ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 彼らに「いてくれて、ありがとう!」って、心の底から言えるような舞台を作ります。
     1月21日(日)午後2時からみどりアートパークのホールで第4回《表現の市場》が開かれます。 より鮮明なチラシはこちら pukapuka-pan.xsrv.jp  その中で第4期「みんなでワークショップ」で作った芝居『注文の多い料理店・ぷかぷか版』を発表します。昨年8月から月一回土曜日にぷかぷかさんと地域の人たちが集まって作ってきた芝居です。  障がいのある人たちがいっしょだからこそできる楽しい芝居です。彼らとはいっしょに生きていった方がいい!と、端的にわかる舞台です。  相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」「障害者は生きている意味がない」などといいました。そしてそれに、なんとなく、「そうだよなぁ」と同調する社会がありました。  「みんなでワークショップ」は障がいのある人たちに「あなたにいて欲しい」「あなたが必要」と自然に思えるような関係を作ります。「障害者はいない方がいい」なんてとんでもないです。いないと困るのです。  彼らといっしょにやるワークショップはほんとうに楽しいです。彼らはワークショップのたびに幸せな一日を私たちにプレゼントしてくれるのです。「障害者は不幸しか生まない」なんてとんでもないです。彼らは幸せな一日を作ってくれるのです。  「みんなでワークショップ」の場は、障がいのある人たちに支えられています。彼らがいなければ、とても淋しいワークショップになります。「障害者は生きている意味がない」なんてとんでもないです。彼らがいてこその「みんなでワークショップ」なのです。  彼らに「いてくれて、ありがとう!」って、心の底から言えるような舞台を作ります。
  • 私の人生の宝物
     またまた花岡さんのブログです。 ameblo.jp 《 こんな風に重度の障害がある子を育てていることを心から楽しめるように   なったのが、私の人生の宝物です。 》    私の人生の宝物…いい言葉ですね。障がいのある人たちは、こうやって、おつきあい一つで、人を幸せにするのだと思います。  ぷかぷかがファンを作っているのも、人を、ほんの少し幸せにしているのだと思います。そういえば年末にFacebookにアップされた記事に中にこんなのがありました。    ぷかぷかのパン、お惣菜を食べると 「幸せを食べているようなんです」と言われました。 ぷかぷかさんたちと会うと 「自然と笑顔になるんです」と言われました。    私自身、養護学校で彼らと出会ってからの人生は、本当に宝物だなと思っています。その宝物が《ぷかぷか》という形になっているのだと思います。      相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者が不幸しか生まない」といっていましたが、それは障害者に責任があるのではなく、犯人が障がいのある人とそういう関係しか作ってこなかったのだろうと思います。そしてそれは犯人だけの問題ではなく、彼が働いていた施設での障がいのある人との関係がそういうものであった、ということだと思います。そのことについて、施設側の検証はいまだに見えないままです。      障がいのある人とのおつきあいを「私の人生の宝物」という人と、「不幸しか生まない」という人。  結局はどういう人生を選ぶか、ということになるのですが、社会に対する責任、というものまで視野に入れたときは、やはり「私の人生の宝物」といえるようなおつきあいを作っていきたいと思うのです。それが「ぷかぷか」の目指すところです。  
  • みんなを取り除かれてたまるかってーの!
