続けるお馴染みのメンバーもいるし、聞き取れないほど小さな声のメンバーもいて、音声はほとんど録れていないのではないかと思った。  編集もパソコンでひとりでこなした。膨大な素材を見ているうちに、彼らの突発的な行動の中に、思わぬものが入っていることに気づいた。最初は全く気づかなかったのだが、舞台に堂々と台本を持ってきていたり…なんと言っているのかわからない独り言を何度も聞いているうちに「ここはチーム」をいうことばを発見したり…でも音声ははっきりとは録れていないので、格調高いドキュメンタリーでは絶対にしない吹き出しを入れてみたり…  上映会の企画、チラシ作成、当日の作戦…上映中にパソコンの電源が落ちてしまったトラブルなど…思い返せば、よくやったよなぁ…と自分でも思う。    なぜ、こんなにもできたのか? 改めて考えてみる…私は、なぜ、こんなにも障がいのある人が気になるのか?どうして、これほどまでに、撮りたい、書きたいと思うのか… 娘が620gで生まれ、療育センターに通っていた時間があったから、とそれまでは思っていたが、もっと前から、ずっと興味があった。いや、そんな言い方ではない。魅力にとりつかれていた、という方が正しい。  私が書くシナリオには、多くの障がいのある子、グレーゾーンの子が何人も登場していた。どうしても書きたいと思っていた。  そして、気づいた。「あ、トモ子ちゃんだ!」  私が幼稚園から小学1年のとき、一緒に通園通学をしたトモ子ちゃんを、あるとき、突然思い出した。小学校1年で私が引っ越してしまい、今は音信不通なので、すっかり忘れてしまっていたが…トモ子ちゃんは、片目が白かった。走るのも遅かったと思う。けれども、私にとっては、一緒に通う友達で、「障がい児」では決してなかった。彼女が障がい児だと気づいたのは、彼女のことを40年ぶりに思い出した時だけだ。  彼女が私と一緒にフツーに過ごしてくれたことで、多分、私は、「障がい者は垣根の向こうにいる」という感覚を持たずにいられて、そういう感覚がたまらなくイヤで、彼らの魅力をできるだけそばで見守りたい、伝えたい、という気持ちが湧いているのだと思う。 トモ子ちゃんに、心から感謝!    そして、私は、『ぷかぷか』で映画監督になったあと、音楽療法士になった。ぷかぷかでも音楽療法実習をさせてもらい、彼らと過ごす時間は、温かくて、楽しみだった。楽器の即興演奏で、フツーなら、誰かの真似をして音を出すのだが、彼らは、堂々と自分の音を最初から出した。人まねなど、誰もしようとしなかった。そして、音を出すまでに時間がかかる人がいると、じっと待ってあげることもできた。互いに認め合っている関係があるからこそできることだ。集団としての力がどれほどあるのか、手に取るようにわかった。彼らこそ、自由だった。  ぷかぷか以外での実習先では、自分では手足しか動かせない女の子…太鼓を渡すと力が入ってしまってうまく打てない子が、ある日、偶然、肱が当たって音が出た。もしやと思って、肱の下に太鼓を置いて、そっと私が歌を歌うと、ちゃんと歌に合わせて太鼓を正確に打ったのだ。その時、初めてわかった。彼女は、それまで表現できないだけで、音楽をちゃんとわかっていたのだ。こちらの工夫次第で、彼女はしっかり音楽をできるのだと。  障がいのある人は、「できない」と誰が決めつけるのだろう…そうではなく、彼らを見るこちらの目が試されているのだ。 私は、力をつけたいと思った。彼らの内的な力を十分に感じようとすれば、たくさんのことを教えてくれて、彼らと「音楽の場」が自然とできていった。 私にとっては、音楽も映像も同じことで、彼らと一緒に過ごす時間が豊かなものになるのなら、どんな方法でもこれからも厭わずやっていこうと思っている。     高崎さん、私を映画監督にさせてくれて、ありがとうございます。 映画『ぷかぷか』が、大ヒットして、「障がい」ということばに取って代わるような世の中になればいい…。 そう思って、タイトルを高崎さんと考えあぐねて、結局、『ぷかぷか』にしたのでした。 ★ダイジェスト版(21分)    https://www.youtube.com/watch?v=xYB810A84eQ    聴覚障害者用テロップ入り    https://www.youtube.com/watch?v=Cd_bbs8OaX0   高崎さんに何度も、「上映には長い!」と言われましたが、全く短くするつもりもありませんでした。だって!それが、彼らの時間なのです。ただ早い、効率、そういうことだけを追いかけている日常からそっと途中下車して、少しだけゆったりとした時間の流れの中に身をおいてもらえなければ、彼らのほんとうの姿は見えてこない…。上映のために短くして、彼らがじっと考え込んでしまう姿をカットしたら、全く面白くなくなってしまう…と、私は譲ろうとしませんでした。 