ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 「あなたがいて幸せ」というメッセ−ジ
     ダウン症のある人を知るイベント開催をきっかけに発足した「多様性」をコンセプトに活動するヨコハマプロジェクトという団体があります。そこが『ダウン症のあるヨコハマのくらし』という冊子の製作資金調達のためにクラウドファンディングをやっていたので協力したところ、先日、その本が送ってきました。  写真が素晴らしい冊子です。写真見ているだけで心がキュンとなります。こんな人たちは街の宝だと私は思っています。そんな風に思う人が増えてくれたら、社会は障がいのある人にとってもない人にとっても、もっと居心地のいいものになると思います。  そんな風にするにはどうしたらいいのでしょう。やはり彼らの周りにいる人たちが、彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ、というメッセージを発信し続けることと、彼らとの出会いの場、彼らとの関係が持続する仕組みを作ることだと思います。  『ダウン症のあるヨコハマのくらし』は、 ダウン症の赤ちゃんが生まれ、子どものこれから先の生活に不安を覚えている人にとっては、子どもの先々が具体例を通してイメージでき、ある程度は役に立つ本だとは思います。  ある程度、とあえて書いたのは、子どもたちと親御さんが、いずれどこかで向き合うことになる「社会的な生きにくさ」の問題や、社会が持っている「ネガティブな障害者観」の問題に全く触れていないからです。そしてここの問題こそ、ひとりで解決するにはとても困難な問題だからです。(ま、そういうことを目的とした本でないことはわかりますが…。でも、ヨコハマプロジェクトのホームページには「私たちは、障がいのある人もない人も、互いを認め合い、ともに力を発揮できる社会づくりをめざし」なんて書いているわけですから、なんか物足りないのです。)  障害者は社会に合わせなければ生きていけない、といわれ、社会に合わせる訓練を強いられます。おしゃべりをやめさせなさい、うろうろするのをやめさせなさい、等々。これらは間違ってはいないのですが、障害特性から、それをやめさせることは本人にとってものすごく負担になることも多いです。これが社会的生きにくさの一つです。  すでに何度も書いていますが、ぷかぷかで働いているツジさんはおしゃべりが止まりません。養護学校でも、卒業後働いていた福祉事業所でもおしゃべりをやめさせることを求められ、親子でものすごく苦労してきました。でも、いくら訓練してもツジさんのおしゃべりは止まりませんでした。おしゃべりはツジさんの障害特性であり、ツジさんという人間の表現そのものです。それをやめさせることは、ツジさんという人間を否定することです。  ぷかぷかのパン屋の店頭でツジさんは毎日しゃべりまくっています。初めてお店に来た人は大抵びっくりします。でも、おしゃべりしながらも、ツジさんはしっかりお客さんを見ていて、トレーに載せたパンをレジに持っていくと、レジよりも速く計算し 「1,230円です」 とか言ったりするので、びっくりします。だんだん慣れてくると、おしゃべりの内容も、すごく魅力あることに気がつき、ツジさんにはたくさんのファンができました。ツジさんのおしゃべりはぷかぷかの売り上げにものすごく貢献しているのです。  パン屋でツジさんのおしゃべりが聞こえないと、なんだか火が消えたようです。おしゃべりは、ツジさんという人がいることの表現であり、ツジさんの「私はここにいる」という大切なメッセージなのです。  お母さんはそんな働きぶりを見て、今までやってきたのは「見当違いの努力」だった、といってました。見学に来たダウン症の子どもたちの親の会の人たち10人くらいにその話をしたところ、何人かのお母さんが泣き出してしまいました。多分毎日「見当違いの努力」をしていて、疲れ切っていたのだろうと思います。  いくら努力しても、変わらないものは変わりません。それよりもちょっと発想を変えれば、親子共々生きることが楽になるのです。ツジさんのお母さんは「見当違いの努力」に気がついたときの「開放感」は未だに忘れられないといいます。  社会が障がいのある人たちに求めていることが、ほんとうにその人にとっていいことなのかどうか、やっぱり当事者目線でちゃんと検証していかないとだめだと思います。   子どもたちも親御さんも、どこかでこういった問題に必ず突き当たります。そのとき、どうすればいい、というアドバイスはとても大事です。  もう一つ。親御さんによっては、子どもの障害をなかなか受け入れられない人もいます。出生前診断で陽性になった人の90%以上の方が産まない選択をしています。それくらい障がいのある人たちのネガティブなイメージが社会を覆い尽くしているのだと思います。そんな社会にどんなメッセージを送り届けていけばいいのか。関係者はこの問題にきちんと向き合わないとだめな気がします。  昨年3月にあったTBSラジオの報道ドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』は相模原障害者殺傷事件を軸に据えたすごく聞き応えのある番組だったのですが、一点、ものすごく違和感を覚えたところがありました。   最後の方で番組を作った神戸金史さんの書かれた詩が紹介されたのですが、その中にこんなことばがあります。  