ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • そういう格闘こそが、この時代を語る言葉、未来を創り出す言葉を生み出すのだと思います。
    今朝の朝日新聞の「政治断簡」、久々いい記事でした。  digital.asahi.com  「言葉は安易に振り回さない方が良い。わからないものはわからない、難しいことは難しいと言いながら、深く潜って、言葉をつかまえた方がいい。」  「自分自身の惨めさの中に潜って潜って、言葉をつかみ取りたい。それは、「明日のもしかしたら」を自分自身のものにするための糸口となるはずだ。」  相模原の事件は、言葉が追いつかないほどの凄まじい事件だったと思います。だからみんな黙り込み、「専門家」「有識者」の言葉を待っていたのだと思います。  でも、その「専門家」「有識者」が何を提言したのか。今朝の朝日新聞の社説に紹介されています。 digital.asahi.com  要するに提言は容疑者の措置入院の関わる話題に終始し、それを社説は「再発防止の歩み着実に」などと紹介しています。事件のことを本気で思い悩んでいないのではないかと思いました。「私」との接点を見つけきれてないのだと思います。  「専門家」「有識者」の提言、あるいはそれを紹介した社説よりも、先日も紹介した神奈川新聞の若い記者の書いた「時代の正体」の方がはるかに問題の本質に迫っていました。  今日の「政治断簡」にあった「自分自身の惨めさの中に潜って潜って、言葉をつかみ取りたい」という思いがビリビリと伝わってきたからです。そういう格闘こそが、この時代を語る言葉、未来を創り出す言葉を生み出すのだと思います。  記事の最後にある記者自身の思いをしっかり受け止めたいと思うのです。 「自らの内面に存在するおぞましい部分を自覚するのは難しい。私もまだ怖い。向き合いきれていない。しかし、事件の本質を探っていくためには、「私の中の彼」を認める勇気を持つことから始めなければならないと感じている。」 www.kanaloco.jp  そして、いつも言っていることですが、この先を私たちは創り出していきたいと思うのです。相模原事件を越える社会です。「ぷかぷか」はその手がかりを日々創りだそうとしています。それぞれが自分のやり方でその手がかりを見つける。言葉を見つける。それこそ「格闘」するくらいに気持ちで、この時代に向き合わないと、多分見つかりません。
  • よい子の作文
    先日、津久井やまゆり園の建て替えで住民説明会があった際、県の副支部長が 「建て替えは、屈しないという強いメッセージになる」と発言したことについて、 pukapuka-pan.hatenablog.com  「屈しない」の意味を、県のホームページの「私の提案」コーナーから県に問い合わせました。  その回答が来ましたので紹介します。      県としましては、利用者の方々への支援に全力を尽くすとともに、今後、二度とこうしたことが起こらないように、事故について徹底的な検証を行い、再発防止策を講じてまいります。 なお、津久井やまゆり園の再生に向けては、主に次の考え方により、大きな方向性を「建替え」としています。・ 施設のほぼ全体に、大量の血痕が付着するなどの甚大な被害が及んでおり、改修だけでは、適切な支援を継続することが困難であると判断したこと。・ 建替えを要望する家族会及びかながわ共同会の意向を反映できること。・ 再生のシンボルとなる全く新しいイメージの施設を作り、神奈川から、この理不尽な事件に屈しないという強いメッセージを発信していくべきであること。 お問い合わせいただいた住民説明会では、こうした考え方をご説明したものです。      一方で、神奈川新聞にこんな記事がありました。    津久井やまゆり園殺傷事件を受けて開かれた地域住民による集会を企画した方は 「私たちみんなの中に“内なる彼”が住んでいることに気がついた。私たちを含め、世間が、社会が、差別を先導してきたのではないか」 集会の参加者は 「人はみんな平等だというのは、正直、僕は建前だと思う。どうしても優劣がついてしまうのは生きものとして仕方がないこと。でも、建前でも貫くしかないと思う。建前であることを認めて、納得した上で、平等な社会にしていくしかないのかなと思う」   そして取材した記者は 「私たちはみな、程度の差こそあれ、容疑者的な部分を持っているのではないか。