もしかすると、そのために、大ヒットからはほど遠かったのかもしれません。いつも強情ですみませんでした。   最初の頃、上映会に手話をつけようと試みました。手話通訳から、「ぷかぷか」の手話はどうやって?という質問が出て、初めて、手話にもいろいろなやり方があることを知りました。デフパペにお願いして、手話で「ぷかぷか」を作ってもらいました。YouTubeも作って、たくさんの方に手話でぷかぷか、をやってもらいましたが、これも大ヒットには至りませんでした。けれども、今は亡きマッキーの映像を残せたことは、私にとってはとても意味の大きなことでした。   ★手話でぷかぷか(11分)    https://www.youtube.com/watch?v=OL-_tMcdZxY    聴覚障害者用テロップ入り    https://www.youtube.com/watch?v=hCy9d8r_iDA&feature=youtu.be     それでも、私は、ぷかぷかがもっと大きく広がって、街になったらいい…と心底、本気で思っています。 学校や幼稚園、病院、美容室、食べ物や、さまざまなお店…そこに、フツーにぷかぷかさんがいる。 それだけで、私は、安心です。 私にとっての「トモ子ちゃん」が、今の私の根っこを作ってくれたように、彼らが、みんなを幸せにしてくれると、確信しているからです。   上映会…これからも続きますように。 彼らの魅力が、どこまでも伝わっていきますように。  
  • ぷかぷかさんの風に吹かれていると、性懲りも無く むくむくと制作者としてのプライドに火がついてしま...
    第四期演劇ワークショップの記録映画をまとめたpvプロボノの信田さんからメッセージが届きました。明日の午後2時から上映します。       ぷかぷかをめぐる映像は今までも何度も作られていて、 我々のチームだけも今回の「表現の市場」が3作品目、 さらに4作品目のカナダの映画も制作中だ。   同じ被写体で何度も作品を作ることは、 新鮮な発見がしにくくなるのに伴い、段々とハードルが上がり、 制作者としては引き出しの多さを試されることになる。   1作品目はぷぷかぷかさん自身を、 2作品目はぷかぷかに関わる方々を描いた。 今回の映像は本番の直前に「記録」として依頼されたものなので 特にテーマはなくても良いか、と思っていたが ぷかぷかさんの風に吹かれていると、性懲りも無く むくむくと制作者としてのプライドに火がついてしまった。   まず音。 ぷかぷかさんの舞台は毎回、音楽や効果音がすばらしい。 今までなかなか音までは手が回らないできたが 今回は音がきちんと伝わるように収録したかった。   そして表情。 一般の人には障がい者の方々の表情から 感情を読み取りにくいのが距離感を生んでいる気がしている。 ちょっとしたコツをつかめはその壁は超えられるが なかなかそういう機会はない。 今回の舞台ではカメラを6台使って ぷかぷかさんの表情や感情を描くことを試みた。 映像をご覧になった方々が、ぷかぷかさんを身近に感じて 障がい者の方々と付き合うコツのようなものが伝われば 嬉しいと思っている。   しかし、ここまでやってしまうと 次のカナダの作品では何を描けばよいのでろうか。 悩ましい。   映像ディレクター 信田眞宏     ★第四期演劇ワークショップの記録映画は最終的に53分になりました。  
  • ツカサくんがいることで、彼のまわりの社会が少しずつ変わってきています
     親子で明日の上映会に来たいという方からメッセージをいただきました。  息子さんのツカサくんは、ふつうの人よりもやや遅れがあるのですが、そのことでいわゆる「障害者」として分けられてしまうことに、とても疑問を感じています。  学校の文化祭の発表で「支援級」としてステージに上がるように先生に言われたそうですが「僕は出たくありません」ときっぱりと断ったそうです。そこはすごいなと思いました。  そうやって「障害者」という枠組みに入れ、人を分けてしまうことへの明確な抗議。教師はどんな風に受け止めたのでしょうね。  部活についても最初は「個別級の生徒が体育会系の部活動に参加するのは前例がない」と信じ難い対応をしたようですが、お母さんとツカサくんの粘り強い交渉で部活に参加できたそうです。  ツカサくんがいることで、彼のまわりの社会が少しずつ変わってきています。そんな話も上映会のトークセッションで聞けたら、と思っています。     【ツカサくんのメッセージ】   「ぷかぷかの上映会に行きたい!」と、すぐ返事をした僕。今、高校1年生。 詳しいことが聞きたくて、ぷかぷかで働くお母さんと夜遅くまで話をしました。 僕はこれまで「障害」について考えてきました。