ぷかぷか日記

昔ガンになったときの話−5

 どれくらい時間が経ったのだろう。遠くの方で

「高崎さん、手術、終わったよ」

の声がしました。返事をしようにも、口の中にパイプが一杯詰まっていて、息が出来ませんでした。

「ああ、苦しい、なんとかして」

と思うものの、口はきけないし、目も開きません。身体も全く動かせません。

「聞こえてたら手を握ってください」

の声が聞こえたので、もう必死になって手を握りました。誰かの指にかすかに触れた感じがしましたが、それ以上のことは何も出来なくて、

「ああ、もうあかん」

とか思っているうちに、また意識がなくなりました。

 

 目がぼんやり覚めたのは夜。そばで看護婦さんが血圧を測ったり、脈をとったりしていました。口には酸素マスクと青い管、鼻からはチューブ、腕には点滴の針、胸からは細いケーブル。身体を動かそうとすると、お腹が締め付けられるように痛い。

「ああ、そうだ、胃を取ったんだ」

と、ようやく事態を納得。また眠くなって、よくわからなくなりました。

 

 次の日の朝に、ようやく目が覚めました。お腹の真ん中が、何とも重くて痛い。背骨に薬を入れるチューブが入っているようで、そこに痛み止めの薬を入れると、少し楽になりました。右脇腹のガーゼを交換。鮮やかな赤が混じったピンク色に染まっていました。あとでわかったのですが、直径1㎝くらいのプラスチックの管が脇腹から出ていて、そこからお腹の中の汚れた腹液を出すようになっていたようです。やわらかいお腹から、堅いプラスチックの管が出ていることが、何とも違和感がありました。

 目が覚めてからは、時々寝返りを打つように言われました。身体を動かした方が内臓の治りが早いと医者は言うのですが、昨日手術したばかりで、寝返りなんかしたら、塗ったところが開いてしまうんじゃないかと心配になりました。

「しっかり縫ってあるから大丈夫です。どんどん寝返りうってください」

と言われ、おそるおそる寝返りを打ってみました。はらわたがぞろっと動き、何か自分のお腹ではないような感じでした。ビビッと突っ張ったような痛み。右を下にしたときは、脇腹から出ている管が当たって、その管がはらわたをかき回す感じがあって、

「ちょっと、これ、やばいんじゃないの」

と看護婦さんを呼びました。

「平気平気、大丈夫ですから、どんどん寝返りうってください」

と全く相手にされませんでした。

 

 午後になって

「約束ですから」

と医者がガーゼをかぶせたバットを持ってきました。ガーゼを取ると、やや白っぽくなった胃が広げてありました。見た感じ、ホルモン焼きの材料とほとんど変わらなくて、なんだかちょっとガッカリ、でした。

 真ん中当たりに少し色の違うところがあって

「ここが病変部です」

と医者が短く説明。

「ああ、ここがガンなんですね」

「ええ。まあ、そうです」

と、言いにくそうに小声になりました。

「見た感じでは、まだそんなに進行してないみたいですね」

「ええ、そうです」

そうか、そうか、じゃあ、やっぱり大丈夫なんだな、とホッとしながらしげしげ眺めていたら、

「もういいですか」

と一刻も早くこの場を切り上げたい感じで医者が言いました。ドラマチックな「対面」もなかったので

「はい、いいです」

と答えると、バットを持って、そそくさと出て行きました。

 40年間、一日も休まず働いてくれた胃に、もう少し気の利いた感謝の言葉のひとつも言いたかったのですが、それもなく、なんだか寂しい別れでした。

 

 

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