ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • いつも健常者が上に立って、指導したりサポートしているという言い方が違うなと思っていました。
    『ぷかぷかな物語』の素敵な感想が届きました。 ●●● 様々、障害者雇用や福祉に関する本を読みましたが、 1番共感した本でした。   私は障害者雇用に携わりたく、ある会社に入社いたしましたが、 色々考えているうちに、障害者雇用、障がい者支援、どれも何だかしっくりこなくて、結局いつも健常者が上に立って、指導したりサポートしているという言い方が違うなと思っていました。   自分はどのようにして障がいを持つ方たちと携わりたいのか、何をしたいのか、言語化するのが難しいなと思っていましたが、本ではなるほど!そういうことか!と納得する表現がたくさんあり、本当に共感しました。   ぷかぷかさんとは、一緒に生きていく方が豊かで、街を耕してくれる存在。 素敵すぎます。 私もぷかぷかさんのようにどんな人の魅力も引き出せるようなことができたらなあ、そして、知ろうとしてくれる人が増えたらなあ、そう思っています。   まだまだ自分の中での周りに対する偏見や、知らないことが多く、未熟だなあと感じる事ばかりですが、ぷかぷかさんに伺うことで一歩前に踏み出せたら良いなと思っています。   ●●●    「いつも健常者が上に立って、指導したりサポートしているという言い方が違うなと思っていました。」という感覚が素晴らしいですね。こういう人こそが、障がいのある人たちと一緒に新しい未来を作っていくのだと思います。理屈ではなく、感覚的に「それはおかしい」と思うことが大切です。その感覚は障がいのある人たちとのフラットなおつきあいから生まれます。  いろいろできないことがあっても、おつきあいしていると、なんかすごく楽しかったり、ほっこりあたたかい気持ちになったりしたのだと思います。だから「いつも彼らの上に立って指導したりサポートしたり」といったことに疑問を感じたのだと思います。すごく大事な気づきですね。    昔養護学校の教員をやっていた頃、「指導」という言葉がどうもしっくりきませんでした。子どもたちは、いろんなことができなくても、そういったことを突き抜けてしまうような魅力を持っていました。そんな人たちにえらそうに「指導」するなんてことは恥ずかしくてできない気がしていました。彼らからは人間が生きる上で大切なことをたくさん教わりました。彼らと出会うことで、私は人生が変わったと思っています。人生がとても豊かになったと思っています。ですから、彼らより自分がえらいとはどうしても思えなかったのです。    彼らのおかげで『街角のパフォーマンス』という本まで書くことができました。             彼らと出会い、こんな素敵な人たちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、学校の外に連れ出しました。たくさんの人に出会い、たくさんの素敵な物語が生まれました。社会を、お互いがもっと生きやすくなるように変えていくような物語です。それをまとめたのがこの本です。  「ともに生きる」だの「共生社会」だのの言葉もまだなかった時代です。それでも養護学校の子どもたち、生徒たち、それに地域の人たちで小さな共生社会を実現させていたのです。    たとえばこの写真。養護学校の生徒たちと地域の子ども、大人たちが一緒になって即興で人形劇を作った時のものです。  こんなことを街角でやっていたのです。小さな共生社会がここにはありました。  今、この社会の中で、こんな場面がいったいどれくらいあるでしょうか。社会はどれくらい進化したのでしょうか?「ふれあいフェスティバル」だなんて、ちゃんと関係ができないことのごまかしだと思います。ふれあってるような関係からは、豊かなものは何も生まれません。上の、いっしょに人形劇を作っている写真、ふれあってるとはいいません。ふれあったくらいで、いっしょに人形劇なんか作れないのです。  ここに集まっている人たちは演劇ワークショップを3年ほど一緒にやっていた仲間です。月一回集まり、みんなで芝居作りをやっていました。そういうクリエイティブな関係があって、街角の人形劇作りが成立しています。彼らといっしょに生きるということと、ふれあう、というのは全く違うのです。そういう関係をどこまで丁寧に作ってきたか、ということです。『街角のパフォーマンス』は、そんな関係をどんな風にして作ってきたかの記録です。   『ぷかぷかな物語』はぷかぷかサイトで販売中。