『セロひきのゴーシュ』の背景画に使おうと思っている絵をカフェの壁に飾ってみました。すごくいい感じになりました。
「セロひきのゴーシュ」の言葉をそのまま書いただけなのに、それがそのままアートの作品になってしまうところが、彼らのすごいところだなと思います。私が書いたのでは、多分作品にはなりません。そこの違いはなんなんだろうと思います。
夕方日が落ちてから見ると、すごくいい雰囲気になっていました。
席に座ってお茶を飲みながら見ると、すごくいいです。ぜひ見に来てください。
『セロひきのゴーシュ』の背景画に使おうと思っている絵をカフェの壁に飾ってみました。すごくいい感じになりました。
「セロひきのゴーシュ」の言葉をそのまま書いただけなのに、それがそのままアートの作品になってしまうところが、彼らのすごいところだなと思います。私が書いたのでは、多分作品にはなりません。そこの違いはなんなんだろうと思います。
夕方日が落ちてから見ると、すごくいい雰囲気になっていました。
席に座ってお茶を飲みながら見ると、すごくいいです。ぜひ見に来てください。
「セロ弾きのゴーシュ」背景画作りの第二弾の映像ができました。制作は映像作家吉田さんです。一作目よりもはるかにいい作品に仕上がっています。
普段見慣れている風景が、全く違う世界に見えます。ここが映像作品のすごいところですね。新しい世界を作ってしまうのですから。
「ぷかぷかさんたち」の振る舞いが、すごくいいですね。集中している姿が本当に素晴らしいです。
1時間とちょっとでこれだけの作品を作り出すのですから、「ぷかぷかさんたち」のチカラってすごいなって思いました。その力をうまく引き出した金子さんの力量に拍手!です。
木曜日にカフェの壁に出来上がった作品を飾ります。ぜひ見に来てください。
私たちにとって、平穏な一日は、なにもしなくても当たり前のようにやってきます。今日も、明日も、明後日も。でもそうじゃない人がいること、日々、必死になって努力をしないと、その「平穏な一日」がやってこない人がいること、そのことに先日あらためて気がつきました。
統合失調症の方を家族に抱えるご両親の話を聞く機会がありました。日々大変な思いでお子さんに向き合っておられることが痛いほどわかりました。今日、平穏な一日をどうやって作り出すか、ただそのことだけに全力を注いでおられることが、言葉の端々からビリビリ伝わってきて、本当に頭が下がりました。
もうほっとけない気がしました。ご両親の抱えている苦労の百分の一でもいい、背負い込めるものなら背負い込んでいこうと思いました。支援とか、そんなレベルの話ではありません。そばに寄り添って、お父さんとお母さんの抱えている苦労を、ほんの少しかもしれないけれど、背負い込んでいこう。そう思いました。
今日、あなたが笑顔でいると、ただそれだけで嬉しい。
今日、あなたが不機嫌な顔をしていると、ただそれだけで悲しい、辛い。
どうしたらあなたが笑顔でいられるのか、
必死になって考える。
いろいろやってみる。
あなたの笑顔が出るまでやってみる。
ただそれだけ。
それだけのために一日があるような、
そんなおつきあいをあなたとしたい。
ほっとけない、と思ったのは、人としてそこに立ってしまったから。
いや、そういう思いが、人としてそこに立たせた、といった方がいいかもしれません。
一緒に生きていく、というのは、人として相手のそばに立つ、ということ。
障がいのある人たちは、そのようにして、私たちを人にするのだと思います。
人であることを思い出させてくれるのかもしれません。
アートディレクター金子さんをお呼びして、ゴーシュの背景画の材料を描きました。
♪ それから 頭を ひとつふって 椅子へかけると まるで トラみたいな いきおいで 昼の譜を ひきはじめました
オペラシアターこんにゃく座のオペラ『セロ弾きのゴーシュ』で、練習が終わって自分の家に帰ってきたゴーシュが水を一杯ごくごく飲んで練習を始めるシーンです。
まるでその時のゴーシュの勢いがそのまま出ているような描きっぷりです。
ここに添えた絵がいいですね。
絵がどんどん出来上がっていきます。
木曜日の朝、前回書いた絵と合わせてカフェの壁に飾ってみようと思っています。ぜひ見に来てください。
ブログを読んだスタッフから嬉しいメールが来ました。
ブログ、読ませていただきました。
がんばらない…って高崎さんらしい表現だなぁ~って妙に納得しました。
ありのまま、素のまま、そのままのメンバーさんは、なんと一緒に居て心地よいのでしょう!
