ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 苦労して今までにない新しい企画を立てて欲しい
     三ツ境養護学校の先生から30周年の時のことをいろいろ聞かせて欲しい、と連絡があった。近々50周年をやるらしい。  三ツ境養護学校創立30周年記念式典とかいっても、養護学校の子どもたちにとっては、どうしてそれがおめでたいのかよくわからない。で、考えたのが「三ツ境ようこさんの30歳の誕生パーティをやろう」という企画だ。これなら子どもたちにもイメージしやすい。  さっそく「三ツ境ようこさん」の絵をみんなに描いてもらい、廊下に張り出した。廊下がようこさんの熱気で、むせかえるようだった。   主人公の「三ツ境ようこさん」はオーディションで決めた。クラスで一人出してもらい、みんなで衣装やメークを考える。審査員は全校生。お下げ髪で登場した小学部1年生の男の子が「かわいい!」といって選ばれた。このあたりから学校全体がぐんぐん盛り上がる。  この年のテーマが 投票で「イケイケ30周年」が選ばれたので、中庭にみんなで池を掘ったりした。肢体不自由の子どもたちも、シートを敷いて腹ばいになって土を掘った。ゴムのシートを敷き、水を入れたらすぐにトンボがやってきて、卵を産んでいた。ポンプをつけて水を循環させ、蛍の幼虫を放した。これが30周年記念モニュメント。  30年前の給食はどんなだったんだろう、とその模型を展示してもらったが、模型じゃつまらないと、栄養士さんに頼んで実際に作ってもらったこともある。30年前の給食を味わうなんて、なかなかできないことだ。  30年前、学校のまわりはどんな風景だったんだろうと、地元の長老に話を聞いた。区役所に行って30年前の航空写真を探したこともあった。  着任したばかりの教頭には30年前の歌を子どもたちの前で歌ってもらった。50過ぎのおっさんが詰め襟の学生服を着て「高校三年生」を歌ったもんだから、これは子どもにも大人にも受けた。  三ツ境ようこさんの誕生パーティの日には神奈川県教育委員会から課長が挨拶に来るのだが、堅い挨拶してもらってもつまらないので、ようこさんのお父さん役になってもらい「かながわのケンです。いつもようこがお世話になってます」という挨拶をしてもらった。ちゃんとそれらしい衣装を着てきたところがえらい。  校長は女性だったので、ようこさんの乳母ということで、割烹着を着てもらい、ホウキを片手に登場。なかなかよく似合った。  ま、そんなこんなで、みんなで30周年を目一杯楽しんだ。  50周年なら、三ツ境ようこさん50歳の誕生パーティにすればいいのだが、やはりここは現役の先生たちに苦労して今までにない新しい企画を立てて欲しい。苦労して企画を立ててこそ、50周年の意味がある。何よりも苦労は自分を磨く。 www.pukapuka.or.jp
  • 「宇宙人がやってきて、その宇宙船に乗ろうと思って足を踏み出したら…」
    グループホームの2階から落ちてけがをした人がいて、どうしたんだ、と聞いた時の答えがいい。 「宇宙人がやってきて、その宇宙船に乗ろうと思って足を踏み出したら…」 落っこちたという。  「何バカなのこといってんの」 と一笑に付されるのが落ちだが、 「そうか、宇宙船に乗り損なったか、そりゃぁ残念だったね」 とみんなでその話を面白がるのが北海道浦河の「べてる流」。確かこの話は、ある年のべてるの家「妄想、幻想、幻聴大会」でグランプリを取った。  私もこんな話は大好きだ。こんな話こそ、世界を豊かにすると思う。ぷかぷかさんたちといっしょに生きていこうと思ったのは、そういう話がいっぱい出てくるからだ。  これは多分何かと戦っている。時々 「お姫様がさらわれた、助けに行く」 とか言って、本当にどこかへ行ってしまう。あとで探し出すのが大変だが、それでも見つけた時は、頭ごなしに叱ったりするのではなく 「あれ?お姫様はどうしたの?」 と、聞いたりする。   精神障害の人たちの幻覚とは少し違う世界だが、こういう世界とは仲良くした方が、人生、楽しい。頭ごなしに否定するところからは何も生まれない。  この本は「べてるの家」を牽引してきた川村先生が日赤を辞め、浦河の街の中に小さな診療所を開き、そこでの日々を語ったもの。  川村先生も、どこかで彼らと出会い、彼らの生きる世界の豊かさに気がついたのだと思う。そしてその豊かな世界を彼らといっしょに生きようとしている。
