ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • 神奈川県に質問状
     津久井やまゆり園の無責任さについて、 神奈川県はどう思うのか、質問状を書きました。県のホームページの「私の提案」から質問を送ります。以下、その内容。  津久井やまゆり園障害者殺傷事件に関する質問です。  津久井やまゆり園は事件後、1年たってからホームページに、事件について以下のように述べています。 《 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。》  社会に大変な衝撃を与えたあの事件に対し、わずか2行の人ごとのようなあいさつで済ませていいものでしょうか。  やまゆり園は社会福祉法人が運営しています。なぜこのような事件が起こったのか、ということについてきちんと説明する社会的責任があるはずです。  犯人はやまゆり園で働いていた支援員でした。当然雇用主としての説明責任があります。  支援の現場で、どうしてこのような事件が起こったのか、現場の運営者として説明する責任があります。  そういった説明が一切ありません。 質問です。 ①社会福祉法人の監督者として、このような説明責任を果たさない法人について指導を入れたのでしょうか。指導を入れていたらその結果を教えて下さい。指導を入れていなければ、その理由を説明して下さい。 ②犯人はやまゆり園で働いていた支援員でした。当然雇用主としての説明責任があります。この点について、どのように思いますか? ③事件は支援の現場で起こりました。支援の現場でどうしてこのような事件が起こったのか、現場の運営者として説明する責任があります。この点について、どのように思いますか? ④神奈川県の作成した事件報告書には、津久井やまゆり園はどのような現場であったのか、犯人は障がいのある人たちとどのように関わっていたのか、という報告が一切なされていません。なぜですか? ⑤昨年7月のNHKスペシャルで12時間も拘束された女性の話が出てきました。人権侵害も甚だしいです。そういう現場の調査はしなかったのでしょうか。現場の調査なしで、事件の検証ができたのでしょうか。  ①から⑤まで、項目別にお答え下さい。
  • 世の中捨てたもんじゃない、と思うこともいろいろあって、まだまだ希望が持てる
    昨日書いたぷかぷか日記に、こんな感想が上がってきました。 ●●● 《「名前のない柱」は、津久井やまゆり園が、強いては社会そのものが、重度障害の人たちの人生にどう向き合っているのかを象徴しているように思います。》  本当にそうですね。この社会のあり方そのものがこの事件を引き起こしたんですよね。 それなのに、NHKの調査で「5人に1人がこの事件を覚えていない」との結果。 元々隠されていたのに、事件そのものもなかったことにされています。誰も本気で怒る人がいない。本当にどうしたらいいのだろう、とむなしい思いになります。 ●●●  あれだけの事件があったにもかかわらず、社会はなかなか変わらなくて、がっかりすることの多い日々です。社会は大きく変えようとしたり、優生思想云々、といった大きな問題を解決しようとすると、何から手をつけていいのかわからなくなって、無力感にさいなまれます。   そうではなく、自分にできる小さなことを積み上げていった方が、社会は確実に変わります。社会の変わりようが目に見えます。  ぷかぷかのスタッフは、ぷかぷかさんたちといっしょに毎日「いい一日」を作り続けています。そしてそのなんでもない「いい一日」をFacebookで発信し続けています。こんなことがあったよ、あんなことがあったよ、っていうただそれだけの平凡な日々。でもそれは、彼らといっしょに生きたかけがえのない一日なのです。彼らといっしょにつくった輝くような一日なのです。  これならスマホがあれば誰でも簡単にできます。もちろん、これで社会が大きく変わるわけではありません。それでもFacebook見て、ちょっと癒やされたり、実際にぷかぷかに遊びに来たりして、ぷかぷかのファンが少しずつ増えたりしていることは、社会がちょっとだけ変わったといっていいと思います。  障害者はなんとなくいや、近寄りたくない、と思っている人がたくさんいる世の中で、「ぷかぷかさんが好き!」というファンが出てきたことは、画期的な社会の変化だと思います。  「障害者はいない方がいい」というのが相模原障害者殺傷事件を象徴する言葉とすれば、「ぷかぷかさんが好き!」という人たちが増えてきたことは、事件を超える社会が密かにぷかぷかのまわりにできつつある、ということです。  ぷかぷかは「ともに生きる社会をつくろう」なんて歯の浮くような言葉は一度も口にしたことがありません。にもかかわらず「ぷかぷかさんが好き!」といい、「いっしょに生きていった方がトク!」と思う人がどんどん増えているのです。  ここにぷかぷかのヒミツがあります。ヒミツを知りたい人は『Secret of Pukapuka』という映画をぜひ見て下さい。問い合わせはinfo@pukapuka.or.jp 高崎まで  『ぷかぷかな物語』もぜひ読んでみて下さい。「いっしょに生きていった方がトク!」な物語が満載です。 https://shop.pukapuka.or.jp/items/19207891?from=widget  ぷかぷかに遊びに来て、うちの町にもぷかぷかみたいなところがあるといいな、という人は以前から多いのですが、最近は、自分の町にぷかぷかをつくろう、という人が少しずつ現れてきました。北九州市と横浜市の鶴見区の人たちです。  鶴見区ではこんなサイトが立ち上がりました。 https://www.facebook.com/tsurumi.pukapuka/?eid=ARCCkN_XrVSTbcubQAnz1Oggh1-oro-7QNfETySDoXdvb5qlWRmIRRoIy334ErolHX_UDGINsbYFXKFK   「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がトク!」