ぷかぷか日記

第2期演劇ワークショップ

  • むっつりに感染しない人たち
     今期のワークショップは谷川俊太郎の詩《生きる》をモデルに、参加者一人ひとりが自分の《生きる》をテーマにした詩を作り、その詩をみんなの詩としてまとめ、それを芝居の形にするドラトラ(詩劇)の方法を取り入れました。  それぞれの《生きる》が見えたりしておもしろかったのですが、一人ひとりの詩をみんなの詩としてまとめる段階で、どうしても言葉のやりとりが多くなり、ぷかぷかのメンバーさんがそのやりとりの中には入れない場面が生じました。抽象的な議論はメンバーさんの苦手とするところです。  言葉ではなく、体で表現しながら先へ進んでいこう、という試みを今回のワークショップではやりました。歌も、歌の場面を想像し、体で表現してみました。 1,歌を体で表現 《つまさききらきら》は 地面に写った葉っぱの影の上を飛ぶ歌です。床の上にガムテープで葉っぱの影を描き、その上を飛びながら歌ってみました。   《岩手軽便鉄道の一月》は宮澤賢治作詞、林光作曲の歌で、キラキラ光る凍った木々の立ち並ぶ雪原をのどかに走る蒸気機関車の軽便鉄道です。「かがみをつるし」という表現がいかにも宮澤賢治の世界で、歌っていると鏡のようにキラキラ光る雪原の風景が目に浮かびます。  クルミの木ジュグランダーのジュグランダーとか、かわやなぎサリックスランダーのサリックスランダーはクルミや柳の学名から宮澤賢治が作った造語のようです。それを体で表現してみました。「クルミの木ジュグランダー」とか「かわやなぎサリックスランダー」っていいながら、ぱっと体で表現すれば、それが「クルミの木ジュグランダー」になり「かわやなぎサリックスランダー」になるところが芝居のおもしろいところです。  これが「クルミの木ジュグランダー」 これが「かわやなぎサリックスランダー」  ね、そんなふうに見えるでしょ。   2,誰かに届ける朗読  谷川修太郎の詩「生きる」の朗読は、一人ずつ順番に一行ずつ読んだのですが、今回は次の読み手を自分で選びました。この詩の読み手をあなたに引き継いで欲しい、と。「生きる」の世界を誰かに引き継ぐ、ということをみんなで共有した気がしました。 www.youtube.com   3,クジラになる  みんなの大切にしたいことをことごとく破壊してしまう「むっつり大王」は実は自分の中にあったことを前回のワークショップで見つけました。その「むっつり大王」問題を解決するために「ぷかぷか」で作った段ボール製のクジラがどこかで使えるんじゃないか、という案が出ました。  そのクジラをワークショップ会場のみどりアートパークまで持ってこようとしたのですが、大きすぎで、ぷかぷかが持っている一番大きなワゴン車にも入らないことがわかって断念。それで今回はわんどのワークショップで描いた大きなクジラの絵を持ってきて、クジラの登場するDVDを見ました。クジラの鳴き声が聞こえます。  みんなでクジラの形を作りました、   みんなでクジラや魚になって海を泳ぎました。ツジさんがクジラの鳴き声をやっています。 www.youtube.com  この体験はとても好評でした。   4,大切にしたいこと  みんなで作った詩をもう一度取り出し、グル−プ毎に大切にしたいことを三つ取り出して、それを簡単な芝居にしました。  野球をやったあと、家に帰ってカレーライスを食べて早く寝たい、という作品がありました。それが大切にしたいこと、というあたりがメンバーさんならではの発想。ふつうの人ばかりのグループでは、こういうことは絶対といっていいくらい出てきません。 www.youtube.com    電車に乗りたい、アイスクリームが食べたい、という作品もありました。車掌がアイスクリームを販売していました。   5,むっつりが広がる  「むっつり大王」は自分の中にいる、という発見から、「むっつり」の感情がどんなふうに広がっていくかをやってみました。「むっつりの階段」をやりながら、そのむっつりを外に広げてみました。 「むっつり」がどんどん広がって、恐ろしいくらいでした。   仮面をかぶって「むっつりの言葉」を言ってみました。 www.youtube.com     6,むっつりに感染しない人たち  終わってからの反省会。「むっつり大王」を消滅させるためには何をすればいいのか、がなかなか見えてきません。クジラを登場させるにしても、それが「むっつり大王」をやっつける魔法の杖になってはワークショップをやってきた意味がなくなります。  「むっつりに感染しない人たちもいるんじゃないか」という意見が出ました。