ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 創英大学 詩のワークショップ
    2021年1月14日、創英大学の統合保育の授業、詩のワークショップで9月からの振り返りをやりました。  どうして統合保育なのか、子どもの保育の前に、自分自身が障がいのある人たちといっしょに生きていくことの意味をきちんと押さえておくことが大事です。言葉だけでなく、いっしょに生きていく方がいい、と実感すること。そういう意味でぷかぷかさん達と一緒にワークショップをやったり、ぷかぷかで体験実習をしたことは、それぞれの中にあった障がいのある人へのイメージをひっくり返すほどの意味があったと思います。      授業でやったことは、映画『Secret of Pukapuka』とEテレの共生社会に関する映像の鑑賞、ぷかぷかさん達と一緒にすごろくワークショップ、簡単な演劇ワークショップ、やまゆり園事件をテーマにした上映会では演劇ワークショップの記録映画の鑑賞、討論会の参加、それぞれ二日ずつぷかぷかで体験実習、毎日新聞で『やまゆり園事件は終わったのか』の特集を書き続けている上東記者も参加してのやまゆり園事件についての話し合い等。そういった活動の振り返りをただ感想言うだけではほとんど意味がないので、それぞれの気づきを自分の中でしっかり記憶にとどめることと、お互いの気づきを共有するために「詩のワークショップ」をやりました。以下がその記録です。 活動の中での気づきをそれぞれ短い詩にまとめます。  それぞれ書いた詩をグループの中で発表します。  それぞれが書いた詩を一行ずつ切り離し、グループの中でシャッフルします。言葉たちを並べ直し、グループとしての詩を作ります。どの言葉をどの場所に持ってくるかの話し合いの中で、お互いの気づき、思いを共有していきます。その作業が、グループとしての詩を作っていきます。  できあがった詩を壁に貼りだし、それを読みます。  黙って詩を読むのではなく、誰かに向かって声を出して読む。言葉に、丁寧にふれていきます。自分の思いを言葉にふれながら、丁寧に伝えるのです。それが「朗読」。  一度しか練習していないので、決してうまいとは言えない朗読ですが、それでもこうして自分たちの気持ちを言葉にして、友人達の前で朗読したことは素晴らしい体験だったと思います。学生さんにとってはとても新鮮な体験であり、意味のあるいい振り返りになったと思います。ぷかぷかさんとの出会いが、学生さん達のこれからの人生の中で、どんな風に生きてくるんだろう、と思います。なんか、考えただけでわくわくします。ぷかぷかさんといっしょに生きる素晴らしい未来をみなさんの手で作って下さい。 www.youtube.com ★学生さん達の感想、すごくいいです。ぜひお読み下さい。 ●個人で書いた詩をグループで発表し、それぞれの感じたことや感想を組み合わせて詩をつくることで、より深くて伝わりやすいと思った。それぞれの詩に個性があり「こんなことを思っているんだな」と自分とは違う部分を見つけることができた。もう1つのグループの詩を聞いて、自分のグループとは全然違うと思った。伝えたい部分も違って面白い経験だった。 ●個人個人が詩で書いた思いや感情を1つにまとめるとまた変わった一面をみることができた。まとめた詩の1つひとつの言葉を見ると優しそうであったり、強いようであったりを感じ、その詩を読むことで言葉に力がでてくるようであった。 ●グループで5つの詩を1つにまとめることは初めての試みでとても難しかったが、終わってみると自分では表現できなかったことが表現できて新しい発見があって面白かった。詩の中に美帆ちゃんへの気持ちを伝えることができてよかった。 ●一人ひとりが書いた詩をグループで組み合わせてみたら思ったよりもきれいにまとまってよかった。一人ひとり思っていること、考えていることが違うのにまとめてみると、みんなで1つの考えを持っているような詩ができて面白かった。さらにその詩を声に出して読むことで言葉1つひとつにしっかり意味があるように感じられた。 ●それぞれの意見を1つにまとめてみんなで作品をつくりあげるのは、とても難しかったけれどもその分、達成感があった。詩という表現方法をこの授業で体験できてよかった。 ●一人ひとり詩の表現方法が違っておもしろかったです。1つまとめると大きな詩になって驚きました。みんなそれぞれ感じたことは違うけれども思っていることは似ているのだと感じました。 ●一人ひとりの詩を合わせることで自分だけでは気がつけなかった感情をみつけることができた。詩をつくり言葉を丁寧に伝える活動を他にもに活かしていきたい。 ●一人ひとりの詩を1行ずつバラバラに分けて、グループ全員の詩を編集し、くっつけてみると、まとまった詩になるんだなぁと思いました。詩を書くだけではなく、みんなで作った詩を声に出して読むことで言葉1つ1つの重みや意味が他の人にも自分にもより伝わると思いました。 ●人それぞれの考えが1つにまとまると言葉の重みが変わる。似たような表現も違った表現もいろいろあった。魂の重さが21グラムなのを初めて知った。
  • 相模原事件 裁判傍聴記
    図書館でこの本見つけました。重い内容の本ですが、一気に読めます。                  裁判で明らかになったことを忠実にたどり、相模原事件の核心に迫ろうとした素晴らしい本です。植松被告のわからなさに戸惑いながらも、それでもきちんとそのわからなさに向き合い、これは何なんだと思い悩み、格闘しながら書いていて、著者雨宮さんのやさしさがよく伝わってきます。  雨宮さんの植松被告への丁寧な向き合い方を見ながら、あらためてやまゆり園は、スタッフだった植松とどこまで真剣に向き合ったのだろうかと思いました。  《軽い調子で障害者に対して「やばいですよね」「いらないですよね」というようになった時期、もしかしたら彼は深い葛藤の中にいたのではないだろうか。重度障害者を目の当たりにして、自分では処理できないほどの戸惑いの中にいたのではないだろうか》  《「この人は幸せなのか」「生きる意味はあるのか」といった根源的な問いについて、誰かと語りたかったのではないか。「やばいですよね」とあえて軽い感じで同僚に言ったのは、「目の前の現実をどう受け止めればいいかわからない」というSOSではなかったか》  という指摘は、植松被告のわからなさと格闘したが故に見えてきたすごく大事な視点だと思います。  経験の不足した若い職員の、そんな葛藤に、やまゆり園は本気で向き合ったのだろうか。  事件の1年後再開されたやまゆり園のホームページにあった言葉。 《昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。この一年の間、様々なところでご配慮いただき、厚く御礼申し上げます。》  事件を他人事のように書くこの挨拶文。事件のこと、何も考えていないことがよくわかります。こんな感覚では、植松被告の葛藤にも、多分気がつきもしなかったのだろうと思います。  重度障害者を前に《「この人は幸せなのか」「生きる意味はあるのか」といった根源的な問い》について、植松被告と深い話ができるような雰囲気がやまゆり園にあれば、多分事件は起きなかったと思うのです。  植松被告が小学校2,3年生の時に 「戦争をするなら障害者に爆弾をつけて突っ込ませればいい」 と作文に書いたといいます。  ひどいなと思いましたが、 《この国では70数年前「特攻隊」という形で人間を「自爆攻撃」に使ってきた歴史があるのだった》 という指摘は、そういう歴史の上に生きている私たちを問います。 《植松被告の「おかしさ」を否定しようと思えば思うほど、「実は国を挙げてやっていた」みたいなことが出てくるのもこの事件の特徴である。ナチスの障害者虐殺はいうまでもないが、この国は90年代まで障害者に対して強制不妊手術をしたいたという歴史も持っている。》  その恥ずかしい歴史とどう向き合うのか。だからやまゆり園事件を問うことは、私たち自身を問うことになります。  事件から新たに見えてくるものがたくさんありました。ぜひ読んでみて下さい。図書館では借り手がいないせいか、予約するとすぐに手に入りました。
  • 人権研修会を受講する人たちへのメッセージ