と思ってはじめたぷかぷかですが、そんなぷかぷかを自分の町にも、というのは、「いっしょに生きていった方がトク!」と思う人が増えてきたということです。ここでも相模原障害者殺傷事件を超える社会ができつつあるのです。   11月4日(月)にその第一回目のイベントがあります。ご都合つく方はぜひ!  「社会に合わせなくても、やっていけるよ」をテーマにセミナーの出前をやる予定で、現在5カ所で準備中です。 www.pukapuka.or.jp  これはぷかぷかが作り出した新しい価値観です。この価値観はみんなして生きることが楽になるような価値観です。障がいのある人たちといっしょに生きていく中で生まれた、社会を救うような新しい価値観です。  「障害者は不幸しか生まない」のではなく、いっしょに生きていくと、生きることが楽になるような、画期的な価値観を生み出すのです。  ぜひあなたの町でも、このセミナーやってみて下さい。「本当にどうしたらいいんだろう」と悩んでいるよりも、とにかく何かやって、少しでも前に進んだ方がいいと思います。何かやれば、いろんな人との新しい出会いがあります。新しい出会いは新しい物語を生み出します。物語は、町を少しずつ変えていきます。  セミナーのお問い合わせはinfo@pukapuka.or.jp 高崎まで   8月3日の上映会の時の感想に 「この町にぷかぷかのパン屋があることが、この町の価値を何倍にも上げています。」 というのがありました。ぷかぷかのある霧ヶ丘の町に住んでいる人が書きました。ぷかぷかの存在は町の価値を何倍にも上げている、というのです。それを地域住民として実感しているところがすごいと思いました。  あれがだめこれがだめ、とマイナス評価の多い障がいのある人たちですが、ぷかぷかにあっては「町の価値を何倍にも上げている」というびっくりするような評価が出てきているのです。  「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」と相模原障害者殺傷事件の犯人は言い、それを支える社会があって、がっかりすることが多いのですが、それでもぷかぷかの周りを見ていると、世の中捨てたもんじゃない、と思うこともいろいろあって、まだまだ希望が持てるのです。  自分の周りにいる障がいのある人たちといっしょに楽しい日々を作り出すこと。そのことが社会を少しずついい方向に変えています。ぜひやってみて下さい。きっといいことが見つかりますよ。
  • 映画には、一緒に生きていった方がいい、という力強いメッセージがいっぱい
     昨日の夕方、金沢の水野スウさんからメッセンジャーで   高崎さん 来週の紅茶で、「森は生きている」ぶかぶか版の上映会をすることになりました!!6回のワークショップ、本番、そして日常のぷかぷかさん、すばらしい映像の記録。自分も参加してるような臨場感…   というメッセージが届きました。  8月のみどりアートパークの上映会に、スウさんの娘さんが見に来ていて、すばらしい映画でしたという感想をもらい、よかったらぜひ金沢で上映してください、と「森は生きている ぷかぷか版」のDVDを預けました。それをお母さんが見て、上映会やろう、と決めたようです。  「森は生きている ぷかぷか版」は2時間11分の大作です。それをDVDを見ただけで、やろう!と決めた水野スウさんの思いを見たとき、これは行かねば、と思ったのです。すぐに金沢行きのチケットを予約しました。  映画は発表会の舞台の映像から始まり、その舞台に至るまでの6ヶ月にわたるワークショップの活動を記録したものです。ひとつの表現が出てくるまでの長い時間をそのまま記録しています。障がいのある人たちとおつきあいする、というのはこの長い待ち時間を共有することなんだ、ということがよく見えます。そういう作業を繰り返し、最後の発表会の舞台ができあがります。  彼らと一緒に生きること、その結果、何が生まれるのかがよく見える映画です。共生社会を作ろう、とか、共に生きる社会を作ろう、とか聞こえのいい言葉が飛び交っていますが、ぷかぷかはそういう言葉は一言も発することなく、黙々と彼らと一緒に芝居を作り、彼らといっしょに舞台に立ちます。  共生社会を作るためにワークショップをやっているのではありません。どこまでも彼らと一緒にやるワークショップが楽しいからやっているのです。彼らと一緒に生きることが楽しいからやっているのです。  だから最後、すばらしく楽しい舞台ができがあがります。彼らと私たちの関係がとてもよく見えます。一緒にいると楽しい!という関係。  その関係の中で、障がいのある人たちに向かって、 「ここにあなたにいて欲しい」「ここはあなたが必要」 と心から思えるようになります。  相模原障がい者殺傷事件の犯人は 「障がい者はいない方がいい」 といいました。そしてそれに同調してしまう社会があります。それに対して、 「それはちがう」「障がいのある人たちはいた方がいい」「社会に必要」 というメッセージを出し続けなければならないと思っています。  それは「共に生きる社会を作ろう」といった抽象的なメッセージではなく、もっと具体的な形のある、思いのこもったメッセージです。障がいのある人達と全くおつきあいのない人たちが見ても、 「一緒に生きていった方がいいよね」 って共感できるようなメッセージです。ぷかぷかさん達といっしょにやっている演劇ワークショップは、そういう目に見えるメッセージ・舞台を毎年創り続けてきました。  映画には、一緒に生きていった方がいい、一緒に生きていくとこんなにすばらしいものができる、という力強いメッセージがいっぱい込められています。   10月10日、とくべつ紅茶の時間で、ぷかぷかさんの上映会&ぷかぷか理事長・高崎明さんのおはなし会することになりました!題して、「pukapukaな時間」1:00〜5:00(うちわけは、ぷかぷかさんの映画上映+高崎さんのおはなし+参加したみんなとのきもちキャッチボールタイム) 参加費1000円。@紅茶・水野宅 076−288−6092
  • みんなが幸せな気持ちになれるこれは企画です。