ぷかぷかのメンバーさん達のことです。「むっつり」は様々な不満、欲望から生まれます。慎ましく自分の人生を楽しんでいる彼らには、そういう気持ちがほとんどありません。彼らこそ、この「むっつり」に覆われた世界からみんなを救い出すんじゃないか、というわけです。  ワークショップの中で、いらいらした気分でどうしようもなくなったときや落ち込んだとき、ぷかぷかに行くとなぜか救われた気分になるんです、とおっしゃった方がいました。「ぷかぷかが好き!」という人がどんどん増えているのも、社会の中で生きづらさを感じている人が多いからではないのかという気がします。  「むっつり」がどんどん増えていって、「むっつり大王」がグワァ〜ンと最大限大きくなって暗転した舞台にスポットライトが当たります。そこにはぷかぷかのメンバーさん。  コヤマさんはワークショップが終わると必ずお母さんに電話します。 「もしもし、ショウヘイです、きょうは、♪ おひさまーが りんごのー はっぱをとおして ひーかる おひさまーが りんごのー はっぱのかげをつーくるー ♪ と歌いました。たのしかったです」と、電話口で歌うのです。  スポットライトの中で、こんなエピソードをやれたら、と思っています。      
  • 悩むおじさん−2  とても深いところを揺すぶられ…
     近所の悩むおじさんことオーヤさんがワークショップの感想を送ってきました。 pukapuka-pan.hatenablog.com  発表会の直前のワークショップに仕事が休めなくて参加できないかもと言っていたオーヤさん、仕事が忙しいのにワークショップがますますおもしろくなって、更に悩みが深くなったようです。 ●●●  今回、チームに分かれて「挨拶を無視される」「さいふを落とした」「こまっている」の芝居をすることや、皆でむっつり大王のお面を作り嫌なことを言うことを初めてやりました。 芝居では、それぞれのテーマについて、どのような場面を表現するかを皆で考え発表しました。「さいふを落とした」という芝居では、実際はもっと焦りそうだけど、思ったことを表現できない、もどかしさがありましたが、ヨッシーが穴を掘って財布をさがす芝居をしたときは、驚きとともに、笑えました。こんなことは思いつかないし、できないという感じです。  芝居を通し、普段の生活では、考えないことや感じないことを経験することができました。 芝居の面白さってこんなところにあるのかと思いました。  むっつり大王では、各々がイメージするむっつり顏のお面を作り、かぶって嫌なことを言いました。お面をかぶるだけで、普段言えないことを言えたことに驚きました。  むっつり大王が登場する劇は、どんなことになるか予想できませんが、面白くなりそうです。 非常に楽しみです。 ●●●  発表会直前のワークショップ、オーヤさんはどうするのかなぁ、と楽しみにしています。仕事を取るのか、ワークショップを取るのか、まじめなサラリーマン人生を送ってきたオーヤさんにとっては、人生の大きな分かれ目と言っていいほどのこれは出来事になると思います。  私の話を聞いて、なんだかおもしろそうって思ってワークショップに参加したのですが、まさか自分の人生とこういう形で向き合うことになるとは思ってもみなかったのではないかと思います。でもね、こういうことがあるから、ワークショップはおもしろいんですよ。それだけワークショップでやっていることは、人間にとって、とても深いところを揺さぶるのだと思います。  ちょっとだけですが、新しい人生が始まるのか、それとも今まで通りの人生なのか。どちらが正しいというものでもありません。大事なことは思いっきり悩むこと。悩んで悩んで悩みきって欲しいなと思います。
  • なんだか面白い、特別なお兄さんお姉さんたち
    ぽんちゃんから再び娘さんがワークショップに参加する理由についてメールがありました。   ●●● 昨日ははっきりとは書かなかったのですが 娘に「障がい」や「障がい者」という言葉を使ったこともないし 教えたことがありません。   カフェベーカリーぷかぷかで働く人たち=ぷかぷかさん   私は娘にメンバーさんたちのことをそう伝えているし、 娘もそのまま認識しているはずです。   「障がい」という言葉や概念を知らない娘にとって メンバーさんたちは、他の大人たちとどこも違わないのだと思います。   それどころか、自分が出逢った大人たちよりも なんだか面白い、特別なお兄さんお姉さんたちだと思っているのではないでしょうか。   以前、ぷかぷか5周年イベントで辻さんの歌を聞いたことがあります。   