ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • やまゆり園事件から9年
     あの忌まわしいやまゆり園事件から9年です。  「どうしてあのような事件が起こってしまったのか」 犯人の植松だけのせいにせず、この社会を形成する私たち自身の問題として、それを考え続けることが大事だと思います。  事件以来「共に生きる社会を作ろう」という言葉が広がってきましたが、私自身は養護学校の教員をやっていた頃、障がいのある子どもたちに惚れ込み、彼らとずっといっしょに生きていきたいと思い、定年退職を機に彼らといっしょに生きる場として「ぷかぷか」を立ち上げました。  障がいのある人達とはいっしょに生きていった方がトク!と言い続けてきました。  トク? え?どうして? と、障がいのある人達のことをあまり知らない多くの人は思います。  彼らと過ごす日々は楽しいです。色々困ることは多いですが、それでも尚、いっしょに生きる日々は楽しいと私は思います。                                       彼らといっしょに生きる日々は楽しい、と言い続けて15年。「ぷかぷかさんが好き!」というファンがずいぶん増えました。障がいのある人達はなんとなくいや、という人達が多い中で、彼らのことが好き!という人が現れたことは画期的だと思います。ぷかぷかがやってきたことへの社会の反応といっていいと思います。共に生きる社会は、こんな風にしてできていくのだと思います。  9年続けてきた演劇ワークショップは、いっしょに生きると社会が豊かになるということを目に見える形で舞台で表現してきました。                       やまゆり園事件について、あーだこーだ小難しいことを言うのではなく、彼らと過ごす楽しい日々を具体的に作り出すこと、それを社会に開かれた場で実践すること、いい一日だったねってみんなで言い合えること、そんなことが大事だと思っています。    神戸の障害者グループのメッセージです。   リメンバー 7.26 神戸アクション : Remember 7.26 Kobe Action 17時間 · 今日の「相模原津久井やまゆり園事件を忘れない/サイレントアクション」で配布したビラのメッセージです:  ------------------- わたしたちは津久井やまゆり園で殺された19人を忘れない 2016年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設・県立「津久井やまゆり園」で19人の障害者が障害を理由に殺害された事件を覚えていますか?わたしたちはその事件の翌月から、社会に根付く障害者差別と優生思想への抗議をしてきた障害者のグループです。 わたしたちの懸命の訴えにもかかわらず、今そのような風潮は激しい勢いで広まっています。外国人は優遇されているという根拠のないデマを流し、女性は産む道具、終末期医療は全額自己負担化、LGBTQ(性的少数者)の人々は存在しないなどの主張をする人たちが選挙で人気を集めていることにも、それは表れています。 生きづらさを抱えた人々のうっぷんがマイノリティへの攻撃へと向けられ、戦前日本、ファシズム、ナチズムの台頭時を思わせるような空気が社会を覆おうとしています。わたしたち障害者はそれをひしひしと感じ、家の外に出ることひとつにも恐怖を覚えています。ナチス・ドイツのジェノサイド(大量虐殺)が、障害者を抹殺するT4作戦から始まったことを知っているからです。 戦争への準備を進めようとする人たちがますます大きな権力を握ろうとしていることも許せません。戦争で真っ先に殺されるのは障害者です。パレスチナでのジェノサイド、ウクライナ、シリア、イエメン、コンゴ、南スーダン、ミャンマーなど各地での紛争で、最も悲惨な状態に置かれているのは障害者です。 「津久井やまゆり園事件」の障害者たちは、生産性を持たず、社会のお荷物であり、不幸をもたらす者として殺されました。わたしたちはその障害者たちと共に、また、外国にルーツを持つ人々、女性、性的少数者、高齢者、少数民族、部落民、公害被害者、冤罪被害者ほかすべてのマイノリティの人々と共に、真の平和と共生の社会の実現を求めて、差別と優生思想と暴力に抗議の声を上げ続けます。 リメンバー 7.26 神戸アクション
