ぷかぷか日記

教会に行ってきました。

コンノさんは今、就労移行の事業所で研修をやっています。毎週水曜日の夜、六角橋教会の祈祷会に参加していると聞いたので出かけてきました。

 

最初に賛美歌を歌います。

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聖書を読みます。

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 コンノさん、企業就労目指して就労移行の事業所に行ってるのですが、実習しても就職先がなかなか決まらず、実習に行かない時は箱折りをやったりして、楽しい日々とはいかないみたいです。教会に来るのは「安心の港」としてくるようだ、と牧師さんはおっしゃっていました。先々不安を抱える日々。だからこそ教会を信頼し、ここに来るとホッとした気分になるようです。水曜日の夜の祈祷会に毎回来るようになったのはこの1年くらいだそうです。就労移行の事業所に行き始めてからです。

 昨日の朝日新聞「折々のことば」

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 コンノさんが教会へ来て祈るのは、待つほかないものを待ちきっているのかも、と思いました。

 

 

 コンノさんが聖書を読んだあとの牧師さんのお話で「信じる」とか「祈る」という言葉の意味がよくわからなくて、帰ってから動画を何度も見直しました。3日くらいたって、「信じる」って、自分の「信念」(障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ)を信じることであり、それが実現することを願いながら様々なことを実践すること、それが「祈る」ことの意味ではないかと思い、牧師さんに問い合わせたところ、その通りです、という返事が来ました。

  牧師さんによると

「イチジクの木の場合、イエスの義憤(マグマ)が行動に出たのが、すぐ手前の(悪名高い)「宮浄め」の話。その後日談として付け加えられたのがイチジクの木と考えると、イチジクの木を「呪った」というより、エルサレム神殿をイチジクの木にたとえ、当時のユダヤ教の堕落ぶりを非難した話となります。そのうえで、「信じる」ことと「祈る」ことを、神殿祭儀や律法順守(行為主義)の上に置こうとしたと考えられます。つまりは「原点回帰」という宗教改革運動。」

なんだそうで、なるほど、と思いました。

 ぷかぷかも障がいのある人たちの社会の中での扱いに、やりきれなさ、憤りを感じながら、それでもそれを前面に出すことなく、

「彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ」

と前向きの形でメッセージを出し続けていますが、イエスの「義憤」はとてもよくわかります。やまゆり園事件に関するブログを書き続けているのは、まさに「義憤」です。

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