ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • ぷかぷかさんに「救われた」
     以前ぷかぷかさん達に「生きるってどういうことか」を教わった、とステキな話 (http://pukapuka-pan.hatenablog.com/entry/2017/06/18/213251) を書いてくれた金子美香さんが、今度はぷかぷかさんに「救われた」話を書いてくれました。  障がいのある人たちは「支援」が必要だと、多くの人たちが考える世の中にあって、障がいのある人たちに「救われた」と考える人がいたことは、ちょっとびっくりです。「一緒に生きていった方がいいよ」の更に先へ進んでいるような気がします。彼らとの新しいおつきあいの仕方が見えてきます。彼らとのおつきあいの中で「救われた」人のお話です。         私はぷかぷかの「おわりの会」が大好きです。 一日の仕事が終わるというのに、みんな疲れた感じも見せず、ガヤガヤおしゃべりしながら、パン屋、総菜屋、畑、アート、などなど、それぞれのセクションの代表の人がその日のことを話していきます。   とにかく、代表の人がスピーチしているにもかかわらず、なんかガヤガヤしていて、カオスなんですよ。(笑) あれで「会」として成立しているのが、スゴいです! 成立しているというか、「成立しているということにしよう」という前向きさがある気がします。   そのエネルギーが好きで、育児で孤独だったころは、おわりの会に時々お邪魔していました。20分参加するだけで一日分のコミュニケーションが出来る気がするので、効率的なエネルギー補給になります。参加した日は、ほどよい疲労感とともに帰路につきました。   そんな「おわりの会」に、娘の1歳の誕生日に家族でお邪魔しました。   日ごろお世話になっているスタッフさんやぷかぷかさんに、誕生日当日に「1歳になりました~!」って言いたくて、ぷかぷかに寄ったんです。 せっかくなら、大好きな「おわりの会」の時間にしよう!と思いました。   そうしたら、私たち家族の存在に気付いてくれた高崎さんが、会の最後に 「金子さん、なにか一言どうぞ」と言ってくださったので、 「今日、娘の1歳の誕生日で~す!」と言ったんです。   そうしたら、「まなかちゃん、1歳の誕生日だそうです!では歌いましょう、せ~の」の掛け声で、ハッピーバースデーの大合唱が始まりました!   うちの娘、1歳の誕生日を40~50人の人に歌をうたってお祝いしてもらうなんて、すごいです!   私だって、そんな大人数に歌ってもらったことあるか分からない。(笑)   旦那は、その温かさに号泣して、撮っていたムービーがガタガタでした。   あぁ、温かいなぁ。   「では、歌いましょう!せ~の」で大合唱できるということは、誰かの誕生日をいつも祝うということを日常的にやっていて、習慣になっているんだと思いました。   お誕生日を祝うって、その人の存在を認め、祝福しているということですよね。   以前、ぷかぷかに取材に来ている新聞記者の方に   「私たち夫婦は、ぷかぷかに救われたんです」という話をしていると   「ぷかぷかさんたちにあって、金子さんに無いものってなんだと思いますか?」   と聞かれました。   私はふと   「ぷかぷかさんたちが持っているもの、私もきっと持っているんだと思うんです。   でも、私は他にいろいろと余計な荷物を持ちすぎて、それを持っていることを忘れているんだと思います」   と答えました。   この「本当は私たちもきっと持っているはずのもの」って何だろうって思っていたのですが、   それは「生きている」っていうことなのかなと思いました。   普段、人と会っても、わざわざその人が「生きている」とか「存在している」とかいうことって、当たり前すぎて意識しないんですよね。 病気を克服したとかいう事情があれば別ですけれども。   ぷかぷかさんたちには、私が背負っている「余計な荷物」、それってたぶん常識だとか「ふつうはこうだ」みたいなのとか、人から評価されるにはこうした方がいいとか、こういうことをすると変な目で見られるとかなんですけど、そういうのが無い。   だから、純粋だし、そこに生きているっていう「いのち感」みたいなのが前面に出ている。   普段、社会的にふつうに生きていると、人の前面に出ているのって「どこの会社の」とか「どういう肩書きの」とかそういうのが表に見えて、その人の「いのち感」ってあまり感じないです。   それが悪いっていうわけじゃないんです。そうした方が伝わりやすいこともあると思います。   でも、じゃあ、ふつうの人たちがみんな ぷかぷかさんを見て救われるかっていうと、そうじゃないんじゃないかと思います。   私たち夫婦がぷかぷかさんたちを見て救われた理由は、本音では「純粋に生きたい」っていう思いがあったからだと思います。   純粋性を求める気持ちが心の奥にあったから、ぷかぷかさんと共鳴した。   自分たちで言うのもなんですが、「純粋に生きたい」っていう自分の気持ちを、「そうだよね」って認めてあげられる感受性があったから、涙が出たし、感動した。   「あぁ、私って、僕って、純粋に生きたいんだな」   「純粋に生きていいんだな」   ぷかぷかさんたちを見て、そういう自分の本音に「それでOKだよ」「そうやって生きようよ」って許可を出せた気がしたんです。   「本当は純粋に生きたいよ」と叫んでいた自分の心を、救ってあげられた。   だからぷかぷかさんに「救われた」っていう言葉になったんだと思います。
  • カナダで上映会決定!
