ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • パラリンピックの選手の言葉
     パラリンピックの選手が 「私は自分を障害者と思っていない」 と言っていたそうですね。ま、どう思うかは人それぞれで、こちらがとやかく言う話ではないのですが、共生社会とか多様性を掲げるパラリンピックで、障害者を否定するような言葉が出てくるのは、なんとも残念です。  これは選手の感覚と言うよりは、障害者をマイナスとしか見ない社会の反映なのだと思います。「あれができない、これができない、社会の重荷」といった感じのマイナスのイメージ。  「そういう障害者と自分は違う」 と、そんなことを言いたかったのだろうと思います。パラリンピックに出るくらいの、ずば抜けた身体能力のある人にとってみれば、全くその通りだと思います。  それでも尚、この言葉には違和感があるのです。 「私は自分を障害者と思っていない」 なら、健常者なのかと言えば、やっぱり目が不自由であったり、足が不自由であれば、やはり日常的には色々大変なところはあると思います。ならば素直に 「競技の時はともかく、ふだんは障害者だよ」 っていえばいいのに、そう思っていない、と言い張る。まさに「言い張ってる」感じがするのです。どこまでも障害者を否定してしまう。  もし障害者という言葉がマイナスではなく、プラスのイメージを持っていたらどうでしょう。  ぷかぷかは障害のある人たちに惚れ込んで始めた事業所なので、マイナスどころか、プラスもプラス、いっしょに生きていかなきゃソン!だと思っています。障害を克服しよう、なんて全く考えてなくて、そのままのあなたが一番魅力的、と言い続けています。  そんな彼らといっしょにぷかぷかを作ってきました。ぷかぷかの魅力は彼らの魅力です。障害のあるぷかぷかさんたちのおかげで、こんな素敵な場所ができたのです。ぷかぷかにとって、彼らは 「なくてはならない存在」 なのです。    毎月、パン屋の大きな窓に、こんな素敵な絵を描いてくれます。        お弁当を彼らの絵で包むと、お弁当の価値がグ〜ンと上がります。      彼らがいてこその素晴らしい舞台。  ぷかぷかさんたちは知的障害ですが、身体障害の人たちも、彼らがいることで社会が豊かになっています。歩くことが不自由な方がいるから、ほとんどの駅にエレベーターができたり、いろんなところで段差がなくなったりして、みんなが暮らしやすくなりました。目の不自由な方のために駅のプラットホームに柵ができ、誰にとっても安全なプラットホームになりました。障害のある人たちの暮らしやすい街は、誰にとっても暮らしやすい街です。ですから社会にそういう人たちがいることで、社会全体が豊かになります。  社会全体が障害のある人たちのことを、こんな風にプラスのイメージ、「なくてはならない存在」と考えていれば 「私は自分を障害者と思っていない」 などという言葉は、多分出てこなかったのではないかと思うのです。 あなたはどう思いますか?
  • 障害克服に頑張らない人たちこそが、 ゆるい、居心地のいい社会を作っていく
    先日渡辺一史さんがパラリンピックに関して朝日新聞に寄稿していました。 digital.asahi.com  その中に、18年、東京都がJR東京駅構内に掲示したパラスポーツの応援ポスターに、パラスポーツの女性アスリートの言葉として、次のフレーズが大きく刷り込まれていたことが紹介されていました。  《障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ》  どういうつもりで東京都がこんなポスターを貼りだしたのかわかりませんが、 アスリートにしか通用しないきつい言葉です。アスリートが考える「障がい」であり、アスリートが考える「勝ち負け」に過ぎません。  うちのぷかぷかさんたちにとっては 「え?何、これ」「どういう意味?」 って、感じです。でも、社会全体が障害のある人に対してこんな風に考え出したら、当事者にとっては、とても辛いなと思います。  渡辺さんは《「障害を克服し、頑張る人たちを応援すべきという押しつけがましさ」は、裏を返せば、「頑張らない人は応援しない」となる。》と書いていましたが、私の周りにいる人たちは「障害を克服しよう」とか「それにむけて頑張ろう」なんて気持ちがほとんどありません。  障害克服に向けて頑張らないから、彼らはありのままの自分を生きています。その人たちの周りはいつも自分らしく生きる、マイペースののんびりした時間が流れます。誰が来てもホッとした気持ちになれます。