ぷかぷか日記

「むっつり大王」と向き合う

 第二期みんなでワークショップで作っている「みんなの生きる」の詩の世界を蹴散らかすような「むっつり大王」は,生まれてこの方笑ったことがなく、楽しいことやうれしいことが大嫌い。超根暗人間で、いつも不機嫌きわまるむっつりした顔をしています。そのむっつり大王の案がいくつか出てきました。

 

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これはデフパペットシアターの大里さんの案。「ああつまらない」「ああおもしろくない」と不満たっぷりの顔ですが、どこかかわいくて憎めない感じ。

 

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これはぷかぷかの近藤さんの案。口元がいかにもむっつり。目にも不機嫌さがあふれ出ていて,何かにつけ因縁つける、いかにも陰気な大王です。

 

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これもぷかぷかの近藤さんの案。不機嫌さの塊のような顔。幸せそうな顔見るともう蹴飛ばしたい衝動に駆られるやっかいきわまる大王。

 

 

 みんなの幸せな時間をたたきつぶしてしまう「むっつり大王」。いかにも手強い相手ですが、「生きる」「幸せ」とか「楽しさ」とか「喜び」といったものは、何もしなくてもいつでも手に入るものでもなく、時にこういうやっかいきわまる「むっつり大王」のような存在と闘う必要があるのだと思います。「平和」と同じです。何もしなくても「平和」があるのではなく、不断の努力が大事、ということは戦争に巻き込まれる危険がいっぱいの「安保法案」が通ってしまう最近の政治状況を見ればすぐにわかります。

 

 最近「ぷかぷかに来ると癒やされる」「ホッとする」という人が増えてきたのも、社会全体がどこか息苦しくなっていることの裏返しのような気がしています。息苦しさを生み出しているのは何なんだろうか、という問いは、私たち自身がいつも考え続けねばならない問いだと思います。

「むっつり大王」は「生きる」「幸せ」をぶちこわす一つのシンボルではあるのですが、「むっつり大王」と向き合うとき、「生きる」の詩にある「かくされた悪を注意深くこばむこと」の「かくされた悪」に気がつくのではないかと思うのです。

 

 

 

 

11月7日パン教室

 パン教室をやりました。元ABCクッキングスタジオのパン教室の講師をやっていたスタッフが中心になってやったので、いつもとかなり違う感じでパンが焼き上がりました。

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 メンバーさんは手つきがすごくよくなっていて、あらためて彼らの成長ぶりにびっくりです。

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小さな子どもも,こっちがあれこれ言わなくても、ごく自然に交じってやるところがすごくいいです。

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 寄ってたかって生地の分割

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さつまいもあんパンを成形します。やわらかいあんこを包むのがむつかしい。

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あんこを包んだあと、黒ごまをつけます。ワインのコルク栓をぬらして黒ごまをつけ、それをあんこを包んだ生地にぺたんとはんこみたいに押します。

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バターロールの生地を型に詰め込んで、押しくらまんじゅうパンを作ります。

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フーガスを作ります。ピザ生地をのばし、半分にチーズを乗せ、織り込みます。スケッパーで切り込みを入れ、オリーブオイルを塗ります。

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パンが焼き上がります。

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この豪華な食事

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人権研修会の講師にぷかぷかのメンバーさん

 緑区役所で人権の研修会の講師を頼まれました。私が一人でしゃべるより、人権問題の当事者にしゃべってもらった方がいいと思い、ぷかぷかのメンバーさんに二人ほど一緒に行ってもらうことにしました。麻野さんと辻さんです。区役所のみなさんからいろいろ質問してもらい、それに答える形で彼らの思っていることをしゃべってもらおうかと思っています。

 障がいのある人たちを社会から締め出してしまうのは、やはり彼らのことをよく知らない、ということがいちばんの原因だろうと思います。知らないから、あの人たちは何もできない、何考えているかわからない、怖い、といった思い込みで私たちの社会から締め出してしまいます。締め出された結果、ぷかぷかのような福祉事業所に集まってきます。

