ぷかぷか日記

しんごっちの物語

  • 願いを叶えるプロジェクトチーム
     先日七夕の短冊の隅っこに小さな字で「けっこんできますように」と書いた方がいました。                                      Facebookページに紹介した翌朝、 「あれ、名前書くのを忘れたんですが、書いた方がいいですか?」 とまーさんが聞いてきました。このあたり、本当にまーさんは純真です。 「いや、別に名前書かなくても、これ一晩で1,500くらいアクセスがあったんだからすごいじゃん、さすがまーさん」 「いや〜」 とかいいながら実にうれしそう。 「でも、これ書いただけでは結婚できないよ。この願いを叶えるためには具体的にどうしたらいいか、を必死になって考えて、実際に動いていかないと、何も変わらないよ」 「はぁ」 と、なんとも自信なさそう。 「よし、じゃあ、この願いを叶えるプロジェクトチームを作ろう。この願いを叶えるにはどうしたらいいかをぷかぷかのメンバーさんみんなで考える。どう?」 「え?」 と、びっくりしていましたが、要するに「願い」を書いただけでは、現状は何も変わりません。現状を変え、願いを叶えるにはどうしたらいいかをみんなで考えるプロジェクトチームを作ってみたらどうかというわけです。同じような願いを書いた方が何人かいましたので、みんなで思いを共有できると思います。  まーさんの何が問題で、女性にもてないのか、「おつきあいしてください」とメール送っても、どうしていつも断られてしまうのか、を女性の側から忌憚のない意見を出してもらいます。まーさんに限らず、男性はみんな聞いておいた方がいい意見がどんどん出てくると思います。  いつも暗い顔している、といった指摘には、じゃあどうしたら明るい顔になるのか、をみんなで考えます。このみんなで考える、というところがミソです。人生前向きに生きるコツをみんなで捜そう、というわけです。  まーさんのどこが変われば魅力ある男性になるのか、これも女性の目線からどんどん意見を言ってもらいます。男性は絶対に聞いておいた方が得です。  まーさんが求める理想の女性像も語ってもらいます。それに対して女性、男性から意見をもらいましょう。「そんなのあり得ない」といわれたら、まーさんは幻想を追い求めていたことになり、いつまでたっても女性と巡り会えません。じゃあ、どうしたらいいのか、そこをみんなで考えてみようというわけです。  魅力ある女性、をテーマに男性からいろんな意見を出してもらいましょう。お互い謙虚に意見を聞き合い、それをお互い実践すれば、来年あたり「魅力ある男性」「魅力ある女性」がいっぱい誕生するのではないかと、密かに期待したりしています。  ま、とにかくプロジェクトチームでいろんな意見が出ると思いますが、それを実践するかどうかはまーさん次第。こんなのできっこない、とはじめから投げてしまえば、現状は何も変わらないし、また来年も短冊の隅っこに小さな字で願い事を書くことになります。ま、願いがあることはいいことだと思いますが、どこまでも他力本願では、自分の人生を切り開いていくことなんかできません。まーさんに欲しいのは、この「自分の人生を自分で切り開いていく」という気持ちであり、パワーです。    今、カフェで「しんごっち展」をやっていますが、どの絵を見ても、しんごっちのわくわくするような人生が見えてきます。中学生の時に描いた絵巻物は、わくわくしながら描いている心のときめきがストレートに見えます。  まーさんにしんごっちの絵の前に立って欲しいと思っています。もちろん絵の前に立ったくらいで、何かが変わるとは思えません。ただ、しんごっちが脳腫瘍の再発で入院手術し、苦しい毎日を送っている頃、毎週のようにまーさんは「死にたい」「死にたい」といって来て、「あのなぁ、簡単に死にたい死にたいって言うけど、まーさんの人生って、そんなに簡単に投げ出しても惜しくない人生なの?楽しいことは一つもなかったの? 世の中にはね、やりたいことがいっぱいあって、もっと生きたい、もっと生きてこんなこともしたい、あんなこともしたい、と思っても病気のために生きられない人もいるんだよ…」て話しながら、しんごっちのことを思い浮かべて涙が出てしまったことがあります。