スタッフのハギワラさんが出産するのでみんなでがんばれ!っていいました。
これがぷかぷかです。ぷかぷかさん達がいると、こんなに幸せです。
スタッフのハギワラさんが出産するのでみんなでがんばれ!っていいました。
これがぷかぷかです。ぷかぷかさん達がいると、こんなに幸せです。
第一期演劇ワークショップ記録映画ができたとき、監督の宮沢あけみさんといっしょに舞台で
「これからは障害者じゃなくて、ぷかぷかさんといいましょう」
と呼びかけたことがあります。「障害者」という言葉がいやだったので、じゃあどんな風に呼べばいい?と宮沢さんといろいろ話をして、「ぷかぷかさん」ていう優しいひびきのあるいい方がいいよね、ってことになりました。でも、舞台の上から呼びかけたくらいで「ぷかぷかさん」が広がるとは思えませんでした。
あれから5年。「ぷかぷかさん」といういい方はすっかり定着した気がします。今日、県会議員が10人ほど見学に来られたのですが、
「どうしてぷかぷかはほっこりした雰囲気なんですか?」
「それはぷかぷかさんがいるからです」
というふうに答え、それがちゃんと伝わっていました。
港北公会堂の上映会でぷかぷかを知り、それ以来Facebookやブログを見たり、お店に来たりしてすっかりぷかぷかのファンになった方が「うちのぷかぷかさん」といういい方をしていて、なんだかすごくうれしくなりました。
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1月に港北公会堂での上映会で初めてぷかぷかさんを知り、それ以来Facebookやブログを拝見させて頂いています。実はそれ以来ずっとぷかぷかさんに伺うことを楽しみにしていて、先日やっと友人たちとお邪魔させてもらいました。
テラちゃんにもてなしてもらい、とても楽しいひとときを過ごさせてもらいました。ますますファンになりました
我が家には知的障害のある息子が二人(中2と小5)います。いつも心にあるのは二人が幸せな人生を送るために私ができることは何か?なのですが、結局私の方が幸せにしてもらっています。まさに「うちのぷかぷかさん」です。子どもたちが自分らしく生きていけば自分も周りも幸せにできると確信のような思いを持ちながら、今の学校制度ではそれがなかなかまかり通らず、じれったさを感じたり迷うことが多々あります。でもそのままでいいよを実践してみんなが笑顔でいるぷかぷかさんは私に大きな自信をくれました。
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【「うちのぷかぷかさん」のおかげで、私の方が幸せにしてもらっている】すごくいい言葉ですね。ぷかぷかさんて、一緒に生きていく、つまりフラットにおつきあいすると、私たちを幸せにするのだと思います。支援という上から目線では、そんなことは起こりません。「障害者は不幸しか生まない」は、典型的な上から目線から生まれた言葉だと思います。
ぷかぷかさんはまわりの人たちを幸せにします。「ぷかぷかさんは幸せを生む」のです。「障害者は不幸しか生まない」と、なんたる違い!
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子どもたちのありのままの姿や私自身の言葉で発信すること、これもいつかやりたいと思うことの一つです。高崎さんに背中を押してもらったのでちょっとずつチャレンジしてみようと思います
大人になってからは子どもの時のように夢を持つことは難しいと思っていました。けれどこの子たちが私の元に生まれてきてくれたおかげで、今私は沢山夢ができました。色々模索中ですができることから一つずつ、ゆっくりと挑戦したいと思っています。それが形になるのかならないのか…わかりませんが
でも、私たち家族の毎日は幸せで溢れています。
「うちのぷかぷかさん」を知ってもらうと障害は不自由さはあっても決して不幸ではないということ、人を生産性や他人の価値で測ってはいけないことを知ってもらえると思うんです。知ればみんなもっとラクになりますよね。そう考えるとうちの子たちは生きてるだけで社会貢献しているなぁなんて思わずにはいられません
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【私たち家族の毎日は幸せで溢れています。】なんていい言葉だろうって思います。「うちのぷかぷかさん物語」というタイトルで、幸せな家族の毎日を発信して欲しいなと思います。ぷかぷかのFacebookも、考えてみれば「うちのぷかぷかさん物語」で、幸せなぷかぷかの毎日を発信しているのです。
