ぷかぷか日記

世界に対するラディカルで、それでいて優しい反撃ー。

30年前、養護学校の生徒たちと一緒に演劇ワークショップをやろうと思ったのは、1980年代初め、フリピンの人たちが持ち込んだ演劇ワークショップを経験したことがきっかけでした。みんなが自由になれるワークショップの場の雰囲気がすごくいいと思いました。養護学校の生徒たちと一緒に、そういう場に立てば、お互いがもっと自由になり、学校よりもはるかにすごいものが生まれるのではないか、と思ったのです。

 そして実際にそれが起こりました。

 

   自由になった場で、彼らは自分たちの思いを思いっきり表現しました。目次の第二章にその時のことを書き起こしています。(『街角のパフォーマンス』という本です。すでに絶版になっていますが、ぷかぷかにオンデマンド版があります。『とがった心が丸くなる』というタイトルで電子本になってアマゾンで販売しています。)

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 「 ようよう、この女のヤロウをどこかに、と、とじこめちゃおうぜ」

 ドキッとするような台詞が、リハーサルの最中に突然飛び出したことがありました。普段はおとなしいカタヒラ君が、女性二人の前に立ち塞がり、口から泡を飛ばすような勢いで、そんな台詞をしゃべり出したのです。打ち合わせではもちろんそんな台詞はありません。リハーサルの途中で、カタヒラ君の中で突然何かがはじけた感じでした。ふだん抑えつけている気持ちが、ワークショップという、いつもより自由になれる場で、ワァーッと吹き出したのだと思います。

 

 ワークショップの中でどんな芝居を作りたいか聞いた時、出てきたのは「たばこを吸うところ」「ゲームセンターであそぶところ」「彼女とデートするところ」「北斗の拳」など、ふだんできないことでした。それを芝居の中でやってみたい、と。いろいろ話をし、学園ものの芝居の中で、それらをやることになりました。

 で、「たばこを吸うところ」というのが下の写真。ゲームセンターであそび、たばこに火をつける時、「おい、火」と手下にいうと、手下は「はい」といっていきなりライターの火になって「シュッ」と燃え上がったのでした。これも打ち合わせでは全くなかったことで、いきなり手下がやったのでした。人が自由になる、というのはこういうことではないかとしみじみ思いました。

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 「彼女とデートをするところ」がやりたいといったシマ君、夢にまで見た公園でのデートシーン。手をつないで歩けばいいところを、恥ずかしくて手もつながず、ベンチの周りを縦に並んで二人で歩きます。緊張した面持ちで何度も何度も回ります。ようやく立ち止まってそばの柱にもたれかかります。恋人に背を向けたまま、照れくさくて柱をぎゅっとつかんでいます。そんなシマ君に恋人が話しかけます。

「あの…けんちゃんのこと…すきになっちゃったみたいなんだ…」

 シマ君は、そんな言葉をずっと待っていたはずなのに、もう恥ずかしくて恥ずかしくて、どうしていいかわからなくて、長い腕を「ズズッ」と伸ばしただけでした。でもシマ君の気持ちはもうそれだけで十分伝わり、お客さんは大笑い、拍手、拍手でした。

 

 学校生活の思い出を語る場面。

「いいダチができていろいろおもしろかったけど、センセーがサイテーだった」

という台詞に「ワァーッ」と喝采した彼ら。もうはじけんばかりのうれしそうな顔。そういう思いが持って行き場のないままずうっとたまっていたのではないかと思います。そういったものがいろんな形で爆発した芝居でした。 

 

 原文が彼らの表現について本質的なことを語っているので、少し長いですが引用します。

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 「精薄」だの「知恵遅れ」(★当時の表現です)だのいわれ続けてきた彼らである。彼らの中に渦巻くいろんな思いも、そういわれ続ける中で、ほとんどといっていいほど無視、あるいは黙殺されてきた。この子たちが、あるいはこいつらがそんなこと思うはずがない、いや、思ったにしても、そんな思いより彼らに作業能力を、生活能力をつける方が大事だといわれ続け、結果的には彼らの思いなどといったものは二の次であった。