ぷかぷかのゆるっとした雰囲気、ホッとできる雰囲気は、彼らのそういう頑張らないところから来ています。  別に応援して欲しいなんて思いませんが、障害を克服しようと頑張らない人はダメだ、みたいな見方をしていると、障害はいつまでたっても克服すべくマイナスのイメージにとどまってしまいます。障害克服に頑張らない人たちが生み出す大事なものを見落としてしまいます。ぷかぷかは、障害を克服するのではなく、そのままのあなたが一番魅力的、といい続けています。ぷかぷかの魅力は、障害克服に頑張らない人たちの魅力です。  以前ぷかぷかのお店で大根を販売した時、大根に貼り付けた紙に《たいこん》と書いてあって、なんだか笑っちゃいました。障害克服に頑張らない人がサラッと書いた言葉です。この言葉が生み出した小さな物語です。 www.pukapuka.or.jp  障害克服に頑張らない人たちこそが、こんな風にして、 ゆるい、居心地のいい社会を作っていくのだと思います。私たちにはなかなかできないことです。そこをどこまで謙虚に見ていけるかだと思います。
  • みっちゃんの絵のチカラ
    結婚式のプチギフトの注文がありました。  花婿さん、花嫁さんの絵を描いたのはみっちゃん。もらった人みんなが幸せな気持ちになるような絵です。  結婚式でこんな絵に出会い  「あら、素敵じゃない!」 ってたくさんの人が思ってくれたらいいなと思っています。  「ともに生きる社会」とか「共生社会」の啓蒙活動ではなく、そんなことに一切関係のない結婚式でこんな絵に出会うこと。それがいいなと思うのです。  この絵は、なんの前置きも、説明もなく、ぱっと見ただけで 「え?これいいじゃん!」「素敵!」 ってたくさんの人が思ってくれます。  これが、みっちゃんの絵のチカラです。私たちがあーだこーだと「ともに生きる社会」や「共生社会」を説明するよりも、はるかにその社会に向けての説得力があります。そこがすごいなと思うのです。彼らのチカラ、侮れないのです。 「今度、私の結婚式でも使おうかな」 とか、 「こんな絵を描いた人に会いたいね」 とか言ってくれる人が少しずつ増えていくといいなと思っています。社会って、こういうところから変わっていくのだと思います。  ともに生きる社会を作ろうとか、共生社会を目指そうとかいくら言っても、社会はなかなか変わりません。そういう大きな話ではなく、  「あら、素敵じゃない!」 って、素直に思えるような関係を身近なところで作っていくこと、その地道な活動こそが、社会を静かに変えていくように思うのです。  機会があれば、みっちゃんに会いに来て下さい。大歓迎ですよ。ひょっとしたら幸せな気持ちになれるような似顔絵描いてもらえるかも。
  • ラーメンを6杯も食ったイエス(養護学校キンコンカンー④)
     養護学校で教員をやっていた頃の話です。 ●●●  私の勤務していた養護学校には寄宿舎があり、一時そこの舎監もやっていました。寄宿舎は高等部の生徒たちが寝泊まりしていて、昼間、小学部で小さな子どもたちを相手にしている私にとっては、とても新鮮な職場でした。月3回ほど泊まりの勤務がありました。  ご飯食べる時間以外は割と自由に何でもできました。年末、クリスマス会に向けて生徒たちといっしょに『青年イエス旅に出る』という芝居を作りました。二十歳になった青年イエスが、未知なる世界に向けて旅に出ます。どんなところを旅し、どんなことに出会ったのか、何をしたのか、それを生徒たちといっしょに考えたのです。  ヒマラヤの山中に現れ、雪男と決闘したとか、ニューヨークでいい男はいないかと狂ったように探し求める女イエスとか(そうか、イエスって女だったかも知れないんだ、って生徒たちと話しながら思いました)、色々楽しいお話ができ上がったのですが、一番の傑作は、雪の降る札幌の街に現れたイエスがラーメンを6杯も食べるというお話。  なんと泥臭いイエスなんだろうって、ちょっと感動してしまいました。いい男を捜し求める女イエスのお話もなかなかでしたが、ラーメンをずるずる音を立ててすするイエスというのは、私の中にあった清く正しいイエスのイメージを完璧に壊してくれました。  「そうか、イエスがラーメンをすすったか」 って、なんだかうれしくてしょうがなかったですね。  そしてラーメンを1杯でも3杯でもなく、6杯も食ったというあたり、彼らの中にイエスの確固たるイメージがあったのだと思います。6杯目を食い終わったイエスは、長いひげについたラーメンの汁を、おもむろにあの白い服の袖で拭い、またふらりとどこかへ消えたに違いありません。あたたかいねぐらにその夜もたどり着けたんだろうか…とそんな思いまでさせるイエスでした。  新年あけて寄宿舎の生徒たちのやった書き初めの中に「はつひもち」というのがありました。この方が書きました。                   そしてこの方がラーメン6杯も食べた青年イエスをやったのでした。  ●●●  彼らといっしょに作る芝居は、昔も今も変わらず、とんでもなく楽しいです。それは多分彼らの発想の自由さ、豊かさにあると思います。だからいっしょに生きていった方がトク!なのです。 
