ぷかぷか日記

障がいのある人と生きるということ

  • 彼らのね、たたずまいがぼくは好きです。
    でんぱたしんぶんに短い詩を投稿しました。  彼らのね、たたずまいがぼくは好きです。  彼らがそこにいるだけで、  なんか気持ちがやさしくなるような、  そんなたたずまい。  彼らがそこに立っていること  それが彼らのあいさつ。  そのあいさつが心地いい。  そのあいさつは、  人が生きる上でなにが大切か  教えてくれる。  あーだこーだの小難しい話抜きで。  彼らのね、そんなたたずまいがぼくは好きです。  やっぱり彼らとはいっしょに生きていった方がトク!  とあらためて思うのです。     
  • アンジェルマン症候群の子どもと出会ったことで人生が劇的に変わった
     「アンジェルマン症候群」で検索すると重度障がいの話が出てきます。気の滅入るような話ばかりで、前向きの話は全く出てきません。 www.nanbyou.or.jp  でも私はアンジェルマン症候群の子どもと出会ったおかげで人生が劇的に変わり、毎日がとてもハッピーになりました。ぷかぷかを立ち上げたのも、彼との出会いから始まったハッピーな物語があったからです。  私が養護学校の教員になって最初に受け持った子どもたちの中にサト君というアンジェルマン症候群の子どもがいました。全くおしゃべりのできないサト君は、それでもこちらのいうことやることはしっかり理解していて、何やっても「ゲハハ」「ガハハ」と大笑いで反応してくれ、当時教員としては新米の私をしっかり支えてくれました。教員になったばかりで、下手くそな私の授業も「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げ、いや〜おもしろいおもしろい、と支えてくれたのでした。大きなうんこが出たと私を大声で呼び、サト君の代わりにレバーを押して(サト君はそういうことができませんでした)うんこを流すと、ただそれだけで「ゲハハ」「ガハハ」と豪快に笑っていました。箱根に修学旅行に行ったときは、その大きなうんこが船のトイレに詰まって水が流れなくなり、悪戦苦闘しているうちに船のクルーズは終わってしまいました。でも、サト君は悪びれた様子もなく、悪戦苦闘している私のそばで、ずっと「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げていました。結局私も一緒に笑い転げて、一度も景色を見ないまま箱根の船の旅は終わったのでした。サト君は、発達障害的にいえば重度の障害児であり、何やるにしても手がかかる人でした。それでも抱きしめたいくらい魅力ある人でした。養護学校で働き始めて、最初に担任し、その魅力で私の心をいっぺんにわしづかみにした子どもでした。  「人間ていいな」って月並みな言葉ですが、サト君はその言葉をしみじみと実感させてくれたのです。人が人といっしょに生きていくとき「人間ていいな」って思えることはとても大切なことです。  彼と出会ってから毎日が100倍くらい楽しくなりました。世界にはこんな素敵な子どもたちがいたんだと大発見した気分。人生が変わりましたね、彼らとの出会いで。  そしてその出会いが、30年後、ぷかぷかを作らせることになったのです。重度障がいの子どもであっても、その子との出会い方一つで、そこから素晴らしい物語が始まるのです。  まわりを幸せな気持ちにさせる彼らは社会の宝だと思います。ただその宝と出会えない人たちがまだまだたくさんいます。しゅん君との出会いも、しゅん君が不審者と間違えられて警察まで行った、というお母さんのFacebookでした。 www.pukapuka.or.jp  世界がこの人たちと出会うやわらかな心を持っていれば、世界はもっとハッピーに、そして平和になります。
  • 棒々鶏とキンプリ
    今日のランチメニューに棒々鶏、ポテトフライ、大根とパプリカのサラダと並んで、嵐、キンプリ、海ちゃん、LOVEとありました。  え?どうしてメニューにこんなのが書いてあるの?とふつうは考えますが、ここがぷかぷか。メニューは書く担当になった人に全部任せてあるので、みんな好きに書いています。その結果がこれ。  ふつうはメニューに余計なことは書きません。余計なことを書くと叱られます。ぷかぷかには、その叱る人がいません。余計なこと書いてもいい、といったわけではありません。なんとなくそういう雰囲気になっていて、誰も注意なんかしません。むしろ楽しんでいる感じ。  キンプリを書いたハマッチはご飯食べる時もスマホでキンプリを見ながら食べるほどの大ファン。好きで好きでしょうがないみたいです。  で、メニューにも、つい、その好きな人を書いたってことなんですが、いずれにしても、好きな人のことを自由に書けるこの雰囲気があるから、ぷかぷかは誰がきてもホッと一息つけるのだと思います。  彼らといっしょに生きているから、「棒々鶏とキンプリ」なんていう、なんだかよくわからない、でもどこか楽しい不思議な組み合わせが出てきます。