  • 勝ちに行く
     先日もお知らせしましたが、ヤマト福祉財団が小倉昌男賞を募集していたので、それを取りに行くことにしました。「勝ちに行く」のです。福祉事業所が「勝ちに行く」というのも変な話ですが、それくらいの勢いがないと、いい福祉なんかできないと思っています。「勝ちに行く」という勢い、緊張感が、素晴らしい推薦文、実績を書かせたと思っています。ぷかぷかがやっていることを、どうやったら相手に伝えることができるのか、それを考えることは事業を振り返ることでもありました。いい経験をしたと思っています。          保護者の方は推薦理由にこんなことを書いてくれました。 推薦理由 出会い 私と高崎さんとの出会いを作ってくれたのは息子です。自閉症の息子はパン屋で働きたいと希望し、たまたま養護学校の教諭をされていた高崎さんが退職金をはたいてパン屋を立ち上げる、という情報を得ました。「一緒にやりましょう」という高崎さんの熱気にあれよあれよと巻き込まれ、「ぷかぷか」で息子は働き始めることになりました。 見当違いの努力 小さい頃から私は息子を人に迷惑をかけないように育てなければいけないとばかり考えていました。息子はともかくおしゃべりが多く、これを直せないと社会で生きていけない、とまで考えるようになりました。そんな息子が自分からパン屋で働きたいと言い出したのです。自閉症の人は一般的に対人関係が苦手と言われています。しかも息子は手先があまり器用ではなく、パン作りもできるとは思えませんでした。そんな固定観念を打ち破ってくれたのが高崎さんです。何と息子をパン屋の営業部長としての役割を与えてくれたのです。直すように努力をしていたお喋りも、「別にいいですよ」と言われ、今ではそのお喋りが「売り」の一つになっています。彼のお喋りがパン屋の売り上げを牽引し、彼にはファンまでいるのです。障害者は社会に合わせていかなければならないのではなく、「そのままの彼らがいちばん魅力的」といい、その魅力を「売り」にしてぷかぷかは商売をしています。誰でも自分らしく生き生きとできる場がぷかぷか。これは、障がいのある人たちといっしょに生きていく、というフラットな関係だからできることです。もし高崎さんが「障害者を支援する」という上から目線の関係の中で活動していたなら、決してできないことです。ぷかぷかさんたち(利用者さんのことをこう呼びます)が楽しく笑顔で働くことで地域に笑顔の連鎖が生まれ、地域を元気にしているのです。 地域の人と芝居作り 活動の一環としてぷかぷかさん、スタッフ、地域の人たちを巻き込んで演劇ワークショップをやっています。舞台は演出家が作るのではなく、みんなであーだこーだ言いながら作ります。その過程でぷかぷかさんたちの発想の豊かさ、存在の豊かさが際立ち、自然に「あなたが必要」と思えてきます。障がいのある人に対してそう思えるの場は貴重です。舞台の様子は記録映画になり、全国で上映会を開いています。そのほか、地域の人が参加するパン教室、アートワークショップ、大学や区役所でのワークショップを積極的に行っています。人権研修会では当事者も加わり、人権についてリアルな気づきを生み出します。 一緒に生きていこう 高崎さんの活動は「ぷかぷかさんが好き!一緒に生きていった方がトク!」という思いが根底にあります。高崎さんの情熱、パワー、実行力を目の当たりにしてきた者として、高崎さんこそ小倉昌男賞にふさわしいと思い、推薦します。  これにぷかぷか代表の略歴、実績を書き加えました。