  • この街に住むあなたと私、という関係で〔養護学校キンコンカンー③)
     養護学校の教員をやっていた頃の話です。 ●●●  養護学校に通うキィちゃんが近所の小さな子どもの首を絞めてしまうという事件があり(本当に首を絞めたのか、かわいいと思って抱きしめようとしたのかはっきりしないのですが、結果として、こういう子どもを一人で外に出すな、という雰囲気になりました)、お母さんはえらく落ち込んでしまいました。たまたま実習に来ていた学生さんは大学院で特別支援教育を勉強していたので、こういう場合はどうしたらいいか、聞いてみました。  ところがこういった問題については勉強したことがないというのです。教授も学生もそういった問題(自分自身のありようも問われるような社会性を帯びた問題)については考えたこともないと。子どもたちの「障害」についてはよく勉強するし、とても研究熱心。でも、それはあくまで「障害」を軽くし、「発達」を促すという方向。子どもはだから「研究」もしくは「指導」の対象であって、この時代をいっしょに生きていく相手ではありません。  今回のキィちゃんのような事件の場合、キィちゃんが情緒不安定にならないためにはどうしたらいいか、といったことは考えるかも知れないけれど、今一番苦しい思いをしているお母さんをどうやって支えればいいか、あるいは社会の何が問題なのか、どうすればいいのか、といったことは考えない。そんなことは自分たちに関係ないとみんな思っている……と、そんな話でした。ま、正直な方でした。  養護学校の教員とおんなじだと思いました。そういったところを卒業した人が多いので、同じような感じではあるのですが、学校の現場ではキィちゃんのような事件はいっぱいあって、だから子どもの「発達」を促していればいい、というわけにはいきません。苦しい思いをしているお母さんがいれば、やっぱり知らんぷりはできないし、いろいろ話をしていると、自分とは関係ないとは言い切れない問題がいっぱい出てきます。  じゃあどうするのか、ということです。「子どもの親と担任」といった関係ではなく、この街に住むあなたと私、という関係で考えていかないと、辛い思いをしているお母さんを支えきれないように思いました。  社会の問題がむき出しになるような現場で、自分はどのように立つのか。「先生」という肩書きの影に隠れるのではなく、この社会を形作っている「あなた」はどうなんですか?という問いにまっすぐに向き合う。そこからしかこの問題は解決しないように思うのです。 ●●●   社会的な問題と自分とのつながりが見いだせない人が多いのは、昔も今も変わりません。福祉のネットワークサイトにやまゆり園事件に関するブログを投稿していたら、二つのサイトから排除されました。社会の問題を自分事としてきちんと受け止めようとしない。だからそういうことを口うるさく言う人間は目障りなんだと思います。
  • 地域で関係を作っていく(養護学校キンコンカン-②)
     養護学校の教員をやっていた頃に出会った子どもたちの話です。 ●●●  キィちゃんは小さな子が好きです。学校の近くを散歩してても、小さな子がいるとすぐに近寄っていって、キュッと抱きしめたりします。そんなときのキィちゃんの目はとってもやさしくて、ちょっと惚れ惚れするほどです。  そんなキィちゃんが家の近くで小さな子どもの首を絞めたというのです。それを近所の人に言われ、それはキィちゃんのような子を一人で外に出すな、というような意味合いを含んでいて、お母さんはえらく落ち込んでしまい、キィちゃんをしばらく施設に入れるなんて言い出しました。  キィちゃんが本気で首を絞めたのかどうかはよくわかりません。キィちゃんなりのやり方でキュッと抱きしめたつもりが、近所の人には首を絞めたように見えたのかも知れません。あるいはそろそろ思春期にさしかかったせいか、最近ちょっと気分が不安定で、時折理由がはっきりしないままクラスの友達にかみついたりつねったりしていたので、つい発作的に本当に首を絞めてしまったのかも知れません。  いずれにしても近くにいた人が止めに入るなり、注意するなりするしかないと思います。