  • 詩のワークショップ
       仙台にある福祉事業所で「詩のワークショップ」をやります。前回は利用者さんを中心に簡単な演劇ワークショップをやったので、今回は利用者さんが帰った後、夕方からスタッフと保護者だけでやります。  利用者さんがいないことで、スタッフは「私」を取り戻すことができます。保護者の方も親ではなく、「私」として参加できます。  そういった環境の中で   「自分にとっていい一日とは何か」 をテーマにそれぞれ5,6行の短い詩を書きます。「私」はどう生きたいのか、それを短い言葉で表現するのです。だらだら長く書くのではなく、短い言葉に気持ちを集中させます。  私たちはこういう問いをふだんあまり考えません。でも、人が生きる上で、ほんとうはいちばん大切なことだと私は思っています。「スタッフ」とか「保護者」ではなく、一人の「私」として「自分にとっていい一日とは何か」という言葉に向き合うのです。  それは、いい一日を生きる、いい人生を生きる出発点になると思います。  それぞれの詩をグループの中で発表したあと、詩の言葉を一行ずつ切り離し、それを今度はグループの集団詩としてまとめていきます。集団としての意思にまとめるのです。  この作業がものすごく大変です。でも、大変な分、言葉の意味が深まります。お互いの思いが共有できます。  そうやってでき上がった詩を、今度はみんなの前で発表します。声に出して、思いを相手に届けるのです。 www.youtube.com  私たちはふだんからいろんな言葉を交わしています。でも、詩のワークショップという集中した場でできあがった詩の言葉には思いをしっかり伝えるチカラがあります。そのチカラは私たちをある意味、いろんな束縛から解放してくれます。自由にしてくれます。それは実際にやってみるとわかります。ものごとを頭だけで考えるのではなく、体全体で考えるのです。  たかが言葉です。でもここで生まれた言葉は侮れません。言葉がチカラを持つこと。それはひとつの希望でもあると思います。  「手に持ってゆったりと重い いい大根のような一日がいい」  長田弘さんの「ふろふきの食べ方」という詩を最後にみんなで朗読しようかなと思っています。  あなたのところでもこんな詩のワークショップ、やってみませんか?いろんな新しい気づきがあります。新しい出会いがあります。「あ、おもしろそう」って思われた方はぜひ連絡ください。takasaki@pukapuka.or.jp高崎まで。
  • 詩のワークショップ
     仙台にある福祉事業所で「詩のワークショップ」をやります。前回は利用者さんを中心に簡単な演劇ワークショップをやったので、今回は利用者さんが帰った後、夕方からスタッフと保護者だけでやります。  利用者さんがいないことで、スタッフは「私」を取り戻すことができます。保護者の方も親ではなく、「私」として参加できます。  そういった環境の中で   「自分にとっていい一日とは何か」 をテーマにそれぞれ5,6行の短い詩を書きます。「私」はどう生きたいのか、それを短い言葉で表現するのです。だらだら長く書くのではなく、短い言葉に気持ちを集中させます。  私たちはこういう問いをふだんあまり考えません。でも、人が生きる上で、ほんとうはいちばん大切なことだと私は思っています。「スタッフ」とか「保護者」ではなく、一人の「私」として「自分にとっていい一日とは何か」という言葉に向き合うのです。  それは、いい一日を生きる、いい人生を生きる出発点になると思います。  それぞれの詩をグループの中で発表したあと、詩の言葉を一行ずつ切り離し、それを今度はグループの集団詩としてまとめていきます。集団としての意思にまとめるのです。  この作業がものすごく大変です。どの言葉が最初に来るのか、どの言葉が最後に来るのか、真ん中にはどの言葉がふさわしいのか等々、喧々がくがくの議論が始まります。