     今月末に予定されていた緑区役所の人権研修会ではぷかぷかさんの話を聞き、映画『Secret of Pukapuka』を見て、いろんな気づきを元に『詩のワークショップ』をする予定でしたが、コロナ禍で人が接触するような形になるのはまずいと中止になりました。受講予定の人たち(約40名)は各自の机のパソコンで『Secret of Pukapuka』を見て感想を書くことになりました。その前に映画『Secret of Pukapuka』への思い、高崎明のプロフィールとぷかぷかの活動について書いて欲しいと研修担当者から要望があったので、こんなことを書きました。 映画『Secret of Pukapuka』について  人権の問題は抽象的な話ではなく、たとえば自分の家のすぐそばに障がいのある人たちのグループホームが建つことになったらどうするのか、という具体的な問題の中で出てきます。そういう問題を前に、自分はどうするのか、言い換えれば自分の生き方が問われるのです。他人事にしない、自分のこととして考える。だから人権研修は、人権に関する小難しい話を聞いておしまいにしていてはだめなのです。どこまでも自分の生き方として考えていく、引き受けていく、それが人権研修だと思います。  障害者グループホーム建設に反対する、というのは「障害者はここに住むな」ということです。これはやまゆり園事件の犯人が言った「障害者はいない方がいい」と同じ発想です。   障害者を地域から排除すれば、快適な地域が実現するのかどうかを考えてみて下さい。彼らを地域から排除するというのは、地域で受け入れる人間の幅がその分狭くなるということです。そうするとお互いとても窮屈になります。お互い息苦しくなります。地域社会から彼らを排除する、というのはそういうことです。誰にとっても暮らしやすい地域社会が失われるのです。  では、どうすればいいのか。ともに生きる社会を作ろうとか、共生社会を作ろう、という抽象的な話では人は動きません。一番簡単な方法は、障がいのある人たちといい出会いをすることです。「彼らといっしょにいると、心ぷかぷか」になることを体験するのです。  映画『Secret of Pukapuka』を通して、ぷかぷかさんに出会ってみて下さい。気がつくと、心ぷかぷかになっています。いっしょに生きていった方がいいよね、って自然に思えるようになります。人権について学ぶ、というのはそういうことです。                        高崎明のプロフィールとぷかぷかの活動  ●ぷかぷかを始める前、養護学校の教員をやっていました。その時に障がいのある子どもたちに惚れ込み(あれができないこれができない子どもたちでしたが、いっしょにいるとなぜか心あたたまることが多く、毎日がすごく楽しかったのです。いつしかずっと彼らのそばにいたいなと思うようになりました)、定年退職後、彼らといっしょに生きる場としてぷかぷかを始めました。                    ●福祉事業所とかではなく、どこまでも障がいのある人たちといっしょに生きていく場としてぷかぷかを始めました。ですから彼らとは「支援」という上から目線の関係ではなく、どこまでもフラットな関係でぷかぷかの毎日を作っています。         ●結果、どういうことに気がついたのか。彼らは「あれができないこれができない、効率が悪い、社会の重荷といった人たち」ではなく、「社会を耕し、豊かにする人たち」であるということです。  たくさんの人たちが彼らと出会い、ほっと一息ついたり、心あたたまる思いをしたり、自由であることの大切さに気がついたりしました。この社会の中で、あるいは生きる上で何が大事なのかを彼らとの出会いの中で気づいたのです。彼らはこんなふうにして社会を耕し、豊かにするという働きをしていたのです。    ●緑区役所、瀬谷区役所、青葉区役所、旭区役所でパン、お弁当の販売をしています。ただパンやお弁当を売るだけでなく、たくさんの人たちがそこで彼らと出会います。出会えるような雰囲気を大事にしています。ぷかぷかのメッセージでもある「ぷかぷかしんぶん」も配布しています。これはスタッフとぷかぷかさんがいっしょに作っています。心がほっこりあたたまるようなしんぶんです。        ●緑区役所、青葉区役所、瀬谷区役所、保土ケ谷区役所では人権研修会もやりました。人権の小難しい話をするのではなく、障がいのある人たちとの出会いの機会を作り、彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ、というメッセージを共有できるような研修です。 