ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • 『道草』上映のあと、シンポジウムをやります。
     明日の『道草』上映のあと、シンポジウムをやります。  出演は『道草』の監督・宍戸大裕さん、映画に出てくる岡部亮佑さんのお父さんであり、早稲田大学教授の岡部耕典さん、Cafeゆうじ屋オーナー、ラブ・エロ・ピース ボーカリストの実方祐二さん、NPO法人ぷかぷか理事長の高崎明です。  どんな話になるか、その場になってみないとわからないのですが、つい先日津久井やまゆり園事件の被告に死刑が求刑されたこともあり、やはりどこかで事件にはふれたいと思っています。  裁判では、どうしてこんな事件が起こってしまったのか、という一番大事なところが全く解明されませんでした。社会全体の問題と、支援の現場が抱える問題の二つがあると思います。  そのことを私たちは考え続け、どうしたらいいのかを語り続ける、表現し続ける、新しい事実を作り続けることが大事な気がしています。アーダコーダの話で終わるのではなく、具体的なものを作ることです。  ラブ・エロ・ピースの映像です。祐二さんの絶唱がカッコイイ! https://www.youtube.com/watch?v=yM2cVWa5gbg  これに負けないものをみんなで創り出せたら、と思っています。 チケットはこちらから peatix.com
  • 「ほんまかいな」と思うひとはぜひ『道草』を見て
     最近、共生社会ということがよく言われますが、なんとなくそういう社会を強制されている感じがして、いまいち馴染めません。昔、障害者とは共に生きねばならない、なんてこともいわれていましたが、なんかそれに重なるようなものを感じます。  障がいのある人たちと共に生きなくても、ふつうは特に困りません。だったら別に共に生きなくてもいいじゃん、となります。確かにそうです。でもね、彼らとちょっとつきあってみるとすぐわかるのですが、彼らとはおつきあいした方が楽しいし、いろんな意味でトクです。  「共生社会を作ろう」とかよりも、「おつきあいした方がトク」くらいの方が気持ちが楽で、長続きするような気がします。  映画『道草』の中で、介護する人が重度障害の人をうちに呼んで、一家で誕生日をお祝いするところがあります。子ども達も入って、とても楽しい雰囲気です。何度もその家に行ってるのか、家族に中にごく自然に入っています。そこにあるのは介護する人、される人、という関係ではなく、フラットなごくふつうの関係です。彼がいると楽しいよね、っていう関係。   リョースケさんのアパートでは一応、介護する、されるの関係ですが、たとえば、卵をもう一個入れる、入れない、の会話は、とても人間的なものを感じます。人と人とのおつきあいです。そういったおつきあいの延長上に、家での誕生会があったのだと思います。リョースケさんがいると、いつもとちょっとちがう楽しさが生まれます。この家族はリョースケさんがいることで、すごく「トク」してるなと思うのです。  福祉から始まった関係が、人と人との関係になっているところが、すごくいいなと思うのです。人と人との関係になることで、障がいのある人たちは、おつきあいする人たちの心を耕します。  津久井やまゆり園事件の被告は、障がいのある人たちを相手にしながら、心を耕されることがなかったのだと思います。多分彼がいた現場では、人と人との関係がなかったから、あのような悲惨な事件が起きてしまったのだと思います。  2年ほど前、緑区で障がいのある人たちのグループホーム建設反対運動が起こり、その説明会に出たことがあります。  「障害者は犯罪を犯す。」  「彼らがこの街に来れば、街の治安が悪くなる。」  そんな言葉をたくさん聞きました。単なる思い込みに過ぎないのですが、思い込みはでも、建設計画を潰すほどの力を持ちます。思い込みは、人の心をガチガチにします。  そんな人にこそ、この『道草』を見て欲しいと思っています。ガチガチの心が耕され、きっとやさしい気持ちで世界を見ることができるようになります。  思い込みで自分を縛るよりも、これはすごく「トク」なことだと思います。  今の社会、ガチガチな心がいっぱいです。それを考えると、『道草』に登場する障がいのある人たちは、そんな社会を、ほんの少し楽にしてくれます。だから彼らとおつきあいすると「トク」なことがいっぱいあるのです。  「ほんまかいな」と思うひとはぜひ『道草』を見てください。 映画『道草』のチケットはこちらから peatix.com 道草ホームページ https://michikusa-movie.com