著者サイン入りです。 shop.pukapuka.or.jp  本を読んで、ああおもしろかったって思われた方は、ぜひアマゾンの販売サイトでカスタマーレビューを書いてください。よろしくお願いします。 『街角のパフォーマンス』はオンデマンド版をぷかぷかのサイトで販売中。オンデマンド版なので少し高いですが、読む価値はあると思います。著者サイン入りです。 shop.pukapuka.or.jp     『街角のパフォーマンス』はタイトルを『とがった心が丸くなる』に変えて電子本がアマゾンで販売中。アマゾンのKindle会員であれば、なんと無料で読めます。ふつうに買っても900円で安いです。 www.amazon.co.jp  本を読まれて、ああおもしろかったって思われた方はぜひ『とがった心が丸くなる』のカスタマーレビューを書いてください。
  • 社会にあわせたあなたではなく、そのままのあなたがいちばん魅力的、と私たちが思えるかどうか
    『ぷかぷかな物語』は読まれましたでしょうか?アマゾンの販売サイトのカスタマーレビューにはこんなことが書かれています。            《 横浜市緑区霧ヶ丘にあるしょう害のある人たちが働いている「ぷかぷか」という面白いお店の誕生からの様々なドラマがとても読みやすく書かれているノンフィクション。よくある「福祉事業所」とは程遠い世界の成り立ちや世界観に引き込まれてしまいます。「しょう害があっても、社会に合わせるのではなくありのままの自分で働く」「しょう害の無い人も、しょう害のある人と一緒に生きていったほうが幸せ」それを伝えたい筆者でありぷかぷかの理事長の高崎さんの厚く深い人間愛に感動します。 この本に出逢い、いてもたっても居られなくなり、実際に「ぷかぷかさんのお店」にも行ってきました。本の通りの明るく楽しく元気なエリアで、とても幸せな時間を過ごせました。まるで天国のような所でした。》  本を読んでいても立ってもいられなくなり、ぷかぷかのお店にやってきたという方。「とても幸せな時間を過ごせました」といいます。  障がいのある人たちの働く場で、どうしてそんな気持ちになるのだろうと思います。障害者はなんとなくいや、怖い、近寄りたくない、と思う方がまだまだ多い社会にあって、「とても幸せな時間を過ごせました」という言葉が出てくるのはどうしてでしょうか。  別の方はこんなことを書いています。 《 私も障害のある子どもを育てていますが、家族になってよかった。家族があたたかくなりました。ぷかぷかさんは社会をあたたかくします。耕します。そのことがこの本を読んでしっかりわかりました。》  ぷかぷかさんたちは社会をあたたかくする存在なんだろうと思います。ぷかぷかのほっこりあたたかな雰囲気、ホッと一息つけるような雰囲気は、ぷかぷかさんたちが作り出したものです。私たちがああしなさい、こうしなさい、といってできたものではありません。彼らがありのままの彼らでいた時、自然にこんな雰囲気ができました。それが彼らのチカラなんだと思います。  そのチカラがこんな素敵なぷかぷかを作り上げたのです。  こんな場所をあちこちにつくるコツ、それは障がいのある人たちに向かって、社会にあわせたあなたではなく、そのままのあなたがいちばん魅力的、と私たちが思えるかどうかです。そんな風に素直に思えるようになった時、あちこちに素敵なぷかぷかが出現します。ぜひやってみて下さい。  『ぷかぷかな物語』には、そのコツが満載。まだお読みでない方はぜひ。 shop.pukapuka.or.jp  すでに読まれた方はアマゾンの販売サイトでぜひカスタマーレビューを書き込んで下さい。 www.amazon.co.jp
  • いや〜別によく働くなくてもいいよ
     この季節、長野のリンゴ農家佐藤さんからたくさんのおいしいリンゴが届きます。その佐藤さんには昔、養護学校の生徒を2週間ほど預かってもらったことがあります。佐藤さんちに泊まり込みでリンゴ農家の仕事を体験させてもらったのです。  養護学校の生徒とのおつきあいの経験はありません。でも、私の学校での楽しそうな話を聞き(その頃毎年のように夏、北海道の子連れ旅の帰り、小樽から新潟までフェリーに乗り、その足で長野の佐藤さんちに一家で泊めてもらっていました)、じゃあ一度生徒を預かってみるか、ということになりました。  障がいのある生徒と一緒に仕事をするとか、生活するとかの経験がなかったので、いろいろ大変なこともあったと思います。それでも2週間のおつきあいの中で、自分の人生が変わるような気づきがたくさんあって、すっかり惚れ込んでしまったといいます。