  • 腹が立ってしょうがないので、神奈川県に質問状
     先日、虐待のあった「中井やまゆり園」の運営はかながわ共同会ではなく、神奈川県だそうです。「津久井やまゆり園」と「愛名やまゆり園」はかながわ共同会が運営しているそうです。ただ虐待の実態を見ると、かながわ共同会も神奈川県も体質的には同じだと思いました。  社会的な責任が大きい社会福祉法人が、事件について一切説明しない、犯人が元従業員だったにもかかわらず謝罪もしない、そういったことについて監督庁として指導すべきではないのかと指摘しましたが、すべて法人に任せている、となんの指導もしませんでした。  そんな無責任な神奈川県が運営している施設で虐待事件が発覚したのです。 nordot.app  記事には職員の暴力で入所者が骨折したにもかかわらず、それを管理職が隠蔽した疑いがあるそうで、これが「ともに生きる社会」を掲げる神奈川県がやることかと驚きました。「ともに生きる社会かながわ憲章」なんて、嘘っぱちじゃないかと思いました。  腹が立ってしょうがないので、神奈川県のホームページの「私の提案」を使って質問状を出しました。  神奈川県では津久井やまゆり園事件をきっかけに「ともに生きる社会かながわ憲章」を定め、ともに生きる社会を目指したはずです。にもかかわらず、県立の障害者施設でどうしてこのような虐待が起こったのでしょうか? ①職員が骨折するほどの暴力を入所者に振るうという信じがたい事件が、「友に生きる社会」を目指す神奈川県の施設でなぜ起こったのでしょうか?何が問題だと考えますか? ②それを隠蔽しようとしたのはなぜですか? ③職員にどのような人権研修をおこなっていますか。人権研修をやったにもかかわらず、どうしてこのような暴力事件が起こったのですか。研修の内容、研修のあり方に問題があったのではないですか。 ④管理職にどのような研修をおこなっていますか。事件を隠蔽するのはモラルの問題だと思いますが、管理職のモラルについてどのように考えていますか? ⑤暴力事件を起こした職員、隠蔽しようとした管理職は「ともに生きる社会かながわ憲章」を知っていたのですか。憲章についてどのような研修をおこないましたか? ⑥県としては今回の事件に対しどのような調査、検証をおこないましたか。その結果、どうだったのですか。 ⑦被害者および県民に対してどのような説明、謝罪をするのですか。 ⑧今後このような事件を起こさないために、県として、どのような防止策を考えていますか。 ⑨暴力事件を起こした職員、隠蔽しようとした管理職に対し、どのような研修をおこないますか、どのような処分を考えていますか。 ⑩暴力事件を起こしたり、それを隠蔽したりするのは、運営組織としてもう腐っているのではありませんか。今後どうしますか。  どういう回答が来るのかわかりませんが、回答が来次第お知らせします。  まともな回答が来るとは思えませんが、それでもおかしいと思うことはどんどん言っていかないと何も変わりません。
  • フルーツサンド
    柿とキュウイのフルーツサンドを買いました。        帰るまで冷蔵庫に入れておいた方がいいですよ、といわれ、焼き菓子工房の冷蔵庫に入れました。          帰りに忘れそうなので、スタッフが書いてくれたメモをパソコンに貼り付けました。 それでも不安なので、洗い物をしていたしっかり者のヒカリさんに、帰りがけにタカサキに 「冷蔵庫のフルーツサンド忘れないように」 って声をかけてくれるように頼みました。       ところがそのヒカリさんが声をかけるのを忘れていたので、スタッフがヒカリさんに声をかけ、ヒカリさんは慌てて私に声をかけてくれました。     というわけで、無事フルーツサンドを忘れずに持って帰りました。 ふだんの暮らしの中の小さな「ともに生きる社会」がここにあります。
  • 福祉の現場で、相手と本当に人としてつきあっているのかどうか
