四宮鉄男(映画監督)
じつは、『はたけ』の前に、もう一本のDVD『丸の内』という作品がツンさん自身から送られてきていた。わたし、は同じ時期に送られてきた2本の作品が、初めは、同じ物がそれぞれから届いたのだろうと勘違いしていた。そして、念の為、みたいな感覚で見てみて、びっくり。
『丸の内』は、大傑作だった。
これは、夜の、東京・丸の内界隈を撮った作品だった。夜の光と、ビルと、そこを走る車と、勤め人と、道路工事などで働く人たちと。
まるで、タルコフスキーやソクーロフの作品ようだった。
ツンさんは、無名で、若くて、元ひきこもりの青年だから、その映画を見せられても格別のことはないのかもしれないが、これがもし、タルコフスキーやソクーロフの作品だよ、なんて言われて見せられたのなら、見た人は感動に噎ぶのかもしれない。それ程の作品だとお見受けした。
ズバリ! 現代都市・東京の深部を捉えていた。
面白い、興味深い映像だった。
映像がさまざまに物語ってくる。
以前に、スチール写真で、同じように、丸の内界隈だかどこだか、都市のビル群を撮ったものをスライドショーで見たことがあった。ツンさんにとっては、ずっと追及してきているモチーフのようだった。『丸の内』は無機物大好き人間であるツンさんの、面目躍如たる作品である。
でも、ツンさんは、無機物と心を通わしながら撮っているように感じられた。
そこに、ビルが、道路が、都市が、確かに存在している。
映像としてだけでなく。
現代都市が主人公だった。
一方で、現代を描きながら、過去と未来の時間を往還するような感じがしてきた。そこが、タルコフスキーやソクーロフを思い起こさせる。過去を振り返る視線。未来を見通す目線。でも、必ずしも、明るくも、輝かしくも、美しくもない。
とは言いながら、描かれている世界は現代そのものだった。
勤め人や、道路工事する人たちが描かれるのだが、その人たちは、主人公ではなかった。単に、映画の中の主人公というだけではなく、人間として、その都市を作ってきた人類という種に所属する人たちであるにもかかわらず、その都市の主人公としては描かれていなかった。その都市に従属する人間という生き物に過ぎなかった。
その意味で、痛烈な映画だった。
映画の中で、コンクリートのビル群は美しかった。そのビルたちを彩る光たちも美しかった。しかし、映画の中で、色彩は奪われていた。それは、夜だから、人工の光だから、色彩が奪われているのも必然だった。
その意味で、痛烈な映画だった。
それは、ツンさんの意図を越えて痛烈だった。
ラストカットの、「HONMA GOLF」の小さな看板が、警句的であり、皮肉たっぷりであり、ツンさんのメッセージのようだった。
いや、やっぱり、この『丸の内』の世界は、ツンさんの意図的な世界なのだろうなあ、と思い返した。
単なる、夜の都市のスケッチではなく。