考え始めたのは中学3年生の時で、「自分が通っている特別支援学級ってなんだろう?」…そんな気持ちになった時からです。 これまで、文化祭の時に自分の意志で「特別支援学級」の発表に出なかったり、障害のある人を支援するあるテレビ番組を不信に思ったりするようになりました。 でも、障害のある人の事を少しでも勉強になったら良いと思ったので、上映会に参加したいと思います。                                        【お母さんのメッセージ】 私はぷかぷかでスタッフとして働いています。 そして、中学1年生と高校1年生の息子達の母です。 今回、高1の長男と、ぷかぷか上映会に行きます。 私と長男の思いなどをお伝えしたいと思いますので、つたない文で読みにくい点もあろうかと思いますが、少しでも思いが伝われば嬉しく思います。   ある日、長男が「ぷかぷかの上映会に行きたい」と私に言ってきました。 つい先日、予定していた家族旅行にも「行かない!」と言いだし、結局、長男と私は家に残り、次男とお父さんだけ行ってもらうようなことがあったばかりでした。 しかし長男は、上映会には行きたいと言うのです。 長男は、 「障害のある人のことを詳しく勉強したいと思った。」 「世の中には、いろいろな人がいるんだなぁ。」 「いろんな障害のある人はどういう支援を求めているのかなぁ。」 …などと最初は言っていました。   そこからもっと深く話を聞いていくと、 「ぷかぷかに最初に行った時に、納得の行かないことがあった。なんだこの人⁉…という人もいる。その人の思っていることが知りたい。」 とのことです。 その出来事は、ぷかぷかカフェ(現在は「ぷかぷかさんのおひるごはん」に変わりました)に親子で行った時のことですが、当時は私はスタッフではなくお客さんでした。 そこへ、ぷかぷかで働く障害のある男性が、私たち親子に声を掛けて来ました。 そして長男に唐突に 「ねぇ、障害ある?」 と言ってきました。長男は「なんでそんな事を言うのかな?」と思ったそうです。   長男は、保育園から中学校まで、「一般の子と違う」ということで分けられてきました。 中学校では部活動にもすんなり入部させてもらえませんでした。ある先生から、「個別級の生徒が体育会系の部活動に参加するのは前例がない」と言われ、「部活動に入るよりも、特別支援高等学校や分教室に入学するための訓練をすることの方が効率がいい」とも言われました。それでも学校に思いを伝え続け、3年生の最後まで部活を続けることが出来ました。 部活動でがんばっている長男の姿は、次第に先生方の考え方を変え、ようやく応援してもらえるようになりました。   中3の文化祭の発表では、全校生徒の前に「支援級」としてステージに上がることを先生から聞かされましたが、長男は「僕は出たくありません。」とステージには上がりませんでした。障害という言葉に、長男はとても敏感で、「人を分ける言葉に感じる」と言っています。   ぷかぷかでの最初の出来事を長男は「正直、嫌だった」と言ってましたが、 「でも、なかには優しい人もたくさんいて、僕のことを心配してくれた人がいる」 「以前、“なんだこの人は⁉”と思った人が、笑顔で挨拶をしてくれた」 「最初に言われたことだけで、その人の事を決めてしまうのはどうかと思う」 という意見を持ったようです。   「障害という言葉や、障害のある人のことを少しでも分かりたいと思った。」…だから僕は映画を見たい… そんな思いを持ちながら、ぷかぷか上映会に親子で行きます。                              (アヤコ)    
  • ぷかぷかさんのいる町
     8月4日(土)のぷかぷか上映会では、午後に上智大学新聞学科で映像を専攻している石井さんの作品「ぷかぷかさんのいる町」を上映します。     石井さんのブログ  2016年の夏、相模原で起きた障害者施設殺傷事件。19人の方が亡くなった悲惨な事件。「障害者は不幸を生むことしかできない」という犯人の供述に、驚きと哀しさの気持ちでいっぱいになった。   それは違うと自分の中で言い切るために、障害者の人たちと関わってみたいという気持ちが沸き起こった。そんな時に見つけた、朝日新聞の記事。「障害者はいた方がいい 一緒に生きるパン屋の日常」。  これは行ってみたいと思った…     そんな思いで石井さんはぷかぷかにやってきました。取材すること2ヶ月。10分ほどの作品にまとめました。  取材しながら、ぷかぷかさん達のと素敵な出会いがたくさんあったようです。それがよく見える映画です。セノーさんの仕事を通して地域とのつながり、そのことの意味も明確に語っています。セノーさんのことを楽しそうに語る近くの郵便局の局長さんの映像からはぷかぷかが地域でやってることが見えます。  