「誰もが健常で生きることはできない。誰かが、障害を持って生きていかなければならない。……今、自分が障害を背負っていないのは、誰かがそれを背負ってくれたからだ」という「物語」。    息子よ。    君は、弟の代わりに、    同級生の代わりに、    私の代わりに、    障害を持って生まれてきた。  現実にこんなことはあり得ないのですが、でも、その「物語」にすがりつかないと子どもの障害を受け入れられなかったのだと思います。  5月の連休に無料でオープンになった『ぼくは海が見たくなりました』という映画にも、似たような『物語』を語る場面がありました。 「障がいのある人たちの生まれてくる確率を仮に1%とした場合、その1%の人たちが障害を引き受けてくれたおかげで99%の人は普通に生きていくことができる。だから99%の人は障害を引き受けてくれた1%の人を邪魔者扱いしないで、感謝して欲しいんだよなぁ」という台詞。  子どもの障害を受け入れられなくて苦しんでいる親御さんにはちょっと気持ちが楽になるような『物語』だと思います。あの台詞に号泣しました、という親御さんがいました。  この身代わりになってくれたという物語は、結構世の中に浸透しています。何が問題なのかを考えます。  『物語』は、身代わりになってくれたことへの感謝です。障害を受け入れられない、言い換えれば障害を否定しながら(これは障がいのある相手の否定です)、身代わりになってくれたことに感謝、というのは、なんかやっぱり変だと思うのです。目の前の相手はどうなるんだ、という話です。目の前の相手を見ないで、物語の方を見ているというか…。  そうじゃなくてやっぱり「生まれてきてくれてありがとう」と相手に向かってちゃんといえる関係を作りたいと思っています。あなたという存在に感謝したい、そんな関係です。そんな関係を作るにはどうしたらいいか、ということ。  ぷかぷかについていえば、ぷかぷかさんたちのおかげで、ほっこりあたたかな、楽しいお店が運営できています。「ぷかぷかしんぶん」を見れば、彼らがしんぶんの楽しさを作り出していることはすぐにわかります。彼らには感謝しかないです。「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」「生まれてきてくれてありがとう」といえる関係がここにあります。                      身代わりになってくれたことに感謝ではなくて、やっぱり障がいのある人に向かって「生まれてきてくれてありがとう」と、あなたという存在に感謝するような関係こそ大事だと思うのです。そういう関係が構築できるかどうかが私たちに問われていると思います。  やまゆり園事件の公判の時、障害者は不幸しか生まないと主張する被告に対し、犠牲になった娘さんのお母さんが 「私は娘がいて幸せでした」 と証言しました。気の重い裁判でしたが、この言葉には救われました。事件で暗くなった社会のなかで、希望の光をともした気がしました。  重度障害の娘さんに 「あなたがいて幸せでした」 っていえるお母さん、素敵だと思いました。  『ダウン症のあるヨコハマのくらし』の表紙の写真が素晴らしいと思います。  彼らにそそぐ家族の優しいまなざしを感じます。冊子のなかの写真もみんなそうです。「ダウン症の子どもがいて幸せ」という思いを感じます。こういう思いこそ、メッセージとして発信して欲しかったと思います。
  • コロナが過ぎたら、またこの輝きを取り戻したい
    『PukaPukaな時間Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』を見ていると、こんな何気ない日常が、今、とても愛おしい。 笑顔の価値が何倍にもなる。  その価値を見落としていた気がする。   こんな文字の一つ一つが愛おしい。 この寝顔も  ぷかぷかさんがいること、彼らが笑顔でいること、字を書いていること、寝ていること、その一つ一つに素晴らしい価値があったことに、今、あらためて気がつく。  こんな舞台もいっしょに作った。『あなたが必要』『あなたにいて欲しい』と素直に思える舞台。  大学生とワークショップ 地域の人たちとワークショップ 演奏会 ぷかぷかさんといるとこんな楽しいものが毎日のように生まれます。 ぷかぷか ドキドキ そわそわ わくわく   彼らと過ごす日々が、こんなにも輝いていたこと。そのことをコロナは教えてくれました。  コロナが過ぎたら、またこの輝きを取り戻したい。そう思うこの頃です。 ★『PukaPukaな時間』はぷかぷかオンラインショップで。元気が出ますよ。 shop.pukapuka.or.jp
  • けんいち君が入ってからは三振なし、敵味方なし、チームなしになったの