www.pukapuka.or.jp  ●創英大学、東洋英和女学院大学、桜美林大学、早稲田大学、立教大学ではぷかぷかさん達と一緒にワークショップをやり、障がいのある人たちといっしょに生きていくことの意味を学生さん達にリアルに伝えてきました。            ●6年前から始めたぷかぷかさんと地域の人たちによる演劇ワークショップでは、半年かけて一緒に芝居を作り、舞台で発表しています。いっしょに生きていった方がいい、ということが一目で伝わる舞台です。4年前の津久井やまゆり事件では「障害者はいない方がいい」というメッセージをまき散らしましたが、「そればちがう」という体を張ったメッセージを演劇ワークショップの舞台は作り続けています。    ●ぷかぷかができて10年。障がいのある人たちの生きにくさという社会的な課題に向き合う中でたくさんのステキな物語が生まれました。それを『ぷかぷかな物語』という本にまとめました。ぜひ読んでみて下さい。なんだか気持ちがふわっと楽になります。 ぷかぷかな物語 アマゾンカスタマーレビュー       ★ぷかぷかの人権研修会をやってみたい方、お問い合わせ下さい。担当は高崎です。 www.pukapuka.or.jp
  • 『Secret of Pukapuka』のズーム上映会
    『Secret of Pukapuka』のズーム上映会をやってくれた方がいました。コロナ禍で人が集まることが難しい中で、それでも友人達にこの映画を通してぷかぷかのことを知ってもらい、障がいのある人たちのことをみんなで話したいという思いからです。すごくうれしいです。  中に「障害のある人の生き生きとした笑顔が最高でした」という言葉がありました。ぷかぷかが一番大事にしていることです。みんなでいい一日を作ると、みんないい笑顔になります。  そのことをズーム上映会を通して共有できたことがよかったと思います。それがきっかけで、それぞれの中で新しい動きが出てきそうですね。 note.com  ズーム上映会ご希望の方はぷかぷか問い合わせ窓口から高崎に連絡下さい。 www.pukapuka.or.jp
  • 美帆ちゃんへの手紙
     創英大学では昨年9月から「統合保育」の時間に、障がいのある人たちと一緒に生きる社会についての授業をやってきました。「Secret of Pukapuka」とEテレの共生社会に関する映像の上映とタカサキの話、ぷかぷかさんとすごろくワークショップ、演劇ワークショップ、やまゆり園事件をテーマにした上映会の参加、2日間にわたるぷかぷかでの体験実習、やまゆり園事件を巡っての話し合い、などを体験し、今週の木曜日、その振り返りの授業をします。  ただ感想を言い合うだけではつまらないので、詩のワークショップをやる予定です。それも漠然と詩を書くのではなく、やまゆり園事件で犠牲になった美帆ちゃんへの手紙というタイトルで詩を書いてもらおうかと思っています。  美帆ちゃんは19歳でした。学生さんとほぼ同年代です。学生さんと同じく、人生が一番生き生きとしていたその時に、「障害者はいない方がいい」「障がい者は不幸しか生まない」などという全く理不尽な理由で命を絶たれました。  こんなことがあっていいのだろうかと、今、あらためて思います。美帆ちゃんは「どうして私死ななければならないの?」って思いながら死んでいったと思います。美帆ちゃんのその思いに答えねば、と思うのです。  事件は、犯人だけを罰すればすむ話なのか。「障害者はいない方がいい」「障がい者は不幸しか生まない」と考えたのは犯人だけだったのか。「障がい者はなんとなくいや」という思いは私たちの中になかっただろうか。  多かれ少なかれ、そういった思いは、やっぱり私たちの中にあると思います。そこをどう超えていくのか、ということです。それが事件を超える社会を作っていくことにつながります。  学生さん達は9月からの授業でぷかぷかさん達ととてもいい出会いをしました。授業の感想にこんな言葉がありました。  「私はぷかぷかさんと関わり、とても幸せな気持ちになった」  それぞれがいろんな感想を持ったと思います。