  • 私は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると
     今朝の朝日新聞「折々のことば」  不出来な私の過去のように  下手ですが精一杯  心を込めて描きました。                 石垣りん 「私」は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると「きっぱりと思っている」。 ●●●  思い出したのは昨日東久留米の上映会で見た第5期演劇ワークショップの記録映画『ほらクマ学校を卒業した三人』。  ぷかぷかさんと地域の人たちが悪戦苦闘しながら6ヶ月かけて芝居を作った時の記録映画です。できあがった芝居は決して上出来とはいえなくて、昨日の上映会では「シュールでわかりにくい」といった意見も出ました。  それでも私は見て欲しいと思うのです。  下手ですが、精一杯心を込めた描いたものです。  私は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると、きっぱりと思っています。  あの6ヶ月、私たちがぷかぷかさん達とどのように生き、何を作り出したのか、を見て欲しいのです。  舞台での発表が終わった直後、参加した地域のおじさんが息を切らしながら「すごかった…ほんとうにすごかった…」と言葉少なに語る場面があります。ぷかぷかさん達とどんな出会いがあったのか、この途切れ途切れの言葉がすべてを語っています。  津久井やまゆり園事件が起こってしまうような社会にあって、障がいのある人たちに対し「すごかった…ほんとうにすごかった…」と語れるような関係、場を作り続けることは、すごく大事なことだと思います。何よりもみんながあそこで輝いていたのだから。  だから、私は、ここに描いた空を、湖を、木々を愛していると、きっぱりと思っているのです。  あなたの街でぜひ上映してください。上映に関する問合せはこちら www.pukapuka.or.jp
  • 2月11日(火・祝) 演劇ワークショップの記録映画、上映します。
     2月11日(火・祝)東久留米で『Secret of Pukapuka』と第5期演劇ワークショップの記録映画『ほらクマ学校を卒業した三人』をやります。  演劇ワークショップの記録映画は、なかなか上映する機会がないので、ぜひ見に来て下さい。障がいのある人たちと一緒に生きると何が生まれるのか、あるいは、一緒に生きる意味ってなに?、といったものがよく見えます。  「共生社会を作ろう」とか「共に生きる社会を作ろう」とかよく耳にしますが、耳障りのいい言葉が聞こえてくるだけで、そこで何を作り出そうとしているのか、といったことがさっぱり見えません。具体性がないのです。どこまで本気なのか、と思ってしまいます。  演劇ワークショップは、障がいのある人たちと一緒に芝居を作り、舞台で発表します。そういう社会を作ろう、と本気でやっているのです。  どんな舞台ができるのか。去年、その舞台を見た人がこんなことを書いていました。  「障がい者イベントというと支援者にしっかりと支援されてる障がい者が決まった事を大人しくやっているイメージがあるけど、ここでは全く違う」  下の写真がその舞台。「支援」ではなく、「一緒に生きる」関係が作り出した舞台です。背景画もぷかぷかが制作。一緒に勝負する、というか、緊張感のみなぎる舞台です。  一緒に生きると何が生まれるのか、がよくわかる舞台です。一緒に生きる意味も。  こういった舞台をどうやって作っていったのか、映画はその6ヶ月にわたる芝居作りの記録です。  津久井やまゆり園事件についても、被告が言った「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」という言葉に対して、それは間違ってると言うだけでは事件を生み出した社会は何も変わりません。被告の言葉に対し、「障害者はいた方がいい」「障害者は不幸しか生まないのではなく、社会を豊かにする」という実態を作り出すことが大事だと思います。私たちがどういう社会を作ろうとしているのか、それを具体的に提案するのです。  