ぷかぷか日記

ケンタロウくんに感謝

 ケンタロウが亡くなりました、と朝、お母さんから電話がありました。ケンタロウくんは養護学校の教員になって2年目に担任した子どもで、今はもう40歳くらいになっています。ガンだったようです。

 ケンタロウくんは犬が大好きで、いっしょに散歩に行って犬を見つけると、だーっと駆け寄り、思いっきりぎゅっと抱きしめて、顔をべろべろなめ回していました。犬がケンタロウくんの顔をなめたのではなく、その逆だったので、犬の方がどぎまぎしていました。私も犬は大好きですが、ケンタロウくんとは「好き」のレベルが違うと思いました。

 気持ちのストレートな表現に感動してしまったことを未だに覚えています。自分を抑えるものがないというか、なんて自由なんだと思いました。自分の気持ちをここまで素直に表現できたら気持ちいいだろうなと思いました。

 ワークショップを始めたのもこの頃でした。ケンタロウくんはいっしょに芝居をやったりというのはむつかしい人でしたが、といってワークショップに参加しなかったわけではなく、とにかくよく笑う人で、みんながいろいろアクションをやるたびに、それに反応してケラケラ笑い、ワークショップの場をしっかり支えていました。

 お母さんはワークショップをめいっぱい楽しんでいました。発表会で、男の子ともじもじしながらデートする役をやり、20歳くらい若返ったその役を存分に楽しんでいました。

 自分が楽しむことを知っていたお母さんだったので、その頃養護学校の子どもたちといっしょに公園で遊ぼう!ということで月二回くらい集まっていた「あそぼう会」を中心になって楽しんでいました。障がいのある子どもたちのため、というより、お母さん自身が楽しんで遊んでいるところがいいと思いました。自分の人生を楽しむ、ということを、子どもの人生と同じくらい大事にしている人でした。

 重度の障がいを持った二人が施設を出て街の中で自立生活をするというドキュメンターリー映画「みちことオーサ」を自主上映したときも、小山内みちこさんとオーサという脳性麻痺の二人の女性の生き方に、いっしょに感動し、いいね、いいねと言いながら、ずいぶんいろいろな話をしました。この映画の上映がきっかけで、「遊ぼう会」が障がいのある人たちの社会的な生きにくさ、という問題に目を向けるようになりました。

 障がいのある人が電車の中で赤ん坊の髪の毛を引っ張り、そういう子どもをひとりで電車に乗せないでください、という投書が朝日新聞に載ったときも、いちばんよく話ができたのは「遊ぼう会」の人たちでした。ケンタロウくんのお母さんをはじめ、障がいのある子どもたちを抱えたお母さんたちと、地域の方たちがいっしょに話ができるような集まりが「遊ぼう会」でした。障がいのある人たちと、そうでない人たちがお互い知り合う機会をもっともっと作った方がいいね、投書したお母さんが障がいのある子どもと少しでもおつきあいがあれば、もう少し対応は違っていたと思うよ、といった話が「遊ぼう会」ではできました。

  今「ぷかぷか」でいつも話題になる、お互い知り合う機会を作った方がいい、という話は、ケンタロウくんのお母さんといっしょにいろいろやってた30年ほど前に生まれたのでした。

 ケンタロウくんとそのお母さんは、私が学校から飛び出して、地域でいろいろ動き始めた頃のいちばんの仲間でした。そして何よりもケンタロウくんは、私がこの世界にのめり込むきっかけを作ってくれた何人かの子どものひとりでした。ケンタロウくんに感謝!

 

パン教室はパンといっしょに希望のある未来を

 1月17日、パン教室がありました。今回も地域の子どもたちがたくさん参加し、にぎやかで楽しいパン教室になりました。

 

 最初にケーキ作りで卵をホイップ

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あれ?レシピはどうだっけ?

