gottiの描いた猫の絵でストラップを作りました。ちょっと物思いにふけっているようなねこで、いい表情をしています。gottiもこんな気持ちで描いたのかなぁと思います。
このストラップ、パン屋のカウンターにおいたとたん、三つ欲しいというお客さんがいて、びっくりしました。
gottiの描いた猫の絵でストラップを作りました。ちょっと物思いにふけっているようなねこで、いい表情をしています。gottiもこんな気持ちで描いたのかなぁと思います。
このストラップ、パン屋のカウンターにおいたとたん、三つ欲しいというお客さんがいて、びっくりしました。
gottiの誕生会を企画したのは、お母さんのピアノ教室の生徒さんたちでした。古い方はもう30年もピアノを習っているということでした。20代から30代半ばの若い人たちでした。
gottiが生まれたときからかわいがってくれた人たちです。一人一人思いを込めたプレゼントをgottiに渡していました。
バースディケーキのメッセージ「あなたに出会えてとても幸せな時間を過ごすことができました。ほんとうにありがとう!」は、みんなで共有できる思いだったように思います。
gottiが自然に作ってきたひとのつながりが、今、gottiとお母さんを支えているんだなと思いました。
夏にボーナスを出しました。
「ものすごくがんばったひとには1万円、半分くらいがんばったひとには5,000円です。」
という説明をしました。
しんごっちは、当然1万円をもらえると思って、帰り道に1万円もするパーカーを予約注文して帰りました。その予約表をお母さんが見つけ、後日、お店まで買いに行きました。しんごっちはまだボーナスをもらっていなくて、お金がなかったので、やむなくお母さんが1万円を立て替えて、パーカーを買いました。
ところがしんごっちは「ものすごくがんばった」とは評価されなくて、もらったのは1万円より少ない額でした。でもしんごっちは、そんなこと気にもとめず、暑いさなかからそのお気に入りのパーカーを着ていました。
で、昨日、お母さんから来たメールに、病院の屋上庭園でおいしそうにお菓子を食べているしんごっちの写真が添えられていましたが、その時に着ていたのが、しんごっちお気に入りのパーカーでした。
gottiの絵を使ってバンダナを作りました。一枚だけの限定作品です。これは11月3日のgottiの誕生会に持っていき、gottiの頭につけてもらう予定でいます。
新しいデニッシュ生地のパンができました。木、金の限定販売です。数が少ないので、予約をしていただいた方がいいと思います。045−0921−0506
チョコベリーデニッシュ 200円
(ラズベリー、ブラックベリー、ブルーベリー、グロゼイユ)
大学いもデニッシュ 200円
焼きりんごデニッシュ 220円
ブルーベリーデニッシュ 200円
カフェでは今日限定のハローウィンメニューもあります。
かぼちゃの半分をそのまま使ったグラタン、パンお好きなだけセット、飲み物がついて980円です。予約は045-922−6775
gottiの誕生会にバースデーケーキを持っていこうと、センター北にあるレジオンというおいしいケーキ屋さんに注文しました。
ケーキのプレートには「たんじょうび、おめでとう。gottiに出会えたおかげで、楽しい日々を過ごすことができたよ。本当にありがとう。これからも一緒に楽しい時間を作っていこう!」って書いてもらう予定です。
gottiに出会えて、世界のこんな楽しみ方があったか、と新鮮な発見がたくさんありました。自分で作ったジオラマのアップの写真は、ジオラマが命を吹き込まれたかのように生き生きと迫ってくるほどの迫力を持っていました。こんなに楽しい世界があったか、と世界の再発見をした思いでした。
そんなgottiと、これからも一緒に楽しい時間を作っていきたいと、泣きたいほどに思います。現実にはかなり厳しいかも知れませんが…。でも、だからこそ、そういう思いのオーラをバースデーケーキにいっぱい込めて送りたいと思うのです。
gottiのお母さんから嬉しいメール。
なんとお昼にでたカツ丼を完食したそうです。
ぷかぷかの本の原稿を少しずつ書き始めています。養護学校に勤めるきっかけから、障がいのある子どもたちと出会い、彼らといっしょに生きていきたいと思うようになったあたりを書きました。ご意見いただければ幸いです。
養護学校で30年働きました。といって最初から福祉を目指していたわけではありません。大学を卒業してからは福祉とは何の関係もない民間の会社で働いていました。30歳の時、宮城教育大学学長の林竹二さんの兵庫県湊川高校(被差別部落の子どもや在日朝鮮人の子どもたちが多い)での教育実践の本を読み、教育によって人がここまで変わるのかと感動。こういう世界で働いてみたいと思い、教員の採用試験を受けました。運良く合格し、どういう学校がいいか、選択する機会がありました。簡単に書くと、