ぷかぷかはまずお店でそれを作り続けてきました。演劇ワークショプでは、一緒に芝居を作り、それを舞台で発表します。私たちが目指す社会が、ほんの少し見えます。  演劇ワークショップは台本があって演出家の指示の通りにやる、といったやり方ではなく、参加者みんながアーダコーダ言いながら作っていきます。障がいのある人達も一緒なので、すんなりまとまりません。すんなりまとまらないところで、どうしよう、どうしよう、とみんなで悩みます。この「悩む」ということが、場を豊かにします。私たちを磨きます。  映画はその過程を飾ることなく淡々と記録しています。  ぜひ見に来てください。あなたの心もきっと耕してくれるはずです。
  • 被告が裁かれて事件はおしまい、という問題ではないだろうと思います。
     やまゆり園事件の公判に関する記事  弁護士の「美帆さんは人間でなかったのか」との問いには「そういう言葉を使うのは忍びないですが人間としての生活ではないと思う」と話した。  被告にとって人間てなんなんだろう、と思いました。そういう人間のイメージがどこで作られたのか、が大きな焦点になると思います。  事件が起こった頃も、事件後も、やまゆり園では利用者さんを拘束するという虐待事件が起こっています。一昨年のNHKスペシャルでは13時間も拘束された女性の話が放送されましたが、相手を人間として見ていないからこんなひどいことが平気でできるのだと思います。そういった環境で被告は3年働いていたので、人間を見る目に何らかの影響は受けていると思います。  やまゆり園で行われていた支援の質は、事件の大きな鍵になると思います。そういったことが公判でどこまで明らかにされるのか、注目したいと思います。  いずれにしても被告が裁かれて事件はおしまい、という問題ではないだろうと思います。大事なことは私たち自身が障がいのある人たちとどのように生きるのか、彼らとどのような社会を築こうとしているのか、というところだと思います。  彼らとどのように生きるのか、どのような社会を作るのか、事件で一番問われているのはそこだと思います。そこにどこまで私たちが具体的に答えていくのか、ということです。  ぷかぷかでやっていることは、お店の運営にしても、表現の市場にしても、その問いに対する私たちのひとつの答えです。  そういうものをみんなが作り出していかないと、事件は他人事で終わってしまい、社会は何も変わりません。 headlines.yahoo.co.jp  
  • 「人間扱いは必要ないと思うようになった」とやまゆり園事件の被告
     昨日の毎日新聞、やまゆり園事件公判の記事。 《 園の職員になってからは、利用者の食事の様子などに驚いたといい、自身も「ご飯を食べないと鼻先を小突いてしつけをした」と話し、人間扱いは必要ないと思うようになったと説明した。》 《 利用者に命令口調になったり流動食を作業のように流し込んだりする他の職員の姿を見て「(利用者は)人間ではないと思った」と述べて、園で働く中で差別的な考えが膨らんだと話した。》  「人間扱いは必要ないと思うようになった」とありますが、これが津久井やまゆり園の支援の現場の実態なのだろうと思います。そういう現場だからこそ、事件は起こったのではないか、と以前から書いていますが、まさにそれを裏付けるような被告の言葉です。  相手を支援するといいながら、どうして相手を人として見ないような関係が生まれたのか。支援という上から目線の関係は、本質的に、そのいうものを含んでいるのではないか。そこの検証こそ、この裁判でやるべきことだと思います。  相手と人としてつきあっていく。それをぷかぷかは大事にしてきました。いっしょに生きていく、という関係です。そしてその関係からはこんな舞台が生まれました。  障がいのある人たちと一緒に生きていくと、こんな風に社会を豊かにするものが生まれるのです。  やまゆり園とは正反対のものです。どうしてこんなにちがうのか、何が問題なのか、支援という関係は何を創り出しているのか、それを考えることが、今、私たちは求められていると思います。何よりも、私たちはどういう社会を作ろうとしているのか、ということ。
  • 舞台の真ん中には、目には見えない柱が立っていた。