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ハンドミキサー使ってどんどんホイップ

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あんこになる小豆を洗います。

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ケーキをオーブンに入れたあとはパン作りに。生地をこねます。

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この力強い手

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別のテーブルでは、ケーキのトッピングに使うリンゴを切っていました。

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小さな子どもも一生懸命こねます。

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この手つきがいい

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子どもたちは飽きると別室へ

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自閉症と診断された子どもとこんな幸せな時間を作っている人もいました。

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こっちまで幸せな気持ちになってシャッター切りました。

 

おひさまの台所の大将からレシピを教わります。

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ミネストローネスープの準備

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発酵が終わり、生地を分割、丸めます。

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私に生地をちょうだい

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真剣に丸めます。

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この集中力がすばらしい

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肉まんの具を包んでせいろに並べます。

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パンが焼き上がります。

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ケーキの飾り漬け

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ミネストローネスープのできあがり

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できあがったケーキ

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ようやく食事のできあがり。

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こんなにたくさん子どもたちが集まって、パン教室はパンといっしょに希望のある未来を作っているんだと思います。

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日々の小さな物語が積み重なって

 11月半ばにFacebookページを始めてちょうど2ヶ月。どんなふうに情報発信するのがいいのか、よくわからないまま試行錯誤しながら、ぷかぷかってこんなところだよ、こんなことやってるんだよ、というメッセージを私流で発信してきました。

 朝、ケンさんといっしょに郵便局に入金に行くついでに、カフェ、お惣菜、パン屋をぶらっと見て回ります。いいなと思うところの写真をバチバチ撮っていると、すぐに100枚くらい撮れてしまいます。パソコンに移し、その中からぷかぷからしい小さな物語が生まれそうなものを10枚くらい選んで、ひとことだけコメントつけて発信しています。

 Facebookページを見る人に、ぷかぷかの日々の小さな物語が伝わるといいなと思っています。日々の小さな物語が、いくつもいくつも積み重なって、ぷかぷかがあります。就労継続支援B型事業所とか、ぷかぷかの理念とか、ぷかぷかを語るものはたくさんありますが、いちばんよくわかるのは、やはりこの日々のなんでもない出来事の積み重ねだろう、とFacebookページを始めてからあらためて気がつきました。

 そのなんでもない出来事の写真をいくつも撮り、それを眺めていると、いろんな小さな物語が生まれます。

 シューさんはぷかぷかでいちばん年上です。今日はタマネギを切っている手のアップを撮りました。年季の入った手で、シューさんの長い人生が伝わってくるような気がしました。タマネギをしっかり握る手には、長い人生経験を通しての自信のようなものを感じました。シューさんとお話しすると、ひとり暮らしで大丈夫なのかな、といつも心配してしまうのですが、包丁を持つ手と、タマネギを握りしめる手には、そんな心配をはねのけてしまうような自信があふれていました。この手がシューさんの人生をたくましく切り開いてきたんだろうと思います。ほんとうに、すばらしい手です。

 人の手は、その人の人生を語るんですね。そんなことを教えてくれたシューさんの手でした。

 そんな小さな物語を伝えたくて「今日の仕事人ー2」のタイトルでアップしました。

 

 こんな小さな物語が毎日積み重なって「ぷかぷか」があるんだ、とFacebookページは教えてくれた気がしています。

 

 

ぷかぷか | Facebook

いい時間をプレゼントする絵たち

  九州の「工房まる」のメンバーさんたちが福岡でこんな絵の展示会をやったそうです。すっごく楽しいと思いました。

 藤が丘の自然食品店マザーズの社長から、お店の横の壁に壁画を描いてもいい、といわれているので、こんな絵を壁画にして飾るのもいいなと思いました。

 街の中にこんな絵が飾ってある空間があるって、すごくいいと思うのです。一日一回、思わずにんまりしながら通り過ぎる場所があるって、すごく幸せだなと思います。

 ぷかぷかでは毎日帰りの会で

「今日はいい一日でしたか?」

って聞きます。

 そんな問いを一日の終わりに自分に発するとき、こんな絵と出会ったよなぁ、なんかクスって笑っちまったよって思い出してくれればいいなと思うのです。

 たくさんの人たちに、クスッと笑うような、いい時間をプレゼントする絵たちに拍手!です。

 

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社会的な課題と結論が見えれば…

 日経ソーシャルイニシアチブ大賞を狙って、申請書を書き始めたのですが、「事業の目的」と「ミッション」の違いがはっきりしなくていきなり初っぱなから行き詰まってしまいました。去年は「事業の目的」は「障がいのある方の就労支援」、「ミッション」は「お互い気持ちよく生きていける社会を実現する」と書いているのですが、書いた私自身が、これでよかったのかなぁ、と思ったりするくらいなので、あらためて書こうとしてもどうもすっきりしません。

 顧問契約を結んでいる社会保険労務士事務所の所長に電話し、意味の違いを聞きました。「ミッション」はどちらかと言えば、社会を変えていく、といったことまで踏み込んだ「使命」という説明でしたが、これも結局わかったようなわからないような感じでした。