そういうときにキィちゃんのような子どもとつきあったことがあるかどうかで、その時の対応はずいぶんと違ってきます。全くつきあったことがなければ、やっぱりびっくりして、「どうしてこんな子が一人で街を歩いているのか」ということになるでしょう。以前そのことで新聞に投書した人がいました。「どうしてこんな子が一人で電車に乗っているのか」と。  キィちゃんの場合、お母さんの精神的安定のためにとりあえず短期間施設に入れるにしても、キィちゃんを取り巻く環境は何も変わりません。そこのところを変えていくことをやっていかない限り、また同じようなことが起こるだろうといったことをお母さんに話しました。  隣近所のおつきあいの中で、さりげなくキィちゃんを見てくれているような関係。近所をキィちゃんが一人でふらふら歩いていても当たり前なんだよって思ってくれたり、あるいはお母さんが買い物に出かけたり、身体の具合が悪い時なんかに、ちょっとキィちゃんを預かってくれたりといった、そんな関係を少しずつ時間をかけて作っていかないと、これから先キィちゃんも大きくなるし、もっと大変になると思うのです。  ところがこの「地域で関係を作っていく」といったことが、お母さんにはどうもうまく伝わりません。キィちゃんの面倒を見てくれるのはボランティアさんであり、ボランティアさんにはお茶菓子出したりお礼したりで、やたら気を遣うのでもういい、というのです。キィちゃんの面倒を見てくれるのはボランティアさんしかいないと考えてしまうのは、そのままキィちゃんの周りの関係の少なさを物語っています。それはまたお母さん自身の持っている関係の少なさだろうと思います。  養護学校へ子どもをやっているお母さんたちは、概して自分の周りに持っている人間関係が少ない気がします。子どもに手がかかるので、もうそれだけで手一杯なのかも知れません。でも一番の問題はやっぱりお母さん自身の外の世界へ向かう思いだろうと思います。それがない限り、つきあうのは同じ学校のお母さん同士であり、教師です。何か問題が起こっても、そういう狭いつきあいの中でしかものが見えません。  キィちゃんの事件は、その狭いつきあいの中では解決できません。キィちゃんの周りの関係を広げていく、あるいはお母さん自身がもっともっと自分の関係を広げていく中でしか解決は見つかりません。そこをどうやって広げていくのか。  すごくむつかしいと思うのですが、そこと格闘することでしか展望は開けない気がします。格闘することで、キィちゃんはもちろん、お母さんの生きる世界もぐんと広がってくるように思うのです。なによりもキィちゃんと出会った人たちの世界が広がります。地域社会がちょっとだけ変わります。障害のある人たちがちょっとだけ生きやすくなります。  ●●●  ちょうどキィちゃんの事件の少し前、こんな素敵な子どもたちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、日曜日、子どもたちを連れて外に遊びに行きました。それがきっかけで学校の外の人たちとのつながりがたくさんできました。『街角のパフォーマンス』にその時のことを書いています。こういう活動にキィちゃんのお母さんが関わっていれば、事件に対する対応も全く違ったものになったのではないかと思います。 『街角のパフォーマンス』はオンデマンド版をぷかぷかで販売しています。店頭、もしくはぷかぷかのホームページから手に入ります。『とがった心が丸くなる』というタイトルで電子本にもなっています。アマゾンで販売中です。 www.pukapuka.or.jp  リョーちゃんは駅でたった一人で「街角のパフォーマンス」(30年前の駅の風景)
  • スッポンポンにエプロン付けて(養護学校キンコンカンー①)
     養護学校の教員をやっていた頃、ミニコミ誌に書いていた子どもたちの話がおもしろいので紹介します。  しんちゃんは小学部の2年生。三日ばかり前、隣のクラスで見つけたコダック(昔こういう名前のフィルムメーカーがあった。箱が黄色)の黄色いエプロンが気に入って、一日中それを着けて飛び回っています。今朝も学校へ来るなりエプロンを着け、鏡の前に立ってうっとりと自分の姿に見入っています。ちょっと横を向いてみたり、肩をすくめたり、一人にたっと笑ってみたり。相当のナルシストです。  そのうち何を思ったのか、エプロンを外し、シャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、更にパンツまで脱いでスッポンポンになってしまいました。  「キャ〜、へんなの」 とかなんとかいって冷やかしていると、スッポンポンのまま再びエプロンを着け、今風のモダンな金太郎といった感じになりました。  