    第6回表現の市場で『どんぐりと山猫ーぷかぷか版』の発表をしました。  10年前、 「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」「その方がトク!」 と、一本の柱を立てました。その柱に共感する人が少しずつ、少しずつ増えてきました。  いっしょに生きてると、ほっこりあたたかな、楽しい物語がたくさん生まれました。  いっしょに生きてると、ゆるい、ホッとできる空気感が生まれました。  いっしょに生きてると、ぷかぷかさんが好き!というファンがたくさんできました。  いっしょに生きてると、障がいのある人たちは社会を耕し、豊かにする、ということが見えてきました。  舞台の最後、思いを込めて「あの広場のうた」をうたいました。   ♪  ……     歌が生まれ  人は踊り出し     物語がはじまる  あの広場がここに       昔 広場に一本の柱     ここに立てよう  目には見えない柱を       昔 広場に一本の柱     ここではじまったぷかぷか  いまここで ♪  舞台の真ん中には、目には見えない柱が立っていたのです。  障がいのある人たちと一緒に生きていくことで、あんなにも素晴らしい舞台ができたのです。いっしょに生きていくと何が生まれるか、がよく見えたと思います。ここで生みだしたものは新しい「価値」といっていいと思います。この「価値」は社会を豊かにします。  同じようの障がいのある人たちにかかわりながら、津久井やまゆり園ではあの悲惨な事件が起きました。  何がちがうのか。  あまりの落差にめまいがしそうですが、ここをしっかり見つめていくことが、今、すごく大事な気がします。犯人の特異性のせいにしてしまうと、大事なものを見逃してしまいます。  あの事件と、下の写真の文字が作り出す世界とのちがいはどこにあるのか、ということです。  ●見に来た人たちの感想 ・とてつもなく大きなエネルギーを感じました。元気をたくさんいただきました。 ・たくさんの人の力が、とてもほっこりあたたかくしてくれました。もっとたくさんの人に見て欲しいです。 ・とてもレベルが高く、びっくりしました。 ・とても自由で、楽しい時間でした。 ・不思議な気持ちです。なんだか楽しかったです。 ・時間があっという間に過ぎてしまいました。 ・心があたたかくなる舞台でした。 ・お客さんが非常に多く、素晴らしかったです。 ・続けていくって大変ですよね。有料にしてもよいのかな、と思います。 ・「表現の市場」いつまでも継続して欲しいと思います。 ・何かをやってみようという気持ちになりました。 ・舞台に立つ人たちは、とても輝いていて、素晴らしかった。一生懸命なみなさんに感動し、勇気づけられた。 ・こうでなかったらいけないというのがなく、素晴らしかった。 ・このようなすてきなメッセージをこれからも発信してください。 ・アラジンの太鼓では感動して、涙が出ました。 ・和太鼓、すごい迫力。ポップ、太鼓を交えたミュージカルっぽくて面白かったです。 ・和太鼓といえば筋肉ムキムキの男の人が力強くたたいているというイメージだったのが覆されました。 ・観客との一体感が素晴らしい。 ・見事です。自分の子どもにも教えて欲しい。 ・「ほうきぼし」だいちゃんがかすんでしまうほど、粒違いの演奏ぶり。 ・シーホースの「みどりがめ」のお話は、人間の本質を突くようなセリフで、ドキッとしました。飼われていたときは餌の心配はなかったけれど、楽しくもない。川の生活は本当のいる場所ではない…って、なんか今の自分の心境にも近くて。 ・紙芝居の内容が深い。音と光の演出が新しく、面白かった。 ・メッセージが込められている素晴らしい活動。 ・ラポエアガールのナルコビックは楽しく体を動かし、全身を使えてとてもよいと思いました。 ・とってもよかったよ。 ・千本桜がよかった。 ・みなせたのみなさんのファンキースタイルでの「あるある」最高でした。 ・体を張ったメッセージに感服 ・みなせたの方の「あるある」を聞いて、私も歩けるうちは駅で階段を使おうと思いました。 ・私も子ども二人と電車、バスを利用する際の「あるある」で、わかります。車イスのあんなデザインのものがあるなんて知りませんでした。 ・車イスの大変さをwest side storyに載せて楽しく伝えてくださり、ありがたかった。 ・世間をやわらかく風刺するという芸能の原点を考えさせられて、非常によかった。 ・小学校で車イス体験授業がありますが、乗ったり押したりの体験をするより、みなせたさんのミュージカルを見る方が、よほど学びになると思いました。