     ぷかぷかのアートを印刷業界に紹介したい、と神奈川県印刷工業組合の理事長の江森さん、常務理事・経営革新マーケティング委員長の荒井さんが見えました。 江森さん 荒井さん    神奈川県印刷工業組合のホームページにある平成30年度事業計画案の概要を見てちょっとびっくりしました。印刷業界は、ただ印刷の仕事をするのではなく、すべての人を幸せにする産業なのです、と書いてありました。    ●●●  東日本大震災は、東北地方沿岸に甚大な被害をもたらしましたが、 週が明けるや食料品メーカーや衣料品メーカーからは矢継ぎ早に支援の表明があり、被災者の命をつなぐための多くの物資が届けられました。 私たちもその支援の輪に加わりたいと心から思ったはずですが、私たちの作る印刷物は被災地ではガレキの一部でしかありませんでした。 自分たちの仕事の意義を見失いかけ、私たちはすっかり自信をなくしてしまったのではなかったでしょうか。  しかし、震災から1ヶ月が過ぎる頃から状況が変わり始めました。 被災地から届く支援物資の要請が、生きるために必要な衣食住に関わるものから、子供が勉強するためのノートや鉛筆、避難所でのストレスを癒すための書籍など、「文化」に関するものへとシフトが始まったのです。 私たちの仲間は、待ってましたとばかりに、業界に声をかけ、残紙を使って「おえかきちょう」を作り被災地に贈るプロジェクトを立ち上げたり、それぞれの場所で自分たちができることを見つけて活動を拡げ始め、多くの印刷会社の善意は東北東海岸に届けられました。 そのような活動を通じて、子供たちをはじめとするたくさんの人々の笑顔に出会ったとき、私たちは自分たちの仕事の本当の意義をはっきりと理解する 機会を得たのだと思います。人は衣食住が足りるだけでは生きていけないのです。 私たちの仕事はただちに生命に関わるようなものではありませんが、人が生きて行くうえで欠かせない「心の栄養」を人々に与え、すべての人を幸せにする産業なのです。  古くは百万塔陀羅尼経の時代から、近代にあってはグーテンベルグの時代から、私たち印刷産業は人々の文化的な活動や、ショッピングやグルメなどの消費行動による生活の質の向上を通じて、世界中の人たちの「幸せな人生」に貢献してきました。 そして同時に印刷産業で働く人たちにも、労働を通してたくさんの幸せを提供してきたのです。現代においてもその使命はまったく変わってはいません。  時代とともに科学技術は発達し、人々の生活様式はどんどん変化します。しかしどんなに時代が進もうとも、人間が人間である限り、私たちは「幸せ」になるために生き続けます。 そんなひとり一人の「幸せ」を紡ぐ産業として、印刷産業はその関わる人すべてが幸せになる産業を目指すべきなのではないでしょうか。   ●●●    私たちの仕事はただちに生命に関わるようなものではありませんが、人が生きて行くうえで欠かせない「心の栄養」を人々に与え、すべての人を幸せにする産業なのです。    どんなに時代が進もうとも、人間が人間である限り、私たちは「幸せ」になるために生き続けます。 そんなひとり一人の「幸せ」を紡ぐ産業として、印刷産業はその関わる人すべてが幸せになる産業を目指すべきなのではないでしょうか。     なんかすごい業界だなと思いました。会社というのは、ただもうけを追うのではなく、本来こういう、人を幸せにする、という大きな目的があったのだと思います。そういうことを思い出させてくれました。  そういったことの上で、ぷかぷかのアートを印刷業界で使いたい、といってきたのです。    ぷかぷかさんのアートは人の心をほっこりあたたかいもので満たしてくれます。ちょっと幸せな気持ちになります。  人を幸せにする、というところで、印刷業界が目指すものとぴったり合うのです。  ぷかぷかさんのアートを見る人も、それを提供した印刷屋さんも、そしてぷかぷかさん達も、みんなが幸せな気持ちになれるこれは企画です。    一つ一つ見ていくと、思わず心がキュンとなります。疲れた心を癒やしてくれます。ぷかぷかさんのアートが、印刷業界を通して社会に広がって行くと、社会はちょっとゆるやかに、豊かになる気がします。  障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ、という言葉のメッセージは、障がいのある人たちとおつきあいのない人にはなかなか伝わりにくい感じがします。でも、アート作品は、ちょっと見ただけで心がキュン!となって、受け入れてくれます。障がいのある人のことを全く知らなくても、「いいね」と受け入れてくれます。  障がいのある人たちとの、これはひとつの出会いだろうと思います。前向きの、とてもいい出会いです。自分の心を癒やしてくれた絵を描いた人はどんな人だろう、こんな絵を描く人は社会にいた方がいいね、というふうになっていくといいなと思います。  中には絵の作家さんに会いに来る人もいるかも知れません。ぷかぷかにやって来れば、絵を描くだけではなく、いろんな仕事をしているぷかぷかさん達に出会います。訪ねてきた人に中にある障害者のイメージが、ひょっとしたらひっくり返るかも知れません。  相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」と言いましたが、ぷかぷかさんのアートに出会った人は「こういう絵を描く人は社会にいた方がいいよね」ってきっと思います。犯人の言った「障害者は不幸しか生まない」という言葉も、ぷかぷかさんの絵に出会って、ほっこりあたたかな気持ちになった人は、あの言葉はおかしいよね、って思います。ぷかぷかさんのアートは事件の犯人の発したメッセージが間違っていることを言葉を使わずに教えてくれます。     今後は業界の人たちにぷかぷかさんの絵を紹介するシステムを具体的に作っていくそうです。絵がどんな風に広がっていくのか、すごく楽しみです。    思えば8年前、カフェを構えたときから壁にぷかぷかさん達の絵を飾り、いつかこの絵たちが社会に広がってくれたらいいな、と思っていました。そうやってぷかぷかのメッセージを広げたかったのです。