今日は県会議員が来たので、珍しくネクタイをしていたのですが、観察の鋭いぷかぷかさんに
「なんでネクタイしてスニーカー履いてるの?」
なんていわれちゃいました。見たままのストレートな質問だったのですが、そういえばそうだ、と笑いながら、なんだか幸せな気持ちになり、そのことをFacebookに書きました。
あちこちの家で「うちのぷかぷかさん物語」を発信すれば、社会はほっこりしたあたたかさに包まれ、みんな幸せな気持ちになります。
みんなに迷惑かけぬよう、社会安全のため…の「みんな・社会」に障害者は入っている?と牧口一二さんはいいます。
私たちがふだん意識もせずに使っている「みんな」とか「社会」という言葉に、障害者が入っているのかどうか、本質を突く言葉だと思います。障害者と健常者が分けられた社会だからこそ、健常者側の「みんな」とか「社会」からは障害者がすっぽり抜け落ちているのだと思います。
今朝の朝刊にも障害者雇用のごまかしが大きく報道されていました。社会には障害者雇用率という数字だけがあって、障害のある人、という生身の人間が抜け落ちているのだと思います。
これを機に障害のある人たちと一緒に働くとはどういうことなのか、それは社会に何をもたらすのか、といった議論こそ必要な気がします。それがないまま、新たに雇用するという話をしても、結局は数値あわせに終わるような気がしています。
そんな社会にガッカリしつつも、今日もぷかぷかさん達といい一日を作り続けます。そしてそのいい一日を発信し続けます。「彼らと一緒に生きると、こんないいことがあるよ」「障害のある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」「トクだよ」、って。
【知的障がいのカップル挙式 地域の祭りで「村人前式」】について書いたブログ
をシェアした方が、自分のFacebookにこんなことを書いていました。
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私が出産して、娘がダウン症であると告知を受けた時、
最初にした質問は「先生、娘は将来、一人の女性として幸せを感じる事はできるのでしょうか…」だった。
恋をして、その先にどんな選択肢があるのか、考えると辛くなる時もある。
でも、この丹波の村のカップルの記事を読み、辛いとか言ってる場合ではないな!と勇気と希望がわいちゃった✨✨
娘の日和は、親の心配はよそに、両手に余るほど好きな人がいるみたいです☺️💓ウフッ。
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私も昔、養護学校の教員に成り立ての頃、子ども達の将来についてはこのお母さんと同じような思いでいました。でも毎日子ども達と楽しい毎日を過ごしているうちに、私たちよりも子ども達の方がはるかに自由で、素敵な人生を生きていることがだんだん見えてきました。私たちの月並みな人生観では語りきれないような人生です。
10分おきにお漏らしし、そのたびにパンツを脱ぎ捨て、社長のようにふんぞり返って歩き回っていたすっぽんぽんのフリチン少年には、何が幸せな人生かについて、身をもって教えられました。
フリチン少年は、天気のいい日は中庭の芝生の上で大の字になって寝ていました。もちろんすっぽんぽんのフリチン状態です。
「はずかしいからやめなさい」
なんて先生みたいなことを(ま、一応先生やってましたから)毎日言い続けていました。そんなこといわれたくらいでやめるフリチン少年ではありませんでした。
さんさんと降り注ぐおひさまの光の中でにこにこと幸せいっぱいの顔をして大の字になって寝っ転がっていました。私はといえば、すぐそばで陰気な顔をしてグジュグジュと文句ばかり言っています。
こういうことを毎日繰り返していると、彼の幸せいっぱいに顔がだんだんまぶしくなってきて
「彼の方がいい人生生きてるよな」
って思うようになってきたのです。どう見ても彼の方が私の何倍もいい時間過ごしているのです。
「幸せそうな彼のそばで、一体俺は何をやってるんだ」
って思いましたね。
「負けた!」
って思いました。人生観の負けです。何かができるできない、ということと、いい人生を生きるかどうかは、また別のことである、という当たり前のことを私はフリチン君に教わったのです。
養護学校では、こういったことがたくさんありました。そういった経験の先に、自分の人生観で、彼らの人生を判断できない、と思うようになりました。
お母さんの悩みは自分の人生観で子どもの人生を判断していることにあります。子どもはそんなことお構いなく、自分の人生をしっかり生きています。