実習が終わって帰り際、佐藤さんは涙がとまらなかったといいます。  そんなことがあって3年後、佐藤さんはなんと近くの養護学校でコンサートの企画をします。京都からじぶんの好きな歌手を呼んで養護学校の生徒たちに聞かせるんだといいます。 「マサル(佐藤さんちに泊まり込んで実習した生徒)のおかげで自分の人生が変わった気がするから、そのお礼よ」 と事もなげに佐藤さんは言います。歌手へのギャラとか交通費を考えるとそれなりのお金がかかったのではないかと思うのですが、もうびっくりしました。  後日、よく働く生徒が見つかったから、来年の夏、またお願いします、って電話したら、 「いや〜別によく働くなくてもいいよ、俺は養護学校の生徒といっしょにいるだけで楽しいんだよ」  「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのの言葉がまだなかった頃の話です。人と人との出会いこそ、新しい時代を切り開くのだと思います。
  • ぷかぷかのパン屋があることが街の価値を上げている
     2年前のぷかぷか上映会の感想に「ぷかぷかのパン屋があることが街の価値を上げている」というのがありました。 《 4年前に霧ヶ丘に引っ越してきました。毎朝、ぷかぷかのパンを食べています。娘は保育園でもぷかぷかのパンを食べています。この街にぷかぷかのパン屋があることが、この街の価値を何倍にも上げています。映画を見て、それをますます感じました。霧ヶ丘の街が、ぷかぷかが、ますます好きになりました。》  ぷかぷかの評価はいろいろありますが、  「街の価値を上げている」 というのは初めてです。  感想を書かれた方は4年前に引っ越してきた方のようですが、この街に来てぷかぷかさんたちのとほっこりあたたかな出会いを経験し、この街に来てほんとうによかったと感じたのではないかと思います。多分それまでは障がいのある人たちとこんな楽しいおつきあいはなかったのではないかと思います。だから余計にぷかぷかさんたちとの出会いが新鮮で、うれしかったのだと思います。この街に来て、障がいのある人たちと思いもよらない楽しい出会いがあったこと、この街に来なければ、こんな風に彼らと出会うこともなかったし、こういうことってこの街の価値をあげてるんじゃないか、というわけです。  ぷかぷかは街の人たちの障がいのある人たちと出会って欲しいと思い、街の中にお店を作りました。障がいのある人たちの魅力を知って欲しいと思ったからです。彼らの魅力を知る人が増えることは、街を豊かにすると考えていました。  今回は街の人、つまりは彼らと出会う側からの、今までにない新しい視点を教わった気がしました。あれができないこれができない、効率が落ちる、役に立たない等々、マイナスの評価の多い彼らですが、出会ってみたら素敵な人たちじゃないか、こんな素敵な人たちと出会える場があるってことは、素晴らしいことだよ、街の価値を上げているよ、と街の人がいっているのです。  「街の価値」という言葉が新鮮でした。ぷかぷかさんたちの存在が、街の価値を引き上げている。素敵な言葉だと思いました。  家で飼っている猫の絵をぷかぷかさんに描いてもらい、それをTシャツに転写して、子どもに着せている方が昨日の「でんぱた 米まつり」に来ていました。 (お母さんのFacebookに載っている写真)   アート屋わんどで頼んだうちの猫のチーちゃんのTシャツ。 好きです!素敵すぎます!   とお母さんのFacebookにありました。ぷかぷかさんは街の人たちがこんな素敵な物語を作り出すお手伝いをしているのです。こんな風にして街の価値を上げているのだと思います。
  • 虐待を起こさないような関係を日々作っていく
    県立障害者施設で虐待事件があり、あまりにひどいので県に対し質問状を出しました。 www.pukapuka.or.jp   で、その返事。  どこまで本気でやるのか、といった感じです。いろいろ研修はやったようですが、こんなありきたりの研修で人は変わりません。研修に本気度が感じられないのです。  ぷかぷかがやった人権研修会はこんな感じです。 www.pukapuka.or.jp  月刊『創』に渡辺一史さんが事件について原稿を書いています。 www.tsukuru.co.jp binb.bricks.pub  いずれにしても県には期待できないので、自分で虐待を起こさないような関係を日々作っていくしかないのだと思います。  コロナでこの2年、休んでいた演劇ワークショップを来年は感染対策をしながら再開しようと思っています。障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいことが素直に伝わるような舞台を作ります。虐待を起こすような関係とは正反対の関係です。