     港北で『ぷかぷか』を見て語る会のFacebookに 《 実はとても重い課題に、「楽しくいきましょう!」と、メッセージをくださる高崎明さんに、ぜひ、皆さん会いに来てくださいね! 》  とありました。  相模原障害者殺傷事件は本当に重い気分になってしまう事件です。でも、重い気分で語っていると、いつまでたっても重い気分で、なかなか展望が見えてきません。社会も変わりません。どうしたらいいのか、というところでのひとつの提案です。  犯人は「障害者はいない方がいい」といい、それに共感する社会があります。ならば「障害者はいた方がいい」と思えるような関係を障害者と作ればいいと思うのです。このことはすでにあちこちに書いていますが、大事なことなので、あえてまた書きます。  「ぷかぷか」は「障がいのある人とはいっしょに生きていった方がいい」ということをずっと言い続け、そう思える関係を具体的に作ってきました。お店では「ぷかぷかさんが好き!」というファンを作りました。彼らのこと、好きになって下さい、といったわけではありません。私たちが彼らのこと好きで、その好きな気持ちで彼らといっしょに働いていると、そういう雰囲気のお店ができます。ああ、みんな楽しそうに働いているんだ、ってお客さんは思います。楽しそうに働いている姿は見ていて気持ちのいいものです。だんだんファンができてきました。  区役所にはいろんな事業所が外販に来ていますが、ぷかぷかの外販のお店には下の写真のようにお客さんの行列ができます。   どうしてこんな行列ができるのか、区役所の人とお話ししたことがあります。 「やっぱりみんなが楽しそうに働いているからじゃないかなぁ」 と区役所の方はおっしゃっていましたが、いっしょに生きていった方がいいと思える関係を毎日作ってきたからこそ、こんな行列ができるのです。  犯人のいう「障害者はいない方がいい」という言葉、そしてそれに共感する社会とは逆の、もうひとつの社会がここにはあります。これが「相模原障害者殺傷事件を超える社会を作る」ということです。  アーダコーダの理屈っぽい話ではなく、こういう事実をちょっとずつ作っていく、それが大事だと思います。こういう事実が積み重なって、社会は変わっていきます。    ぷかぷかのファンの一人が、今日、こんな書き込みをしていました。 《 そもそも。溝に詰まった落ち葉じゃないんだから、排除だなんてシツレイしちゃう。みんなを取り除かれてたまるかってーの! 》  この人はお惣菜で売っている「イカけんちん」が大好きで、何度も買い物に来ているうちにぷかぷかさんの大ファンになった人です。  ファンの言葉は「差別反対」とか「共生社会を目指そう」とか「インクルーシブ社会を」といった言葉よりもはるかにリアリティがあり、何よりも社会を本気で変えるチカラがあります。  「みんなを取り除かれてたまるかってーの!」  なんて力強い言葉だろうと思います。こういう言葉を口にする人が増えると、社会は本当に変わります。    
  • 1月7日も楽しく行きたいと思っています
     今朝の朝日新聞に1月7日(日)港北上映会のことが載っていました。     たくさんの人が見に来てくれるといいなと思っています。   ぷかぷかがおもしろいのは、いつも言うことですが、ぷかぷかさんたちとフェアな関係、フラットな関係にあるからだと思います。先日発行した『pukapukaな時間』は、そのフェアな関係、フラットな関係から生まれた新しい文化であり、新しい価値だと思います。この本、当日も販売しますので、ぜひお買い求め下さい。 pukapuka-pan.hatenablog.com    1月21日(日)にみどりアートパークホールで開く「表現の市場」も、このフェアな関係故にできる舞台です。 pukapuka-pan.hatenablog.com    1月7日の上映会のあとのトークセッションでは、この相模原障害者殺傷事件にもふれたいと思っています。あの事件の犯人はかつて福祉事業所で働いていました。「障害者は不幸しか生まない」という考えは、その福祉事業所で働いていたときに身につけた考え方だとNHKのクローズアップ現代は伝えていました。 pukapuka-pan.hatenablog.com    本来なら津久井やまゆり園を運営している社会福祉法人かながわ共同会が、どうして日々障がいのある人たちと接していた犯人が「障害者は不幸しか生まない」などと考えるようになったのか、という問題にきっちりと向き合うべきだと思うのですが、かながわ共同会のホームページには一言も事件について触れていません。社会福祉法人かながわ共同会は犯人の元雇用主ですよ。雇用主としての責任はないのでしょうか。こんな無責任なことをして恥ずかしくないのでしょうか?  「支援」をしている福祉の現場でどうしてこんな事件が起こってしまったのか、犯人の特異性、ということだけで問題を終わらせていいのかどうか、今一度みんなで考えてみたいと思います。    と書くと、なんとなく重い雰囲気になってしまうのですが、ぷかぷかは12月20日のブログで書いたように、楽しいことをやって相模原障害者殺傷事件を超えようと思っています。ですから1月7日も楽しく行きたいと思っています。どうやったら障がいのある人たちと楽しいと思える関係が築けるのか、そんなことが楽しく語り合えたら、と思っています。