自分にとって、あるいは地域社会にとって、ぷかぷかさんいるってどういうことなのか、を映画の後半であたたかく語ります。それはぷかぷかさんの日常を撮る中で見えてきたことです。「ぷかぷかさんのいる町」というタイトルには、そんな思いが込められているように思いました。あたたかさを感じるタイトルです。  そして何よりも、このタイトルを持ってくることで「障害者は不幸を生むことしかできない」という犯人の供述に、それは違うといいきったような作品になったと思います。わずか10分の映像で、それを語った石井さんに拍手!です。     あらためて思います。犯人が石井さんのような出会い(障がいのある人たちとの)をしていれば、事件は起こらなかった。だから、犯人がやまゆり園にいたことの意味は、ものすごく大きいと思います。  石井さんがもし津久井やまゆり園に取材に行ってたら、障がいのある人たちとこんな出会いはなかっただろうし、こんな作品もできなかったと思います。  図らずも、事件の核心部分が見えてくるような作品になった気がします。    事件から2年。「決して忘れない」とあちこちで聞かれた言葉も、どこへ行ってしまったんだろう、と思ってしまう今。若い学生さんがこんなすてきな映画を作ってくれたことは、大きな希望だと思います。    ぜひ見に来て下さい。若い学生さんの熱い思いにふれて下さい。      
  • そのままで行けてるじゃん!
      接客の講習会で、接客マニュアルに合わせると「気色悪い!」ということがわかり、以来、接客マニュアルに合わせることはやめました。それは社会に合わせることをやめることであり、彼らのそのままで行く、ということでした。  でも、彼らのそのままで行く、というのは大きな冒険でした。障がいのある人たちは社会に合わせないとやっていけない、と言われ、社会はそれを要求しているからです。  昔、障がいのある子どもの放課後支援をやっている人が、子ども達が将来うまく社会に適合できるように支援しています、というようなことを言っていましたが、養護学校も、特別支援学校も、福祉施設も、ほとんどがそういう方向で障がいのある人たちを支援しています。本人も親御さんも、そのために大変な努力、苦労をしています。  障がいのある人は、「そのままではだめだ」というわけです。    お店の接客という社会の接点で、そのままの彼らで行く、というのは、そんな社会に対する大きな挑戦であり、問いかけだったと思います。 「そのままの彼らでは、本当にだめなのか」 「社会に適合できるように訓練しないと、この社会では生きられないのか」 という問いです。  彼らは、いわば「素手」で、社会の前に立ったのです。    で、ドキドキしながらやってみたら、思いがけず、そんな彼らが好き!というファンが現れたというわけです。  パンを買いに来たら、食事をしに来たら、お客さんにとっても、心がキュンとなるほどのいいいものに出会ってしまったのだと思います。社会に合わせない、そのままのぷかぷかさん達の魅力に、です。    彼らは社会に合わせるよりも、そのままの方がずっと魅力的なのです。社会に合わせることを強いるのは、彼らの魅力を見えなくするということです。これは社会にとって大変な損失ではないかと思います。  ぷかぷかは彼らの魅力のおかげで、たくさんのファンを作りました。ファンはぷかぷかさん、つまりは障がいのある人たちといい出会いをした人たちです。そういう人が増えることは、社会が豊かになるということです。  そんなふうに考えていくと、障がいのある人たちを社会に合わせようとすることは、社会が豊かになる機会を減らすことになり、これは社会の損失になります。実にもったいない話です。    ぷかぷかはぷかぷかさん達が作り出したファンの方たちに支えられています。経営的にはまだまだ苦しいですが、とりあえずは回るくらいのお金はぷかぷかさん達が稼いでいるのです。社会に合わせる訓練なんかしなくても、そのままで行けてるじゃん!というわけです。        8月4日(土)のぷかぷか上映会で、午前中に上映する第一期演劇ワークショップの記録映画の最後に、ぷかぷかさん達が働くシーンが出てきます。演劇ワークショップという非日常の世界のあとだけに、そのシーンはとても新鮮で、何よりも彼らの働く姿が「カッコいい!」のです。芝居もカッコいいけど、働く姿もカッコいいのです。  そんなカッコいい彼らをぜひ見に来て下さい。      
  • 「気色悪い!」が発端で生まれた新しい価値