みんなで「ああだこうだ」言い合いながら、言葉の意味が深まります。お互いの思いが共有できます。  そうやってでき上がった詩を、今度はみんなの前で発表します。声に出して、思いを相手に届けるのです。声に出すと、詩が生き物のようにムクムクと立ち上がります。  私たちはふだんからいろんな言葉を交わしています。でも、詩のワークショップという集中した場でできあがった詩の言葉にはみんなの思いが詰まっています。ですからそこで生まれた言葉にはチカラがあります。人の心を揺り動かすチカラです。  そのチカラは私たちをいろんな束縛から解放してくれます。自由にしてくれます。それは実際にやってみるとわかります。ものごとを頭だけで考えるのではなく、体全体で受け止め、考えるのです。  たかが言葉です。でもここで生まれた言葉は侮れません。言葉がチカラを持つこと。それはひとつの希望でもあると思います。  「手に持ってゆったりと重い いい大根のような一日がいい」  長田弘さんの「ふろふきの食べ方」という詩を最後にみんなで朗読しようかなと思っています。  あなたのところでもこんな詩のワークショップ、やってみませんか?いろんな新しい気づきがあります。新しい出会いがあります。「あ、おもしろそう」って思われた方はぜひ連絡ください。takasaki@pukapuka.or.jp高崎まで。
  • 美帆ちゃんのこと忘れないよ
     先日ある新聞社の記者から、その後やまゆり園事件について何かやってますか?という質問が来ました。特にやっていません、と回答しました。以前は事件を考えるためのイベントを色々やっていましたが、イベントをやっても社会が変わるわけでもなく、最近は何もやっていません。  イベントはやっていませんが、「障がいのある人たちといっしょに生きていく」ということを、就労支援事業所、生活介護事業所を運営するという形でやっています。  「障害者はいない方がいい」という事件のメッセージに対する私たちの応えです。 www.pukapuka.or.jp  障がいのある人達と日々一緒に過ごすことを楽しい、と思えること。そう思う人が増えること、それが日々の暮らしの中で自然にできること、それが事件を超えることだと思います。  ぷかぷかのメンバーさんの中に、事件で犠牲になった美帆ちゃんの誕生日に、毎年のように誕生日カードを描く人がいます。丁寧に丁寧にカードを描きます。できあがったカードは私の方で美帆ちゃんのお母さんに送るようにしています。 美帆ちゃんは唐揚げが好きでした。なので、美帆ちゃんの誕生日には給食が唐揚げになったりします。  こういうことが事件を忘れない、ということだと思います。コムツカシイ話をするイベントではなく、給食の唐揚げ食べながら、「そういえば美帆ちゃん、唐揚げが好きだったんだよね」って思い出したりする方が、長く続けられる気がします。    障がいのある人達と楽しい毎日を過ごすこと、それがあの忌まわしい事件を超えることです。「支援」という上から目線ではなく、どこまでもフラットな関係でおつきあいすること。そこがすごく大事だと思います。        
  • おつきあいしないとソン!
     10年ほど前だったか、東北は花巻にお住まいの方が、スーパーの駐車場でうろうろしていた息子が不審者として通報され、警察に保護されました。何もしゃべらないので、警察も困ってしまい、本人の持ち物から家の方に連絡が入り、先ほど迎えに行ってきました。本人は何もしていないのに不審者扱いされ、警察に通報されたりしたことがとても悲しいです、と本人の写真入りでFacebookに投稿がありました。  私はその写真を見て、「いやぁ、いい男だなぁ」と「一目惚れ」。すぐにお母さんに連絡を取りました。「お母さん、大丈夫ですよ、私は一目で息子さんに惚れ込みましたよ。息子さん、すごく魅力的です。自信を持って生きていきましょう」と伝えました。息子さんはアンジェルマン症候群で私が養護学校の教員になって最初に出会った子どもがサト君というアンジェルマン症候群の子どもでした。  