ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • あ、結婚されたんですね。おめでとうございます。
     相模原障害者殺傷事件に関する本が出ました。横浜地裁でおこなわれた裁判を中心に、取材班が被告と重ねた面会の記録も含めて、新聞に載った記事を大幅に加筆したもの。  あーだコーダの論評を挟まず、記録を残すことを大事にしたところがいいと思いました。20年後、30年後に事件を振り返るとき、こういった記録こそが大事な意味を持ってくると思います。   論評の代わりに途中に挟み込まれた担当記者の短いコラムが、重い内容の本の中で、ほっとするものになっています。  植松死刑囚に面会に行っていろんな話をします。 《イスラム国や難民のニュースを見て「大変な社会だと思った」と話し、「人の役に立ちたい」「劣等感がある」とも述べた。自分も抱いたことがある感情だ。同じ時代を生きる人間だと実感した。》   この感覚がいいなと思いました。同じ時代を生きる人間として、植松に向き合い、彼の思いに迫るその姿勢に拍手です。  そしてなによりもそういうことが正直に書けるこの本の製作環境がいいと思いました。  美帆さんのお母さんの手記をパソコンに打ち込み、誤字脱字のチェックのために音読をはじめたのですが、 《声に出すと嗚咽をこらえきれず、続けられなくなった。》 と書いた記者もいました。新聞の製作現場ではこういったこともあることを初めて知りました。ま、人が作っているのですから、あって当たり前なのですが、そういうことも正直に書いているところがいいですね。こういう感覚で、これからもこの事件を追い続けて欲しいと思いました。  裁判を重度障害の息子さんと一緒に傍聴した土屋義生さんを取材した記者は 《「自分に障がいのある子が生まれるとは想像もしなかった」。壮真くんが生まれたときのことを、土屋さんはこう振り返る。  「もし自分に障がいのある子が生まれたら、どう思うだろう」。私は取材しながら何度も考えた。  社会人3年目、幼い頃から憧れた記者の仕事にのめり込む一方で、「いつか子どもを」と思う。障害を、我がことととらえたのは初めてだった。障害を持つこと、障害を持つ人と生きていくことは、いつ誰にでも起こりうることなのだと気づかされた。  いつか土屋さんと同じ状況に置かれたとして、私は前を向いて生きることができるだろうか。すぐには難しいかも知れないが、家族、あるいは自分の障害と正面から向き合い、生きていきたいと思う。》  自分の気持ちを正直に書いた素晴らしいコラムだと思いました。事件は、こういうことを私たちに問うたのだとあらためて思います。障がいのある人たちとどんな風に私たちは生きていくのか、ということ。  障がいのある人たちを前に、困ったり、戸惑ったり、一緒に笑ったりしながら、私たちの人生は豊かになっていきます。  土屋さんを取材したNHKの映像で、壮真くんが誕生日のろうそくを消そうとした場面で壮真くんの兄弟たちの笑い声が聞こえました。壮真くんを中心に幸せな日々を過ごしている家族が見えました。  植松が発信した「障害者はいない方がいい」ではなく、「障がいのある人との生活も悪くないよ」「幸せだよ」と、壮真くんの一家は日々語っています。幼い兄弟たちの笑い声は、幸せそのものです。  ぷかぷかは「彼らとはいっしょに生きていった方がぜったいトク!」と日々発信しています。ぷかぷかに来ると、そのおトク感が実感できます。ぷかぷかのお店が繁盛(?)しているのは、なんといっても彼らのおかげなのですから。  植松死刑囚に関して、この本で意外な発見をしました。  面会に行った記者の指輪に気がつき、 《「あ、神宮司さん、結婚されたんですね。おめでとうございます。」と言った。》  ここはつい笑ってしまいました。こういう感覚を持ちながら、どうして日々接していた重度障害の人たちを出会うことがなかったんだろうと思いました。  意思疎通が難しくても、毎日接していれば、つい一緒に笑ってしまう、といったことはあったはずです。そういうときは心が緩みます。相手に優しい気持ちになれます。  そういう人と人のおつきあいすらなかった職場だったのかと、あらためて思いました。相手と人として出会っていれば、相手を殺してしまうような事件は起こらなかったと思うのです。  朝日新聞出版 760円です。
  • ぷかぷかさんたちの素朴な疑問に、彼らに届く言葉できちんと答えて欲しい