言葉が詰まってしまった私を見て、さすがにまーさんは黙り込んでしまいました。  とにかく、こんなにも生き生きと自分の人生を生ききった人が、間近にいたことをまーさんに知って欲しいのです。    障がいのある人たちの結婚問題については、実現がむつかしい故に、避けてしまうのがほとんど。せいぜい短冊に願い事を書いておしまいです。  はじめから、そんなの無理無理、といってしまえば、話はそこでおしまいです。そうではなく、何が問題で、どうすればそれが解決に向けて前に進むのかをみんなで考えていけば、願いの実現に向けて、ほんの少しかも知れませんが、前に進むことができます。この「前に進む」ということが大事です。これがあるから人生がおもしろくなります。みんなでわくわくしながら前に進むことができれば、と思っています。          
  • ホッとするようなひとときを楽しみに
     「ぷかぷかマルシェ」がありました。初めての試みだったので、どうなることかと思いましたが、思いのほかたくさんのお客さんに来ていただき、大成功だったように思います。   ぷかぷか農場で採れた野菜も売りました。   おひさまの台所の前には行列ができ、100個用意した釜飯風弁当が完売でした。   ビシソワーズスープが大好評   三軒長屋の前をいつもこんなに人が行き交っていたらいいなと思います。   親子でアイスブリオッシュ   くつろぐ家族   子どもたちもたくさん   こんな小さな赤ちゃんも    スリッパで卓球   ヨッシーの似顔絵コーナー 画伯ヨッシーといっしょに。   お魚のモビール作り   しんごっち展にもたくさんのお客さんが来ました。    地域とのいい関係をこつこつ作ってきた結果が見えるようなぷかぷかマルシェでした。ただ何かを買いに来た、というのではなく、それぞれが「ぷかぷか」のホッとするようなひとときを楽しみに来た感じがしました。   
  • 模型のリアル感
     しんごっちの撮ったジオラマです。それほど高級な模型でもないのに、このリアル感はなんなのでしょう。    このリアル感こそが、しんごっちがこの模型の中に見つけた楽しい世界なんだろうと思います。写真は撮る人の思いがそのまま出てきます。適当にシャッターを押したのではこんなリアル感のある写真は撮れません。  模型はぼんやり見ていると、どこまでもただの模型です。でもしんごっちの撮った写真には物語があります。バイクに荷物を載せている人、自転車に乗ってこちらに向かっている人、バスの運転手に行き先を聞いている人、バスに向かって歩いている女子学生、どこの街でもあり得る物語がこの写真にはあります。わくわくしながらこの物語を組み立て、その証拠写真のようにこれを撮ったのではないかと思います。  しんごっちは、こんなふうに小さな楽しみをいっぱい作りだしていました。人生をめいっぱい楽しんでいたんだと思います。     以前11秒の動画から見えるしんごっちの人生の楽しみ方について書いたことがあります。 11秒の動画に、人生の楽しみ方が… - ぷかぷか日記pukapuka-pan.hatenablog.com   しんごっち展は明日11日(土)から17日(金)までぷかぷかカフェで開催します。12日(日)もやります。 
  • 絵巻物
     しんごっち展が11日(土)からぷかぷかカフェで始まります。注目はなんと言っても銀河鉄道の絵巻物。  1.2メートルくらいの絵巻物です。全体を撮ると絵が小さくなってしまうので、2枚に分けて撮っていますが、上の絵が下の絵の右側につながります。      絵巻物をそのまま額装したものがこちら。  これをしんごっちは中学生の時に描いたというのですから、ほんとうに驚きです。彼が空想した世界のなんという豊かさ。  現実世界のリアルな列車の先に、宇宙を走る青い銀河鉄道が、うねるように走っています。  彼が生きていた世界、生きようとした世界、生きたかった世界がここにあるように思います。    脳腫瘍が再発するちょっと前に描いた絵があります。  クレヨンの使い方がすごくうまいです。列車の周りの風景はシンプルに、透明になっています。どこまでもどこまでも彼は宇宙にロマンを求め、つき進んでいたのだと思います。  この絵を描いた数週間後、頭が痛いと絵も描かずに横になった頃から調子が悪くなり、脳腫瘍の再発がわかりました。   鮮明に見るにはこちら http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?しんごっち展  