こんな絵を描く人たちとは一緒に生きていった方がいいよ、って。  ただその頃は、その絵をどうやって社会に広げていったらいいのか、なかなか手がかりがつかめませんでした。藤が丘駅前のマザーズという大きな自然食品のお店の壁に飾る案が浮上したこともあります。実際に下見をし、絵を掛けてみたり、お店の人とも打ち合わせをやりました。でも結局いろんなことがあって実現できませんでした。  2年前、プロボノ活動をやっているサービスグラントに依頼することを思いつき、ぷかぷかさんのアートを企業の売り込む営業資料を1年かけて作ってもらいました。その資料のプレゼンの中で、太陽住建の人たちと知り合い、その太陽住建の方が、今回見えた協進印刷の社長江森さんを紹介してくれました。その後江森さんは神奈川県印刷工業組合の理事長になり、今回の企画が実現することになりました。  人のつながりのありがたさをしみじみ感じました。それとぷかぷかさんの絵を社会に広げたいとしつこく思い続けたことが大きかったと思います。  障がいのある人たちのアート展が、最近あちこちで開かれています。たくさんの人が障がいのある人たちのアートを知る機会を作る、という意味ではいい試みだとは思います。でも、そのことで社会が変わるわけではありません。障がいのある人の社会的生きにくさは、相変わらず変わらないのです。  やっぱり私たちから社会に直接出て行かないと社会は変わりません。企業にアートを売り込む営業資料は、その手がかりをつかむものでした。今回その営業資料がきっかけで、神奈川県印刷工業組合という大きな力ある団体が反応してくれました。150社くらい加盟しているそうです。  私たちが社会に直接出て行くこと、そのことによって、社会はいい方向に少しずつ変わっていくのだと思います。  
  • その人がそこにいる、ただそれだけでいい
     先日上映会とトークセッションをやった筑豊「虫の家」発行の「虫の家だより」にとてもいい話が載っていたので紹介します。「虫の家」の代表高石さんの息子さんひろ君はダウン症です。その姪にあたる方の作文です。             私のおじさん                                  高石萠々  私にはダウン症のおじがいます。みなさんは「ダウン症候群」を知っていますか?この病気は生まれつきの染色体異常による疾患で、現時点で治療法は存在しません。この病気の症状は、身体的発達の遅延、特徴的な顔つき、軽度(人によっては重い方もいます)の知的障がいなどがあげられています。でも本当に大切なのは、そんな机上の知識よりも、ありのままのおじに会うことだと私は思っています。  私は、幼い頃からおじが常に近くにいるので、おじのことを「ひろ兄ちゃん」と名前で呼んでいます。おじは私にとっては兄のような存在です。おじは私に 「ももちゃん、おばさん!」 と、よく言います。今は慣れているので、笑うことができますが、小学生の頃は戸惑いがありました。  私が小学生の頃、友だちが家にあそびに来たときに友だちの妹が、私のおじを見て 「あの人、なんか顔が変」 と、いったことがあります。それを聞いたとき、とても悲しくなり、同時にいらだちもありました。おじはいつも、優しくほほえんでいるけど、どのくらい傷つき、辛い思いをしてきたのだろうか。きっと数え切れないほどだと思います。  おじは小学生の頃、給食の時間に、みんなの嫌いな食べ物の残りを引き出しに入れられたり、すれ違ったときに頭をたたかれたり、たくさんのイジメにあっていたと聞きました。これが今の障がいのある人たちに対する多くの私たちの態度です。おじは、意志をうまく伝えることができないので、いやなことをいわれたり、たたかれたりしても、相手に「やめてくれ」とうまく伝えられません。この苦しみに30年近くも耐えてきているのです。  2年前、相模原障害者施設殺傷事件が起こりました。この事件は私にとっては忘れることのできない恐ろしい事件になりました。容疑者である植松聖は 「役に立たない障害者なんて、いなくなればいい。いなくなった方が、家族は楽になる。」 そう答えました。また事件を起こす前に「世界が平和になりますように」とツイッターに投稿していたそうです。  この世の中は、役に立つ人間しかいることができないのですか。障がいのある人がいなくなると、家族は楽になるのですか。障がいのある人がいなくなると、世界は平和になるのですか。  少なくとも私たち家族は、おじがいなくなると想像するだけでも、辛くて悲しい思いでいっぱいになります。  誰にでも、得意なこと、苦手なことがあります。ただ障がいのある人は苦手なことが少し多いだけで、私たちにない素敵なところもたくさんあります。  いのちは、役に立つ、立たないに関係なく、尊いのです。  私のおじも施設でそれなりの仕事をしています。私は容疑者のように考える人がいる限りは、世界は平和にならないと思います。  もし、容疑者が叔父の通う施設の職員だったら、おじは殺されていたかも知れません。また、近くに容疑者のような考えを持っている人がいるならば、今、おじがねらわれているかも知れません。そう思うと恐ろしくてなりません。  私は、障がいのある人について、子ども達だけでなく、大人達にも知ってもらうことが大切だと思います。誰でも、はじめは戸惑うことがあるかも知れません。そこから、誰もみんな違う、違うから一人ひとりが大切で、平等なんだ。差別は絶対にしてはいけないんだ、ということを理解することができるようになると思います。そのためには学ばなければなりません……                             小竹中学校3年生      すばらしい作文だと思います。  相模原障害者殺傷事件の犯人の「障害者はいなくなればいい」に対して、こんなふうに書いています。 【 少なくとも私たち家族は、おじがいなくなると想像するだけでも、辛くて悲しい思いでいっぱいになります。】  これほど明確なメッセージはないと思います。ダウン症の「ひろ兄ちゃん」とどんなおつきあいをしていたのかがよくわかります。