    やまゆり園でまた虐待。 nordot.app  法人の体質が、事件後も全く変わっていないのだと思います。  事件からちょうど1年目に再開したやまゆり園のホームページには10行ほどのあいさつがあり、そのうち事件に関しては次の2行だけでした。  昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。  19人もの人が殺されたというのに、なにこれ、って思いました。  全く知らない人たちではありません。やまゆり園を利用していた人たちであり、まさに日々生活を共にしてきた人たちです。その人たちが亡くなったというのに、悲しみのかの字もありません。驚きましたね。人として一番大事な感覚を持ち合わせてないのではないかと思いました。  人が亡くなる、ということに対して語るべく言葉がない、語るべく気持ちがない。人の心を失っているのではないかと思います。  亡くなった人たちと人としておつきあいしていれば、語るべく言葉がない、あるいは気持ちがない、といったことはあり得ません。  法人のこの感覚にこそ事件の一番のおおもとがあるように思います。  人を人として見ない。人としてつきあわない。  社会福祉法人には、NPO法人よりもはるかに大きい社会的責任があります。あれだけの事件がなぜ起こったのかについて、現場の運営責任者として説明責任があるはずです。それにもかかわらず、わずか2行の他人事のような書きぶり。元従業員が犯した犯罪に対する雇用者としての謝罪も一切ありませんでした。  社会福祉法人に対する監督責任のある神奈川県に、 「こんなことが許されるのか」 と問い合わせました。ところが、この件に関してはすべて法人に任せています云々の、これまた無責任極まりない回答でした。  グルなんだと思いましたね。  事件の検証委員会による報告書は防犯上の問題ばかりで、一番肝心な犯人が支援の現場でどのように利用者さんたちに関わっていたのか、といった問題についての記述は一切ありませんでした。どう考えても不自然な報告書でした。  神奈川県とやまゆり園にとって 「不都合な真実」 があったのだと思います。  それを削除した。そしてその先に、事件の責任をすべて植松に負わせる動きがあったのではないか。  ふつうに考えたら、これは、ものすごく恐ろしいことです。しかも、そういったことが何ら問われることもなく、今も存続しているのです。  少し古い記事ですが、植松に関する新事実の書かれた大事な内容なので添付します。植松は福祉の現場で真面目に働く青年であったことの事実は、事件の見方を大きく揺さぶります。 maga9.jp  いずれにしても、人を人として見ない体質がずっと残っていて、今回明るみに出た虐待も、その延長線上にあるのだと思います。  で、私たちはどうするのか。これはやまゆり園だけの問題なのかどうか、ということです。  福祉の現場で、相手と本当に人としてつきあっているのかどうか。  そこが今あらためて問われている気がするのです。  
  • 未来を信じる
    ひふみ投信の藤野英人さんの高校生向けの話はとてもおもしろかったです。 cakes.mu  藤野さんは堀江貴文さんの関わっているベンチャー企業の小型ロケットMOMOの打ち上げを見て、いたく感動し、第一回の打ち上げが失敗したにもかかわらずロケットに投資します。                              ところが発射直後に大爆発。      「僕らの会社のロゴが堂々と入ったロケットは火の海となり、投資した大金が一瞬にして消えてしまった」のです。にもかかわらず、藤野さんはMOMO3号に投資しようとします。「失敗のまま終わらせず、成功することを夢見て、つぎもお金を出すべきじゃないですか」と。  当然のように、社外取締役から反対に合います。 「つぎ、成功する保証はある?」 「......ありません」 「成功すると思う?」 「......思います。ただ確証はありません」 「それで、会社としてお金出せます?」  で、結局個人でかなりの部分を負担するという折衷案(ロケットに「ひふみ」という文字が入るので会社で3分の1、個人で3分の2)で行くことになりました。  結果的にはMOMO3号は大成功。日本の宇宙開発を大きく前進させました。日本初、世界でも民間で4社目。  そのことを振り返る藤野さんの言葉が素晴らしい。  《私が失敗を重ねたMOMO3号機に投資をしたいちばん大きな理由。......それは、私が「成功する未来を信じていた」から、なんですね。堀江さんや稲川社長、何度失敗してもロケットが飛ぶ未来を夢見て挑戦するスタッフたちを信じると決めたから。》  「成功する未来を信じていた」という言葉がしみました。  ぷかぷかは何の実績もないところでのスタートでしたので、もう本当に自分の作る未来を信じるしかありませんでした。