ぷかぷか日記

相模原障害者殺傷事件を超えるために

  • 『友達やめた』上映会
     2016年のやまゆり園事件から7年目の夏がやってきました。ぷかぷかでは毎年映画を手がかりに事件を考える集まりをやってきました。今年は映画『友達やめた』をやります。  障がいのある人達とおつきあいすることは、面倒くさいことや、よくわからないことが多いです。でも、その面倒くさいことや、よくわからないことこそ、相手との素敵な出会いを生み出します。その出会いがあったからこそ、この映画が生まれました。  やまゆり園では、この面倒くさいことや、よくわからないことと、どこまで丁寧に向き合い、おつきあいしてきたのだろう、と思うのです。そういったことをやっていたら事件は起きなかったのではないでしょうか。  「支援」という関係は、相手とフラットにおつきあいするするのではなく、あくまで上から目線で、相手に何かやってあげる関係。おつきあいがないから、相手と人として出会うこともありません。だから相手を殺すことに何の抵抗もない。そういうところで事件は起こったのではなかったか。  7月15日(土)の上映会では、ゲストに映画『かぐやびより』の監督津村和比古さんをお迎えし、あらためてそのあたりのことをみんなで考えたいと思うのです。  申し込みはこちらから
  • 犯人がもしぷかぷかにいたら、あんな事件は起こらなかったよね
    毎日新聞の上東さんとやまゆり園事件の話をしていて、 「犯人がもしぷかぷかにいたら、あんな事件は起こらなかったよね」 という話になりました。全く同感で、以前そういったことをブログにも書いています。 www.pukapuka.or.jp  やまゆり園の利用者さんたちがスタッフと下の写真のような関係だったら事件は起きませんでした。 スタッフがやめる時は、抱き合って泣くぷかぷかさんもいました。  これが「いっしょに生きていく」ということです。  要するに相手と人として対等につきあっているからこそ、こういうことが日常的に起こります。支援という上から目線の関係では、こういったことは多分起こりません。  やめていくスタッフがぼそっとこんなことを言ったことがあります。  「ぷかぷかさんて障害者だったのね。ずっと忘れてたわ」  ちょっと笑ってしまいましたが、けだし名言です。  こういう言葉がぽろっと出てくるのも、人として対等につきあっているからです。だから一緒に楽しいことがたくさんできた。下の写真はみんなでケヤキの木になるワークショップ。  犯人がこんな環境にいれば、あのような事件は起こりませんでした。ふつうに考えればすぐにわかることです。にもかかわらず、やまゆり園の環境はほとんど問われないまま、犯人に死刑を宣告することで事件は終わったように受け止められています。  でも、冒頭で書いた 「犯人がぷかぷかにいたら、あんな事件は起こらなかったよね」 の問いは、この事件の本質を突いているように思うのです。支援という関係性と事件について、もっともっと検証せねばと思うのです。  毎日新聞上東さんの記事 mainichi.jp
  • あなたが生きていること、そのこと自体がすばらしい。
    NPO法人抱僕の発行する「ほうぼくサポーターかわら版NO.20に載っていた「THE FUTURE TIME 対談 後藤政文×奥田智志」はすばらしい対談でした。 http://www.thefuturetimes.jp/archive/houboku/index.html  中でもやまゆり園事件に関する奥田さんの見解は、あらためて頷けるものがたくさんありました。  社会の何があの事件を引き起こしたのか。  役に立つ人間なのか、という判断基準が頑としてこの社会にはあります。抱僕はホームレスの人達との関わりに中で、 「あなたが生きていること、そのこと自体がすばらしい」 といいます。役に立つとか立たないではなく、生きてることそのものがすばらしい、と。 「あの相模原事件の植松君にも会いに行きましたけども、あの植松君と会ってしゃべった時も、彼を全然擁護する、やったことを擁護する気はないけども、ひどいことをしてるわけですから、駄目なことは駄目だけども、やっぱりね、あの人の発想の中に時代の中で生きてきた人の感覚を見るんですね。