『ぷかぷか』に感染してしまった人がなんと増えたことでしょう!
高崎さんの発信で、益々感染者を増やしてもらいたい(笑)、そう思います。
ちょっと仕事で嫌なことがあると、ついついセノーさんを探します。
セノーさんと会話して、ほっこりとしたいから。
忙しくてバタバタしていると、「ガミさん、お茶飲んで下さいね」ってミズキさんが声をかけてくれます。
お茶を飲みながら、お昼ご飯を食べながらナオコさんの呟く「おいしいっ」って優しい声が大好きです。
日々メンバーさんに癒されて、あ~なんて、私は幸せなんだろう…って思います。
一緒に過ごすこの幸せが、多くの方に伝染しますように!!
「あ~なんて、私は幸せなんだろう…」って言葉がいいですね。「支援」なんておよそ人間味の欠いた関係ではなく、幸せを感じるような関係こそ、彼らと作っていきたいと思うのです。
障がいのある人たちと一緒に生きていきたいと思うのは、そこに幸せを感じるからです。
12月12日(月)10時から団地集会室(パン屋の前)で辻さんの「見当違いの努力」の話を聞く集まりをやります。20名くらい入るといっぱいのスペースで、もう15人ほど埋まっていますが、あと5人くらいは大丈夫です。
花岡さんがこの集まりを紹介してくれています。
《どうにかこうにかして社会に…と苦しい思いをしているお母さんの気持ちが少しラクになるのではないかと思いました》
とありましたが、「見当違いの努力」から解放されると、本当に気持ちが楽になると思います。結局のところ、この努力の視線は障がいのある人たちのことを見下していて、努力せなあかん、みたいなこと言ってるわけで、社会の視線そのものです。辻さんの気づきは、その視線はおかしいんじゃないか、という問題提起です。それは社会全体のあり方をも問うようなすごい問題提起だと思います。
集まりに参加希望の方はメールでお問い合わせください。
今朝の朝日新聞朝刊の天声人語に
《自民党の会合では議員から「女性の社会進出で社会全体が豊かになっているとは思えない」という声まで出た》
とあって、びっくりしました。呆れました。社会を見る目の貧しさ、人間を見る目の貧しさを思います。こんな国会議員がいる限り、社会は豊かになっていかないなぁ、と暗澹たる気持ちになります。
「女性」を「障がいのある人たち」と置き換えると、どうでしょう。
「障がいのある人たちの社会進出で社会全体が豊かになっているとは思えない」と思う人は、多分圧倒的多数だと思います。いや、そもそも、彼らが社会に出ていくことで社会が豊かになる、というふうに考える人自体が、あまりいないのではないかと思います。
障害者雇用促進法にも、彼らを雇用することで社会が豊かになる、ということはひとことも書いてありません。障がいのある人が一般に企業に入ることはとても難しいのですが、それを「差別はいかん」ということで無理やり雇用を法律で強制している感じがします。雇用達成率を満たさないと罰金まであります。
なんか寒々しい世界です。
「差別はいかん」よりも「彼らを雇用すると、職場が豊かになるよ」と言った方が、彼らを受け入れやすい気がします。
障がいのある人が職場に入ることで、場合によってはいろんな「問題」が生じることもあります。ペースが合わないとか、指示がうまく伝わらないとか、効率が悪いとか、いろんな「問題」が生じます。でもその一つ一つの問題に丁寧に向き合い、どうやったら解決できるのかを考えることは、人間を豊かにします。「問題は人が豊かになるいい機会」だと受け止めるかどうかだと思います。
たまたまですが、昨日統合失調症を家族に持つ方とお話しする機会がありました。一緒に暮らしていく苦労は、聞いているだけでも辛いものがありました。でもその大変さと真正面から向き合っているご両親をあらためて尊敬しました。その苦労の中にこそ人が豊かになっていくものがあるように思いました。ですからぷかぷかもその苦労を分かち合いたいと思いました。
一緒に生きていく、というのはこの「苦労を一緒に背負い込む」ことでもあると思います。そういうことがあっての豊かさです。
「ぷかぷか」は「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」と言い続けています。その方が社会が豊かになると考えるからです。そして日々の活動の中でその豊かさを実際に作り出してきました。