思いを共有できる人も周りにいなくて、孤立無援でした。店舗の見積もり、パン焼き釜、厨房機器の見積もりなどが次々に上がってきて、合計で2000万円を超える額。それまでふつうのサラリーマンしか経験のない身にとっては、すごい大金です。本当にうまくいくのかどうかもわからない事業に2000万円を超えるお金をつぎ込むのです。下手するとつぎ込んだお金が帰ってこない可能性もあります。それを全部一人で決めるのです。大丈夫、きっとうまくいく、と自分に言い聞かせながらも、正直、体が震えました。体は正直でしたね。                                  ぷかぷかがうまくいったかどうかは、ロケットみたいに打ち上げ後、すぐにわかるものではありません。何年もたってから、ああ、うまくいったんだなぁって感じでわかるものです。自分で安心してそう思えるようになったのは、ほんのこの3年ばかりです。       こんな顔して毎日が過ごせるようになったのです。         彼らに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思ってはじめてぷかぷかでした。「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトクだよ」ってずっと言い続けてきました。そう思う人たちがきっと増えていく、そしてほかのお店に負けないくらいおいしいものを作っていけばぷかぷかは絶対回っていく、と信じて大金を投じました。  自分の作る「未来を信じていた」のです。  高校生向けの藤野さんの話を読み、プロの投資家も、ずっと理詰めで行くのではなく、最後は「未来を信じる」ところでしか決められないのだと知り、とても共感しました。  未来を信じること、その未来に向けてとにかく動き続けること。そうやって未来は実現します。ぷかぷかはそんなことを苦しい経験を通して教えてくれた気がします。
  • 彼らがいる。ただそれだけで幸せ。
    『支援』という本に原稿を頼まれました。 www.arsvi.com  原稿のタイトルは「ほっこり、まったり、にっこり」。これって、ぷかぷかの毎日じゃん、て思いました。  ぷかぷかはどこを見ても「ほっこり、まったり、にっこり」がいっぱい。  テラちゃんがいると自然にこんな雰囲気に。    リエさんにも近所の子どもたちがよってきます。      彼らはどうしてこんなに心地よい雰囲気を作っちゃうんだろう。子どもたちは敏感。だからこうやって彼らのそばにいてくつろぐ。  こんな笑顔で接客されたら、素直にうれしい。    ご飯といっしょに、ひとときの幸せを味わいます。 職場では、ほら、みんな笑顔。いい時間過ごしてる。 だからおいしいものが生まれる。おいしい笑顔が、おいしいものを生み出し、おいしいものがお客さんの笑顔を生む。笑顔の好循環。 お店の前でもこんな笑顔。何か楽しいことがあったんだね。  毎日楽しいことがあって、素直に笑える。声を出して笑ってもいい。その笑い声に癒やされたっていうお客さんがいました。ぷかぷかにはそんな雰囲気があります。  ぷかぷかでは寝る人が時々います。寝る人がいても、ま、いいかって、特に起こしたりしません。生産性に差し障る、というよりも、こういう人がいることで生まれる「まったり」した雰囲気こそ大事だと思っています。ぷかぷかの居心地の良さは、こういうところから生まれます。   寝顔をFacebookにアップすると、今日も癒やされました、とたくさんのアクセスがあります。彼らは寝たまま、ぷかぷかのファンを増やし、収益を上げています。ファンになる、というのは、障がいのある人たちと出会うこと。障がいのある人たちのイメージがマイナスからプラスに変わります。彼らは寝たまま、社会を耕しているのです。すごく大事な仕事です。彼らのこういう働きは、もっともっと評価していいように思います。  この文字、言葉たちが、なんとも愛おしい。  なんだろう、この愛おしさは。この文字や言葉は窒息しそうな社会を柔らかくしてくれます。あーだこーだ小難しいこといわずに、この社会を救ってくれます。 ぷかぷかのアートは、街を元気に、豊かにします。                     こんなアートを前にすると、彼らを「支援」するだなんて、恥ずかしい。そのことに気づくこと。そこから新しい物語が始まります。 彼らがいる。ただそれだけで幸せ。        幸せすぎて、ついこんな顔になってしまう。     どうしてぷかぷかのあちこちに「ほっこり、まったり、にっこり」があるのか、うまく説明できません。彼らのこと好きで、いっしょにぷかぷかをやってきたら、自然にこんな雰囲気になっていました。  一つだけ言えることは、彼らといっしょに生きている、という関係であること。間違っても彼らを管理したり、支援したりしていないことです。ですから、彼らはありのままの自分でいられます。仕事をしながら、自分の人生を生きています。だから仕事場にあんなにも笑顔があるのだと思います。  「ほっこり、まったり、にっこり」は、そのままの彼らの姿なんだと思います。