  • 彼らのね、たたずまいがぼくは好きです。
    でんぱたしんぶんに短い詩を投稿しました。  彼らのね、たたずまいがぼくは好きです。  彼らがそこにいるだけで、  なんか気持ちがやさしくなるような、  そんなたたずまい。  彼らがそこに立っていること  それが彼らのあいさつ。  そのあいさつが心地いい。  そのあいさつは、  人が生きる上でなにが大切か  教えてくれる。  あーだこーだの小難しい話抜きで。  彼らのね、そんなたたずまいがぼくは好きです。  やっぱり彼らとはいっしょに生きていった方がトク!  とあらためて思うのです。     
  • アンジェルマン症候群の子どもと出会ったことで人生が劇的に変わった
     「アンジェルマン症候群」で検索すると重度障がいの話が出てきます。気の滅入るような話ばかりで、前向きの話は全く出てきません。 www.nanbyou.or.jp  でも私はアンジェルマン症候群の子どもと出会ったおかげで人生が劇的に変わり、毎日がとてもハッピーになりました。ぷかぷかを立ち上げたのも、彼との出会いから始まったハッピーな物語があったからです。  私が養護学校の教員になって最初に受け持った子どもたちの中にサト君というアンジェルマン症候群の子どもがいました。全くおしゃべりのできないサト君は、それでもこちらのいうことやることはしっかり理解していて、何やっても「ゲハハ」「ガハハ」と大笑いで反応してくれ、当時教員としては新米の私をしっかり支えてくれました。教員になったばかりで、下手くそな私の授業も「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げ、いや〜おもしろいおもしろい、と支えてくれたのでした。大きなうんこが出たと私を大声で呼び、サト君の代わりにレバーを押して(サト君はそういうことができませんでした)うんこを流すと、ただそれだけで「ゲハハ」「ガハハ」と豪快に笑っていました。箱根に修学旅行に行ったときは、その大きなうんこが船のトイレに詰まって水が流れなくなり、悪戦苦闘しているうちに船のクルーズは終わってしまいました。でも、サト君は悪びれた様子もなく、悪戦苦闘している私のそばで、ずっと「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げていました。結局私も一緒に笑い転げて、一度も景色を見ないまま箱根の船の旅は終わったのでした。サト君は、発達障害的にいえば重度の障害児であり、何やるにしても手がかかる人でした。それでも抱きしめたいくらい魅力ある人でした。養護学校で働き始めて、最初に担任し、その魅力で私の心をいっぺんにわしづかみにした子どもでした。  「人間ていいな」って月並みな言葉ですが、サト君はその言葉をしみじみと実感させてくれたのです。人が人といっしょに生きていくとき「人間ていいな」って思えることはとても大切なことです。  彼と出会ってから毎日が100倍くらい楽しくなりました。世界にはこんな素敵な子どもたちがいたんだと大発見した気分。人生が変わりましたね、彼らとの出会いで。  そしてその出会いが、30年後、ぷかぷかを作らせることになったのです。重度障がいの子どもであっても、その子との出会い方一つで、そこから素晴らしい物語が始まるのです。  まわりを幸せな気持ちにさせる彼らは社会の宝だと思います。ただその宝と出会えない人たちがまだまだたくさんいます。しゅん君との出会いも、しゅん君が不審者と間違えられて警察まで行った、というお母さんのFacebookでした。 www.pukapuka.or.jp  世界がこの人たちと出会うやわらかな心を持っていれば、世界はもっとハッピーに、そして平和になります。
  • 棒々鶏とキンプリ