鏡の前で身をくねらせたりして、むき出しの白い腕や腰がなかなかセクシー。しんちゃん、ますますうっとりと見入り、  「ヒャ〜」 なんて、ご機嫌な声を上げていました。  そのうち喜びが抑えきれなくなったのか、戸を開けて中庭に飛び出していきました。冬の冷たい風に当たって、白い小さなお尻がみるみる真っ赤になりました。  風にエプロンが舞い上がらないように、手で前をしっかり押さえて走り回るしんちゃんは、映画『わんぱく戦争』の子どもたちの世界をそのまま生きているようでした。  「いや〜、いい気持ちだろうなぁ」 って、しみじみ思いました。といって、しんちゃんのあとを、スッポンポンにエプロン一枚だけのおっさんがドスドス追いかけたのでは、なんかもう目も当てられないって気がするし、  「ああ、くやしい!」 と思いながら追いかけたのでした。  そのあたりを見透かしたように、今度はブランコに乗り、さも得意そうにこぎまくっていました。前に後ろに大きく揺れるたびにエプロンが舞い上がり、小さなちんちんが冬の柔らかな日差しの中で光っていました。  高等部のつかさくんは、寄宿舎でどういうわけかいつも片足立ちで歯を磨いていました。
  • かずやさんの自立生活を、福祉とは違う視点で語る
    2019年8月のぷかぷか上映会の時、こんな感想がありました。  《 4年前に霧ヶ丘に引っ越してきました。毎朝、ぷかぷかのパンを食べています。娘は保育園でもぷかぷかのパンを食べています。この街にぷかぷかのパン屋があることが、この街の価値を何倍にも上げています。映画を見て、それをますます感じました。霧ヶ丘の街が、ぷかぷかが、ますます好きになりました。》 「この街にぷかぷかのパン屋があることが、この街の価値を何倍にも上げています。」 ぷかぷかという福祉事業所が、福祉ではないところで新しい価値を生み出している。そこがいいなと思いました。  7月31日の上映会&トークセッションで、かずやさんの自立生活も、それが街の価値を何倍にも上げている、というような評価が出てくるといいですね、という話をしました。   数年前、緑区で障害のある人たちのグループホーム建設に反対する動きがあって、運営する業者からどうしたらいいか相談がありました。説明会に行って話をしようと、最初に『Secret of Pukapuka』の映画を上映しました。ところが始まって5分もたたないうちに 「障害者のいいところばかり撮った映画なんかやめて欲しい。もっと問題行動がわかるようなものをやるべき」 といった意見が出され、泣く泣く上映を途中で中止したことがあります。  その意見を出された方は障害のある方とおつきあいして何か困ったことがあった、というわけではなく、おつきあいのないが故に怖い、というところだけで意見を言っていました。要するに偏見です。たかが偏見ですが、こうやって上映ができなくなるようなチカラを発揮します。こちらの言い分を聞く耳も持ちませんでした。  社会は、障害のある人たちも含め、いろんな人がいることが社会の豊かさであり、面白さです。上映会の感想にあった「街の価値」というのは、まさにそのことを言っています。感想を書いた人は、パンを食べることでぷかぷかさんたちと出会い、そんなぷかぷかさんたちのいる霧が丘の街が好きになったというのです。  おつきあいすることもなく、一方的な偏見だけで障害のある人たちを排除してしまうと(グループホーム建設反対運動はまさにこれです)、社会が持っている豊かさや、いろんな人がいっしょに生きていく上での大事な苦労を失います。  「いろんな人がいっしょに生きていく上での大事な苦労」というのは、たとえばかずやさんの大声を巡って、今、まわりの人たちがどうしたらいいんだろうって、色々悩んでいますが、そういった苦労は、私たちの人間を鍛え、磨きます。それは社会の豊かさとして蓄積されていきます。苦労の蓄積は街の価値を少しずつあげていくのです。  先日NHKおはよう日本で紹介されましたが、地域で一矢さんを受け入れていこうという人たちも現れています。  いつも買い物に行くスーパーで「かずやしんぶん」を渡すと 隣の自転車屋さんのおじさんは  かずやさんの自立生活は、すでにこういう人を生み出し、周りの人は苦労を蓄積しています。かずやさんの自立生活は、こんな風にして街の価値を少しずつ上げているように思うのです。  かずやさんの自立生活を、福祉とは違う視点で語ること。それは今までにない新しい豊かさを生みます。
  • ぷかぷかさんたちと出会った子どもたちが、新しい未来を作ります。(相模原障害者殺傷事件5年目に思うこ...