  • 未来へつながる「しんごっち展」
     伸吾さんが亡くなって一年がたちます。お母さんにとっては本当に辛い日々だったと思います。その辛さの中で、お母さんはひと月ほど前、親子で辛い思いをしている人たちの安らぎの場所「横浜小児ホスピス」を立ち上げるお手伝いを始めました。  余命宣告を受けながらも、なおもその中で子どもが夢を追い続けられるような、楽しい時間を過ごせるような、そんな環境を作りたい、というお母さんの思いは、伸吾さんの最後の日々を支えたお母さんの思いそのものだったと思います。私はそのことを伸吾さんのお見舞いに行く中で気づかせていただきました。  いつも楽しいことを追い求めていた伸吾さん、いつもわくわくするような企画を密かに持っていた伸吾さん、それを最後まで支え続けたお母さん、人生の最後で何が大事なのかを、私はお二人から学ばせていただきました。  お母さんがお手伝いをされている「横浜小児ホスピス」の立ち上げの趣意書を紹介したいと思います。ホームページのアドレスも載っていますので、ぜひのぞいてみてください。  「しんごっち展」が、ただ単に伸吾さんの思い出話や、「いい絵だね」といった話に終わるのではなく、こういう未来への活動につながっていくといいなと思っています。人生の最後の最後まで楽しいこと、わくわくすることを追い求めた伸吾さんは、そのことの大切さを身をもって教えてくれました。お母さんの思いに共感できたのも、伸吾さんがそういう生き方を最後まで見せてくれたおかげです。それがなければ、人生の最後の時まで子どもが夢を追い続けられるような環境を作りたい、というお母さんの言葉は、実感として自分の中に落ちなかっただろうと思います。  お母さんが「横浜小児ホスピス」の立ち上げのお手伝いを始めたのは、やはり伸吾さんの生き方がお母さんの背中を押したんだと思います。そしてそのお手伝いは、お母さん自身が悲しみに暮れる毎日から、一歩前に踏み出し、希望に向けて生き始めることだったのではないかと思います。  伸吾さんは仕事の帰り、藤が丘の駅で見た夕焼けがきれいで、すぐに写真を撮り、お母さん宛に「今、夕焼けがきれいだよ」ってメールを送ったそうです。下の写真がそれです。今もどこかで前に向かって生きるメッセージをお母さんに送ってきているのかも知れませんね。     横浜に小児ホスピスを創りたい          認定NPO法人スマイルオブキッズ 代表理事 田川 尚登    イギリスには地域住民の寄付で成り立っている小児ホスピスが現在52か所ありますが、日本ではまだ1か所、大阪に淀川キリスト教病院が運営する施設が存在しているだけです。   この活動のきっかけですが、1997年幼稚園児であった私の娘(6歳)が頭痛や吐き気を訴えましたが、すぐに診断が出ず、3か所の小児科を経て総合病院で、神経の集まっている脳幹に腫瘍が見つかりました。その時点で余命半年を告げられました。 ・・・宣告通りの6年半の一生でした。    私にとってこの半年の時間に娘を通して大変意味のある経験をさせていただきました。脳腫瘍でも幼児期に発症する悪性の脳幹グリオーマは現在でも治療方法は無く死を待つだけなのです。よって余命時間の使い方が子どもにとっては重要になります。家族との楽しい時間を過ごすことが、また好きなことに時間を費すことが思い出づくりになります。病院で過ごすよりは免疫力が上がり、延命時間が延びるかもしれません。    私たち家族も娘の意思に従って時間を過ごしてきましたが、娘との旅行後、病院で呼吸が止まってしまいました。