障がいのある子どものことを何も知らずにいきなり現場に飛び込み、毎日どう対応していいかわからずオロオロしていた私にサト君は 「いや〜、おもしれえ、おもしれえ、がはは、がはは」 と何やっても手を叩きながらゲラゲラ大笑い。こういう反応があると、やっぱりうれしいもので、毎日がとても楽しくなり、障がいのある子どもたちにすっかり惚れ込んでしまいました。そこから予想もしない新しい人生がはじまり、今日に至ります。  そんなこともあって、花巻の不審者に間違えられた青年の写真見て、こんな魅力あふれる青年を警察に通報してしまう社会が悲しくなりました。駐車場でどうしていいかわからず、うろうろしている青年に「どうしたの?」と一声かけてあげればすんだ話です。おつきあいがない、ということは、こういう悲しい現実を生み出してしまいます。  どんな形でもいい、彼らとおつきあいすること、それがお互い気持ちよく暮らせる社会を作っていく出発点だと思います。  この魅力あふれる青年、見て下さい!私はこういう青年、大好きです。おつきあいしないとソン!こういう青年がいてこそ、社会は豊かになります。
  • 持続可能な社会
     「SDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けて何ができるか」 がテーマで先日岩佐教育文化財団というところからアイデアの募集がありました。  sdgs-iwasazaidan.com  そりゃやっぱり、障がいのある人たちといっしょに生きることだと思います。毎日楽しいし、何よりもどこかゆるっとします。あっちもこっちもがっちり決められた社会は窮屈。息苦しい。こんな社会はみんな疲れてしまって長続きしません。  写真の、こういう人たちこそが社会をゆるっとしたものにして、持続可能な社会にしてくれるのだと思います。あーだこーだややこしいこといわなくても、一緒に楽しい毎日を過ごすだけ。  そりゃもちろん、面倒なことや、大変なこともたくさんあります。言うことがうまく通じないとか、思うように動いてくれないとか、どこかへ行ってしまうとか、大声を出すとか……。でも、それが彼らといっしょに生きるということです。だからおもしろい!と私は思うのです。ま、好みっていえばそれまでですが、それで済ませてしまうのはもったいない。  いろんな規範に縛られた社会は長続きしません。ゆるっとゆるんだ社会こそが長続きするように思うのです。
  • 詩の朗読
    先日仙台でワークショップやったとき、詩の朗読をしました。読んだのは長田弘さんの「ふろふきの食べ方」。 ふろふきの食べ方 自分の手で、自分の 一日をつかむ。 新鮮な一日ををつかむんだ。 スがはいっていない一日だ。 手にもってゆったりと重い いい大根のような一日がいい。 それから、確かな包丁で 一日をざっくりと厚く切るんだ。 日の皮はくるりと剥いて、 面取りをして、そして一日の 見えない部分に隠し刃をする。 火通りをよくしてやるんだ。 そうして、深い鍋に放りこむ。 底に夢を敷いておいて 冷たい水をかぶるくらい差して、 弱火でコトコト煮込んでゆく。 自分の一日をやわらかに 静かに熱く煮込んでゆくんだ。 こころさむい時代だからなあ。 自分の手で、自分の 一日をふろふきにして 熱く香ばしくして食べたいんだ。 熱い器でゆず味噌で ふうふういって。    ひとり一行ずつ読んだ後、「ひとりで全部読みたい人」と呼びかけたところ、ふたりほど前に出てきてくれて読みました。そのひとりが多夢多夢のメンバーしょうちゃんです。企画をした千尋さんのブログ 『演劇ワークショップの最後に「詩を読みたい人いますか?」と高崎さんがたずねたところ、スッと自然に前に出てきてくれた、タムタムメンバーのしょうちゃん。 音楽に合わせて、とても丁寧に詩を読んでくれて、それをみんなでうっとりと聞き入りました。 ずーーっと聞いていたい、豊かな時間でした。』    詩を朗読する、誰かに向かって声を出して詩を読む、ただそれだけのことが   「ずーーっと聞いていたい、豊かな時間」 を生み出したのです。  あの時しょうちゃんの周りにいた人達が「出てみたら」って声をかけたそうですが、声をかけたくらいでは人前で朗読はできません。やっぱりしょうちゃん自身が「読もう」っていう気にならないとこんなことはできません。  そうさせたのは、詩の言葉であり、朗読することで生まれる場のチカラだったのではないかと思います。それがこの奇跡のような時間を生み出した。何よりも障がいのある人たちといっしょにやったからこそ生まれた豊かな時間。  障がいのある人達がいなければ、こんな時間は生まれませんでした。そのことの意味をしっかり考えていきたいと思うのです。 www.youtube.com 仙台でのワークショップ www.pukapuka.or.jp