     9月30日、カナダのバンクーバーでぷかぷかのプロモーションビデオ2本の上映が決まったと昨日pvプロボノの中島さんから連絡が入りました。  カナダのバンクーバーを拠点に世界規模で展開している自閉症(Autism)の方たちの活動を応援している団体があるのですが、その団体が主催する大きなフェスティバルで上映されます。下に貼り付けたのがそのフェスティバルのサイトです。英語なので、よくわからないのですが、映像、ダンス、空手などのパフォーマンス、詩、アート、発明、社会活動などなど、すごい種類のカテゴリーを設けて盛大に開催している ようです。 https://www.naturallyautistic.com/2017-8th-annual-world-autism-festival/   Facebookはこちら   https://www.facebook.com/worldautismfestival/    映画のタイトルは「The secret of PukaPuka」で検討中だそうです。「ぷかぷかのヒミツ」ということになるのでしょうか。「ぷかぷか」の空気感がどうして生まれたのかのヒミツに迫る、ということだと思います。「いっしょにいると心ぷかぷか」のメッセージが、こんなふうにして世界に広がっていくのですね。なんだかわくわくします。  今回の件は福祉関係者ではなく、プロモーションビデオを見た映像関係者が繋いでくれました。そこがすごく面白いと思います。福祉の世界からのメッセージの発信を、全く福祉に関係していない人が受け止めてくれ、ここまでやってくれたことはすごいことだと思います。メッセージの普遍性とチカラを思います。これからの広がりが楽しみです。  上映会をするフェスティバルのホームページにプロモーションビデオのバナーを貼り付けるそうで、ここからどれくらいの広がりがあるのかすごく楽しみです。フェスティバルの主催団体は世界規模で活動しているそうなので、多分いろんな国の人が見ることになると思います。  今回、翻訳前の映像を見て上映を決めています。 プロモーションビデオは「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」というメッセージを映像にしたものです。そのメッセージが言葉を超えて届いたことがすごくうれしかったです。これがpvプロボノのいう「映像のチカラ」なのかと思いました。「映像のチカラ」と映像を受け止める側のセンスがうまく重なって、今回の企画が実現したのだと思います。  カナダでの上映会のためにプロモーションビデオの翻訳をします。通訳の仕事をやっている辻さんのお母さんにお願いする予定です。    上映後にQ&Aコーナーも設けるそうで、スカイプでの参加も可能と連絡がありましたが、私はやっぱり現地まで出かけて行こうと思います。上映後、「いっしょにいると心ぷかぷか」のメッセージがどんな風にカナダの人たちに伝わったのか、ぜひ自分の目と耳で確かめたいと思っています。それはカナダの人たちが障がいのある人たちをどんな風に受け止め、どんな関係を作っているのかを見ることでもあります。映画で語りきれなかった「ぷかぷかのヒミツ」も話してこようと思っています。  プロモーションビデオ第2弾も上映するので、当然、相模原障害者殺傷事件にもふれることになります。事件はカナダの人たちにとっても大変なショックだったと思います。そんな人たちを前に、犯人を生み出した日本の社会をどんな風に語ればいいのか、頭が痛いところです。    今回カナダで上映するプロモーションビデオはYouTubeで見られます。ただこういうのは一人で見るより、みんなで大きなスクリーンで見て、上映後お互い感想を言い合ったりする方が、得るものが多いと思います。前に進む手がかりがつかめるかも知れません。必要なら高崎も呼んで下さい。    問合せは045ー453−8511 もしくは pukapuka@ked.biglobe.ne.jp プロモーションビデオ第1弾(5分) www.youtube.com  プロモーションビデオ第2弾(15分) www.youtube.com  
  • かずまくんが家出!