メールでの提出もあるので、リンクを張っておきました。 高崎明略歴 1949年4月30日生まれ 1973年4月〜1981年3月 民間会社勤務 1981年4月〜2010年3月 県立養護学校教員を務める。演劇ワークショップの手法を取り入れ、学校でたくさんの芝居を作った。三ツ境養護学校では全校生といっしょに1年かけて芝居を作り、文化祭で発表する授業を10年続けた。瀬谷養護学校では養護学校の生徒と地域の人たちで芝居作りを10年続けた。担当した学年では生徒たちと一緒に芝居を作り、文化祭の舞台で発表する授業を25年続けた。 2010年4月 就労支援B型事業所ぷかぷか設立〜現在に至る 実績  ・就労支援B型事業所ぷかぷか設立後、試行錯誤しながら、障がいのある人たちにまつわる新しい価値を生み出し、ホームページに発表し続けている。https://www.pukapuka.or.jp ・ぷかぷかは創業者の高崎が養護学校教員時代に障がいのある子どもたちに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思って始めた。だから、ぷかぷかは障がいのある人たちと「支援」という上から目線の関係ではなく、「いっしょに生きていく」という「フラットな関係」で事業を展開している。 ・そこで見えてきたものは、彼らとの関係ひとつで、彼らは「あれができないこれができない」といったマイナス価値の人たちではなく、「社会を耕し、社会を豊かにする存在」であること。 ・彼らに惚れ込んで作ったお店なので、社会に合わせた彼らではなく、そのままの彼らで働いてもらっている。社会に合わせて自分を押し殺すのではなく、ありのままの自分で働く。その結果、ほっこりあたたかな、ほっと一息つける雰囲気のお店になった。ありのままの彼らにはそういった雰囲気を作るチカラがある。それが彼らの魅力。 ・ありのままの彼らの魅力に気がついた人たちが「ぷかぷかさんが好き!」とファンになり、売り上げを生み出している。おしゃべりの止まらない方も、そのままで働いてもらい、そのおしゃべりの魅力に気づいた人たちがファンになり、外販の半分くらいは彼のおしゃべりが生み出している。 ・ファンができたことは、障害者を排除することの多い社会にあって、ぷかぷかのまわりの社会が変わってきたことを示している。彼らとはいっしょに生きていった方がいいと思う人が増え、社会の幅が広がり、豊かになってきたと考える。まさに、社会を耕し、社会を豊かにする存在。 ・そんな彼らといっしょに生きていく中で、ぷかぷかは社会を豊かにするものをたくさん創り出してきた。https://www.pukapuka.or.jp/2020/08/05/5615/ ・アート商品はぷかぷかさんたちの生み出した作品とそれをどう見せるかのスタッフの演出が生み出したもの。ここにも彼らといっしょに生きる関係がある。 https://www.pukapuka.or.jp/art/ ・相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者は不幸しか生まない」といったが、ぷかぷかが生み出すアート商品、お店の雰囲気は、まわりの人たちをハッピーな気持ちにさせている。事件を起こしたやまゆり園とぷかぷかでは、利用者さんとの関係が全く違うことがここからうかがえる。 ・ぷかぷかさんと地域の人たちで演劇ワークショップをやっているが、そこで生まれる芝居は、いっしょに生きると何が生まれるかを具体的に示し、彼らとはいっしょに生きていった方がいい、ということが一目でわかるような作品になっている。そのワークショップの記録はこちら https://www.pukapuka.or.jp/diary/tag/%e3%81%bf%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%a7%e3%83%af%e3%83%bc%e3%82%af%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%97/