歯磨きしながら歌う姿がおもしろくて仕方がなかったようで、 家でもよく「歌のお兄さん」の話をしていました。   そして、しばらく後のパン教室に参加した時に、試食の時間、辻さんが娘の隣にすわって来ました。 その瞬間、娘はこっそりと、すごーく、嬉しそうな顔をしたのです。   それは、例えば「有名人が偶然隣の席に座ってきた」ときのような びっくりやら嬉しいやら、恥ずかしいやら、何とも言えない感覚というか…   端から見ると、そんな感じに見えました。   娘にとってメンバーさんたちは、テレビに出ている人たちに近いような存在なのかもしれません。 よく子ども番組に出てくる、歌のお兄さんやお姉さんのような。   ああ、だから、そんな憧れで大すきな人たちとワークショップでたくさん触れ合えて 距離が近づいて、それで嬉しいのかもしれませんね。   娘がワークショップを楽しみにしている理由は、きっとひとつではないのかもしれません。   これからの娘がメンバーさんたちとどういう関係を築いていくのか、楽しみです。 また次回、娘と一緒に参加させていただきます。  
  • 娘は、もしかしたら、そんな楽しそうな大人たちを見て とても居心地よく、楽しかったのではないか。
    ぽんちゃんからワークショップの感想が届きました。子どもがどうして長い時間にわたるワークショップに参加できたんだろう、という疑問から見えてきたすばらしい感想です。   ●●● 2回目のワークショップに参加してから、ずっと不思議に思っていたことがあります。この日、6歳の娘を初めて連れて参加しました。私が「ぷかぷかに行く」というと、「一緒にいく!」と言ってついてきたのです。9時から16時まで、そんなに長い時間を室内で過ごせるわけがないだろう。私はワークショップの中に入り込んでしまうので、 娘は途中で飽きてしまうだろうから、お昼からはパパに迎えにきてもらおう。そんな気持ちで参加したのですが、お昼になっても「最後までいる!」と言う娘。全くの予想外でした。なぜ、娘はここにいたがるのだろう?そんなに内容に参加しているわけでもなかったので、不思議でなりませんでした。そもそも彼女は、注目されることがとても苦手で始めの名前の紹介などは壁にひっついて動かず、ヤダヤダと言うので、代わりに私が娘の紹介をしたりしました。私も、無理にやらせても意味がないと思ったしみなさんも「いいよ、嫌なんだね、大丈夫だよ」という雰囲気があったので娘のことはあまり気にせず、わりとほったらかしにしていました。その後少しして、チームに分かれて、怪獣になるというワークがあり私は後ろの方にいたので、娘を背中に乗せて腰をかがませ、娘に足を伸ばすように言って「しっぽ」を表現させました。それは楽しんでいたようで、後からも何度も「怪獣のしっぽになったあー」と嬉しそうに話していました。 その後、娘が参加したと言えば、歌を歌う時。私が車の運転中によく「ぴかぴかぴかぴか….」と歌うのでそれが気に入っていたのか、あみちゃんのピアノに合わせて一緒に歌っていました。途中であみちゃんから「よお!」という箇所を、動作付きで歌うようにと指示があったことも彼女をとても楽しませていました。それ以外は、他の子どもたちと部屋の中を行ったり来たり、カーテンに隠れたり、ポールに登ったり、きゃっきゃっきゃとやっていたのですが本当に最後まで「もう帰りたい」と一度も言うこともなく、楽しんでいたのです。試しに「また次も行く?」と聞くと「行くーーーー!!!」と大はりきりで答えたのです。どうしてだろう?確かにお友だちと遊んで楽しかったのかもしれないけれどこんなに長い時間室内にいるなんて、ちょっと考えられない….娘がワークショップを気に入った理由が知りたくてずっと考えていたのですが、なかなかピンとこなくて、考え込んでしまいました。3回目のワークショップの日を、娘は心待ちにしていました。最初の名前の紹介は、いつも通り、嫌がって部屋の外まで出て行ってしまいました。ちゃんとドアの影からみんなのことを見ていたようですが...この日は、午前中、他の子どもの参加者がいませんでしたので、もしかしたらすぐに飽きてしまうのかな?と少し心配になりましたが、全くそんなことはなく、ひとりでポールに登ったり、みんなと一緒に歌ったり、部屋の隅っこで見ていたり…お昼からは他の子たちも来たので、一緒に駆け回ったりしていましたが、なんとなく、彼女がワークショップに来たがるのは、お友だちと遊べるからという理由だけではない、気がしていました。それ以外の理由が何かあるんじゃないか?でもやっぱり、答えがなかなか見つかりません。