    いっしょにいい一日を作る関係です。  いっしょに生きていくって、こういう日々を積み重ねることです。  「いい一日だったね」 って、お互いが言い合えるような日々を作っていこうよ、というのがぷかぷかです。  何かができるように「支援」するのではなく、いっしょにいい一日を生きること、それをぷかぷかは大事にしています。  いい一日からはたくさんの笑顔が生まれます。みんなが笑顔でいること、人が生きる上で、一番大事にしたいことです。   職員とはこういう日々をいっしょに作っていく関係が当たり前だと思っているぷかぷかさんたちにとっては、どうしてやまゆり園で職員が利用者さんの命を奪うような事件が起こったのか、理解できません。そんなぷかぷかさんたちが先日、事件に対する素朴な疑問を検証委員会に対する要望書にして知事に渡しに行きました。  やまゆり園は犯人の特異性の問題として事件を終わらせたいようですが、果たしてそれですむのでしょうか。   事件後、つまり犯人がいなくなったあとも虐待があった、と検証委員会の中間報告にはあります。犯人の特異性だけを事件の原因にすることは無理があります。  裁判の中で「やまゆり園では利用者さんと人間扱いしてなかった」という犯人の証言もありました。  先日要望書を渡しに行ったとき、知事はこんないい顔をしました。 ぷかぷかさんがいることで、ふっと心が解きほぐれたのだろうと思います。その解きほぐれた心で検証して欲しいと思います。そしてぷかぷかさんたちの素朴な疑問に、彼らに届く言葉できちんと答えて欲しいと思います。
  • 苦情は、うまくすれば地域社会が変わるきっかけになるかも
     5月にスタートしたばかりの生活介護事業所《でんぱた》に、「声がうるさい!」という苦情が寄せられました。   「その苦情に、どう対応しますか?」  と取材に来ていた朝日新聞とNHKに聞かれました。  この苦情は、この社会の中で障がいのある人たちの置かれている状況をよく表しています。こういう形で、障がいのある人たちが社会から排除されていきます。  ですから、苦情に対し、迷惑かけないように静かにしましょう、という「指導」「支援」を強化するような対応は、その社会的状況を放置することになります。ぷかぷかとしては、いろいろ大変ですが苦情にきちんと向き合っていこうと思っています。どんな風に向き合っていくのか。そこがいわば腕の見せ所です。  近所に迷惑をかけているので、声を小さくして下さい、といっても、声の大きい本人には伝わりません。そんな風にできないから、でんぱたに来ているのです。  では、声の大きい人と、その声をうるさいと感じる人が、どうやったらお互い気持ちよく共存できるのか、そこを考え、実践するのが私たちの仕事です。  でんぱたは5月にスタートしたばかりなので、近所の人も、でんぱたは何をするところなのか、どんな人がいるのか、といったことをほとんど知りません。ですから「ぷかぷかしんぶん」のような「でんぱたしんぶん」を発行して、そういったことを少しずつ伝えていこうと思っています。    声の大きい方は何か製作するときはすごい集中力を持っています。ですから素晴らしい作品を作ります。  その人は声が大きいだけではなく、こんな素晴らしい作品を作る人なんだ、ということがわかれば、「声がうるさい!」という苦情を言ってきた人の気持ちが、多分少し変わります。こういう苦情は、障がいのある人たちのことをよく知らない、おつきあいしたことがないところから生まれます。  6月15日(月)には地域の人たちと一緒に田植えをしました。  秋には稲刈りがあります。そういうときはできるだけ地域の人にも参加を呼びかけます。収穫祭もやろうと思っています。そのほか餅つき、アートのワークショップ、味噌造りなど、いろんなイベントを企画し、地域の人たちに参加を呼びかけます。  そういったことを「でんぱたしんぶん」で、地域の人たちに伝えます。  障がいのある人たちと一緒においしいものを作ったり、一緒においしいものを食べたり、一緒に楽しいことをやったりという関係は、とても健康的です。地域社会が自然に豊かになります。  定期的に道路の掃除や公園の掃除をやろうと思っています。ぷかぷかは週2回道路の掃除をやっています。地域の人が時々手伝ってくれたりします。地域の人たちはいつも見ているので、掃除をやっていると、こうやって関係が自然に広がっていきます。  Facebook、Instagramに活動の様子を日々アップしています。  でんぱたInstagram         「声がうるさい!」と苦情をよこした方が、どこかでこういった情報に触れ、何かの機会にでんぱたのぷかぷかさんたちに出会ってくれたら、と思っています。  NHKの記者の方が取材の帰り、ニコニコしながらこの方に手を振っていました。この方もニコニコしながら記者に手を振っていました。この方はお喋りはできないのですが、気持ちはちゃんと伝わります。短時間の取材の中で、二人が出会ったのだと思います。  苦情をよこした方が、どこかでこんな出会いをしてくれれば、と思っています。  苦情は、うまくすれば地域社会が変わるきっかけになるのです。