    『街角のパフォーマンス』の続き。30年前、養護学校の素敵な子どもたちに出会い、こんな人たちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいない、と学校の外へ連れ出しました。一番おもしろかったのは、武蔵野にある広大な「原っぱ」に出かけたとき。子どもたちが野球をやっていて、知らないうちにけんいち君がその仲間に入っていました。けんいち君は私が担任していた重度障害といわれている子どもです。いっしょに遊んだみさえの報告。あんまり素晴らしいので、全文記載します。  「私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつ来たのかわかんないけど、けんいち君が入っていて、バットを持ってかまえているので、お兄さんのあきら君や大久保君にゆっくり軽い球を投げてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。  けんいち君は、最初のうちは球が来ると、じーっと球を見て、打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。  でもだんだんタイミングが合うようになり、ピッチャーゴロや、しまいにはホームランまで打つのでびっくりしちゃった。  それから、打ってもホームから動かないで、バットをもったまま、まだ打とうとかまえている。走らないの。  お兄さんのあきら君や大久保君や私たちで手を引いていっしょに一塁に走っても、三塁に行ってしまったりして、なかなか一塁に行かないんだもん。どうも一塁には行きたくないらしいんです。  でも、誰かと何回もいっしょに走るうちに、一塁まではなんとか行くようにはなったんだけど、それ以上は2,3塁打を打っても、一塁から先は走らないで、ホームに帰ってしまって、バットをかまえるのです。  「かして」っていってバットを返してもらおうとしたけど、返してくれないの。誰かがとろうとしてもかしてくれないんです。でも、どういうわけか不思議なことに、私が「かして」というと、かしてくれるのでうれしかったです。   だから、けんいち君が打ったら、バット持って行っちゃうから、私がけんいち君を追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。終わったらまたけんいち君という風に繰り返しました。  けんいち君はすごく楽しそうに見えたよ。最初はうれしいのか楽しいのかわからない顔だったけど、ホームランを打ち始めてから、いつもニコニコしていた。  一緒に野球をしたのは7人。敵、味方なし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバット振れる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、敵味方なし、チームなしになったの。一年生のちびっ子たちには都合がよかったみたい。負けてたからね。」  初めてけんいち君と出会いながら、いっしょに野球やろうと、子どもたちがいろいろ工夫したところがいいなぁ、と思います。こうやって工夫することで、子どもたちは成長します。  2020年3月18日重度障害児の地元小学校の就学希望を認めないという判決が出ました。 重度障害児の地元小通学認めず 地裁判決「裁量権の範囲」 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞  受け入れる側の子どもたちの成長の機会が大人の都合で奪われました。素晴らしい機会だったのに、もったいないです。大人たちの想像力のなさを思います。  原っぱで養護学校の子どもたちとのおつきあいが楽しくなり、子どもたちの一人はその後支援学校の教員になったという話を聞きました。すごくいい体験だったんだなと思います。 
  • 関係を作り出すのは言葉ではないのです
    「7日間ブックカバーチャレンジ」で『街角のパフォーマンス』のこと書いたのですが、なんか書き足りない感じがしたので、もう少し書きます。  目次を見て欲しい。  養護学校の生徒、子どもたちといっしょに何かやることが楽しくてしょうがない、という感じが目次を見ただけでビリビリ伝わってきます。そういう気持ちでやっていたから、小難しい話抜きに、彼らといっしょに楽しいことをやる地域の仲間がいっぱいでき、今もって超えられないほどの素敵な関係がたくさんできました。   「あおぞら市」は生活クラブのお店の駐車場で、月一回開かれていた市。そこに養護学校の生徒、子どもたちと一緒に手打ちうどんのお店を出しました。手打ちうどんがおいしいことはもちろんあったのですが、養護学校の生徒、子どもたちがいることで、その場がとにかく楽しくなりました。何よりもみんながいつもより自由になれました。彼らがいると、どうしてそうなるんだろうね、という話をよくしたことを覚えています。  「彼らといっしょにやると楽しいね」「彼らは社会にいた方がいいね」「いっしょに生きていった方がいいね」ということがたくさんの人たちと自然に共有できた「あおぞら市」でした。  あおぞら市で養護学校の生徒、地域の子ども、大人たちが一緒になって即興で人形劇をやったことがあります。人形作りからお話作り、そして発表まで、その場でやってしまいました。こんなことができる関係が、今、地域にあるでしょうか?  演劇ワークショップのなかで養護学校の生徒が「森は生きている」を歌ったことがありました。歌がしんしんとしみて、地域の人たちもワークショップの進行役で来ていた黒テントのメンバーたちも、涙を流していました。  演劇ワークショップではこういった思いも寄らない素敵な出会いがたくさんあって、いつの間にか、養護学校の生徒、子どもたちに向かって  「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」 と自然に思える関係ができていました。「共に生きる社会」だの「共生社会」だのといった言葉すらなかった時代です。   そんな風に思える関係が、30年後の今、まわりにあるのかどうか考えてみて欲しい。  「共に生きる社会」だの「共生社会」だのといった言葉は溢れていますが、「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」と自然に思える関係がいったいどれだけあるでしょうか?  それを思えば、30年前の演劇ワークショップやあおぞら市がいかにすごい関係を生み出す試みであったかがわかります。  関係を作り出すのは言葉ではないのです。  ★『街角のパフォーマンス』は絶版ですが、オンデマンドで製作し、現在ぷかぷかのオンラインショップで販売中です。オンデマンドで作ったので、若干高めですが、値段の価値はあります。 shop.pukapuka.or.jp