このままでは高崎さんにワークショップの感想を送れない…モヤモヤそんな日々の中、今日、娘が家の中でゆみっちのマネをしたのです。「ゆみっちでーす」ゆみっちがアクションをしながら自己紹介をした時のマネでした。両手を横に広げ、一歩足を前に出しながら「ゆみっちでーす」と言うのです。やけに楽しそうに、何度もやります。私のマネもしていました。「タルトの好きなぽんちゃんです」ケラケラケラケラ笑いながらいろんな人のマネをしはじめました。「ももちゃんは何が好きだった?」なんて聞いてきたりして。「娘の周りにいる大人たちで、こんなに楽しそうにしている大人たちが一体どれほどいるのだろう?」ふとそんなことを思いました。ぷかぷかのみなさんは、私とそう歳が変わりません。見た目はお若い方ばかりですが、娘にとっては「大人の人たち」楽しそうにしているぷかぷかのみなさんを見て(みなさんにつられて)楽しそうにしている、他の大人たち。娘は、もしかしたら、そんな楽しそうな大人たちを見てとても居心地よく、楽しかったのではないか。そんな風に思ったら、ずっと抱えていた疑問がすっと腑に落ちた気がしました。ワークショップ参加者のみなさん、心から楽しそうに参加されています。私も、とても楽しい。そしてもしかしたら、そんな風に自分が楽しんでいる姿を、娘に見せる機会が今まであまりなかったのも。たいてい毎日こなさなければならない作業に追われていてせかせかと「こわい」お母さんをやっているわけですから…誰からも否定されることもなく「こうでなくちゃいけない」というプレッシャーもなくあるがままの自分で、今を楽しんでいる。そんな大人たちの姿が子どもたちの目にどう映ったのか...高崎さんがブログに書いていましたが赤ちゃんの横顔の写真を見ながら思い浮かんだキャプションが「きみがここで見たことが未来の社会を豊かにするんだよ」だった、と。まさに、それなんだ、と思いました。娘がここで目にし、触れて、感じた、ぷかぷかのメンバーさんの「ありのままの姿」は、この未来への希望だったのではないか。ワークショップ(ぷかぷか)は、大人も子どもも「ありのまま」を認められる場です。大人も子どもも、普段は「こうあらねばならない」という見えない何かからのプレッシャーを感じながら生活していますから、それがない場というのは、子どもにとっても新鮮だったのではないでしょうか。そして、ぷかぷかのメンバーさんが「ありのままの姿」でいられているのは「ありのままの姿でいいんだよ」と、認めてくれる確かな存在(高崎さん)がいるからこそ。彼らを見て、彼らと触れて、ありのままの自分を取り戻す大人たち。(高崎さんご自身もそうなのではと感じます)そんな大人たちと同じようにありのままを認められ、心地よく、その場が大すきになる子どもたち。そうした子どもたちが、一体どんな未来をつくっていくのか...改めて、今ぷかぷかのみなさんたちと出逢えたことの意味の大きさを感じています。
  • むっつり大王は自分の中に
      第二期第三回ワークショップ。第一回は谷川俊太郎の詩『生きる』を読み、みんなの『生きる』を書きました。第二回はその詩に対立するものを書きました。でも対立の力が弱いというか、みんなの『生きる』世界を蹴散らすほどの対立がなかなか見えませんでした。  そこで考えたのが『むっつり大王』。とにかく楽しいことやうれしいことが大嫌い。生まれてこの方、笑ったことが一度もないという暗い人生ひとすじの大王。  その「むっつり顔」をやってみました。「むっつりの階段」というコミュニケーションゲームです。7人くらいが横に並び、最初の人は少しだけむっつりした顔を作ります。隣の人はそのむっつりした顔をよく見て、そのむっつり顔を少しふくらませて次の人に送ります。その次の人は更にふくらませて…というふうにだんだん「むっつり」をふくらませていきます。   むっつりのお面を作りました。紙皿に自分のイメージするむっつり顔を描き、目に穴を開け、輪ゴムで耳に引っかかるようにしてお面を作りました。   自分でむっつり顔をして、その自画像を描くヨッシー   お面をつけてみます。     ピアノに合わせて動き、むっつり顔をする理由を一つあげます。   「うるさい!」とか「こっち見んなよ」とかいろんなことを言っていましたが、反省会で、「私がふだん思っていることと同じだわ」「これだけのことをふだん、みんな自分の中で押さえてるんだね」といった意見が出ました。要するに「むっつり大王」は外からやってくるのではなく、自分の中にいた、というわけです。  「みんなの生きる」を蹴散らしてしまうものとして、わかりやすい「むっつり大王」を持ってきたのですが、それは実は自分の中にいた、という発見。  