車イスに乗って街へ出てみると、世間の無関心や冷たさがわかるともいわれてますが、当事者の目線で授業をして欲しいです。 ・チェロと太鼓の間に「チケット レコード」というつぶやきが入り、自閉の方のつぶやきが楽器のように聞こえてよかったです。 ・素晴らしいコラボ。いつも息がぴったりで、回を重ねるごとに深まっている様子が、すてきだなと思っています。 ・演奏中は表情の硬いだいちゃんが、演奏が終わった瞬間にニコッとなるのがよかった。 ・ダイちゃんの太鼓が力強くてとてもカッコイイ! ・モンゴルを思い出させてくれて感謝します。 ・相鉄ーJR開通の新線をすぐに組み込んでいるのが、さすが!と思いました。 ・はっぱの最後の歌には涙が出てきた。 ・はっぱオールスターズ、最高に楽しくて感動しました。 ・いかりや直樹さんのおしゃべりよかったです。 ・『どんぐりと山猫』音楽、舞台美術が素晴らしかったです。 ・すべて手作りで、驚いた。 ・『どんぐりと山猫』みんないっしょに何かするのっていいなと思いました。 ・ぷかぷかさんだけでなく、地域の子どもやおじさん、おばさんもいっしょに楽しそうなのがよかったです。 ・『どんぐりと山猫』のセリフ、「認め合う」一人ひとりにその言葉があると、生きやすい世の中になると思いました。 ・暖かいステージ、ジンときました。 ・ぷかぷかの舞台の最後の歌「あの広場のうた」は、いつも感動します。 ・ななちゃん、かわいかった。  ●「表現の市場」の夜、舞台の感想をすぐにブログにアップした方がいました。 ameblo.jp  ●新聞記者の方は  劇が終わったときに、もう少し見ていたい!えーもう終わってしまうの!と いう気持ちがわき上がってきました。    ハイライトのどんぐりの「優しさと寛容が~」というセリフが、大きな声ではなかったのが心に残りました。大事なことって意外とこんな感じなんだろうなと思わせる素敵なシーンでした。  そして、最後の歌になぜかじんわりきてしまいました。    いわゆる健常者といわれる人たちが集まってやっても、うまい下手がどうだとか、メッセージ性がどうだとか、考えてしまって、こんなに素直ににこにこしながら劇をみるなんてことないのではないかと思います。    10何人もの記者が難しい顔をして横浜地裁に缶詰になっても何も生み出さない という現状が本当に情けなくなりますが、どうにか、一緒に生きる社会を少しでも 伝えられる原稿にできればと思います。  ●ワークショップに参加した人はFacebookにこんな感想書き込んでいました。  「(ぷかぷかさんは)自由だねえ」  もともと私ひとりで参加する予定だった ぷかぷかの演劇ワークショップに三女を連れて行ったのは、何度目かのワークショップのあった土曜日にたまたま夫が休日出勤になったせいだ。 3人姉妹の中でも一番人見知りで一番内弁慶の彼女は、最初の日は部屋の外で漫画を読んでいるわ、練習室の中では壁に貼りついて”ひとりで遠巻きに眺める”わ、誰かに声をかけられると背中の毛を逆立てるように睨むという、まるで人に懐かない野良猫のようだった。ま、予想はしていたけど(^^;)   それが、1月の練習日に衣装の試着があって、すごくファンタスティックな、つまり、ぷかぷかチックな「どんぐりの帽子」が出てきたら突然スイッチが入ったのだ。その後は、私よりも早くセリフを覚え、ぷかぷかのテーマソングを歌い、コンちゃんと笛を吹き、時々行方不明になるセノーさんを探すという200%コミッターに変貌した。   本番前日、当日となると、やっぱり緊張感がただようし、ワサワサしてるし、舞台上は照明で汗をかくほど暑いし、たぶんそんな空気感が苦手なセノーさんは本番当日のリハーサルに姿を見せなかった。セノーさんと一緒の私たちのチームはセノーさん(熊役)不在の時のセリフ回しも用意した。そして昼やすみ。お弁当を食べた後のみんなが思い思いにゴロゴロする練習室で、伴奏者が席を外したピアノから、ポロロンと流れ始めた「さそり座の女」。   セノーさんだよ!   三女の目が輝いた。誰に聴かせるでもなく、セノーさんが弾いていた。その次の瞬間、三女が言ったのが冒頭の 「自由だねえ…」。   そう、そうそうそうそう!この感じ。 「台本は、変えられる」のだ。 言いたくないセリフは直前でも変えちゃうとか、舞台に出たくない時は出なくていいとか、だけど、大丈夫って声を掛けたら次のシーンでは出られるとか、ぷかぷかの歌が始まったら客席から乱入する青年が出てくるとか、次々に出てくる「予定外」「予想外」をみんなが「おお!」