  • 仙台に行ってきました。
    仙台の多夢多夢という事業所で簡単な演劇ワークショップやってきました。                  多夢多夢さんに話を持ちかけたのは元デフパペットシアターの大里さん。大里さんはとはこんなおつきあいもありました。 www.pukapuka.or.jp    結婚式にぷかぷかで豆本を作って配布したのですが、今も仲間たちはその豆本を大事にしているそうです。 多夢多夢さんではたくさんのパンとクッキー並べて販売してくれました。完売でした。 こんなすばらしい絵を描く方がいます。          こういう絵を見ていると、やっぱりいっしょに生きていった方が社会は豊かになると思いました。  演劇ワークショップはこんな感じでやりました。 参加した人達の感想。 ・映画の中のぷかぷかさんが、ひとりひとり個性が輝いていて、楽しそうだった、その周りにいる人達はもっと楽しそうだったのが印象的でした。ワークショップでは多夢多夢メンバーさんと同じチームになり、私も映画の中の人と同じ気持ちになった。とても楽しかった。 ・私は障害を持つ子どもの親として参加しました。子どもを育てる中で感じる喜びやおもしろさ、楽しさをもっとたくさんの人に知ってもらえたら「障害者はいらない」などという思い違いはなくなるんじゃないかと、積極的に町に出ています。先日も友人が「ちょっと変わった子がいたんだけど、息子さんの先輩かな?と思って…」と話してくれるまでになりました。 ・映画を見てたくさんの気づきがありました。仙台でも障がいのある人とない人が交流できる機会や場所が増えるといいなと思います。 ・障がいのある人が怖いというマイナス感情は、そうコミュニケーションをとったらいいのかわからない、というわからなさから来るのかも。 ・演劇ワークショップの「泣きの階段」をやったとき、大ちゃんがガッツポーズをしたのがよかった。私たちにはそういう発想がないので。 ・映画見て、なんだかあたたかな気持ちになりました。 ・映画の中の女性、ぷかぷかさんたちに自分が耕されている、というお話が素敵でした。 ・映画を見て、笑顔いっぱいのぷかぷかさんたちに会いに行きたくなりました。 ・「支援する側、される側」でない「フラットな関わり」にとても共感しました。 ・自分の心がゆるゆると動き出したと思います。 ・地域との関わり方について色々知ることができた。 ・「いっしょに生きていった方がトク!」という考え方や、活動のすべてが映画から伝わってきた。 ・以前からブログを拝見していましたが、今回のイベントに参加して、書いてある言葉が実感できてよかった。 ・演劇ワークショップは自分たちでアイデアを出し合い、初めて会った人達と創りあげる活動は自然にみんなが笑顔になり、楽しかったです。 ・映画はぷかぷかさんたちと過ごす日々が充実し、いろんな気づきがあり、素敵な毎日なんだろうな、と感じられた。 ・ひとりひとり個性が輝く世の中、みんなが自分らしく生きられる世の中が素敵だなぁと思います。たくさんの学びがあり、充実した時間になりました。楽しかったです。 ●●● みんなでとてもいい時間を過ごすことができました。なんといっても多夢多夢さんたちの存在が大きかったと思います。多夢多夢さんたちの思いもよらないリアクションがたくさんあり、こういったものが私たちの想像を超える新しい社会を作っていくんだろうなと思いました。やっぱり「いっしょに生きていった方がトク!」です。機会があれば、いや、機会を作って。またいっしょに楽しいことやりましょう!