彼が生まれ育ち、思想を膨らませ、犯行に至った場所もまた、私たちが生きているのと同じ社会だ。」  と、書いていました。    一方は「私自身」が悩み、一方は自分はあくまで正義の側にいるように「屈しない」などと口走る。  「私自身」が悩んでいる人たちを前に「屈しない」などと言ったのであれば、とても恥ずかしいことだったと思います。  神奈川県の役人は事件に一体何を見たのでしょうか。  事件後にはこんなものが県のホームページに掲げられました。   ともに生きる社会かながわ憲章~この悲しみを力に、ともに生きる社会を実現します~  平成28年7月26日、障害者支援施設である県立「津久井やまゆり園」において19人が死亡し、27人が負傷するという、大変痛ましい事件が発生しました。 この事件は、障がい者に対する偏見や差別的思考から引き起こされたと伝えられ、障がい者やそのご家族のみならず、多くの方々に、言いようもない衝撃と不安を与えました。 私たちは、これまでも「ともに生きる社会かながわ」の実現をめざしてきました。 そうした中でこのような事件が発生したことは、大きな悲しみであり、強い怒りを感じています。 このような事件が二度と繰り返されないよう、私たちはこの悲しみを力に、断固とした決意をもって、ともに生きる社会の実現をめざし、ここに「ともに生きる社会かながわ憲章」を定めます。 一 私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします 一 私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します 一 私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します 一 私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます    なんだか「よい子の作文」のような感じがしました。  「断固とした決意をもって」なんて威勢良く書いてありますから、その勢いで「屈しない」なんて言葉が出てきたのでしょうか。    「私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します」 と素晴らしいことが書いてあるので、瀬谷区で住民の反対運動でグループホームの計画が潰されてしまった事件についてどう考えるのか聞いたことがあります。  こんな回答が帰ってきました。     政令指定市である横浜市におけるグループホームの建設につきましては、横浜市がグループホームの指定の権限を持っており、県は指導できる立場にはありません。    やっぱりあれは「よい子の作文」なんだと思いました。  結局のところ、県に任せていては何も解決しないということです。 「彼が生まれ育ち、思想を膨らませ、犯行に至った場所もまた、私たちが生きているのと同じ社会だ。」というところから出発し、私たち自身が悩みぬくこと、そして障がいのある人たちとコツコツといい関係を作っていくしかないんだと思います。  
  • 「ぷかぷか」は明日もがんばりません
    今朝の朝日新聞朝刊の天声人語に  《自民党の会合では議員から「女性の社会進出で社会全体が豊かになっているとは思えない」という声まで出た》 とあって、びっくりしました。呆れました。社会を見る目の貧しさ、人間を見る目の貧しさを思います。こんな国会議員がいる限り、社会は豊かになっていかないなぁ、と暗澹たる気持ちになります。    「女性」を「障がいのある人たち」と置き換えると、どうでしょう。 「障がいのある人たちの社会進出で社会全体が豊かになっているとは思えない」と思う人は、多分圧倒的多数だと思います。いや、そもそも、彼らが社会に出ていくことで社会が豊かになる、というふうに考える人自体が、あまりいないのではないかと思います。  障害者雇用促進法にも、彼らを雇用することで社会が豊かになる、ということはひとことも書いてありません。障がいのある人が一般に企業に入ることはとても難しいのですが、それを「差別はいかん」ということで無理やり雇用を法律で強制している感じがします。雇用達成率を満たさないと罰金まであります。  なんか寒々しい世界です。  「差別はいかん」よりも「彼らを雇用すると、職場が豊かになるよ」と言った方が、彼らを受け入れやすい気がします。  