     ぷかぷかは地域とのつながりを作っていこうと、開店してすぐの頃からパン教室を始めました。ぷかぷかさんたちと地域の親子連れでいっしょにパン作りを楽しむのです。楽しいパン作りを通して、地域の人たちがぷかぷかさんたちと出会うのです。  ぷかぷかさんたちといっしょにパン作りをする中で、 「この人たちのこと、障害者というのはおかしい」 という人も現れました。  パン教室は、地域とのつながりを作っていこうと始めたのですが、結果的には地域を耕し、豊かにしていることに途中で気がつきました。  事件から1年目に開いたパン教室。ここには事件を超えていく希望が見えます。 www.pukapuka.or.jp  子どもたちの楽しそうな顔、見て下さい。こんな雰囲気の中でぷかぷかさんたちと出会った子どもたちが、新しい未来を作ります。事件を超える社会は、こんな子どもたちが作っていくのだと思います。  こんなおつきあいも生まれました。  あーだこーだ議論することも大事ですが、こういう関係作りをコツコツ続けることこそ、事件を超える社会を具体的に作っていく上で大事だと思います。
  • かずまくんとぷかぷかウィルス(相模原障害者殺傷事件5年目に思うこと−⑩)
     パン屋で久しぶりにかずまくんに会いました。ずいぶん大きくなっていて、何年生?と聞くと、なんと5年生。今青春なんだとか。  なんともかわいいありがとうカードを描いていました。  どうしてこんなにやさしい絵が描けるんだろうと思います。かずまくんの優しい気持ちがビリビリ伝わってくるようです。こういう絵を描く人は社会の宝ですね。大事にしたいです。  かずまくん、大きくなって、お母さん、もう抱っこできません。   昔はこんなでした。  小さい頃、トイレでうんちができなくて困っていましたね。トイレでうんちが出たら赤飯炊きます、とお母さんいってました。で、ある日 「でました!今日は赤飯です!」 ってメールがうれしそうなかずまくんの写真といっしょにきました。 そういえばお母さん、子どもと一緒にご飯食べに来た時、ぷかぷかウィルスに感染しました。ぷかぷかウィルスの感染者第1号というか、ぷかぷかウィルスの発見者です。 子供2人を連れてカフェでランチを食べていました。お客さんは私の家族と他にもう一組だったかと思います。 お天気も良く明るくゆったりとした空気の中で 「おいしいねー」 「もう1回チョコパンとチーズのパンおかわりしたい」 などと子供と話をしていました。  そしたら厨房の小窓のカーテンが急にシャッ!と開き、ニコニコ笑顔にマスクの方が 「おいしいかい!?」 と聞いてきました。  一瞬何が起こったのかわかりませんでしたが、とっさに 「美味しいです!」 と負けじと大きな声で答えました。  その方は、そうだろうと言わんばかりにニコニコのまま 「フフ〜ン」 と笑い、カーテンを閉めました。   多分10秒程のできごとでしたが、この思ってもみない楽しいやりとりで、また食べに来ようと思いました。  ぷかぷかウィルスに感染したのは、多分この時だと思います。  「おいしいかい?」  以来ぷかぷかウィルスが蔓延、感染者がたくさん出ました。感染すると、またぷかぷかに来たくなり、ぷかぷかが好きで好きでしょうがなくなります。『Secret of Pukapuka』を撮ったカメラマンも感染。重症になってあの映像ができあがりました。かずまくんのお母さんは感染後、なんとぷかぷかのスタッフになってしまいました。  ぷかぷかウィルスこそ、事件を超える社会を作っていくのだと思います。『Secret of Pukapuka』はぷかぷかウィルスのおかげででき上がりました。そしてあの映像は事件を超える道筋を見せてくれます。
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