  • 詩(ふろふきの食べ方)のワークショップ
     長田弘さんの詩集『食卓一期一会』に入っている「ふろふきの食べ方」という詩が好きで、この詩を朗読するワークショップを、昔あちこちでやりました。  一番最初にやったのは町田養護学校の教員向けのワークショップ。教員達にもっと自由になって欲しいと思い、詩の朗読ワークショップを企画しました。今ぷかぷかのアートディレクターをやっている金子さんとは、この時のワークショップで知り合いました。  詩を朗読する、というたったそれだけのワークショップですが、なんかふっと自由になれて、ふっといつもと違う世界が見える瞬間がワークショップにはあります。そのことを教員達と共有できたように思います。その経験を元に、あちこちで詩の朗読をするワークショップをやるようになりました。四国で行われた全国ボランティア研究集会でやったときは、ものすごい盛り上がりで、ステージで発表会をするほどでした。  詩を朗読する、というたったそれだけのことが、人の背中を押し、人を大きく前に押し進めるのです。    言葉を声に出して読む。声を出して、言葉にふれる。声を出すと、言葉の感触が、いつもとちがう。 詩を、誰かに向かって読む。誰かに向かって読むことは、誰かに向かって自分の思いを届けること。そのとき、言葉がむくむくと生きはじめる。  言葉が生きはじめる瞬間を、抱きしめるようにからだに記憶しよう。  立って読む。座って読む。歩きながら読む。何かにもたれかかって読む。寝っ転がって読む。  あなたは、誰に向かって読む?  ふろふきの食べ方                           長田弘  自分の手で、自分の  一日をつかむ。  新鮮な一日をつかむんだ。  スが入っていない一日だ。  手に持ってゆったりと重い  いい大根のような一日がいい。  それから、確かな包丁で  一日をざっくりと厚く切るんだ。  日の皮はくるりと剥いて  面取りをして、そして一日の  見えない部分に隠し刃をする。  火通りをよくしてやるんだ。  そうして深い鍋に放りこむ。  底に夢をしいておいて、  冷たい水をかぶるくらい差して、  弱火でコトコト煮込んでゆく。  自分の一日をやわらかに  静かに熱く煮込んでゆくんだ。  こころ寒い時代だからなあ。  自分の手で、自分の  一日をふろふきにして  熱く香ばしくして食べたいんだ。  熱い器でゆず味噌で  ふうふういって。 手に持ってゆったりと重い大根を買ったので、今日はふろふきにしようかなと思っています。自分の一日も一緒に。 機会があればこの詩をみんなで読むようなワークショップをやりましょう。声をかけていただければ、出かけていきますよ。
  • 仙台で相模原事件のことを話題に
     5月10日(土)仙台でのイベントで、相模原事件についてちょっと話題にしてくれないかという提案がありました。ほとんどの人が忘れてしまっている事件です。 www3.nhk.or.jp  大事なことは犯人の特異な性格で起こった事件ではなく、この社会の中で起こった事件であり、社会を形作っている私たち自身に責任はないのだろうか、ということです。    相模原事件はとんでもなく大きな事件であり、様々な角度から事件が語られました。でも抽象的議論で終わるのではなく、自分に今何ができるのかを具体的に考えることが大事だと思います。  事件は悲しくて、くやしくて事件に関するブログを270本も書いています。 www.pukapuka.or.jp 事件は「支援」の現場で起きました。障がいのある人達を「支援」する現場でどうしてこんな事件が起こったのか、「支援」という関係は事件に関係しないのか、といったことをもっともっと考える必要があると思います。  お母さんの話では美帆ちゃんはハンバーグが好きだったそうです。美帆ちゃんの誕生日12月5日にはぷかぷかの給食にハンバーグを出しています。 www.pukapuka.or.jp  そうして何よりも大事なことは障がいのある人達と日々どのようにつきあっていくのか、ということです。何度も書いているとおり、ぷかぷかでは彼らといっしょに生きていく、という関係です。それはどこまでもフラットな関係です。だからいろんな豊かなものが生まれました。演劇ワークショップはその豊かさが目に見えます。 www.pukapuka.or.jp  そして亡くなった美帆ちゃんのことを忘れないことです。       
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