呼吸器で一命は取り留めたものの脳死に向かっていきました。主治医や医療スタッフと協議を重ね、呼吸器を外す日にちを決めて関係者に看取られ旅立って行きました。    それから5年後、彼女の生まれてきた意味がこの一生にあったのではないかと思い、病気や障害のある子どもとそのご家族の支援するためのNPOを立ち上げ、娘がお世話になったこども医療センター近くの病院OBたちと協力し、全国から難病の治療に来られる家族対象の宿泊施設「リラのいえ」を募金を募り、6年前にオープンできました。年間4500名の海外や国内のご家族に利用されています。    私たちNPOの最終的な夢は家族支援の先に重篤な病気や障害を抱えている子どもの支援です。それは余命の時間などを宣告された子どもたちの生の充実を支援していくことです。決して死を待つまでの時間を過ごすということではなく、楽しい時間の支援をご家族と一緒に考え、共に過ごす「夢の我が家」なのです。子どもが抱く夢を叶えていく施設なのです。    この夢に一歩近づくための支援が昨年NPOにありました。同じ夢を持っていた元看護師の石川好枝さんのご意志でした。彼女に残された遺産を小児ホスピスに使いたいという夢でした。娘からの体験と石川さんとのご縁で一歩踏み出すことになり、昨年8月横浜小児ホスピス施設準備委員会を発足しました。委員会のメンバーは、多くのホスピスには欠かすことができない専門的な方に参加していただいています。音楽の力を借り、今年1月23日に横浜にある県立音楽堂で旗揚げのチャリティーコンサートを皮切りに5月、7月、8月、12月と音楽家の協力を得たチャリティーコンサートを開催し、社会への広報活動と募金活動を行っていき、3年後に目標額が達成ができれば5年後に施設が開設できるのではないかと考えています。    小児ホスピスが開設できれば、病院と在宅だけで過ごすのではなくデイサービスの提供と家族と共に安心して過ごせる宿泊、その子どもに合った夢プログラムを提供し、ご家族やきょうだいの精神的ケアなど負担を軽減することで、現在おかれている重篤な子どもたちとご家族のさらなる支援につながります。    それぞれの子どもたちの生きた証を社会に伝えていきたい。医療が進み出産などで救われる命が増えている現在、命についてもっと真剣に考えていくプログラムを学校教育に取り入れ、このような子どもたちのミッションを生かしていけばもっと子ども達が夢を持ち、その夢が実現できる思いやりのある社会になるのではないでしょうか…。    夢の一歩を踏み出すことができた石川好枝さんと娘のはるかさんに感謝する気持ちを忘れずに活動を続けていきたいと思います。    つきましては、この活動に賛同して頂ける方々のお力をお借りすることで社会への周知、併せて募金のお願いをしております。 詳しくは「リラのいえ」を運営するNPO法人スマイルオブキッズのホームページに詳細を載せていますので、そちらをご覧ください。   ホームページ http://www.smileofkids.jp/       ★しんごっち展の会場でも『横浜小児ホスピス』建設への募金箱を置きます。
  • 「しんごっち展」やります。その2
     7月11日(土)から7月17日(金)まで、ぷかぷかカフェで「しんごっち展」をやります。昨年5月に脳腫瘍で亡くなった安井伸吾さんの絵画展です。  お母さんは今、横浜で「小児ホスピス」を立ち上げる活動のお手伝いをなさっています。「余命何ヶ月」と宣告された子どもが、それでも夢を追い続けられるような、そして家族も安心して過ごせるような、そんな「横浜小児ホスピス」を立ち上げるお手伝いをしたいとおっしゃっています。それは伸吾さんと最後の日々を過ごした経験から来ているように思いました。「子どもが最後まで夢を追い続けられるような」という言葉は、まさに伸吾さんの生き方そのものだったように思います。  私は伸吾さんのお見舞いに行く中で、お母さんの思いにふれることができました。当時の日記を再度載せ、「子どもが最後まで夢を追い続けられるような」場所を作ることの意味を考えてみたいと思います。    