ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 障がいのある人たちといっしょに生きていこうよ、という思いは…
     一昨日『街角のパフォーマンス』のことを書きましたが、その目次の中に「教室が芝居小屋に変わった お客も役者もクッタクタ」という項目があります。学校の中に「芝居小屋」という、みんなが自由になれる空間を作った時の記録です。  文化祭で、普通はステージで芝居をやるところを、教室でお客さんも一緒になって芝居を作る空間を作ったのです。きっかけはフィリピンまで行ってやったワークショップでした。1週間くらい行っていたのですが、現地のPETAという芝居グループがやっていた子どものワークショップの発表会を見る機会がありました。スペイン占領時代の古い城壁の跡地で夜、その発表会はありました。芝居の中のモンスターと馬が登場するシーンで、そのモンスターと馬の雰囲気を観客が作り出すのです。モンスターの叫び声をみんなで出し、馬の蹄の音をみんなが靴を鳴らして出します。ただ芝居を見ているのではなく、その芝居の舞台を役者の子どもたちと一緒に作っている、ということがすごく新鮮で、言葉はわからないのに、楽しさだけは舞台の子どもたちと共有できた気がしました。現地のタガログ語をPETAのメンバーが英語に翻訳し、それを日本語に翻訳してもらうという手続きのため、何をやっているかを理解するのに時間がかかり、芝居のタイミングがいつもずれていましたが、それでも観客もいっしょに舞台を作っていく楽しさは十分伝わってきました。こんな舞台の作り方があったんだ、と、もう感動してしまいました。   これはもう絶対に学校でやろうと密かに決意。文化祭で「芝居小屋」という空間を作って、お客さんと役者で一緒になって芝居の舞台を作ったのでした。はじめてそんな場を作るので、うまくいくかどうか、本番まで全くわかりません。役者だけの稽古は事前にできますが、お客さんも入れての稽古は本番までできません。ですからこの一番大事な部分はぶっつけ本番になります。緊張した分、本当にこの芝居小屋は楽しい空間になりました。その時の記録が本には載っています。  これが思いのほかうまくいって、その次の年は「ちびくろサンボ」をやり、その次の年は「魔女たちの朝」をやりました。このときはスクールバスの運転手や添乗員の方も巻き込んでの熱気むんむんの芝居小屋になりました。  この芝居小屋については以前のぷかぷか日記に書いていますので、読んでみてください。 <a href="http://pukapuka-pan.hatenablog.com/entry/2014/09/28/175156" data-mce-href="http://pukapuka-pan.hatenablog.com/entry/2014/09/28/175156">みんなが自由になれた場 - ぷかぷか日記</a> pukapuka-pan.hatenablog.com    この芝居小屋が更に発展して、転勤先の学校では、体育館のフロアを使って全校生、保護者、教員みんなで芝居をやりました。体育館に集まったみんなが本当に自由になれた空間だったと思います。毎年毎年全校生を相手にしたワークショップ的芝居作りを10年続けました。毎年テーマ募集から始まって、そのテーマに沿った芝居を約1年かけて全校生が参加して作るのです。みんなが1年間、いっしょに芝居作りを楽しんだと言ってもいいでしょう。創立30周年の記念式典も「三ツ境ようこさんの30歳の誕生パーティ」というタイトルで体育館芝居小屋をやりました。神奈川県教育委員会から来た課長は「神奈川のケンさん」という三ツ境ようこさんのお父さん役、校長はようこさんの乳母役で割烹着で芝居に登場したのでした。(このときの話はおもしろすぎて、書き出すときりがないので、また別の機会に書きます。)  10年くらいたって元の学校に戻りましたが、驚いたことに、芝居小屋をやるような自由な雰囲気は全くなくなっていました。歴史は人間が自由になる方向へ動いていくものだと思っていましたが、学校は逆行していました。こんなに自由な子どもたちがいるのに、どうして学校はこんなに不自由なの?という思いでいました。(ま、そんな中でも最後の3年間は思いっきり自由に芝居を作っちゃいましたが…)  ぷかぷかに自由な雰囲気があるのは、障がいのある人たちといっしょに生きていこうという思いがあるからだと思います。そういう思いがあるから、ぷかぷかには彼らのおかげで誰もがホッとするような雰囲気が生まれます。ところが、彼らを「指導しよう」とか「支援しよう」という方向で彼らとの関係を作っていると、どうしても「こっち側」の論理で物事を考えることになり、その結果、管理的な空間ができてしまいます。ほかの福祉事業所の運営するパン屋に行ったお客さんが、「ぷかぷかに来るとなんだかホッとするわ」と言ったことがありますが、要するにそういうことです。  障がいのある人たちといっしょに生きていこうよ、という思いは、ですから、社会を、私たちを自由にしていきます。そうして、私たちが自由に生きられる社会につながっていくんだと思います。          