障がいのある人が職場に入ることで、場合によってはいろんな「問題」が生じることもあります。ペースが合わないとか、指示がうまく伝わらないとか、効率が悪いとか、いろんな「問題」が生じます。でもその一つ一つの問題に丁寧に向き合い、どうやったら解決できるのかを考えることは、人間を豊かにします。「問題は人が豊かになるいい機会」だと受け止めるかどうかだと思います。  たまたまですが、昨日統合失調症を家族に持つ方とお話しする機会がありました。一緒に暮らしていく苦労は、聞いているだけでも辛いものがありました。でもその大変さと真正面から向き合っているご両親をあらためて尊敬しました。その苦労の中にこそ人が豊かになっていくものがあるように思いました。ですからぷかぷかもその苦労を分かち合いたいと思いました。  一緒に生きていく、というのはこの「苦労を一緒に背負い込む」ことでもあると思います。そういうことがあっての豊かさです。    「ぷかぷか」は「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」と言い続けています。その方が社会が豊かになると考えるからです。そして日々の活動の中でその豊かさを実際に作り出してきました。  パン教室では豊かな時間が流れています。演劇ワークショップでは豊かな作品を舞台に上げています。  「差別はいかん」だから「障がいのある人と一緒に生きていかねばならない」ではなく、「一緒に生きていった方が豊かになるよ」「得だよ」と言った方が、気持ちが楽です。  この豊かさは、津久井やまゆり園障害者殺傷事件の容疑者のいう「障害者はいない方がいい」「生きている意味がない」という主張と真っ向から対立するものです。事件を越える社会を作る、というのは、ですから「障がいのある人たちと一緒に生きることで社会の中に豊かさを作っていく」ことに他なりません。    「障がいのある人たちの社会進出で社会全体が豊かになった」とみんなが思えるような社会を目指して、「ぷかぷか」は明日も頑張ります。いや、がんばりません。頑張る世の中にはしたくないのです。頑張ったりせずに、そんな社会を作りたいと思っています。ぷかぷかの帰りの会はいつ始まって、いつ終わったのかがはっきりしないような、全くしまりのない会です。それでいてどこかホッとするような、居心地がいい場なのです。ですから、別に頑張らなくてもそういう社会はできるんだろうと思っています。 (ぷかぷかの帰りの会、ぜひおいでください。ぷかぷかウィルスに感染しない、という保証はありませんが…)      
  • 希望は作ろうとしなければ生まれません
     『そよ風のように街に出よう』の終刊についてのNHKの報道について丁寧に書いたサイトがありました。 jnsk-tv.hatenablog.com    希望の言葉を綴った雑誌が終刊を迎えた今、その希望は私たち自身が作っていくしかないと思います。  ぷかぷかは障がいのある人たちと一緒に働きながら、たくさんの希望を作り出していきたいと思っています。希望は作ろうとしなければ生まれません。    先日書いた日記にこんなことを書いています。    ぷかぷかのパンフレットの1ページ目にはこんな絵があります。  みんなでパンをかついでいます。この絵はアート部門のスタッフが、いわば「採用試験」の際に描いた絵ですが、私はいっぺんに気に入りました。  ぷかぷかはパン屋から始まりました。現在は様々な事業をおこなっていますが、やはり中心はパンです。パン屋から始まった事業が、ただ単にパンを作って販売することに終わらず、みんなが暮らしやすい豊かな社会を作っていくことに貢献しています。  社会の豊かさを少しずつ生み出していることを日記に書いて発信していますが、ぷかぷかは事業を展開する中で、そういったものをたくさん生み出しています。  みんなでパンをかついで、そういう社会を作っていこうよ、って言っているのです。ただ単にパンが売れればいい、っていうのではなく、ぷかぷかの活動を通して、社会を少しでもよくしていきたいと思っているのです。    石垣りんさんの詩に「空をかついで」というのがあります。私の大好きな詩です。     肩は/首の付け根から/なだらかにのびて。  肩は/地平線のように/つながって。  人はみんなで/空をかついで/きのうからきょうへと。  子どもよ/おまえのその肩に/おとなたちは/きょうからあしたを移しかえる。  