 もう無理に外国語を使わないで、わかりやすく書くのがいちばん、と思い、もう一度、何が社会的な課題で、どうやってその課題を解決し、その解決の仕方の独自性をどう語るか、というところで整理してみました。

 去年の申請書を読み直すと、言いたいことがありすぎたのか、話題が多方面にわたり、これでは審査する方も途中で投げ出したのではないか、と思われるくらいでした。で、今年はとにかく話題を絞ることにしました。

 書きたいことは、以前にも書いたと思うのですが、瀬谷区役所の外販で、利用者さん自身が、社会的な課題を解決の方向に持って行っているのではないか、ということです。

 外販の収益をいちばん支えているのは彼ら自身です。彼らの人としての魅力がお客さんを呼び、収益を驚異的に伸ばしています。ここを結論とします。

 では社会的な課題は何でしょう。生産性というところから見ると、一般的には彼らは普通の人より劣るといわれ、一般の会社で働くことがきわめてむつかしい、ということがあげられます。彼らがいると生産性が落ち、収益が減る、というわけです。だから彼らは社会から疎外されることになります。彼らを社会から疎外するとき、普通といわれている人たちも、実は社会から疎外されています。そのことこそがほんとうは問題なのだと思いますが、そこまで広げていくと、また収拾がつかなくなるので、とりあえず、生産性が劣るが故に、彼らが社会から疎外されている、というところで話をとめておきます。

 生産性が劣るといわれながらも、ぷかぷかでは彼らがいるおかげで外販での収益が伸びています。彼らが働いていることは、ぷかぷかの大きな魅力になっていて、その魅力が収益を底支えしています。彼らがいなければ、ただのパン屋であり、ただのカフェで、なんのおもしろみもありません。

 社会的な課題と、結論が見えれば、あとはそれをつなぐ物語を書けば申請書はできあがりです。と書けば、ずいぶん簡単そうですが、物語を書くのは結構大変です。でもここがいちばん楽しいところ。課題解決の独自性をどこまでアピールできるかで勝敗は決まりそうです。あ〜、なんか、わくわくしてきました。

 

 

 

ワークショップの中での成長を言うなら

 昨日「利用者さんの成長」について書き加えた方がいいのではないか、という意見があったことを書きました。

 ワークショップは元々中南米、フィリピンで識字教育の中で開発されたメソッドです。文字を知らない人たちに、自分を取り囲む世界がどうなっているのか、働いても働いても暮らしが豊かにならないのはどうしてか、といった問題をワークショップを通して考えていったのです。

 そのワークショップの原点を学ぼうと2回ほどフィリピンに行ってワークショップをやったことがあります。ネグロス島の貧しい漁村に行ったときのことです。小さな教会の中で子ども抱えたお母さんたちがワークショップをやっていました。舞台で進行役が、

「右側に米軍、左側に民衆がいます。コリー・アキノ(当時の大統領)はどちら側にいるでしょうか?」

と、集まったお母さんたちに聞きました。口々に

「米軍側だ」

と言っていました。突然

「日本人のあなたはどう思いますか?」

と聞かれ、暗殺されたアキノ氏の連れ合いなので、当然民衆の側だろうと思い、そのように言ったところ、えらいブーイングを受けました。

 コリー・アキノ氏が大統領になってから数年後のことで、最初は熱狂的な歓迎を受けていたのですが、だんだん米軍側についていることが見えてきて、私が行った頃ははっきり民衆の敵だ、とみんな認識しているようでした。

 フィリピンの政治状況について全く知らなかった自分が恥ずかしかったのですが、とにかくそんな風にして文字を知らない人たちにワークショップを通して自分を取り巻く世界のことを伝えていることがわかり、恥ずかしい思いをしながらも、いたく感動したことを覚えています。フィリピンというのはすごい国だとつくづく思いました。

 このワークショップをやっていた人たちは、アキノ氏が暗殺されたとき、4車線の道路の真ん中で、抗議の芝居をやったそうで、そのときの写真を見せてもらいました。4車線の車を全部停めたりしたら、すぐに警察が来るんじゃないですか、と聞いたところ、民衆が取り囲んで守ってくれたというのです。もうびっくりしました。

 表現の自由を守る、自分たち文化としての芝居を守る、ということを、フィリピンの人たちは体を張ってやっているのだと思いました。日本であれば、変な人たちが道路で勝手に芝居なんかやってる、と警察に通報しかねないですよね。京都駅前で芝居やったときも、一応見張り役は立てていましたが、いつ警察が来るかとものすごく緊張していました。