  • 「好き!」という関係は、社会を変えます。
    神奈川新聞、やまゆり園事件考で成田記者が「分ける社会」について、とてもいい記事を書いています。5月6日「共生への道しるべ(下) 出会いからはじめよう」  ●●●  「分ける社会」を変えていくために何が求められているのか。それは共に生きている子どもたちが教えてくれているように、障害者を「理解」や「支援」の対象として見るのではなく、対等な「仲間」として付き合い、「私とあなた」という二人称の関係性を紡いでいくことだ。 ●●●  私は障がいのある人たちに惚れ込み、 「いっしょに生きていかなきゃソン!」 と思い、ぷかぷかを立ち上げました。「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」「その方がトク!」というメッセージを毎日のように発信しました。メッセージに共感してくれた人が 「あっ、行ってみようかな」 って、ぷかぷかに買い物に来たり、遊びに来ました。街の人とぷかぷかさんとのたくさんの出会いが生まれました。出会うことで、いっしょに生きていった方がいいことを実感します。  「分ける社会」が「いっしょに生きる社会」に少しずつ変わってきています。  そんな風に変わる大事なポイントは「あっ、行ってみようかな」って思えるような魅力あるメッセージの発信だと思います。「支援」という上から目線、相手をマイナス評価するところから始まる関係では、障がいのある人たちの魅力なんて伝えられません。彼らの魅力が伝えられなければ、いっしょに生きていこうと思えるような関係は生まれません。  「分ける社会」が変わるかどうかは、彼らに近いところにいる人たちが、彼らの魅力をどこまで伝えられるかにかかっているように思います。そのためには、彼らをマイナス評価するのではなく、彼らの魅力に私たち自身が気がつくことです。そしてそこにプラスの価値を見つけることです。     この字を「下手くそな字」と見るか、「魅力ある字」と見るか     ●●●  事件後、誰にもある「内なる優生思想」という差別意識と向き合う必要性が語られた。だが、自らの内面にいくら向き合ったところで、差別が生まれる状況が変わるわけではない。「分ける社会」を変えていくには、当事者と出会うことからしか始まらないように思う。 ●●●  事件の後「内なる優生思想」という言葉がいっときはやりましたが、社会は何も変わりません。やはり記事にあるように「当事者と出会うことからしか始まらない」のです。  ぷかぷかは、街の人たちに、 「こんな素敵な人たちとは出会わなきゃソンですよ」 みたいな思いで街の中にお店をつくりました。結果、街の人たちと彼らのいい出会いがたくさん生まれました。出会いは 「ぷかぷかさんが好き!」 というファンをたくさんつくりました。  「何かやってあげる」関係ではなく、どこまでもフラットにおつきあいできる関係がここにはあります。  「好き!」という関係は、社会を変えます。  「分ける社会」が、ここでは確実に変わりつつあります。  写真右側の人はぷかぷかさんに惚れ込み、ワークショップに参加するために栃木から新幹線に乗って来ました。「好き!」は社会を変えるのです。 ●●●   そうした出会いを重ねて「分ける社会」をじわじわと揺り動かし、誰もが地域で学び、暮らすことができる社会に変えていこう。重度障害者が当たり前に、私やあなたのそばにいる街に変えていこう。その先には、多様な存在が響き合う豊かで面白い世界が待っている予感がしている。  ●●●  「重度障害者が当たり前に、私やあなたのそばにいる街に変えていこう。」と記事にありますが、まさにそれをぷかぷかはやります。 www.pukapuka.or.jp  私は時々行って畑仕事や田んぼの仕事をいっしょにやる予定です。どろんこになる田植えはとても楽しみです。  それと週一回給食をみんなで作るので、「テキトー給食」をやろうって提案しています。ほんま、大丈夫かいな、と思っている人が多いのですが、ま、今に見てろって感じで楽しい給食作りをいっしょにやろうと思っています。乞うご期待です。 「共生への道しるべ(下) 出会いからはじめよう」 https://www.kanaloco.jp/article/entry-347624.html
  • 地域の人たちが、彼らとおつきあいしてみようかなって思うような