     ぷかぷかを始める前、入賞すれば650万円もの大金をゲットできる空き店舗活性化事業にエントリーしました。説明会には、その道の強者、といった雰囲気の人がわんさと集まっていて、もう見ただけで気後れしてしまいました。それでもなんとか書類審査に通り、なんとかヒアリングに通り、最終審査のプレゼンテーションまで行きました。  そのプレゼンで読んだ原稿に「生産性」とはちがう価値を見つけたい、というふうなことを書いていました。    彼らと一緒に働くことは、生産性の面からみると、極めて厳しいものがあります。彼ら抜きで働いた方が、ずっと効率はいいでしょう。でも、効率のみを追い続ける社会はお互いがとてもしんどくなります。世の中に一つくらいは、効率のよさを追わないところがあってもいいのではないでしょうか。  効率をこえる価値を、彼らと一緒に働くことの中に見つけることができれば、彼らにとっても私たちにとっても、大きな希望になります。彼らと一緒に楽しく働きながらも、パン屋を回していけるだけのお金を稼ぐ、といったことがどこまでできるのか、効率を超える価値は見つけられるのか、ぷかぷかは壮大な実験の場でもあるような気がしています…    こういった思いが審査員に届いたのかどうか、なんだかおもしろいことが始まりそうと期待が集まり、なんと650万円ゲットできたのです。  ま、それはともかく、ぷかぷかを始める前から、そういった「生産性」とはちがう価値を見つけたいと、なんとなく思っていました。ただ、具体的にどうやってその価値を作っていくか、というところは曖昧でした。彼らと一緒に働く中でなんとなく見つかるんじゃないか、と漠然と思っていました。  その新しい価値は、全く思いもよらないことがきっかけで、ぷかぷかさん自身が作りだし、お客さんがそれを見つけたのです。  ぷかぷかを始める前は養護学校の教員をやっていたので、接客というものをどうやってするのか全くわかりませんでした。で、講師をお招きして、ぷかぷかさんとスタッフで、接客の講習会をやりました。  「接客マニュアル」というのがあって、その通りにやれば、それなりに上手と思われるような接客ができます。マニュアルには「いらっしゃいませ」「お待たせいたしました」「かしこまりました」「少々お待ちください」といった決められた言葉があって、両手を前にそろえて、これを繰り返し練習すると、なんとなく上手な接客ができるような気がしました。  ところが実際にぷかぷかさんがやってみると、なんだか「気色悪い!」のです。私は彼らに惚れ込んでぷかぷかを始めたのですが、接客マニュアル通り振る舞うと、もう彼らじゃない、というか、無理に自分でないものになろうとしていて、なんか、気色悪かったのです。自分を押し殺し、接客マニュアルにあわせようとする彼らの姿は、ただただ痛々しくて気色悪かったのです。   この先、毎日気色悪い思いをするなんて、考えただけでぞっとしたので、講師の先生は一日でお断りし、もう自分たちで考えてやることにしました。お客さんに不愉快な思いをさせない、ということだけ守ってもらって、あとは自分で考えてもらうことにしたのです。  接客マニュアルを使わないので、ひょっとしたら、 「え〜!ここは接客の仕方も知らないのか!」 と、お客さんが帰ってしまうかも知れません。うまくいかないリスク99%といっていいくらいでした。でも、あの気色悪さを思うと、もう自分たちでやるしかありませんでした。  ところがふたを開けてみたら、 「ぷかぷかさんが好き!」 というファンが現れたのです。全く想定外のことでした。決してうまくない接客ですが、ぷかぷかさんのあたたかな、楽しい人柄がストレートに伝わったようでした。 「ひとときの幸せをいただきました」 「また笑顔をいただきに行きます」 といったメールをいろんな人からいただいたのです。いやぁ、これは本当にうれしかったですね。    接客マニュアルは、「生産性」の論理から生まれたマニュアルです。その論理に合わせようとすれば、自分を押し殺すしかありません。「自分らしさ」はだめなのです。気持ちがなくても、笑顔を作らなければいけないので、顔が引きつります。  そういうことに「気色悪さ」の中で気がついたのです。だから、もう自分らしく行こう、それを大切にしよう、そう思いました。  ですから、ぷかぷかに来ると本物の笑顔に出会い、本物の笑い声に出会います。あたたかな、ホッとする雰囲気に出会います。自由に生きるぷかぷかさんに出会います。  「ひとときの幸せをいただきました」  「また笑顔をいただきに行きます」 の言葉はお客さんが見つけた新しい「価値」を明確に語っています。「生産性」の論理でははかれない、社会を豊かにする「価値」です。      皮肉にも、生産性の論理そのものである「接客マニュアル」を使おうとしたことが、ぷかぷかで、生産性の価値でははかれない新しい「価値」を作りだしたのです。      8月4日(土)のぷかぷか上映会は、そんな新しい「価値」をあちこちに感じられる上映会です。ぜひお越し下さい。
  • 新しい「価値」を一挙公開!