 私はあんなにステキな人たちを社会から締め出してしまうことは、社会の大いなる損失だと思っています。

 彼らのおしゃべりを聞く中で、心がちょっとでもあたたかいもので満たされるなら、彼らを社会から締め出してしまうことが、私たちの社会にとってどれだけ損なことか、実感としてわかると思います。

 ぷかぷかが今地域社会を豊かにしているのも、社会が失った損失を、地域の方たちがぷかぷかで見つけ出した,ということだと思います。

 

 辻さんには「ヨイトマケの唄」も歌ってもらう予定でいます。しみじみ心にしみる歌です。映画『ぷかぷか』の最後のシーンで歌い、号泣した、という方がいました。辻さんて、何かとしつこくて、うるさい人ですが、時として人の心に響く言葉を持っている方です。

  ぷかぷかのイベントでは「魅惑のチキルーム」をうたってくれました。

www.youtube.com

 

 こんな歌が聴ける人権研修会って、多分今までどこにもなかったんじゃないかと思います。ひょっとしたらほんとうに号泣する人が出てきて、感動的な人権研修会になるのではないかと思っています。映画『ぷかぷか』上映会の時、私は涙が止まらなくて、映画のあとのトークショーの言葉に詰まってしまったことがあるので、今度はそういうことがないように辻さんの歌を聴こうと思っています。

 

 

 

『ぽんちんぱん』でステキな《時間》

子どもと一緒に声を出して読むと楽しい絵本買いました。

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ぱんぱん しょくぱん ぽんちんぱん

子どもにもいいやすいので、親子で掛け合いでやってみて下さい。

(スキャナーが小さくて2枚になっています)

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ぱんぱん ロールパン ぽんちんぱん

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ちぎちぎ ぱっぱで ぽんちんぱん

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ぱんぱん ドーナツ ぽんちんぱん

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ちぎちぎ ぱっぱで ぽんちんぱん

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子どもと一緒に声を出し合って楽しめるのも、子どもが小さいうちだけ。かけがえのないそんなステキな《時間》を,この絵本は創ってくれます。

 カフェに置いておきます。

ぷかぷか基準

 hanaちゃんと一緒にパン屋をやりたいと研修に来られた花岡さんがすばらしいブログを書かれていましたので紹介します。

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hanaちゃんがパン屋で働く、というのは現実問題、かなりむつかしいなかで、それでも、

《 hanaのありのままを大切に子育てしていけば、おのずと道は開けて来る予感はしています。(正直云うと、予感というよりももっと強い感覚です。笑われるかもしれませんが、確信に近いです)  》

と書ききる花岡さんがすごいと思いました。確信の文字は赤になっていて、花岡さんの熱い思いというか「自信」を見た気がしました。これはhanaちゃんと一緒に生きることで、花岡さん自身と、まわりの世界が変わっていったことが「確信」という言葉のベースにあるように思いました。そういうものがなければ「確信」なんて言葉は使えません。

 そこで思ったのは最近のぷかぷかを巡るまわりの動きというか、「hana基準」に相当する「ぷかぷか基準」に対するまわりの評価です。「ぷかぷか基準」というのは今思いついた言葉ですが、要するに「ぷかぷか」が一番大事にしているものです。

 それはなんといっても「障がいのある彼らがありのままの自分でいられる」ということです。彼らを社会の基準に合わせるのではなく、彼らを基準にする、ありのままの彼らを受け入れる、その方が「得!」ということです。

 「得!」というのは、私たちがそのことで豊かになる、ということです。ありのままの彼らの魅力に出会うと、ほんとうに心が癒やされます。心があたたかいもので満たされます。最近「ぷかぷかが好き!」という人が増えてきたのは、そういった彼らの魅力に気がついた人が増えたということだと思います。