     神奈川新聞「共生への道しるべ」(5月5日)はやまゆり園事件をめぐって地域社会の問題を考えるとてもいい記事でした。 https://www.kanaloco.jp/article/entry-347062.html  ああ、いい記事だった、で終わったのではやまゆり園事件を生み出した社会は何も変わりません。やっぱり私達はそれでどうするのかを考えないと、と思うのです。  「『(障害者が)うるさいから、あそこの家に早く行ってくれ』と警察に通報する住民もいた。嫌がらせの電話を受けることもあった」  と記事にありましたが、悲しいですね。こういう地域社会をどうやったら変えられるのか、ということです。  ぷかぷかも創設当初、店頭でお客さんに呼びかけていた 「おいしいパン入りませんか?」 という声がうるさい!と苦情の電話が入ったり、同じところを行ったり来たりする人がいると 「メシがまずくなるからやめてくれ」 といわれたり、ま、とにかく散々でした。  それでもぷかぷかさんがいることで生まれる柔らかな空気に気がつく人がだんだん増えて、いろんな苦情は少しずつなくなっていきました。  ぷかぷか三軒長屋ができる時、 「障害者施設がアメーバのように広がっていくのは不気味だ」 などという人もいました。ぷかぷかが始まって3年経ってもそんな風にしか見えない人がいることにがっかりしました。  一方で上映会をやった時の感想に 「ぷかぷかがあることで霧ヶ丘の街の価値を上げている」 と書いてくれた人もいて(ぷかぷか9年目)、ぷかぷかの周りの地域は少しずついい方向に変わってきています。  「障がいのある人たちとは一緒に生きていったほうがいい」「そのほうがトク!」 とひたすら言い続け、そのことを肌で感じられる関係を地道に作ってきたおかげだと思います。  私たちが動けば、地域社会が変わるのです。地域社会が変われば、障がいのある人たちだけでなく、私達みんなが気持ちよく暮らせます。  だから、関係者の発信、様々な活動がすごく大事です。そこがやはり今まで足りなかったのではないかと、新聞の記事見ながら改めて思います。  地域の人たちが、彼らとおつきあいしてみようかなって思うようなメッセージの発信、イベントの企画です。それを私達自身が楽しみながらやること。楽しくないと続きません。  こういったことと、彼らとお互い 「いい1日だったね」 って言える日々を積み重ねること。それがやまゆり園事件を超える社会を作っていくのだと思います。  神奈川新聞があれだけ頑張って記事を書いてくれたのだから、地域を作っている私たちも動かないと、と思うのです。
  • 映画『ぼくはうみがみたくなりました』を、ぼくは上映したくなりました。
     映画『ぼくはうみがみたくなりました』を見ました。(ゴールデンウィーク中、YouTubeで無料公開しています)  自閉症の青年の振る舞いをあたたかい目線で語る心温まる映画でした。たまたま自閉症の青年淳一君を車に乗せ、いっしょに短い旅をすることになったドライバーの明日美さんの変わっていく様子がすごくよかったですね。自閉症の人とおつきあいすることの意味が、とてもよく伝わってきます。  自閉症の人とお付き合いすると、なんか楽しいよ、というメッセージ。「共に生きる」とかじゃない、普段着のメッセージ。だから、心にしっくり響きます。こういうメッセ−ジこそが、社会をあたたかいものに変えていきます。  一点だけ思うところがありました。自閉症の青年淳一君と明日美さん、昔淳一君を保育園で預かった元園長先生、その奥さんが宿に泊まり、食事の際、淳一君がほかのお客さんの子どものミニカーを取り上げて見つめる場面がありました。なんの問題もなくすぐに返したのですが、子どものお父さんは 「どうしてこんな人がここに泊まっているんだ。こんな人は病院に入れておけばいい。その方が幸せだ」 などといいます。こういう人は社会にいっぱいいますね。  その場では返す言葉もなく、引き下がるのですが、その夜、園長先生が明日美さんに話しかけます。  「障がいのある人たちの生まれてくる確率を仮に1%とした場合、その1%の人たちが障害を引き受けてくれたおかげで99%の人は普通に生きていくことができる。だから99%の人は障害を引き受けてくれた1%の人を邪魔者扱いしないで、感謝して欲しいんだよなぁ」という台詞がありました。  障がいのある人たちが存在する理由を説明するいわばファンタジーです。子どもの障害をどうしても受け入れられない親御さんにとっては、気持ちが楽になるお話です。映画の感想に、あの場面で涙が出ました、と感想を書いていた障害のある子どものお父さんがいましたが、子どもの障害をうまく受け止められなくて苦労していたのだと思います。  気持ちが楽になる方がいれば、それはそれでいいのですが、「こんな人は病院に入れておけばいい」といった言葉に象徴されるような、障がいのある人たちを社会から排除してしまう考えが蔓延しているこの社会の問題は、気持ちが楽になるだけでは解決しません。  何よりも障害当事者のありのままを受け入れるのではなく、ファンタジーの方を受け入れるのであれば、当事者との関係で豊かなものが生まれる、といったことがなくなります。これはすごくもったいないことだと思います。いや何よりも当事者に対して失礼です。  社会の問題について考えます。障がいのある人たちを社会から排除してしまうと、社会が受け入れる人の幅が狭くなります。お互いが息苦しい、窮屈な社会になっていきます。  障がいのある人たちは生産性が低いと社会から排除されがちですが、生産性だけで人を評価する社会は、なんだか疲れます。何よりも人間の大事なものを見失います。生産性以上に大事なものを人間はいっぱい持っているからです。  