  • 「私自身が自由になれる」ということがとても大事
     ぷかぷかを応援して下さっている方のFBに 「代表の高崎さんや地域の方が、ありのままのぷかぷかさん達を優しく見守られている姿、素晴らしいですよね」 なんて言葉がありました。なんかちょっと違うよな、やさしく見守っているわけじゃないよな、と思ったので、そのことについて書きます。  ありのままぷかぷかさんたちをやさしく見守る、というのはぷかぷかさんたちと距離を置いて見守ることです。いいよ、いいよ、そのままでいいよ、と距離を置いたところで見ているだけです。  「ありのままの彼らが一番魅力的」という言葉は、ありのままの彼らとの直接的なおつきあいから生まれた言葉です。       毎朝セノーさんの目をのぞき込んで、糖尿病で目が赤くなってないかどうか検査します。セノーさんが養護学校の高等部の2年の時に担任してからずっとやってるので、もう10年以上です。  いつの頃からかセノーさんは私の目の検査もするようになりました。こうやって時々私の目をのぞき込み 「白いねぇ。マック行ってますか?」 「行ってません。え?セノーさんはマック行ってるの?」 という会話を延々繰り返します。  ありのままのセノーさんとの、こういうおつきあいが楽しいな、と思うのです。  自由なセノーさんとのおつきあいの中で、私自身が自由になれます。  「私自身が自由になれる」ということがとても大事だと思います。ぷかぷかにファンが多いのは、ありのままの彼らとのおつきあいの中で、どこかで自分が自由になれることを感じるからだと思います。  「ぷかぷかに来るとほっとする」 という言葉は、そのことを物語っています。  やさしく見守っていたのでは、こういう言葉は多分出てきません。もったいないですね。すぐそばにこんなに素敵な人たちがいるのに。
  • ブルーベリー畑でコラボ
    日本フィルのチェロ奏者江原さんと、ダイちゃんの演奏(「まっすぐ」と「インドの虎狩り」)に車椅子ダンサー神原健太さんが加わるコラボを新治市民の森にあるブルーベリー畑でやりました。  神原さんはこの炎天下、なんと十日市場の駅から車椅子を自分で動かしてブルーベリー畑まで来ました。腕は筋肉の塊でした。 www.youtube.com www.youtube.com  畑の中のコラボは気持ちのいいコラボでした。  正式な映像ができましたら、またアップします。  コラボの出前します。映像見て、おもしろいな、と思ったら連絡下さい。
  • コンちゃんはたった一人で街を耕し、豊かにしていった
    「ねぇ、ぼくのこと好きですか?」と何度も迫ってきたコンちゃんが卒業した。  来週から就労移行の施設に変わり、企業就労を目指す。ぷかぷかは給料が安いので、ま、しょうがないのだが……  たくさんのお客さんがお別れに来た。スタッフも泣いている。  愛されキャラ。こんなにおもしろい人はそうそういない。  スタッフのFB 「ぷかぷかのメンバーさんがひとり卒業した。  リクエストされた絵を全部描いて渡した。  泣いている絵がなぜか好きだった紺ちゃん  別のところでも元気でがんばってほしいな。  ちなみに、リクエストされたのは...  ①コグスワース  ②泣いているどんぶりトリオとアンパンマン  ③じゃじゃまる ピッコロの鐘ならし  ④ぽろりが大好物ホットケーキ  ⑤泣いているよしこさん なぐさめるさき子  ⑥クリームパンだが機関車を持ってる  ⑦泣いている千尋 なぐさめるハク  ⑧まる子とたまちゃん 仲良しの絵  ⑨さつまいもを食べておならをしているコキンちゃん  マニアック過ぎるwww    裏にはみんなの写真とメッセージ」  こんな豊かな関係がコンちゃんのまわりにはいっぱいあった。コンちゃんも、まわりの人たちもみんな幸せだった。  こんな幸せな時間を毎日プレゼントしてくれたコンちゃんがいなくなるなんて、ほんとうに寂しい。  