 ありのままの自分でいいんだよ、という「ぷかぷか基準」こそがぷかぷかの魅力を創りだし、こんなふうにして社会を少しずつ豊かにしているように思うのです。

 そんな「ぷかぷか基準」で作られた「ぷかぷか」を、近々区役所の課長、係長クラスの人たちがなんと9名も見学に来るというのです。ね、世の中少しずつ変わって行きつつあるのだと思いますよ。

 hanaちゃんのお母さんが「確信に近いです」と書いた気持ち、ぷかぷか5年目の今、すごくよくわかります。

 

これが「ぷかぷか基準」

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hana基準にあった働き方

 hanaちゃんのお母さんが、将来hanaちゃんと一緒にパン屋をやりたいと,今日、パン屋に研修に来ました。

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 hanaちゃんはとても障がいの重いお子さんで、一緒にパン屋をやると言っても、hanaちゃんには多分仕事はむつかしいので、そばに一緒にいるくらいしか現実的にはできないのかなと思います。それでも尚、hanaちゃんと一緒にパン屋をやりたい、と思うその「志」がすばらしいと思うのです。

 hanaちゃんくらい障がいが重いと、養護学校を出たあとは生活支援の施設に行くのがふつうですが、そんなふうに決められた人生コースを歩むなんてつまんないじゃん、という思いがお母さんにはあるようです。決められた人生コースではなく、どこまでもhanaちゃんと一緒に自分の人生を生きるんだ、という熱い思い。エールを送りたいです。

 重い障がいを持った子どもと一緒に人生を切り開いていこうとすれば、当然様々な困難が予想されるのですが、それにひるむことなく、むしろそれを楽しむかのように「一緒にパン屋やります」というお母さん。「世界がhana基準になったら」

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といったことを書くくらいのお母さんですから、一緒に働くことのイメージがひっくり返るほどのアイデアがひょっとしたら出てくるかも知れません。

 hanaちゃん自身,こうやって寝っ転がっていることが多いのですが、

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こうやってみんなと詩を読んだり、

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お母さんと一緒に詩の発表を聞いたり

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マツイさんに惚れ込んだり

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やるときはちゃんとやる人です。

 

hanaちゃんはまだ小学1年生。パン屋が始まるまでまだまだ時間があります。それまでにhanaちゃんがパン屋で働くってどういう感じかなぁ、とか、hanaちゃんがありのままの姿でいて、それでいてしっかり働いていることになるのはどんなときかなぁ、とか、みんなで考えれば、今までにない新しい働き方が出てくるのではないかと思ったりします。それこそ「hana基準にあった働き方」です。

 もしこれがうまく見つかれば、障がいのある人たち、特に重い障がいを持った人たちのすばらしい希望になる気がします。決められた人生コースに乗るのではなく、子どもと一緒に自分の人生をクリエイティブに生きていこうと思っているお母さん、お父さんにとっても。

 

《得!》という言葉は侮れない

 「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方が《得!》」といつも言っています。この《得!》という言葉が、この業界(?)にあってとても新鮮でした、と先日お会いした方に言われました。

 この業界とは要するに福祉の業界ですが、誰かのために何かをやってあげる、ことの多い業界であり、それを《得!》だからこの仕事を始めた、という人は今までいなかったのではないか、というわけです。

 だから「すごい」、とも言ってましたが、何で「すごい」のかはよくわかりませんでした。

 《得!》という言葉は、自分の素直な感覚から出ているので、障がいのある人たちとのおつきあいに無理がありません。一昔前は「障がいのある人たちとは共に生きねばならない」とか「共に生きよう」という言葉がはやっていましたが、言葉の上では共感できても、実感としてついて行けないというか、かなり無理がある気がしていました。

 そういう意味で《得!》という言葉は、養護学校で彼らと毎日おつきあいする中で実感した言葉です。以前にも書きましたが、養護学校の教員になって1年目、小学部の6年生を受け持っていました。クラスのみんなで1週間くらいかけて紙粘土で大きな犬を作ったことがあります。毎日毎日「大きな犬ができるねぇ」「楽しみだねぇ」「できあがったら名前つけてあげようね」とか言いながら、少しずつ犬ができあがってきました。