    かずまくんが家出した、とお母さんから連絡が入りました。かずま君は自閉症で多動の傾向があります。目を離すと、どこへ行くかわからない怖さがあります。   土曜日におじいちゃんのお家へ行きました。久しぶりに来たのにお兄ちゃんのゲームがやりたくて、「おやつもいらない!ゲームやりたい!」とひつこく言うので、少し強く怒ったらスネてしまいました。しばらく放っておいたら自分のリュックを背負って来て「ぼく いえでしようと思って」はぁ…  家出ですか。「家出したいの?もうお母さんと会えなくなるけど、いいの?」「うん」「お外暑いよ。お茶もないよ」「うん」意思はかたく、すでに靴を履いています。仕方ない。行ってらっしゃいませ と見送り、心配した長男とすぐにコッソリ追跡することにしました。歩き方に迷いは無く、ズンズン歩いて行きます。私と長男は探偵さながら電柱や車のかげに隠れ、汗だくになりながら、見失わないように追いかけました。コンビニ前の赤信号で止まり、「ちゃんと信号で止まってるわー」と感心していると、突如クルッとひるがえし、バッチリかずまに見つかってしまいました。かずまは、あちゃー‼︎と慌てた私に近づき「ぼく、いえでやめようと思って。お母さんとなかなおりしたいんだよ」「帰ってきてくれるの?よかった。かずまがいないとみんなさみしいから。じゃあ 仲直りだね」「うん。いえでして ごめんなさい」帰り道、心配で見にきたおじいちゃんが「おかえり」と言ってくれ、手を繋いで帰りました。帰るとおばあちゃんが何事もなかったように「かずま君おかえりなさい」と出迎えてくれ、いつの間にか先に戻っていた長男が「冷たい水飲む?」と声をかけてくれたりして。これまた普通に「ただいまー」と答えるかずまにトホホとなりつつ、みんなの優しさに少しジーンとしました。時間にしてわずか15分かずまの大冒険でした。それにしても、家出なんかどこで覚えたのか。    お母さんからメールが来て、え〜っ!ってちょっとびっくりしたのですが、お母さんのうまい対応で、心あたたまる物語に収まりました。こういう物語に収まるかどうかは、お母さんのセンスひとつだと思います。  かずま君とお母さん、ステキな物語をありがとう!    