  • 彼らの生み出す価値をどう見せるか、という演出
     先日第一期演劇ワークショップの記録映画を作った宮沢あけみさんがぷかぷかに来ました。久しぶりだったのでいろんな話をしたのですが、NHKのドラマのカメラマンをしていた旦那さんが早期退職した際、退職金を巡って 「タカサキみたいに家をほったらかしにして全部ぷかぷかにつぎ込むようなことは絶対やめて」 と頼んだそうで、笑っちゃいました。私にしてみれば、家をほったらかしにしたのではなく、家のことを忘れてただけというか、ぷかぷかのことで頭がいっぱいで、家のことまで頭が回らなかったということですが、ま、かみさんから見れば同じことですね。  それでも、あのお金をつぎ込んだおかげで、今のぷかぷかができたことは確かなわけで、あのお金を銀行に預けていれば、何も生まれませんでした。ですから、お金を銀行に預けるというのは、何もそこからは生まれないので、社会の損失なのかも、と思ったりします。  ぷかぷかは今までにないたくさんの「新しい価値」を生み出してきました。  「障害者が作ったものだから買ってあげる」というところに寄りかかるのではなく、「おいしいから買う」商品を作ろうと現場が頑張ってきました。結果、ほかのお店に負けないような商品ができ、パンにしてもお弁当にしても焼き菓子にしても、地域でも評判のお店になっています。  商品がよく売れるから現場で働くぷかぷかさんたちのモチベーションも上がります。笑顔が増えます。その笑顔を見て、またお客さんが増えるという好循環を生んでいます。       ぷかぷかさんたちがデザインした帯をお弁当に巻き付けると、一気に楽しいお弁当になって、お弁当の価値がぐんと上がります。お弁当の価値が上がるだけでなく、障がいのある人たちがいることの意味が、理屈抜きにストレートに伝わります。これは彼らの生み出す価値をどう見せるか、という演出が効いています。  障がいのある人たちは「あれができないこれができない」「社会の重荷」といったマイナスのイメージが多いのですが、演出の仕方ひとつで、そんなマイナスのイメージを一気に超えるものを創り出すことができるのです。  ぷかぷかのお弁当を食べた人は、多分障がいのある人たちのイメージが変わります。ぷかぷかさんのファンになった方もたくさんいます。ぷかぷかはお弁当で、障がいのある人たちにとって居心地のいい社会を、少しずつ作っているのです。  ぷかぷかは設立の時、法人の設立目的として 「障がいのある人たちの社会的生きにくさを少しでも解消する」 ことをあげています。お弁当は、その目的を達成する具体的な方法の一つです。  ぷかぷかは創設以来 「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトク!」 と言い続けています。お店の活動は、そのことの意味を具体的に伝えてきました。お弁当もその一つです。  彼らといっしょに生きると、私たちの暮らしが豊かになります。お昼に楽しいお弁当、おいしいお弁当に出会えるなんて、暮らしの豊かさそのものです。  ぷかぷかのお弁当は、障がいのある人たちにとっても、私たちにとっても、とても意味のあることをやっているのです。今までにない新しい価値を作り出すお弁当なのです。  障がいのある人たちは社会にあわせないとダメだなんていわれていますが、ぷかぷかでは社会にあわせるのではなく、そのままのあなたが一番魅力的、といっています。ぷかぷかの心地よさ、魅力は、社会にあわせないそのままのぷかぷかさんたちが自然に作り出したものです。これもまた今までにない新しい価値といっていいと思います。  日常的にあるこんな一コマがお客さんの心を癒やします。       家をほったらかしにして作ったぷかぷかです。でも、そのおかげで今までにない新しい価値を生み出したのですから、ま、よしとしましょうよ、ねぇ、宮沢さん。
  • 戸惑ったり、オロオロしたり、ドキドキしたり、困ってしまったり、つい笑ってしまったり、という予期し...