  • オペラのチケットができました
     オペラ「ロはロボットのロ」のチケットができました。いよいよ5月18日(月)から販売開始です。販売場所はぷかぷかのパン屋です。午前中はパンを買うお客さんで混み合っていますので、毎日午後2時から販売します。全席指定です。        チケットは子ども用整理券(オペラプレゼント券)                                                        中高生 2,000円                                                       大人 3,000円                                大人 寄付金付き4,000円               現在の寄付金の集まり具合は6万円弱ですので、できれば大人の方は寄付金付きを買っていただけるとうれしいです。    「地域の大人たちで子どもたちにオペラをプレゼントしませんか?」の新しいチラシができました。   寄付金付き1,000円コーヒーの新しいチラシは   パン屋には寄付箱があります。この箱がみなさんの思いでいっぱいになったら、子どもたちにオペラをプレゼントできます。子どもたちのために、ぜひご協力お願いします。  
  • 街角のパフォーマンス
     5月21日(木)映画「ぷかぷか」の上映会の時に、昔高崎が書いた『街角のパフォーマンス』を販売します。          養護学校の教員になって7年目に書いた本で、とても新鮮な感覚で書いています。ワークショップのこと、学校でやった芝居小屋のこと、子どもたちといっしょに街へ飛び出したこと、障がいのある人を電車に乗せないでという投書が新聞に載ったこと、働くところが生きる場になったこと、など、今の時代に読んでも十分通用する内容です。  障がいのある人を電車に乗せないで、という新聞投書の問題は、ぷかぷかに時々利用者さんの通勤時間をずらしてくれないか、という電話がかかってくるのですが、こういったことについては30年前とほとんど社会的な状況は変わってないことになります。そのときに見つけた、こつこつと人の関係を作っていくしかない、といった思いは、今のぷかぷかに引き継がれています。  というか、ぷかぷかの理念的なことは、この本を書いた頃に私自身が思っていたことであり、それが今具体的な形になっている、ということです。ぷかぷかのいわば『原点』みたいなものが見えます。  当日は受付テーブルのそばで販売予定です。限定20部です。予約したい方はメールください。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp  高崎    
  • やっぱり「強気で」
     昨日「大スクリーンでの上映は、ひょっとしたら最初で最後」って書いたところ、映画を作った宮沢さんから、「もっと大きなムーブメントが起こるかもしれないのに!!!」と、しかられてしまいました。  ごめんなさいね。あまりに大きなスクリーンに圧倒されて、今まで地区センターとか会議室とか小さなところでしか上映したことがなかったので、つい、こんなすごいところで上映できるのは、多分最初で最後だろうな、なんて、ちょっと弱気になっていました。  でも、ひょっとしたら「大きなムーブメント」が本当に起こるかも知れないし、それを起こすべく努力すべきだと思いました。こういうことは最初にあきらめて、「これが最後」と思ってしまったら、その通りになってしまいます。そうではなく、これがはじまり、ここからが勝負、と思えば、本当に何か新しい動きが始まるかもしれません。  ぷかぷかだって、最初の一年は、もう投げ出したいくらいひどい状態でしたが、ここで投げ出したら、ゼロではなく、マイナスになってしまう、と、とにかく必死で持ちこたえました。  あの頃を思えば、大きなスクリーンで上映できるところまで来たんだから、勝負はここからじゃないか、って自信を持って思うべきですね。やっぱり「強気で」行きます。    「宮沢さんとのトークショーを楽しみにしています」というメールが先ほど来て、そういえば昨日宮沢さんと21日の上映会の打ち合わせをやったのに、トークショーの中身については打ち合わせしなかったことに気がつきました。32分の予定なので、それを超えないように誰かが合図を出そう、くらいの話しかしませんでした。ですので、どんな話になるのか、全くわからず、ぶっつけ本番、本音丸出しトークになりそうです。なんだか楽しみですね。  