1, 養護学校がいい。
2, 養護学校でもいい。
3, 養護学校はいや。
という三つの選択肢です。小学校の教員になるつもりだったので、この選択は想定外でした。私は養護学校を強く希望するわけでもなく、といって全くいやなわけでもなく、やむなく残った「養護学校でもいい」を選択しました。
すぐに養護学校の校長から電話が入り、思いもしなかった福祉の世界に飛び込むことになったのです。
「養護学校でもいい」という、かなり無責任な選択でしたが、そこでは障がいのある子どもたちと、人生が変わるほどの素敵な出会いがありました。そして30年後、退職金をはたいてまでして障がいのある人たちの働く場を作ってしまったのです。
養護学校では知的障がいの子どもたちを相手にしてきました。一番最初に受け持ったサト君は小学部6年生。おしゃべりは全くできなくて、「あー」とか「うー」だけでしたが、一緒に過ごすにはそれで十分でした。こちらのいうこともだいたい通じていました。文字を書くこともできませんでした。というか、鉛筆を持って書くということに全く興味がない感じでした。文字を読むこともできませんでしたが、お話を読むと、「がっはっは」と豪快に笑いながら聞いていました。内容が伝わったから、というより、その時の雰囲気で笑った感じでしたが、それでもその場をとても楽しい雰囲気にしてくれました。こういう人がそこにいる、ということがとても大切だと思いました。
人を、何かが「できる」「できない」でくくれば、半数くらいがサト君くらいのレベルだったと思います。いろいろできないことはありましたが、とにかく楽しい人たちで、そばにいるだけで気持ちがなごみ、なんて素敵な人たちなんだろうと思いました。
養護学校で働き始めて5年目の頃だったと思います。障がいのある子どもたちとのおつきあいにも慣れ、ゆとりを持って相手を見ることができるようになっていました。
いつもふんぞり返っていて、社長と呼ばれる子どもがいました。しょっちゅうお漏らしするせいで、とにかく気がつくとパンツを脱いで、天気のいい日は芝生の上で大の字になって寝転び、実に気持ちよさそうにしていました。みっともないからパンツくらいはきなさい!等と注意するくらいでいうことを聞くような子どもではありません。でも毎日のようにそんなことを繰り返していると、あたたかな芝生の上でパンツを脱いで大の字になって寝っ転がっている社長の方が、つまらない注意をする私よりも、そのときそのときを気持ちよく生きているのではないか、と思えるようになってきたのです。
そう思えるようになると、自分の中の「人間」の幅が少しずつ広がってきました。人間の見方が変わってきたのです。どんな人でも受け入れることができるというか、そういう人がいてもいいよな、とふんわり相手を受け入れられるようになってきたのです。
毎日のようにいろんなことをしでかしてくれる彼らとつきあううちに、自分の中にあった「規範」というものがぐらついてきました。人は普通、こういうことはするものじゃないとか、やっちゃあいけない、といった「規範」で自分を縛り付けています。彼らにはそういった自分を縛る「規範」といったものがありません。気持ちのいいくらい自由に生きています。彼らの自由さに振り回されて、毎日右往左往しながらも、こういう生き方もありだよな、と思うようになりました。そうすると、私自身、生きることがなんだかとても楽になった気がしました。肩から力が抜けた、というか、そんな感じです。
楽しくて、なんともいえない魅力あふれる彼らと毎日におつきあいしているうちに、人間ていいな、って素直に思えるようになりました。長い人生生きてきて、こんな気持ちになれたのは本当に初めてでした。人間の良さに出会った、というか、そんな気持ちでした。
そしてこんな人たちとずっと一緒に生きていきたいな、と思うようになりました。一緒にいるとすごく楽しくて、これはもう一緒に生きていった方が「絶対得!」と、はっきり思ったのでした。
しんごっちはカフェにやってくる小さな子どもたちのために楽しい絵をたくさん描いています。スタッフが頼んだわけでもないのに、自分でどんどん描いていました。
こんな楽しい絵を子どもコーナーに貼っていたのです。
しんごっちはスタッフの言うことを素直に聞く人ではありませんでした。でもその一方で、子どもたちのことを思い、こんな絵をたくさん描いてくれたりするのです。
しんごっちの心の中が見えるような絵です。
夕方、gottiのお母さんから嬉しいメールが来ました。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。