 そういうものが大事だとしても、思いは思いとしてあるのが人間だろう。いや、それがあるから人間なのだといった方がいい。だからそれを無視されることは、彼らの人間性が無視されることでもあった。そのことがどれだけ大変なことであるか、無視する側は大抵気がつかない。

 それがついに爆発した。その爆発のエネルギーこそが、見る者の胸ぐらにぐいぐい迫ってくるような、あの勢いある芝居を創り出したのではなかったか。それは無視され続けながらも、なおも人間であろうとする彼らの熱い思いであっただろうし、それ故に、その思いを表現する彼らは、舞台の上でまぶしいほどに輝いた。

 芝居の最後に彼らが「涙のリクエスト」をのりにのって歌いまくった時、、その輝きの故に、多くの人が涙した。あの芝居でやったことは、それこそ彼らの「涙のリクエスト」だった。そのリクエストに私たちはどこまできちんと応えていけるだろう。

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 黒色テントの成沢富雄さんはこんな風に語る。

「表現」というのは、そのまま、今まで生きてきた自分の生活史や社会関係、世界に対して反撃するものだとぼくは思っている。「表現する」という行為は、今まで生きてきたことをいっさいチャラにできる瞬間を持っている。

 

 彼らの芝居はそういうものではなかったかと思う。彼らの輝きにふれ、深い感動を覚えたあの瞬間こそ、養護学校の彼らが、彼ら自身の「表現」によって、今まで生きてきた世界との関係性の一切をチャラにした瞬間ではなかったか。

 彼らの「表現」を前にした時、私たちの中にある「精薄」だの「知恵遅れ」だのといった言葉や、それらが規定していくお互いの関係性といったものは、ほとんど意味を失う。そしてそういった言葉が確固たる地位を持ち、その上に成り立っている今の社会・文化といったものまでが、その基盤のところで揺らいでしまうだろう。だから、彼らの「表現」は、あのワークショップの発表会の場を突き抜けて、外の世界をひっくり返してしまうようなラディカル〔根源的〕なものを本質的には含んでいたように思う。

 世界に対するラディカルで、それでいて優しい反撃ー。

 

 「できる」「できない」で人間を決めつけていく今の序列社会にあって、彼らを底辺に追いやる一方で、かろうじてその位置を免れたと思っている私たち自身、決して楽しい、自由な人生を送っているわけではない。むしろお互いにきゅうきゅうとした、もう息苦しくてしょうがないような生き方をしてしまっているのが現状だ。

 そういう中にあって、彼らのあの「表現」に出会う時、今までの関係を彼らの側からチャラにされただけでなく、そのことでむしろ私たちの側が救われたのではなかったか。なぜなら、彼らの「表現」こそ、「できる」「できない」で人間を決めつけていく原理を遙かに超えるものであったからー。

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 自分で書いた文章ながら、彼らの表現と社会状況の結びつきをきっちり書いている気がします。あれから30年、学校も社会も彼らの思いを今、どれだけ受け止めているのでしょう。学校も社会も当時よりも更に息苦しくなっています。私たちだけではどうしようもない状況です。やっぱり彼らの助けを借りないと、この状況は変えられない気がします。「共生社会を作ろう」「ともに生きる社会を作ろう」といった言葉がはやっていますが、社会は何も変わりません。言葉を言うだけ終わるのではなく、実際に彼らとその中身を具体的に創っていく。そこにしか希望はない気がします。『とがった心が丸くなる』には、その希望を創り出すヒントがたくさんあります。ぜひ読んでみてください。お互い、もっと生きやすい社会にするために。 

 

 グループ現代が1986年の演劇ワークショップの記録映画を作りました。ビデオの保管が悪くカビが生えてしまったのですが、富士フイルムに依頼してDVDの形で復活してもらいました。カビの影響で最初だけ映像が乱れていますが、あとは見られます。二巻目の22分頃から高校生グループのリハーサルシーンが始まります。最後「涙のリクエスト」を歌う最後の場面は何度見ても涙が出てきます。舞台に出ているチバ君も何度か目をこすりながら歌っています。

www.pukapuka.or.jp

 

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