この重たさを/この輝きと暗やみを/あまりにちいさいその肩に。  少しずつ/少しずつ。    相模原障害者殺傷事件が起こるような社会は病んでいます。そうではない、いろんな人が、ありのままで暮らせる豊かな社会、未来に希望の持てる社会をみんなで作り、子どもたちに引き継ぎたいと思っています。みんなでパンをかついで、それを実現しようというわけです。  ホームページで、そういった物語が伝えることができれば、と思っています。      『そよ風のように街に出よう』があちこちにばら撒いた希望の種を「ぷかぷか」はしっかり受け止め、少しずつ少しずつ膨らませていきたいと思っています。   障がいのある人たちの働くパン屋にこんなに行列ができるのです。ここには希望があります。
  • よくまとまった映像二つ
    YouTubeで「11月3日おはよう日本」を検索したら出てきました。7分半くらいのところにぷかぷかの映像が出てきます。短い時間ですが、ぷかぷかでやっていることと、津久井やまゆり園の事件をつなぎ、とてもよくまとまった映像です。削除される可能性もありますので、早めに見てください。 www.youtube.com    こちらは以前日記で取り上げた『そよ風のように街に出よう』という雑誌の話です。これはNHK7時のニュースです。0号で取り上げた梅谷さんまで取材し、とてもいい映像にまとめられています。こんな素晴らしい雑誌が廃刊に追い込まれる社会的な状況の中で津久井やまゆり園の事件の事件が起こりました。そのことの意味をしっかり考えたいと思います。そして何よりも今、この社会的状況の中で私たちは何をすべきなのか、ということ。ぷかぷかは「そよ風のように街に出て」たくさんのおつきあいを街の人たちと作ってきました。難しい議論よりも、障がいのある人たちと、楽しいおつきあいを作った方がいいです。何となく嫌だなって思っている人も巻き込んでしまうような、とびきり楽しいおつきあいを、あちこちに作りましょう。 www.youtube.com
  • クリームパンを買いに来ただけなのに
    少し前の記事ですが、素晴らしい記事なので紹介させていただきます。 www.kanaloco.jp    彼と同じものが自分の中にあることを認める勇気を持つこと、とても大事なことだと思います。そこからもういっぺん世界を見渡していくことですね。  そして大事なことは、そこから先へどうやって進むか、ということです。経験的には自分の中をあまり掘りすぎると、どんどん暗い気持ちになって、先へ進めません。それよりも、見下している相手といい出会いをする、前向きの関係を作る、といったことに向かった方がいいように思います。  ぷかぷかのプロモーションビデオです。 www.youtube.com  この中に登場するオーヤさんが、初めは上から目線で見ていたけど、彼らとお付き合いしていくうちに、私たちと同じなんだということがだんだん見えてきました、とおっしゃっています。  オーヤさんは子どもと一緒に毎日ぷかぷかにクリームパンを買いに来ていました。そして毎日ぷかぷかさんたちに会っていました。毎日会って、他愛ない話をしただけです。それなのに、こうやって彼らを見る目線が変わってきました。  要するにそういうことです。自分の中にいる「彼と同じもの」と向き合うことは必要です。でも、大事なことは、そこから前に進むことです。オーヤさんはぷかぷかにクリームパンを買いに来て、それがきっかけでぷかぷかとお付き合いが始まり、アートのワークショプに何度か参加し、今は演劇ワークショップに参加しています。来年1月29日(日)ぷかぷかさんたちと一緒に、みどりアートパークのホールの舞台に立ちます。   以前はなんとなく上から目線で見ていたオーヤさんが、ぷかぷかさんたちと一緒に大きなホールの舞台に立つなんて、本当にすごい変わりようだと思います。それをぷかぷかさんたちが導いたのですから、彼らのチカラは侮れません。  そして何よりもオーヤさんの変わりようにこそ、津久井やまゆり園の事件を越える手がかりがあるように思います。
  • 反対運動をする人たちの心を開くのはなんなんだろう
