ぷかぷか日記

世の中、希望が持てる、って子どもたちが教えてくれた。

  昨日、養護学校のとびきり楽しい子どもたちを養護学校の中に閉じ込めておくのはもったいないと、武蔵野の原っぱまで連れて行った話を書きました。

 原っぱはこんな感じです。7万平方メートル。とにかく何にもない、本当に開放感に満ちあふれた原っぱでした。

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 そこで遊んでいた子どもたちといきなり野球をやりました。4年生のみさえの記録によると、(昔私の書いた『街角のパフォーマンス』より引用)

 

 気がついたら、けんいち君がバットを持って構えているので、ゆるい球を投げていっしょに野球をやることにしました。でも、けんいち君は球をじぃっと見ていて、キャッチャーが球を捕ってからバットを振っていました。だんだんタイミングが合うようになりました。でも、打っても走らないので、お兄さんが手を引いて1塁まで走りました。バットを離さないのでおにいさんたちが「かして」と言ったのですが、離しませんでした。でも私が言うと、かしてくれました。だからけんいち君が打ったら、バットを持って行っちゃうので、私が追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。

 てき、みかたなし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバットふれる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、てきみかたなし、チームなしになったの。

 

 子どもたちで一生懸命工夫しながらけんいち君といっしょに野球をやったことがとてもよくわかります。ルールをすっかり変えて、とにかくみんなが楽しめるようにしたことが、すごいなぁと思います。

 数日後、1年生のクンクンから手紙が来ました。

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  うれしくてうれしくて、ちょっと涙が出ました。養護学校の子どもたちと恐らく初めて出会った街の子どもたちが、ここまでやってくれたことに、なんか感動してしまったのです。

 世の中、希望が持てる、って子どもたちが教えてくれたのでした。

 

 

 

 

  

 

人生が何倍も楽しくなった気がして

 歯を磨きながら「アルゴリズム体操」を歌うツジさんのことを昨日書きましたが、こういう人がいるから世の中楽しいんだと思います。世の中には絶対に必要な人たちだと思います。

 昔、養護学校に勤務し、彼らと初めてであった頃、なんて楽しい人たちなんだ、とつくづく思ったことがあります。こちらの言うことを全く聞いてくれなかったり、めちゃくちゃなことをやってくれたり、大変なことはいっぱいありましたが、そんなことをはるかに超える楽しさを彼らは持っていました。

 彼らとおつきあいする毎日が楽しくて楽しくて、人生がそれまでの何倍も楽しくなった気がしました。こんな楽しい人たちを養護学校の中に閉じ込めておくのはもったいないと、せっせと外へ連れ出しました。学校の外の人に彼らと出会って欲しいと思ったのです。

 知り合いが武蔵野の原っぱで子どもたちといっしょに「あそぼう会」というのをやっていて、日曜日に電車に乗って出かけたりしました。ここには養護学校の子どもたちをそのまま受け止めてくれる人たち、彼らとおつきあいする楽しさを共有できる人たちがたくさんいました。そういう人たちと出会えたことが、私にはとても大きな出来事でした。彼らといっしょに街へ出ることの意味を最初に教えてくれたのが武蔵野の原っぱの人たちだったように思います。

 養護学校の子どもたちとただあそぶだけでは物足りなくなって、この楽しい関係をもっとクリエイティブなものに生かそうと、その2年後に彼らと地域の人たちで演劇ワークショップを始めました。プロの役者たちがたじたじになるほどの彼らの楽しい存在感は、ワークショップの場で、あるいは舞台の上で、本当に光っていました。

 生活クラブのお店の前の駐車場で開かれていた「あおぞら市」には、彼らといっしょに手打ちうどんのお店を出したりしました。うどんもおいしかったのですが、やはり彼らがそこにいることで、うどん屋の周りが、なぜかホッと一息つける空間になったことが大きかったと思います。彼らがいると、そこがなんだか楽しくなる、ということです。宮澤賢治の「ポラーノの広場」のような雰囲気。

 これは今のぷかぷかのお店と同じですね。

 三ツ境養護学校で、全校生を巻き込んだ芝居作りを10年も続けられたのも、彼らが創り出すなんともいえない楽しさのおかげだったと思います。そこでやった芝居作りは、私がシナリオを書いて、その通りにみんなが動く、といったものではなく、みんなとの楽しいやりとりの中で、みんなで物語を少しずつ創っていく、というまさにワークショップのやり方でした。

 三ツ境養護学校の30周年を任されたときのことです。養護学校の子どもたちが素直にお祝いできる30周年てなんだろうって、結構必死に考えました。そのとき思いついたのが、30周年というのは要するに学校の30歳の誕生日ではないのか、ならば「みつきょうようこ」さんの30歳の誕生会をやろう、ということになって、さっそく子どもたちに「みつきょうようこ」さんの絵を描いてもらいました。

 楽しい絵がいっぱい出てきて、廊下に張り出したら、廊下を歩くのが本当に楽しくなりました。下はその当時書いていた「子どもとゆく」という雑誌のコピーですが、左下のような絵が廊下いっぱいにワンワンと張り出されたのでした。

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 こんな楽しい絵を元にお話を創っていくのですから、本当に楽しい1年でした。記念式典(?)に参加した地域の長老がのけぞるほどの楽しい30周年ができたのは、楽しさの塊のような子どもたちのおかげでした。

 

 彼らの醸し出す楽しさはみんなの「宝」だと思います。

 

 