彼だけが特異な異質なものじゃなくて、やっぱり時代の子だなと思うんですね、『意味がない命』とか言っちゃうのは」  私たちは、あの事件のあと、そういった問題を自分の問題としてどれだけ掘り下げたのだろうと思うのです。『意味がない命』と、ふと思ってしまったことはないのか? 「彼自身がたぶん言われてきたことであろうし言ってきたことなんだろうと。こっちの自分とあっちの自分は、どこか重なってるように、拘置所で会った時にすごく感じましたね。面会の最後に、『君は役に立たない人間は死ねというのか』といったら、そうだと言うから、『じゃあ君に聞くけども、君はあの事件の前、役に立つ人間だったのか』と聞いたらね、彼、ぐっと考えてね、『僕はあまり役に立ちませんでした』って答えたんです。その答えを聞いて、ああ、この人も、あの自分が発した『意味のない命』という言葉の中に生きてきて、その意味のない命なのかという問いの中におびえてきた1人なんだろうなって。だからといって、あんなことをするかといったら、してはいけないんだけど」  生産性という評価に私たちはどれだけ振り回されているのだろうと思います。そういう社会があの事件を生み出した、ということ。そのことの痛みをどれだけ私たちは自分事として感じたのか。 「ああいう犯罪が起きた時に、少なからず本人の資質もあるでしょうけれども、社会がある種、育ててしまったというか、育んでしまった思想や思考でもある。だから自分は無関係だとはいつも思えないんです」  どこかで植松を突き放していた自分。そうではないと、あらためて思う。  「たとえヒットラーであろうと、やっぱり時代が生み出していった面というのは、あると思うんです。彼だけが特異な存在。まあ特異ですよ。非常に特異だけど。でも、じゃあ全く同じ時代じゃない全然違う土地、時代、違う歴史の中に彼が生まれて、あの結果になるかというと、ならないんじゃないかなという。まあ何か、そのあたりでいうと、本当に社会のあり方をもっと考えないと非常にまずいところにきていると」  非常にまずいところにきている。この言葉の重さをしっかり受け止めていかないと、またあのような事件は起きる。実際、施設での信じがたいほどの虐待が事件後もずっと続いている。  「あの相模原の事件も、そもそも論として、命そのものには価値を見いだしてないんですよね。そこに生産性が伴うかとか、それが何を生み出したかというところに価値を見いだそうとしてる。だから、あの植松君も裁判の中で、ぺろっと、こんなこと言うんですね。『もし自分が歌手か野球選手だったら、こんなことしてない』って。要するに、今の自分には価値がないって彼は自分自身、思い込んでるわけで。生きてるだけじゃ駄目なんだと。だから、やっぱりみんなからちゃんと評価されるような、大谷さんみたいにならないと駄目だし。もしなっていたら、こんな事件してないと言うんですよ。そうなると本当に、あれヘイトクライムでも何でもない。彼のゆがんだ自己実現の中から起こっている事件なんですよ」  ゆがんだ自己実現が起こした事件。どうしてそこまでゆがんでしまったのか。そのゆがみに、私は関与していないのか。
  • 彼らがいることでみんなが生きやすい社会になります。それって、豊かで素敵なこと。
    パン屋に古い新聞の切り抜きがはってあります。やまゆり園事件から1年目にぷかぷかを取材し、書かれたものです。とてもいい記事なので紹介します。  一線は越えないにせよ、事件前から社会の中に「障害者は負担だ、お荷物だ」という考え方や「なんとなく嫌」という風潮はあったと思います。たとえばバスの中で障害者と乗り合わせた時「こっちに来ないで欲しい」と感じてしまったことはありませんか。  小学校の時から、障害の有無でわけられることが当たり前になっています。何かの機会がなければ、障がいがある人とおつきあいすることはなく、彼らのことはわかりません。ただ「なんとなく嫌だな」というイメージだけが一人歩きします。  措置入院や優生思想に関する議論ももちろん大事です。でも、それらが私たちの普段の暮らしとどれだけ接点がある問題かというと、とたんにボヤッとして「私には関係ない話」で終わってしまいます。大切なのは、日々の生活の中で関係性を作っていくことだと思うのです。  2010年、横浜市緑区の団地の商店街にオープンした「ぷかぷか」では知的障がいの人たちが40人ほど働いています。