  • 第4期演劇ワークショップの参加者を募集します。
     第4期演劇ワークショップの参加者を募集します。  障がいのある人たちといっしょに芝居作りをします。月一回集まって、朝9時過ぎから午後4時頃まで演劇ワークショップで芝居を作ります。6ヶ月かけて芝居を作り、できあがった芝居はみどりアートパークホールの舞台で発表します。  8月からスタートし、来年1月まで。基本毎月第三土曜日です。場所はみどりアートパーク地下1階リハーサル室。  スケジュール   演劇ワークショップ  8月19日(土)、9月16日(土)、10月21日(土)、11月18日(土)、12月16日(土)、1月13日〈土〉、1月20日〈土〉  発表会 1月21日〈日〉 みどりアートパークホール  参加費1000円、中、高生500円、小学生以下無料  時間:9時15分〜午後4時〈発表会前日、及び発表会当日は午後5時まで)  お弁当、水筒持ってきて下さい。  動きやすい格好できて下さい。寝っ転がったり走り回ったりします。    なるべく全部出席し、発表会の舞台に立つ方、募集します。  参加を希望される方は、参加する動機を書いて下さい。どうして参加したいか、参加して何をしたいか、といったことを書いて下さい。  参加申込、問合せはメールでお願いします。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp 高崎    昨年第3期の記録はこちら pukapuka-pan.xsrv.jp  第3期の発表会  
  • 木を相手に、こんな楽しいことができました。
    木とアートするワークショップがありました。 最初に金子さんによるワークショップの説明。このワークショップは何かを作るのではなく、作ることを通して自分と出会うことです、と。 大きなケヤキのところへ行って、木の中を流れる水を感じます。 「どこでもドア」があって、そこをくぐって木のそばへ行きます。 「どこでもドア」のてっぺんにはあんちゃん ドアをノックします。 くぐるのが大変な人も くぐったところがまた狭い ケヤキに耳や手を当てます。何が聞こえるんだろう。何を感じるんだろう。 木のいのちを感じとったあと、わんどへ戻ります。 こんな筆で描きます。 絵の具を垂らします。 紙を持ち上げて絵の具を流します。 お日様に当てて乾かします。 ケヤキのところへ運びます。 ケヤキに巻き付けます。 木になって顔を出します。  木を相手に、こんな楽しいことができました。
  • 木とアートする
     ケヤキの中を流れる水を描きました。 その絵をケヤキに飾ります。 こういう感じになりました。 顔を出したらおもしろいじゃん! なんとなく木と一体に あんちゃんも  明日のワークショップはこんな感じで行きます。明日は地域の方も十数名参加予定なので、もっとおもしろくなりそうです。地域の人たちと、こういうことを楽しめる関係が、すごく大切な気がします。地域の豊かさがこういうところから生まれます。
  • そのとき、オウちゃんは何を思うのかな
    3年前、こんな赤ちゃんだったオウちゃんが、   こんなに大きくなって先日パン教室に参加しました。    お母さんと時々ぷかぷかに来ていて、すっかり顔なじみです。  ぷかぷかさん達は当たり前のようにオウちゃんのまわりにいます。オウちゃんの中には「障害者」という言葉は、多分まだありません。小学生くらいになって、どこかでその言葉を耳にします。オウちゃんはどんな風にその言葉を受け止めるのかな、と思います。  社会の中の「障害者」のイメージと、オウちゃんの中のイメージは多分ずいぶんちがいます。オウちゃんにとっては優しいお兄さんだったり、楽しいお姉さんだったり、パン作りを教えてくれたお兄さんだったりします。社会にある否定的なイメージはありません。否定的である理由が、オウちゃんは多分わかりません。  善意ある先生が「障がいのある人たちとは仲良くしましょう」なんて言うかも知れません。でも「それって、なんかちがうよな」って、多分思います。気がついたら、まわりにぷかぷかさん達がいて、ふつうにつきあっていただけで、「仲良くしましょう」なんて気色悪いじゃん、なんて思うかも知れません。  これから長い人生です。オウちゃんは何を思いながら生きていくのだろうと思います。    20年後、結婚して奥さんがいたら、ぜひいっしょにパンを買いに来て欲しいな。そして子どもができたら、こんなふうにぷかぷかの前で抱っこして欲しいな。   少し大きくなったらパン教室にも連れてきて欲しいな。こんな顔して食べてくれたらすごくうれしいよ。     いのちが、ぷかぷかのまわりを、ぐるぐるまわります。
  • ガジュマルの木とキジムナー