  • 大スクリーンでの上映は、ひょっとしたら最初で最後
     みどりアートパークに行って、5月21日(木)の『ぷかぷか』の上映会の打ち合わせをやって来ました。宮沢さんが30時間もかけて作ったというブルーレイの映像のテストもしました。みどりアートパークホールのスクリーンは映画館のものよりも大きくて、すごい迫力でした。おもしろかったのは、このホールのステージで撮ったものなので、なんか錯覚を起こしそうでした。  これは映像のテストをした時の写真ですが、アートパークのホール担当者が 『あれ、今、スポット当てました?」 と思わず言ってしまったくらい迫力ある映像でした。  これはもう見なきゃ損!です。こんな大きな画面で見られるのは、多分これが最初で最後です。  ぷかぷかのパン、弁当の販売もします。弁当は50個限定ですので、予約をしておいた方が安心です。予約は045-453-8511    pukapuka@ked.biglobe.ne.jp
  • 手話通訳がつきます。
     5月21日(木)、みどりアートパークのホールで映画「ぷかぷか」の上映会と映像作家宮沢あけみさんと「ぷかぷか」代表の高崎のトークがあります。上映会とトークは朝、昼、夜の3回あるのですが、そのすべてに手話通訳がつくことになりました。ですので、お知り合いの「ろう者」の方へ、その旨お知らせください。  
  • オペラのお金が足りません
     「子どもたちにオペラを・ゆめ基金」の打ち合わせがありました。  現在集まっている寄付金は3万円弱。今回の企画にかかる費用の内訳はオペラの公演が80万円、うたのワークショップの費用が2日で16万円、これに会場費、チラシ、チケットの印刷代を含めると約114万円ほどになります。チケット代収入が3000円×150席(ホールの定員300人の半分は子どもたちにプレゼント)=450,000円。ワークショップ参加費収入1,000円×80人=80,000円 差し引き610,000円となります。つまり61万円の寄付を、あと2ヶ月でなんとしても集める必要がある、というわけです。  え〜!、そんなの無理無理、といってここで引き下がらないのが「ゆめ基金」です。  この企画は地域の子どもたちのために何かをしてやりたいと思う大人たちが集まり、わいわいいろんな話をする、子どもたちへの思いを語る、地域の夢を語る、といったことが大きな目的です。たまたま横浜の北、霧ヶ丘で「ぷかぷか」というパン屋をやっている高崎から「子どもたちにオペラをプレゼントしたい」というとんでもない提案があり、「え?オペラ?」「なんでパン屋がオペラを?」「でも、なんだか夢があっておもしろそう、やろう、やろう」といって大人たちが何人か集まりました。それが「子どもたちにオペラを・ゆめ基金」です。        必要経費61万円に対し、3万円しか集まってないのはかなり大変。これじゃ無理だよ、やめよう、と投げ出してしまうのではおもしろくありません。こういう困難なことを抱え込むところにこそ人生のおもしろさがある、なんていいながら、いや、そんなこといわなくても、いろいろ前向きの意見が出るのが「ゆめ基金」のいいところ。だからこそこの企画は「ゆめ」なのです。私たちを支えてくれる「ゆめ」なのです。で、どういう意見が出たかというと、 ・引き続き寄付の呼びかけ。 ・呼びかけのチラシは絵の入った楽しいものにする。オペラのチラシといっしょに配布する。配布してくれる人を募る。 ・寄付箱にも絵を入れて楽しいものにする。 ・寄付箱は外販にも持って行って呼びかける。 ・寄付箱を預かってくれる人を募る。 ・寄付金付き1,000円コーヒーの宣伝をもっともっとする。ぷかぷかカフェ、パン屋で販売中です。おいしいコーヒーです。子どもたちの笑顔を思い浮かべながら飲むと更においしくなります。 ・チケットは5月18日(月)より販売します。大人3,000円ですが、なるべく寄付金付きの4,000円のチケットを購入してもらう。