  • とてもエレガントにかわしていると思います
     今朝の朝日新聞、お正月のせいか「希望」という字があちこちに見られました。いいですね、未来に向かって「希望」が持てるって。久しぶりに新聞の隅々まで見ました。特に耕論「希望はどこに」はとてもいい記事でした。 digital.asahi.com     ぷかぷかさんたちは、相模原障害者殺傷事件に象徴される障がいのある人たちが排除される社会の中で、なおも「希望」の持てる未来を作ってくれます。  先日紹介した下記のブログは、花岡さんの生き方に障がいのある人といっしょに生きる「希望」を見たからだろうと思います。 pukapuka-pan.hatenablog.com  hanaちゃんは重度の障がい児です。hanaちゃんを抱えた生活はすごく大変だろうと、普通は考えてしまいます。でも千恵さんはhanaちゃんとの生活をものすごく楽しんでいます。千恵さんも昔はバリバリの療育ママで、hanaちゃんを普通の子どもに近づけようと一生懸命だったと言います。でもいくらがんばってもhanaちゃんはなかなか変わりません。とても苦しい日々だったと言います。  でも、あるとき、たとえば一人でごはん食べられるようになった方がいいと考えているのは千恵さん自身で、hanaちゃんはそんなことちっとも思ってないんじゃないか、ということに気がつきます。それをきっかけに今までやってきた療育を一切やめてしまいます。以来hanaちゃんとの生活がすごく楽になり、楽しくなったと言います。  hanaちゃんが千恵さんの生き方を変えたのです。そして、そんな千恵さんの生き方に「希望」を見いだした人がいたというわけです。「生まれてくる子にもし障がいがあっても千恵さんがいるから安心」と。    相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」「障害者は生きている価値がない」「障害者は不幸しか生まない」と言い、そういった考えを支える社会がありました。そんな社会をどうやって変えていくのか、事件直後は本当に気が遠くなりそうでした。  それでもぷかぷかさんたちと毎日楽しいおつきあいをしていると、そうか、こういうおつきあいを広げていけばいいんだということが見えてきて、毎日そういうことをこつこつと積み重ねてきました。  そんな中でスタッフがFacebookにあげていた「ぷかぷかのパンやお惣菜を食べると、幸せを食べているよう」とか「ぷかぷかさんを見ると、自然と笑顔になるんです」というお客さんの言葉は、相模原障害者殺傷事件を起こすような社会の中で、大きな大きな「希望」を見た気がしました。  「障害者はいない方がいい」「障害者は生きている価値がない」「障害者は不幸しか生まない」まで行かなくても、「障害者はなんとなくいや」「怖い」「社会のお荷物」と考えている人は多いと思います。社会の大多数と言っていいくらいに。そんな中で、障がいのある人たちの働くぷかぷかのパンやお惣菜を食べると「幸せを食べているよう」とか「自然に笑顔になるんです」という言葉は、まぶしいくらいに光っています。そんな言葉が今の社会から出てきたことが奇跡と思えるくらいです。  「希望」を作りだしているのはぷかぷかさんと私たちのフラットな関係です。ぷかぷかさんの魅力ある存在です。障がいのある人たちを社会から排除しようとする動きを、とてもエレガントにかわしていると思います。
  • 障がいのある人たちと楽しいことをやって、相模原障害者殺傷事件を超える
     表現の市場のチラシの版ができ、ただ今印刷屋で印刷中です。下記サイトでチラシの表と裏を見ることができます。ダウンロードボタンを押して下さい。 pukapuka-pan.xsrv.jp   表も裏も、味のある文字はミズキさん。ねこの絵はぷかぷかさんたちの共同作品です。裏の下の絵はショーヘーさんです。全体のデザインはわんどスタッフのコンドーです。  裏の文章は高崎が書きました。去年に続き、相模原障害者殺傷事件について書いています。  相模原障害者殺傷事件を起こすような社会は、事件以降変わったのかというと、ほとんど変わっていなくて、相変わらずあちこちでグループホームの建設反対運動が起こったりしています。グループホームの建設反対運動は、障がいのある人たちを地域社会から締め出してしまう運動です。障害者はいやだ、怖い、といった思いがあります。彼らとのおつきあいがないところでの不安が、そういった反対運動の根っこになっています。  いやだなと思っている障害者を地域から追い出せばすっきりすると思っている人が多いのですが、本当にそうでしょうか。地域社会から障がいのある人たちを締めだしてしまうことは、許容する人間の幅を狭めることです。地域社会で許容する人間の幅が狭まると、結果的にはお互いが窮屈な思いをすることになります。お互いが息苦しい地域社会になっていきます。  いろんな人がいること、それが社会の豊かさです。障がいのある人たちを締め出すことは人の多様性がなくなることです。