お母さんの文章に
「両手に余るほど好きな人がいるみたいです」
とあったので、
「両手に余るほど好きな人がいるなんて、素敵じゃないですか。私たちよりはるかにいい人生生きていますね。そういう視点が私たちの側に必要な気がしますよ。一緒に生きるって、そういうことだと思います。」
と書き込みました。
「本当に娘は幸せそうです☺️💓
よく笑い、よく食べ、よく歌い、好きな人には好きとストレートに伝え、失敗を恐れないと言う…親の私も羨ましく感じます☺️ 」
「人生見習うべきですね。よ〜く考えると、彼らとの関係って、案外こういうものじゃないかと思いますよ。」
彼らのこと、上から目線で見ていると、人生ソン!する気がします。
常連のお客さんからのメールです。
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最近、テラちゃんとメールのやり取りをしていて、毎日の様にテラちゃんがその日の仕事内容を教えてくれて、それを読む度、翌日のぷかぷかさんのお昼ご飯のメニューが気になって仕方なく(笑)、先週の土曜日のわんどのワークショップの後は、ぷかぷかさんのお昼ご飯で絶対食べたい!と思って、予約をして、子供を連れて食べに行きました。
予約の時に、辛めのメニューかどうかお店の方に尋ねていたせいで、辛くないソース(?)も用意して下さっていて、お心遣いが嬉しかったです。もしうちの子の為に用意して下さっていたのなら申し訳なかったです。
お昼ご飯はもちろん美味しくて、やっと食べれて大満足でした。
ななが私に言った「お茶もっと飲みたい」に、休憩中にもかかわらず隣のテーブルからしっかりそれを聞いていて、お茶のおかわりを入れてくれたゆりさん、子供達が喜ぶかなと思って、と、飴を持って来てくれたナカタクさん。
子供を追っかけ回しながらも、ゆりさんやナカタクさんとお話出来て、演劇ワークショップや、わんどのワークショップとはまた違った、ゆっくりとした時間の中で過ごさせて頂き、改めて、ぷかぷかさんのお昼ご飯の居心地の良さも感じた日でした。
あと何故か、ななが鳥のまねをしていたら、隣に座っていたハヤチャンが一緒にやってくれて、こんないい写真が撮れました。
写真といえば、前にぷかぷか日記に載せて下さった、ユースケさんがななをおんぶしてくれている写真。いい写真をありがとうございます。前からお伝えしようと思っていたのですが、あの写真見る度、なな、いい顔してるな〜!って思います。(もちろんユースケさんも。)主人とも話していますが、ななをあんな笑顔にしてくれるユースケさんには本当にいつも感謝です。
前回の演劇ワークショップ後に霧が丘商店会のお祭りに行きました。そこで、ななが箱入り(数十個入り)のブレスレットが欲しいと言い出し、泣いてまで欲しがっていた時、主人と私が「だめ!」と言っている所へユースケさんが来て、それを聞き「だ〜め!」とはっきり言ってくれました。なんか他人の子にそこまではっきり言ってくれるのがありがたく、嬉しくて、今までは親戚みたい、と思っていたユースケさんを「お父さんみたい!」と思わず言ってしまいました。
いつも、うちの子達を見つけるとすぐ寄って来て何かしら話しかけてきてくれるユースケさん。
自分の普段の生活では誰かに会うと、まずワンクッション置く為なのか、こんにちはとかだいたい挨拶から話しかけている気がしますが、ユースケさんとの間にはそんなよそよそしい挨拶って必要なく、すぐグッと近い距離感で話せている気がして、そんなおつきあいをさせて頂けている事がすごく嬉しいです。
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ぷかぷかさん達といいおつきあいをしてくれています。お客さんはぷかぷかさんとのおつきあいをとても楽しんでいて、ぷかぷかさんも子ども達とのおつきあいをとても楽しんでいます。
共生社会を作ろうとか、共に生きる社会を作ろう、なんてがんばっていわなくても、こんなおつきあいがぷかぷかでは自然にできています。その気になればどこの福祉事業所でも、こういうおつきあいはできると思うのですが、外の人間にとっては、なんとなく入りにくかったり、利用者さんも自由にお客さんとおつきあいできない雰囲気があります。どうしてなんでしょうね。そこが変われば、共生社会は簡単に実現できると思うのです。
9月のワークショップに参加した方の感想です。栃木から新幹線に乗って親子で参加しています。
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こんにちは。大我です。