    津久井やまゆり園の事件について考える集まりに行ってきました。 主催者二ツ橋大学の杉浦さん報告です。   40人を超える多士済々の方にご参加いただきました。予定を大幅に超える濃密な時間と成りました。皆さんの熱い思い、込み上げてくる気持ち、絞り出すような声を聞き、この場を開いて良かったなと思いました。一緒に考え、耳傾ける場は貴重な時間でした。報告して下さった佐藤記者、厳しい質問にも真摯に答えて下さり感謝です。涙ながらに堪えてきた思いを切々と話してくれたお母さん。逃げる事なく踏み込んだ発言をして下さった方、皆さんの思いを希望に変えた行く一歩にしたいと思います。津久井やまゆり園の事をお話する時間が少なくなってしまった事、お詫びします。共に生きていく事の喜びを映像で伝えてくれたぷかぷかの高崎さんにも感謝。夜、津久井の地域住民の方達の「考える会」の取材をされていた福祉新聞の福田さん、神奈川新聞の草山さんと合流し、お互いに今日の様子を話しました。まだ、まとまりませんが、次回は津久井の方たちと一緒に場を作れればと思います。先ずは簡単なご報告まで。    グループホームの問題についての神奈川新聞の記事は素晴らしい内容だっただけに、もっと早い時期に出ていれば、ひょっとしたら結果が変わっていたかもしれないと思いました。  あの記事は本当に嬉しかった、と涙を流しながら発言した障がいのある子どもを抱えたお母さんがいました。そういう思いをずっと抱えてきた人たちはたくさんいたんだろうと思います。グループホーム建設反対の看板を見てつらい思いをしてきた人もたくさんいたと思います。あるいはあの看板はおかしいと思っていた人もたくさんいたと思います。  あの記事がもっと早くに出ていれば、そんな人たちの背中を押したんだろうと思います。そんな人たちの横のつながりができ、それが少しずつ力になり、事態が変わるようなことになっていたかもしれません。  いろいろ配慮しなければならないことがあったとはいえ、取材をして事態を把握していながら情報を流さなかったのは、報道機関としては、やはりまずかったのではないかと思います。    神奈川新聞の素晴らしい記事はこちら www.kanaloco.jp www.kanaloco.jp   www.kanaloco.jp     反対運動をする人たちの心を開くのはなんなんだろうと思いました。9月にあった集まりで知人の発言を聞いてこんなことを日記に書いています。     30年ほど前、瀬谷にある生活クラブのお店の駐車所で「あおぞら市」というのがあり、そこに養護学校の生徒たちと地域の人たちで一緒に手打ちうどんのお店を出しました。そのときに手伝いに来ていた人が容疑者の闇の部分が私にもあります、と発言していました。 《 高崎さんに声をかけられて手伝いに行ったものの、障害のある人たちにどう接していいかわからずほんとうに困りました。「ああ、うう」とかしかいえなくて、よだれを垂らしながら歩き回っている人がいて、正直気持ち悪くて、私の方へ来なければいいなと思っていました。ところがお昼になってご飯を食べるとき、たまたまテーブルがその子とお母さんが座っているテーブルしかあいてなくて、ここでやめるのも失礼かと思い、勇気をふるってそこへ座りました。そのとき、そのよだれを垂らしている子どもが私に向かって手を伸ばしてきました。ああ、困った、と思いながらも拒否するわけにもいかず、思い切って、本当に思いきってその子の手を握りました。  すると、その子の手が柔らかくて、あたたかいんですね。もう、びっくりしました。なんだ、私と同じじゃないかと思いました。この発見は私の中にあった大きなものをひっくり返した気がしました。  その子のやわらかくて、あたたかい手にふれるまで、その子をモノとしか見てなかったのです。容疑者とおんなじだと思いました。でもその子の手が、その闇から私を救い出してくれた気がしています。》  いいお話しだと思いました。こうやって人と人が出会い、そこから新しい世界が始まっていくように思いました。  結局のところ、こうやって障がいのある人たちと出会う機会がないことが、相模原障害者殺傷事件を生むような社会を作っているように思います。    グループホームに反対した人たちも、結局のところ障がいのある人たちと出会う機会がなかったのだろうと思います。偶然でもいい、瀬谷区役所に用があってきた時に、たまたまぷかぷかのパンの外販があって、パンを買うついでに二言三言ぷかぷかさんと話をして、なんだかちょっと楽しい気持ちになったり、あたたかい気持ちになるような体験をすれば、頑固に反対していた気持ちが、ちょっと緩むかもしれません。  瀬谷区役所では毎週木曜日パンの販売をしています。どなたか美味しいパン買いに行きませんかって誘ってみてください。  