2014年3月9日  昨日(救急搬送の翌々日)の夕方、伸吾さんのお見舞いに行きました。  伸吾さんは眠っている感じでしたが、声をかけると、うっすらと目を開けました。  「伸吾さん、タカサキだよ、わかる?伸吾さんの描いた電車でストラップ作ったよ、ちょっと見て」  というと、 「う、う〜ん」 と、ちらっと見ましたが、また目を閉じてしまいました。 「ねぇ、伸吾さん、このストラップ、伸吾さんの描いた電車で作ったんだよ。ちょっと見てよ」 また、うっすらと目を開け、ストラップを見てくれました。 「すっごくいいストラップだよ、この電車、伸吾さんが描いたんだよ。覚えてる?」 「う、おぼえてる」 といったような気がしましたが、よく聞き取れませんでした。  一緒に行ったぷかぷかの女性スタッフ二人に交代。  今度は私の時より目を開けた感じがしましたが、しばらくしてまた目を閉じてしまいました。    木曜日に病院に行き、この状態だと、あと一週間か十日ですね、といわれ、連れて帰る覚悟を決めた、とお母さんはおっしゃっていました。「覚悟」というのは、こういうときにこそ使う、自分にナイフを突きつけるほどの言葉なんだと思いました。  入院してもいいよ、といわれ、最後の最後まで迷いましたが、自分で最期は家で看取ると決めていたので、連れて帰ってきました、とひとことひとこと噛みしめるようにおっしゃっていました。    お母さんが伸吾さんを家に連れて帰る理由を、伸吾さんのお見舞いに行って、少し納得することができました。  お母さんのピアノの教え子さんたちが3人ほど介護に入っていて、交代で声をかけたり、お茶飲んだり、おしゃべりしていたりしていて、深刻な雰囲気はありませんでした。私も一緒にお茶を飲み、お菓子をごちそうになってきました。病院に入院していたら、たぶんこんな風にはいかないだろうと思います。  訪問看護と在宅医療が毎日入り、夜中でも対応してくれるそうです。  いつもと変わらない温かな家庭的雰囲気の中に伸吾さんはいました。少しずつ元気をなくしてはいますが、温かな雰囲気は、伸吾さんをしっかり支えているように思いました。  病院を退院してから、調子のいい日は「東急5050系4000番台」のNゲージの模型をバックに入れ、お母さんの友人といっしょにレンタルレイアウト(街の模型の中に鉄道模型を走らせることができるようにレールを設置し、それを時間貸ししている施設)に行き、自分の模型を走らせていたそうです。街の模型の中を自分の電車が走るなんて、すっごく楽しいだろうなと思います。「すごいよ、すごいよ」って伸吾さんの興奮気味の声が聞こえてきそうです。  病院に入院したままだと、こんなことはできなかったと思います。お母さんはこんないい時間を伸吾さんに持たせたくて、延命のための治療を打ち切り、家に連れて帰ったんだと、あらためて納得したのでした。   大雪の日、インターコンチネンタルホテルで撮った写真をメールで送ってくれました。その頃から少しずつ悪くなっていたようですが、それでもメールで届いた伸吾さんの表情は、いつもの調子で 「今、すっごく楽しいよ」 って、いってるようでした。ホテルの窓から撮った写真もメールで送ってきたくらいですから、そのときのわくわくした気持ちを伝えたかったんだと思います。これもお母さんが伸吾さんにプレゼントしたすばらしい時間だったんだなぁ、と今思います。  今はベッドで携帯を持つことも難しい状態ですが、それでも力を振り絞って携帯で何かを撮ろうとしていました、とおばあちゃんが話してくれました。伸吾さんってすごいなぁと思いました。私も年とって動けなくなっても、最後までぷかぷか日記を書き続けようと、伸吾さんの話を聞きながら思いました。    伸吾さんは予断の許さない状態が続いています。でも、みんなに囲まれ、温かな雰囲気の中で、いい時間を過ごしているように思います。                                (つづく)                 
  • 11秒の動画に、人生の楽しみ方が…