お子さんといっしょに来る方は、できれば子どもの分を寄付してもらう。                     ・5月21日 みどりアートパークでの映画「ぷかぷか」上映会で宣伝する。寄付も呼びかける。 ・手作りのポスターを作って、パン屋、カフェなどに貼る。人がたくさん集まるところに貼らせてもらう。 ・ライオンズクラブ、ロータリークラブにお願いに行く。 ・アートフォーラム、ラフール、ポポラ、そらまめなど、拠点にポスター、チラシのお願いに行く。 ・マスコミに情報を流す。   などなど、いろいろな意見が出ました。ぜひご協力ください。 オペラのチラシは5月18日(月)から配布します。配布に協力してくださる方はパン屋までお越しください。 寄付金は郵便振替口座へお願いします。 口座記号 00260-4 口座番号 97844 加入者名 NPO法人ぷかぷか  郵便局へ足を運ぶのが面倒くさい方はパン屋、カフェ、惣菜屋店頭においてある寄付箱へ。パンの外販に行くところには寄付箱を持って行きますので、そのときに。   問い合わせなどは 045-453-8511 ぷかぷか事務所高崎まで   ・
  • 足に感謝
     足がこのところ調子が悪く、日によっては歩き始めの一歩は、踏み出せないくらい痛い時があります。だからこそ余計に、66年間、私を支えてくれた足に感謝する気持ちです。  教員になる直前、私は初冬の富士山で滑落事故を起こしました。頂上直下のかちんかちんに凍った雪の急斜面を仲間と登っていて、仲間が滑落し、ザイルで結び合ったまま、凍りついた急斜面を600メートルも滑落しました。幸い尾根が張り出しているようなところで奇跡的に止まりました。  気がついたら、自分は上を向いて横たわっているのに、足は真横を向いていました。近くで雪上訓練をしていた人たちに助けられ、5合目まで運んでもらいました。出血がひどく、たまたま見ていた仲間の看護婦は、ひょっとしたらだめなんじゃないかと思ったそうです。そのときは例年より雪が少なく、5合目まで救急車が入ってきたので、本当にラッキーでした。下まで担がれて降りていたら、多分だめでした。  富士山の麓の病院に入院中、たくさんの山の仲間が見舞いに来ましたが、私の最期を看取りに来たつもりだったようです。「まだ生きてるじゃん!」といいつつ、それでも一週間ほどは絶対安静で、みんな気が気でなかったようです。私だけが事態がうまく飲み込めず、なんで足が動かないんだ、なんで体が動かないんだと、ぶつぶつ言ってました。  一週間ぐらいたって、もう動かしても大丈夫だろうと、ようやく東京の大きな病院にそろりそろりと運ばれ、手術を受けることになりました。氷にアイゼンが引っかかって、足首が回転し、両足首の関節が皮膚を破って外に飛び出してしまうほどのひどい骨折でした。両足首開放性脱臼骨折。こんなひどいのは見たことがない、といいつつ、医者は果敢に手術に挑戦してくれました。普通なら両足首とも固定されてしまうところを主治医はあくまで歩けるように手術してくれたのでした。  9ヶ月も入院しました。その間にまた教員の採用試験があり、入院中でしたが、外出許可を取ってまた受けに行きました。1年前に2次試験まで受かっていたのですが、事故のためにすべてパーになり、あきらめきれずにまた受けに行ったというわけです。  1次の筆記試験が受かり、2次の面接試験の時はまだ足首に体重がかけられない状態で、膝で体重を支える補装具をつけていました。もういかにも歩けません、て感じ。これでは面接ではねられてしまうと、補装具がわからないようにだぶだぶのズボンをはき、松葉杖は駅の大型ロッカーに預け、そろりそろり歩いて試験会場に行きました。たまたま試験官が去年の事故のことを覚えていて、 「あれ、もう大丈夫なんですか?」 「ええ、おかげさまで、もう、全然平気です」 と答えて、面接試験はパスしたのでした。    退院の時、一度外に飛び出した関節は仮死状態になるので、手術で元には戻したが、年取ってくるとだんだんつぶれてくるので、痛みがひどくなります、といわれていました。  その通りになったのが事故から20年たった50歳頃から。それまでは多少ぎくしゃくした歩き方ではあっても、なんとか歩いていました。ところが50歳を過ぎる頃から急激に痛みがひどくなり、歩くことが本当に苦痛になってきました。クッションの関節がつぶれてしまうと、骨と骨とが直接こすれることになり、そこが強烈に痛むのです。歩くのが辛いと、何するにもおっくうになるというか、ちょっと歩けばできることを、とにかく痛いので、やらなくなります。