その感想を土台に、これからどんな風に生きていこうとしているのか。それを美帆ちゃんに伝えて欲しいと思うのです。 詩のワークショップはこんな風に進みます。 ・自分の思いを5,6行の短い詩で書いてみます。 ・グループの中でそれぞれの詩を発表します。人がどんな風に考えているのかを知ります。 ・詩を一行ずつハサミで切り離し、言葉をグループの中でシャッフルします。 ・シャッフルした言葉たちを並べ替えていきます。グループとしての詩を作っていくのです。はじめの方に来る言葉、あとの方に来る言葉、中程に来る言葉をみんなで話し合って決めていきます。 ・話し合う中でたくさんの新しい気づきがあります。 「あっ、人はこんな風に考えてたんだ」 「ここは同じ思いだよね」  思いの共有があります。       ・できあがったグループとしての詩を、ほかのグループの人たちに向かって声を出して朗読します。言葉=思いに丁寧にふれながら、それを相手に届けます。 ・エリックサティの曲をBGMで流します。朗読と音楽が重なって、奥行きのある別世界が出現します。 ・グループとグループの間で、思いを伝える詩がムクムクと生き物のように立ち上がります。  時間にすれば、わずか1時間半。学生さんにとっては、障がいのある人たちといっしょに生きていくことを巡って、ものすごく密度の濃い時間を体験することになると思います。思いもよらない気づきがいっぱいあると思います。それをこれからの生き方に生かして欲しいと思うのです。
  • 「ひとりひとりがルールを守る」
     今朝の朝日新聞天声人語でドイツのメルケル首相の新年演説を紹介していました。 「ワクチン以外で最も効果的な方策は私たちの手中にある。ひとりひとりがルールを守ることです。」  感染拡大の状況にあって、思わず膝を打ちました。さすがメルケルさんです。  感染拡大を止めるには、私たちひとりひとりが人と接触する機会を減らすこと、そういうルールを守ることが大切です。  できるだけ出かけない、できるだけ人に接触しない。  ぷかぷかではぷかぷかさん達の出勤日数を減らし、人と接触する機会を少しでも減らすことにしました。毎日電車、バスを使って通勤しているので、出勤しなければ、人と接触する機会がぐんと減ります。感染拡大を、ちょっとだけ減らすことができます。出勤日数を減らした分は自宅で仕事をしてもらいます。  出勤は最大で週3日、最小は週一日、それを本人とおうちの方で選んでもらいます。  政治に任せていても、感染拡大は止まりません。私たちひとりひとりが行動することこそが大事です。私たちが少しでも行動すれば、感染拡大を「ほんの少しかも知れませんが」止めることができます。その「少し」がたくさん集まれば、感染拡大は少しずつ、確実に減ります。  私たちひとりひとりが行動するのかどうか、そこにかかっています。  非常事態宣言が感染拡大を止めるわけではありません。止めるのは私たちひとりひとりの行動です。  今大切なことは 「ひとりひとりがルールを守る」  そういう行動をする。  感染拡大を止められるかどうか、そこにかかっています。
  • 必要なのはそれぞれの生きる場所で、課題をひとつひとつ具体的に解決していく覚悟
    1月5日の朝日新聞「折々のことば」はすごくよかったです。  「必要なのはそれぞれの生きる場所で、課題をひとつひとつ具体的に解決していく覚悟だろう。」  ぷかぷかは福祉事業所なので、障がいのある人たちの支援をする、といったことはもちろんあるのですが、彼らといっしょに生きていく中で「障がいのある人たちの社会的な生きにくさ」という課題が解決できないだろうかと考えていました。  障がいのある人たちは、社会に合わせないとやっていけない、ということをいつも言われます。これは「自分を押し殺さないと生きていけない」といわれているようなもので、そのために当事者はもちろん、その家族、関係者はみんな大変な苦労をしています。障がいのある人たちの社会的な生きにくさの代表のようなものです。  障がいのある人たちは社会に合わせないとほんとにやっていけないのか。ぷかぷかは、実際に運営していく中で、その問いに向き合いました。  いろいろやっていくうちに、別に社会に合わせなくても、そのままでやっていけるじゃん!