「ひろ兄ちゃん」は萠々ちゃんにとって優しくて楽しいおじさんだったんだろうなぁ、って思います。ダウン症という障がいを持ったおじさんではなく、どこまでも「優しくて、楽しいおじさん」。  そういう関係は、「障がいがある」ということを簡単に超えてしまうのだろうと思います。「ひろ兄ちゃん」と萠々ちゃんの間には、「障がい」はありません。    「虫の家だより」の同じ号に私の「生産性のない人が社会に必要な理由」というブログの文章が載っているのですが、「そんなふうにアーダコーダ言わなくても、その人がそこにいる、ただそれだけでいい」と高石萠々さんは書いているのです。「いのちは、役に立つ、立たないに関係なく、尊いのです。」と。  本当にそう思います。その人がそこにいる、ただそれだけでいい。  障がいのある人について、みんながそんなふうに感じ取れるようになるにはどうしたらいいんだろうと思います。やっぱり彼らとフラットにおつきあいする機会をあちこちで作ることだろうと思います。何かやってあげるのではなく、一緒に一日を楽しむような関係、「優しくて、楽しいおじさん」と思える関係を作ることだろうと思います。  ぷかぷかでは「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」と思える関係を作ってきました。彼らと一緒にいること、ただそれだけを楽しむお客さんがどんどん増えています。こういう関係こそ、もっともっと広げていきたいと思います。      相模原障害者殺傷事件については、優生思想云々の大きな話ではなく、「おじがいなくなると想像するだけでも、辛くて悲しい思いでいっぱいになります」という家族の思いをきちんと受け止める、それが相模原障害者殺傷事件はなんだったのかを考える出発点だろうと思います。  事件直後、あちこちで聞かれた「決して忘れない」という言葉はどこへ行ってしまったんだろう、と思うくらい事件がどんどん忘れられていく中で、中学校3年生の子どもがこんなに思いのこもった作文を書いてくれたことは大きな希望だと思います。  「決して忘れない」を口にした覚えのあるおじさん、おばさん、今一度あの時の怒り、悲しみを思い出して、萠々ちゃんの作文に負けないくらいのことをやりましょう!
  • ぷかぷかに来る前は「自分の意見をブログに書いて世の中に発信するのは怖い」と思っていた。
      NHKスペシャルのディレクターが取材でカツタさんに会ったとき 「高崎さんのように、自分の意見をブログに書いて世の中に発信するのは怖い」 といっていたそうです。ですからNHKスペシャルの取材でぷかぷかに来てからのち、ブログを書き始めたことを知ってうれしくなったと連絡がありました。  ぷかぷかさんと出会い、一緒に演劇ワークショップをやって、カツタさん自身がすごく自由になったと思います。その自由さがあったから、放課後デイサービスの子ども達ともフラットな関係でいい出会いができたのだと思います。ブログを書く素地がこの時できた気がします。  7月15日にNHKの取材のためにぷかぷかに来て、私と話をしました。  そのときカツタさんは 〈重い障がいのある子ども達との日々が楽しくてしょうがない。お子さんのことでいろいろ苦労されている親御さんのことを思うと、こんなに楽しんでていいんだろうかと思います。〉 といったことをおっしゃっていました。 「そんなこと気にしなくていいと思いますよ。カツタさんが子ども達と楽しい日々を過ごしているのであれば、それは子ども達にとっても楽しい日々。楽しい日々を過ごす子ども達のことを知れば、親御さんはみんな喜びますよ。ですから、子ども達との日々、誰に気を使うことなく、大いに楽しめばいいと思いますよ」 といった話をしました。 「楽しい日々をブログに書き残しておくと、カツタさん自身のすばらしい財産になりますよ。書くことで自分がやっていることの意味も深まっていくし、障がいのある子ども達との日々が楽しいっていう発信は、今すごく大事だと思いますよ。ぜひトライしてみて下さい」 といった話も。  多分そのときの話が、カツタさんの背中を押したのだと思います。  ブログはぷかぷかに来た5日後の7月20日から始まっています。うんこの始末の話から始まるのですが、そんな話を書きながらも楽しくてしょうがないって感じがよく伝わってきます。  いずれにしても、ぷかぷかに来ることで、障がいのある子どもたちと一緒に生き始めたこともすごい変わりようですが、その楽しさをブログに書き、社会に発信しはじめたことは、もっとすごいことだと思います。社会に向けて発信するのは、それなりにエネルギーがいります。でもそれを超える楽しさが子ども達との日々にはあるのだろうと思います。  障がいのある人たちとの日々が楽しい!っていう発信は、相模原障害者殺傷事件以降、とても大事になっていると思います。カツタさんのブログを読んで、一人でも多くの人が 「障がいのある人たちとのおつきあいって楽しいんだ」 って気づき、自分の近くにいる障がいのある人とおつきあいをはじめてくれたら、なんかね、社会がどんどん変わっていく気がするのです。  カツタさんはFacebookをやっています。ぜひ友だち申請して、カツタさんのメッセージを広げて下さい。 www.facebook.com
  • 「一緒に生きていった方がいい」を、あの時の体のほてりの中で納得したのだと思います。