社会はどんどん痩せこけていきます。  だから障がいのある人たちを地域社会から締め出してはだめだ、というのではありません。彼らを締め出すのは、地域社会にとってソン!だと言いたいのです。社会の損失だと言いたいのです。彼らとはいっしょに生きていった方が絶対にトク!だと思っています。社会が豊かになります。  「表現の市場」は、いろんな人がいることの豊かさを舞台で表現します。障がいのある人たちがいてこそできる豊かな世界を目に見える形で表現します。  この豊かさを障がいのある人たちといっしょに作り続けること、それが相模原障害者殺傷事件を超えることだと思っています。事件を超えるというのは、誰かを排除したりしない社会を作ることです。障がいのある人もない人も、お互いが気持ちよく生きていける豊かな社会を実現することです。  障がいのある人たちとの演劇ワークショップは、すごく楽しいです。楽しいことをやりながら、相模原障害者殺傷事件を超えるなんて、なんか一石二鳥という感じがします。障がいのある人たちと楽しいことをやって、相模原障害者殺傷事件を超えるのです。  相模原障害者殺傷事件というと、なんとなく話が重くなり、みんな敬遠してしまいます。でも、事件を超えるカギは、障がいのある人たちといい関係を作ることです。彼らとおつきあいすることが楽しいと思える関係を作ることです。  障がいのある人たちと楽しいことをやるなら、誰にでもできます。彼らといっしょに楽しいパン教室やったり、いっしょに大きな絵を描いたり、ぷかぷかのお店で楽しいお話をしたり、いっしょに楽しい芝居を作ったり、そんなことの一つ一つが、相模原障害者殺傷事件を超える豊かな社会を作っていくことにつながるのです。  表現の市場は、来年1月21日(日)午後2時〜、みどりアートパークホールです。ぜひ来て下さい。  
  • 冊子『pukapukaな時間』ができあがりました。
     冊子『pukapukaな時間』ができあがりました。    ぷかぷかが創り出したほっこりあたたかで、豊かな時間がぎっしり詰まっています。障がいのある人といっしょに生きる中で生まれた時間です。私たちだけでは絶対に作り出せなかった時間です。ここにこそ、彼らといっしょに生きる理由があります。彼らといっしょに生きることの意味がこの小さな冊子から見えてきます。  何かにつけ息苦しい今の社会にあっては、こんな時間こそ必要だと思います。こんな時間は、社会を豊かにします。    私たちの社会は、あのおぞましい相模原障害者殺傷事件を引き起こしました。「pukapukaな時間」は事件に対してどういう意味を持つのかを少し考えてみます。  事件の犯人は「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」などといいました。これは犯人の特異性から生まれた言葉なのでしょうか。「障害者はなんとなくいや」「障害者とはおつきあいしたくない」「障害者は社会のお荷物」「社会の負担」「効率が落ちる」「何考えているのかわからない」「怖い」といった言葉は社会全般を覆っています。障害者を見る目線の根っこでは、ですから犯人とつながっているのだと思います。一線を越えるかどうかの差だけです。だとすれば、あの忌まわしい事件は私たちみんなが自分の問題として引き受ける必要があります。私たちの社会が引き起こした事件として。  様々な角度から事件は語られました。でも、社会は何も変わりません。いくら立派なことを語っても、言葉だけでは社会は変わらないのです。  ではどうしたらいいのか。ぷかぷかがやってきたのは、否定的に見られている障がいのある人たちと、肯定的な関係を作ることでした。そしてその関係からたくさんの新しいものを生み出してきました。  たとえば、 ・いない方がいいと言われた障害者と、いた方がいいと思える関係を作る。 ・不幸しか生まないと言われた障害者と、幸福感を共有できる関係を作る。 ・なんとなくいやと思われている障害者のことを、好きといえる関係を作る。 ・おつきあいしたくないと思われている障害者と、おつきあいしたくなるような関係を作る。 ・お荷物と言われている障害者と、お荷物どころか、いないと困る関係を作る。 ・社会の負担と思われている障害者と、負担どころか社会を豊かにする関係を作る。 ・効率が落ちると思われている障害者と、彼らがいることでみんなが生き生きとして、場が活性化するような関係を作る。 ・何考えているかわからないのなら、お互いわかり合える関係を作る。 ・なんとなく怖いのではなく、ちゃんと相手のことがよくわかる関係を作る。    そういった関係をぷかぷかは事件のはるか前から丁寧に作ってきました。お店、パン教室、演劇ワークショップ、アートワークショップなど、様々な機会で障がいのある人たちに向かって「あなたが必要」「あなたにいて欲しい」と思える関係を作ってきました。その関係が豊かな世界を生み出しました。  『pukapukaな時間』はそれをビジュアルに表現したものです。ぷかぷかがやろうとしてきたこと、やってきたことが、この小さな冊子に詰め込まれています。  こういう豊かな時間を作り続けること。