     杉田水脈 自民党・衆院議員の「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」(『新潮45』8月号)という発言に対する抗議集会。  始まってから5分20秒くらいからの映像がすばらしい。 mainichi.jp  力強いメッセージ。なんかちょっと感動しました。メッセージを発する男性のすぐ後ろにいる女性の泣き笑い顔は、もうそれだけで伝わってくるものがあって、胸が熱くなりました。  杉田議員の貧しい発想をはるかに超える豊かなものがこの場から生まれているような気がしました。  杉田議員の発想の貧しさを批判するだけでは、何も生まれません。  「生産性」で人を価値づける発想を超えるものをみんなで作る。そこにこそ力を注ぐべきだと思います。    ぷかぷかはぷかぷかさん、つまり、障がいのある人たちに支えられているお店です。「生産性」で人を価値づける価値観から見ると、一番下のラインにいる障がいのある人たちにぷかぷかは支えられています。彼らがいなければ、何のおもしろみもないただのパン屋であり、ただのお惣菜屋であり、ただの食堂、ただのアートスタジオです。  ぷかぷかさん達がいるから、こんなにもおもしろいお店ができ、こんなにもおもしろい物語がたくさん生まれました。このおもしろさのおかげでたくさんのファンができ、ファンは売り上げを作りました。  「生産性」という価値観から外れる人たちが、売り上げをしっかり生み出しているのです。  「生産性」ではかるのではない、新しい「価値」がここにはあります。それは売り上げを生むだけでなく、社会の豊かさをも生み出しています。    ぷかぷかが創り出した新しい「価値」を一挙公開するのが8月4日(土)のぷかぷか上映会です。この新しい「価値」は、息苦しい社会を救います。私たちにホッと一息つかせてくれます。ぜひ新しい「価値」に出会いに来て下さい。
  • NHKスペシャルで見えてきたこと
     先日放送された相模原障害者殺傷事件をテーマにしたNHKスペシャルで、やまゆり園の現場が重い障がいのある人にどのように対応していたかがよくわかる映像がありました。  徘徊がひどく、見守りが困難だとして毎日のように「身体拘束」される女性の話がありました。多い日は12時間を超えることもあったそうです。その結果、女性はだんだん意志を示さなくなったといいます。  私は映像を見るだけで辛くなりましたが、現場のスタッフで、こういうやり方はおかしい、こんなことはやめよう、と思う人はいなかったのでしょうか。  12時間を超える「身体拘束」は、どう考えても異常事態であり、明らかに人権侵害です。誰が見ても、これは「支援」ではなく、「虐待」です。  結局のところ、こういうことに心を痛める人がいないような支援の現場だったのではないかと思います。  事件は犯人の特異性によるものとされていますが、現場のこういう雰囲気こそ、犯人の障がいのある人を見る目を養ったのではないかと思います。  『そよ風のように町に出よう』終刊号で相模原障害者殺傷事件についての対談がありました。   「…ボクも植松くんに精神障害っていうレッテルを貼って解決する問題ではないと思っています。ではどうして彼のような人間が生まれたのか。植松くんは施設に勤めている時は非常に腰が低いというか「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしているわけですよね(正式採用後、「津久井やまゆり園」家族会の機関誌「希望」に記載された彼の挨拶文)。そういう青年が3年間施設にいて、最後の数ヶ月でああいう精神状況に変貌したと思いますけれども、どうしてこういうふうになっちゃうのかなと、そこをボクは一番考えたいなと思ってます。」   「前の家族会の会長もいってましたけど(就労支援施設「シャロームの家」主催の集会(2017年2月27日)での尾野剛志さんの講演)、日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた。そこに突然彼が行ったらびっくりして飛び上がるって…」    そんな話と、NHKスペシャルの映像が重なってしまうのです。   去年のちょうど今頃書いたブログ    7月26日のやまゆり園事件追悼集会で出会った家族会の方も、NHKクローズアップ現代で取り上げられた植松被告の手紙にあった「障がい者が不幸の元」という考え方に確信を持ったのはやまゆり園で勤務した3年間だった、と書いていることについて  「彼は最初はそれなりの思いを持ってやまゆり園にきたのだと思います。でも、現場がひどすぎた。だからそんなふうに思ってしまったんだと思いますよ」    相手を殺すところまで行ってしまったのは、やはり犯人の特異性が大きな部分を占めるのだろうと思います。