     7月21日(土)の相模原障害者殺傷事件をテーマにしたNHKスペシャルの最後の方に登場したカツタさんがブログをはじめました。  (NHKスペシャル見逃した方、オンデマンドでぜひ見てください。) www.nhk-ondemand.jp  カツタさんは相模原障害者殺傷事件が起こったとき、「障害者はいない方がいい」という犯人の言葉を否定しきれない自分がいた、といいます。自分の中にも彼らを別な世界の人として意識の外に追いやろうとしている感覚があった、といいます。  その後NHKラジオ深夜便で「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」という私の言葉を聞いて、その真意がよくわからなかった、といいます。ダウン症の子どものを持つお母さんが「この子がいなければいいのに」と思ったことがある、という新聞記事を見たこともあって、「一緒に生きていった方がいい」という言葉は衝撃でした、ともいいます。  そんなことがあって、「一緒に生きていった方がいい」という言葉の真意を確かめにぷかぷかまでやってきました。私と話をしただけでなく、パン屋で一日体験実習をし、演劇ワークショップにも参加して、ぷかぷかさんと一緒に表現の市場の舞台にも立ちました。  そんな経験のあと、いろいろ思うところがあったようで放課後デイサービスで障がいのある子ども達を相手にする仕事を始めました。ブログはそこでの日々をたんたんと語っています。 tantantanto.hatenablog.com  障がいのある子ども達と、とても丁寧に、謙虚に向き合っています。何よりも子ども達との日々をすごく楽しんでいます。そのことがビリビリと伝わってきます。  ぷかぷかに来る前と、来たあとの、この変わりようがすごいな、と思いました。私の話よりも、やはりぷかぷかさんと出会ったことが大きいと思います。特にぷかぷかさんと一緒に演劇ワークショップをやり、ぷかぷかさんと一緒に発表会の舞台に立ったことが、すごく大きかったと思います。  ぷかぷかさんと一緒に舞台に立つ、というのは、自分をかなぐり捨て、もう無我夢中でぷかぷかさんといっしょに舞台の世界、その時間を生きる、ということです。熱い時間が、カツタさんのからだを流れたと思います。  あの時の体のほてりはなんだったのか。  それを問い詰めた先に、今の仕事があるような気がしています。  「一緒に生きていった方がいい」を、あの時の体のほてりの中で納得したのだと思います。  納得したとは言え、実際の現場では、恐る恐るの出発だったと思います。でも、そんなことお構いなしに、子ども達は次から次にいろんなことやらかしてくれます。もうどうしていいかわからず、おろおろするような毎日ではなかったかと想像します。おろおろしながらも、それでも、思いがけない、心のほっこりするような出会いが子ども達とあったのだと思います。ブログにはその出会いが丁寧に書かれています。  事件の犯人の言葉を明確に否定できなかった人が、今、障がいのある子ども達と楽しい日々を過ごしていること。こういう人が少しずつ増えること、それが〈社会が変わる〉ということです。障がいのある人たちといい出会いをする人をたくさん作れば、こんなふうに〈社会が変わる〉のです。相模原障害者殺傷事件を超える社会は、こうやって少しずつ前に進んでいくのだと思います。
  • 〈なんでもいいから一番にな〜れ〉をさぐる
     8月18日(土)から第五期演劇ワークショップが始まります。今期は宮澤賢治作『ほらクマ学校を卒業した三人』(ぷかぷか版)を作ります。  原作は結構残酷というか、えぐい感じがするので、もう少し違う感じで、賢治が問いかけた問題をぷかぷからしく表現したいと思っています。  賢治は何を問いかけたか。それはほらクマ学校の校歌にあります。 ♪ カメはのろまに 歩いて見せた ウサギだまされ昼寝した   早いはえらい 大きいはえらい 勝てばそれまで だまされたが悪い  なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ   なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ  〈 早いはえらい 大きいはえらい 勝てばそれまで だまされたが悪い    なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ 〉 と、物語に出てくる〈赤い手長のクモ〉と〈銀色のナメクジ〉、それに〈顔を洗ったことのないタヌキ〉に競わせます。  クモとナメクジとタヌキの絵を描くとこうなります。この三人が、 〈 なんでもいいから一番にな〜れ 〉 と、ほらクマ学校で教え込まれ、卒業後、お互い相手を馬鹿にしながら競い合います。で、最後は三人とも惨めな死に方をします。ほらクマ先生は、三人とも賢い、いい子供らだったのに、実に残念だった、といいながら、大きなあくびをします。  みんなが一生懸命になってやってきたことが、大きなあくびをする程度のことに過ぎなかった、というわけです。  ワークショップではぷかぷかさん達と一緒にこの校歌を歌い、  〈 なんでもいいから一番にな〜れ 〉 の意味を探ります。  ぷかぷかさん達は、理屈っぽい話は苦手ですから、〈赤い手長のクモ〉と〈銀色のナメクジ〉〈顔を洗ったことないタヌキ〉は一番になるために何をやったのかをまず考えます。  簡単な物語を考え、芝居で発表します。それをお互い見せ合い、 〈 なんでもいいから一番にな〜れ 〉 の意味を探っていこうというわけです。 〈 なんでもいいから一番にな〜れ 〉  は、私たちが子どもの頃から何の疑いもなくやってきた考えのように思います。  〈一番になることがいい〉〈成績がいいことがとにかくいいことだ〉はからだに染みついていて、そういう視点で人を分けていきます。知らず知らずのうちに〈生産性〉があるかないかで人を評価してしまっています。  そういう視点は人を追い込み、息苦しい社会を作っていきます。  〈生産性〉の期待できない障がいのある人たちは社会から排除されていきます。  昔、養護学校の教員になって最初に受け持った子ども達はみんな重度の障がいを持った子ども達で、おしゃべりすることも、文字を書くことも、一人で着替えしたりトイレに行ったりすることもできない子ども達でした。 〈 なんでもいいから一番にな〜れ 〉 からもっとも外れる子ども達でした。じゃあ、その子達は全くだめな子ども達だったかというと、そうではなくて、今まで知らなかったなんともいえない人の魅力を持っていて、毎日おつきあいしているうちに、私は彼らに惚れ込んでしまったのです。  そばにいるだけで、心がほっこりあたたかくなる人なんて、それまで私のまわりにいた 〈 なんでもいいから一番にな〜れ 〉 とがんばっている人たちの中にはいませんでした。  〈 なんでもいいから一番にな〜れ 〉 で一生懸命やってきたのは、なんだったんだと思いました。おしゃべりすることも、文字を書くことも、一人で着替えしたりトイレに行ったりすることもできない子ども達が、 〈 それはちがう 〉 といっていたのだと思います。  ぷかぷかさんと一緒にワークショップをやることで、そういうことが見つかればいいな、と思っています。