     7月11日(土)から7月17日(金)、ぷかぷかカフェで「しんごっち展」をやるのですが、そのしんごっちが作った動画がお母さんから送られてきました。わずか11秒の動画です。わずか11秒ですが、しんごっちがどういう人生を生きていたのかがくっきりとわかる動画です。 www.you tube.com  NHKの「ピタゴラスイッチ」はとても面白い番組です。でも、自分であの仕組みを作る人はまれです。「あっ、おもしろい!」と思うことと、「自分で作ってみよう」と思うこととの間には、なかなか越えられない壁があります。それをしんごっちは、いとも簡単に飛び越えます。  おもしろい、と思うことは、とにかく自分でやってみる、ことがしんごっちの人生の楽しみ方。やってみるだけでなく、それを動画に撮り、自分で「ピタゴラスイッチ」というアナウンスまで入れています。  ピタゴラスイッチは動くことが楽しいので、完成後、作ったものの記録として動画に撮る人は結構いるのかも知れません。でもそこに「ピタゴラスイッチ」と自分でアナウンスを入れる、というのは、作ったものの記録を一つの「作品」にし、それを楽しもう、という意思が感じられます。ビー玉が転がり、最後に「ピタゴラスイッチ」のアナウンスを入れる、というシナリオがあったのでしょう。これは考えただけでもわくわくするような企画です。  シナリオがどの段階でできあがったのかは知る由もありません。ピタゴラスイッチを作る前からあったのか、それができてから、あ、こんな動画作ったらもっとおもしろい、と思ったのか。  いずれにしても、ピタゴラスイッチを考える楽しさ、それを作る楽しさ、完成したものを動画に撮る楽しさ、最後にアナウンスを入れ、作品に仕上げる楽しさ、そしてそれを見る楽しさ、誰かに見せる楽しさ。  わずか11秒の動画に、しんごっちの人生の楽しみ方が凝縮されているように思うのです。  
  • しんごっち展やります
     昨年5月に脳腫瘍のため亡くなった「しんごっち」こと、安井伸吾さんの絵の展覧会をやります。期間は7月11日(土)〜7月17日(金)、会場は「ぷかぷかカフェ」です。  今日、お母さんとお会いして、いろいろ打ち合わせしました。しんごっちが使っていたiphoneを持ってきて、中に残されている画像を見せてくれました。  電車とか、食事とか、風景とか、いろいろあって、しばし思い出話にふけったのですが、びっくりするような動画がありました。  何かが入っている箱を開けていく動画です。パッケージが少しずつほどかれて、何が出てくるんだろう、と見ている方がわくわくするような動画です。ところがこの動画、よく見ると、病院のベッドで撮ったものでした。しんごっちの足が少し写っていて、足首に病院のラベル(患者番号を書き込んだもの)が見えました。何のことはない、脳腫瘍の大手術を終え、まだ入院している頃に撮ったものでした。  脳腫瘍は完全には取りきれず、多少余命が伸びた、という時期です。そんな状況に自分がおかれたら、精神的にかなり追い込まれ、何かをする気力があるだろうかと思ってしまうのですが、しんごっちは狭いベッドの上で動画を撮ったのです。しかも見る人がわくわくするような動画です。  私なら、多分自分を保つのに精一杯になるだろうと思われる状況の中で、なおも生きる楽しさを見つけ、しかも人を喜ばせようとしているのですから、本当にびっくりしました。    しんごっちは、生きる楽しさを、めいっぱい追い求めた人だと思っています。何度かブログに書きましたが、給料が出ると横浜川崎間の1区間だけのグリーン車の切符を買い、8分間の至福の旅を味わっていました。給料のほぼ十分の一を、その8分間のために使っていました。しんごっちの生きる美学のようなものを感じました。グリーン車ですから、さぞかし豪華な旅をするのかと思っていたら、テーブルの上にはコンビニで買ったおにぎりとお茶のペットボトルが置いてあって、実に慎ましい旅でした。そんな旅に大満足している自分を撮った動画もありました。  しんごっちのiphoneには私の好きなジオラマの写真が入っています。バスと、人と、家。妙にリアルで、それでいて、これはうそだよ、っていってるような、実にうまい写真です。模型をどういう角度で撮ればこういい写真が撮れるかを計算し尽くしたような写真です。