こういう関係がたくさんできたのも、ぷかぷかに自由な雰囲気があったからだと思う。ぷかぷかさんたちは、毎日ありのままの自分で仕事をしている。コンちゃんはパン屋の厨房で働いているが、気になるお客さんが来ると、いきなり厨房から飛び出し、 「兄弟いますか?」「お兄さんですか?お姉さんですか?」「お父さんはネクタイしていますか?」…  といった質問が延々と続く。お客さんは最初ドギマギしながらも、だんだんコンちゃんのペースに巻き込まれ、笑顔になっていく。  こういったことがアリの職場なのだ。  メンバーさんとお客さんが自由につきあうなんて、多分なかなかない。禁止にするか、間にスタッフが割り込むかのどっちかだ。だから 「ああ、やっぱりぷかぷかに来るとほっとする」 というお客さんが現れる。  この自由な雰囲気の中で、コンちゃんのまわりに豊かな関係がどんどん広がっていった。コンちゃんはたった一人で街を耕し、豊かにしていったのだ。  人と人とのおつきあいで何が大切なのかをコンちゃんは毎日教えてくれた。  コンちゃん ありがとう!
  • 彼らといっしょに生きていくと、生活が豊かになるのです。
    「コロナ禍の変化10年分」というユニクロ会長の話はおもしろかったです。 digital.asahi.com 「生活様式が変わり、ドレスやスーツはほとんどの人の生活に関係しなくなった。紳士服売り場は、極論すると、ほとんどなくなるかもしれない。」  ――ユニクロはどうしますか?  「衣・食・住と言うように、服はもともと生存に必要なものなのに、あこがれのような特別な商品になっていった。当社は生活に必要で生活を豊かにする服をつくって売っていく」  「生活を豊かにする服を作って売っていく」というのがいいですね。   今日もミーちゃんがかわいいTシャツ作っていました。 アヤさんも作っていました。 生活を豊かにする服です。 おひさまの台所にはこんな字が 生活を豊かにする字です。 彼らといっしょに生きていくと、生活が豊かになるのです。 いつもいうことですが、彼らとはやっぱりいっしょに生きていった方がトク!なのです。
  • いっしょに生きていくと、こんなに豊かなものが生まれる。
     障がいのある人たちは、一般的には「あれができないこれができない」「生産性が低いからだめ」とかいわれていますが、そういったマイナス評価は絶対的なものではなく、彼らとの関係ひとつでマイナス評価からプラス評価に変えられる、ということをぷかぷかは事業を展開する中で示してきました。  彼らとの関係は「何かやってあげる」とか「支援する」といった「上から目線の関係」が多いのですが、ぷかぷかは「いっしょに生きていく」という「フラットな関係」です。  そういう関係でぷかぷかは事業を展開してきたのですが、そこで見えてきたのが、彼らは「あれができないこれができない」人たちではなく、「社会を耕し、社会を豊かにする存在」人たちであるということです。マイナスの価値ではなく、プラスの価値を生み出す人たちであるということです。  つまり彼らとどういう関係でやっていくかによって、全く正反対のものが出てくるのです。社会を豊かにする新しい文化といっていいほどのものをぷかぷかはたくさん創り出してきました。  社会に豊かさをもたらす彼らをマイナス評価することは、社会の大きな損失だと思います。豊かさの喪失です。それはぷかぷかが今まで創り出してきたものを見ればすぐにわかります。   パン屋では彼らとスタッフの共働作業で素敵なポスターを作ってお店に張り出しています。 ぷかぷかさんと地域の人たちで6ヶ月かけて作った芝居の舞台は、いっしょに生きることで生まれる豊かな文化そのものです。 舞台の背景画はどこに出しても恥ずかしくないほど作品。いっしょに生きると、こんな素晴らしい背景画が生まれます。 パン屋の大きな窓に描かれた絵。いっしょに生きていると、こういうものが次々に生まれます。 毎月発行している「ぷかぷかしんぶん」。