     古いパソコンの中に養護学校にいるときに作った芝居の台本が見つかりました。高等部2年の時のものです。高等部2年生は沖縄に修学旅行に行きます。それで沖縄をテーマにした芝居をやりたいと思っていました。  1年前に沖縄に修学旅行の下見に行きました。旅行の下見と同時に、芝居の手がかりも探しました。読谷村の名もない小さな公園で、すばらしいガジュマルの木を見つけました。惚れ惚れするほどの枝振りで、ここから芝居を始めようと、そのとき思いました。  ガジュマルの木の唄とそのガジュマルの木にすんでいるキジムナーの唄から芝居がはじまります。  沖縄がテーマですから、当然沖縄で戦争があったことも入ります。どんな風にそのことを入れるかは、かなり悩みました。ガジュマルの木はその戦争を見ています。キジムナーといっしょに何らかの形で戦争に絡みます。  悩みながら作った台本です。今、読んでもいい台本だと思います。養護学校でも、その気になればこれくらいの芝居ができたのです。  芝居の最後の方で兵隊が出てきます。なんともいえないおかしい兵隊でした。軍隊調でにピシッと歩くはずだったのですが、彼らがやると、なんともおかしい雰囲気になるのです。でも彼らのその雰囲気が、ヘタするとすごく重い雰囲気になってしまう場面を救ってくれました。これは演出では絶対できないことでした。そこにこそ、彼らがやることの意味があったように思います。あの兵隊達のおかげで、いい芝居になったと思っています。  ちょっと長いですが、台本ですからすぐに読めます。      ガジュマルの木とキジムナー            2008年学習発表会 高等部二年台本       舞台左下からガジュマルの木たちがケチャをたたきながら舞台に上がる。   ♪ わしは ガジュマルの木   おじいさんの おじいさんの   そのまたおじいさんが まだわかかったころから   わしは ずっと ここに こうやって    えだをひろげてたっている   あめのひも かぜのひも もちろんはれのひも   ここにこうやって たっている   そして えだのかげには きじむなー      ガジュマルの木たちは舞台左袖へ引っ込む。   キジムナーたち、鈴を鳴らしながら舞台右下から元気よく登場。    踊りながら…   ♪ おれは きじむなー  ふるい おおきな がじゅまるのきが  おれの すみか  あかるいうちは いちにちじゅう ひるね  よるになると ひゅわ~んと どこかへ とんでゆく  ひゅわ~ん ひゅわ~んと かぜにのって とんでゆく  さあ こんやは どこへいこうか なぁ ひゅわ~~ん   キジムナー① 「さぁ、こんやはどこへいこうか。」 キジムナー② 「おれたちの友達の小さな魚達をとっていったヤツがいるぞ。」 キジムナー③ 「読谷村のモモコとヨシコだ。」 キジムナー④ 「よし、しかえしにいこう。」 キジムナー⑤ 「病気のお母さんに魚を食べさせたらしいぞ。」 キジムナー⑥ 「でもおれたちの友達をくっちまったんだからしかえしだ!」 キジムナーたち「そうだ、そうだ」 キジムナー⑦ 「ハブを持っていって放り込んでやろうぜ。」 キジムナー⑧ 「よし、いこう!」 キジムナーたち  ♪ひゅわ〜ん ひゅわ〜ん ひゅわ〜ん           ひゅわ〜ん ひゅわ〜ん ひゅわ〜ん     ひゅわ~んと飛びながら舞台を一周した後、上手に引っ込む。     暗転     舞台下手側にモモコとヨシコの家。   病気の母が横になっている。   モモコ    「お母さん、これを食べて早く元気になって。」 母      「ああ、このさかな、おいしいね、」 ヨシコ    「母さんがよろこんでくれて、すごくうれしい。」     観客のほうを向いて   モモコ    「私のとうさんは 五年前、おおしけの日に 海に出たまま          帰ってこなかった。」 ヨシコ    「それ以来、村の人たちの仕事を手伝って食べ物をもらい、         母さんをやしなってきた。」     上手側からキジムナー、ハブを持って登場。壁越しに歌を聴く。     モモコ、ヨシコ  ♪ かあさんがうえて とうさんがそだてた ちいさなき            しろいはなをさかせたよ            かあさんにだかれて とうさんにうたってもらった             あのうたを わたしたちはおぼえているよ   キジムナー⑨  「う〜、あの歌を聴いたら、なんだか胸がしくしくするなぁ。」 キジムナー⑩  「俺は胸がきゅ〜んとなっちゃったよ。」 キジムナー①  「でも、ここまで来たんだから、とにかくハブを投げ込もう。」 キジムナーたち 「せーの そら!」       ハブを投げ込んだとたん、花に変わる。   キジムナー②  「やや、どうしたんだ」 キジムナー③  「ハブが花に変わったぞ!」 キジムナー④  「えー!どうして?」     ガジュマルの木の精たち、下手袖から登場し、舞台の前へ並んで歌う。           ♪ キジムナーは やさしいこころを もっている    やさしいこころを もっている   それが はぶを 花に かえた   花に か え た   暗転   キジムナーたち、舞台右下へ。   モモコとヨシコの家、撤去。   ガジュマルの木の精たち、舞台の真中に立つ。   ガジュマルの木の精① 「六十年前、沖縄は戦争に巻き込まれた。」 ガジュマルの木の精② 「私たちは、それを見た。」 ガジュマルの木の精③ 「たくさんの人たちが殺された。」 ガジュマルの木の精④ 「子どもたちも殺された。」 ガジュマルの木の精⑤ 「頭が吹き飛び、」 ガジュマルの木の精⑥ 「手が引きちぎれ」、 ガジュマルの木の精⑦ 「足がもぎ取られた。」     ガジュマルの木の精たち、下手、袖に引っ込む。     大砲、上手に設置。 兵士たち、音楽に乗って上手より登場、舞台を一周。大砲の前に立つ。   隊長      「よし、明日の朝、明るくなったら敵の村に向かって             大砲を撃つぞ。夜が明けるまで仮眠だ。」  兵士たち    「さぁ、寝よう寝よう」     音楽に乗って上手に退場。     暗転       タローとジローの家を下手側に設置。 大砲が向いている村では子どもたちがお母さんとお話ししている。   タロー      「ねぇ、お母さん。明日の朝、明るくなったら虫を             とりに行こうよ。」 ジロー      「いや、ザリガニがいい。明日は絶対にザリガニだ!」 タロー      「虫がいい!」 ジロー      「ザリガニ!」 お母さん     「わかりましたよ。じゃあ、両方行きましょう。」 タロー      「やったー!じゃあ、お母さんおやすみ!」 ジロー      「明日の朝、楽しみだなぁ。おやすみ!」 お母さん     「おやすみ!」   暗転 家、撤去。   ガジュマルの木の精たち、舞台中央に立っている。   ガジュマルの木の精① 「まずいぞ」 ガジュマルの木の精② 「あの大砲は村の方を向いている。」 ガジュマルの木の精③ 「ということは、夜が明けると大砲の弾が飛んできて、」 ガジュマルの木の精④ 「あの幸せな親子は吹き飛ばされてしまうぞ。」 ガジュマルの木の精⑤ 「ええ!? どうすればいいんだ!」 ガジュマルの木の精⑥ 「ああ、困った。」 ガジュマルの木の精⑦ 「ああ、困った。」       う〜ん、とみんな考え込む。   ガジュマルの木の精⑧ 「そうだ、おれたちの木に住んでいるキジムナーに            頼んでみよう。」 ガジュマルの木の精⑨ 「キジムナーたち。ちょっと集まってくれ。」       キジムナーたち、舞台下から駆け上がる。   ガジュマルの木の精⑩ 「相談だがなあ。」     キジムナーたち、ガジュマルの木の精のまわりに集まり、話を聞いてうなずく。   ひゅわ~んとどこかへ飛んでいく。   ガジュマルの木の精たちは、それを見送った後下手に退場。      暗転      大砲、舞台中央に設置。     ひゅわ~んとキジムナーたち飛びながら登場し、   大砲のまわりを、おまじないをかけるようにまわる。     ガジュマルの木の精たち、下手より登場。   キジムナーたちを囲むように歌う。       ♪ キジムナーは やさしいこころを もっている      やさしいこころを もっている      それが はぶを 花に かえた      花に か え た      暗転    夜が明けて、兵隊たちが上手より出てくる。   隊長     「よし、あの村に向かって撃つぞ。構え」、       兵士たち、おおげさに耳をふさぐ。   隊長      「撃て!」       丸い弾がゆっくりと飛び出し、それが花に変わる     バックで花が一斉に開く。5個、6個、7個…花、花、花で埋まる。       歌が始まる。   それに合わせて、周りから花たちが舞台に集まってくる。           ♪  キジムナーは やさしいこころを もっている     やさしいこころを もっている     それが 武器を 花に かえた     花に か え た    花が咲きそろったところで全員で歌。     ♪ キジムナーは やさしいこころを もっている     やさしいこころを もっている     それが 武器を 花に かえた     花に か え た      一瞬暗転    フィナーレ    楽しく、思いっきり元気に踊りながら       ♪ おれは きじむなー   ふるい おおきな がじゅまるのきが   おれの すみか   あかるいうちは いちにちじゅう ひるね   よるになると ひゅわ~んと どこかへ とんでゆく   ひゅわ~ん ひゅわ~んと かぜにのって とんでゆく   さあ こんやは どこへいこうか なぁ ひゅわ~~ん       おしまい!  