今日はセノーさんのことについて書きたいと思います。
前回、初めてのワークショップで、昼休みにロビーで休憩していたら、突然背後から誰かの足がせまってきておしりごといすから追い出されてしまいました。なになに?なんなんだ?と思って、振り返るとセノーさんがいす四つ分をくっつけて、うつぶせになって横たわっている姿。
横になるのに僕の座っているいすが必要だったのだろう。でもその時彼と話したこともない僕はわけがわからなくて、その行動が理解できず、嫌な気持ちになりました。そんな出会い方をしたもので、今回二回目のワークショップでも、もう接するのはやめようと思っていました。
そんなある日、母が高崎さんのFacebookにセノーさんのことがのってるよ、と教えてくれました。そこにはぷかぷかのメンバーの人数を聞いてお土産を買って帰るセノーさんの姿。
セノーさんの心優しい一面を知り、果たして自分はそのような気遣いができるだろうか、と自分を振り返りました。そして薬をのんでいてそのために眠くなって横になってしまうのだということを知りました。それを聞いて、僕はセノーさんのことを知りもしないのに好き勝手に変な色眼鏡で見ていたと思い、ちょっと心苦しい気持ちになりました。
知らないってことは怖いことだと思います。
まず、相手のことを「知る」こと。。。セノーさんと僕は価値観も違うし、考え方も違うと思います。そんなだからこそ相手を拒絶し続けるのではなく、向き合うことが必要なのではないかと思いました。僕は自己表現が苦手です。でもセノーさんと向き合う機会があったら、接してみる努力をしてみよう。
そしたら、いすをとらないでよと、笑って言い合えるようになるのかな。
まだ僕は高崎さんがいう「トクだ!」ということがなんなのかわかりません。だから次回も参加したいと思います。
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セノーさんとの最初の出会い方がいいですね。いかにもセノーさんらしいというか、こうやってセノーさんはマイペースで街を耕しているのだと思います。大我君とセノーさん、今後の展開に目が離せません。
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八月の上映会でワークショップの記録映画をみたとはいえ、実際その場にたってみるとこれから一体どうやってつくりあげていくのだろうとその課程にとってもわくわくしている私です。
今回、チームに分かれて台本を読み、絵にかいて、そのイメージを今度はお芝居にして発表するという体験がこんなに楽しいなんて思いませんでした。今、思い返すと、あの時の私は“ゾーン”にはいっていたように思います。超集中状態、脳はフル回転、自分と目の前にいるぷかぷかさんだけみえて、周囲は白くばやーっと一切みえてなかったなぁ、緊張とは違う不思議なかんじでした。「スポーツ選手でもないのになん大げさに言いようと?」と笑われてしまいそうですね。
まず、私たち「チームクモ」のできあがった絵をみたとき、もし私だったらクモの巣はこういうものだという固定概念にしばられて、あんな色とりどりのカラフルで素敵な絵には仕上がらなかったと思います。そして、それをお芝居にするとき、カゲロウ役であるひらもっちゃんの名役者ぶりに私たちはぐいぐいっと引っ張られ、助けられました。私は彼とは初めてじっくりと、どうしたらいいやろかと相談しながら接することができたのですが、私たちの前でも堂々と役になりきって演じる姿に、なんてたよりになる人なんだろうと感激してしまいました。カゲロウが歌いだすところは、ことばがとても難しくて、彼はとても大変だったと思います。でも、なにかの替え歌にしてうたってみたらどうだろう?と、提案してみたら、ももたろうの歌がみごとにはまり、チームはみんな大笑い。それにあわせて私たちも動きやすく演じやすくなったのです。残念なことに本番の発表ではひらもっちゃん、歌を忘れてしまったようで、みなさんの前であのすっばらしいカゲロウさんの演技を披露できなかったのがちょっと心残りでした。でも一緒に悩んで考えて充実した時間を過ごすことができて、私の幸福度もupしました。
このワークショップを体験してみて“寄り添う”ことが大事なんだなぁと気づきました。一番ぴったりくる言葉は“向かい合う”でしょうか。上から目線でもなく下からでもなく同じ目線に立って向き合うことは、とっても大切なコミュニケーションスキルだと思います。