と気がついたのです。「やっていける」というのは、お店としてやっていける、ちゃんと収益が上げられる、ということです。  お客さんを相手にするお店で、社会に合わせなくても、ちゃんとやっていける、という事実を作ったことはとても大きかったと思います。区役所の外販でも、ぷかぷかが一番お客さんを集めています。   ありのままの彼らが一番ステキ、ということにお客さんが気がついたのです。そのままの彼らの魅力に気がついた人たちがぷかぷかのファンになり、その人達がぷかぷかの売り上げを支えています。  無理して社会に合わせなくてもやっていける、という気づきは、ぷかぷかさん達の生きることを、ものすごく楽にしました。自分を押し殺すことなく、そのままの自分で働けるのですから。こんなに幸せなことはありません。  生産性が重視される社会にあって、そういったことが苦手な障がいのある人たちの立場はとても弱いです。あれができないこれができない、効率が悪い、生産性が低い、等マイナス評価ばかりで、障がいのある人たちの社会的生きにくさが一番よく現れるところです。  できるできないではなく、彼らがいること、そのことに価値がある、というそういう見方を確立しないと生産性の論理には太刀打ちできません。何よりも彼らの社会的生きにくさが解消できません。  ぷかぷかを10年やってきて、「ぷかぷかさんが好き!」というファンがたくさんできました。何かができるからではなく、ぷかぷかさんたちが醸し出す雰囲気、空気感が好き!なのです。彼らがいること、そのことに価値を見いだしているのです。  いつも居眠りをする人がいて、その人の寝顔の写真を撮ってFacebookにアップすると、「今日も癒やされました」という書き込みがたくさんあります。その人が居眠りしていること、そのことに価値を見いだしているのです。  ぷかぷかは、生産性に変わる新しい価値を作ってきたと思っています。  ぷかぷかは社会的な課題と向き合う中で、たくさんの物語を生み出しました。それが『ぷかぷかな物語』です。ぜひ読んでみて下さい。なんだか気持ちがふわっと楽になります。 shop.pukapuka.or.jp
  • 「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というメッセージは、時に人の命を救うほど...
    RKB毎日放送のアーカイブで一時公開されたドキュメンタリー「うちの子 自閉症という障害を持って」は自閉症の人たちを追いかけた素晴らしい映像です。公開は1月5日までです。ぜひ見て下さい。 www.youtube.com  自閉症の子どもを抱えた家族の大変さがとてもよく伝わってきます。私自身養護学校の教員をやっている時、日々彼らの想定を超える振る舞いに振り回され、毎日クタクタになっていただけに、家族の大変さがリアルにわかります。その大変さの中で、命を絶った親子もいたようで、いたたまれない気持ちになりました。  社会が持っている障がいのある子どもへのマイナスイメージに殺されてしまったのだと思います。そういう意味で、私たちにも責任があって、家に残された、もう乗る人もいないブランコの映像にはとても辛いものがありました。  子どもをかわいいと思う気持ちと、育てていくのが辛いと思う気持ちがせめぎ合って、どこかで、何かの拍子に辛いという気持ちが勝ってしまったのだと思います。  大変だけれど、それでもいっしょに生きていった方がいいよ、その方が人生絶対トク!っていうメッセージを届けたかったです。  いっしょに暮らしていれば、大変な中にも、楽しいことはあったはず。愛おしいと思う場面がいっぱいあったはず。そこをしっかり支えきれなかったことがとても残念です。  私は映像の中のカネヤンの大変な行動ぶりを見ながらも、その行動のひとつひとつがとても愛おしいと思いました。養護学校の教員をやっている時、カネヤンのような子どもはいっぱいいました。私は何の経験もなく現場に入ったので、毎日毎日めちゃくちゃに振り回されていました。それでもどこかで一緒に笑ってしまうところがあったり、大変な中でも、もう笑うしかない場面があったり、そんなちょっとした出会いを日々重ねるうちに、なんだか彼らのこと好きになってしまったのです。