「むっつり大王」を提案したとき、進行役をやっている演劇デザインギルドの代表のナルさんは 「むっつりは、悪ではなく、弱い状態を表していると思います。弱さというのは、単純じゃなくなるということです。外と、あるいは自分の内部とも葛藤を抱えて、なおかつその原因が見えていないからだと思います。」 と意見をくれました。  今回、むっつりのお面をかぶって、むっつりの理由を言ってみたら、まさにそういったことが少し見えてきた、というわけです。    私たちは日々の生活に追われる中で、谷川俊太郎の詩にある「生きる」の世界を、ともすれば忘れてしまいがちです。    大事にしなければならないことを忘れ、私たちはいったいどこに向かおうとしているのでしょう。     先日、映画「ぷかぷか」を久しぶりに見て、 「ワークショップの場には、なんて豊かな時間が流れているんだ」 と思い、 「障がいのある人たちの、できないところをできるようにしようとか、時間のかかるところを、時間がかからないようにしようとか、そんなふうなことをちっとも考えていないからこそ、この豊かな時間が生まれたのだと思います。」 と書きました。  できることはいいことだ、時間のかからないことはいいことだ、みたいなことにずっと追いまくられる日々の中で、だんだん「むっつり顔」が私たち自身の中でふくらんできているのかも知れません。そして『生きる』の詩にあるような豊かな世界を、知らず知らずのうちに自分で押しつぶしているのかも。  だとすれば、ワークショップが創り出しているものや、ぷかぷかが作り出しているものの中にこそ、この「むっつり顔」を超えるものがあるのかも知れません。    それをどうやって芝居の形にするのか、ここからが勝負です。      
  • 「むっつり大王」と向き合う
     第二期みんなでワークショップで作っている「みんなの生きる」の詩の世界を蹴散らかすような「むっつり大王」は,生まれてこの方笑ったことがなく、楽しいことやうれしいことが大嫌い。超根暗人間で、いつも不機嫌きわまるむっつりした顔をしています。そのむっつり大王の案がいくつか出てきました。   これはデフパペットシアターの大里さんの案。「ああつまらない」「ああおもしろくない」と不満たっぷりの顔ですが、どこかかわいくて憎めない感じ。   これはぷかぷかの近藤さんの案。口元がいかにもむっつり。目にも不機嫌さがあふれ出ていて,何かにつけ因縁つける、いかにも陰気な大王です。   これもぷかぷかの近藤さんの案。不機嫌さの塊のような顔。幸せそうな顔見るともう蹴飛ばしたい衝動に駆られるやっかいきわまる大王。      みんなの幸せな時間をたたきつぶしてしまう「むっつり大王」。いかにも手強い相手ですが、「生きる」「幸せ」とか「楽しさ」とか「喜び」といったものは、何もしなくてもいつでも手に入るものでもなく、時にこういうやっかいきわまる「むっつり大王」のような存在と闘う必要があるのだと思います。「平和」と同じです。何もしなくても「平和」があるのではなく、不断の努力が大事、ということは戦争に巻き込まれる危険がいっぱいの「安保法案」が通ってしまう最近の政治状況を見ればすぐにわかります。    最近「ぷかぷかに来ると癒やされる」「ホッとする」という人が増えてきたのも、社会全体がどこか息苦しくなっていることの裏返しのような気がしています。息苦しさを生み出しているのは何なんだろうか、という問いは、私たち自身がいつも考え続けねばならない問いだと思います。 「むっつり大王」は「生きる」「幸せ」をぶちこわす一つのシンボルではあるのですが、「むっつり大王」と向き合うとき、「生きる」の詩にある「かくされた悪を注意深くこばむこと」の「かくされた悪」に気がつくのではないかと思うのです。        
  • むっつり大王
     第二期の「みんなでワークショップ」は谷川俊太郎の詩「生きる」を朗読することから始まりました。そのあと、それぞれの「生きる」の詩を書き、それをまとめて、みんなの「生きる」を作ったのですが、これだけでは芝居が立ち上がってきません。で、前回、一回目で書いた詩に対立するものとして「嫌なこと」とか「悲しいこと」で詩を書いたのですが、みんなが共有できる対立軸がなかなか見えてこなくて、どうしたもんか、と進行役をやっている演劇デザインギルドのせっちゃんと打ち合わせしました。      このクジラが対立軸を作るのに使えないかとも思ったのですが、1時間くらい話してもなかなかいいアイデアが出てきません。