ワークショップに参加するまでの自分は助けてあげようと思ってアプローチすることが多かったです。これからも一緒にぷかぷかさんと楽しい時間がすごせたらいいな、仲良くなれたらいいな、そう思っています。
帰りの新幹線ではいつも息子とその日の反省会&意見交換会です。息子の態度にダメ出ししたり、ぷかぷかさんの話をしたり、息子からきれいごとやろと責められたり、あーだこーだと話していたら、遠い道のりもいつの間にか栃木です。息子はなんだかんだ言いながら次も行く!と言います。親子で心を耕していきたいと思います。
きよみ
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芝居作りの中で、すごくいい出会いをしたようですね。ふだんの生活では絶対に経験できないような出会い方。今回初めて参加された方の新鮮な感想を読んでいると、演劇ワークショップに中の出会いの大切さをあらためて思いました。
【知的障がいのカップル挙式 地域の祭りで「村人前式」】は胸が熱くなるほどのすばらしい記事でした。
記事の中でいいなと思ったのは、花嫁のお母さんが二人のことを村の人たちにまかせたところです。お母さんは神戸、二人は丹波です。列車で2時間半ほどかかります。
以前、卒業生が当事者同士で結婚したことがありました。たくさんの人たちが支えていましたが、中心はやはりお母さんでした。その当時はまだ教員をやっていたので、地域のつながりなどといったものはあまり見えていませんでした。
でもぷかぷかを始めてから、地域のつながりの大切さに気がつきました。だからこそ、お店だけでなく、パン教室や演劇ワークショップ、アートワークショップ、様々なイベントでたくさんのつながりを作ってきました。地域のつながりに支えられて、いまぷかぷかは霧ヶ丘で様々な事業が展開できています。
そういう目線でこの記事を読むと、お母さんが二人をまかせた地域社会が見えてくるのです。信頼できる地域社会。それはやはり二人が働いている事業所がこつこつ作ってきたのだと思います。その努力の上に、村民あげて二人をお祝いしよう、という雰囲気ができたのだと思います。公的な支援はもちろんあると思うのですが、それ以上に村の人たちの泥臭くてあたたかい支えです。こういう関係は黙っていてもできるものではありません。はやり事業所が積極的に地域に出て行き、関係を作ってきたのだと思います。
いつかぷかぷかにもこんなカップルが現れたらなぁ、と思っています。ぷかぷかには支えて下さるファンの方がたくさんいるので、カップルが現れたら、すぐにでも応援団ができるのではないかと思います。昨日もテラちゃんが若い男性といっしょに撮った写真をアップしていたら、「フィアンセですか?」なんて書き込みがありました。
カップルが一緒に暮らすには何が必要なのか、家はどうするのか、家賃はちゃんと払えるんだろうか、毎日のごはんはちゃんと作れるんだろうか、そのための買い物は大丈夫だろうか、そもそもお金の管理は大丈夫だろうか、等々、心配すればきりがなく、次々に解決しなければならないことがいっぱいでてきます。
更には子どもができたらどうするのか、ちゃんと二人で育てられるんだろうか、それが難しいときはどうしたらいいんだろう、等々、難しい問題が次々に起きてきます。
どこまで本人にまかせ、どこからお手伝いに入るのか等々。
それらを一つ一つみんなで考えていくのです。考え、解決していく中で、私たちが鍛えられます。地域社会が本当のチカラを持つことになります。
丹波の村の人たちのそういったチカラの上に、このカップルの挙式があったのだと思います。
ぷかぷかはFacebookにぷかぷかさんの顔と名前(ニックネームですが)をのせています。街で出会った人が、
「あの時、あの仕事してたね」
とか
「今日もいい顔してがんばってたね」
って、声をかけてもらえたら、と思っているからです。障がいのある人たちと、健常者といわれる人たちが分けられている社会の中で、Facebookの発信は大事な出会いを作ってくれます。
ワークショップにはじめて参加した方が、Facebookでぷかぷかさん達のこと知っていたので、初めて会った気がしなかった、とおっしゃってました・
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22日も思ったし、どこかで高崎さんが、おっしゃっていたのですが、
顔も名前も出して、ここにいるよ、と知らせているのは、いいことだと思いました。
(普通のことでもあります。)
ぷかぷかさんの情報発信で、初めて土曜日に会ったのに、
わたしはみんなを知っていましたし、