どうしてかっていわれても、惚れてしまった理由なんか言葉で説明できません。好きになってしまって、ずっといっしょにいたいなって思いました。そんな思いが今の「ぷかぷか」を作りました。  彼らの行動のひとつひとつが、愛おしいと思うようになりました。カネヤンの映像を見ていても、家族は大変だろうと思いつつ、私は抱きしめたいくらい愛おしく思いました。人をそう思わせる魅力をカネヤンは発散しているのだと思います。その魅力をたくさんの人に受け止めて欲しい。そうやって社会が豊かになって欲しい。命を自らが絶つようなことがなくなって欲しい。  この映像の魅力は、いろいろ大変なことをするカネヤンの魅力にこそあるように思います。  障がいのある人たちをどう受け止めるかという問題は、人によっては「命を絶つ」ということにストレートにつながる問題なんだとあらためて思いました。だからこそ、「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というメッセージは、時に人の命を救うほど大事なメッセージになるのだと思いました。  今なお大変な渦中にいる人はいっぱいいるはずです。その人達に、気持ちが前向きになるようなメッセージをこれからもたくさん届けたいです。「いっしょに生きていくと、こんな楽しいことがあるよ」って。
  • 「ったく、もう、しょーがねーなぁ」とかブツブツ言いながら
    あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いします。 年末の大掃除の日、 「今年最後の写真ですから」 とヒカリさんに頼まれ、 「寒いからいやだな」 と思いながらも、 「ま、最後だし」 と結局は引き受けたのでした。 「寒いから一回で決めてよ」 と念は押したものの、撮った写真をチェックし、「カメラが傾いています」だの、「もう半歩前で」だの、「もう少し左で」だの、いつものようにダメ出しの連発。       ダメ出しのリクエストに応えてカメラをかまえるものの、いつものように靴下を直し、セーターの裾を直し、髪を直し、の一連の準備を繰り返します。  寒い中、それをじっと待っているのはなかなか辛いものです。  「髪なんか直さなくても、美人なんだから、そのままでいいよ」  「毛玉をとっているので、少し待って下さい」   毛玉をとってる?寒い中、人を待たせてそんなことするの?なんて話は通用しません。しかもその毛玉取りを、撮り直しのたびにするのです。  もうイライラしながら  「さっきやったんだからもういいじゃん」  なんて言っても黙々と毛玉取りが続きます。  ヒカリさんらしいな、と妙なところで感心してしまいます。  感心したところで、寒さが和らぐわけでもなく、ひらすら「う〜」と耐えるしかありません。  どうして寒さに耐えてまでここまでやるのかと自分でも思うのです。  「支援」とか「福祉サービス」とか「ともに生きる社会」とか「共生社会」とかでは語りきれない関係がここにはあります。  「ったく、もう、しょーがねーなぁ」とかブツブツ言いながら…でも結局はつきあってしまう、どうしようもなく人間くさい、あたたかな関係です。  ヒカリさんに限らず、「ったく、もう、しょーがねーなぁ」とか思いながらつきあってしまう関係がぷかぷかにはいっぱいあります。  「支援」ではない、人と人とのおつきあいです。だからぷかぷかにはあたたかな雰囲気が満ちているのだと思います。  何度も書いていますが、津久井やまゆり園事件は、優生思想云々の大きな話以前に、この人と人のおつきあいがなかったところで起こったものだと思います。その当たり前のおつきあいがどうして支援の現場でなかったのかと思います。相手と人としておつきあいする、というのは、何を差し置いても一番の基本だと思うのですが、支援の現場では必要なかったのでしょうか?障がいのある人たちを前に、人のあたたかさみたいなものは全く感じなかったのでしょうか。  寒さに震え「もう、いいかげんにしてよ」とか思いながらも、でもおつきあいしてしまうような、そんなおつきあいを今年も広げていきたいと思っています。
  • そこにいる当事者と人として出会えるかどうか