  • 何ですかね、この「屈しない」というのは
    「津久井やまゆり園」建て替えで住民説明会があったそうです。 www.kanaloco.jp  県の福祉部長が「建て替えは、屈しないという強いメッセージになる」といったそうですが、何ですかね、この「屈しない」というのは。何に対して「屈しない」のでしょう?何か勘違いしていませんか?あの事件は、何かに「屈する」ような事件だったのでしょうか?  「テロに屈しない」と、ブッシュ元大統領とか安倍首相とか、威勢のいい人たちが言ってますが、テロが減りましたか?争いがますます拡大しただけじゃないですか。テロがなぜ起こるのか、その根本的な原因の解消を目指すことなく、より大きな暴力で押さえ込もうという発想は、テロをさらに拡大させるだけです。   この言葉と同じような感覚で「屈しない」などといったのであれば、事件に対して何の解決にもならない気がします。「力」で押し返すような、そんな問題ではないはずです。      今朝の朝日新聞にはこんな記事。 www.asahi.com  問題の矮小化だと思います。あの事件は防犯上の問題で起きたのでしょうか?こんなことでまとめてしまっていいのでしょうか?  社会全体を見渡す視線が恐ろしいほど欠落しているように思います。    神奈川県に対し、元々期待なんかしていませんでしたが、今日の二つの記事は、あらためて、事件を本気で解決する気がないことがよくわかりました。  事件後に掲げられた「共に生きる社会かながわ憲章」が白々しいです。2番目に、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します、3番目には、いかなる偏見や差別も排除します、とあるので、瀬谷のグループホームの事件についてどう考えるのか聞いたところ(県のホームページで市民の意見を言うところがあります)、あれは市の管轄なので県は関与しない、という回答がきました。ま、この程度です。 一 私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします 一 私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します 一 私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します 一 私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます    神奈川県のホームページのトップに掲げてあるのですが、こんなのがあっても社会はちっともよくならないし、作った人たちも本気でそれをやろうとしていないことがよくわかりました。とりあえず掲げました、って感じでしょうか。  それよりも今日、「ぷかぷかさん」たちと、いい1日を作ること、そしてそれに共感する人を作ること、それこそが社会を少しずつよくしていくように思います。      
  • 排除される側への想像力の欠如
     グループホームの建設反対運動はこんな風にして始まるんだと思いました。   bylines.news.yahoo.co.jp    排除される側への想像力の欠如は信じがたいほどです。それは自分自身を貧しくします。排除の論理は、排除する側から人間性をも排除します。だから一線を超える可能性をいつでもはらんでいることを私たちは忘れてはならないと思います。  そしてこの投稿を読んで見えてくる、病む側、排除される側の、豊かさ。悲しい状況にあっても、ここには希望があります。  相模原障害者殺傷事件の背景は、どこにでもあることを、あらためて思いました。これを私たちはどうやって乗り越えていけばいいのでしょう。簡単な答えはありません。愚直に考えて考えて考え抜くしかないのだと思います。  そして何よりも、お互い知り合う機会を作ることだと思います。相手を知ること。そのことに尽きます。  ぷかぷかは障がいのある人と街の人の出会いの場所としてスタートしました。そのことの大切さを事件以降一層感じています。  仮に全国の福祉事業所が、そこで働く障がいのある人たちと街の人たちとの出会いの場として機能するなら、社会はそこから変わっていきます。今ある事業に、そういう機能をちょっと付け加えるのです。風通しを良くするのです。これはその気になればすぐにでもできることです。         