 

 話がえらくそれてしまいました。

 ワークショップは自分を取り巻く世界を知るために使われていた話を書きました。そのワークショップが日本に入ってきた1980年代の始め頃、黒テントが始めて実践で使ったワークショップに参加しました。世界を今までと全く違う方法で見直す、ということもおもしろかったのですが、それ以上に自分がそこで自由になれたことがいちばん印象に残りました。

 ちょうど養護学校に勤め始めた頃で、養護学校の子どもたちといっしょにやれば、彼らともっと深く出会えるのではないかと思い、黒テントの稽古場まで何度か通い、養護学校の子どもたちといっしょにやるワークショップを提案したのでした。

 黒テントの人たちは、はじめの頃は渋々やってきた感じでしたが、1回やっただけで、彼らの魅力に気づき、用意したプログラムが彼らによってめちゃくちゃにされながらも、それにめげることなく、ワークショップの「腕」がぐんぐん磨かれてきました。すばらしい成長だったと思います。今、ワークショップのプロ集団としてやっている「演劇デザインギルド」の出発はここにあったように思います。

 地域の参加者が、障がいのある人たちのため、と思って参加したのに、気がつくと彼らに支えられていた、と発言し、このあたりから地域の参加者が目に見えて変わってきました。

 ワークショップの中での成長を言うなら、それはまずファシリテーター(進行役)であり、地域の参加者であったと思うのです。

 私自身、彼らの存在が必要、彼らといっしょに生きていった方が絶対にいい、と確信したのは彼らといっしょにワークショップをやったからでした。それが今のぷかぷかの理念の原点になっています。ですからワークショップでいちばん成長したというか、得したのは私ではないかと思っています。

 

 

 

 

参加者みんなが世界と新しく出会い直すような

 昨日ワークショップの企画書をアップしたら、利用者さんの成長を書き加えた方がいいのではないか、という意見がありました。

 ワークショップは物事についてひとりで考えるのではなく、みんなで考えます。頭だけで考えるのではなく、体を使って考えます。言葉だけをやりとりするのではなく、形のある共同作業を通して考えていきます。そうしてみんなで新しい世界を切り開いていきます。

 昔、京都で平和をテーマにワークショップをやったことがあります。あの当時、湾岸戦争のさなかで、地上戦が始まるのではないか、という緊張感の中でのワークショップでした。

 まずは戦争について、それぞれ短い詩を書きました。その短い詩を一人ひとり思いを込めて朗読しました。地上戦が始まる、という緊張感故に、平和への思いがあふれるような詩が集まり、もうそれだけでみんな感動してしまいました。平和へのそれぞれの思いをこういう形で共有しました。

 それぞれの詩を組み合わせ、「集団詩」を作ります。これは単なる言葉の切り貼りではなく、それぞれの熱い思いの切り貼りです。この作業がものすごく大変で、詩の言葉を並べ替えしながら、どうすればみんなの思いを表現できるかを徹底して確かめ合います。この作業が大変な分、できあがった集団詩は、個人の詩の何倍も力を持つことになります。

 そうやって作り上げた集団詩をみんなで朗読します。声に出して読み始めたとたん、詩がむくむくと生き始め、集団詩の持つ力を体で感じることができます。

 立ったまま朗読することから始め、歩きながら読んだり、座って読んだり、誰かにもたれかかりながら読んだり、様々な動きをつけながら読んでいきます。動きながら言葉にメリハリをつけていきます。誰に向かって、どんなふうに言葉を発するのか、体が動くと、言葉がどんなふうに変わるのか、そんなことを体で確かめながらワークショップは進行していきます。

 こんなふうにして、自然に芝居ができあがっていきます。場のテンションがぐんぐん上がってきます。ここまでくると、もう進行役の手を離れ、ワークショップの場のエネルギーが参加者の背中をぐいぐい押します。

 京都でやったときは、全く予定になかった大きな舞台に立ってしまい、芝居をやる側も見る側も涙、涙の感動的な舞台になりました。舞台に立った人たちの熱気はまだ収まらず、誰かが「街頭でやろう!」といいだし、みんなで連休でごった返す京都駅まで押しかけ、ゲリラ的に駅前の広場で芝居をやってしまったのでした。

 