あれもやめよう、これもやめようと、人生がどんどん縮こまってくる感じがしました。いや、とにかく歩く一歩一歩が痛い、というのは、人生そのものが苦痛になったようでした。  歩くというのは、人生の基本なんだと、その一歩一歩の強烈な痛みの中で思いました。  ネットで足の治療をやってくれるところを必死になって探しました。見つけたのは人工関節の実績のあるなら県立医大。ところがその病院の教授に相談すると人工関節はおとなしい人向けて、あなたのようにいろいろ動き回る人はやはり固定した方がいい。固定しても日常生活にはそれほど支障はない。支障があるとすれば田んぼに足を突っ込むと抜けなくなるとかぐらいですね、という説明が気に入って、手術を即決。  手術後は、それまでの痛みがうそみたいに消え、医者が神さまのように見えました。それが今から10年前。なんだか生まれ変わったような気分でした。痛みなく歩けるというのはこんなに幸せな気分になれるのかと思いました。  その足がここへ来て、歩き始めの一歩がまた痛くなったのです。たいがいは少し我慢して歩くと、痛みは引いてくるのですが、先日の陶芸教室のあった日には、歩いても歩いてもなかなか痛みが引かず、陶芸教室どころではありませんでした。幸いしばらくして痛みは引きましたが、機会見つけてまた病院に行かないとまずいなと思いはじめています。    大けがしながらも私の人生を支えてくれて足には感謝の一言しかありません。事故のあと、足を引きずりながらでしたが、ネパールまでヒマラヤの山を観に行きました。痛そうに歩いていたのか、現地の人が、見るに見かねて俺の背中に乗れ、と峠を担ぎ上げてくれたこともありました。人生40周年記念イベントと称して、組み立て式の自転車を担いでパキスタンまで行き、インダス川の源流地帯を700㎞もサイクリングしたこともあります。フィリピンまで芝居をやりに行ったこともあります。足のおかげで本当に楽しい人生だったと思います。  私の足は十分に働いてくれました。そろそろ休ませてあげてもいいくらいです。でも、私にはまだまだやりたいことがあって、もうちょい、もうちょいと働いてもらっています。大事にしないとな、と時々襲ってくる痛みの中で思っています。    
  • クジラは何か探しているようでした。
     先日「こんなクジラが空を飛んでいたら」どんな言葉をつぶやきますか?って聞きました。 こんなクジラが空を飛んでいたら… - ぷかぷか日記pukapuka-pan.hatenablog.com するとこんなつぶやきが聞こえてきました。 「今日もいいクジラ日和だなぁ!」 「新型UFOかも」 「この辺にショッピングモールでも開店したのかしら」 「僕も乗せてよぉ〜」 「私も空で泳ぎたい」 「もしかしたら妖怪じゃない?」 「あれ、俺って寝ぼけてるのかなぁ」 「そうか、こういうこともアリの世の中になったんだ」 「気持ちよさそう!」 「野原に寝っ転がって、みんなで空飛ぶクジラを眺めてるって、平和だなぁ」      クジラはちょっとうれしそうでした。自分を見てくれてる人がこんなにいるってことが。  「クジラ日和」って、お天気がよくて、のどかで、空にはクジラが飛んでるような平和な日をいうんですね。  「新型UFOかも」そうですそうです、その通り。 未確認物体ですから。  「ショッピングモール?」僕もいってみようかな。  「私も空で泳ぎたい?」どうぞどうぞ、ぜひいっしょに。目を閉じてね、「空で泳ぎたい」って、一生懸命神さまにお願いすると、案外かなうかも。  「妖怪?」クジラの妖怪って、どんなことするのかなぁ。あの「平成狸合戦ぽんぽこ」でしたっけ、空にいっぱい妖怪が飛ぶのって。あのなかにクジラがいても全然おかしくないし…  「俺って寝ぼけてるのかなぁ」全然そんなことありませんよ。僕は本当に飛んでいるのです。  「こういうこともアリの世の中になったんだ」全くその通りですね。その方が世の中楽しくなります。  「気持ちよさそう!」 そう、本当に気持ちいいです。   「野原に寝っ転がって、みんなで空飛ぶクジラを眺めてるって、平和だなぁ」 そう、この平和こそ大事にしたいね。    クジラは空を飛びながら何か探しているようでした。西に向かったり、東に向かったり…    さて、クジラは何を探していたのでしょう。  これが新しい問題です。思いついた方は紙に書いてぷかぷかのお店に持ってきてください。メールでも結構です。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp   あ、つぶやきもまだ募集していますから、ぜひ!      