  • ぷかぷかさんに任せていたら、いつの間にかそんな風になっていた
    先日のNHK首都圏ネットワーク「あすへの一歩」に登場した金原さんの話をもう少し。  お店に行く、というのはぷかぷかさんとおつきあいするということです。それが生活の一部になっている、といいます。  金原さんは「ともに生きる社会を作ろう」とか「共生社会を作ろう」といった言葉を聞いて、ぷかぷかさんとのおつきあいをはじめたわけではありません。そもそもぷかぷかは、そういった言葉を使ったことがありません。  お店に来て、買い物しているうちに、ぷかぷかさんたちの楽しさ、優しさ、あったかさにふれ、もう自分の生活の中で、なくてはならない大切な存在になっていったのだと思います。  障がいのある人たちが、自分の生活の中で 「なくてはならない大切な存在になっている」 って、なんかすごいことじゃないかと思います。しかもそういったことが、いろいろ啓蒙活動をやった結果ではなく、ぷかぷかさんに任せていたら、いつの間にかそんな風になっていた、というところがおもしろいなと思います。これぞぷかぷかさんのチカラです。  そういうチカラをみんながもっと認めれば、彼らの活躍できる場面がもっともっと増える気がします。彼らに任せておくと、こんなとんでもなく素敵な広がりが知らない間にできているのです。任せなきゃソン!ですよ、ほんとに。  全国の福祉事業所のまわりに、金原さんみたいに思う人がいっぱい出てきたら、社会はきっと変わります。
  • 「あすへの一歩」
     今日はでんぱたに給食作りに行きました。その時に隣のマンションから、声がうるさい、と苦情が来たという話を聞きました。よく声を出すメンバーさんがいるので大丈夫かな、とは思っていましたが、やっぱり苦情が来たようでした。隣のマンションとは間に駐車場があるのですが、それでも苦情が来たというのはとてもやっかいです。  どうするのか、これからが勝負所です。  ぷかぷかもできた当初、声がうるさい!と苦情の電話が入ったり、同じところを行ったり来たりされるとメシがまずい、といわれたり、ぷかぷか三軒長屋の企画を立てたときは「障害者施設がアメーバのように広がっていくのは不気味だ」なんて言われたり、本当に散々な日々でした。  あれから10年、今日NHK首都圏ネットワーク「あすへの一歩」でぷかぷかが紹介されたのですが、ぷかぷかさんの存在が地域の人たちにとってすごく大事な存在になっていることがよくわかりました。   一人暮らしの金原さんはいつも街で声をかけられ、とてもうれしいといってました。  金原さんはありがとうカードをいっぱい貯めていました。思いつきではじめた「ありがとうカード」でしたが、こんな風にぷかぷかさんと地域の人たちをしっかり結びつけているのですね。ありがとうカードはぷかぷかさんのお客さんへの思い、こんなに並んだありがとうカードは金原さんのぷかぷかさんへの思い。お互いのそんな思いがありがとうカードを通してつながっています。  そしてお店はもう生活の一部だと  ここまで来ると、障害があるとかないとか全く関係ありません。生活なんだから、いて当たり前、という感覚なのだと思います。金原さんにとっては、こんなのテレビで取材する方がおかしい、と思うくらい、ぷかぷかさんとの関係はごく当たり前の日常風景なんだろうと思います。  「声がうるさい!」と苦情の電話が入った頃から10年。苦情の電話に心が折れそうになりながらも、それでも気を取り直して「いい一日だったね」ってお互いいえる日々をぷかぷかさんと一緒に積み重ねて10年。映像見ながら、なんかね、いろんなことが思い出されて、ちょっと涙が出そうでした。  「声がうるさい!」と苦情の来たでんぱたもこれからが大変です。こういうトラブルに特効薬はありません。ただひたすらぷかぷかさんたちといっしょにいい一日を作り続けるだけです。近所の人もいつかきっとそのいい一日に気がつきます。  心がめげることがあっても、ぷかぷかさんがそばにいれば大丈夫です。彼らがそばにいれば、いい顔になって、絶対いい一日になります。「あすへの一歩」です。