 こうやってワークショップの参加者は自分の世界を、想像もできないような形で広げていきます。ワークショップの始まる前、誰も京都駅前で芝居をやるなんて考えていませんでした。参加者のほとんどは芝居は初めてという人たちでした。それが三日間のワークショップのあと、大きな舞台に立ち、更には京都駅前に広場で芝居をやってしまったのです。「成長」などというおとなしい言葉では語りきれない、もっとダイナミックな変わりようが参加者みんなの中にあったのだろうと思うのです。

 

 参加者みんなが世界と新しく出会い直すような、そんな劇的な変化がワークショップにはあります。

 利用者さんの成長、といったことをはるかに超えた、もっと広い世界の、もっと大きな変化をワークショップは考えています。

 

 

 

 

 

 

みんなでワークショップ第2期企画書

みんなでワークショップ第2期企画書

 1)社会的な課題

 口にはしないものの、障がいのある人たちのことを「何となくいやだな」と思っている人は多いと思う。障害者施設を建てようとすると、地元住民から反対運動が起きることさえある。とても悲しいことだが、これが障がいのある人たちの置かれた状況だと思う。

 これは障がいのある人たちに問題があるのではなく、彼らのことを知らないことによって生じる問題だと思う。何となく怖いとか、不気味、といった印象は、彼らのことを知らないことから生まれる。“知らない”ということが、彼らを地域から排除してしまう。

 彼らの生きにくい社会、異質なものを排除してしまう社会、他人の痛みを想像できない社会は、誰にとっても生きにくい社会だろうと思う。誰かを排除する意識は、許容できる人間の巾を減らすことにつながる。社会の中で許容できる人間の巾が減ると、お互い、生きることが窮屈になる。これは同じ地域に暮らす人たちにとって、とても不幸なことだと思う。

 逆に、彼らが生きやすい社会、社会的弱者が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会になる。

 そういう社会はどうやったらできるのか。

 

2)課題の解決のために

 上記のような社会的な課題を解決するには、やはり障がいのある人たちを知る機会、出会う機会を作ることだと思う。そのために「ぷかぷか」は街の中に障がいのある人たちの働く場を作り、街の人たちが彼らを知る機会、出会う機会を作ってきた。そして今回はワークショップという日常よりもお互いが自由になれる場で、お互いが新しく出会い直し、そこから新しい文化を創り出すところまでやってみたいと思っている。

 

2−1)「ぷかぷか」がやっていること

(ぷかぷかは就労継続支援B型事業所で、パン屋、カフェ、お惣菜屋を運営)

 「ぷかぷか」は「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」という理念の元に、街の中に障がいのある人たちの働くお店を作った。お店にパンを買いに来たり、カフェに食事をしに来たりする中で、街の人たちに障がいのある人たちのことを知って欲しいと思ったからだ。

 彼らが働くことで、お店にはにぎやかで、あたたかな、ホッとする雰囲気が漂っている。たくさんのお客さんがそういった心安まる雰囲気に気がついたようだった。

 カフェで子どもの誕生会やったあと、利用者さんといっしょに写真撮らせて下さい、とリクエストしたお客さんがいた。利用者さんの接客にいつも心を癒やされるとおっしゃるお客さんも多い。利用者さんたちといい出会いをした結果だろうと思う。

 月一回発行している「ぷかぷかしんぶん」を地域に配布中、広い団地の中で利用者さんが迷子になったことがあった。地域の方がすぐに見つけ、「ああ、ぷかぷかさんね」と声をかけ、「利用者さんが迷子になっているようなので迎えに来てあげてください」と、パン屋に電話をかけてきてくれたことがあった。地域社会で「ああ、ぷかぷかさんね」とやさしく声をかけてもらえるような存在に「ぷかぷか」の利用者さんはなっている。カフェやパン屋で彼らとのいい出会いがあったからこそ、地域の方がこういう対応をしてくださったのだと思う。

 外販先の区役所では、利用者さんの人柄に惚れ込んだお客さんが多く、そのおかげで、この5年で売り上げが10倍も伸びたりしている。パンのおいしさだけではこんなにも売り上げは伸びない。これも外販を通して彼らといい出会いをした結果だろうと思う。

 

2−2)演劇ワークショップの試み

 今回の企画はワークショップというお互いがふだんより自由になれる場で、地域の人たちに障がいのある人たちと、いつもよりもっと楽しい出会いをして欲しいという思いで企画した。お互いの出会いから更に踏み込んで、障がいのある人たちといっしょに芝居を作ってみようと思っている。これは今までにない新しい文化を創り出す試みと言っていい。