     障害のある人たちと地域の人たちとの演劇ワークショップはもう30年ほど前からやっているのですが、その頃の話です。 ●●●  「お、おんな、い、いますか?」 いきなりカタヒラ君は店員さんに聞きました。  「え?おんな?はぁ、おんなは、あの、今日はいませんが、いつもは三人ほどいますけど…」 と、店員さんはもうドギマギしながらやっとの思いで答えました。  演劇ワークショップで取材劇をやろうということになり、養護学校の生徒たちと街に取材に行った時の話です。彼らはいろんなお店がごちゃごちゃ入っている賑やかな駅ビルを選び、10人ばかり連れだって出かけていきました。  インタビューできるような関係も、その駅ビルのお店とはできていなかったので、いささか不安ではあったのですが、いきなりそんなドキッとするような質問が飛びだし、向こうもこっちも 「え?」 という感じ。それでもその一瞬のパンチ力あるひと言が、ドギマギしながらも、お互いの閉じた関係をパァッと取っ払ってしまいました。とりあえず事情を話せば相手の方もすぐに笑顔になり、ふつうに話のできる関係に。 「3月4日、あいてますか?」 といきなり切符売り場の駅員さんに聞いた人もいました。3月4日は芝居の発表会の日です。 「3月4日?3月4日は…あの…え?あなたが芝居をやる?芝居ねぇ…」 とかいいながらも、それでも律儀にその駅員さんは3月4日とメモしていました。  もちろんちゃんと答えてくれる人ばかりではなく、誰もお客さんがいないのに、彼らが質問したとたん 「あ、今、いそがしいですから」 と逃げる人もいました。  それほど露骨でないにしても、 「ああ、困ったなぁ、なんとかして下さいよ」 という目を、彼らに付き添っている私たちに向ける人もいました。  いずれにしても、思いもよらない言葉で突然生まれた、ちょっとオロオロしてしまうような瞬間をお互いが生き、それ故に思いもよらない新鮮な「出会い」があったことも確かでした。 ●●●  ぷかぷかでも同じようなことが日々起こっています。  パン厨房から飛び出し、やってきたお客さんにいきなり  「お父さんの名前はなんですか?」 と、聞く人がいて、  「え?お父さんの名前?」 と、一瞬時間が止まります。パンを買いに来たのに、どうしてお父さんの名前?と、大抵ドギマギします。  「お父さんのネクタイは何色ですか?」 と、次々に繰り出される質問に、 「そうか、ここはぷかぷかのお店だもんね」 とたいていの人はにんまりとするのですが、よくわからないままの人もいます。  パン教室で色々質問攻めにあう人もいます。  彼らとの「出会い」は、こういうところにこそあると思っています。この人たちとはこういうところに配慮しながら接して下さい、なんていう場で、「出会い」なんてありません。  お互いが裸で向き合い、戸惑ったり、オロオロしたり、ドキドキしたり、困ってしまったり、つい笑ってしまったり、という予期しない瞬間にこそ、本物の、思いもよらない素敵な「出会い」があるのだと思っています。  ちなみに冒頭で紹介した 「おんないますか?」 の取材で作った芝居は、電子本『とがった心が丸くなる』に載っています。アマゾンで販売中 www.amazon.co.jp  昔「グループ現代」が作った記録映画『みんなでワークショップ』の22分30秒あたりから取材を元にした芝居が記録されています。 www.youtube.com
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