「ぷかぷか」に勤めている、ということを糸口にして、「パンを作っているのですか?」ということからお話できたからです。
なんの情報も隠して、その地域にいることも隠して生きていたら、
「あなたはだれで、」「普段、なにをして過ごしているの?」も、わかりません。
分断されていると、よけいお互いわからなくて、怖くなってしまうよな、と、書きながら、今、改めて思います。
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グループホーム建設反対運動では
「障害者は犯罪を犯す」
といったひどい言葉が飛び出しますが、障がいのある人を知らないことによる偏見であり、思い込みです。
子どもの時は支援学校あるいは養護学校へ行き、大人になってからは福祉事業所に行くという形で、お互いがおつきあいする機会がほとんどありません。それがこういった偏見、思い込みを生みます。偏見、思い込みは社会を貧しくします。
おつきあいすることで生まれる豊かな世界を思うと、障がいのある人たちと健常者を分けるのは、すごくもったいないことだと思います。
そんな社会にあって、ここにこんな人がいて、こんな仕事をしています、という日々の発信は、社会を豊かにしていくとても大事な仕事なのです。
ぷかぷかさん達のこんなすてきな笑顔が、社会を豊かにするのです。
昨日、東京から見学に来られた方の感想です。
以前、パン教室に参加された親子さん達が
パンを買いにきてくれました🥖
運動会の振替休日‼️
ぷかぷかに行きたい‼️と😊
嬉しいです😊
一緒にごはんを食べたスタッフは
一緒にご飯を食べて、そのままお手伝いしてくれて、かくれんぼして😊
運動会で1位になったことを教えてくれたり、
拾ったどんぐりを見せてくれたりしました。
本当に楽しい時間でした😊😊
また来てくださいねー
そしてお父さんは帰りの自転車で、
あー たのしかった 😄
ひさしぶりにあっちゃんにあえたね!
あえるとおもわなかったね!
またぷかぷかさん、いこうね ✨
まま!
と大満足の息子でした。
息子と遊んでくださった皆様、ありがとうございました
先日の「唄絵屋さんのお絵かきライブ」にはたくさんの子ども達が集まり、ぷかぷかさん達と楽しい時間を過ごしました。集まった子ども達は、もう「自分の居場所」という感じで楽しんでいました。
ぷかぷかに来ることを楽しみにしている子どもがいるって、本当にうれしいです。ぷかぷかに来たことが本当によかったと言って下さる大人がいることも、本当にうれしいです。
気がつくと、いろんな人がいろんな風にぷかぷかを楽しんでします。そのことでぷかぷかという場所がとても豊かな場所になっています。今日は15人くらいの団体が二つもやってきて、大変なにぎわいでした。
先日、映画『ぷかぷかさんカナダをゆく』をぷかぷかさん達と見ました。
自分たちの仲間がカナダに行ったということで、みなさん興味津々という感じで見ていました。珍道中ぶりに、素直にみなさん笑っていましたね。中には泣いてしまったとあとで話した方もいました。
やっぱりぷかぷかさん達がいてこそできた旅だったとあらためて思いました。
カナダに行ったきっかけは、世界自閉症フェスティバルの主催者がぷかぷかのプロモーションビデオを見て、フェスティバルの会場で上映して欲しいという依頼が来たことです。
プロモーションビデオはぷかぷかさんがいてこそ作ることができたビデオです。何よりも彼らの魅力を伝えるために作ったビデオです。ビデオを作ったのはpvプロボノという映像のスキルボランティアをやっている人たちです。「なんのために映像をつくるのか」「映像を何に使うのか」といった審査があって、作ってもらうことになったのですが、これもぷかぷかさんの魅力を書くことでパスしました。
ぷかぷかさんがいなければ、あのすばらしいプロモーションビデオはできなかったのです。pvプロボノの素敵な人たちとの出会いもありませんでした。pvプロボノの人たちは映像を作っていく中で、すっかりぷかぷかさんのファンになりました。
ぷかぷかさんがいると、とにかくいろんな物語が生まれます。彼らと一緒に生きるからこそ楽しい物語が生まれます。楽しい物語が生まれるから、一緒に生きててよかった、としみじみ思います。『ぷかぷかさん カナダをゆく』のラストシーンで涙がこぼれてしまったのも、そんな思いがあふれたからだと思います。
『ぷかぷかさん カナダをゆく』は時々「わんど」や「ぷかぷかさんのおひるごはん」で上映する予定です。お知らせを出しますので、ぜひ見に来て下さい。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。