しかもこれをiphoneで撮ったというのですから、すごい!としか言いようがありません。  家で作ったジオラマで、お母さんに言わせると、ものすごくちゃっちいジオラマだそうです。でもしんごっちの撮った写真には、わくわくするような物語があります。その、ちゃっちいジオラマにも、なおも楽しい物語を見つけ出し、それを写真に表現したしんごっちは、本当に生きる喜びを大切にした人だと思います。  今度計画している「しんごっち展」は、ですから、ただ単に絵の展覧会ではなく、「重度知的障害者」と言われながらも、私たちの何倍も濃い時間を生き抜いた、しんごっちの生き方が感じられるような展覧会にしたいと思っています。とてもむつかしい企画ですが、しんごっちの生き方に少しでも近づきたくて、精一杯トライしたいと思います。        
  • しんごっちの財産
     しんごっちの告別式がありました。お通夜も、告別式も、びっくりするほどの人が参列し、しんごっちの作ってきたつながりの広さを思いました。  日曜日に息を引き取って以来、毎日しんごっちに会いに行っていたのですが、たまたま居合わせた近所の床屋さんのしんごっちの思い出話を聞きながら、近所でもいいおつきあいを作っていたんだなぁ、と思いました。あのすばらしい笑顔と、誰にでも愛される人柄の故だろうと思います。  昔、担任していたなおちゃんが事故で亡くなったときのことです。なおちゃんは多動で、しょっちゅう家や学校から飛び出して、毎日のように探し回っていました。家のドアには鍵が三つくらいついていて、ベランダには物を投げても大丈夫なようにネットが張ってありました。テレビも投げたことがあったとお母さんが嘆いていました。家の近くのスーパーにも勝手に入り込んでずいぶんいたずらしていたようで、要注意人物でした。しんごっちとは正反対の人柄だったようです。ところが、なおちゃんが亡くなったとき、そのスーパーの女性店員が大泣きしたと、あとで聞きました。毎日のようにいたずらに手を焼いていたんだろうと思います。売り物を壊したりして、損害もかなりあったんだろうと思います。そんなに迷惑をかけながらも、それでもなおちゃんが亡くなったとき、女性店員は大泣きしたというのです。  たぶん、しんごっちとは全く違う方法で人とつながりを作っていたのだろうと思います。つながりはそのままその人の財産です。昨日、今日としんごっちのすばらしい財産を見た気がしました。その財産があったからこそ、病院での治療をやめたあと、すばらしくいい時間を過ごせたのだと思います。いい時間を支える仲間がたくさんいて、しんごっちは本当に幸せだったと思います。   
  • 絵と出会えたことに…
     東急東横線大倉山にある「アートかれん」(横浜市港北区大倉山1丁目11-4      電話543-3577)で「伸吾さんとその仲間展」を見てきました。   そのときそのときを、自分の好きなものに向かって一生懸命生きてきたんだなぁ、としみじみ感じる絵が並んでいました。絵というのは、そのときそのときの思いのリアリティをきっちりと伝えてくれるんだと思いました。  トンネルから外へ向かって延びていくレールの絵は不思議な世界でした。レールはどこへ延びていくのでしょう?今、自分はトンネルの中。でも、これから未知なる世界へ向けて飛び出していくぞ、といったしんごっちの熱い思いを感じました。トンネルの外に広がる青い空間がいいですね。  どの絵にもしんごっちの豊かな世界を感じます。しんごっちの絵と出会えたことを幸せに思います。  こんな絵に出会うと、あらためて「障がい者」ってなんなの?という思いがします。障がい者は何かやってあげる対象だとか、支援する対象だとか、なんてつまらない優越感に浸っている間に、どんどん取り残されていることに、この絵は気づかせてくれます。  絵画展は10日(土)までです。ぜひお出かけください。  機会を見つけて「ぷかぷか」でもやりたいと思っています。       
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