『ぼくはうみがみたくなりました』はそのことをとてもうまく伝えてくれます。   淳一君のような人がいるからこそ、社会がゆるっとし、ほっとできる空間ができます。映画があたたかいのは、それを映像としてうまく表現しているからだと思います。  もちろん淳一君と初めて出会った人はちょっとびっくりしたり、戸惑ったりすることもあります。船が揺れた弾みに、大事にしていたミニカーを海に落としてしまい、淳一君はパニックになります。大声で叫び、頭を手すりにガンガンぶっつけます。周りの人たちはびっくりします。園長先生が飛び出してきて、淳一君をなだめます。「大丈夫、大丈夫」って。びっくりしたまわりの人たちにも「大丈夫、ちょっとパニック起こしただけです」って。  まわりの人たちのびっくりやら戸惑いやらの経験は、人間の幅を豊かに広げてくれます。ああ、こういう人もいるんだ、でも大丈夫なんだ、と。そういった経験が積み重なって、社会は少しずつ丸くなっていきます。とげとげした社会が丸くなるのです。明日美さんの変わり様は、それをうまく象徴していると思いました。  そして映画全体に感じられるあたたかさこそが、障がいのある人といっしょに生きていくことで生まれる豊かさです。ありのままの淳一君を受け入れることで生まれる豊かさです。  そういうものがストレートに伝わってくる映画『ぼくはうみがみたくなりました』を、ぼくは自主上映したくなりました。コロナウィルス収まったらぜひやりたいと思っています。  ★『ぼくはうみがみたくなりました』はゴールデンウィーク中無料で公開しています。 bokuumi.com                                 
  • 今後の街のデザインの視線を豊かにするはず
     ぷかぷかのお店はぷかぷかさんたちが働いていることで、ほかのお店にはない価値を生み出しています。楽しい、心温まる雰囲気、ほっと一息つける、等々です。  障がいのある人が働くことが、ただそれだけで、そこに新しい価値を生み出すということ、それはぷかぷかをやっていくなかで気がついたことでした。彼らが働いていることはお店だけでなく、街の価値をも上げているということを街の住民の方から教えてもらいました。  昨年8月のぷかぷか上映会の時の感想です。  《 4年前に霧ヶ丘に引っ越してきました。毎朝、ぷかぷかのパンを食べています。娘は保育園でもぷかぷかのパンを食べています。この街にぷかぷかのパン屋があることが、この街の価値を何倍にも上げています。映画を見て、それをますます感じました。霧ヶ丘の街が、ぷかぷかが、ますます好きになりました。》  「霧が丘の街がますます好きになりました」とありますが、なんともうれしい感想です。ぷかぷかさんたちの活動が、そんな風に思う人を作り出しているって、なんかすごいなと思います。  昨年見学に来られた大阪大学で都市のデザインを研究している先生は、街の中に福祉事業所があることで緩やかな流れが生まれる、とおっしゃっていましたが、霧が丘に引っ越されてきた方は、その緩やかな流れを日々の暮らしのなかで感じたのだと思います。その緩やかな流れこそ、ぷかぷかがあることで生まれた街の価値です。  穏やかな流れは居心地の良さを生みます。街にとってはとても大事な要素です。  障がいのある人たちといっしょに生きていく、というのは、こういうものを生み出すのだとあらためて思います。  街の価値を上げているというのは、街の所有者であるUR都市機構にとってもうれしい話だと思います。街の設計当初にはなかった価値です。ぷかぷかさんたちが活動することで生まれた街の新しい価値です。  ぷかぷかは UR都市機構の団地の商店街に4軒もお店を借りていて、月々50万円ほどの家賃を払っています。これが貧乏なぷかぷかにとっては大変な負担で、経営を圧迫するほどになっています。これだけ街の価値を上げているので少し家賃をまけてくれないかと、昨日URまで行って話をしてきました。  思いのほか話をよく聞いてくれました。参考資料として『ぷかぷかな物語』『pukapukaな時間Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』も持って行きました。  「障害者施設ということで割引を検討してみます」 という話が出たので、そうではなくて、ぷかぷかの活動が街の価値を上げている、ということをもっと評価し、検討して欲しいことをしつこく言ってきました。  URはあちこちで街のデザインをしています。そうであるなら、今回の霧が丘の街の価値について検討することは、今後の街のデザインの視線を豊かにするはずです。大阪大学の都市デザインの先生が言っていたように、街に福祉施設があると流れが緩やかになる、といった視線。ぷかぷかとの今回の話し合いで出てきた「障がいのある人たちの活動が街の価値を上げている」といった評価は、URの人たちにとっては今まで考えもしなかったことだろうと思います。だからこそ検討する価値があると思います。  ぷかぷかが霧が丘にあることで「霧が丘の街がますます好きになりました」という人が現れたということは、とても大きな意味を持っています。そのことを街をデザインする視点で考えて欲しいと思うのです。みんなが暮らしやすい街、居心地のいい街を作る上で何が大事なのかが見えてくるはずです。  私の話を聞くだけでなく、ぷかぷかさんたちが働いている様子をぜひ見に来て欲しいのですが、コロナウィルスのこともあってそれが難しいのがなんとも歯がゆいです。  資料としておいてきた『ぷかぷかな物語』『pukapukaな時間Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』にぜひ頑張って欲しいなと思いながら帰ってきました。   この人がこうやって働いていることが街を豊かにする。