  • ぷかぷかさんたちに幸せな生き方を教えてもらってた
     知り合いに子どもが生まれ、医療的なケアが必要かもしれないそうです。  でも 「ぷかぷかさんたちに幸せな生き方を教えてもらってたこともあり、どんな身体で生まれてきても大丈夫♫と、私は安心して産むことができました。こんなに尊い命を生まない選択をしてしまう人がいると思うと、本当に心が痛みます。」 と書いてきてくれました。  うれしいですね。ぷかぷかの活動がこんなところで生きるとは思ってもみませんでした。  障害がある、ということがマイナスイメージで語られすぎていると思います。マイナスのイメージは彼らを見る私たちの目の貧しさが作り出しています。あるいは彼らとのおつきあいの貧しさ。  「支援」という上から目線は、ある意味貧しさではないかと思います。彼らの持っているいいものをちゃんと見ていないからです。いいものが見えていれば、上から目線で彼らを見ることはありません。  「支援」という関係からおもしろいものが生まれないのは、多分そういうところにあるのではないかと思います。  ぷかぷかが生み出しているおもしろいものは、一緒に日々を楽しむ関係から生まれています。日々を一緒に楽しんでいるだけで、こんなにおもしろいものが次々に生まれるのです。これはぜったいトク!です。  日々を一緒に楽しむなんて、誰にでもできることです。さぁ、今日からやってみましょう。一緒に笑い、「ああ、楽しかったね」ってお互い言いあうのです。いい一日を一緒に作るのです。  そんな日々が、いつか誰かを助けます。障がいのある子どもが生まれるかもしれない、と悩んでいる人を救います。お母さんと赤ちゃんと、いっぺんに二人救います。
  • あすへの一歩
     ぷかぷかさんがいないことで、ぷかぷかさんがいることの意味がより鮮明になるのではないかと、コロナでお店を休みにしているときからNHKが何度か取材に来ていました。昨日もお店の様子やぷかぷかのファンの方の取材をし、今週金曜日6月26日(金)18時10分頃からの首都圏ネットワーク「あすへの一歩」で放送するそうです。相模原障害者殺傷事件を受けての番組です。首都圏以外の方は、サイトにアップされてから見て下さい。2年ほど前のぷかぷかの映像もあります。 www.nhk.or.jp  今日も事件について今どう思うかを聞かれました。裁判が終わり、死刑の判決が出て、もうおしまい、という雰囲気ですが、先日の和希君の就学訴訟の敗訴に見られたように、障がいのある人を排除する社会は事件後も変わらずあります。その社会を何とかしよう、などと大きなことは考えずに、目の前のぷかぷかさんたちと一緒に「いい一日だったね」ってお互いいえる日々を積み重ねていく。それが事件を超える社会を作っていくことになると思います。  あーだこーだ言いたいことはいっぱいありますが、あーだこーだ言っても社会は何も変わりません。それよりも彼らと楽しい日々を過ごすこと、そんな日々を黙々と積み重ねること。そうすると地域の人たちにとっても、いつの間にか彼らがなくてはならない大切な存在になってきます。そのことが多分6月26日(金)の「あすへの一歩」の映像で見えてくると思います。すごく楽しみにしています。
  • いい記事だったね、で終わらせるのではなく
     少し前の記事ですが、神奈川新聞の「就学訴訟の波紋(下)」は、和希君を排除したのは、行政と司法だけだったのか、という問題提起をしていました。 https://www.kanaloco.jp/article/entry-378008.html  《 訴訟が結審した1月9日の口頭弁論が脳裏に刻まれている。和希君が幼稚園で共に学んだ日々を収めた映像が法廷で流された。運動会で母の悦子さんに車いすを押してもらいながら全力疾走する様子も映し出された。被告席にいた市教委職員は目をつぶり、映像を見ようとはしなかった。》  子どもたちが和希君と一緒に作り出した豊かな時間の、貴重な記録映像に目をつぶり、見ようとしなかった市教委職員。何を意地はって見ようとしなかったのでしょうね。こんな人たちに和希君の思いは潰されたのですが、果たしてそれだけだったのか、と記事は問います。 《 行政と司法だけが問われているわけではない。行政の判断は、障害に応じて学ぶ場を分けるのは当たり前という世論に支えられている側面があるからだ。 「通常学級で学ばせたいなんて親のわがまま」 「授業のペースが遅くなり、ほかの子たちにとっては迷惑な話」 「特別支援学校に行って、その子に合った教育を受けたほうがいい」 》  本当にそう思います。