お店の運営以外に地域の人とぷかぷかさんが一緒に楽しめるパン教室を開いたり、地域の人とぷかぷかさんが一緒になって芝居作りをする演劇ワークショップをやったりしています。  そこでは、支援する側・される側という立場の違いはありません。「障害者への理解を」といった目的もありません。純粋に人間同士、ただ一緒に何かをする中で関係性が育っていきます。  事件の被告はどうだったのでしょう。障がいのある人ときちんと「人として」おつきあいしていたのでしょうか。障がいのある人達のことをよく知らないまま、ふくらんだマイナスのイメージが爆発して事件に至ったのではないでしょうか。  「ぷかぷか」のブログには、事件について考える投稿がたくさんあります。事件には憤りを感じます。批判したいこともたくさんあります。でも、批判しているだけでは新しい一歩を踏み出せません。前に進む。それが生きているということだと思います。  いつも発信しているのは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージです。「共生すべき」「差別はいかん」みたいな堅苦しいものではなく、「いっしょに生きていく方が人生お得だよ、楽しいよ」という感じです。  うらやましいほど自由だったり、あっという間に人の気持ちをほぐしたり。彼らはそうやって街を耕しています。彼らがいることでみんなが生きやすい社会になります。それって、豊かで素敵なことだと思うのです。
  • 画期的な条例ができるようですが…
    差別をなくし、共生社会を実現させるための画期的な条例が相模原市でできます。やまゆり園事件の起こった地元だけに、条例実現の思いは強いようです。 www.kanaloco.jp www.kanaloco.jp  「津久井やまゆり園事件を経験した市として、誰一人取り残さない、障害の有無などで差別されることがない、みんなが自分らしく地域でいきていける、多様性のある社会をつくっていきたい。」と相模原市長。 「事件を起こした施設の元職員は意思疎通のできない人間は社会に役に立たず、負担になるので殺害したと語った。元職員一人の問題ではなく、賛同する書き込みは交流サイト(SNS)で数多く流された。社会全体を覆っている優生思想は根深い。」と相模原市人権施策審議会会長。  「社会全体を覆っている優生思想は根深い。」と云われている中で、私たちに何ができるのだろう。 「人権侵害全般に対応するに当たって、勧告を行ってもやめない悪質なヘイトスピーチに対してはやはり罰則が必要」だとは思います。でも、罰則があれば人権侵害が起きないのかと云えば、決してそうではありません。  では、どうすればいいのか。やはり人権を侵害されがちな社会的に弱い立場の人達と人としての関係を丁寧に作っていくことだと思います。  ぷかぷかは街の人たちに障がいのある人達と出会って欲しいと思い、街の中に彼らの働くお店を作りました。たくさんの人達が彼らと出会い、「ぷかぷかさんが好き!」というファンまで現れました。  こういうおつきあいを丁寧に作っていくこと、それが人権を尊重する社会、差別のない社会を作っていくことにつながるのだと思います。  ぷかぷかは、障がいのある人たちといっしょにいい一日を作ることを日々の目標にしています。お互い「いい一日だったね」って言える日々をコツコツ積み上げていくこと。それは決してむつかしいことではないし、その気になれば誰にでもできることです。
  • 私なら全力で応援しますね。
    共同通信47ニュースにひどい話が載っていました。 www.47news.jp  「支援」という関係がどういうものであるか、その本質を如実に表しています。  相手に障がいがなければ、パイプカットしろだの、避妊リングしろだのと、普通はいいません。相手に障がいがあると、どうしてこんなことを平気で言うのでしょうか?  相手を人として見下す時、見下す側は人間としての荒廃が進みます。人間としての全うな感覚を失います。未だになくならない大規模施設での虐待も職員の人間としての荒廃が生み出していると思います。やまゆり園事件はその典型的なものです。  人間としての荒廃をどうやって食い止めるか。それは相手にしている障がいのある人達と人として対等につきあうことです。そうすることで、人間の回復を図ることができます。  