歯を磨きながらアルゴリズム体操

 ツジさんは歯を磨きながらなぜか「アルゴリズム体操」を歌います。歯ブラシでがしがし磨きながら歌いますから、すごく大変です。誰かに言われてやっているのでもなく、自分ではじめたわけですから、なんとも不思議な人です。しかも家でもこれをやっているそうで、もう、尊敬してしまいます。

 何がきっかけでこんなことをはじめたのかよくわかりません。気がつくと、食事のあと、いつも洗面所から歌が聞こえ、のぞいてみるとツジさんが歯を磨きながら歌っていた、というわけです。

  こんなオリジナリティあふれるパフォーマンスをやる人は、そういません。多分世界中に一人しかいないと思います。本当に貴重な方だと思います。こういう人がいるから、世界が豊かになっていくんだと思います。

 今日、たまたま歯を磨いているところをビデオに撮りました。何遍見てもかわいくて、笑ってしまいます。

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マリリンモンロー

のぼさんがマリリンモンローを描きました。右手と左手を使って描きます。スマホにマリリンモンローの写真を出し、それを見ながら描いていました。

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2枚描いて、1枚だけ色塗りしました。f:id:pukapuka-pan:20141222165802j:plain

 

いいこと言うなぁ、と人ごとのように思って

 宮沢あけみさんの編集した「表現の市場」の映像を見ました。生の体験とは違う形で、あのときの熱い時間が伝わってきました。

 冒頭、「表現の市場」の前座としてtuji-kunの歌があるのですが、それに「立ってるだけで様になるのはプロの役者を超えていますよ」という私のインタビューが重なり、彼の存在感、「味」がよく伝わってきます。

 それにしてもtuji-kunはいい味出してますね。この味はもっともっと生かさないと、彼と同時代を生きるものとして、ものすごく「損」だと思いました。私は彼らといっしょに生きていった方が絶対「得!」と思っているのですが、その「お得感」が彼のパフォ−マンスを見ているとよくわかります。

 パンの外販先で彼のファンが多いのは、この「お得感」を感じている人が多いからだと思います。その「お得感」こそが、外販の売り上げを底上げしている、というのがおもしろいと思います。

 売り上げの伸びはですから、「いっしょに生きていった方が得!」となんとなく思い始めた人たちが増えてきた、ということだと思います。商売がうまくいき、おまけにそう思う人たちが増えるということは、まさに一石二鳥。

 養護学校の教員やっている頃は、彼らを社会に合わせていかないと、彼らは社会の中で生きていけない、なんて思っていて、社会のルールみたいなことを一生懸命教えていましたが、tuji-kunと売り上げの推移を見ていると、そのまんまでいいじゃん、なんて思うのです。

 ワークショップとか表現の市場は、まさに「そのまんま」で勝負した「場」でした。社会のルールにあわせなければ、お互いが「楽」であり、お互いが「自由」になれます。そして「そのまんま」の彼らといっしょにワークショップやると、こんなにおもしろいものができあがる、ということを具体的に差し出せたと思います。

 そのことが素直に伝わってくる映像だったと思います。37分間の舞台の時間を彼らはいっしょに生きて、いっしょに生きることで、すばらしい作品を作り上げていました。日経新聞の「ソーシャルイニシアティブ大賞」のいちばんの課題でもある「新しい価値の創造」そのものだと思いました。

 いっしょに生きていった方がいいよ、というのは、「いっしょに生きていくことの価値」の提案でもある、と思います。どちらかと言えば、彼らとは別々の方がいいと思っている人が圧倒的多数の中にあって、これは今までにない「新しい価値」といっていいと思います。

 30年ほど前、ワークショップで創り出したものは新しい文化だと言っていたのですが、何言ってんだ、という雰囲気で、誰も認めてくれませんでした。それがここへ来て「エイブルアート」などが新しい価値として話題を呼ぶ時代になり、時代がようやく追いついてきた、という感じです。

 映像を見て発見したのは(というのも変ですが、感覚的にはそうとしか言いようがないのです)、表現の市場の終了後、宮沢さんのインタビューを受け、それがうまく映像の中に組み込まれていて、いいこと言うなぁ、と人ごとのように思ったことです。元々しゃべることは苦手で、ましてカメラの前でしゃべるとなると、しどろもどろになり、今回も、もう少しうまく言えなかったのかと、反省することしきりでした。ところが映像の中に組み込まれると、私のおしゃべりがしっかり生きていて、自分の言葉なのに、そうだよなぁ、と頷いたりしていました。

 もう一つ。はっぱ隊の舞台の映像に、私がぷかぷか日記に書いた言葉が重ねられていて、これも自分で書いた言葉とは思えないくらい光っていました。やっぱり時々他人のフィルターを通して、自分の言葉を客観的に見る機会があった方がいいなと思いました。(ブログやFacebookでうれしい評価はいただいているのですが、映画になると全く違う感じでした)

 

 今回宮沢さんからお預かりしたのは「表現の市場」で発表した舞台だけの映像でしたが、そこに至るまでのワークショップの映像がまとまれば、「いっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージが、もっともっと具体的に伝わる気がしています。

 この映像をどんなふうに広げていけばいいのか、今、宮沢さんと思案中です。一人で見るのもいいのですが、できれば何人かで見ていただいて、いっしょに生きていくことについていろいろな感想が出てきたり、話し合いができたりする方がいいなと思っています。できれば私なり、宮沢さんをその場に呼んでいただければ、映像では語りきれなかった部分についてもお話しできるかと思います。

 こんなやり方がいいよ、っていう提案がありましたら、ぜひお知らせください。

 

 

 

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