  • たくさんのアンケートいただきました
     上映会の日、たくさんのアンケートいただき、ありがとうございました。   ぷかぷかが今、どのように受け止められているのかがよくわかりました。ぷかぷかさん達と黙々といい一日を作り続けてきたことが、このアンケートに反映されていると思います。アーダコーダの議論よりも、まず、今日「いい一日だったね」ってぷかぷかさん達と言えるような日々をこれからも作っていきたいと思っています。そのことが相模原障害者殺傷事件を超える社会を作っていくことにつながるのだと思います。  映画を見て「面白かった!」って思った方、次回はぜひ自分のところで上映してみて下さい。障がいのある人たちの関係者だけで見るよりも、障がいのある人と今までおつきあいのない人たちも巻き込むような上映会の方が、いろんな意見が出ておもしろいと思います。  障がいのある人たちとおつきあいのない人たちにどんなふうに呼びかけるか、どんな言葉を届けるか、とてもむつかしいと思います。悩んで悩んで宣伝のチラシを作って下さい。悩み抜くことがあなたを磨きます。私自身そうやって言葉を磨いてきました。  一人でもそんな人が来てくれたら、「やったー!」って喜びましょう。とにかくその一人にあなたの言葉が届いたのですから。そのことをまず喜びましょう。そしてここから新しい物語が始まります。新しい仲間と一緒に、新しい物語を紡いでいって下さい。  上映の費用については相談に乗ります。お電話下さい。045-453-8511高崎  アンケートに感想を書ききれなかった方、メールを送ってください。  pukapuka@ked.biglobe.ne.jp     ・心がほっこりしました。ずっとぷかぷかさんと関わっていきたいです。 ・心があたたかくなる映画でした。ぷかぷかさんが毎日過ごしていて、それが周囲を明るくしていると、改めて感心しました。また、上映のあとのおはなし会では「そうだよなぁ」と思うことや、「そうなんだよね」と共感できることがたくさん聞けて、今日来て良かったと思いました。 ・津久井やまゆり園の事件から2年がたちました。高崎のいう「街を耕す」という言葉が、いろんな意味で胸に響きました。街を耕すには、日常の中で小さな出会いや、つながりを増やしていくこと、それを大切にしていくこと、それがぷかぷかさんなのかなと思いました。今度遊びに行きます。 ・映画、パネラーのみなさんのお話、客席の方からのお話、たくさんの方の声に、胸がいっぱいになり、いろいろな思いがあふれています。 ・障がいを持つ息子がいる身として、とても共感できるものでした。 ・映画、とてもすばらしかったです。もっとたくさんの方に見て欲しいですね。それ以上にトークセッション、会場と一体となったトークセッションが非常にすばらしかったです。セノーさんのお父様のお話にも感動しました。信田さんのおっしゃったとおり、高崎さん自身のドキュメンタリーを作って欲しいです。 ・ぜひ生で舞台を見てみたいと思いました。 ・映像を見て、ぷかぷかさん達が、子ども、大人、性別、年齢問わず、社会や人々の接着剤になっていると感じられた。 ・初めてぷかぷかさんの映画を見ました。映画を見ている間に会場からいろいろな声や手をたたく音が聞こえてきて、映画を見るときは静かにしなくちゃいけないって咳払いもしづらい自分の心が楽にほどけていく気がしました。「人に迷惑をかけないように」って生きるのは、多分直立不動で誰ともふれあえない生き方、ちょっと寄りかかることで、相手の体温を感じることができる。 ・みんなで一つのものをつくり上げることは大変なことだと思いました。最初は戸惑いもあり、そわそわした雰囲気だったのが、日がたつにつれ、仲間としての一体感が出てきたのが画面を通して伝わってきました。 ・ぷかぷかさんは、日々真剣に楽しんで過ごしておられる。「ブラボー」と声がかかった時のツジさんの一瞬の笑顔が印象的。繊細にいろんなことを感じとって生きているぷかぷかさん。故に時にハッチャけるのかなぁ。 ・第1回目と4回目は映像で、2階、3回目はホールで見させていただき、ぷかぷかのこと、とっても近い存在として感じている自分に気づきました。いつかいっしょに舞台に立ち立ってみたいなと思いました。 ・ぷかぷかたっぷりでした。あらためてこうしてみると感動しました。やっぱり良いよな〜と。 ・障がいがあっても、心をあたたかくできる人はたくさんいると理解して欲しいと思います。 ・ちゅうもんのおおい料理店がおもしろかったです。すてきなおはなしでした。 ・みんなに知ってもらうことの大切さを感じました。そのために親として何ができるだろうか。堅苦しく考えず、でも、ぷかぷかさんのいいところが自然に伝わるのはぷかぷかに来てもらうことが一番。もっともっとぷかぷかを宣伝していこうと思いました。 ・とてもぷかぷかしました。 ・ぷかぷかさんの映画をまとめてみる絶好のチャンスでした。「耕す」は「醸す」とか「発酵」にも通じる、いろんなものがふれあって新しいものが生まれる感じですね。 ・ありのままを大切に、オンリーワンの大事なことが伝わってきました。 ・みんな生き生きして楽しそうな雰囲気が映像から伝わってきました。ふだんの仕事も一生懸命やっているということがとてもすばらしいと思います。 ・高崎さんがおっしゃる「彼らと過ごすことが一番」ということを本当にそう思います。私はダウン症の息子の子育てや、障がいのある子ども達の支援をする中で、嫌悪感を持っている人が、ちょっと接しただけでとても優しいまなざしに変わるのも見てきました。また言葉に対して言葉で返すのではなく、テラちゃん達といい関係を作っている「事実」を伝えていく、ということが大事というのも深く刺さりました。