先日近くの大学でぷかぷかさんと対等につきあう授業(すごろくワークショップ、演劇ワークショップ、一緒に絵を描くワークショップ、アート作品を鑑賞するワークショップなど)を4回ほどやりました。その時に学生さんの書いた感想文です。  彼らと人として出会うと、こんな言葉が出てくるのです。  「一緒にいるとあったかい 一緒ににいると笑顔になる」虐待をする福祉事業所の職員は、彼らといて、こんな風に思う時はないのでしょうか。 ぷかぷかさんと一緒に演劇ワークショップ  ぷかぷかさん達が結婚したいとか言い出したら、私は全力で応援しますね。子どもができたら、いろんな福祉と連携もして、みんなで育てていきたいですね。多分苦労が絶えないと思います。でもその苦労はみんなを磨きます。  子どもを軸に、みんなが幸せを感じられるような新しい関係がここから広がります。
  • 美帆ちゃんのこと忘れないよ
     今日のぷかぷかランチは美帆ちゃんの誕生日メニューでした。  やまゆり園事件で犠牲になった美帆ちゃんのことを忘れないためです。  「NHK19のいのち」には今年7月に更新した美帆ちゃんのお母さんの話が載っています。 www.nhk.or.jp  文中に「障害があってもなくても、誰もが生きやすい社会にすることが、亡くなった人たちが一番喜んでくれることなのかなと思います。」とありますが、ぷかぷかが目指しているのは、まさにそういう社会。誰もが生きやすい社会です。  ぷかぷかさん達と一緒に街の中で楽しいお店をやっていることも、区役所などで毎日のようにぷかぷかさん達と一緒に外販をやっていることも(先日瀬谷区役所で人権研修会をやった時は、外販に来るぷかぷかさん達の声を聞くと元気になる、という方が何人もいました)、近くの大学でぷかぷかさん達と一緒に授業をやっていることも、アートのワークショップや演劇ワークショップ、表現の市場をやっていることもすべて《誰もが生きやすい社会》を作っていきたいという思いからです。  先日の《表現の市場》を見に来た方が 「幸せな時間を一緒に楽しめて、ほんとうに心があたたかくなりました。」 と感想を書いていました。幸せな時間を一緒に楽しむこと、心があたたかくなること、そういったことが《誰もが生きやすい社会》を少しずつ作っていくのだと思います。そしてなによりも《美帆ちゃんのこと忘れない》。
  • 「表現の市場」は希望の表現
    先日の朝日新聞『折々のことば』 みんなが生きていてよかったと思える世の中に変えていきたい。簡単には実現しないでしょう。でも、希望を持たないのは怠惰です。     (澤地久枝)  11月27日(日)、7回目の『表現の市場』をやります。障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ、という思いを込めた舞台です。  いっしょに生きるとこんなに面白いものが生まれる、というメッセージ。ともに生きる社会を作ろう、と言葉だけで終わるのではなく、ともに生きる関係で作り出した作品をそのまま舞台に上げます。舞台はともに生きる社会そのものです。  ともに生きる社会はこんなにも豊かなものを生み出すのです。  6年前のやまゆり園事件の犯人は「障害者はいない方がいい」などといい、それに共感する人がたくさんいました。全国各地で発生している障害のある人達のグループホームに対する反対運動は、「自分の住む地域に障害者はいない方がいい」といってるわけで、やまゆり園事件と地続きにあります。精神障害の人達のグループホームの近くにある幼稚園では、警備員を雇い、常時警戒しているという話も聞きました。「精神障害の人は怖い」というイメージが、小さな子どもたちの中に入り込んでいきます。その子どもたちは、将来どんな社会を作っていくのだろう、と心が冷え冷えとしてきます。  障がいのある人達を排除した社会は、排除した分だけ社会が許容する人の幅が狭くなり、お互いが息苦しくなります。  障がいのある人達も含め、みんなが生きていてよかったと思える世の中に変えていきたい。6年前のあの悲惨極まる事件を二度と起こさないような社会を作りたい。そのために私は彼らと一緒に舞台に立ち続けようと思っています。  舞台と同じような世界を社会の中で広げていくのは簡単ではありません。  それでも希望を持っています。舞台でこれだけのことができるのだから。「表現の市場」は希望の表現でもあるのです。 www.pukapuka.or.jp