そうやって障がいのある子どもを排除することで、普通の子どもたちは本当に幸せになるのかどうか。きちんと考えていかないと、社会は痩せ細っていきます。いろんな子どもたちがいることの豊かさを経験せずに大きくなって、どんな社会を作っていくのだろうと思います。  昨年近くの小学校で人権に関する授業を頼まれ、ぷかぷかさんを何人か連れて行って、得意技を披露してもらいました。プロのチェリストと共演するほどの大ちゃんの太鼓演奏、ボルトさんのダンスにはみんな圧倒されていました。ツジさんと暗算を競う計算大会では、教員ですら勝負になりませんでした。30年前に習った「ふきのとう」の朗読もみんなびっくりしていました。自閉症と言われる人の実力にみなさん、ほんとうにびっくりしていました。  こういう経験を積むことこそ大事な気がします。大人にも経験して欲しいですね。   記事の最後がすごくよかったです。  和希君の就学訴訟の問題は  《一家の学校選択の話に矮小(わいしょう)化してはならない。私たちが暮らす地域社会の問題だ。  「この地域にあなたがいてほしい」  「あなたがいられる地域にしたい」 そう言えるつながりが地域に紡がれていけば…》  そう、社会は少しずつ変わって行くのです。そういうつながりをどうやって作っていくのか。そこがすごく大事です。「いい記事だったね」というだけでは、それはできません。  ぷかぷかは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」と言い続け、そう思える関係を様々な形で作ってきました。お店、外販、パン教室、演劇ワークショップなど。  その結果、「ぷかぷかさんが好き!」「ぷかぷかさんにいて欲しい」という人たちがたくさんできました。   コロナで休み中、近所の80歳になる方が「会えないのは寂しいですよ、孫みたいにかわいい人たちですから」とおっしゃっていました。一人暮らしなので、道で会っても「こんにちは!」って挨拶してくれるぷかぷかさんは、ほんとうにうれしい、と。  休みが続いたことで、ぷかぷかさんたちを必要としている人たちがたくさんいることにあらためて気がつきました。  NHKが何度も取材に来て、そんな人たちの声をたくさん拾っていました。首都圏ネットワークでやまゆり園事件を受けて時々やっている「明日への一歩」というタイトルで流すそうです。日時がわかりましたらお知らせします。  ぷかぷかはぷかぷかさんがぷかぷかさんらしくいられるお店を作ってきました。彼らが彼ららしくいられるとき、お客さんもまた、ふっと自由になれます。ほっとするような雰囲気が生まれます。  いい記事だったね、で終わらせるのではなく、わたしたちひとりひとりが本気で「この地域にあなたがいてほしい」「あなたがいられる地域にしたい」と思い、実際に動き出したいものです。
  • あのぬるっとした田んぼに足を突っ込んだ途端
    「でんぱた」の田植え、単純におもしろかったです。  あのぬるっとした田んぼに足を突っ込んだ途端、なんかわくわくしてしまいました。足が思うように動かせなくて、無理に動かそうとするとバランス崩して手をついてしまい、慌てて体を起こそうとすると、余計にバランスが崩れ、にっちもさっちもいかなくなります。田植えをする前に田んぼの泥と大格闘でした。でもこれがなんとも楽しい。普段泥と格闘するなんてないので、ほんまに楽しかったです。  ようやく泥と仲良くなって、田植え開始。苗を一つ一つ手で植えていきます。ずっと腰を曲げたままなので、疲れることは疲れるのですが、苗を植えることは夢を植えるような感じがあって、すごく楽しい。  ぷかぷかさんたちと一緒に夢を植えたのです。秋になったらお米が採れる、といったことよりももっと広がりのある夢。  今回初めて出会うたくさんの人たちと一緒に田植えをしました。一緒にどろんこになり、一緒に笑い、一緒に汗をかきました。ここから新しいものが生まれます。ぷかぷかさんと新しい仲間との共働作業は何を生み出すのでしょう。それを考えるだけでもわくわくします。  「お疲れさん!イェ〜イ」とどろんこの手でグータッチ    といった感じで、みんなでいい一日を過ごしたのでした。
  • 「でんぱた」のインスタグラム
    ぷかぷかの新しい事業所「でんぱた」のインスタグラムです。活動の様子がよくわかります。ぜひ覗いてみて下さい。     https://www.instagram.com/denpata202005/
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