でも、事件の動機となる障がいのある人を見る目線は、やはり現場の雰囲気で養われたのではないかと思います。やまゆり園で勤務する前は、障がいのある人にほとんど関わってないのですから。  彼が働いた現場が障がいのある人たちとどのように関わっていたのかの検証はとても大事だと思うのですが、、神奈川県の検証委員会では全くやっていません。どうしてこの一番大事な、核心部分ともいえるところを検証しなかったのか。福祉施設の安全管理体制が問題だった、と書くことで、何かすごく大事な問題をすり替えている気がします。  たまたまNHKスペシャルで明らかになった「重い障がいを持った人を12時間も身体拘束をする」といった異常な事態が支援の現場でどうして起こったのか、保護者の方が言っていた「現場がひどすぎた」とは具体的にどういう事態だったのか、「障がい者が不幸の元」という考え方に確信を持ったのはやまゆり園で勤務した3年間だった、という犯人の言葉の検証等々、津久井やまゆり園という支援の現場が障がいのある人たちとどのような関わりを持っていたのか、という問題です。  どうしてそこにこだわるのか。  今まで何度も書いていますが、犯人が下の写真のような 「いい一日を一緒に創り出すような関係」 を障がいのある人たちと作っていたら、事件は起きなかった、と思うからです。19名の命は奪われることはなかったと思うのです。だとすれば、事件の責任はどこにあるのか、犯人一人の責任にすればすむ話なのかどうか、です。 ★NHKスペシャルを見られた方、ぜひ感想をお寄せ下さい。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp   ★8月4日(土)のぷかぷか上映会にはNHKスペシャルの制作に関わった方が何人か参加します。ここしか聞けない、いろいろおもしろい話が飛び出すかも知れません。これはもう来なきゃソン!ですよ、絶対に。 pukapuka-pan.hatenablog.com                     
  • 福祉を腐らせないために、私たちはどうしたらいいのか。
     「第3回ともに生きる社会を考える神奈川集会2018」に参加した小林律子さんのFacebookにすばらしい報告が載っていました。その中のやまゆり園の入所者の生活についての話   シンポジウムの最後の方で、フロアからやまゆり園の元入所者で、地域のGHに移った息子さんをもつお父さんが発言された。 「やまゆり園の事件でいろいろ報道され、語られ、論じられているけれど、あの事件で殺された人たちがやまゆり園の中でどういう生活をしていたのか、まったく報じられていない」と。  7/21のNHKスペシャルで、端なくも、やまゆり園の支援の質と移転した先のてらん広場の支援の質の違いがくっきり出ていたけれど、やまゆり園では1日2時間の活動しかなく、土日はなにもない。一日ボーと過ごすだけ。そんな生活を「亡くなった利用者さんたちはみな、園で穏やかに暮らしていた」と法人側はいうけれど、こんな生活を50年も続けていたら、誰だって生きる目的、意欲を失い、自分の意思や願いを表出することを諦めてしまう、と。    利用者さんだけでなく、スタッフもそういう環境の中でものを考えなくなります。    その人たちを「コミュニケーションがとれない」「生きていても仕方がない」人と植松容疑者は線引きして殺したわけだけれど、そこで自分たちの支援のあり方を顧みたり、望んで施設で暮らしているわけではない、家族や社会の都合でそうせざるを得ないというそれぞれの人が背負う背景、事情に一片の理解を寄せることもなく援助の仕事をしていた自分を顧みることはない。それを利用者家族から、あるいは職員間で問われることも、閉ざされた施設の中ではなかったのだろう。    そして津久井やまゆり園を運営する社会福祉法人かながわ共同会のホームページでは事件に関する検証が全くありません。 かながわ共同会 事件から1年目に再開したホームページ ごあいさつ ~ホームページ再開について~    あれだけの事件があり、元ここの職員が起こした事件にもかかわらず、この無責任さにはあきれました。  この法人は神奈川県の職員の天下り先として有名なところだそうです。だから県の検証委員会は施設に不都合なことは書かなかった、いや、「書かせなかった」のかも知れません。そして不都合な部分は法人としても検証しない。  福祉が、こういうところで腐っていきます。    福祉を腐らせないために、私たちはどうしたらいいのか。  それは何度も書いているように、 「障がいのある人たちと一緒にいい一日を作り続ける」 こと、その中から、 「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」と思える確かな「文化」を創り出すこと、 そして「それに共感する人を増やすこと」 だと思います。  