パン教室では豊かな時間が流れています。演劇ワークショップでは豊かな作品を舞台に上げています。
「差別はいかん」だから「障がいのある人と一緒に生きていかねばならない」ではなく、「一緒に生きていった方が豊かになるよ」「得だよ」と言った方が、気持ちが楽です。
この豊かさは、津久井やまゆり園障害者殺傷事件の容疑者のいう「障害者はいない方がいい」「生きている意味がない」という主張と真っ向から対立するものです。事件を越える社会を作る、というのは、ですから「障がいのある人たちと一緒に生きることで社会の中に豊かさを作っていく」ことに他なりません。
「障がいのある人たちの社会進出で社会全体が豊かになった」とみんなが思えるような社会を目指して、「ぷかぷか」は明日も頑張ります。いや、がんばりません。頑張る世の中にはしたくないのです。頑張ったりせずに、そんな社会を作りたいと思っています。ぷかぷかの帰りの会はいつ始まって、いつ終わったのかがはっきりしないような、全くしまりのない会です。それでいてどこかホッとするような、居心地がいい場なのです。ですから、別に頑張らなくてもそういう社会はできるんだろうと思っています。
(ぷかぷかの帰りの会、ぜひおいでください。ぷかぷかウィルスに感染しない、という保証はありませんが…)
あ〜っと言う間に12月も数日が過ぎてしまっております。
この調子で日々が過ぎて行くとあっという間にみんなおじいちゃんおばあちゃんになってしまいます。1日1日を大切にのんびりゆっくりと過ごしたいものです。
ではでは11月後半メニューのご紹介をさせていただきます。
『そよ風のように街に出よう』の終刊についてのNHKの報道について丁寧に書いたサイトがありました。
希望の言葉を綴った雑誌が終刊を迎えた今、その希望は私たち自身が作っていくしかないと思います。
ぷかぷかは障がいのある人たちと一緒に働きながら、たくさんの希望を作り出していきたいと思っています。希望は作ろうとしなければ生まれません。
先日書いた日記にこんなことを書いています。
ぷかぷかのパンフレットの1ページ目にはこんな絵があります。
みんなでパンをかついでいます。この絵はアート部門のスタッフが、いわば「採用試験」の際に描いた絵ですが、私はいっぺんに気に入りました。
ぷかぷかはパン屋から始まりました。現在は様々な事業をおこなっていますが、やはり中心はパンです。パン屋から始まった事業が、ただ単にパンを作って販売することに終わらず、みんなが暮らしやすい豊かな社会を作っていくことに貢献しています。
社会の豊かさを少しずつ生み出していることを日記に書いて発信していますが、ぷかぷかは事業を展開する中で、そういったものをたくさん生み出しています。
みんなでパンをかついで、そういう社会を作っていこうよ、って言っているのです。ただ単にパンが売れればいい、っていうのではなく、ぷかぷかの活動を通して、社会を少しでもよくしていきたいと思っているのです。
石垣りんさんの詩に「空をかついで」というのがあります。私の大好きな詩です。
肩は/首の付け根から/なだらかにのびて。
肩は/地平線のように/つながって。
人はみんなで/空をかついで/きのうからきょうへと。
子どもよ/おまえのその肩に/おとなたちは/きょうからあしたを移しかえる。
この重たさを/この輝きと暗やみを/あまりにちいさいその肩に。
少しずつ/少しずつ。
相模原障害者殺傷事件が起こるような社会は病んでいます。そうではない、いろんな人が、ありのままで暮らせる豊かな社会、未来に希望の持てる社会をみんなで作り、子どもたちに引き継ぎたいと思っています。みんなでパンをかついで、それを実現しようというわけです。
ホームページで、そういった物語が伝えることができれば、と思っています。
『そよ風のように街に出よう』があちこちにばら撒いた希望の種を「ぷかぷか」はしっかり受け止め、少しずつ少しずつ膨らませていきたいと思っています。
障がいのある人たちの働くパン屋にこんなに行列ができるのです。ここには希望があります。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。