映画の中のテロップがとても重要なことばかりで、テロップ集が欲しいと思いました。 ・カナダの映画、とても良かったです。旭区在住ですが、地域ケアプラザやコミュニティハウスなどで上映できたらいいなと思いました。まだまだ私自身、偏見がゼロではないのですが、この映画を通じて自分にできることを考えていけたらと思いました。息子が療育センターに通っています。通園にも勉強会の枠があるので、職員の方や親の勉強会の時に紹介するのも、ぷかぷかの輪が広がることにつながると思います。 ・長野から来て、本当に良かったです。私の勤める伊那養護学校にもファンが増えています。自分は演劇というか、パントマイムを含めた表現活動を生徒と一緒に作って遊んだりすることを主にしています。「演劇は魂を救済する」という言葉を時々思っています。 ・「一人ひとりの強い個性」という言葉がとても心に残りました。 ・初期、立ち上げ時のご苦労が理解できた。 ・映画の中で「障がいのある人をそうはしたくないけど、子ども扱いしてしまうときがある。彼らは大人である」という言葉が心に残りました。ぷかぷかさん達と接して一緒に過ごしていくうちに私の中にもある偏った感覚がなくなっていくと思います。みなが同じ場所で同じように過ごせる場所が増えるといいです。 ・いくつかの映像は二度目だったのですが、見るたびに新たな発見がありました。同じ映像でも良いので、複数回上映会をやって下さると良いのかなと思いました。 ・ねちゃたけどさいごまでみた。えびかにくすをふざけるようにおやこしつでたのしくおもしろくにこにこわらいながらおどった。かんそうはおわりです。 ・高崎さんのブログに出てくる写真で顔を知っているので、普段会っているわけでもないのに、映画を見て懐かしい思いが湧いてくる。5年ほど前から障がい児とイベントを通して交流しているが、時にスケジュール通りに進めることを重視するあまり、窮屈になることがあった。普段の生活の中でもっとふつうにおつきあいしたいと思う。 ・正直、障がいに対してマイナスのイメージを持っている人が多いと思いますが、ぷかぷかさん達と関わっていく人たちが増えることで、そのようなイメージも変わり、やさしい世界になっていくのではないかと映画を見て感じました。 ・「良いところばかり映している」という意見があることは仕方がないと思います。しかしどこを切り取っても良いところばかりなのですから、良いところしか映せないのではないでしょうか。疑う人は直接ぷかぷかに行って、ぷかぷかさん達の行動を確かめれば良いのです。そういうことをしないで方言、批判する人々は困りますね。そういう人々とどうしたらわかり合えるか。 ・とても楽しく見させていただきました。表現の仕方、パンのメニューなど、センス良いなーと思いました。 ・ますますパワーアップされてました。 ・やまゆり園での環境にも問題があった可能性があるという話題が少しあり、被告のような人格を形成したことに、園の環境も影響を与えたかも知れない、とはあまり考えなかったけれども、被告をその考えや行為に追い詰めた何かがあるかも知れないと思っていました。瀬能さんのお話には共感しました。ある意味、健常者といわれる私たちは障がい者をうらやましく思うところがあると思います。そしてお互いのふれあい、前人と全身のふれあいが、便利さの追求によって排除されたこと…   上映会が終わってこんないい顔  
  • ぷかぷかさんのいる町
     8月4日(土)のぷかぷか上映会では、午後に上智大学新聞学科で映像を専攻している石井さんの作品「ぷかぷかさんのいる町」を上映します。     石井さんのブログ  2016年の夏、相模原で起きた障害者施設殺傷事件。19人の方が亡くなった悲惨な事件。「障害者は不幸を生むことしかできない」という犯人の供述に、驚きと哀しさの気持ちでいっぱいになった。   それは違うと自分の中で言い切るために、障害者の人たちと関わってみたいという気持ちが沸き起こった。そんな時に見つけた、朝日新聞の記事。「障害者はいた方がいい 一緒に生きるパン屋の日常」。  これは行ってみたいと思った…     そんな思いで石井さんはぷかぷかにやってきました。取材すること2ヶ月。10分ほどの作品にまとめました。  取材しながら、ぷかぷかさん達のと素敵な出会いがたくさんあったようです。それがよく見える映画です。セノーさんの仕事を通して地域とのつながり、そのことの意味も明確に語っています。セノーさんのことを楽しそうに語る近くの郵便局の局長さんの映像からはぷかぷかが地域でやってることが見えます。  自分にとって、あるいは地域社会にとって、ぷかぷかさんいるってどういうことなのか、を映画の後半であたたかく語ります。それはぷかぷかさんの日常を撮る中で見えてきたことです。「ぷかぷかさんのいる町」というタイトルには、そんな思いが込められているように思いました。あたたかさを感じるタイトルです。  そして何よりも、このタイトルを持ってくることで「障害者は不幸を生むことしかできない」という犯人の供述に、それは違うといいきったような作品になったと思います。わずか10分の映像で、それを語った石井さんに拍手!です。     あらためて思います。犯人が石井さんのような出会い(障がいのある人たちとの)をしていれば、事件は起こらなかった。だから、犯人がやまゆり園にいたことの意味は、ものすごく大きいと思います。  石井さんがもし津久井やまゆり園に取材に行ってたら、障がいのある人たちとこんな出会いはなかっただろうし、こんな作品もできなかったと思います。  図らずも、事件の核心部分が見えてくるような作品になった気がします。    事件から2年。「決して忘れない」とあちこちで聞かれた言葉も、どこへ行ってしまったんだろう、と思ってしまう今。若い学生さんがこんなすてきな映画を作ってくれたことは、大きな希望だと思います。    ぜひ見に来て下さい。若い学生さんの熱い思いにふれて下さい。      
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