  • ダイちゃん、辻さんとコラボ
     日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原望さんは昨年の演劇ワークショップにチェロ奏者として招かれたことがきっかけで、ぷかぷかさん達に惚れ込み、ダイちゃんとコラボを組んで何度か舞台に立ちました。   日本フィルのリレーコンサートでの舞台。 www.youtube.com  この舞台、ダイちゃんはしっかりギャラを日本フィルからもらったようです。言い換えれば、江原さんはそういうおつきあい、真剣勝負ができるようなおつきあいをダイちゃんとしたというわけです。  その江原さんが今度は、辻さんも入れてコラボをしたいと言ってきました。辻さんに絵本の朗読をしてもらい、その朗読の合間にダイちゃんとのコラボの演奏を入れるそうです。本は『さかなはおよぐ』というパレスチナの絵本です。      パレスチナの絵本なので、ダイちゃんには和太鼓ではない、エキゾチックな音の出る打楽器を持たせる予定、と江原さんは話していました。音楽もアラブの曲を何曲か入れるそうです。  魚が死ぬ場面ではレクイエムを演奏したいと話していました。      絵本をプロカメラマンに撮ってもらって、三方向から光を当てるスライドショーをやりたいと話していました。かなり豪華なスライドショーになりそうです。    朗読コンサートは8月13日(日)午後2時からです。みどりアートパークリハーサル室です。  朗読コンサートのあと、プロモーションビデオ第二弾の上映をします。上映のあと、プロモーションビデオを作った信田さんに映像に込めた相模原障害者殺傷事件へのメッセージについてお話をお伺いする予定です。お話のあと、相模原障害者殺傷事件で犠牲になった方々を思いながら江原さんとダイちゃんによる「レクイエム」の演奏を聴きます。 www.youtube.com    「レクイエム」を聞いたあと、集まったみなさんで相模原障害者殺傷事件のことを少し話し合えれば、と思っています。あの事件は私たちにとってなんだったのか、優生思想云々の大きな話ではなく、日々の暮らしの中で、あの事件はなんだったのか、といったことが話し合えれば、と思っています。  江原さんには「ダイちゃんと辻さんとのコラボをやりたい」と思ったのはどういうところからなのか、といったお話も聞く予定です。江原さんのやろうとしていることは、相模原障害者殺傷事件の被告の言う「障害者はいない方がいい」とは全く逆の提案です。「障害者はいた方がいい」どころか、彼らと新しいことをいっしょにやろう、という極めて前向きな提案です。事件から1年がたとうとする今、福祉の業界の人でもなく、関係者でもない江原さんがこういう提案をすることにこそ、すごく意味があると思います。そのあたりの話をじっくり聞きたいと思っています。    江原さんはこのユニットの出前公演も考えています。日本のあちこちでこの朗読コンサートが実現できれば、なんだかすごくいいと思います。    8月13日まで、江原さんは何度かぷかぷかに来てダイちゃん、辻さんと練習します。オープンでやりますので、見に来られる方はぜひ見に来て下さい。場所はぷかぷかのアート屋わんどです。練習する日が決まりましたらFacebookでお知らせします。      朗読コンサートと上映会のチケットは2000円です。今回は経費がいろいろかかるので少し高めです。申込、お問い合わせはぷかぷか高崎までお願いします。会場が狭い(定員60名)ので、必ず予約して下さい。    045-453-8511 もしくはメールで  pukapuka@ked.biglobe.ne.jp       江原さん、すごく張り切っています。朗読のあと江原さんのソロ演奏もあります。江原さんは日本フィルハーモニーのチェロ奏者です。これはもう聞かないと絶対損!です。   ★準備不足のため、公演は延期します。 11月か12月頃になると思います。日時、場所が決まりましたらまたお知らせします。 ★9月30日、カナダのバンクーバーで公演します。   