    毎日新聞「やまゆり園事件は終わったか?~福祉を問う」の、現時点でのまとめです。 mainichi.jp  トップにある一輪のしらゆりの花の写真が素晴らしくいいなと思いました。このしらゆりの花は「津久井やまゆり園」を見ながら何を思っているのでしょう。そういう想像を働かせることこそ、大事な気がします。  事件からちょうど1年後に津久井やまゆり園のホームページが再開されました。当然事件についていろいろ書いてあるものと思っていたのですが、びっくりするほど何も書いてありませんでした。ホームページにあった「あいさつ」をそのまま載せます。 ごあいさつ  昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。この一年の間、様々なところでご配慮いただき、厚く御礼申し上げます。  今年度に入り、仮移転先であります「津久井やまゆり園芹が谷園舎」での生活がスタートいたしました。去る7月22日には、芹が谷園舎の体育館で家族会・後援会のお力もいただき「追悼のつどい」をしめやかに行なったところでございます。  まだまだ利用者の皆様・ご家族の皆様、そして職員、それぞれ不安な気持ちが拭えない日々ではありますが、津久井やまゆり園本来の動きを取り戻すべく、この時期にホームページの再開に踏み切ることにいたしました。  今後の津久井やまゆり園再生への道のりは、長く険しいものと覚悟しております。今後とも皆々様からのご教示をよろしくお願いいたします。 平成29年7月26日   社会福祉法人かながわ共同会津久井やまゆり園園長    あれだけの事件があったにもかかわらず、たったこれだけです。事件はまるで他人事、といった感じです。  事件の犯人は元ここの職員です。どんな組織でも、その組織の人間が不祥事を起こせば、たとえ過去の人間であっても、まずは謝罪します。その謝罪のことばがひとこともありません。あれだけの事件を起こしながら、謝罪のことばがひとこともない。この組織は一体どういう感覚なのかと思いました。  福祉施設を四つも運営する社会福祉法人です。社会的信用の高い社会福祉法人が、一体何を考えているのかと思います。  どうしてこのような事件が起こったのかについての検証の跡も全く見えません。事件の現場となった施設を運営する法人が、そういった検証をしないというのはいったいどういうことかと思いました。  この無責任極まる法人の体質は、毎日新聞の記事で何度も指摘していますが、何も変わりません。神奈川県の検証委員会でも虐待の指摘をしていますが、法人の体質が変わるところまでいきません。どうしたらそこが変わるのだろうと思います。  そんなむなしさを抱えながらも、それでも尚しつこく事件を問い続ける毎日新聞の記者の姿勢には頭が下がります。エールを送りたいです。  記事の最後の方にあった 《「障害者が殺されるのは問題だが、普通の人以下の暮らしをするのは仕方ない」という二重基準が、ひょっとして私たちの中にないだろうか。事件が起きた時、多くのメディアは「障害者も同じ人権がある」と言ったはずだ。自戒を込めて、その言葉に忠実でありたい。》  というメディアへの批判は極めてまっとうな批判だと思います。ただこういう批判をしても、多分メディアはそう簡単には変わりません。  やっぱり大事なことは、こういった理屈っぽい話ではなく、障がいのある人とどこかでほんとうに人として出会うかどうかだと思います。  ぷかぷかが5月から始めた「でんぱた」には言葉のない方もいます。でもその方は会うたびにとてもいい笑顔であいさつしてくれます。あるテレビ局の取材があった時も、そんな素敵な笑顔で記者の方にあいさつしていました。  言葉はなくても、気持ちがその笑顔を通して通じ合うのです。言葉を介さない、人と人との出会いです。多分、そんな出会いが元になって、その人の働きぶりを短い映像で放送してくれたのだと思います。  ただ取材するのではなく、そこにいる当事者と人として出会えるかどうか、そのことが人権問題をリアルに感じるかどうかにつながってくるのではないかと思います。そしてそういう視点でやまゆり園事件をもういっぺん見直してみる、検証してみる、といった作業が必要なのではないかと思います。
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