 そうして完成した日、「ところでけんちゃんさぁ、これ何を作ったんだっけ?」と犬を指先ながら聞きました。こういう質問も養護学校では大事な勉強になります。

 けんちゃんは一生懸命考えていました。

「え〜とね」「え〜と」「え〜と」…とものすごい時間かけて考え、

「そうだ、わかった、おさかな!」

と満面の笑みを浮かべて答えたのです。

もう笑っちゃったというか、大あたりぃ!かんかんかんかん…と鐘を100回くらいならしたいくらいでした。

 彼らと過ごす日々には、そういったことがいっぱいありました。いつしか、彼らとは一緒に生きていった方がいいよな、得だよな、とごく自然に思うようになりました。

 彼らと一緒に生きていく場として「ぷかぷか」を始める原点は、彼らと一緒に過ごしたこんな楽しい日々があります。

 人生が楽しくなりました。人生が豊かになりました。生きることが自由になりました。そういったことを考えると、彼らとは一緒に生きていった方が《得!》というときの《得》の中身は天文学的といっていいくらいの《お得感》があるのではないかと思ったりするのです。彼らとは、ほんと,つきあわなきゃ損!ですよ。

 

 そんなふうに言い続けて5年、「ぷかぷかが好き!」「ぷかぷかのファン」という人がだんだん増えてきました。「ぷかぷか」はそうやって地域社会を豊かにしているのだと思います。社会から疎外されている人たちのことを好きになるなんて、考えてみればすごいことだと思います。そういう人が増えることで地域社会は豊かになっていきます。

 すべては《得!》という言葉から始まったものです。《得!》という言葉はだから侮れないなと思います。

 

料理しながらこんな遊びができてしまう彼らとは一緒に生きていった方が絶対に《得!》です。普通の人ではこんなことできません。ま、こんなこと突然始めたボランティアの木下さんも偉いのですが、それにすぐ乗ってきた彼らがいたからこそできたステキな時間だったと思います。これ昨日の料理教室です。

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ハロウィンの料理教室

10月31日(土)ハロウィンの料理教室がありました。カボチャを使った料理教室です。カボチャのグラタンとカボチャのコロッケを作りました。

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カボチャを蒸します。

 

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ホワイトソースを作ります。

 

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なぜかこんなことをやっているテーブルも

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こうやって子どもたちも当たり前のように一緒に調理。「人権研修」などといったもの

をする大人たちよりはるか先へ進んでいる。

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むっつり大王

 第二期の「みんなでワークショップ」は谷川俊太郎の詩「生きる」を朗読することから始まりました。そのあと、それぞれの「生きる」の詩を書き、それをまとめて、みんなの「生きる」を作ったのですが、これだけでは芝居が立ち上がってきません。で、前回、一回目で書いた詩に対立するものとして「嫌なこと」とか「悲しいこと」で詩を書いたのですが、みんなが共有できる対立軸がなかなか見えてこなくて、どうしたもんか、と進行役をやっている演劇デザインギルドのせっちゃんと打ち合わせしました。 

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  このクジラが対立軸を作るのに使えないかとも思ったのですが、1時間くらい話してもなかなかいいアイデアが出てきません。いや、いろいろアイデアは出てくるのですが、みんなを引っぱっていくだけの力のある物語がありません。う〜、困ったな、と思いながら、もう一度今回の詩の出発点に戻ります。

 生きているということ、今、生きているということ、それは旅行に行くこと、映画に行くこと、ダンスをすること…、と、楽しいこと、うれしいことがずらっと並びました。それと対立するもの、みんなの思いをつぶしてしまうもの、それは何なんだろう、とあらためて考えました。

 楽しいことが嫌い、うれしいことも嫌い、旅行も映画もダンスも大嫌い…そういう人はいつもむっつり顔、そうだ、「むっつり大王」っていうのはどう?って,カフェでお茶飲みながら、突然せっちゃんに聞いたのでした。