「それもいいね~」って受けとめる感じがあれば、ちゃんと”仲間”でいられるんだということ、助け合えるんだということ、一緒なら恐れることは何もないんだということ。それを、受容とか、共生とか、そんな手あかのついた言葉を1万個並べるより、すとんと理解させてくれる、やっぱり、ぷかぷかさんってすげえなって思うし、一緒にいさせてくれて、ありがとう♡ ●記録映画のための音を録音しに来ていた人は  表現の市場楽しかった!なぜどこが楽しいのか考えてみると、彼彼女たちは‪心が広く他人に立ち入りすぎず自分らしさを持っているからかもしれなくて、妬んだり画策したりせず本当に興味のあることだけにめちゃこだわり集中し誰にも似ていないし似ようともしないなんて、みんなそうありたいと思ってるんじゃないかな。 10年後か20年後かにはこのひとたちががっつりみんなと混ざってたら未来面白いだろうと思う。いまの障害者という呼び名は、社会で暮らすため混ざるため生きるために乗り越えなくてはならない障害がある「被障害者」という意味だとするとこの障害は社会ががんばれば無くすことができて、そうしたら障害者はいなくなっちゃうよね、あらら!なーんておもいます。
  • 「あなたがいて、幸せだよ」って思える関係
     NHKの津久井やまゆり園事件の裁判を伝える記事に 《 「お母さん、幸せだったよ」〜法廷に響いた“反論” 》 というタイトルがついていました。あえて反論という言葉が入っています。多分被告のいった 「障害者は不幸しか生まない」 という言葉に代表される被告の発想への反論なのだと思います。「不幸しか生まないんじゃない、私は幸せだったよ」という、ストレートな反論です。  「お母さん、幸せだったよ」  人間は、どんなに悲惨な中にあっても、こうやって希望を感じる言葉を紡ぎ出すんだと思いました。 www3.nhk.or.jp  事件を超える社会、というのは、このお母さんのように 「あなたがいて、幸せだよ」 って思える関係を障がいのある人たちと作ることだと思います。共に生きる社会、というのは、お互い「あなたがいて、幸せだよ」と泥臭く思える社会です。  それは遠い未来の社会の話ではありません。関係の作り方一つで、すぐにでもできる話なのです。  ぷかぷかができたのは、代表のタカサキが、養護学校の教員になったころ、重度障害の子ども達に惚れ込んだことが、そもそものきっかけです。惚れ込んだ、つまり、彼らのそばにいて、私は幸せを感じていたのです。「共に生きる社会」という言葉すらなかった時代、私は彼らに惚れ込み、彼らのそばにいて幸せを感じていました。  街の人たちにも、その幸せ感を感じて欲しいと、10年前、障がいのある人たちとの出会いの場としてぷかぷかを街の中に作ったのです。たくさんの素敵な出会いがあり、たくさんのファンができたことはすでに何度も書きました。  『ぷかぷかな物語』を読んだ人がこんな感想を書いてくれました。 「あなたが好きだから♪」 これがぷかぷかを作った理由なの。最高じゃないかなー? 「好きだから♪」会いに行きたくなる。 「好きだから♪」会うたび元気をもらう。 「好きだから♪」笑顔が続くことを願う。 ・・・そういうことなんだよね。 読んだら会いたくなっちゃったよーん。ぷかぷかさん。  「あなたがいて、幸せだよ」と思える関係は、こんなふうにぷかぷかのまわりにいっぱいできているのです。事件を超える社会、共に生きる社会が、すでにぷかぷかのまわりにはできているのです。  そういった関係を作るコツは何か。それは彼らとフラットなおつきあいをすることです。上から目線で「何かやってあげる」とか「支援する」といった関係では「あなたがいて、幸せだよ」と思える関係は出てきません。  「障害者は不幸しか生まない」という言葉は、支援の現場の空気をいっぱい吸い込んだ被告から出てきた言葉です。「お母さん、幸せだったよ」なんて言葉が想像もできなかった現場だったんだろうと思います。   だからこそ「お母さん、幸せだったよ」の言葉は、忌まわしい事件を裁く法廷にあって、小さな希望をともすように輝いていたと思います。NHKの深い読みに拍手!です。  1月26日(日)の「表現の市場」では、演劇ワークショップの中で「あなたがいて、幸せだよ」と思いながら作った芝居を発表します。あなたにもそれを感じて欲しいと思っています。ぜひ見に来て下さい。