  • ぷかぷかのヒミツ
    「さぽーと」という雑誌から原稿依頼がありました。  「ヒヤリハットからニコリほっとへ」という特集です。 ●●●  ●●●  「プラス面をみんなで共有しよう」「笑顔と幸福感を追求する」というのがいいですね。  「厳しさや困難さなどが強調されがちな現場にあって、視点を変えればこれだけ人間味の溢れる豊かな世界があり、家族地域すべての人々と社会に大きな幸せを生むと言うことについて述べていただきます。」と原稿依頼がありました。  「社会に大きな幸せを生む」という言葉が気に入って、原稿引き受けました。   これはまさにぷかぷかがやってきたことです。「ここがアカン、あそこがアカン」とマイナス評価の多い障がいのある人たちが、どうして社会に大きな幸せを生み出したりしたのか。そこにぷかぷかのヒミツがあります。そのヒミツについて書いていこうと思います。(ヒミツといえば『Secret of Pukapuka」』という有名な(?)映画がありますが、そのヒミツを映像で語っています。見てみたい方はホームページからお問い合わせください。) www.pukapuka.or.jp  ヒミツの①  それはぷかぷかで働いている障がいのある人たちと「支援」という上から目線の関係ではなく、「いっしょに生きていく」というフラットな関係を作ってきたからです。  「いっしょに生きていく」ことの発端は、40年ほど前、ぷかぷか代表のタカサキが養護学校の教員になった時、障がいのある子どもたちに惚れ込んでしまったことです。おしゃべりができない、字が書けない、服が自分で着られない、トイレの後始末ができない…とできないことだらけの大変な子どもたちでした。でも、彼らのそばにいると、妙に心が安らいだり、あたたかいもので満たされたり、何よりも彼らと過ごす毎日が飛び上がるくらい楽しくて、彼らにすっかり惚れ込んでしまったのです。  今まで全く知らなかった世界を重度障害の子どもたちに教えてもらい、人生が変わりましたね。それからです、彼らのそばにずっといっしょにいたい、いっしょに生きていきたい、と思うようになったのは。  そんな思いが高じて、教員を定年退職するときに、彼らといっしょに生きていく場として作ったのが「ぷかぷか」。「支援」とか「指導」をする場ではなくて、どこまでも「彼らといっしょに生きていく」場、「いっしょに働く場」です。  「いっしょにいい一日を作ろう」というのをみんなの目標にして、一日の終わりに「いい一日だったね」って、お互い言えるような、そんな日々をみんなでいっしょに作り出してきました。  だからぷかぷかには笑顔が多いです。笑顔が多いと、お客さんも笑顔になります。ぷかぷかは誰にとっても笑顔になれる場所になっています。幸せな気持ちになれる場所、それがあることは、社会にとってすごく大事なことです。  ヒミツの②  お店を始めるに当たって接客の講習会をやりました。でも、そのときにすすめられた接客マニュアルは気色悪かったので、それはやめて、ぷかぷかさんたちに任せました。結果、なんと「ぷかぷかさんが好き!」というファンができました。これは全く想定外のことでした。彼らが彼ららしく振る舞うことは、結果的にほっとするような雰囲気を作り出したのです。それだけ社会が息苦しくて、窮屈なんだと思います。みんな不自由なんだと思います。自分を押し殺しているのだと思います。だから自由に振る舞うぷかぷかさんたちを見て、ほっとする。忘れていた大事なことを思い出す。だからファンになってしまった。  接客マニュアル通りきちんとやっている福祉事業所のお店に行った方が、 「ぷかぷかに来るとなんだかほっとする」 といってましたが、本質を言い当てています。  要は何を大事にするか、ということ。社会を窮屈にしているものに敏感になること。それを拒むこと。ぷかぷかは「気色悪い」ことはやめたのです。  ぷかぷかは誰にとってもほっとするような居心地のいい場所になっています。社会に幸せをもたらしています。  ヒミツの③  ぷかぷかはおいしいパン、お惣菜、お弁当を作っています。どこまでも「おいしい」ということにこだわっています。  福祉の業界は、障がいのある人が作ったものだから買ってあげる、そういう人が作ったのだから買ってもらって当然、というお互いのもたれ合いが多い業界です。ぷかぷかはそういうもたれ合いではなく、「おいしいから買う」という関係にこだわってきました。  おいしいからパンもお弁当もよく売れます。売れるからみんなのテンションが上がります。おいしいものを作ろう、という創意工夫が生まれます。仕事の励みになります。職場が活気づき、たくさんの笑顔が生まれます。笑顔を見て、さらにお客さんが増えます。好循環が生まれます。  地域においしいお店があることは、それだけでうれしいものです。社会に幸せをもたらしています。  ヒミツの④  ぷかぷかはぷかぷかさんたちが作り出すアートをたくさん社会に差し出しています。ぷかぷかさんたちのアートは社会に潤いをもたらします。  こんな「ありがとうカード」をもらったら心がキュンとします。 