  • 第7回表現の市場をやります。
     11月27日(日)横浜線長津田駅前のみどりアートパークホールで第7回表現の市場をやります。  みんなの表現が舞台で爆発します。「私たちはここにいるぞ!」「ここでこうやって生きているぞ!」という力強いメッセ−ジ。そのエネルギーは社会を変えるチカラを持っています。  彼らのエネルギーはもっともっと社会に生かした方がいい。生かさないともったいない。生かすことで、社会は変わっていく。障がいのある人もない人もみんながもっと生きやすい社会に。  あの忌まわしいやまゆり園事件から2年目。表現の市場を見に来た人がこんなことをおっしゃってました。  《 事件のあと、みんな障害者を「守る 」と言っているけど、結局は「囲い込む」わけで、彼らを「生かす」なんてことは全く考えていない。それを考えると、表現の市場でやっていることは彼らを全面的に生かすというか、積極的な「攻め」ですよね。それがいいと思っています 》  攻め、というか、彼らと一緒に新しい物語を作ること、一緒に舞台に立つこと。そして、何よりもこういったことを続けること。  そのことが、あのような忌まわしい事件が二度と起こらない社会を作ることにつながると思っています。  ああだこうだ批判するだけでなく、彼らと一緒に本気で新しい社会を作っていく。そのことが大事だと思っています。  今回参加するのは「あらじん」「はっぱオールスターズ」「シーホース工房」「みんなでワークショップ」です。 あらじん 和太鼓あらじんは横浜市鶴見区知的障害児者親の会「ひよこ会」の余暇グループとして2003年に活動を開始しました。まもなく20年目を迎えます。メンバーは大好きな太鼓を大好きな仲間と演奏するのが大好きです。 www.youtube.com   はっぱオールスターズ  第1回より参加させていただいております。グループのモットー、「なんでもOK!」 の通り、様々なジャンルのパフォーマンスにチャレンジしています。今回は、この世 の全てのものに感謝の気持ちを捧げるあの南国のダンスを披露いたします。衣装にも ご注目を! www.youtube.com シーホース工房 シーホース工房はSeahorse Covoとも表記します。Covoとはイタリア語で「隠れ家」意味します。竹林を整備し、間伐した竹で楽器や道具を作り、それを使って紙芝居ミュージカルという独自の表現活動を展開する。障がいのある人もない人も共に集うみんなの隠れ家であり、居場所なのです。自然再生、ものづくり、表現活動を三本柱に活動しています。NPO法人2年生のフレッシュな団体です。 www.youtube.com  みんなでワークショップ  NPO法人ぷかぷかが毎年企画し、ぷかぷかで働くぷかぷかさんと地域の人達が一緒に芝居作りをしています。月一回集まり、6ヶ月かけて作った芝居を舞台で発表します。今年は『銀河鉄道の夜ーぷかぷか版』です。 www.youtube.com
  • たまこ焼ぎ
     おひさまの台所のショーウインドウでこんなラベルを見つけました。  なんだか楽しくなるようなラベルです。ぷかぷかでは、こういうの見つけると 「あっ、おもしろい!」「いいねぇ、すごくいい」 と、そのまま店頭に並べます。ラベルを見た時の楽しさをお客さんと共有したいからです。そういうことが、彼らといっしょに生きていく社会を作っていくことにつながります。 このラベル見て、  「それまちがってるじゃん」 と指摘するのは正しいことではあるのですが、その正しさを押しつけるよりも、このラベルをみた時の、なんかこう心がゆるっとするような楽しさを大事にした方が、お互い生きることが楽になるように思うのです。  このラベルは私たちのガチガチになった心をほぐしてくれます。彼らは私たちの社会に必要な人達なんだと、このラベルを見ながらしみじみ思うのです。    買い物に来て、こんな楽しいラベルに出会い、なんかホッとした気持ちになって、こういうことって大事だよね、って思う人が少しずつ増えていってくれるといいなと思っています。
  • 最近の日記
    カテゴリ
    タグ
    月別アーカイブ