  • 「お母さん、幸せだったよ」
    「お母さん、幸せだったよ」  津久井やまゆり園事件の法廷に響いた言葉です。人が生きていることの意味、誰かといっしょに生きることの意味が、このひとことにはあります。  このひとことに込めたお母さんの思いをしっかり受け止めたいと思うのです。  そしてそういう思いを共有できるような関係を、障がいのある人たちと作っていきたいと思っています。だから「支援」ではだめなのです。そこからは、お母さんの思いを共有できるような関係はできません。  「あなたといると、幸せ」と思える関係です。それこそが「共に生きる」関係です。  津久井やまゆり園、愛名やまゆり園で、また虐待がおこなわれた、と昨日神奈川県が発表しました。「支援」の行き着く先を見た思いです。そして、そういう環境で事件は起きました。  現場の人たちが、お母さんの思いを共有できるような関係を日々おつきあいしている障がいのある人たちと作っていれば、あの事件は起こりませんでした。  「お母さん、幸せだったよ」何度も何度も噛みしめたい言葉です。
  • 「表現の市場」は、社会全体で支えて欲しい。
    今度の日曜日1月26日(日)はいよいよ第6回目の「表現の市場」。  準備は着々と進んでいるのですが、気がかりはやはりお金のこと。半年かけて芝居を作り、その発表の場として「表現の市場」をやると、講師、舞台監督などの人件費、会場費を合わせると230万円ほどのお金がかかります。ヨコハマアートサイトから100万円の助成金をゲットしましたが、ほかの助成金申請はすべて没。結局残り130万円ほどはぷかぷかで負担することになります。  ぷかぷかは貧乏なので、130万円というのは大変な負担です。とりあえず今年は払っていくにしても、この状態が続けば、「表現の市場」の存続は、かなり難しくなります。  ぷかぷかは収益を増やす工夫をいろいろやっていますが、残念ながら「表現の市場」を支えるだけの収益は得られていないのです。ですからぷかぷかだけで「表現の市場」を存続させることは、もう限界に来ています。  「表現の市場」の社会的な意味を考え、これを存続させるためにはどうしたらいいのかを考えるとき、ぷかぷかだけが四苦八苦するのではなく、やはり社会全体で支えていく仕組みを作っていかないとだめだろうと思います。  もう一つ大事なこと。3年前の津久井やまゆり園事件は「障害者はいない方がいい」というメッセージを社会にばらまきました。全国で起こっている障害者グループホーム建設反対運動は、自分の地域に「障害者はいない方がいい」という運動です。頭の中では「共に生きる社会を作った方がいい」と思いながらも、自分の家のすぐ隣に障害者のグループホームが建つことになったら、やっぱり不安に思う、という人はたくさんいます。  そういった社会の中で  「障がいのある人とはいっしょに生きていった方がいい」 というメッセージを、言葉だけでいうのではなく、舞台というストレートに見える形で表現する「表現の市場」は、とても大事だと思います。「共に生きる社会」がどういうものか、いっしょに生きていくと何が生まれるか、といったことがひと目でわかります。  事件を超える社会が、ここから生まれます。だからこそ、社会全体で支えて欲しいと思うのです。  どういう仕組みがいいかは追々考えるとして、1月26日には会場費、付帯設備などの支払い、その後、人件費、舞台装飾の支払いがあります。ぷかぷかにとっては、一番厳しい局面です。  「表現の市場」を支えるための寄付を、ぜひお願いします。  ぷかぷかは「横浜夢ファンド」の登録団体になっています。夢ファンドに寄付をしていただくとぷかぷかにお金が入ります(寄付の申込書の希望する団体の欄に「NPO法人ぷかぷか」とお書きください)。税制上の優遇措置があります。詳しくは下記サイトをご覧下さい。 横浜夢ファンド www.city.yokohama.lg.jp archive.city.yokohama.lg.jp ★寄付の申込書の希望する団体の欄に「NPO法人ぷかぷか」とお書きください。 横浜市 基金の活用 横浜市 税制上の優遇措置 障がいのある人もない人も、お互いが気持ちよく暮らせる社会を目指します。 どうか応援して下さい。  ★1月26日(日)「表現の市場」当日にも、寄付箱を用意します。
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