こんな「ぷかぷかしんぶん」がポストに入っているとうれしくなります。 こんな絵に出会うと、心がほっこりします。 こんなお弁当が届いたら本当にうれしい 卒園式でこんなクッキーもらえたら子どもたちは大喜び SDGsのニューヨークの大会にぷかぷかさんの絵が登場。言葉を超えてあたたかいものを届けました。 ぷかぷかのアートは社会に大きな幸せをもたらしています。 ヒミツの⑤  ぷかぷかさんたちと地域の人たちで演劇ワークショップをやっています。6ヶ月かけて芝居を作り、大きなホールの舞台で芝居の発表会をやります。  彼らといっしょに生きるとこんなにも豊かなものが創り出せる、ということが一目でわかる舞台です。。   ぷかぷかは社会を豊かにし、大きな幸せをもたらしています。 ヒミツのまとめ   ぷかぷかのヒミツをまとめた本があります。『ぷかぷかな物語』という本です。ラブがてんこ盛りの本です。このてんこ盛りのラブこそが社会に大きな幸せをもたらしたと思っています。ぜひ読んでみてください。 www.pukapuka.or.jp
  • 次郎は神様にもらったんでしょ
     少し前ですが、「ハートネットTV」で「次郎という仕事」を見て、その中で「なんかもったいないんだけど、次郎を街の人に貸してあげるよ、ぐらいな感じですかね」というお母さんのいい方がすごく印象に残りました。次郎との生活は幸せいっぱい、「その幸せを街の人にもわけてあげようと思って…」というお母さんの発想が素晴らしいと思いました。  そんなお母さんが次郎さんのことをnoteで語っています。 note.com  お姉さん、お兄さんとの関係がいいですね。お姉さん、お兄さん、お母さん、三人とも、次郎さんがいることで幸せな人生を送っていることがすごく伝わってきます。  お兄さんの「次郎は神様にもらったんでしょ」という言葉はズンときました。障害者は社会に迷惑をかけているとか、社会の重荷、と多くの人たちが思っているこの社会の中で、お兄さんのこの言葉は、大きな希望を感じる言葉でした。こんな言葉をぽろっと口にするお兄さんこそが、お互いもっと気持ちよく生きられる社会に変えていくのだと思います。  障がいのある人がいることで、一緒に暮らしている人たちが幸せになる。あんまり幸せだから、街の人たちにもわけてあげようかな、って思ったお母さんの気持ちが見えた気がしました。   「ボクには、大きな仕事があるらしい。それは、ボクがボクらしく生きていること!」  次郎さんらしいやり方で街で買い物をして、街の人たちは戸惑いながらも、次郎さんとのやりとりを楽しみにしているようです。お母さんにわけてもらったつかの間の幸せです。次郎さんはそうやって毎日街を耕しています。それが「次郎という仕事」。次郎さんにしかできない仕事。そこに次郎さんが社会にいる理由、社会にとって次郎さんが必要な理由があります。  昨日たまたまテレビで「イントレランスの時代」というドキュメンタリーを見ました。相模原殺傷事件をはじめ、不寛容な時代を象徴するものを取り上げ、ああ、今、大変な時代に生きているんだ、とちょっと気が滅入ってしまいました。  ヘイトスピーチを繰り返すデモのそばで、カウンターの人たちが叫びます。カウンターの人たちの姿にはほっとするものを感じましたが、カウンターを出すだけでは不寛容な時代はなかなか変わりません。どうしたらこの不寛容な時代は変わるのか、私たち一人一人が本気になって考えないと、社会の不寛容さは増すばかりです。  そんな時代だからこそ、「次郎の仕事」が街の中で光ります。ぷかぷかさんたちの仕事も街の中で光っています。障害者は社会に迷惑をかけている、社会の重荷、と考えている人たちが、街の中で彼らに出会えば、自分の思い違いに気がつきます。不寛容な心を、少し柔らかくします。ほっこりあたたかいもので満たしてくれます。笑顔にしてくれます。  「イントレランスの時代」の中で、番組を作った神戸金史さんの息子さんカネヤンが、作業所の仕事の工賃をコツコツ貯めてiPhoneを買いに行く場面がありました。1円単位で計算したお金を持っていき、テーブルの上に1万円札、1000円札、500円玉、100円玉、5円玉、1円玉を並べます。なぜかこの場面で涙がこぼれてしまいました。真面目に働いて、真面目にお金を貯め、ほしくてたまらなかったiPhoneを手に入れます。机の上に並べられたお金はカネヤンの努力そのものでした。  こんな風に現金をきちんとそろえてお店に来る人は、そんなにいないと思います。ショップの店員さんはちょっとびっくりしたのではないかと思います。障がいのある人がこんなふうに真面目に働いて、欲しかったiPhoneを買いに来る。働くことの原点がここにあります。こういう人の存在こそが、不寛容な時代の人の心をやわらかく耕していくのだと思いました。店員さんの笑顔が素敵です。  みんながカネヤンみたいに目標に向かってコツコツ働いて、自分の人生が満たされていれば、誰かを排除するなんてことはしないのだと思います。カネヤンの生きる姿勢に、つい涙がこぼれてしまったのです。  不寛容な時代にあって、彼らの仕事はひとつの希望だと思います。彼らこそが、この不寛容な時代を救ってくれるような気がしています。  彼らが社会の中で彼ららしく生きること、それがこの不寛容な時代を少しずつ変えていく、とても大事な、そして大きな仕事になっていると思います。
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