    今日のランチメニューに棒々鶏、ポテトフライ、大根とパプリカのサラダと並んで、嵐、キンプリ、海ちゃん、LOVEとありました。  え?どうしてメニューにこんなのが書いてあるの?とふつうは考えますが、ここがぷかぷか。メニューは書く担当になった人に全部任せてあるので、みんな好きに書いています。その結果がこれ。  ふつうはメニューに余計なことは書きません。余計なことを書くと叱られます。ぷかぷかには、その叱る人がいません。余計なこと書いてもいい、といったわけではありません。なんとなくそういう雰囲気になっていて、誰も注意なんかしません。むしろ楽しんでいる感じ。  キンプリを書いたハマッチはご飯食べる時もスマホでキンプリを見ながら食べるほどの大ファン。好きで好きでしょうがないみたいです。  で、メニューにも、つい、その好きな人を書いたってことなんですが、いずれにしても、好きな人のことを自由に書けるこの雰囲気があるから、ぷかぷかは誰がきてもホッと一息つけるのだと思います。  彼らといっしょに生きているから、「棒々鶏とキンプリ」なんていう、なんだかよくわからない、でもどこか楽しい不思議な組み合わせが出てきます。
  • 腹が立ってしょうがないので、神奈川県に質問状
     先日、虐待のあった「中井やまゆり園」の運営はかながわ共同会ではなく、神奈川県だそうです。「津久井やまゆり園」と「愛名やまゆり園」はかながわ共同会が運営しているそうです。ただ虐待の実態を見ると、かながわ共同会も神奈川県も体質的には同じだと思いました。  社会的な責任が大きい社会福祉法人が、事件について一切説明しない、犯人が元従業員だったにもかかわらず謝罪もしない、そういったことについて監督庁として指導すべきではないのかと指摘しましたが、すべて法人に任せている、となんの指導もしませんでした。  そんな無責任な神奈川県が運営している施設で虐待事件が発覚したのです。 nordot.app  記事には職員の暴力で入所者が骨折したにもかかわらず、それを管理職が隠蔽した疑いがあるそうで、これが「ともに生きる社会」を掲げる神奈川県がやることかと驚きました。「ともに生きる社会かながわ憲章」なんて、嘘っぱちじゃないかと思いました。  腹が立ってしょうがないので、神奈川県のホームページの「私の提案」を使って質問状を出しました。  神奈川県では津久井やまゆり園事件をきっかけに「ともに生きる社会かながわ憲章」を定め、ともに生きる社会を目指したはずです。にもかかわらず、県立の障害者施設でどうしてこのような虐待が起こったのでしょうか? ①職員が骨折するほどの暴力を入所者に振るうという信じがたい事件が、「友に生きる社会」を目指す神奈川県の施設でなぜ起こったのでしょうか?何が問題だと考えますか? ②それを隠蔽しようとしたのはなぜですか? ③職員にどのような人権研修をおこなっていますか。人権研修をやったにもかかわらず、どうしてこのような暴力事件が起こったのですか。研修の内容、研修のあり方に問題があったのではないですか。 ④管理職にどのような研修をおこなっていますか。事件を隠蔽するのはモラルの問題だと思いますが、管理職のモラルについてどのように考えていますか? ⑤暴力事件を起こした職員、隠蔽しようとした管理職は「ともに生きる社会かながわ憲章」を知っていたのですか。憲章についてどのような研修をおこないましたか? ⑥県としては今回の事件に対しどのような調査、検証をおこないましたか。その結果、どうだったのですか。 ⑦被害者および県民に対してどのような説明、謝罪をするのですか。 ⑧今後このような事件を起こさないために、県として、どのような防止策を考えていますか。 ⑨暴力事件を起こした職員、隠蔽しようとした管理職に対し、どのような研修をおこないますか、どのような処分を考えていますか。 ⑩暴力事件を起こしたり、それを隠蔽したりするのは、運営組織としてもう腐っているのではありませんか。今後どうしますか。  どういう回答が来るのかわかりませんが、回答が来次第お知らせします。  まともな回答が来るとは思えませんが、それでもおかしいと思うことはどんどん言っていかないと何も変わりません。
  • フルーツサンド
    柿とキュウイのフルーツサンドを買いました。        帰るまで冷蔵庫に入れておいた方がいいですよ、といわれ、焼き菓子工房の冷蔵庫に入れました。          帰りに忘れそうなので、スタッフが書いてくれたメモをパソコンに貼り付けました。 それでも不安なので、洗い物をしていたしっかり者のヒカリさんに、帰りがけにタカサキに 「冷蔵庫のフルーツサンド忘れないように」 って声をかけてくれるように頼みました。       ところがそのヒカリさんが声をかけるのを忘れていたので、スタッフがヒカリさんに声をかけ、ヒカリさんは慌てて私に声をかけてくれました。     というわけで、無事フルーツサンドを忘れずに持って帰りました。 ふだんの暮らしの中の小さな「ともに生きる社会」がここにあります。
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