いや、いろいろアイデアは出てくるのですが、みんなを引っぱっていくだけの力のある物語がありません。う〜、困ったな、と思いながら、もう一度今回の詩の出発点に戻ります。  生きているということ、今、生きているということ、それは旅行に行くこと、映画に行くこと、ダンスをすること…、と、楽しいこと、うれしいことがずらっと並びました。それと対立するもの、みんなの思いをつぶしてしまうもの、それは何なんだろう、とあらためて考えました。  楽しいことが嫌い、うれしいことも嫌い、旅行も映画もダンスも大嫌い…そういう人はいつもむっつり顔、そうだ、「むっつり大王」っていうのはどう?って,カフェでお茶飲みながら、突然せっちゃんに聞いたのでした。  とにかく楽しいことやうれしいことが大嫌いで、生まれてこのかた一度も笑ったことがなくて、いつも「むっつり顔」。「木漏れ日がまぶしい」なんてうれしそうに言おうものなら、うるさい!そんなことはうれしくも何ともない!うれしそうな顔したこいつを逮捕しろ!なんてめちゃくちゃなことを言う「むっつり大王」なのです。  去年の『森は生きている』に,冬のさなかにマツユキソウが欲しい、などといいだしたわがままな王様が登場しましたが、「むっつり大王」はそれよりももっとたちが悪いというか、世界中から楽しいこと、うれしいことを奪い取ってしまいます。そして楽しいことがないので、みんな「むっつり顔」になってしまいます。  これに合わせて、ワークショップの中で、「むっつりの階段」というコミュニケーションゲームをやろうかなと思っています。横一列に7,8人並びます。いちばん端の人がちょっとむっつりした顔をします。その隣の人はその顔をしっかり見て、それよりももう少しむっつりした顔をします。その隣の人はその顔を見て、更にむっつりした顔をします。というふうに「むっつり顔」がだんだんエスカレートしていきます。最後はもう不機嫌が爆発しそうな「むっつり顔」になるというわけです。  その「むっつり顔」を今度は一人ひとり画用紙に描きます。どの顔がいちばん不機嫌かを争う「むっつり顔コンテスト」をやります。一等賞を取った顔をモデルに「むっつり大王」の巨大な人形を作ります。これは人形劇団「デフパペットシアターひとみ」の人たちに協力してもらいながら、高さ3mくらいの大きな人形を作ろうかなと思っています。不機嫌のオーラを辺り一面にばらまく「むっつり大王」の誕生です。  世の中から楽しいこと、うれしいことがことごとくなくなり、みんなむっつり顔になります。そのときにそれぞれが描いた「むっつり顔」の絵をお面にして顔につけます。  さて、「みんなの生きる」の詩にある楽しい世界が「むっつり大王」によって全部つぶされてしまった今、私たちはどうすれば元の楽しい世界に戻れるのか、どうすればむっつり顔から笑顔に戻れるのか、それが今回のワークショップのテーマになります。  「むっつり大王」をやっつけてしまえば、元の世界に戻れるのですが、暴力的に倒すようなことはしたくないなぁ、と思っています。もっとエレガントな方法というか、そもそもどうして「むっつり大王」などという勝手きわまる大王が現れたのか、谷川俊太郎の詩「生きる」の世界を阻害するような要因が、やはり今の社会にはあるのではないか、といったこと。そこを少し丁寧に見ていくような解決方法が探れないものかと考えています。  最近「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」という人が増えているのも、結局のところ、社会がだんだん息苦しくなっていることが背景としてあるのではないかと思います。だからぷかぷかに来るとホッとしたり、癒やされたり、といったことがあるのではないか、というわけです。だとすれば彼らの存在そのものが、この息苦しい社会を救うことになります。  わんどにいる二頭のクジラさんにも登場してもらおうかと思っています。クジラが「むっつり大王」に体当たりしてみんなを救う、といった単純な話ではなく、青い空を大きなクジラがゆったり飛ぶと何かが起こるような、そんな物語です。   よく晴れた朝、こうやって大きなクジラがゆったりと空を飛ぶ日、街にはきっと何かが起こる気がするのです。むっつり大王の弱みにつながる何か、それをみんなで捜そう、というわけです。    と、「むっつり大王」を思いついてから一気にここまで書きましたが、ワークショップは多分思い通りには生きません。思い通りに行かないからこそおもしろいし、思ってもみない新しいものが出てきます。ただその過程は、とてもしんどいものになります。そのしんどさがみんなを磨きます。  とりあえず、この構想を元にせっちゃんにシラバス(ワークショップの進行プログラム)を作ってもらいます。                                                                                                                              