  • 津久井やまゆり園で起きた事件を超えていくために
    11月27日(日)午後1時半より瀬谷区の二ツ橋大学(せやまるふれあい館)で「津久井やまゆり園で起きた事件を超えていくために〜グループホーム建設反対運動を通して考えること」と題して話し合いがあります。以下のようなメッセージが発信されています。    事件が起きて2か月目の9月に「津久井やまゆり園で犠牲になられた方々への追悼の集い」を開き ました。様々な立場からのご意見、思いのひとつひとつが胸に響きました。と同時に、まだまだ語ら れていない声があるとも思いました。敢えて宣言文や声明を出しませんでした。異なる意見や声があ るとすれば、その回路を開けておきたいと思ったのです。 そのためには、この“場所“を続けて行こうと思いました。 そこで、11月にもう一度、この事件を乗り越えていくために一緒に何ができるのか?を考える場を 開きたいと思います。 但し、瀬谷で津久井やまゆり園の事件が内在する問題と向き合っていくためには、この地域で起き た“グループホーム建設反対運動”という出来事を素通りしていくわけにはいかないと思います。 この問題について、神奈川新聞に特報記事を書かれた佐藤さんからの報告を通して、実際に何が 起きていたのか?を知り、共に“私たちの未来”を思考したいと思います。 あらゆるバリアーとボーダーを越えていくために・・・。 (どなたでも参加できます。先ずは知ることから始めませんか?) 主催:二ツ橋大学(横浜市瀬谷区の障がい当事者、支援者有志による学びの場を不定期にひらい てきた小さな集まりです)会場:せやまるふれあい館 横浜市瀬谷区二ツ橋町469参加費:無料 開場13:00~お問合せ:二ツ橋大学事務局・杉浦 080-5494-3439 sugi808@infoseek.jp     グループホームの建設が住民の反対運動で断念せざるを得なかった「事件」はこちら www.kanaloco.jp www.kanaloco.jp   www.kanaloco.jp    一方で、津久井やまゆり園の献花台も年内で撤去されるようです。 www.kanaloco.jp   建替えもどんどん進みます。 headlines.yahoo.co.jp      社会のこういった動きを見ていると、やはり誰かがあの事件を語り続けないと、本当になかったことになってしまうだけでなく、また起こる可能性すらあります。  あの事件は私たち一人一人にとって何だったのか、どうすればあの事件を超えていけるのか、そのためには何をしたらいいのか、「障害者はいない方がいい」などと考える社会は、本当にみんなが生きやすい社会なのかどうか、考えなければならないことはいっぱいあります。  「障害者はいない方がいい」と言った事件の容疑者と「障害者はここに来るな」と言い続けたグループホーム反対運動は、事件の形は違っても、障がいのある人たちを見る目は一緒です。  グループホームの事件はどこにでも起こりうる事件です。障がいのある人はなんとなく嫌だな、と思う普通の人の感覚の延長にあるからです。  だから怖いのです。いつかそういったことが一線を越えるんじゃないか、と。    「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」と言い続けているぷかぷかにとって、相模原の事件も、グループホームの事件も、ぷかぷかの目指しているものとは正反対のものでした。ぷかぷかさんたちを抱きしめて泣きたいくらいの事件でした。  正反対だからこそ、今まで以上にぷかぷかさんたちと楽しい日々を作り続けたいと思うのです。  かつてぷかぷかのファンだった人たちが、今スタッフとしてぷかぷかを盛り上げてくれています。そのことが私はすごく嬉しいです。  今日はパン屋でびっくりするほどのリニューアルがありました。新しいパンを焼いてくれました。 pukapuka-pan.hatenablog.com  それは今の社会情勢にあって、大きな「希望」と言えるほどのものでした。この「希望」があるから、前を向いて進んでいけます。「明日はもっと楽しい1日をぷかぷかさんたちと作ろう」って。          
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