 とにかく楽しいことやうれしいことが大嫌いで、生まれてこのかた一度も笑ったことがなくて、いつも「むっつり顔」。「木漏れ日がまぶしい」なんてうれしそうに言おうものなら、うるさい!そんなことはうれしくも何ともない!うれしそうな顔したこいつを逮捕しろ!なんてめちゃくちゃなことを言う「むっつり大王」なのです。

 去年の『森は生きている』に,冬のさなかにマツユキソウが欲しい、などといいだしたわがままな王様が登場しましたが、「むっつり大王」はそれよりももっとたちが悪いというか、世界中から楽しいこと、うれしいことを奪い取ってしまいます。そして楽しいことがないので、みんな「むっつり顔」になってしまいます。

 これに合わせて、ワークショップの中で、「むっつりの階段」というコミュニケーションゲームをやろうかなと思っています。横一列に7,8人並びます。いちばん端の人がちょっとむっつりした顔をします。その隣の人はその顔をしっかり見て、それよりももう少しむっつりした顔をします。その隣の人はその顔を見て、更にむっつりした顔をします。というふうに「むっつり顔」がだんだんエスカレートしていきます。最後はもう不機嫌が爆発しそうな「むっつり顔」になるというわけです。

 その「むっつり顔」を今度は一人ひとり画用紙に描きます。どの顔がいちばん不機嫌かを争う「むっつり顔コンテスト」をやります。一等賞を取った顔をモデルに「むっつり大王」の巨大な人形を作ります。これは人形劇団「デフパペットシアターひとみ」の人たちに協力してもらいながら、高さ3mくらいの大きな人形を作ろうかなと思っています。不機嫌のオーラを辺り一面にばらまく「むっつり大王」の誕生です。

 世の中から楽しいこと、うれしいことがことごとくなくなり、みんなむっつり顔になります。そのときにそれぞれが描いた「むっつり顔」の絵をお面にして顔につけます。

 さて、「みんなの生きる」の詩にある楽しい世界が「むっつり大王」によって全部つぶされてしまった今、私たちはどうすれば元の楽しい世界に戻れるのか、どうすればむっつり顔から笑顔に戻れるのか、それが今回のワークショップのテーマになります。

 「むっつり大王」をやっつけてしまえば、元の世界に戻れるのですが、暴力的に倒すようなことはしたくないなぁ、と思っています。もっとエレガントな方法というか、そもそもどうして「むっつり大王」などという勝手きわまる大王が現れたのか、谷川俊太郎の詩「生きる」の世界を阻害するような要因が、やはり今の社会にはあるのではないか、といったこと。そこを少し丁寧に見ていくような解決方法が探れないものかと考えています。

 最近「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」という人が増えているのも、結局のところ、社会がだんだん息苦しくなっていることが背景としてあるのではないかと思います。だからぷかぷかに来るとホッとしたり、癒やされたり、といったことがあるのではないか、というわけです。だとすれば彼らの存在そのものが、この息苦しい社会を救うことになります。

 わんどにいる二頭のクジラさんにも登場してもらおうかと思っています。クジラが「むっつり大王」に体当たりしてみんなを救う、といった単純な話ではなく、青い空を大きなクジラがゆったり飛ぶと何かが起こるような、そんな物語です。

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よく晴れた朝、こうやって大きなクジラがゆったりと空を飛ぶ日、街にはきっと何かが起こる気がするのです。むっつり大王の弱みにつながる何か、それをみんなで捜そう、というわけです。

 

 と、「むっつり大王」を思いついてから一気にここまで書きましたが、ワークショップは多分思い通りには生きません。思い通りに行かないからこそおもしろいし、思ってもみない新しいものが出てきます。ただその過程は、とてもしんどいものになります。そのしんどさがみんなを磨きます。

 とりあえず、この構想を元にせっちゃんにシラバス(ワークショップの進行プログラム)を作ってもらいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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