それが相模原障害者殺傷事件を超える社会を作っていくのだと思います。    「pukapukaな時間」は、その気になれば「ぷかぷか」に限らず、どこでも創り出すことができます。そういう思いを込めて、この冊子には外部の方の作品も入れました。日本のあちこちで「pukapukaな時間」がぽこぽこ生まれてくれば、社会は変わります。      『pukapukaな時間』は500円で販売しています。B5変形版32ページ。パン屋、おひさまの台所、アート屋わんど、ぷかぷかのお昼ごはんで販売しています。  お店に買いに来ることがむつかしい方は郵送します。送料180円です。複数申し込まれる方は事前にメールでお問い合わせ下さい。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp    代金は送料を加えた680円を郵便振替口座に振り込んでください。  郵便振替口座は 口座記号 00260-4  口座番号 97844         加入者名 NPO法人ぷかぷか  ゆうちょ銀行もしくは横浜銀行に振り込んでいただいても結構です。その場合はメールで住所、氏名、必要部数をお知らせ下さい。  ゆうちょ銀行 NPO法人ぷかぷか 記号:10230  番号:19645501   横浜銀行 NPO法人ぷかぷか 理事長高崎明  店番号 391  口座番号 1866298
  • 相模原障害者殺傷事件の根っこを見た気がしました
     毎日新聞で先日紹介した兵庫県立子ども病院のことが報道されました。 mainichi.jp    抗議文に名を連ねた立岩真也・立命館大大学院教授(社会学)は「この『生まれない運動』の中心は医療でもなんでもなく、障害児の選択的中絶を進めようという運動だった。当該の文章はそのことにまったく触れていない」と批判したうえで、「鈍感と無知を知らせるためにも記念誌はそのままに、説明と釈明を加えることを望む」という。    とありました。社会は何も変わっていないし、そもそも何が問題なのかもわからない、という情けない状況。  相模原障害者殺傷事件の根っこを見た気がしました。
  • 「時代の気分」を和らげるのもまた、障がいのある人たち
     今朝の神奈川新聞の「時代の正体」は福祉の視点から今の政治状況を語っています。 www.kanaloco.jp  《排外や排他の空気が社会に漂う中、強権的な政治が対外的な危機をあおり、人々の不安や憎悪を駆り立てている。障害者の存在を否定し、排斥したあの凄惨な事件は「時代の気分」から生まれたと思えてならない。》    一つまちがえると恐ろしい方向に走り出す「時代の気分」を和らげるのもまた、障がいのある人たちだと思います。  カナダでの上映会の時、テラちゃんはアメリカから来た女性の隣に座り、いつものように女性の腕をなでていました。女性は上映後、ぷかぷかのメッセージにある、 「障がいのある人たちと一緒に生きると、社会が豊かになる」 という言葉を実感させる人が隣に座っていました、なんてステキな人なんでしょう、と感想を述べてくれました。テラちゃんは隣に座って腕をなでていただけですが、女性を感動させるほどの存在ぶりだったのです。  後日、女性のFacebookには 「人生でもっとも愛する経験の一つだった」 と書いてありました。  ぷかぷかはこうやって社会を耕しています。「時代の気分」が少しでも変わるように。    一点だけ、《事件後、「障害者は不幸しか作らない」という考えへの反論として、障害者の家族からは「周囲を笑顔にしたり幸せにしたりしてくれる障害者も人の役に立っている」との声が相次いで上がった。存在を否定されたことへの反発と怒りの言葉なのだと思う。》の箇所。  《周囲を笑顔にしたり幸せにしたり…》といったことは、事件とは関係なく、ふだんからそういうことはいっぱいあります。私が養護学校の教員時代に彼らに惚れ込んだのは、彼らのそばにいるだけで幸せな気持ちになれたからです。そこにこそ彼らが社会に必要な理由があると思っています。「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」という方がたくさんいるのも、そういう幸せな気持ちを味わっているからだと思います。そうやって「社会を耕す」という大事な仕事を事件のずっと前からやっているのです。  《存在を否定されたことへの反発と怒りの言葉》としてだけ受け止めてしまうのは、もったいない気がします。   《排外の行き着く先は何か。命をなきものにしてかまわないという戦争に近づいてしまうのではないか。人を人と思わずに障害者19人の命を奪ったやまゆり園事件は、この国が戦争への道を歩んでいる予兆に思えてならない。》  安倍首相はやまゆり園の事件後、ひとこともメッセージを発しませんでした。世界各国からお悔やみのメッセージが届いている中で、社会的弱者のことを全く考えない人だと思いました。そういう人がやたら危機をあおり、日本を引っぱっていこうとしています。怖いことだと思います。    
  • 植松青年は「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしているわけ...