  • もったいないけど、街の人に貸してあげるよ
     すばらしい映像見つけました。障がいのある人が街を歩くと街の人たちが少しずつ変わっていく、ということがよくわかる映像です。  次郎くんは言葉がしゃべれません。でもどんどん街へ出て行きます。言葉がしゃべれなくても、いろんなところで人に話しかけ、うまい具合にコミュニケーションが生まれます。相手の人たちは最初は多分いろいろ戸惑ったのだろうと思います。それでも何度か次郎くんとおつきあいするうちに、次郎くんの言いたいことがだんだんわかってきます。そして今は次郎くんがいて当たり前の街になっているようです。これを《次郎は「次郎という仕事」をしている》と話すお母さんの発想がすばらしいと思いました。 www.dailymotion.com  《次郎は「次郎という仕事」をしている》という考え方は、ちょっと目からうろこでした。仕事というものについての今までにない新しい発想だと思いました。こんなふうに見ていくと、障がいのある人たちのする仕事の幅が、人の数だけ広がります。  たとえば毎日郵便局に行っているセノーさんは、「セノーさんという仕事」をしている、と考えると、セノーさんはただ入金の仕事だけでなく、「あああああ…」といいながら、郵便局のお姉さんたちや郵便局に来るお客さん、中でもインド人の人たちの心を癒やしている、という大事な仕事もしていることが見えてきます。何よりも「セノーさんという仕事」はセノーさんしかできないので、地域社会の中で、セノーさんはかけがえのない、とても大切な存在になります。  「ミズキさんという仕事」「タカノブさんという仕事」「ツジさんという仕事」等々を、それぞれがしている、と考えると、それぞれの仕事がその人しかできないオリジナルな仕事になり、今まで以上にかけがえのない、大切な存在になります。  体が動かなくて、寝たきりであっても、「○○さんという仕事」をしている、と考えると、仕事ができない人、という概念はなくなります。「何かができない」というのは、できないことをフォローするために、そばにいる人との新しい関係を生み出します。新しい関係は相手の人生を広げます。人を手助けすることでちょっといい気持ちになれます。そんなふうにその新しい関係が社会をよくする方向へ広がっていくとき、寝たきりの「○○さんという仕事」は、ただ寝てるだけで大きな仕事をしていることになります。  仕事の意味をこうやって今までと全く違う発想で考え直していくと、相模原障害者殺傷事件の植松被告のいう「障害者はいない方がいい」あるいは「不幸しか生まない」ではなく、「障がい者は社会にとってかけがえのない大切な存在」ということが見えてきます。  映像の最後の方で、「なんかもったいないんだけど、次郎を街の人に貸してあげるよ、ぐらいな感じですかね」というお母さんのこのいい方がすごくいい!と思いました。迷惑かけて申し訳ない、といった感覚のお母さんが多い中で、「もったいないけど、街の人に貸してあげるよ」なんて感覚で街に出しているのですから、もう座布団10枚でも足りないくらいです。次郎くんの存在価値をそれくらい認めているのだと思います。  次郎くんはお母さんの人生をグッと広げてくれたといいます。次郎くんのおかげで、幸せも価値観もいろいろ教えてくれたといいます。私は次郎に出会って本当によかったといいます。だから時々街の人たちに貸して、街の人たちにも同じように 次郎とおつきあいして「いい思いしてよ」「いい時間過ごしてよ」 って思ってるみたいでした。
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