  • こころさむい時代だからなあ
     5月21日(木) 映画「ぷかぷか」の上映をみどりアートパークホールで行います。ぜひ見に来てください。    この映画はぷかぷかで働いている障がいのある人たちと地域の人たちが6ヶ月に渡ってワークショップをやった記録です。  ワークショップというのは、いろんな人が集まっていっしょに作業をやり、その中で新しい何かを発見したり、今までにない新しいものを創り出したりするものです。    昔、2時間くらいのワークショップをやって欲しいという依頼がよくありました。よくやったのが詩の朗読をするワークショップでした。みんなで詩を読むだけですから、道具も材料もいらないすごーく楽なワークショップです。よく使ったのは長田弘さんの詩集『食卓一期一会』に載っている「ふろふきの食べ方」という詩です。    自分の手で、自分の / 一日をつかむ。    新鮮な一日ををつかむんだ。 / スがはいっていない一日だ。   手にもってゆったりと重い / いい大根のような一日がいい。   それから、確かな包丁で / 一日をざっくりと厚く切るんだ。   日の皮はくるりと剥いて、/ 面取りをして、そして一日の   見えない部分に隠し刃をする。/ 火通りをよくしてやるんだ。   そうして、深い鍋に放りこむ。/ 底に夢を敷いておいて   冷たい水をかぶるくらい差して、/ 弱火でコトコト煮込んでゆく。   自分の一日をやわらかに / 静かに熱く煮込んでゆくんだ。   こころさむい時代だからなあ。/ 自分の手で、自分の   一日をふろふきにして / 熱く香ばしくして食べたいんだ。   熱い器でゆず味噌で / ふうふういって。    私の大好きな詩です。これをみんなで読もう、というワークショップです。  この詩は一人で読んでもおもしろい詩です。一人で読む時はたいてい黙ったまま読みます。でも、これを何人か人が集まって、みんなで声を出して読むと、もっとおもしろい読み方ができます。  詩の朗読ワークショップでどんなことをやったか具体的に書いてみます。  まず読み手と聞き手のふたグループに分かれます。読み手になった人たちは一人一行ずつ順番に声を出して読んでいきます。なんとなく声を出すのではなく、はっきりと聞き手に向かって声を出します。誰かに向かって声を出すことで、声の感じ、言葉の感じが変わることが自分でもわかります。  「自分の手で、自分の / 一日をつかむ。」  これを人に向かって読みます。どんな思いで読みますか?人に向かって読む、という緊張感の中で、この一行の言葉の意味が、ぐっと深まります。聞く側も同じです。読み手の思いのこもった言葉を受け止めます。  「手にもってゆったりと重い / いい大根のような一日がいい。」  いい大根を思い浮かべるといい顔になります。そのいい顔でこの一行を読みます。一人で、黙って読む時よりも、はるかに気持ちよくこの一行が読めます。聞く側も同じです。双方がとてもいい気持ちになれる一行です。  「こころさむい時代だからなあ。」  何を思ってこの一行を読みますか?ここは読み手の思いがいちばんよく見えるところ。聞く側も一番言葉がしみるところです。   読み方を変えてみます。椅子に座って読んだり、読んでる途中で椅子から立ち上がったり、あるいは歩きながら読んだり。読む姿勢、あるいは動きが加わることで、言葉の響き、力が全く違ってきます。  音楽もかけます。よく使ったのはエリックサティの「ジムノベティ」でした。ぐっと雰囲気が出ます。いい音楽に支えられ、詩の言葉が更に光ります。そういったことを読み手も聞き手も体感できるところがワークショップのいいところだと思います。    詩をみんなで読むというワークショップ、ざっと駆け足で説明しましたが、いかがでしたか?一人で黙って読む時とは全く違う発見がたくさんあったと思います。何よりの収穫は、このワークショップを通して、知らない人同士が出会えたことです。新しい自分、新しい世界と出会えたことです。そしていろんな人がいたおかげで、ここでしかできないすばらしい「朗読会」ができたことです。    映画「ぷかぷか」に記録されたワークショップでも、たくさんの出会いがあり、その出会いの中で、すばらしい作品ができあがりました。それをぜひ見て欲しいと思っています。  見ることは、あなたと「ぷかぷか」の新しい出会いですね。どんな出会いになるか、わくわくしますね。  そうそう、忘れてました。上映会の日、ホールのロビーで、ぷかぷかのパン、お弁当を販売します。持って行く数が限られていますので、絶対に欲しい!と思われる方は事前にメールで注文してください。  メールアドレスは pukapuka@ked.biglobe.ne.jp              
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