     障がい者問題総合誌『そよ風に街に出よう』が終刊になり、大阪の毎日新聞に記事が載りました。     「明日に向かって語れ」と題した対談の中で、かなりの部分、相模原障害者殺傷事件について語られていました。その中にこんな発言がありました。    「…ボクも植松くんに精神障害っていうレッテルを貼って解決する問題ではないと思っています。ではどうして彼のような人間が生まれたのか。植松くんは施設に勤めている時は非常に腰が低いというか「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしているわけですよね(正式採用後、「津久井やまゆり園」家族会の機関誌「希望」に記載された彼の挨拶文)。そういう青年が3年間施設にいて、最後の数ヶ月でああいう精神状況に変貌したと思いますけれども、どうしてこういうふうになっちゃうのかなと、そこをボクは一番考えたいなと思ってます。」    「前の家族会の会長もいってましたけど(就労支援施設「シャロームの家」主催の集会(2017年2月27日)での尾野剛志さんの講演)、日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた。そこに突然彼が行ったらびっくりして飛び上がるって…」   7月26日のやまゆり園事件追悼集会で出会った家族会の方も、NHKクローズアップ現代で取り上げられた植松被告の手紙にあった「障がい者が不幸の元」という考え方に確信を持ったのはやまゆり園で勤務した3年間だった、と書いていることについて  「彼は最初はそれなりの思いを持ってやまゆり園にきたのだと思います。でも、現場がひどすぎた。だからそんなふうに思ってしまったんだと思いますよ」 とおっしゃってました。それくらい現場が荒廃していた、と。前の家族会の会長と同じことを言っています。    植松被告が事件前、衆議院議長に宛てて書いた手紙に 「施設で働いている職員の生気の欠けた顔」 という言葉がありましたが、「これから勉強します」っていう謙虚な姿勢で入ってきて、「日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた」職場に本当にガッカリしたのじゃないかと思います。それが手紙にあった言葉だと思います。荒廃した職場の極めて的確な指摘です。もし間違っているのなら、そんなことはない、って、どうしてやまゆり園は反論しないのでしょう。   「植松青年も3年ちょっと、あの施設の中で、ある意味では障がい者とかかわったわけですよね。もちろん他の職員ともかかわった。その彼がああいう考え方を持つようになったということは、単に関わればいいっていうことじゃなくて、関わりの中身、関わる姿勢っているのが問題ですよね。」    「施設で障害者に関わる職員の接し方しか見えないわけですよね。…自分と同じようにその人の人生があるっていうことを一回も教えていない…」      やまゆり園では障がいのある人たちにどのように関わっていたのか、とあらためて思います。「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしている青年に、「日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた」やまゆり園が、障がいのある人たちとの関わり方について、一体どんなことを教えたのだろう、と思うのです。自分と同じように、障がいのある人たちにもその人の人生がある、といったことを職員が彼に教えたことがあるのでしょうか?いや、そもそもそういうおつきあいをやまゆり園の職員は障がいのある人たちとやっていたのでしょうか?    聞くところによると、津久井やまゆり園を運営する社会福祉法人かながわ共同会は神奈川県の職員の天下り先で有名なんだそうですね。「津久井やまゆり園」のホームページ見てください。事件への姿勢がよく見えます。  神奈川県の検証委員会も、この一番大事な、事件の核心部分ともいえる職場の雰囲気については全く検証していません。多分ここを検証すると県の責任が見えてくるからじゃないでしょうか?だから外したのだとすれば犯罪的です。今からでもきちんと検証するべきです。      津久井やまゆり園自体の問題がまた見えてきたのですが、あらためて思うのは、植松青年が「これから勉強します」って、やまゆり園ではなく、ぷかぷかに入ってきてたら、あの事件は絶対起きなかった、ということです。ここにこそ事件の核心があるように思うのです。  植松青年が、障がいのある人たちとこんな楽しいことやっていたら、彼は事件を起こしたりなんか絶対にしなかったと思います。        
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