  • 悩むおじさん
     近所のおじさんことオーヤさんから第2回ワークショップの感想が届きました。普通のおじさんは体を動かすことなんてふだんやらないので、なかなか大変だったようですが、少しずつからだが動き始めたようでした。 ●●  先回、ミラーゲームで体を自由に動かすことに、はずかしさや抵抗がありましたが、今回は先回より自由に動かすことができて楽しかったです。 動くことができたのは、みなさんが自由に動かしているところを見て、こんな動きでもいいのかと思い、もう少し思いのままに動いていいのかと思えたからです。皆さんに感謝です。 ●●  こんな感じで体が動くようになったのです。こんなふうに体が動くことで、オーヤさんは、自分の体について、日々思っていることについて、人生について、新鮮ないろんな発見があったようです。  たまたま2月の発表会の直前が仕事でどうしても来られないといいだし、どうしようか悩んでいるようでしたので、悩むくらいなら仕事休んできた方がいい、とはっきり言いました。仕事仕事で、自分の人生なんかどこかへ置き忘れているような会社生活を送ってこられたのだろうと思います。今回ワークショップに参加することで、思いがけず自分の人生について振り返る機会にもなり、ワークショップがだんだん楽しくなってきました。発表会の舞台に立つこともとても楽しみにしているのですが、直前のワークショップに仕事で参加できないかも、と悩んでいます。  多分今までだと、考えるまでもなく仕事仕事でやってきたのだろうと思います。でも今回ワークショップに参加して、そのあたりが少し揺らいだ、というか、自分の人生こそが大事、みたいなことが少し見えてきたようで、だからこそ仕事をどうするか、すごく悩んでいるようでした。  人間は悩むことで成長します。オーヤさん、大いに悩んで下さい。きっと新しい人生が開けますよ。  
  • これこそがhanaちゃんの言葉じゃないかって
     みんなでワークショップ第二期では、みんなに詩を書いてもらい、それを合わせて「みんなの生きる」という物語を起こそうと思っています。前回、hanaちゃんの思いも入れたいと思い、お母さんにお願いしました。できあがった詩がこれ。「まだ眠いのに無理矢理起こされて学校へ行かされること」「どうせわからないと思われて話しかけてくれないこと」 な〜るほど、なんて思っていたのですが、 これはお母さんの思いに過ぎなくて、hanaちゃん自身は別になんとも思ってないんじゃないかってお母さんがブログに書いています。  すごくおもしろくて、深〜い考察です。 ameblo.jp  hanaちゃんといっしょに生きてると、人生についての思いがこうやって深くなるんだなぁって思いました。hanaちゃんてなんにも言わないんだけど、周りの人たちに深い言葉をいっぱい語らせるんですね。これこそがhanaちゃんの言葉じゃないかって思いました。
  • 人と人が知り合ったり、分かり合ったりするのは 言葉や時間じゃないんだなぁ
     10月17日(土)第2期第2回ワークショップ。前半、「ヤドカリ」というゲームで盛り上がったあと、体で何かを表現することをやりました。石になったり、楽器になったり、恐竜になったり。恐竜が一頭だと何も起こらないけれど、そこへもう一頭登場すると、そこに物語が生まれることを体感したりしました。  「つまさききらきら」と「岩手軽便鉄道の一月」を歌いました。二曲ともとても気持ちのいい、元気の出る歌です。安見ちゃんのピアノで歌うと本当に気持ちよく歌えます。(いつか機会見つけて安見ちゃんの宮澤賢治作品朗読コンサートをやりたいななんて考えています。) A.A.ミルン 詩/小田島雄志&若子 訳 作曲 林 光 www.youtube.com  二人ペアで一人が人間、もう一人が鏡になる「ミラーゲーム」をやりました。相手の動きの通りに動いているうちに、お互いの気持ちが通じてきます。  そのミラーゲームでぷかぷかのメンバーさんと出会った方が感想を寄せてくれました。 ●●●  今日のワークショップも楽しかったです。 やはり、小山さんとペアでやったミラーリング(でしたか?)が忘れられません。 たまたまお隣にいらいしたので、じゃあよろしく!