いっしょに生きると、こんなに楽しいしんぶんができます。この楽しさは、彼らといっしょに生きる楽しさです。 近くの大学でやったワークショップ。いっしょに生きていると、こんな関係がどんどん広がっていきます。 「セロ弾きのゴーシュ」の舞台で作った小道具や背景画。いっしょに生きると、こんな素晴らしい作品が生まれます。 新しい事業所「でんぱた」の看板。いっしょに生きるとこんな素敵な看板ができます。 お弁当にぷかぷかさんの作ったアートをかぶせると、お弁当が何倍にも楽しくなります。これがいっしょに生きることの意味です。暮らしが豊かになります。 こんな字が書いてあったら、つい買いたくなってしまいます。この字は、わらび餅の価値を何倍にもしています。生活を豊かにします。  2019年7月のニューヨークで開かれたSDGsの世界大会に参加した日本の企業が発表するレポートの表紙にぷかぷかさんの絵を使ってくれました。いっしょに生きるとこんな素敵な絵が生まれることを世界中に伝えてくれました。 ぷかぷかさんたちといっしょに生きることで生まれた物語。いっしょに生きることで、みんなが豊かになる物語です。
  • 社会に豊かさをもたらす彼らをマイナス評価することは、社会の大きな損失
    ヤマト福祉財団より と連絡があり、賞金に100万円もくれるなら、これは応募しなきゃソン!と、保護者の方にお願いして、推薦文を書いてもらいました。ぷかぷかがやっていることのオリジナリティーをどうやって伝えるかで、保護者と何度もあーだこーだとやりとりしてようやく完成。最後に高崎の経歴、実績を書く必要があって、ここは私が書きました。  実績はまさにぷかぷかがやってきたこと。で、書きながらあらためて気がついたのですが、障がいのある人たちは、一般的には「あれができないこれができない」「生産性がないからだめ」とかいわれていますが、その評価は絶対的なものではなく、彼らとの関係ひとつでマイナスからプラスに大転換する、ということがぷかぷかを10年やってきてわかりました。  彼らとの関係は「何かやってあげる」とか「支援する」といった「上から目線の関係」が多いのですが、ぷかぷかはいつも書いているとおり「いっしょに生きていく」「フラットな関係」です。  そういう関係でぷかぷかは事業を展開してきたのですが、そこで見えてきたのが、彼らは「社会を耕し、社会を豊かにする存在」であるということです。  つまり彼らとどういう関係でやっていくかによって、全く正反対のものが出てくるのです。社会を豊かにする新しい文化といっていいほどのものをぷかぷかはたくさん創り出してきました。  社会に豊かさをもたらす彼らをマイナス評価することは、社会の大きな損失だと思います。豊かさの喪失です。それはぷかぷかが今まで創り出してきたものを見ればすぐにわかります。 
  • 日本フィルのチェロ奏者江原さんとダイちゃん、それに車椅子ダンサー神原健太さんのコラボやります。
    日本フィルのチェロ奏者江原さんと、ダイちゃんの演奏(「まっすぐ」と「インドの虎狩り」)に車椅子ダンサー神原健太さんが加わるコラボを新治市民の森にあるブルーベリー畑のそばでやります。8月9日(日)10時からです。雨天延期です。Facebookでお知らせします。  神原 健太 (車椅子ダンサー) www.youtube.com   digital.asahi.com  「まっすぐ」 www.youtube.com  ブルーベリー畑は下の地図の真ん中あたり「池ぶち」というところにあります。  高崎は当日9時半にぷかぷかのパン屋から出発します。よかったらいっしょに行きましょう。参加希望の方は takasaki@pukapuka.or.jp にメール下さい。  ブルーベリー畑まで歩いて15分弱です。  コラボのあとはブルーベリー狩りを楽しんで下さい。
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