障がいのある人たちを排除する「文化」に対して、彼らを排除しない「文化」を彼らと一緒に創り出すのです。その文化は、息苦しい思いをしている私たちをも救います。ぷかぷかに来るとホッとする、というお客さんが多いのは、そのことを語っています。    その「文化」がどういうものか、8月4日(土)みどりアートパークで行われるぷかぷか上映会に来ていただければわかります。  特に10時から上映される第一期演劇ワークショップの記録映画は、彼らとクリエイティブな関係で創り上げるワークショップの空間がいかに豊かな世界か、ということがストレートに伝わってきます。  徐々に見えてきたやまゆり園の世界とは正反対の世界です。  そういったものを私たちがどこまで創り上げることができるか、ということが、今、問われているのだと思います。やまゆり園のあり方を批判するだけでは前に進まないのです。    相模原障害者殺傷事件を超える社会を作る、というのは、やまゆり園の世界とは正反対の世界を私たちが作り出せるかどうか、ということだと思います。アーダコーダの議論も大切ですが、それよりも大切なのは、正反対の世界を実際に作ることだと思います。  午後に上映する「第四期演劇ワークショップの記録」「プロモーションビデオカナダ版Secret of PukaPuka」「ぷかぷかさんがいる町」はいずれも、その正反対の世界が実際にできている記録映像です。午前の映画とあわせて見ていただけると、ぷかぷかが創り出してきた世界の全貌が見えます。     チケットをぷかぷかの「アート屋わんど」に申し込んでいただくとオリジナルクリアーファイルがもらえます。045−923−0282。絶対トク!ですよ。      
  • お互い「いい一日だったね」って、笑顔で言いあえる関係をあちこちで作る
     昨日の朝日新聞夕刊コラム「素粒子」    みずからに問う。障害者への思いはどう変わったのか。社会を見つめる。障害者は暮らしやすくなったのか。やまゆり園事件から2年目の朝に。    事件は、そういう機会を作ってくれたのかとも思います。それぞれが障がいのある人との関係について「みずからに問う」機会です。  私自身は事件を「みずからに問う」つもりで、つたないブログを書いて書いて書きまくりました。書いても書いても、怒りや悲しみややりきれなさが収まらなくて、気がついたら85本ものブログを書いていました。 pukapuka-pan.xsrv.jp    犠牲になった人たちは 「何もしていない私たちが、どうして殺されなければならないの?」 と、やりきれない思いで死んでいったのだと思います。それは犯人だけではなく、この社会に生きる私たちみんなに向けられた重い問いだったと思います。  簡単に答えの出るものではありません。でも、この問いは、この社会において彼らと私たちの関係を端的に表すものとして、私たちに突きつけられた気がしています。 「生産性のないものは、じゃまだよ」 と、多くの人がなんとなく思っているこの社会。生産性がいつも評価の中心にある社会。障がいのある人たちが、生産性がない、と評価の最底辺に位置づけされる社会。そんな社会への重い問いだったと思います。    重い、しんどい問いです。  でも、理屈っぽい話ではなく。 「何もしていない私たちが、どうして殺されなければならないの?」 そう思う人を二度と出さないためにはどうしたらいいのか、というふうに考えてみれば、 〈 彼らとの楽しくてしょうがないようなステキな関係を作ることこそが大事 〉 であることが見えてきます。  お互い 「いい一日だったね」 って、笑顔で言いあえる関係。そういう関係をあちこちで作ること、それを広げていくこと、何よりも彼らとのそういう笑顔の一日を毎日毎日積み上げること、それがすごく大事なことであることにあらためて気がつきました。    8月4日(土)のぷかぷか上映会では、相模原障害者殺傷事件をテーマにしながら、ぷかぷかさんとの握手会をやります。 pukapuka-pan.hatenablog.com    「やわらかい手だね」「あたたかい手だね」 そこから始まる障がいのある人たちとのおつきあいを大事にしたいからです。  人は、やわらかい手の人、あたたかい手の人を殺したりなんかしません。そういうことを感じないところで事件は起きたのだと思います。犯人は、重い障がいのある人たちも、私たちと同じように、やわらかい手をしていること、あたたかな手をしていることを知らなかったのではないかと思いました。    彼らと人としておつきあいすること。たったそれだけのことを私たちはやりきれてなかったのではないか。そんなことを思う事件2年目でした。       
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