 障がいのある人たちといっしょにやるワークショップはほんとうに楽しい。ワークショップをやっていると、彼らの存在がとても大切であることが見えてくる。「あなたにいっしょにいて欲しい」「あなたがいないと困る」と彼らに向かってはっきり言えるほどの関係が、ワークショップの中では自然にできあがる。

 「あなたにいっしょにいて欲しい」と素直に思えるような関係は、地域社会では考えられないような関係だと思う。

 そういう関係の中で作った芝居をみどりアートパークのホール(300人入る大きなホール)で上演する。障がいのある人たちがいっしょだからこそできる楽しい芝居だ。それをたくさんの地域の人たちが見る。舞台の芝居は、彼らといっしょに作った方がおもしろいもの、豊かなものができる、というメッセージだ。「いっしょにやると、こんなに楽しい芝居ができるんだね」「いっしょにやった方がいいね」「いっしょに生きていった方がいいね」といったことを、芝居を見に来たたくさんの人たちが思ってくれれば、と思う。

 また発表会は、せっかく大きなホールを借りるので、「表現の市場」という名前で、さまざまな表現活動を行っているほかの団体も交代で舞台に立つ。和太鼓、ダンス、人形劇など。表現を通して障がいのある人たちと地域の人たちとの新しい出会いが期待できる。

 

ワークショップの内容

 ワークショップの具体的な内容については、まだ検討中だが、谷川俊太郎の「生きる」という詩をモデルにした、参加者一人ひとりの「生きる」(みんなが生きていることをいちばん感じるのはどんなときか)を詩に書き、それを組み合わせて集団詩を作り、そこから芝居を起こしていくことも考えている。参加者の一人ひとりの人生が見えてくるかも知れない。これから進行役と話し合いを重ね、内容を詰めていく予定。

 

進行役

 進行役には「演劇デザインギルド」「デフパペットシアターひとみ」を考えている。

 「演劇デザインギルド」は、さまざまなワークショップの企画、運営、進行を専門とするグループで、ワークショップを積み重ねて舞台発表につなげている。ホームページには「演劇は人々があらたな認識を獲得するための道具です。楽しみながら、おもしろがりながら、からだを動かし、頭を働かせて、現実や自分たち自身を見直して
そこで発見されたことを表現して、他の人に伝えます。とある。

 「デフパペットシアターひとみ」は聾者(耳が聞こえない人)と聴者(聞こえる人)が協力して公演活動を行っているプロの人形劇団。人形劇が持つ「視覚的」な魅力に着目し、新しい表現の可能性に挑戦し続けている。ワークショップの中で人形を作り、それを手がかりに物語を進めていく予定。聾者の方たちとどうやってコミュニケーションをとっていくかも課題になる。

 

ワークショップスケジュール

 2015年9月から2016年2月まで月一回、土曜日もしくは日曜日にみどりアートパークリハーサルルームで行う。2月にはホールで発表会をやるため、その月だけは前日のリハーサルを含め2回行う。

 仮の日程は2015年9月19日(土)、10月17日(土)、11月21日(土)、12月19日(土)、2016年1月16日(土)、2月6日(土)、2月13日(土)計7回

2月14日(日)には、できあがった芝居を「表現の市場」の中で発表する。

(正式な日程は、演劇デザインギルド、デフパペットシアター、みどりアートパーク、それにピアニストで調整した上でホームページに載せます。)

 

参加者

 1回のワークショップに参加するのは、障がいのある人たち20名、地域の人たち(健常者)20名。7回のワークショップと発表会で延べ320名が参加。お客さんは約300名。合計で600名を超える人たちがこの企画に関わることになる。

 

情報発信

 ワークショップは企画の段階からホームページ(「ぷかぷかパン」で「検索」 http://pukapuka-pan.xsrv.jp)、Facebookページ(ホームページ左側のメニュー欄「Facebookページ」のタグをクリック。https://www.facebook.com/pages/ぷかぷか/320074611512763)で情報発信していく。毎回どんなことをやったのか、参加者はどうだったのかを写真をたくさん使ってホームページ、Facebookページで報告する。ホームページもFacebookページも現在一日100人を超える人たちがアクセスしてくるので、今回の試みはものすごいたくさんの人たちに情報が届くことになる。

 

 

つい、お二人で…

 パン屋に入ってすぐ右側においてあるお地蔵さんです。

 あたたかな冬の日差しの中で、つい、お二人でお話などなされたようでした。

 どんなお話だったのでしょうね。

 おだやかな、午後の出来事でした。

 

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