という感じで勝手に ペアにしてしまいましたが、説明を聞いている段階では、私が小山さんの正面に まわりこんでも自然に違う方を向いてしまい、「あら~私とやりたくなかったかな、、」 と少しショックを受けていました(笑) はじまってからは、私が人間の時は上手にミラー役をやってくれていましたが、小山さんが人間の時は、はじめはあまり動きがなく、表情も少し困った感じでした。 途中で役を入れ替わっていいという段階になったら、だんだん波長があってきて、最後の方は同時に全く同じように腕をあげた瞬間があって、すごく嬉しかった。 そしてみんなの前での発表。 最後の順になっちゃったから、大丈夫かな~と内心思っていたのですが、スタートしたら小山さんの動きが凄くバリエーションに富んでいたので、やっている私が一番びっくり するやら嬉しいやら。指を立てたり、表情を変えたり、やってて楽しいし、小山さんって すごく穏やかで優しいんだろうなーって感じたり。 最後の最後は音楽に合わせて、手のひらを合わせて降ろして終了。 心がとっても満たされた感じでした。 ほぼ会話をしていないのに、そして初対面に近いのに、2人で濃密な時間を過ごしたような、そんな不思議な感覚でもありました。 今、気になるのは、で、小山さんはどう感じたのかなーーー?ってことです。 これって恋に近い?! (余談ですが、これって婚活とかでやったら面白いかもしれませんね) これから目で追ってしまいそうです。 人と人が知り合ったり、分かり合ったりするのは 言葉や時間じゃないんだなぁということに、改めて気づいた時間でした。 そして、音楽の力ってスゴイ!!!ということ。 あみちゃんのピアノがなかったら、きっとこうはなっていない。 ミラーリングをやっている人たち、あみちゃんのピアノ、あの場にいたみんな。 いろんなことが全部つながっているんだな。そうすると凄いチカラが生まれるんだな。  そういったことを表現することが演劇なのかな、となんとなく思った1日でした。 ヤドカリも恐竜も歌も詩も全部楽しかったです。  (ノリピー) 小山さんとノリピー 遅れて参加したサクラちゃんは、さっそくテラちゃんのところへ行き、くつろいでいました。 今日はマツイさんとも気があったようでした。  第1回目では「生きる」を感じる「楽しいこと」「うれしいこと」などの詩を書きましたが、今日は「腹の立ったこと」「悲しかったこと」などの詩を書きました。  前回の詩を整理しながら今回の詩を加え、発表。 サクラちゃんはお母さんといっしょに詩の発表を聞いていました。 「どうせわからないと思われて、話しかけてくれないこと」はサクラちゃんのお母さんの言葉。「こう見えてね、ほんとうは全部わかってるんだよこの人は」と思って話しかけると、サクラちゃんとの距離がグンと縮まって、すごくかわいくなります。これ、実感です。 「今、生きているということ」をそのまま表現している子どもたち。 「楽しいこと」「うれしいこと」に対して「腹が立つこと」「悲しいこと」など、対立するものを持ってくると、二頭の恐竜が登場したときのように、何か物語が生まれます。  各グループに、対立する部分を軸に何をいちばん伝えたいか、といったテーマで発表してもらったのですが、腹の立つ度合いが小さいのか、物語が生まれるまでには至らない感じでした。  くっきりと表現できるような、ほんとうに怒っていること、ほんとうに悲しいことをみんなで捜そう、といった提案もしたのですが、こういう話になるとぷかぷかのメンバーさんはついて来れません。  養護学校の教員をやっていた最後の年の芝居は、今回のワークショップと同じ「みんなの生きる」というタイトル。それぞれの「生きる」を二〜三行で書いてもらい、「みんなの生きる」という長い長い詩を書きました。生徒だけで対立する物語を創ることはむつかしかったので、私の方で「恋愛を禁止する」という勝手きわまる王様を登場させ(みんなの書いた詩には恋愛へのあこがれが多かった)、「さあ、どうする?」というところから物語を創っていきました。  たまたまこの4月、ぷかぷか5周年で作った段ボール製の大きな「空飛ぶクジラ」がアート屋わんどを飛び回っているので、あれを「みんなの楽しい思い出をみんな食ってしまうクジラ」とかいう設定で登場させれば、ぷかぷかのメンバーさんも加わって物語を作れるかな、なんて考えています。   こんな感じで怪しい空飛ぶクジラを登場させよう、というわけです。さぁ、どうなりますか、なんだか楽しくなりそうですね。
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